【WEB】20210428 ザテレビジョン interview
#中川大志#、映画「#FUNNYBUNNY#」でこれまでにないキャラに挑戦 「剣持の言葉には人を引き込む不思議な力がある」
2012年に上演され話題を呼んだ飯塚健監督のオリジナル戯曲を、中川大志主演で映画化した映画「FUNNY BUNNY」が、4月29日(木)より、全国の映画館とauスマートパスプレミアムにて同時に公開される。主人公の剣持聡は、これまで中川が演じてきた人物とは一味違う“ダークヒーロー”。新たな世界に挑むため、一体彼は何を“想像”し、どのように演じたのだろうか、話を聞いた。
自称小説家の剣持聡(中川)と、その相棒・漆原聡(岡山天音)は〝絶対に借りられない本〟を手に入れるため、ウサギの着ぐるみを着て、とある図書館を襲撃する。そしてその数年後、今度はラジオ局の電波ジャックをすることに。本作はそんな2つの事件に隠された謎と、悲しい真実が描かれる痛快ミステリー。中川と作品との出合いは、映画化すら決まっていない、数年ほど前のことだったそう。
「飯塚監督と出会って間もないときに『これ、読んでみて』と手渡された小説がこの作品でした。そのときは何も考えずに純粋に読者として楽しんだのですが、小説の中でもトリックやロジックがいっぱいあって、映像だけではなく、文字でも飯塚ワールドが凝縮されているんだなぁとワクワクしたのを覚えています」
中川が演じた剣持は自称小説家。中川自身も「こんな男くさい役をやりたかった」と語るように、これまでに演じたことがないようなクセのあるキャラクターで、中川の新たな一面を見ることができる。剣持の型破りな言動は、人生につまずいた人に生きる希望を与えていく。
「小説を読んだときに、自分の中で剣持像が出来上がっていたんです。なので、それを体現できるかがプレッシャーでした。剣持には独特の世界観と思想があって、発する言葉には不思議な力があるんです。彼が言ったことに引き込まれていくというのがテーマでもあったので、その言葉に説得力を持たせなくてはいけませんでした。彼の強さや生き様や覚悟はどこからくるんだろうと考えたときに、背負っているものがあるからだと思ったんです。過去や生い立ち、感じた痛みや抱えているもの…。自分と重なるものは何かないかなと探して、昔の記憶や思い出したくないようなことを掘り返して役作りをしました。背負っているものがあるからこそ、人に寄り添える。それに、現実を知っているからこその残酷さもあるんですよね。僕は彼のことをダークヒーローと呼んでいるんですが、手を差し伸べるだけが救いじゃないということを彼は知っているんですよね。だからこそ人に全力で向き合い、命懸けで関わるんです」
「世界を救うのは、いつだって想像力だ」と豪語する剣持の言葉の数々に、ハッとさせられることも多い。
「『諦めるなんて前進はどこにもないんだよ』というはセリフは好きですね。僕、諦めている人と一緒にいるのが嫌なんです。一緒に仕事をする人や、友達でも、諦めているのにその場所にいるのって自分にとっても周りにとってもネガティブじゃないですか。少しでも希望を感じているんだったら、その場で頑張り続ければいいし、諦めるなら捨てればいい。僕自身、やるんだったら全力でやる。もういいやと自分の気持ちにフタをして、納得いっていないのに開き直ってやるのは違うと思うんです」
剣持の相棒・漆原を演じる岡山天音とは、現場でディスカッションを重ねた。
「ミステリー要素が強くて、事実として描かれていないことがたくさんあるんです。演じる上でも想像で補わなければいけない部分があるので、天音くんとは、そこをどう理解しているかを話していました。まぁ、答えがないので、結論も出ないんですけど(笑)。監督とは役については話さなかったですね。『自分で書いた本なので、自身の考えにとらわれ過ぎないように役を託した』とおっしゃっていました。映画を見た方からは、舞台を見ているようだったと言われたりもするんですが、それは没入感があるからだと思うんです。図書館という限られた空間で、本を探している音やコツコツと足跡が響いて、みんなが話す人に注目している。監督も、あえて音楽を使わなかったそうです。見ている人もその場にいるような、そんな空気感をリアルに感じられると思います」
図書館襲撃に電波ジャック…それは剣持たち自らの〝正義〟の下に繰り広げられていく。ちなみに、もし中川が何かを盗むとしたら…?
