《管子·奢靡上》
问曰:“古之时与今之时同乎?”曰:“同。”“其人同乎?不同乎?”曰:“不同。”可与?政其诛。俈尧之时,混吾之美在下,其道非独出人也。山不童而用赡,泽不獘而养足。耕以自养,以其余应良天子,故平。牛马之牧不相及,人民之俗不相知,不出百里而来足,故卿而不理,静也。其狱一踦腓一踦屦而当死。今周公断指满稽,断首满稽,断足满稽,而死民不服,非人性也,敝也。地重人载,毁敝而养不足,事末作而民兴之;是以下名而上实也,圣人者,省诸本而游诸乐,大昏也,博夜也。
问曰:“兴时化若何?”莫善于侈靡;贱有实,敬无用,则人可刑也。故贱粟米而如敬珠玉,好礼乐而如贱事业。本之殆也,珠者阴之阳也,故胜火。玉者阴之阴也,故胜水。其化如神。故天子臧珠玉,诸侯臧金石,大夫畜狗马,百姓臧布帛。不然,则强者能守之,智者能牧之,贱所贵而贵所贱。不然,鳏寡独老不与得焉,均之始也。
政与教庸急?管子曰:夫政教相似而殊方,若夫教者,标然若秋云之远,动人心之悲;蔼然若夏之静云,乃及人之体,□然若謞之静。动人意以怨,荡荡若流水,使人思之。人所生往,教之始也,身必备之。辟之若秋云之始见,贤者不肖者化焉。敬而待之,爱而使之,若樊神山祭之。贤者少。不肖者多。使其贤,不肖恶得不化。今夫政则少则,若夫成形之征者也,去则少可使人乎。
用贫与富,何如而可,曰:甚富不可使,甚贫不知耻,水平而不流,无源则遫竭,云平而雨不甚,无委云,雨则遫已。政平而无威,则不行。爱而无亲则流。亲左有用,无用则辟之,若相为有兆怨。上短下长,无度而用,则危本不称。
而祀谭次祖,犯诅渝盟伤言。敬祖祢,尊始也。齐约之信,论行也。尊天地之理,所以论威也。薄德之君之府囊也。必因成形而论于人,此政行也,可以王乎?
请问用之若何?必辨于天地之道,然后功名可以殖。辨于地利,而民可富。通于侈靡,而士可戚。君亲自好事,强以立断,仁以好任。人君寿以政年,百姓不夭厉,六畜鞍育,五谷鞍熟,然后民力可得用。邻国之君俱不贤,然后得王。
俱贤若何?曰:忽然易卿而移,忽然易事而化,变而足以成名。承獘而民劝之,慈种而民富,应言待感,与物俱长,故日月之明,应风雨而种。天之所覆,地之所载,斯民之良也,不有而丑天地,非天子之事也。民变而不能变,是棁之傅革,有革而不能革,不可服。民死信,诸侯死化。
请问诸侯之化獘,獘也者,家也。家也者,以因人之所重而行之。吾君长来猎君长虎豹之皮用。功力之君上金玉币,好战之君上甲兵。甲兵之本,必先于田宅。今吾君战,则请行民之所重。
饮食者也,侈乐者也,民之所愿也,足其所欲,赡其所愿,则能用之耳。今使衣皮而冠角食野草,饮野水,庸能用之?伤心者不可以致功。故尝至味,而罢至乐。而雕卵然后瀹之,雕橑然后爨之。丹沙之穴不塞,则商贾不处。富者靡之,贫者为之,此百姓之怠生百振而食非,独自为也,为之畜化。
用其臣者,予而夺之,使而辍之,徒以而富之,父系而伏之,予虚爵而骄之。收其春秋之时而消之,有集礼我而居之。时举其强者以誉之。强而可使服事。辩以辩辞,智以招请,廉以摽人,坚强以乘六,广其德以轻上,位不能使之而流徙,此谓国亡之郤。故法而守常,尊礼而变俗,上信而贱文,好缘而好駔,此谓成国之法也。为国者,反民性,然后可以与民戚,民欲佚,而教以劳。民欲生,而教以死。劳教定而国富,死教定而威行。
圣人者,阴阳理,故平外而险中;故信其情者伤其神,美其质者伤其文,化之美者应其名,变其美者应其时,不能兆其端者菑及之。故缘地之利,承从天之指,辱举其死,开国闭辱,知其缘地之利者,所以参天地之吉纲也;承从天之指者,动必明。辱举其死者,与其失人同公事,则道必行。开其国门者,玩之以善言。柰其斝辱,知神次者,操牺牲与其珪璧,以执其斝。家小害,以小胜大。员其中,辰其外。而复畏强,长其虚,而物正以视其中情。
