十二月二十五日年头禁,上帝下界稽善恶,降祸福。煮粥祀神供祖,家里所有成员也都吃粥(包括猫猫狗狗),所以叫“口数粥”,还要送粥给持丧的亲邻。《节序同风录》和《武林旧事》里是十二月二十四日吃,还要留一份给外出未归的家人,很有强调团圆的意味。
●三清玉帝司会之日
三清玉帝司会之日。(《日涉编》引《道经》)
●接玉皇
二十五日,五更焚香楮接玉皇,曰“玉皇下查人间也”。竟此日,无妇妪詈声。(《都门杂记》)
●稽善恶
廿五日俗传为上帝下界之辰。因廿三日送灶上天,奏人间一年之善恶,故上帝于廿五日下界,稽查臧否,降之祸福。故世人于是日谨起居慎言语,戒饬小儿毋得詈骂恶言,恐招不祥。(《帝京岁时纪胜》)
●年头禁
十二月二十五日,谓之年头禁。是日,不出财,以赤豆和米煮粥,曰蚕花粥。云食之利养蚕。自此,连日为酒食相邀饮,曰分岁。洒扫沐浴,用祓不祥。选日具牲,命僧道,或师巫祀神于中堂,曰送年。(《永康县志》)
●乱岁
廿五日至除夕传为乱岁日。因灶神已上天,除夕方旋驾,诸凶煞俱不用事,多于此五日内婚嫁,谓之百无禁忌。(《帝京岁时纪胜》)
●㷒岁
腊月……至廿五日外则脂麻秸、松柏枝、南苍术㷒岁矣。腊月诸物价昂,盖年景丰裕,人工忙促,故有腊月水土贵三分之谚。高年人于岁逼时,训饬后辈谨慎出入,又有“二十七八,平取平抓”之谚。(《帝京岁时纪胜》)
●红饭祀床、苍术辟疫
腊月二十四日,作玛瑙团以祀灶。二十五,作红饭以祀床。然苍术以辟疫。俗本工为门神,至是尽易新者。(《无锡县志》)
●爆竹
十二月二十四日以后,圣驾出宫,过一门,内监放爆竹一枚,入宫亦然。故闻爆竹声,则玉轪自远而近,或东或西,皆可意揣。又禁中向于十二月十七开爆竹,道光丙戌改十九日。十二月二十四日乾清宫东西墀中树盘龙楠木灯柱,与宫檐齐。柱凡八面,每面皆悬联,除夕收联,而悬五色八角圆灯。其联词尚仍明代之旧。(《养吉斋丛录》)
●口数粥
十二月朔日,傩于街市,饰为鬼神,揭竹枝,鸣锣,跃舞。至二十四日止。丐者为之。二十五日举家食赤豆粥。云辟瘟。出外者亦留以与之,名口数粥。兼饷亲里之持丧者。(《松江府志》)
序:
二十五日煮赤豆作糜,暮夜阖家同飨,云能辟瘟气,虽远出未归者亦留贮口分,至襁褓小儿及僮仆皆预,故名口数粥。
家家腊月二十五,淅米如珠和豆煮;大杓轑铛分口数,疫鬼闻香走无处。锼姜屑桂浇蔗糖,滑甘无比胜黄粱。全家团栾罢晚饭,在远行人亦留分。褓中孩子强教尝,余波遍沾获与臧。新元叶气调玉烛,天行已过来万福;物无疵疠年谷熟,长向腊残分豆粥。(宋 · 范成大《口数粥行》)
异乡不得口数粥,痁妻病子骨郊暴,新鬼啾啾杂人哭。(清·姚燮《无米行》)
●补充十二月二十四日吃口数粥
二十四日,谓之“交年”,祀灶用花餳米饵,及烧替代,及作糖豆粥,谓之“口数”。(《武林旧事》)
