赤壁歌送别
唐 李白
二龙争战决雌雄,赤壁楼船扫地空。
烈火张天照云海,周瑜于此破曹公。
君去沧江望澄碧,鲸鲵唐突留馀迹。
一一书来报故人,我欲因之壮心魄。
作者生平
李白(701年-762年) ,字太白,号青莲居士,又号“谪仙人”,唐代伟大的浪漫主义诗人,被后人誉为“诗仙”,与杜甫并称为“李杜”,为了与另两位诗人李商隐与杜牧即“小李杜”区别,杜甫与李白又合称“大李杜”。据《新唐书》记载,李白为兴圣皇帝(凉武昭王李暠)九世孙,与李唐诸王同宗。其人爽朗大方,爱饮酒作诗,喜交友。李白深受黄老列庄思想影响,有《李太白集》传世,诗作中多以醉时写的,代表作有《望庐山瀑布》《行路难》《蜀道难》《将进酒》《明堂赋》《早发白帝城》等多首。
创作背景
此诗大约是公元734年(唐玄宗开元二十二年)李白旅游江夏(今湖北武汉)时所作。公元727年(开元十五年),李白客游云梦,故相许圉师“妻以孙女”,他此后以安陆(今属湖北)为中心,在湖北一带“蹉跎十年”,曾因结识荆州长史韩朝宗而作散文《与韩荆州书》。
译文
犹如二龙争战以决雌雄,赤壁一战,曹操的楼船被一扫而空。
烈火熊熊硝烟冲天,照耀云海,周瑜在此地大破曹公。
君去长江观看青碧澄明的江水,曹操倚仗权势,想吞食东吴时争斗的遗迹。
请您一定要将实地的观感写信告诉我,使我看过信后大壮心胆与气魄。
注释
⑴二龙:指争战之双方。此指曹操和孙权。雌雄:指输赢。
⑵“赤壁”句:建安十二年(208年),刘备与孙权联合与曹操在赤壁作战。周瑜用黄盖诈降计,“盖放诸船同时发火,时风威猛,悉延烧岸上营落。顷之,烟炎涨天,人马烧溺死者甚众”(见《三国志·吴书·周瑜传》。
⑶沧江:指长江,因古时长江较清澈呈青苍色,故称。望:一作“弄”。
⑷鲸鲵:大鱼名,比喻吞食小国的不义之人。《左传·宣公十二年》“古者明王伐不敬。取其鲸鲵而封之,以为大戮。”杜预注:“鲸鲵,人鱼名,以喻不义之人吞食小国。”此指曹操与孙刘联军鏖兵的军队。
赏析
此诗前四句讲的是赤壁之战,突出周瑜的事迹;后四句则是送别时有感而发,希望友人经常来信报告佳音。全诗把歌咏赤壁和送别友人这两个内容艺术地统一起来,并突出前者。作品风格慷慨雄壮,蕴含了作者济时救民的思想感情。
从此诗题目可以看出,诗人的创作意图在于把歌咏赤壁和送别友人这两个内容艺术地统一起来,并突出前者。
全诗八句,前四句讲的是赤壁之战的事迹,后四句则是送别时的有感而发,形式上组成两个相对独立的段落。使人惊异的是,李白在前半短短四句中,就成功地完成了咏史的任务。
“二龙争战决雌雄,赤壁楼船扫地空。”赤壁之战,曹操用大量军队,深入东吴国土,一心要同周瑜“决”战,“争”雌雄。周瑜虽处于劣势,但能化不利为有利,以火攻取胜,曹操只落得全军溃败的下场。上述内容在这两句诗里艺术地得到表现。
上句化用《周易》里“龙战于野”的典故。“二龙争战”是魏吴相持的象征。下句以突如其来之笔,直接写出了赤壁之战曹操水师以失败告终的结局。“楼船扫地空”五字颇见妙思。曹军楼船云集江面,构成庞大的水上阵地,自谓坚如金城。不料这阵“地”顷刻间就被横“扫”一“空”。诗人不说楼船在水上安营,而说在“地”上扎寨,这既是对曹操水师在吴地彻底完蛋的如实刻画,也是对他吞并东吴土地梦想落空的含蓄讽刺。
“烈火张天照云海,周瑜于此破曹公。”前面诗人用“楼船扫地空”五字预示了战争的结局。这两句才把造成这结局的缘由具体说出。但“烈火”句绝不仅仅是对“楼船扫地空”的原因的说明,更重要的是对古战场上赤焰烧天,煮水蒸云,一片火海的景象的真实写照。