公曰:国门则塞,百姓谁敢敖,胡以备之?择天下之所宥,择鬼之所当,择人天之所戴,而前付其身,此所以安之也。强与短而立,齐国之若何?高予之名而举之,重予之官而危之,因责其能以随之,犹傶则疏之,毋使人图之,犹疏则数之,毋使人曲之,此所以为之也。
大有臣甚大,将反为害,吾欲优患除害,将小能察大,为之奈何?潭根之毋伐,固蒂之毋乂,深黎之毋涸,不仪之毋助,章明之毋灭,生荣之毋失。十言者不胜此一,虽凶必吉,故平以满。
无事而总,以待有事,而为之若何?积者立余日而侈,美车马而驰,多酒醴而靡,千岁毋出食,此谓本事。县人有主,人此治用,然而不治,积之市,一人积之下,一人积之上,此谓利无常。百姓无宝,以利为首。一上一下,唯利所处。利然后能通,通然后成国。利静而不化,观其所出,从而移之。
视其不可使,因以为民等。择其好名,因使长民;好而不已,是以为国纪。功未成者,不可以独名;事未道者,不可以言名。成功然后可以独名,事道然后可以言名,然后可以承致酢。
先其士者之为自犯,后其民者之为自赡。轻国位者国必败,疏贵戚者谋将泄。毋仕异国之人,是为失经。毋数变易,是为败成。大臣得罪,勿出封外,是为漏情。毋数据大臣之家而饮酒,是为使国大消。三尧在,臧于县,返于连,比若是者,必从是儡亡乎!辟之若尊觯,未胜其本,亡流而下不平。令苟下不治,高下者不足以相待,此谓杀。
事立而坏,何也?兵远而畏,何也?民已聚而散,何也?辍安而危,何也?功成而不信者,殆;兵强而无义者,残;不谨于附近而欲求远者,兵不信。略近臣合于其远者,立。亡国之起,毁国之族,则兵远而不畏。国小而修大,仁而不利,犹有争名者,累哉是也!乐聚之力,以兼人之强,以待其害,虽聚必散。大王不恃众而自恃,百姓自聚;供而后利之,成而无害。疏戚而好外,企以仁而谋泄,贱寡而好大,此所以危。
众而约,实取而言让,行阴而言阳,利人之有祸,言人之无患,吾欲独有是,若何?是故之时,陈财之道可以行。今也利散而民察,必放之身然后行。公曰:谓何?长丧以毁其时,重送葬以起身财,一亲往,一亲来,所以合亲也。此谓众约。问,用之若何?巨瘗堷,所以使贫民也;美垄墓,所以使文明也;巨棺椁,所以起木工也;多衣衾,所以起女工也。犹不尽,故有次浮也,有差樊,有瘗藏。作此相食,然后民相利,守战之备合矣。
乡殊俗,国异礼,则民不流矣;不同法,则民不困;乡丘老不通睹,诛流散,则人不眺安乡乐宅,享祭而讴吟称号者皆诛,所以留民俗也。断方井田之数,乘马甸之众,制之。陵溪立鬼神而谨祭。皆以能别以为食数,示重本也。
故地广千里者,禄重而祭尊。其君无余地与他若一者,从而艾之。君始者艾若一者,从乎杀。与于杀若,一者从者艾若一者,从于杀。与于杀若,一者从无封始,王者上事,霸者生功,言重本。是为十禺,分免而不争,言先人而自后也。
官礼之司,昭穆之离先后功器事之治,尊鬼而守故;战事之任,高功而下死;本事,食功而省利;劝臣,上义而不能与小利。五官者,人争其职,然后君闻。
祭之,时上贤者也,故君臣掌。君臣掌则上下均,此以知上贤无益也,其亡兹适。上贤者亡,而役贤者昌。上义以禁暴,尊祖以敬祖,聚宗以朝杀,示不轻为主也。载祭明置,高子闻之,以告中寝诸子,中寝诸子告寡人,舍朝不鼎馈,中寝诸子告宫中女子曰,公将有行,故不送公,公言无行,女安闻之,曰:闻之中寝诸子,索中寝诸子而问之,寡人无行,女安闻之,吾闻之先人,诸侯舍于朝不鼎馈者,非有外事,必有内忧。公曰:吾不欲与汝及若。女言至焉,不得毋与女及若言,吾欲致诸侯,诸侯不至若何哉?女子不辩于致诸侯,自吾不为污杀之事人,布织不可得而衣,故虽有圣人恶用之。
能摩故道新道,定国家,然后化时乎?国贫而鄙富,苴美于朝市国;国富而鄙贫,莫尽如市。市也者,劝也。劝者,所以起。本善而末事起。不侈,本事不得立。