「でっかい家を盗んでみたいですね。ハリウッド俳優たちが暮らしているような豪邸がいいです! 僕、豪邸を特集した番組を見るのが好きで、そういう家に住むことに強い憧れがあるんですよね。広い庭があって、たくさん部屋がある家で、のんびりと暮らしてみたいです(笑)」
https://t.cn/A6cRa7Wm
#中川大志#、映画「#FUNNYBUNNY#」でこれまでにないキャラに挑戦 「剣持の言葉には人を引き込む不思議な力がある」
2012年に上演され話題を呼んだ飯塚健監督のオリジナル戯曲を、中川大志主演で映画化した映画「FUNNY BUNNY」が、4月29日(木)より、全国の映画館とauスマートパスプレミアムにて同時に公開される。主人公の剣持聡は、これまで中川が演じてきた人物とは一味違う“ダークヒーロー”。新たな世界に挑むため、一体彼は何を“想像”し、どのように演じたのだろうか、話を聞いた。
自称小説家の剣持聡(中川)と、その相棒・漆原聡(岡山天音)は〝絶対に借りられない本〟を手に入れるため、ウサギの着ぐるみを着て、とある図書館を襲撃する。そしてその数年後、今度はラジオ局の電波ジャックをすることに。本作はそんな2つの事件に隠された謎と、悲しい真実が描かれる痛快ミステリー。中川と作品との出合いは、映画化すら決まっていない、数年ほど前のことだったそう。
「飯塚監督と出会って間もないときに『これ、読んでみて』と手渡された小説がこの作品でした。そのときは何も考えずに純粋に読者として楽しんだのですが、小説の中でもトリックやロジックがいっぱいあって、映像だけではなく、文字でも飯塚ワールドが凝縮されているんだなぁとワクワクしたのを覚えています」
中川が演じた剣持は自称小説家。中川自身も「こんな男くさい役をやりたかった」と語るように、これまでに演じたことがないようなクセのあるキャラクターで、中川の新たな一面を見ることができる。剣持の型破りな言動は、人生につまずいた人に生きる希望を与えていく。
「小説を読んだときに、自分の中で剣持像が出来上がっていたんです。なので、それを体現できるかがプレッシャーでした。剣持には独特の世界観と思想があって、発する言葉には不思議な力があるんです。彼が言ったことに引き込まれていくというのがテーマでもあったので、その言葉に説得力を持たせなくてはいけませんでした。彼の強さや生き様や覚悟はどこからくるんだろうと考えたときに、背負っているものがあるからだと思ったんです。過去や生い立ち、感じた痛みや抱えているもの…。自分と重なるものは何かないかなと探して、昔の記憶や思い出したくないようなことを掘り返して役作りをしました。背負っているものがあるからこそ、人に寄り添える。それに、現実を知っているからこその残酷さもあるんですよね。僕は彼のことをダークヒーローと呼んでいるんですが、手を差し伸べるだけが救いじゃないということを彼は知っているんですよね。だからこそ人に全力で向き合い、命懸けで関わるんです」
「世界を救うのは、いつだって想像力だ」と豪語する剣持の言葉の数々に、ハッとさせられることも多い。
「『諦めるなんて前進はどこにもないんだよ』というはセリフは好きですね。僕、諦めている人と一緒にいるのが嫌なんです。一緒に仕事をする人や、友達でも、諦めているのにその場所にいるのって自分にとっても周りにとってもネガティブじゃないですか。少しでも希望を感じているんだったら、その場で頑張り続ければいいし、諦めるなら捨てればいい。僕自身、やるんだったら全力でやる。もういいやと自分の気持ちにフタをして、納得いっていないのに開き直ってやるのは違うと思うんです」
剣持の相棒・漆原を演じる岡山天音とは、現場でディスカッションを重ねた。
「ミステリー要素が強くて、事実として描かれていないことがたくさんあるんです。演じる上でも想像で補わなければいけない部分があるので、天音くんとは、そこをどう理解しているかを話していました。まぁ、答えがないので、結論も出ないんですけど(笑)。監督とは役については話さなかったですね。『自分で書いた本なので、自身の考えにとらわれ過ぎないように役を託した』とおっしゃっていました。映画を見た方からは、舞台を見ているようだったと言われたりもするんですが、それは没入感があるからだと思うんです。図書館という限られた空間で、本を探している音やコツコツと足跡が響いて、みんなが話す人に注目している。監督も、あえて音楽を使わなかったそうです。見ている人もその場にいるような、そんな空気感をリアルに感じられると思います」
図書館襲撃に電波ジャック…それは剣持たち自らの〝正義〟の下に繰り広げられていく。ちなみに、もし中川が何かを盗むとしたら…?