晚食腊糜,煮五豆为糜,谓之“五豆儿”,谓红、青、黄、黑、白五色豆。俗谓:豆,毒也,食之已五毒。拌以五果五菜,又名“口数粥”,免瘟疫。出外未归者,亦留一分,兼饷亲邻之持丧者。(《节序同风录·十二月二十四》)
●赤豆粥
吴中煮赤豆作穈,暮夜合家同享,云能避瘟气,虽远出未归者,亦留贮口,分至襁褓小儿及僮仆皆预。《荆楚岁时记》又共工氏有不才之子,以冬至死为疫鬼,畏赤小豆,故冬至日作赤豆粥以禳之,与前事相似。(《日涉编》)
腊月二十五夜,赤豆粥镬滚,则三年大发。(《田家杂占》)
昨日宰猪家祭灶,今宵洗豆俗为糜。(宋·陈藻《平江腊月廿五夜作》)
●人口粥https://t.cn/A6iAEKUZ
二十五日,士庶家煮赤豆粥祀食神,名曰“人口粥”,有猫狗者,亦与焉。不知出于何典。(《梦梁录》)
●轶事
二十五日阴。饭后诣起居注,由西长安门,步行入午门。增瑞堂将军赠松花江细鳞白鱼,效述堂赠花洞所熏冬瓜、茄子、黄瓜、苦菜(皆非时蔬菜也),赵子登赠银鱼、子蟹,因约梅叟,朗轩,珩甫,袁、吴两先生及弟、婿、子、侄团坐而大啖之。增将军又赠哈田马(即三足蟾,剖腹中油而食之,国语名哈四马),举家见其为冰虾蟆,不知所以食之。梅叟指示庖人剖油涤净,煮以鲜汤,质腻而味美。筵中虽无多肴,然皆新鲜之品,相与饱餐尽醉,又久谈乃散。夜,大雪。积素无声,寒空清悄,三九得此,洵丰年兆也,对之喜不自胜。忧乐与民同,余初具此怀抱也。看《梁纪•均王》中(又上之下半卷)。(《澄斋日记》)
●三清玉帝司会之日
三清玉帝司会之日。(《日涉编》引《道经》)
●接玉皇
二十五日,五更焚香楮接玉皇,曰“玉皇下查人间也”。竟此日,无妇妪詈声。(《都门杂记》)
●稽善恶
廿五日俗传为上帝下界之辰。因廿三日送灶上天,奏人间一年之善恶,故上帝于廿五日下界,稽查臧否,降之祸福。故世人于是日谨起居慎言语,戒饬小儿毋得詈骂恶言,恐招不祥。(《帝京岁时纪胜》)
●年头禁
十二月二十五日,谓之年头禁。是日,不出财,以赤豆和米煮粥,曰蚕花粥。云食之利养蚕。自此,连日为酒食相邀饮,曰分岁。洒扫沐浴,用祓不祥。选日具牲,命僧道,或师巫祀神于中堂,曰送年。(《永康县志》)
●乱岁
廿五日至除夕传为乱岁日。因灶神已上天,除夕方旋驾,诸凶煞俱不用事,多于此五日内婚嫁,谓之百无禁忌。(《帝京岁时纪胜》)
●㷒岁
腊月……至廿五日外则脂麻秸、松柏枝、南苍术㷒岁矣。腊月诸物价昂,盖年景丰裕,人工忙促,故有腊月水土贵三分之谚。高年人于岁逼时,训饬后辈谨慎出入,又有“二十七八,平取平抓”之谚。(《帝京岁时纪胜》)
●红饭祀床、苍术辟疫
腊月二十四日,作玛瑙团以祀灶。二十五,作红饭以祀床。然苍术以辟疫。俗本工为门神,至是尽易新者。(《无锡县志》)