上句“张”“照”二字,极大地渲染了吴军的攻势。诗人把因果关系颠倒处理,既起到了先声夺人的作用,也显示了诗人对稳操胜券者的辉煌战果的深情赞许。赤壁之战的胜败,成因固然是吴方采用火攻法,但归根到底取决于两军统帅在战略战术上的水平。下句诗人以凝重之笔指出:善于决战决胜的周瑜,就是这样从容不迫地在赤壁山下击破曹操几十万大军的。这句虽然加入了议论成分,但周瑜的儒将风度,却朴实自然地表现出来了。
后半的送别,是在咏史的基础上进行的。字数虽与前半相等,实则等于前半的附庸。“君去沧江望澄碧”,这位友人就要离他而去,望着清澄碧绿的江波,少不了要兴起南浦送别的感伤。但古战场上“二龙争战”的“馀迹”还在脑际留存。“鲸鲵唐突留馀迹。”“鲸鲵”,是由《左传》上的典故引起的联想。“鲸鲵”是“大鱼名”,以喻那“吞食小国”的“不义之人”。“唐突”义同触犯。这里李白大约是喻指曹操倚仗权势,想吞食东吴。李白在送别的诗行中,并没有完全割裂咏史的情感线索。
但诗人又立即回到现实中来,“一一书来报故人”,希望友人走后经常来信报告佳音。这友人想必是一位有功业抱负的人物。所以诗人在结尾写道:“我欲因之壮心魄。”诗人能从友人那里得到鼓舞人心的信息,可以因之而大“壮”自己的“心”胆与气“魄”。
李白早年就有“大定”“寰区”(《代寿山答孟少府移文书》)的政治抱负,这首诗在一定程度上反映出他壮年时代济世救民的思想感情。此诗把咏史与送别结合起来并特别突出前者,原因就在这里。
此诗韵脚“平仄相半”,在形式上与王勃《滕王阁诗》一类“初唐短歌”相似。但避用律体,变婉丽和平之调为慷慨雄壮之声,这又是与王勃异趣的。
唐 李白
二龙争战决雌雄,赤壁楼船扫地空。
烈火张天照云海,周瑜于此破曹公。
君去沧江望澄碧,鲸鲵唐突留馀迹。
一一书来报故人,我欲因之壮心魄。
作者生平
李白(701年-762年) ,字太白,号青莲居士,又号“谪仙人”,唐代伟大的浪漫主义诗人,被后人誉为“诗仙”,与杜甫并称为“李杜”,为了与另两位诗人李商隐与杜牧即“小李杜”区别,杜甫与李白又合称“大李杜”。据《新唐书》记载,李白为兴圣皇帝(凉武昭王李暠)九世孙,与李唐诸王同宗。其人爽朗大方,爱饮酒作诗,喜交友。李白深受黄老列庄思想影响,有《李太白集》传世,诗作中多以醉时写的,代表作有《望庐山瀑布》《行路难》《蜀道难》《将进酒》《明堂赋》《早发白帝城》等多首。
创作背景
此诗大约是公元734年(唐玄宗开元二十二年)李白旅游江夏(今湖北武汉)时所作。公元727年(开元十五年),李白客游云梦,故相许圉师“妻以孙女”,他此后以安陆(今属湖北)为中心,在湖北一带“蹉跎十年”,曾因结识荆州长史韩朝宗而作散文《与韩荆州书》。
译文
犹如二龙争战以决雌雄,赤壁一战,曹操的楼船被一扫而空。
烈火熊熊硝烟冲天,照耀云海,周瑜在此地大破曹公。
君去长江观看青碧澄明的江水,曹操倚仗权势,想吞食东吴时争斗的遗迹。
请您一定要将实地的观感写信告诉我,使我看过信后大壮心胆与气魄。
注释
⑴二龙:指争战之双方。此指曹操和孙权。雌雄:指输赢。
⑵“赤壁”句:建安十二年(208年),刘备与孙权联合与曹操在赤壁作战。周瑜用黄盖诈降计,“盖放诸船同时发火,时风威猛,悉延烧岸上营落。顷之,烟炎涨天,人马烧溺死者甚众”(见《三国志·吴书·周瑜传》。
⑶沧江:指长江,因古时长江较清澈呈青苍色,故称。望:一作“弄”。
⑷鲸鲵:大鱼名,比喻吞食小国的不义之人。《左传·宣公十二年》“古者明王伐不敬。取其鲸鲵而封之,以为大戮。”杜预注:“鲸鲵,人鱼名,以喻不义之人吞食小国。”此指曹操与孙刘联军鏖兵的军队。
赏析
此诗前四句讲的是赤壁之战,突出周瑜的事迹;后四句则是送别时有感而发,希望友人经常来信报告佳音。全诗把歌咏赤壁和送别友人这两个内容艺术地统一起来,并突出前者。作品风格慷慨雄壮,蕴含了作者济时救民的思想感情。