「でっかい家を盗んでみたいですね。ハリウッド俳優たちが暮らしているような豪邸がいいです! 僕、豪邸を特集した番組を見るのが好きで、そういう家に住むことに強い憧れがあるんですよね。広い庭があって、たくさん部屋がある家で、のんびりと暮らしてみたいです(笑)」
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【WEB】#中川大志#がダークヒーローに、クリスマスをともに過ごした飯塚健と「#FUNNY BUNNY#」語る
クリスマスに2人で牛タンを食べたんです(飯塚)
──中川さんのカメオ出演を含めると、お二方がタッグを組むのは今作で6回目になります。俳優・監督として信頼し合っている証拠だと思うのですが、どのようにして今の関係が築かれたのでしょうか?
中川大志 最初はドラマの「REPLAY & DESTROY」(2015年放送)ですよね? ゲストで出演させてもらって。
飯塚健 それが出会いですね。オーディションに大志が来たときは16歳くらいだったんですけど、そのときはたぶんすげえ怖い人だと思われてました。
中川 (笑)。オーディションで初めて監督と会って、山田孝之さんといった先輩たちがいる現場に参加させていただくことになりました。短い時間だったんですが、監督と話しながらの撮影が楽しかったのは今でもよく覚えてます。
──その後、中川さんは「全員、片想い」「虹色デイズ」など飯塚監督の映画に出演します。監督は中川さんのどんなところに魅力を?
飯塚 合う部分と合わない部分がちょうどいいんです。まったく合わなくても合いすぎても発展していかないと思うので。大志は昔から「こうしたいです」という意見を伝えてくれるし、僕としても言いなりになってくれる人は求めてなくて自分の発想を持っている人が好きだから、俳優と監督として健全に仕事ができると言いますか。そのキャッチボールをずっと続けていたら自然と今の関係性になっていました。
中川 僕は監督の頭の中に興味があるんです。もちろん役や作品をこういうものにしたいという思いを持って撮影に臨みますが、自分の脳みそでは到底思い付かないことが起きるので、それがすごく楽しくて。思いもよらないところに連れて行ってもらえる感覚を毎作品楽しみにしています。
飯塚 あと、「ステップ」を撮る前に「そろそろ飯行こう」と話したことがあったんですが、大志が提案してきた日程がクリスマスだったんですよ。なんでクリスマスなんだ?と思いつつ、結局25日に2人で牛タンを食べたんです(笑)。映像化は決まってませんでしたが、そのときに「FUNNY BUNNY」の話もしました。
中川 それより前に監督から小説はいただいていて。いつか形にしたいですね、という話はちょこちょこしていました。
ユーモアでバランスを取っていて、バランスが崩れたら立てなくなる(中川)
──先ほど監督から中川さんは自分の意見を伝えてくれるという話がありましたが、今作ではどんな考えを持って撮影に臨んだんですか?
中川 数年前に小説を読み、剣持聡というキャラクターに出会ってから長い時間が経過していたので、自分の中に剣持像ができあがっていました。自分が演じるかどうかは関係なく、映像化したら剣持はこういう人であってほしいという思いが強くあって。
──それはどんな人物像でしょう?
中川 ダークヒーローという言葉がすごくハマると思っています。ユーモアがあって、何事にも動じず、いつも物事を楽しんでいる男なんですが、なぜそういう人間になったのかを考えると、過去に経験した出来事によって生まれた闇があるからだと感じました。ユーモアによってバランスを取っていて、そのバランスが崩れてしまったらたぶん立てなくなってしまうんです。小説では描かれていない家庭環境にも想像を巡らせて役を作っていきました。ヒーローの面で言うと、何事にも命を懸けて向き合えるのはかっこいいと思いましたし、男としても憧れました。
──飯塚監督から中川さんに「そこはちょっと違う」と言うことはなかったですか?