●爆竹
十二月二十四日以后,圣驾出宫,过一门,内监放爆竹一枚,入宫亦然。故闻爆竹声,则玉轪自远而近,或东或西,皆可意揣。又禁中向于十二月十七开爆竹,道光丙戌改十九日。十二月二十四日乾清宫东西墀中树盘龙楠木灯柱,与宫檐齐。柱凡八面,每面皆悬联,除夕收联,而悬五色八角圆灯。其联词尚仍明代之旧。(《养吉斋丛录》)
●口数粥
十二月朔日,傩于街市,饰为鬼神,揭竹枝,鸣锣,跃舞。至二十四日止。丐者为之。二十五日举家食赤豆粥。云辟瘟。出外者亦留以与之,名口数粥。兼饷亲里之持丧者。(《松江府志》)
序:
二十五日煮赤豆作糜,暮夜阖家同飨,云能辟瘟气,虽远出未归者亦留贮口分,至襁褓小儿及僮仆皆预,故名口数粥。
家家腊月二十五,淅米如珠和豆煮;大杓轑铛分口数,疫鬼闻香走无处。锼姜屑桂浇蔗糖,滑甘无比胜黄粱。全家团栾罢晚饭,在远行人亦留分。褓中孩子强教尝,余波遍沾获与臧。新元叶气调玉烛,天行已过来万福;物无疵疠年谷熟,长向腊残分豆粥。(宋 · 范成大《口数粥行》)
异乡不得口数粥,痁妻病子骨郊暴,新鬼啾啾杂人哭。(清·姚燮《无米行》)
●补充十二月二十四日吃口数粥
二十四日,谓之“交年”,祀灶用花餳米饵,及烧替代,及作糖豆粥,谓之“口数”。(《武林旧事》)
晚食腊糜,煮五豆为糜,谓之“五豆儿”,谓红、青、黄、黑、白五色豆。俗谓:豆,毒也,食之已五毒。拌以五果五菜,又名“口数粥”,免瘟疫。出外未归者,亦留一分,兼饷亲邻之持丧者。(《节序同风录·十二月二十四》)
●赤豆粥
吴中煮赤豆作穈,暮夜合家同享,云能避瘟气,虽远出未归者,亦留贮口,分至襁褓小儿及僮仆皆预。《荆楚岁时记》又共工氏有不才之子,以冬至死为疫鬼,畏赤小豆,故冬至日作赤豆粥以禳之,与前事相似。(《日涉编》)
腊月二十五夜,赤豆粥镬滚,则三年大发。(《田家杂占》)
昨日宰猪家祭灶,今宵洗豆俗为糜。(宋·陈藻《平江腊月廿五夜作》)
●人口粥https://t.cn/A6iAEKUZ
二十五日,士庶家煮赤豆粥祀食神,名曰“人口粥”,有猫狗者,亦与焉。不知出于何典。(《梦梁录》)
●轶事
二十五日阴。饭后诣起居注,由西长安门,步行入午门。增瑞堂将军赠松花江细鳞白鱼,效述堂赠花洞所熏冬瓜、茄子、黄瓜、苦菜(皆非时蔬菜也),赵子登赠银鱼、子蟹,因约梅叟,朗轩,珩甫,袁、吴两先生及弟、婿、子、侄团坐而大啖之。增将军又赠哈田马(即三足蟾,剖腹中油而食之,国语名哈四马),举家见其为冰虾蟆,不知所以食之。梅叟指示庖人剖油涤净,煮以鲜汤,质腻而味美。筵中虽无多肴,然皆新鲜之品,相与饱餐尽醉,又久谈乃散。夜,大雪。积素无声,寒空清悄,三九得此,洵丰年兆也,对之喜不自胜。忧乐与民同,余初具此怀抱也。看《梁纪•均王》中(又上之下半卷)。(《澄斋日记》)