从此诗题目可以看出,诗人的创作意图在于把歌咏赤壁和送别友人这两个内容艺术地统一起来,并突出前者。
全诗八句,前四句讲的是赤壁之战的事迹,后四句则是送别时的有感而发,形式上组成两个相对独立的段落。使人惊异的是,李白在前半短短四句中,就成功地完成了咏史的任务。
“二龙争战决雌雄,赤壁楼船扫地空。”赤壁之战,曹操用大量军队,深入东吴国土,一心要同周瑜“决”战,“争”雌雄。周瑜虽处于劣势,但能化不利为有利,以火攻取胜,曹操只落得全军溃败的下场。上述内容在这两句诗里艺术地得到表现。
上句化用《周易》里“龙战于野”的典故。“二龙争战”是魏吴相持的象征。下句以突如其来之笔,直接写出了赤壁之战曹操水师以失败告终的结局。“楼船扫地空”五字颇见妙思。曹军楼船云集江面,构成庞大的水上阵地,自谓坚如金城。不料这阵“地”顷刻间就被横“扫”一“空”。诗人不说楼船在水上安营,而说在“地”上扎寨,这既是对曹操水师在吴地彻底完蛋的如实刻画,也是对他吞并东吴土地梦想落空的含蓄讽刺。
“烈火张天照云海,周瑜于此破曹公。”前面诗人用“楼船扫地空”五字预示了战争的结局。这两句才把造成这结局的缘由具体说出。但“烈火”句绝不仅仅是对“楼船扫地空”的原因的说明,更重要的是对古战场上赤焰烧天,煮水蒸云,一片火海的景象的真实写照。
上句“张”“照”二字,极大地渲染了吴军的攻势。诗人把因果关系颠倒处理,既起到了先声夺人的作用,也显示了诗人对稳操胜券者的辉煌战果的深情赞许。赤壁之战的胜败,成因固然是吴方采用火攻法,但归根到底取决于两军统帅在战略战术上的水平。下句诗人以凝重之笔指出:善于决战决胜的周瑜,就是这样从容不迫地在赤壁山下击破曹操几十万大军的。这句虽然加入了议论成分,但周瑜的儒将风度,却朴实自然地表现出来了。
后半的送别,是在咏史的基础上进行的。字数虽与前半相等,实则等于前半的附庸。“君去沧江望澄碧”,这位友人就要离他而去,望着清澄碧绿的江波,少不了要兴起南浦送别的感伤。但古战场上“二龙争战”的“馀迹”还在脑际留存。“鲸鲵唐突留馀迹。”“鲸鲵”,是由《左传》上的典故引起的联想。“鲸鲵”是“大鱼名”,以喻那“吞食小国”的“不义之人”。“唐突”义同触犯。这里李白大约是喻指曹操倚仗权势,想吞食东吴。李白在送别的诗行中,并没有完全割裂咏史的情感线索。
但诗人又立即回到现实中来,“一一书来报故人”,希望友人走后经常来信报告佳音。这友人想必是一位有功业抱负的人物。所以诗人在结尾写道:“我欲因之壮心魄。”诗人能从友人那里得到鼓舞人心的信息,可以因之而大“壮”自己的“心”胆与气“魄”。
李白早年就有“大定”“寰区”(《代寿山答孟少府移文书》)的政治抱负,这首诗在一定程度上反映出他壮年时代济世救民的思想感情。此诗把咏史与送别结合起来并特别突出前者,原因就在这里。
此诗韵脚“平仄相半”,在形式上与王勃《滕王阁诗》一类“初唐短歌”相似。但避用律体,变婉丽和平之调为慷慨雄壮之声,这又是与王勃异趣的。
把再整理后的五行贴上,在【2440后】那列,前面的是涨幅,【-】号后的是跌幅。
图1金,银行涨40%,跌50%,肯定没跌够,这少要到80.。往后周线,日线会有反弹。
如按周期对等还要调一年半,也就是2023年年中才可能结束。
看保险85%了。半年平走。
金行涨得最多的【工程机械】360%,做顶后就一路下跌,前三一重工腰斩时,我想着【强者恒强】去抓超跌反弹,结果差点被套。现在调到65%,这类股到底后将是长时期的横盘。不是又月计而是以年,2012年到2014年有多少躺平?
