#往復書簡#
片寄がUberのドライバーに星5つ付けた理由とは?
片寄涼太(GENERATIONS from EXILE TRIBE)×作詞家・小竹正人 往復書簡9
「大人とは」?という片寄のストレートな質問に、大人らしからぬなのか、あるいは大人だからなのか、“カイダン”エピソードを展開した小竹。片寄も先日遭遇した驚きの出来事を披露する。
拝啓 小竹正人さま
怪談師並みの恐ろしい書き出しでしたね。実際の写真も送っていただいていたのですが、文章で読んだほうが起こったことの恐ろしさが感じられました。お医者さんとのやり取りや行動も、「さすが小竹さん……」と思い、思わず笑ってしまいました。自宅にはありませんが、僕も“カイダン”には気をつけます。
小竹さんからのお返事のなかで「なんの覚悟も持たずに、何も背負っていない大人が大嫌いだ」という言葉がすごく印象に残りました。そこまでハッキリと言ってくださるんだなあと思いましたし、大人の人が放つ「大嫌い」ってパンチあるなあとも思いました(笑)。
そして、背負っているものの大きさや重みは人それぞれで良いんだよなあとも思いました。
小竹さんのお話には劣るかもしれませんが、僕も先日あった小話を。
先日車の配車アプリUberを利用したときの話。
Uberはタクシー配車アプリなどが普及するなか、ワンランク上の「ハイヤー」を専門とするアプリ。最近はタクシーの配車サービスも始めたようですが、コロナ禍以降プライベートの移動の時には、少しでも安心を求めて選ぶことが増えました。(あ、UberEATSにも大変お世話になっておりますが。)
ある夜、自宅から、通っているジムまでの送りのためUberを配車しました。車が到着して運転手の方が車の外に立ってドアを開けて待ってくださっていたので、「予約した片寄です。お願いします」とひと声かけました。するとそれになんの反応もせず無視されてしまいました。車に乗り、「〇〇にお願いします。車は〇〇のほうにつけて下さい」と後部座席からドライバーの背中に向かって行き先を伝えたのですが、振り向くこともなく返事もありませんでした。なんだかちょっと無愛想な方だなあと違和感を覚えつつも目的地に向かって走り出しました。
Uberのアプリにはそのドライバーの方の評価を見られる欄があるので、なんとなく気になってその評価を見てみたんです。するとすごく評価の数字が高くて「最高のドライバーだ」という評価ばかりでした。しばらくして信号で車が停車して、そのとき運転手がついに振り返りました。なにか携帯に打たれた文字を僕に見せてきています。見てみると「コロナの影響で三密にならないように、ご協力をお願いいたします」と。
「あー、それでこの方は話さないのかな?」と思ったとき、ふと助手席後ろに吊られたプレートの文字が目に入ってきたのです。
「聴覚に障がいがあるので、ご用の際は肩を叩いてお知らせください」
なんとその方は聴覚に障がいのある運転手さんでした。僕はなんて浅はかに「無愛想な運転手さんだ」なんてことを思ってしまったんだろう、と勝手にすごく恥ずかしくなってしまいました。そしてその運転手さんの精一杯の誠意をすごく実感したのです。安全に目的地まで到着して、降車したあとUberからの「ドライバーの今回の送迎を評価してください」の通知には、最高のサービスを選択して5つ星の評価を送信しました。
このドライバーの方も、きっと責任を背負って守るものを守って生きていらっしゃるんだと思います。自分も少しずつ「背負うべき大切なもの」に近づいていけたらいいなあ……。
敬具
p1 最近熱を入れている、英会話レッスン。自分にまつわる様々な事柄を、先生にアドバイス頂きながら英語でノートに纏めていくスタイルです。そして日々の日記も英語で。自分の世界をもっと広げられるよう、努力、努力。。
p2 レギュラー番組の生放送にて。3週間連続でリモート生放送でしたが、毎回違う仕掛けがあり楽しみながら取り組むことができました。是非ご興味のある方は、ABEMAにて
片寄がUberのドライバーに星5つ付けた理由とは?