【红学无稽】看央视专题片《曹雪芹与红楼梦》第一集一开头,就有些吃惊,因为开章明义说拍摄依据程高本,又宣传说该片是继87版红楼梦电视剧后又一力作。但87版红楼梦主要还是依据脂本红楼啊!当年该片顾问可谓集一时红学大师之盛,周汝昌冯其庸都在列,而冯其庸更是庚辰本主要校订者,他这一版红楼梦权威几十年。如今二位先生已作古,而这个新红学纪录片,竟然说程本胜过脂本已是权威认定,而且还说续书也是曹雪芹原笔,力主此说的正是两位小说家改行红学家的白先勇与王蒙,这真成了小说家言。既然他们在片中以权威出镜,就可看出这个红片实际上是程本胜脂本一派的片面之论,而没让脂评一派出镜,实在是难以服众。 https://t.cn/RI7nYAL
田中哲司×松田龍平が挑む伝説の舞台。ふた組の恋が今に何を響かせるか 『近松心中物語』キャストインタビュー【前編:忠兵衛&与兵衛】
初演は、42年前の1979年。戦後を代表する劇作家・秋元松代が、近松門左衛門の『冥途の飛脚』をベースに創作し、蜷川幸雄の演出で千回を超える上演が重ねられて、演劇界の金字塔と評された。その『近松心中物語』が、長塚圭史の演出で新たに立ち上がる。描かれるのは、境遇の違うふた組の男女の、心中へと追い詰められていく恋物語だ。今回はまず、その男側のふたりが登場。遊女・梅川を愛する忠兵衛役の田中哲司と、心中に憧れる妻・お亀に寄り添う与平衛役の松田龍平が、男の胸の内や、名作に挑む思いを語った。
哲司さんとの共演は「逆に警戒しています(笑)」(松田)
──舞台では、長塚圭史さん演出の『冒した者』(2013年)で共演経験のあるおふたりですが、お互いにどんな印象をお持ちですか。
田中 これはあくまでも僕の感覚なんですけど、役とか芝居へのアプローチの仕方が、僕とは全然違うところからくるなと思ったんです。芝居で絡んでみて気づいたのですが、独特のものがあってとても刺激になります。なので当時、ふたりで向かい合って座って長いセリフのやりとりをしたのが、すごく楽しかったんですよ。僕はあまりしゃべってなかったです(笑)。ほぼ龍平くんがしゃべってました。だから今回は、忠兵衛が与平衛に、梅川の身請けの手付金を借りに行くシーンでふたりでしゃべるので、そこが楽しみですね。
松田 『冒した者』ほんと楽しかったなぁ。あの舞台は今も自分の中に大きく残ってますね。哲司さんの佇まいとか、雰囲気に救われていました。実は、最後の通し稽古の途中、ふたりで向かいあってるシーンで、セリフが飛んじゃったんですけど、その時もめちゃくちゃスムーズに助けてもらって。
田中 そんなことあった? ちゃんと助けられた?