飯塚 剣持に関しては、ほとんど預けてます。自分が過去に書いたものに縛られるのが嫌だったので、決めすぎたくないという思いもありました。細かい説明はしないまま撮影に入ったんですが、原作や脚本を相当読み込んでいましたね。それは(岡山)天音も。
中川 自分で作っていったものを本読みやリハーサルのときに試したんですが、監督から「剣持ってそういう人なんだね。OK」と言われたことがあって。長い時間を掛けて自分の中にできた剣持像を監督が受け止めてくれた瞬間でした。
自分がここ1、2年で考えていたことを剣持の言葉に乗せて演じた(中川)
──映画の終盤には、あるキャラクターの「人生にはいくつもの衝撃が訪れる」というセリフがあります。ゆうたろうさん演じる田所や田中俊介さん演じる藤井といった故人が出てくることからも、身近な人の死が1つのテーマになっていると感じました。
飯塚 死生観で言うと、僕は早くに親を亡くしているんです。余命がわかっている状態で亡くなることもあれば、交通事故などでこの世を去ってしまうこともあって、どちらも悲しいし、人は突然いなくなってしまうものだと思います。そのときにどういう向き合い方をすれば、いずれは前を向いて生きていけるようになるのかは考えていました。人が生きていく中で、もっともしんどいことが誰かの死と向き合うことだと思うんです。
──なるほど。中川さんも死というテーマは頭にありましたか?
中川 自分の身近な人が死んだとき、憶測でものを言っている人たちがいて、ショックを受けたり嫌な思いをしたことがありました。生きている人は好き勝手に言えるんだなと。それがすごく悔しくて、自分がここ1、2年で考えていたことを剣持の言葉に乗せて演じました。
「映画館に来てほしい」と言うだけでは届けられない現状(飯塚)
──新型コロナウイルスの感染拡大によって、より一層配信で映画を楽しむ機会は増えましたが、劇場公開と同日に配信される作品は多くはありません。映画を配信で観ることについて、お二方はどうお考えですか?
飯塚 基本、映画は映画館で観るべきものです。ただ映画は劇場公開しないといけないもの、というわけじゃない時代が来たと思います。数年前はポン・ジュノ監督の「Okja/オクジャ」のように、「配信前提に作られた映画は映画なのか?」といった謎の議論がありましたが。
中川 去年は音楽のライブも配信が多かったじゃないですか。でもアーティストが実際に自分の前にいて、会場で体感することからは間違いなくパワーをもらえると思うんです。それは映画も同じだと思っていて。若い方たちは特に映画を配信で観ることが多いかもしれませんが、劇場に行って“入り込む感覚”は味わってほしいです。一方で、1人でも多くの方に観てもらうことが役者としては一番うれしいので、配信という選択肢が増えるのはうれしいですね。
飯塚 映画を配信で観ることが当たり前の方たちがいるなら、作り手としてそれは無視できない。それに行きたくても映画館に行けない人はいるだろうし、「映画館に来てほしい」と言うだけでは届けられない現状がある。映画館で観てもらうために作ってはいますが、選択肢はいくつかあってもいいじゃないかと、柔軟でありたい。あと、昔はホームシアターってお金を持っている人じゃないと手が出せなかったと思うんですが、今はサウンドバー1つでそれなりのサラウンド感を出せて、テレビもずいぶん大きくなった。家が劣悪な環境だとは言えなくなってきている。配信でも楽しんでもらいつつ、映画館で一緒に観た人とあれこれ話したり、好きな人を映画デートに誘ったりする文化もなくなってほしくないです。
https://t.cn/A6cODg5r
クリスマスに2人で牛タンを食べたんです(飯塚)
──中川さんのカメオ出演を含めると、お二方がタッグを組むのは今作で6回目になります。俳優・監督として信頼し合っている証拠だと思うのですが、どのようにして今の関係が築かれたのでしょうか?