片寄涼太(GENERATIONS from EXILE TRIBE)×作詞家・小竹正人 往復書簡9
「大人とは」?という片寄のストレートな質問に、大人らしからぬなのか、あるいは大人だからなのか、“カイダン”エピソードを展開した小竹。片寄も先日遭遇した驚きの出来事を披露する。
拝啓 小竹正人さま
怪談師並みの恐ろしい書き出しでしたね。実際の写真も送っていただいていたのですが、文章で読んだほうが起こったことの恐ろしさが感じられました。お医者さんとのやり取りや行動も、「さすが小竹さん……」と思い、思わず笑ってしまいました。自宅にはありませんが、僕も“カイダン”には気をつけます。
小竹さんからのお返事のなかで「なんの覚悟も持たずに、何も背負っていない大人が大嫌いだ」という言葉がすごく印象に残りました。そこまでハッキリと言ってくださるんだなあと思いましたし、大人の人が放つ「大嫌い」ってパンチあるなあとも思いました(笑)。
そして、背負っているものの大きさや重みは人それぞれで良いんだよなあとも思いました。
小竹さんのお話には劣るかもしれませんが、僕も先日あった小話を。
先日車の配車アプリUberを利用したときの話。
Uberはタクシー配車アプリなどが普及するなか、ワンランク上の「ハイヤー」を専門とするアプリ。最近はタクシーの配車サービスも始めたようですが、コロナ禍以降プライベートの移動の時には、少しでも安心を求めて選ぶことが増えました。(あ、UberEATSにも大変お世話になっておりますが。)
ある夜、自宅から、通っているジムまでの送りのためUberを配車しました。車が到着して運転手の方が車の外に立ってドアを開けて待ってくださっていたので、「予約した片寄です。お願いします」とひと声かけました。するとそれになんの反応もせず無視されてしまいました。車に乗り、「〇〇にお願いします。車は〇〇のほうにつけて下さい」と後部座席からドライバーの背中に向かって行き先を伝えたのですが、振り向くこともなく返事もありませんでした。なんだかちょっと無愛想な方だなあと違和感を覚えつつも目的地に向かって走り出しました。
Uberのアプリにはそのドライバーの方の評価を見られる欄があるので、なんとなく気になってその評価を見てみたんです。するとすごく評価の数字が高くて「最高のドライバーだ」という評価ばかりでした。しばらくして信号で車が停車して、そのとき運転手がついに振り返りました。なにか携帯に打たれた文字を僕に見せてきています。見てみると「コロナの影響で三密にならないように、ご協力をお願いいたします」と。
「あー、それでこの方は話さないのかな?」と思ったとき、ふと助手席後ろに吊られたプレートの文字が目に入ってきたのです。
「聴覚に障がいがあるので、ご用の際は肩を叩いてお知らせください」
なんとその方は聴覚に障がいのある運転手さんでした。僕はなんて浅はかに「無愛想な運転手さんだ」なんてことを思ってしまったんだろう、と勝手にすごく恥ずかしくなってしまいました。そしてその運転手さんの精一杯の誠意をすごく実感したのです。安全に目的地まで到着して、降車したあとUberからの「ドライバーの今回の送迎を評価してください」の通知には、最高のサービスを選択して5つ星の評価を送信しました。
このドライバーの方も、きっと責任を背負って守るものを守って生きていらっしゃるんだと思います。自分も少しずつ「背負うべき大切なもの」に近づいていけたらいいなあ……。
敬具
p1 最近熱を入れている、英会話レッスン。自分にまつわる様々な事柄を、先生にアドバイス頂きながら英語でノートに纏めていくスタイルです。そして日々の日記も英語で。自分の世界をもっと広げられるよう、努力、努力。。
p2 レギュラー番組の生放送にて。3週間連続でリモート生放送でしたが、毎回違う仕掛けがあり楽しみながら取り組むことができました。是非ご興味のある方は、ABEMAにて
#小职拾词#
塞翁吟·黄园感事
【作者】赵文 【朝代】宋
又海棠开後,楼上倍觉春寒。绿叶润,雨初乾。爱远树团团。当时胜买名花种,那信付与谁看。十载事,土花漫。但青得阑干。
悲欢。思人世、真如一梦,留不住、城头日残。看眼底、西湖过了,又还见、赵舞燕歌,抹粉涂丹。凭君更酌,後日重来,直是睛难。
塞翁吟·黄园感事
【作者】赵文 【朝代】宋
又海棠开後,楼上倍觉春寒。绿叶润,雨初乾。爱远树团团。当时胜买名花种,那信付与谁看。十载事,土花漫。但青得阑干。