其它四行不说了,自己看。
图1金,银行涨40%,跌50%,肯定没跌够,这少要到80.。往后周线,日线会有反弹。
如按周期对等还要调一年半,也就是2023年年中才可能结束。
看保险85%了。半年平走。
金行涨得最多的【工程机械】360%,做顶后就一路下跌,前三一重工腰斩时,我想着【强者恒强】去抓超跌反弹,结果差点被套。现在调到65%,这类股到底后将是长时期的横盘。不是又月计而是以年,2012年到2014年有多少躺平?
其它四行不说了,自己看。
松田龍平が長塚圭史の演出で、演劇界の金字塔『近松心中物語』に挑む
1979年に蜷川幸雄の演出で初演されて大ヒットして以来、キャストを変えながら幾度も上演されてきた『近松心中物語』。劇作家・秋元松代が、『冥途の飛脚』をはじめとする近松門左衛門の3作品をひとつに織り上げたこの人気作が、新芸術監督・長塚圭史の演出とスチャダラパーの音楽で、KAAT神奈川芸術劇場2021年メインシーズンの幕開けを飾る。傘屋与兵衛役を務めるのは、舞台『冒した者』(2013年、葛河思潮社公演)と『イーハトーボの劇列車』(2019年、こまつ座公演)で長塚演出を経験している松田龍平。さて、稽古初日を前にした松田の心境は?
ーー『イーハトーボの劇列車』以来、約2年ぶり5作品目の舞台出演となる松田さん。今回出演を決めたポイントは何だったのでしょう?
長塚さんとまたやりたかったからですかね。一つ前にやった『イーハトーボの劇列車』では汽車の機械音を役者が奏でたり、ギロだけで歌を歌ったり、自分の身ひとつで演じる感覚があって、やっていて面白くて。もちろん、役者同士が息をピタリと合わせる必要があったし、誤魔化しがきかないので、大変だったんですけど、やり始めると夢中になっちゃって。まあ、夢中にならないとできないという感じでしたね。僕はあまりストイックな方じゃないので、ありがたいです(笑)。思い返せば僕の場合、自分の中で「前に進めてないな」とか、なんとなく感じているときに舞台に呼んでもらうことが多くて、本当に、毎回、いい刺激をもらっています。ありがたいです。
ーー『近松心中物語』という作品は、以前からご存じでしたか?
このお話をいただいてからネットで調べたら、“演劇界の金字塔”と書いてあって、おお!? と思いました(笑)。1000回以上上演されていて、海外でも公演していて……それだけ愛されている作品ですから。もちろんそういう意味でもプレッシャーはありますけど、舞台のいいところは、皆と芝居を重ねる時間をもらえるというところですかね。この舞台も座組の皆さんと力を合わせて、作っていけたらと思います。
ーー元禄時代の大阪を舞台に、飛脚宿亀屋の真面目な養子・忠兵衛と遊女梅川、忠兵衛に梅川を身請けする手付金を貸したことから窮地に陥る古物商傘屋の若旦那・与兵衛とその妻・お亀という2組の男女の恋を描いた本作品。台本の印象はいかがですか?