中川大志 最初はドラマの「REPLAY & DESTROY」(2015年放送)ですよね? ゲストで出演させてもらって。
飯塚健 それが出会いですね。オーディションに大志が来たときは16歳くらいだったんですけど、そのときはたぶんすげえ怖い人だと思われてました。
中川 (笑)。オーディションで初めて監督と会って、山田孝之さんといった先輩たちがいる現場に参加させていただくことになりました。短い時間だったんですが、監督と話しながらの撮影が楽しかったのは今でもよく覚えてます。
──その後、中川さんは「全員、片想い」「虹色デイズ」など飯塚監督の映画に出演します。監督は中川さんのどんなところに魅力を?
飯塚 合う部分と合わない部分がちょうどいいんです。まったく合わなくても合いすぎても発展していかないと思うので。大志は昔から「こうしたいです」という意見を伝えてくれるし、僕としても言いなりになってくれる人は求めてなくて自分の発想を持っている人が好きだから、俳優と監督として健全に仕事ができると言いますか。そのキャッチボールをずっと続けていたら自然と今の関係性になっていました。
中川 僕は監督の頭の中に興味があるんです。もちろん役や作品をこういうものにしたいという思いを持って撮影に臨みますが、自分の脳みそでは到底思い付かないことが起きるので、それがすごく楽しくて。思いもよらないところに連れて行ってもらえる感覚を毎作品楽しみにしています。
飯塚 あと、「ステップ」を撮る前に「そろそろ飯行こう」と話したことがあったんですが、大志が提案してきた日程がクリスマスだったんですよ。なんでクリスマスなんだ?と思いつつ、結局25日に2人で牛タンを食べたんです(笑)。映像化は決まってませんでしたが、そのときに「FUNNY BUNNY」の話もしました。
中川 それより前に監督から小説はいただいていて。いつか形にしたいですね、という話はちょこちょこしていました。
ユーモアでバランスを取っていて、バランスが崩れたら立てなくなる(中川)
──先ほど監督から中川さんは自分の意見を伝えてくれるという話がありましたが、今作ではどんな考えを持って撮影に臨んだんですか?
中川 数年前に小説を読み、剣持聡というキャラクターに出会ってから長い時間が経過していたので、自分の中に剣持像ができあがっていました。自分が演じるかどうかは関係なく、映像化したら剣持はこういう人であってほしいという思いが強くあって。
──それはどんな人物像でしょう?
中川 ダークヒーローという言葉がすごくハマると思っています。ユーモアがあって、何事にも動じず、いつも物事を楽しんでいる男なんですが、なぜそういう人間になったのかを考えると、過去に経験した出来事によって生まれた闇があるからだと感じました。ユーモアによってバランスを取っていて、そのバランスが崩れてしまったらたぶん立てなくなってしまうんです。小説では描かれていない家庭環境にも想像を巡らせて役を作っていきました。ヒーローの面で言うと、何事にも命を懸けて向き合えるのはかっこいいと思いましたし、男としても憧れました。
──飯塚監督から中川さんに「そこはちょっと違う」と言うことはなかったですか?
飯塚 剣持に関しては、ほとんど預けてます。自分が過去に書いたものに縛られるのが嫌だったので、決めすぎたくないという思いもありました。細かい説明はしないまま撮影に入ったんですが、原作や脚本を相当読み込んでいましたね。それは(岡山)天音も。
中川 自分で作っていったものを本読みやリハーサルのときに試したんですが、監督から「剣持ってそういう人なんだね。OK」と言われたことがあって。長い時間を掛けて自分の中にできた剣持像を監督が受け止めてくれた瞬間でした。
自分がここ1、2年で考えていたことを剣持の言葉に乗せて演じた(中川)
──映画の終盤には、あるキャラクターの「人生にはいくつもの衝撃が訪れる」というセリフがあります。ゆうたろうさん演じる田所や田中俊介さん演じる藤井といった故人が出てくることからも、身近な人の死が1つのテーマになっていると感じました。
飯塚 死生観で言うと、僕は早くに親を亡くしているんです。余命がわかっている状態で亡くなることもあれば、交通事故などでこの世を去ってしまうこともあって、どちらも悲しいし、人は突然いなくなってしまうものだと思います。そのときにどういう向き合い方をすれば、いずれは前を向いて生きていけるようになるのかは考えていました。人が生きていく中で、もっともしんどいことが誰かの死と向き合うことだと思うんです。
──なるほど。中川さんも死というテーマは頭にありましたか?