问曰:“古之时与今之时同乎?”曰:“同。”“其人同乎?不同乎?”曰:“不同。”可与?政其诛。俈尧之时,混吾之美在下,其道非独出人也。山不童而用赡,泽不獘而养足。耕以自养,以其余应良天子,故平。牛马之牧不相及,人民之俗不相知,不出百里而来足,故卿而不理,静也。其狱一踦腓一踦屦而当死。今周公断指满稽,断首满稽,断足满稽,而死民不服,非人性也,敝也。地重人载,毁敝而养不足,事末作而民兴之;是以下名而上实也,圣人者,省诸本而游诸乐,大昏也,博夜也。
问曰:“兴时化若何?”莫善于侈靡;贱有实,敬无用,则人可刑也。故贱粟米而如敬珠玉,好礼乐而如贱事业。本之殆也,珠者阴之阳也,故胜火。玉者阴之阴也,故胜水。其化如神。故天子臧珠玉,诸侯臧金石,大夫畜狗马,百姓臧布帛。不然,则强者能守之,智者能牧之,贱所贵而贵所贱。不然,鳏寡独老不与得焉,均之始也。
政与教庸急?管子曰:夫政教相似而殊方,若夫教者,标然若秋云之远,动人心之悲;蔼然若夏之静云,乃及人之体,□然若謞之静。动人意以怨,荡荡若流水,使人思之。人所生往,教之始也,身必备之。辟之若秋云之始见,贤者不肖者化焉。敬而待之,爱而使之,若樊神山祭之。贤者少。不肖者多。使其贤,不肖恶得不化。今夫政则少则,若夫成形之征者也,去则少可使人乎。
用贫与富,何如而可,曰:甚富不可使,甚贫不知耻,水平而不流,无源则遫竭,云平而雨不甚,无委云,雨则遫已。政平而无威,则不行。爱而无亲则流。亲左有用,无用则辟之,若相为有兆怨。上短下长,无度而用,则危本不称。
而祀谭次祖,犯诅渝盟伤言。敬祖祢,尊始也。齐约之信,论行也。尊天地之理,所以论威也。薄德之君之府囊也。必因成形而论于人,此政行也,可以王乎?
请问用之若何?必辨于天地之道,然后功名可以殖。辨于地利,而民可富。通于侈靡,而士可戚。君亲自好事,强以立断,仁以好任。人君寿以政年,百姓不夭厉,六畜鞍育,五谷鞍熟,然后民力可得用。邻国之君俱不贤,然后得王。
俱贤若何?曰:忽然易卿而移,忽然易事而化,变而足以成名。承獘而民劝之,慈种而民富,应言待感,与物俱长,故日月之明,应风雨而种。天之所覆,地之所载,斯民之良也,不有而丑天地,非天子之事也。民变而不能变,是棁之傅革,有革而不能革,不可服。民死信,诸侯死化。
请问诸侯之化獘,獘也者,家也。家也者,以因人之所重而行之。吾君长来猎君长虎豹之皮用。功力之君上金玉币,好战之君上甲兵。甲兵之本,必先于田宅。今吾君战,则请行民之所重。
饮食者也,侈乐者也,民之所愿也,足其所欲,赡其所愿,则能用之耳。今使衣皮而冠角食野草,饮野水,庸能用之?伤心者不可以致功。故尝至味,而罢至乐。而雕卵然后瀹之,雕橑然后爨之。丹沙之穴不塞,则商贾不处。富者靡之,贫者为之,此百姓之怠生百振而食非,独自为也,为之畜化。
用其臣者,予而夺之,使而辍之,徒以而富之,父系而伏之,予虚爵而骄之。收其春秋之时而消之,有集礼我而居之。时举其强者以誉之。强而可使服事。辩以辩辞,智以招请,廉以摽人,坚强以乘六,广其德以轻上,位不能使之而流徙,此谓国亡之郤。故法而守常,尊礼而变俗,上信而贱文,好缘而好駔,此谓成国之法也。为国者,反民性,然后可以与民戚,民欲佚,而教以劳。民欲生,而教以死。劳教定而国富,死教定而威行。
圣人者,阴阳理,故平外而险中;故信其情者伤其神,美其质者伤其文,化之美者应其名,变其美者应其时,不能兆其端者菑及之。故缘地之利,承从天之指,辱举其死,开国闭辱,知其缘地之利者,所以参天地之吉纲也;承从天之指者,动必明。辱举其死者,与其失人同公事,则道必行。开其国门者,玩之以善言。柰其斝辱,知神次者,操牺牲与其珪璧,以执其斝。家小害,以小胜大。员其中,辰其外。而复畏强,长其虚,而物正以视其中情。
公曰:国门则塞,百姓谁敢敖,胡以备之?择天下之所宥,择鬼之所当,择人天之所戴,而前付其身,此所以安之也。强与短而立,齐国之若何?高予之名而举之,重予之官而危之,因责其能以随之,犹傶则疏之,毋使人图之,犹疏则数之,毋使人曲之,此所以为之也。
大有臣甚大,将反为害,吾欲优患除害,将小能察大,为之奈何?潭根之毋伐,固蒂之毋乂,深黎之毋涸,不仪之毋助,章明之毋灭,生荣之毋失。十言者不胜此一,虽凶必吉,故平以满。