話としては、複雑に入り組んでる話ではないから、その分、世界観とか、役柄みたいなものが浮き彫りになりそうだと思いました。あとは、ハートでどこまでやれるかですかね(笑)。僕が演じる与兵衛については、自分が本当はどう生きていきたいのか、違う生き方があるんじゃないかと模索している印象がありました。ただ、人との繋がりには、筋を通しているというイメージがあります。
ーー傘屋の箱入り娘で、婿養子の与兵衛にぞっこんの妻・お亀役は、石橋静河さん。女性にモテモテで、石橋さんが演じる役に思いを寄せられるところなど、与兵衛とドラマ『大豆田とわ子と三人の元夫』で松田さんが演じていた田中八作には、共通点を感じます。
たしかに、言われてみれば、そういうところもあるかもしれないですね。実は、石橋さんとの共演は、今回で5回目なんです。石橋さんとは親同士のつながりもあって、幼い頃から知っているので、すごい縁だなと。哲司さんの忠兵衛、笹本さんの遊女梅川をはじめ、めちゃめちゃ素敵なキャストが揃ってますし、自分もホントに頑張らないとヤバいですね。
ーー関西弁で演じることについてはどう感じていますか?
大変そうですね。関西弁でお芝居をするのは初めてなので、どうしようかなと。勝手なイメージですけど、東北弁は口をあまり開けないでしゃべる感じで、意外と雰囲気で誤魔化せたんじゃないかと思っているのですが、関西弁だと、それも通用しなさそうですよね(笑)。ただ、この舞台での関西弁は、秋元さんが書かれた江戸時代の関西弁ですから。関西の方に「何弁?」って言われないように、そこは今のうちから、インタビューでなるべく主張していこうと思ってます(笑)。
ーー会見で「長塚さんはいつも僕に対してピリッとしたことを言ってくれる」と話されていましたが、印象に残る“ピリッとした言葉”があったら教えてください。
稽古中に長塚さんが話をしている時に、つい聞いてない時が(笑)。そう言うことで怒られてますね。変なタイミングで栗を食べたり。完全に僕が集中力足りてないだけですね(笑)。そういう部分はさて置き、そうですね。長塚さんの演出は、物語のテーマだったり、確固としたイメージがあるのを感じるんです。だからこそ、自分も同じ温度を保ってないと置いていかれるような緊張感があるし、応えたいと思うから、自分の気持ちもピリッとします。
ーーKAAT神奈川芸術劇場への出演は、『冒した者』以来ですね。劇場や横浜にはどんな思い出がありますか?
『冒した者』は、稽古もKAATでやらせてもらったので、懐かしいですね。僕は毎日、都内から自分の車で稽古に通っていたんですけど、運転しながらセリフを繰り返すと、結構覚えやすいなと思った記憶があります。ただ、道を覚える前にそれをやると、高速で降りるところを間違えたり、慣れるまで気をつけないといけないですね(笑)。僕の場合、家でも、普通に台本を読むより、何かちょっとした作業をしながらのほうが、セリフを覚えやすいです。
ーーコロナ禍では、どんなふうに過ごしていたのですか?
家でテレビを見たり、ゲームをしたりですね……もともと家で過ごすのが好きですし、仕事もけっこうスケジュールが先になったりして。でも、割りと大きくは変わらずでしたね。会社勤めだったり、コンスタントに動いていた人は急に生活スタイルが変わって大変なんだと思います。
僕としては「休めるならこのままずっと休みたい」と思ってしまう事のほうが怖かったです。
ーーお仕事を再開された時は、どんな思いがありましたか?
そうですね。久々の撮影は「どうやるんだっけ?」という感じでした(笑)。でもやっぱり楽しかったです。何よりありがたかったし、もっと楽しくするためにはどうしたらいいのか考えないとですね。この仕事ははっきりしたものがあるわけじゃないから、そういう思いは尽きることがないんでしょうけど。これからもずっと、そんなことを考えながら、繰り返していけたらって思います。
ーー松田さんが俳優になってよかったなと思うのは、どんな時ですか?