中川 自分の身近な人が死んだとき、憶測でものを言っている人たちがいて、ショックを受けたり嫌な思いをしたことがありました。生きている人は好き勝手に言えるんだなと。それがすごく悔しくて、自分がここ1、2年で考えていたことを剣持の言葉に乗せて演じました。
「映画館に来てほしい」と言うだけでは届けられない現状(飯塚)
──新型コロナウイルスの感染拡大によって、より一層配信で映画を楽しむ機会は増えましたが、劇場公開と同日に配信される作品は多くはありません。映画を配信で観ることについて、お二方はどうお考えですか?
飯塚 基本、映画は映画館で観るべきものです。ただ映画は劇場公開しないといけないもの、というわけじゃない時代が来たと思います。数年前はポン・ジュノ監督の「Okja/オクジャ」のように、「配信前提に作られた映画は映画なのか?」といった謎の議論がありましたが。
中川 去年は音楽のライブも配信が多かったじゃないですか。でもアーティストが実際に自分の前にいて、会場で体感することからは間違いなくパワーをもらえると思うんです。それは映画も同じだと思っていて。若い方たちは特に映画を配信で観ることが多いかもしれませんが、劇場に行って“入り込む感覚”は味わってほしいです。一方で、1人でも多くの方に観てもらうことが役者としては一番うれしいので、配信という選択肢が増えるのはうれしいですね。
飯塚 映画を配信で観ることが当たり前の方たちがいるなら、作り手としてそれは無視できない。それに行きたくても映画館に行けない人はいるだろうし、「映画館に来てほしい」と言うだけでは届けられない現状がある。映画館で観てもらうために作ってはいますが、選択肢はいくつかあってもいいじゃないかと、柔軟でありたい。あと、昔はホームシアターってお金を持っている人じゃないと手が出せなかったと思うんですが、今はサウンドバー1つでそれなりのサラウンド感を出せて、テレビもずいぶん大きくなった。家が劣悪な環境だとは言えなくなってきている。配信でも楽しんでもらいつつ、映画館で一緒に観た人とあれこれ話したり、好きな人を映画デートに誘ったりする文化もなくなってほしくないです。
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【WEB】20210411 bizspa interview
「カメラの前に立つのは怖い」#中川大志#、キャリアを積んで見えた課題
過酷な状況だからこそ見える愛の物語
――脚本を読んだときの印象は?
中川大志(以下、中川):1本の映画のなかに、すごくいろんな要素が入っていて、ギアがどんどん変わっていく感じがしました。先が予想できなくて、ハラハラドキドキする、自分があまりチャレンジしたことのないテーマで、すごくやってみたいなと思いました。
――どんなテーマだと感じましたか?
中川:基本的には愛の物語なんですが、キレイな部分だけじゃなくて、残酷だったり、過酷だったりする中から見えてくる愛というか。僕は「愛の生命力」と呼んでいるのですが、そうした状況だからこそ見えてくる強さを感じましたし、すべての描写が中途半端になってはいけないと思いました。
――清澄を演じるにあたって心掛けたところは?
中川:大事にしたのは、ナチュラルさです。いろんなことを無意識のうちにやってしまえる。たとえば学校でいじめを目撃したとき、同級生や後輩、先生などいろんな目があるなかで、自分が思ったことを口にできたり、行動に移せたりするのってすごく勇気がいる。清澄も、かつては学校にいづらい時期があって、そこを乗り越えた今は解放されて、すごくピュアに物事に向き合っている。
だから僕も演じるうえで、こういうシーンはこう見せたいとか、このセリフはこう言おうとか、そういった考えをなるべくそぎ落として、ピュアに向き合わないと、お客さんに見透かされてしまうと思いました。SABU監督からも、これまでに積み上がってきている役者としての経験を「1回、全部捨てて、この役に向かって欲しい」と言われたので、まっさらな気持ちで飛び込んでいきました。
キャリアを積むほど、怖さが増す
――確かに清澄は考えるより先に自然に体が動くところがあります。何かスイッチを入れる瞬間、中川さんはどんなことを考えますか?
中川:芝居をするときには「どうにでもなれ」という言葉が浮かびます。やっぱりカメラの前に立つって、すごく怖いことなんです。自分を奮い立たせないとできない。何回現場をやってもそうで、むしろ経験が増えれば増えるほど、怖くなってきているかもしれません。
――キャリアを重ねた今のほうが怖い?