松田 はい(笑)。サラッと助けてもらったのを覚えてます。だから今回もまた助けてもらえるという安心感で、逆に、またセリフが出てこないみたいなことが起きるんじゃないかと思って、警戒してます(笑)。
「与平衛が龍平くんなので安心」(田中)
──前回共演されたのが三好十郎さんの戯曲で日本の名作でしたが、今回も伝説の舞台と言われているような名作ですね。
田中 この『近松心中物語』は、ニナガワカンパニーにいた僕にとっては、本当に敷居が高い作品です。本番の舞台を観たことはないのですが、やっぱり大きな存在なんですよね。しかも、その忠兵衛役をやるので、心して挑まねばならないなと思っています。ただ、与平衛が龍平くんなので安心であったりもします。ちょっと気弱な遊び人で、人に流される与平衛っていうのがすでに見えてくるので。今は、「よし、そっちは大丈夫だ、あとはこっちが頑張ればいい」という感じになれています。
松田 たくさんの人に愛されてる作品ですから、プレッシャーはありますが、面白くなるに違いないという期待を胸に、これから皆さんと作っていけたらと思っています。ただ、哲司さんが演じる忠兵衛の年齢が20代だって聞いて、大丈夫かなって、さっき話していたんですけど(笑)。
田中 (笑)。それを圭史くんに聞いて、そうか、若いから心中できるんだよな、若い命が散っていくから悲しいんだよなと思えるんです。当初それが頭になかったから、このまま稽古に入ってたら危ないところでした。だから、若さゆえっていうところを、動きとか感情の揺れで、ちゃんと出さなきゃいけないなと思いますね。それこそ歌舞伎でも有名な“封印切”のシーンなんかは、はっちゃけてウワーッと。
松田 オジサンが無理しちゃってる感じに見えないようにしないと(笑)。
田中 心中へ追い詰められる悲壮感にちゃんとつながるように演じなければと思っています。片や龍平くんの与平衛とお亀には、本当に笑える面白いシーンもあるよね。
松田 与平衛とお亀では温度差が面白いですよね。お亀は、与兵衛のことが好きで仕方ないと言う感じで、与兵衛は色々うんざりしちゃって、乞食にでもなって、自由に暮らすのも良いかもと思っていて。ふたりが心中に向かっていくところも、お亀のロマンチックモードに、なんとかついていってる感じで(笑)。 与平衛は心優しい真っ直ぐな男なんですけど、後先考えず「わかった」と言ってしまうんです。与兵衛は間違ったことはしていないように思うんだけど、なんか、ずれちゃってて。その感じがすごく魅力的なんですよ。
──ちなみに、それぞれのお相手となる、梅川役の笹本玲奈さん、お亀役の石橋静河さんの印象は?
田中 笹本さんは『ピーターパン』の主演でデビューされていて芸歴が長いですし。ミュージカル畑の方だから、どういう感じの芝居でこられるのか、ワクワクしてます。やっぱり思わぬものがきたほうが、予定調和よりも全然楽しいですからね。ふたりでどんなものが作れるか、本当に楽しみにしています。
松田 僕は石橋さんのことは、親の繋がりもあって小さい頃から知ってるんです。お亀と与兵衛も幼なじみなので、繋がるところがあるのは面白いですし、お芝居するのが楽しみです。
描かれていることは、今の時代とまったく変わらない(田中)
──身請けのお金が工面できない忠兵衛と、忠兵衛にお金を貸せる与平衛。この物語にはそうした境遇の違いが様々にあって、それを今の格差や貧富の問題につながるものとして描きたいと長塚さんはおっしゃっています。おふたりは、今にどんなものが届く芝居になると思われますか。
田中 ここに描かれていることは、今の時代とまったく変わらないですよね。忠兵衛は、何百両何千両のお金を扱う仕事をしていながら給料は少なくて、女のために使い込みを働いてしまう。だから、若さもそうですけど、遊女になるしかなかった梅川も含め、貧しいっていうことは強調して出していかないといけないなと思いますね。
松田 でも、現代で「心中」っていう言葉を聞くと、家族で無理心中。みたいなイメージがありますけど、この時代に、自由に恋愛をすることが出来なかった男女にとって「心中」は最後のチャンスだったのかもしれないですね。心中にポジティブ、みたいな(笑)。哲司さんは「心中」どうですか?
田中 絶対できない。だから、与平衛の感じはすごくわかります。お客さんも与平衛に共感する人が多いんじゃないかな。でも、龍平くんは、お亀の心臓を突かないといけない。そんなの一発で上手くいかないよね。
松田 なかなか死ねないみたいな(笑)。それ、芝居でやってみますか?