无事而总,以待有事,而为之若何?积者立余日而侈,美车马而驰,多酒醴而靡,千岁毋出食,此谓本事。县人有主,人此治用,然而不治,积之市,一人积之下,一人积之上,此谓利无常。百姓无宝,以利为首。一上一下,唯利所处。利然后能通,通然后成国。利静而不化,观其所出,从而移之。
视其不可使,因以为民等。择其好名,因使长民;好而不已,是以为国纪。功未成者,不可以独名;事未道者,不可以言名。成功然后可以独名,事道然后可以言名,然后可以承致酢。
先其士者之为自犯,后其民者之为自赡。轻国位者国必败,疏贵戚者谋将泄。毋仕异国之人,是为失经。毋数变易,是为败成。大臣得罪,勿出封外,是为漏情。毋数据大臣之家而饮酒,是为使国大消。三尧在,臧于县,返于连,比若是者,必从是儡亡乎!辟之若尊觯,未胜其本,亡流而下不平。令苟下不治,高下者不足以相待,此谓杀。
事立而坏,何也?兵远而畏,何也?民已聚而散,何也?辍安而危,何也?功成而不信者,殆;兵强而无义者,残;不谨于附近而欲求远者,兵不信。略近臣合于其远者,立。亡国之起,毁国之族,则兵远而不畏。国小而修大,仁而不利,犹有争名者,累哉是也!乐聚之力,以兼人之强,以待其害,虽聚必散。大王不恃众而自恃,百姓自聚;供而后利之,成而无害。疏戚而好外,企以仁而谋泄,贱寡而好大,此所以危。
众而约,实取而言让,行阴而言阳,利人之有祸,言人之无患,吾欲独有是,若何?是故之时,陈财之道可以行。今也利散而民察,必放之身然后行。公曰:谓何?长丧以毁其时,重送葬以起身财,一亲往,一亲来,所以合亲也。此谓众约。问,用之若何?巨瘗堷,所以使贫民也;美垄墓,所以使文明也;巨棺椁,所以起木工也;多衣衾,所以起女工也。犹不尽,故有次浮也,有差樊,有瘗藏。作此相食,然后民相利,守战之备合矣。
乡殊俗,国异礼,则民不流矣;不同法,则民不困;乡丘老不通睹,诛流散,则人不眺安乡乐宅,享祭而讴吟称号者皆诛,所以留民俗也。断方井田之数,乘马甸之众,制之。陵溪立鬼神而谨祭。皆以能别以为食数,示重本也。
故地广千里者,禄重而祭尊。其君无余地与他若一者,从而艾之。君始者艾若一者,从乎杀。与于杀若,一者从者艾若一者,从于杀。与于杀若,一者从无封始,王者上事,霸者生功,言重本。是为十禺,分免而不争,言先人而自后也。
官礼之司,昭穆之离先后功器事之治,尊鬼而守故;战事之任,高功而下死;本事,食功而省利;劝臣,上义而不能与小利。五官者,人争其职,然后君闻。
祭之,时上贤者也,故君臣掌。君臣掌则上下均,此以知上贤无益也,其亡兹适。上贤者亡,而役贤者昌。上义以禁暴,尊祖以敬祖,聚宗以朝杀,示不轻为主也。载祭明置,高子闻之,以告中寝诸子,中寝诸子告寡人,舍朝不鼎馈,中寝诸子告宫中女子曰,公将有行,故不送公,公言无行,女安闻之,曰:闻之中寝诸子,索中寝诸子而问之,寡人无行,女安闻之,吾闻之先人,诸侯舍于朝不鼎馈者,非有外事,必有内忧。公曰:吾不欲与汝及若。女言至焉,不得毋与女及若言,吾欲致诸侯,诸侯不至若何哉?女子不辩于致诸侯,自吾不为污杀之事人,布织不可得而衣,故虽有圣人恶用之。
能摩故道新道,定国家,然后化时乎?国贫而鄙富,苴美于朝市国;国富而鄙贫,莫尽如市。市也者,劝也。劝者,所以起。本善而末事起。不侈,本事不得立。
“君子得其时则驾,不得其时则蓬累而行。吾闻之:良贾深藏若虚,君子盛德,容貌若愚,去子之娇气与多欲,态色与淫志,是皆无益于子之身。”----史记中记载老子对孔子说的话,是良师警言,是益友忠告,克己复礼,天下归仁,骄奢淫逸,欲壑难填,枉道速祸。
曾国藩说:“人一日所着之衣所进之食,与日所行之事所用之力相称,则旁人韪之,鬼神许之,以为彼自食其力也。”
一粥一饭,当思来处不易;半丝半缕,恒念物力维艰。《朱子家训》中说:“饮食约而精,园蔬愈珍诺。”俗话说:“人无寿夭,禄尽则亡。惜衣有衣,惜食有食。” 人生在世,乐善好施,福报才至。吃苦则了苦,享福即消福。