中川:何も分かっていないときのほうが楽なんですよね。自分のなかで積み重なっていくものがあればあるほど、立ち向かうのには勇気がいる。自分をさらけ出さないといけない仕事もあって。撮影の何か月も前に脚本をもらって、いろんな準備をして、それを本番前に捨てていきます。
――逆にいうと、捨てるだけの準備が必要ということですね。
中川:そうなんです。基盤がないと捨てられないんです。これだけやってきたという確かなものがあるうえで、カメラの前に立つときにすべて投げ捨てる。セリフを覚えたり、いろんなことを勉強したり、インプットしていく作業が多いですけど、難しいのは、インプットすることよりも捨てることなんです。それを今、自分のなかで課題にしています。結局、「どうにでもなれ」という状態で、その瞬間を生きないと、観ている人にも響かないんです。
何をやっても「ミタの男の子」と言われた
――キャリアが長いからこその気持ちの変化だと思いますが、中川さんは子役から活躍していて、下積み期間もないイメージです。周囲からは分かりませんが、思い通りにいかずに、もがいた時期はありますか?
中川:有難いことに、早いうちに顔を知ってもらえる機会がありました。そこからすごく忙しい日々になっていきましたが、そのあとのほうがツラかったです。
――それは仕事が忙しくて?
中川:いえ、忙しさは全然ツラくありません。中学生のころから、現場が本当に好きで、楽しくてしょうがなかったので。ただ、最初の頃に出たドラマ(『家政婦のミタ』)がすごくヒットして、そこから抜け出せない日々が何年もありました。
ほかにもいろんな作品、役をやっているのに「ミタの男の子」でしかない。当時はツラくて。今では、そうした作品があるというのは本当に有難いことだと分かるのですが、そのときはキツかったです。
上手くいきそうかではなく、ワクワクできるか
――その時、どう向かっていきましたか?
中川:いろんなチャレンジをしたいと、常に事務所の方にも伝えていて、やったことのない役柄や作品に挑戦していきました。すぐに何かが変わったわけではないけれど、高校生になって恋愛ものをやったり、少女漫画原作ものをやったり、そこからまた、今度は三枚目の役やコメディをやりたいと感じて、挑戦していったり。
――『LIFE!~人生に捧げるコント~』への参加も大きいですか?
中川:もちろんです。ほかにも深夜ドラマに挑戦したり。常に新しいことをやり続けていきました。イメージを変えていきたいというか、裏切り続けたい一心で。
――そうしていくことで、「ミタの男の子」からも、子役としてのイメージからも自分自身が解放された?
中川:子役への意識はもともとありませんでした。それよりも作品や役のことをたくさん考えて、演じていきました。そのうちにいつの間にか、ですね。周囲からのイメージも、僕自身の意識も。
僕は常に、自分がワクワクできるプロジェクトかどうかを大切にしています。脚本が面白いか、その役をやりたいのか、一緒にお仕事したい人がいるのか。理由はいろいろですが、とにかくワクワクできるかどうか。上手くいきそうだとかは関係なくて。チャレンジすることが好きだし、これからもその気持ちを大切にしていきたいと思います。
https://t.cn/A6cI4VTV
「カメラの前に立つのは怖い」#中川大志#、キャリアを積んで見えた課題
過酷な状況だからこそ見える愛の物語
――脚本を読んだときの印象は?
中川大志(以下、中川):1本の映画のなかに、すごくいろんな要素が入っていて、ギアがどんどん変わっていく感じがしました。先が予想できなくて、ハラハラドキドキする、自分があまりチャレンジしたことのないテーマで、すごくやってみたいなと思いました。
――どんなテーマだと感じましたか?
中川:基本的には愛の物語なんですが、キレイな部分だけじゃなくて、残酷だったり、過酷だったりする中から見えてくる愛というか。僕は「愛の生命力」と呼んでいるのですが、そうした状況だからこそ見えてくる強さを感じましたし、すべての描写が中途半端になってはいけないと思いました。
――清澄を演じるにあたって心掛けたところは?