田中 稽古でやってみる価値はあるかも。笑いにならない程度に。
松田 圭史さんにすぐ「それいらないな」って言われそう(笑)。
──その長塚さんの演出は、いかがですか。
田中 厳しくもありやさしくもあり。
松田 圭史さんは鋭いんですよね、芝居してる時の気持ちが全部バレちゃう感じで。そうなると油断できないし、遅刻も出来ないし、話を聞いてないと怒られるからなー。
田中 そりゃそうでしょ(笑)。
松田 でも、今回嬉しいですね。これまで圭史さんとやった2作は、セットが椅子ばかりだったから(笑)。『冒した者』は音楽もなくて、すごい緊張感の中で芝居してたし。『イーハトーボの劇列車』は汽車の音を役者が奏でたり。今回はみんなで楽器で盛り上がったり、色々装置もあって。
田中 音楽もあるよ。それもスチャダラパーさんが作ってくれる音楽が。
松田 もうね、本当にありがたいです(笑)。
圭史さんの舞台をやると、また一歩踏み出すきっかけをもらえる(松田)
──松田さんにとって舞台出演は今回が5作目で、そのうちの3作が長塚さん演出の作品になりますが、舞台に出るときは何か決め手となるポイントがあるんでしょうか。
松田 舞台は大変ですよね。稽古を重ねて、本番が始まったら何があっても最後まで止まらないし。ちゃんとやり切れるのか、ビビっちゃいますね(笑)。でも、なんだかんだ、これはやらないと勿体ないぞっていう、そういう絶妙なタイミングで、いつも長塚さんに声をかけてもらってる気がしてます。
田中 しかも龍平くん、圭史くんの中でも大変な作品ばかりやってるよね。
松田 そうなんですね(笑)。でも、ほんと、稽古から本番にかけて、夢中になって。舞台を終えると、なんだか一歩踏み出せるような感じがあって。
──一方田中さんは、数え切れないほど舞台に出ておられます。その中でも、この作品はどんな存在になりそうでしょうか。
田中 僕も龍平くんと似たような、「これキツイなぁ。でもやるしかないよな」みたいなところはあります。
松田 ありますね。
田中 特に圭史くんは、大変な作品をやるときに声をかけてくれるので、ちょっと追い込まれる感じになるんですよね。『浮標』(2011年、12年、16年)も『冒した者』もそうでしたけど、その都度、この年齢になってもこういうことをクリアしなきゃいけないのかっていう気持ちになる。でも、これでまた大きくなれたらいいな、自信になればいいなと思ってやっています。だから今回も、あの忠兵衛をやれたんだ、55歳で20代の忠兵衛をやれたんだって(笑)、また自信になったらいいなと思っています。
初演は、42年前の1979年。戦後を代表する劇作家・秋元松代が、近松門左衛門の『冥途の飛脚』をベースに創作し、蜷川幸雄の演出で千回を超える上演が重ねられて、演劇界の金字塔と評された。その『近松心中物語』が、長塚圭史の演出で新たに立ち上がる。描かれるのは、境遇の違うふた組の男女の、心中へと追い詰められていく恋物語だ。今回はまず、その男側のふたりが登場。遊女・梅川を愛する忠兵衛役の田中哲司と、心中に憧れる妻・お亀に寄り添う与平衛役の松田龍平が、男の胸の内や、名作に挑む思いを語った。
哲司さんとの共演は「逆に警戒しています(笑)」(松田)
──舞台では、長塚圭史さん演出の『冒した者』(2013年)で共演経験のあるおふたりですが、お互いにどんな印象をお持ちですか。
田中 これはあくまでも僕の感覚なんですけど、役とか芝居へのアプローチの仕方が、僕とは全然違うところからくるなと思ったんです。芝居で絡んでみて気づいたのですが、独特のものがあってとても刺激になります。なので当時、ふたりで向かい合って座って長いセリフのやりとりをしたのが、すごく楽しかったんですよ。僕はあまりしゃべってなかったです(笑)。ほぼ龍平くんがしゃべってました。だから今回は、忠兵衛が与平衛に、梅川の身請けの手付金を借りに行くシーンでふたりでしゃべるので、そこが楽しみですね。
松田 『冒した者』ほんと楽しかったなぁ。あの舞台は今も自分の中に大きく残ってますね。哲司さんの佇まいとか、雰囲気に救われていました。実は、最後の通し稽古の途中、ふたりで向かいあってるシーンで、セリフが飛んじゃったんですけど、その時もめちゃくちゃスムーズに助けてもらって。
田中 そんなことあった? ちゃんと助けられた?