正如释迦牟尼在《杂阿含经》中说:“人当自系念,每食知节量,是则诸受薄,安消而保寿”。
曾国藩说:“人一日所着之衣所进之食,与日所行之事所用之力相称,则旁人韪之,鬼神许之,以为彼自食其力也。”
一粥一饭,当思来处不易;半丝半缕,恒念物力维艰。《朱子家训》中说:“饮食约而精,园蔬愈珍诺。”俗话说:“人无寿夭,禄尽则亡。惜衣有衣,惜食有食。” 人生在世,乐善好施,福报才至。吃苦则了苦,享福即消福。
正如释迦牟尼在《杂阿含经》中说:“人当自系念,每食知节量,是则诸受薄,安消而保寿”。
俳優・高良健吾さん、日常を離れ、アナログな「時」を楽しむ旅 【前編】
これまでやりたくても「時間」がなくてできなかったことに挑戦する「時間」をセイコー プレザージュが提供するこの企画。
昨年の「瀬戸内しまなみ海道」での自転車旅に続いて、俳優の高良健吾さんが再び旅立った。2日間、自然の中へ——。旅の目的は、「やりたかったことをすべて叶(かな)える」こと。とかく情報過多になりがちな日常を抜け出して、アナログな時間の流れに身を置いた高良さんは、何を感じ、どんな思いを抱いたのか。今回お届けする前編では、都会の喧噪(けんそう)から離れ、兵庫県北部の山間(やまあい)で自然をゆるりと楽しむ様子を追った。
腕時計と地図。アナログなツールでドライブへ
とある初夏の一日、高良さんが訪れたのは山間に佇(たたず)む古民家宿。やりたかったことをすべて叶える、今回の旅の拠点だ。大きな窓のあるメインルームでソファに座り、高良さんは持参した文庫本をしばし読みふける。
「本は好きです。こんな何百円で、人の考えに触れられるなんてすごいですよね。手に取らないと出会えないような言葉だったり、生き方だったり、そういうものを知ることができる。ある意味、ちょっとした旅だと思います」
そしてふと顔を上げ、明るい光が入り込む大きな窓から、山々を見つめる高良さん。そろそろ出発の時間だ。日常から離れるために、スマートフォンは置いていく。ルートは地図で、時間は腕時計で確認するアナログな旅の始まりだ。
「自分は基本アナログ。家にパソコンはないし、映画館に行くときはスマホを家に置いていくこともよくあります。スマホを気にしない分、別のものが見えてくる。こういう自然の中なら周囲をよく見るようになるし、いつもと違うアンテナも張れます」。地図を眺め、腕時計に目を向けてから、高良さんは車へ乗り込んだ。
小一時間、車を走らせて訪れたのは、歴史ある寺院。しっかりとした足取りで、初めて訪れる寺の山門をくぐる。
寺院では本堂に上がり、庭に向かってあぐらをかく。瞑想(めいそう)、これもまた高良さんがこの日、やりたかったことのひとつだ。背筋をぴしりと伸ばし、目をつぶって微動だにしない。葉ずれの音、鳥やカエルの鳴き声が止(や)んだ瞬間は、まるで時が止まっているかのようだ。
高良さんにとって瞑想は、ルーティンのようなものだという。
「だいたい寝る前にやるんです。撮影している期間は日中集中しているので、寝付きが悪かったり、途中で目が覚めたりすることもあるので、眠る前にちょっと心を落ち着かせるという感じ。今日のように自然の音に囲まれた場所だと、家の中で瞑想するよりも入りやすいですね。何も考えない、無理をしない時間が過ごせました」
自然の揺れを感じに。日常にない、贅沢時間
瞑想を終え、「ゴチャゴチャしていたものが整理された」と言う高良さんの次の目的地は、山中の釣り場。川に沿って続く遊歩道を、土の感触を確かめるように泰然と歩いていく高良さん。途中、足を止めて伸びをしたり、思いのままに満喫しているようだ。
こうして自然に囲まれながら思うのは、「自分が落ち着く場所、癒やされる場所は、自然なんだ」ということ。