悲欢。思人世、真如一梦,留不住、城头日残。看眼底、西湖过了,又还见、赵舞燕歌,抹粉涂丹。凭君更酌,後日重来,直是睛难。
博客:七回忌
2020年07月12日(日)
https://t.cn/A6yat7IM
作日7月11日は、亡き父の6回目の命日。
七回忌でした。
本来なら七回忌の法要をする筈でしたが、
このコロナの状況のなか実家のある横浜への移動、
母、祖母への感染の危険性を考え、七回忌の法要は中止することになりました。
6年前の今日は金曜日でした。
初演『レディ・ベス』の東京公演が終わり、
大阪公演まで1ヶ月空き思い出し稽古をしていた頃。
この頃は少しでも時間があったら毎日お見舞いに行き、
父の様子を見る度に1年半以上続いた闘病生活が終わりに近付いているのを日々感じ取っていました。
この日稽古はなく、予定より早く夕方に仕事が終わり、
母に連絡しいつも通り病院に向かおうとしたところ、
電話での母の様子がおかしいのです。
すぐに理解し「分かった。早く行った方が良いんだね」と聞くと、
か細く「・・・うん。」と答えました。
すぐに高速道路に乗り、本線に移ろうと走行車の確認をした時、
目の前に大きな虹があることに気付きました。
自然と、「父を連れていく虹だ」と思いました。
間に合ってほしい・・・その想いだけでした。
私はあの虹を一生忘れません。
結果父を看取ることができ、
そのまま慌ただしく葬儀屋に行き打ち合わせをし明け方に帰宅して携帯を開いたら、
どこからどう漏れたのか、既にネットニュースになっていました。
何故そんなことが起こっているのかという恐怖と、
その時始めて現実として受け入れたのか、その後は思いっきり泣きました。
ある時父と母の前では絶対泣かないと決めてから一度も泣いていなかったので、
ひとりになってようやく泣きました。
ブログで報告し、大阪公演からも問題なく取り組むので安心してほしい…ご心配をお掛けしない為に書いたつもりが、
先にネットニュースで取り上げたことを知らない方々から「父親の死までネタにするなんて」……といった旨のコメントも多く目にしました。
・・・できれば黙っておきたかったんです。
本当のことなので、ニュースになってしまえば正式にコメントする他ありません。
大阪に行く前日までに通夜・告別式をすることができたのもホッとしました。
私はひとり娘なので、残された家族を支えなければと責任を感じていました。
(大阪に行く前にこの日しか葬儀場が空いていなかったのも奇跡でした。)
父を想って涙してくれる方もたくさんいました。
父の人柄がたくさんの方に伝わっていたことに感謝し、改めて父を尊敬しました。
『レディ・ベス』の楽曲、
♪我が父は王 を歌うのが辛い時もありました。
しかし歌詞にもあるように、
「父が誇れる王女になるため」
「恐れや怒り 涙も堪え どんな試練も乗り越える」
……というベスの想いが一体化し、
全身全霊で役を感じ、役に背中を押してもらいました。
父が帝国劇場で観劇することは叶いませんでしたが(『レ・ミゼラブル』も観てもらうことができませんでした。)、
この時に出逢えた作品が『レディ・ベス』で本当に良かったと、運命だったと思っています。
父の闘病生活は父の戦いであると共に、
残される私たちの心の準備期間でもあったと思います。
私たちが覚悟を決める為にも、父は最後の最後まで諦めずに頑張ってくれたのだと思います。
だからこそ世界的な規模で危機に直面しているコロナや、今回の豪雨で被災されている方、
突然の別れで二度と会えなくなってしまうという経験をされた方々の衝撃は計り知れないと思います。
悲しみも幸せもひとそれぞれ、比べられるものではありませんが、
天災、人災、様々な別れを経験してこられた方々の心が癒えますように・・・。
豪雨で被害に遭われました方々の一日も早い復興を祈ると共に、
犠牲になられました御家族の皆様の心が一日でも早く癒えますよう、心から願っております。
自分に何ができるか考え、形にできるように動いておりますので、
“その時”が来たら、どうか皆様のご協力を賜りますようお願い申し上げます。
1年前、母と初めての海外旅行をしました。
場所は今では勝手知ったるニューヨーク。
母は私が子供の頃に家族で暮らしていた以来なので、30年ぶりでした。
ちょうど父の命日の日、アテもなく散歩がてら街を歩いていたら、
父が通っていたニューヨーク大学に偶然辿り着きました。
父が導いてくれたと今でも信じています。
愛の深く優しさに満ち溢れた父へ。
私は元気にやっています!