松田 はい(笑)。サラッと助けてもらったのを覚えてます。だから今回もまた助けてもらえるという安心感で、逆に、またセリフが出てこないみたいなことが起きるんじゃないかと思って、警戒してます(笑)。
「与平衛が龍平くんなので安心」(田中)
──前回共演されたのが三好十郎さんの戯曲で日本の名作でしたが、今回も伝説の舞台と言われているような名作ですね。
田中 この『近松心中物語』は、ニナガワカンパニーにいた僕にとっては、本当に敷居が高い作品です。本番の舞台を観たことはないのですが、やっぱり大きな存在なんですよね。しかも、その忠兵衛役をやるので、心して挑まねばならないなと思っています。ただ、与平衛が龍平くんなので安心であったりもします。ちょっと気弱な遊び人で、人に流される与平衛っていうのがすでに見えてくるので。今は、「よし、そっちは大丈夫だ、あとはこっちが頑張ればいい」という感じになれています。
松田 たくさんの人に愛されてる作品ですから、プレッシャーはありますが、面白くなるに違いないという期待を胸に、これから皆さんと作っていけたらと思っています。ただ、哲司さんが演じる忠兵衛の年齢が20代だって聞いて、大丈夫かなって、さっき話していたんですけど(笑)。
田中 (笑)。それを圭史くんに聞いて、そうか、若いから心中できるんだよな、若い命が散っていくから悲しいんだよなと思えるんです。当初それが頭になかったから、このまま稽古に入ってたら危ないところでした。だから、若さゆえっていうところを、動きとか感情の揺れで、ちゃんと出さなきゃいけないなと思いますね。それこそ歌舞伎でも有名な“封印切”のシーンなんかは、はっちゃけてウワーッと。
松田 オジサンが無理しちゃってる感じに見えないようにしないと(笑)。
田中 心中へ追い詰められる悲壮感にちゃんとつながるように演じなければと思っています。片や龍平くんの与平衛とお亀には、本当に笑える面白いシーンもあるよね。
松田 与平衛とお亀では温度差が面白いですよね。お亀は、与兵衛のことが好きで仕方ないと言う感じで、与兵衛は色々うんざりしちゃって、乞食にでもなって、自由に暮らすのも良いかもと思っていて。ふたりが心中に向かっていくところも、お亀のロマンチックモードに、なんとかついていってる感じで(笑)。 与平衛は心優しい真っ直ぐな男なんですけど、後先考えず「わかった」と言ってしまうんです。与兵衛は間違ったことはしていないように思うんだけど、なんか、ずれちゃってて。その感じがすごく魅力的なんですよ。
──ちなみに、それぞれのお相手となる、梅川役の笹本玲奈さん、お亀役の石橋静河さんの印象は?