「原風景が祖父母の田舎なんですよね。阿蘇と北九州の田川。きっと、そういう田舎で遊んでいた、楽しかった記憶があるんだろうと思います。自然の揺れって、見ているだけで落ち着くので、そこを求めに行っている。東京にいると、そういう揺れは風とか、上を見ないと感じられないので」
やがてたどり着いたのが、半径15mほどの滝壺(つぼ)。主にニジマスが釣れるという。海でのルアーフィッシング経験はある高良さんだが、川釣りは初挑戦。竹竿(ざお)にウキという組み合わせも、やはり初めて使う道具だそうだ。照れくさそうに「海ではルアーをなくしてばかりいたし、今回のやりたいことの中では一番自信がない」と言うものの、慣れた手つきで竿を操っている。
糸を垂らし、狙うポイントを変えながら数十分。前日の雨で濁った水面がゆらめく様子を、ただ見つめながら過ごす贅沢(ぜいたく)な時間だ。
「釣れなくても、3時間くらいは平気で過ごせますね。どれだけ時間が経ったかを確認することはあっても、苦ではないです。こうやって自然の中で過ごしている時は、時間の確認は腕時計がいいですね。それもデジタルの数字じゃなくて、針で見るっていうのがいい」
そんな話をするうちに、不意にウキが動き出した。「食いついた!」。そう思った瞬間、必死に暴れる魚の姿が。木漏れ日に輝く銀色の体はかなり大きく、高良さんもしばらく格闘したものの、魚はハリから外れて滝壺の底へと消えていった。その後すぐに再び別の獲物を捕らえるが、今度は糸が切れてしまう事態に。この装備では、少し心許(こころもと)ないようだ。
そろそろ宿に戻ろうか……と諦めかけたところで、またもウキが躍り出す。三度目の正直とばかりに、見事釣り上げた高良さん。「今日に限らず、以前から目の前で逃がしてばかりだったけど、ようやく釣れた!」と、喜びであふれんばかりの笑顔を向けた。
手を掛けるだけ愛着が増す。フォーマルな印象のモデル
「1時間で3匹なら入れ食い状態」と笑みを浮かべながら、宿へと戻ってきた。本日、予定していた夕食は屋外でのバーベキューだった。しかし、天気は下り坂。焚(た)き火台に火を入れ、炎が上がり始めるころには雨も降り出してきたため、部屋の中の囲炉裏に場所を移しての食事となった。
周囲には街灯や民家がなく、夜の帳(とばり)が下りれば辺りは真っ暗に。肉に魚、野菜も焼いて、時折、焚き火を眺めるひととき。
「焚き火って、本当に自然の揺らぎですよね。人間が作り出せない揺れというか。それこそ波だってそうだし、空だって雲の流れだったり、風の流れだったり、それって人間が絶対作り出せない。そういう場所に身を置くことが、自分にとっての癒やしですかね」。そう語る彼を包み込むように、時間はゆったりと過ぎていく。
この日、高良さんの腕で時を刻んだのは、「セイコー プレザージュ Sharp Edged Series SARX097」。アナログな旅によく似合う、機械式時計だ。
「機械式時計の良さは、自分がちゃんとその時計を扱っていないといけないこと。毎日見て、定期的にちゃんとメンテナンスしてあげることでより愛着が湧きますよね。耳を近付けて音を聞きながらりゅうずを巻くのも、好きな行為ですね」
「この『セイコー プレザージュ Sharp Edged Series SARX097』は、どちらかというとフォーマルな印象でした。白文字盤は持っていなかったんですが、いいですね。スーツのようなキレイめにも合うし、幅広いシーンで使えると思いました。(白文字盤は)似合う年齢が少し上という勝手なイメージがあったんですけど、 身につけてみると、“いや、そんなことないな”って気がしました」
そう言って、「セイコー プレザージュ Sharp Edged Series SARX097」に視線を落とす高良さん。「静の旅」となった1日が、そろそろ終わろうとしている。明日は一転、「動の旅」と言えるほど、バラエティーに富んだアクティブな旅となる。そちらは後編として次回、改めてご紹介しよう。