一番遠く一番近い場所から、どうか見守っていてくださいね。
2020年07月12日(日)
https://t.cn/A6yat7IM
作日7月11日は、亡き父の6回目の命日。
七回忌でした。
本来なら七回忌の法要をする筈でしたが、
このコロナの状況のなか実家のある横浜への移動、
母、祖母への感染の危険性を考え、七回忌の法要は中止することになりました。
6年前の今日は金曜日でした。
初演『レディ・ベス』の東京公演が終わり、
大阪公演まで1ヶ月空き思い出し稽古をしていた頃。
この頃は少しでも時間があったら毎日お見舞いに行き、
父の様子を見る度に1年半以上続いた闘病生活が終わりに近付いているのを日々感じ取っていました。
この日稽古はなく、予定より早く夕方に仕事が終わり、
母に連絡しいつも通り病院に向かおうとしたところ、
電話での母の様子がおかしいのです。
すぐに理解し「分かった。早く行った方が良いんだね」と聞くと、
か細く「・・・うん。」と答えました。
すぐに高速道路に乗り、本線に移ろうと走行車の確認をした時、
目の前に大きな虹があることに気付きました。
自然と、「父を連れていく虹だ」と思いました。
間に合ってほしい・・・その想いだけでした。
私はあの虹を一生忘れません。
結果父を看取ることができ、
そのまま慌ただしく葬儀屋に行き打ち合わせをし明け方に帰宅して携帯を開いたら、
どこからどう漏れたのか、既にネットニュースになっていました。
何故そんなことが起こっているのかという恐怖と、
その時始めて現実として受け入れたのか、その後は思いっきり泣きました。
ある時父と母の前では絶対泣かないと決めてから一度も泣いていなかったので、
ひとりになってようやく泣きました。
ブログで報告し、大阪公演からも問題なく取り組むので安心してほしい…ご心配をお掛けしない為に書いたつもりが、
先にネットニュースで取り上げたことを知らない方々から「父親の死までネタにするなんて」……といった旨のコメントも多く目にしました。
・・・できれば黙っておきたかったんです。
本当のことなので、ニュースになってしまえば正式にコメントする他ありません。
大阪に行く前日までに通夜・告別式をすることができたのもホッとしました。
私はひとり娘なので、残された家族を支えなければと責任を感じていました。
(大阪に行く前にこの日しか葬儀場が空いていなかったのも奇跡でした。)
父を想って涙してくれる方もたくさんいました。
父の人柄がたくさんの方に伝わっていたことに感謝し、改めて父を尊敬しました。
『レディ・ベス』の楽曲、
♪我が父は王 を歌うのが辛い時もありました。
しかし歌詞にもあるように、
「父が誇れる王女になるため」
「恐れや怒り 涙も堪え どんな試練も乗り越える」
……というベスの想いが一体化し、
全身全霊で役を感じ、役に背中を押してもらいました。
父が帝国劇場で観劇することは叶いませんでしたが(『レ・ミゼラブル』も観てもらうことができませんでした。)、
この時に出逢えた作品が『レディ・ベス』で本当に良かったと、運命だったと思っています。
父の闘病生活は父の戦いであると共に、
残される私たちの心の準備期間でもあったと思います。
私たちが覚悟を決める為にも、父は最後の最後まで諦めずに頑張ってくれたのだと思います。
だからこそ世界的な規模で危機に直面しているコロナや、今回の豪雨で被災されている方、
突然の別れで二度と会えなくなってしまうという経験をされた方々の衝撃は計り知れないと思います。
悲しみも幸せもひとそれぞれ、比べられるものではありませんが、
天災、人災、様々な別れを経験してこられた方々の心が癒えますように・・・。
豪雨で被害に遭われました方々の一日も早い復興を祈ると共に、
犠牲になられました御家族の皆様の心が一日でも早く癒えますよう、心から願っております。
自分に何ができるか考え、形にできるように動いておりますので、
“その時”が来たら、どうか皆様のご協力を賜りますようお願い申し上げます。
1年前、母と初めての海外旅行をしました。
場所は今では勝手知ったるニューヨーク。
母は私が子供の頃に家族で暮らしていた以来なので、30年ぶりでした。
ちょうど父の命日の日、アテもなく散歩がてら街を歩いていたら、
父が通っていたニューヨーク大学に偶然辿り着きました。
父が導いてくれたと今でも信じています。
愛の深く優しさに満ち溢れた父へ。
私は元気にやっています!
一番遠く一番近い場所から、どうか見守っていてくださいね。
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