田中 笹本さんは『ピーターパン』の主演でデビューされていて芸歴が長いですし。ミュージカル畑の方だから、どういう感じの芝居でこられるのか、ワクワクしてます。やっぱり思わぬものがきたほうが、予定調和よりも全然楽しいですからね。ふたりでどんなものが作れるか、本当に楽しみにしています。
松田 僕は石橋さんのことは、親の繋がりもあって小さい頃から知ってるんです。お亀と与兵衛も幼なじみなので、繋がるところがあるのは面白いですし、お芝居するのが楽しみです。
描かれていることは、今の時代とまったく変わらない(田中)
──身請けのお金が工面できない忠兵衛と、忠兵衛にお金を貸せる与平衛。この物語にはそうした境遇の違いが様々にあって、それを今の格差や貧富の問題につながるものとして描きたいと長塚さんはおっしゃっています。おふたりは、今にどんなものが届く芝居になると思われますか。
田中 ここに描かれていることは、今の時代とまったく変わらないですよね。忠兵衛は、何百両何千両のお金を扱う仕事をしていながら給料は少なくて、女のために使い込みを働いてしまう。だから、若さもそうですけど、遊女になるしかなかった梅川も含め、貧しいっていうことは強調して出していかないといけないなと思いますね。
松田 でも、現代で「心中」っていう言葉を聞くと、家族で無理心中。みたいなイメージがありますけど、この時代に、自由に恋愛をすることが出来なかった男女にとって「心中」は最後のチャンスだったのかもしれないですね。心中にポジティブ、みたいな(笑)。哲司さんは「心中」どうですか?
田中 絶対できない。だから、与平衛の感じはすごくわかります。お客さんも与平衛に共感する人が多いんじゃないかな。でも、龍平くんは、お亀の心臓を突かないといけない。そんなの一発で上手くいかないよね。
松田 なかなか死ねないみたいな(笑)。それ、芝居でやってみますか?
田中 稽古でやってみる価値はあるかも。笑いにならない程度に。
松田 圭史さんにすぐ「それいらないな」って言われそう(笑)。
──その長塚さんの演出は、いかがですか。
田中 厳しくもありやさしくもあり。
松田 圭史さんは鋭いんですよね、芝居してる時の気持ちが全部バレちゃう感じで。そうなると油断できないし、遅刻も出来ないし、話を聞いてないと怒られるからなー。
田中 そりゃそうでしょ(笑)。
松田 でも、今回嬉しいですね。これまで圭史さんとやった2作は、セットが椅子ばかりだったから(笑)。『冒した者』は音楽もなくて、すごい緊張感の中で芝居してたし。『イーハトーボの劇列車』は汽車の音を役者が奏でたり。今回はみんなで楽器で盛り上がったり、色々装置もあって。
田中 音楽もあるよ。それもスチャダラパーさんが作ってくれる音楽が。
松田 もうね、本当にありがたいです(笑)。
圭史さんの舞台をやると、また一歩踏み出すきっかけをもらえる(松田)
──松田さんにとって舞台出演は今回が5作目で、そのうちの3作が長塚さん演出の作品になりますが、舞台に出るときは何か決め手となるポイントがあるんでしょうか。
松田 舞台は大変ですよね。稽古を重ねて、本番が始まったら何があっても最後まで止まらないし。ちゃんとやり切れるのか、ビビっちゃいますね(笑)。でも、なんだかんだ、これはやらないと勿体ないぞっていう、そういう絶妙なタイミングで、いつも長塚さんに声をかけてもらってる気がしてます。
田中 しかも龍平くん、圭史くんの中でも大変な作品ばかりやってるよね。
松田 そうなんですね(笑)。でも、ほんと、稽古から本番にかけて、夢中になって。舞台を終えると、なんだか一歩踏み出せるような感じがあって。
──一方田中さんは、数え切れないほど舞台に出ておられます。その中でも、この作品はどんな存在になりそうでしょうか。
田中 僕も龍平くんと似たような、「これキツイなぁ。でもやるしかないよな」みたいなところはあります。
松田 ありますね。
田中 特に圭史くんは、大変な作品をやるときに声をかけてくれるので、ちょっと追い込まれる感じになるんですよね。『浮標』(2011年、12年、16年)も『冒した者』もそうでしたけど、その都度、この年齢になってもこういうことをクリアしなきゃいけないのかっていう気持ちになる。でも、これでまた大きくなれたらいいな、自信になればいいなと思ってやっています。だから今回も、あの忠兵衛をやれたんだ、55歳で20代の忠兵衛をやれたんだって(笑)、また自信になったらいいなと思っています。
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