(文・石川由紀子 写真・高橋雄大 取材協力・円覚山宗鏡寺、glaminka KAMIKAWA、日高神鍋観光協会、清滝地区コミュニティセンターの皆様)
これまでやりたくても「時間」がなくてできなかったことに挑戦する「時間」をセイコー プレザージュが提供するこの企画。
昨年の「瀬戸内しまなみ海道」での自転車旅に続いて、俳優の高良健吾さんが再び旅立った。2日間、自然の中へ——。旅の目的は、「やりたかったことをすべて叶(かな)える」こと。とかく情報過多になりがちな日常を抜け出して、アナログな時間の流れに身を置いた高良さんは、何を感じ、どんな思いを抱いたのか。今回お届けする前編では、都会の喧噪(けんそう)から離れ、兵庫県北部の山間(やまあい)で自然をゆるりと楽しむ様子を追った。
腕時計と地図。アナログなツールでドライブへ
とある初夏の一日、高良さんが訪れたのは山間に佇(たたず)む古民家宿。やりたかったことをすべて叶える、今回の旅の拠点だ。大きな窓のあるメインルームでソファに座り、高良さんは持参した文庫本をしばし読みふける。
「本は好きです。こんな何百円で、人の考えに触れられるなんてすごいですよね。手に取らないと出会えないような言葉だったり、生き方だったり、そういうものを知ることができる。ある意味、ちょっとした旅だと思います」
そしてふと顔を上げ、明るい光が入り込む大きな窓から、山々を見つめる高良さん。そろそろ出発の時間だ。日常から離れるために、スマートフォンは置いていく。ルートは地図で、時間は腕時計で確認するアナログな旅の始まりだ。
「自分は基本アナログ。家にパソコンはないし、映画館に行くときはスマホを家に置いていくこともよくあります。スマホを気にしない分、別のものが見えてくる。こういう自然の中なら周囲をよく見るようになるし、いつもと違うアンテナも張れます」。地図を眺め、腕時計に目を向けてから、高良さんは車へ乗り込んだ。
小一時間、車を走らせて訪れたのは、歴史ある寺院。しっかりとした足取りで、初めて訪れる寺の山門をくぐる。
寺院では本堂に上がり、庭に向かってあぐらをかく。瞑想(めいそう)、これもまた高良さんがこの日、やりたかったことのひとつだ。背筋をぴしりと伸ばし、目をつぶって微動だにしない。葉ずれの音、鳥やカエルの鳴き声が止(や)んだ瞬間は、まるで時が止まっているかのようだ。
高良さんにとって瞑想は、ルーティンのようなものだという。
「だいたい寝る前にやるんです。撮影している期間は日中集中しているので、寝付きが悪かったり、途中で目が覚めたりすることもあるので、眠る前にちょっと心を落ち着かせるという感じ。今日のように自然の音に囲まれた場所だと、家の中で瞑想するよりも入りやすいですね。何も考えない、無理をしない時間が過ごせました」
自然の揺れを感じに。日常にない、贅沢時間
瞑想を終え、「ゴチャゴチャしていたものが整理された」と言う高良さんの次の目的地は、山中の釣り場。川に沿って続く遊歩道を、土の感触を確かめるように泰然と歩いていく高良さん。途中、足を止めて伸びをしたり、思いのままに満喫しているようだ。
こうして自然に囲まれながら思うのは、「自分が落ち着く場所、癒やされる場所は、自然なんだ」ということ。
「原風景が祖父母の田舎なんですよね。阿蘇と北九州の田川。きっと、そういう田舎で遊んでいた、楽しかった記憶があるんだろうと思います。自然の揺れって、見ているだけで落ち着くので、そこを求めに行っている。東京にいると、そういう揺れは風とか、上を見ないと感じられないので」