中川:大事にしたのは、ナチュラルさです。いろんなことを無意識のうちにやってしまえる。たとえば学校でいじめを目撃したとき、同級生や後輩、先生などいろんな目があるなかで、自分が思ったことを口にできたり、行動に移せたりするのってすごく勇気がいる。清澄も、かつては学校にいづらい時期があって、そこを乗り越えた今は解放されて、すごくピュアに物事に向き合っている。
だから僕も演じるうえで、こういうシーンはこう見せたいとか、このセリフはこう言おうとか、そういった考えをなるべくそぎ落として、ピュアに向き合わないと、お客さんに見透かされてしまうと思いました。SABU監督からも、これまでに積み上がってきている役者としての経験を「1回、全部捨てて、この役に向かって欲しい」と言われたので、まっさらな気持ちで飛び込んでいきました。
キャリアを積むほど、怖さが増す
――確かに清澄は考えるより先に自然に体が動くところがあります。何かスイッチを入れる瞬間、中川さんはどんなことを考えますか?
中川:芝居をするときには「どうにでもなれ」という言葉が浮かびます。やっぱりカメラの前に立つって、すごく怖いことなんです。自分を奮い立たせないとできない。何回現場をやってもそうで、むしろ経験が増えれば増えるほど、怖くなってきているかもしれません。
――キャリアを重ねた今のほうが怖い?
中川:何も分かっていないときのほうが楽なんですよね。自分のなかで積み重なっていくものがあればあるほど、立ち向かうのには勇気がいる。自分をさらけ出さないといけない仕事もあって。撮影の何か月も前に脚本をもらって、いろんな準備をして、それを本番前に捨てていきます。
――逆にいうと、捨てるだけの準備が必要ということですね。
中川:そうなんです。基盤がないと捨てられないんです。これだけやってきたという確かなものがあるうえで、カメラの前に立つときにすべて投げ捨てる。セリフを覚えたり、いろんなことを勉強したり、インプットしていく作業が多いですけど、難しいのは、インプットすることよりも捨てることなんです。それを今、自分のなかで課題にしています。結局、「どうにでもなれ」という状態で、その瞬間を生きないと、観ている人にも響かないんです。
何をやっても「ミタの男の子」と言われた
――キャリアが長いからこその気持ちの変化だと思いますが、中川さんは子役から活躍していて、下積み期間もないイメージです。周囲からは分かりませんが、思い通りにいかずに、もがいた時期はありますか?
中川:有難いことに、早いうちに顔を知ってもらえる機会がありました。そこからすごく忙しい日々になっていきましたが、そのあとのほうがツラかったです。
――それは仕事が忙しくて?
中川:いえ、忙しさは全然ツラくありません。中学生のころから、現場が本当に好きで、楽しくてしょうがなかったので。ただ、最初の頃に出たドラマ(『家政婦のミタ』)がすごくヒットして、そこから抜け出せない日々が何年もありました。
ほかにもいろんな作品、役をやっているのに「ミタの男の子」でしかない。当時はツラくて。今では、そうした作品があるというのは本当に有難いことだと分かるのですが、そのときはキツかったです。
上手くいきそうかではなく、ワクワクできるか
――その時、どう向かっていきましたか?
中川:いろんなチャレンジをしたいと、常に事務所の方にも伝えていて、やったことのない役柄や作品に挑戦していきました。すぐに何かが変わったわけではないけれど、高校生になって恋愛ものをやったり、少女漫画原作ものをやったり、そこからまた、今度は三枚目の役やコメディをやりたいと感じて、挑戦していったり。
――『LIFE!~人生に捧げるコント~』への参加も大きいですか?
中川:もちろんです。ほかにも深夜ドラマに挑戦したり。常に新しいことをやり続けていきました。イメージを変えていきたいというか、裏切り続けたい一心で。
――そうしていくことで、「ミタの男の子」からも、子役としてのイメージからも自分自身が解放された?
中川:子役への意識はもともとありませんでした。それよりも作品や役のことをたくさん考えて、演じていきました。そのうちにいつの間にか、ですね。周囲からのイメージも、僕自身の意識も。
僕は常に、自分がワクワクできるプロジェクトかどうかを大切にしています。脚本が面白いか、その役をやりたいのか、一緒にお仕事したい人がいるのか。理由はいろいろですが、とにかくワクワクできるかどうか。上手くいきそうだとかは関係なくて。チャレンジすることが好きだし、これからもその気持ちを大切にしていきたいと思います。
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