やがてたどり着いたのが、半径15mほどの滝壺(つぼ)。主にニジマスが釣れるという。海でのルアーフィッシング経験はある高良さんだが、川釣りは初挑戦。竹竿(ざお)にウキという組み合わせも、やはり初めて使う道具だそうだ。照れくさそうに「海ではルアーをなくしてばかりいたし、今回のやりたいことの中では一番自信がない」と言うものの、慣れた手つきで竿を操っている。
糸を垂らし、狙うポイントを変えながら数十分。前日の雨で濁った水面がゆらめく様子を、ただ見つめながら過ごす贅沢(ぜいたく)な時間だ。
「釣れなくても、3時間くらいは平気で過ごせますね。どれだけ時間が経ったかを確認することはあっても、苦ではないです。こうやって自然の中で過ごしている時は、時間の確認は腕時計がいいですね。それもデジタルの数字じゃなくて、針で見るっていうのがいい」
そんな話をするうちに、不意にウキが動き出した。「食いついた!」。そう思った瞬間、必死に暴れる魚の姿が。木漏れ日に輝く銀色の体はかなり大きく、高良さんもしばらく格闘したものの、魚はハリから外れて滝壺の底へと消えていった。その後すぐに再び別の獲物を捕らえるが、今度は糸が切れてしまう事態に。この装備では、少し心許(こころもと)ないようだ。
そろそろ宿に戻ろうか……と諦めかけたところで、またもウキが躍り出す。三度目の正直とばかりに、見事釣り上げた高良さん。「今日に限らず、以前から目の前で逃がしてばかりだったけど、ようやく釣れた!」と、喜びであふれんばかりの笑顔を向けた。
手を掛けるだけ愛着が増す。フォーマルな印象のモデル
「1時間で3匹なら入れ食い状態」と笑みを浮かべながら、宿へと戻ってきた。本日、予定していた夕食は屋外でのバーベキューだった。しかし、天気は下り坂。焚(た)き火台に火を入れ、炎が上がり始めるころには雨も降り出してきたため、部屋の中の囲炉裏に場所を移しての食事となった。
周囲には街灯や民家がなく、夜の帳(とばり)が下りれば辺りは真っ暗に。肉に魚、野菜も焼いて、時折、焚き火を眺めるひととき。
「焚き火って、本当に自然の揺らぎですよね。人間が作り出せない揺れというか。それこそ波だってそうだし、空だって雲の流れだったり、風の流れだったり、それって人間が絶対作り出せない。そういう場所に身を置くことが、自分にとっての癒やしですかね」。そう語る彼を包み込むように、時間はゆったりと過ぎていく。
この日、高良さんの腕で時を刻んだのは、「セイコー プレザージュ Sharp Edged Series SARX097」。アナログな旅によく似合う、機械式時計だ。
「機械式時計の良さは、自分がちゃんとその時計を扱っていないといけないこと。毎日見て、定期的にちゃんとメンテナンスしてあげることでより愛着が湧きますよね。耳を近付けて音を聞きながらりゅうずを巻くのも、好きな行為ですね」
「この『セイコー プレザージュ Sharp Edged Series SARX097』は、どちらかというとフォーマルな印象でした。白文字盤は持っていなかったんですが、いいですね。スーツのようなキレイめにも合うし、幅広いシーンで使えると思いました。(白文字盤は)似合う年齢が少し上という勝手なイメージがあったんですけど、 身につけてみると、“いや、そんなことないな”って気がしました」
そう言って、「セイコー プレザージュ Sharp Edged Series SARX097」に視線を落とす高良さん。「静の旅」となった1日が、そろそろ終わろうとしている。明日は一転、「動の旅」と言えるほど、バラエティーに富んだアクティブな旅となる。そちらは後編として次回、改めてご紹介しよう。
(文・石川由紀子 写真・高橋雄大 取材協力・円覚山宗鏡寺、glaminka KAMIKAWA、日高神鍋観光協会、清滝地区コミュニティセンターの皆様)
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