お芝居は、コミュニケーションの上にあるものなので、役に対して混じりっけなく真っ直ぐになれた時は、気持ちいいなと感じます。普段の人との会話もそうですよね。不安とか嫉妬とか、そういう余計な要素がなく、相手に対してお互いに真っ直ぐ話し合えたら、それは幸せな時間ですし。自分はそういう機会を、いろいろな役やシチュエーションを通して得ているのかもしれません。そういう意味では、こんなに楽しいことはないなと思います。特に舞台は何度も稽古を重ねたうえで役と向き合えるので最高ですね。
ーーこの『近松心中物語』で始まるKAATの2021年メインシーズンのテーマは“冒”だそうです。松田さんが冒険、挑戦したいことを教えてください。
色々な国の人と仕事をしたいですね。もちろん言葉の壁はありますけど、繋がり方も変わってきていると思うし。チャンスはあるんじゃないかな。まあ、今は『近松心中物語』をやり切らないとですね。こんな世の中で、出掛けるのはなかなか難しい状況になるかもしれませんが、『近松心中物語』。「心中」に魅了された男女の物語をぜひ劇場でご覧ください。
ヘアメイク:赤松絵利(ESPER)
スタイリスト:石井大
取材・文=岡﨑 香 撮影=西村彩子(SELF:PSY’S)
1979年に蜷川幸雄の演出で初演されて大ヒットして以来、キャストを変えながら幾度も上演されてきた『近松心中物語』。劇作家・秋元松代が、『冥途の飛脚』をはじめとする近松門左衛門の3作品をひとつに織り上げたこの人気作が、新芸術監督・長塚圭史の演出とスチャダラパーの音楽で、KAAT神奈川芸術劇場2021年メインシーズンの幕開けを飾る。傘屋与兵衛役を務めるのは、舞台『冒した者』(2013年、葛河思潮社公演)と『イーハトーボの劇列車』(2019年、こまつ座公演)で長塚演出を経験している松田龍平。さて、稽古初日を前にした松田の心境は?
ーー『イーハトーボの劇列車』以来、約2年ぶり5作品目の舞台出演となる松田さん。今回出演を決めたポイントは何だったのでしょう?
長塚さんとまたやりたかったからですかね。一つ前にやった『イーハトーボの劇列車』では汽車の機械音を役者が奏でたり、ギロだけで歌を歌ったり、自分の身ひとつで演じる感覚があって、やっていて面白くて。もちろん、役者同士が息をピタリと合わせる必要があったし、誤魔化しがきかないので、大変だったんですけど、やり始めると夢中になっちゃって。まあ、夢中にならないとできないという感じでしたね。僕はあまりストイックな方じゃないので、ありがたいです(笑)。思い返せば僕の場合、自分の中で「前に進めてないな」とか、なんとなく感じているときに舞台に呼んでもらうことが多くて、本当に、毎回、いい刺激をもらっています。ありがたいです。
ーー『近松心中物語』という作品は、以前からご存じでしたか?
このお話をいただいてからネットで調べたら、“演劇界の金字塔”と書いてあって、おお!? と思いました(笑)。1000回以上上演されていて、海外でも公演していて……それだけ愛されている作品ですから。もちろんそういう意味でもプレッシャーはありますけど、舞台のいいところは、皆と芝居を重ねる時間をもらえるというところですかね。この舞台も座組の皆さんと力を合わせて、作っていけたらと思います。
ーー元禄時代の大阪を舞台に、飛脚宿亀屋の真面目な養子・忠兵衛と遊女梅川、忠兵衛に梅川を身請けする手付金を貸したことから窮地に陥る古物商傘屋の若旦那・与兵衛とその妻・お亀という2組の男女の恋を描いた本作品。台本の印象はいかがですか?
話としては、複雑に入り組んでる話ではないから、その分、世界観とか、役柄みたいなものが浮き彫りになりそうだと思いました。あとは、ハートでどこまでやれるかですかね(笑)。僕が演じる与兵衛については、自分が本当はどう生きていきたいのか、違う生き方があるんじゃないかと模索している印象がありました。ただ、人との繋がりには、筋を通しているというイメージがあります。
ーー傘屋の箱入り娘で、婿養子の与兵衛にぞっこんの妻・お亀役は、石橋静河さん。女性にモテモテで、石橋さんが演じる役に思いを寄せられるところなど、与兵衛とドラマ『大豆田とわ子と三人の元夫』で松田さんが演じていた田中八作には、共通点を感じます。
たしかに、言われてみれば、そういうところもあるかもしれないですね。実は、石橋さんとの共演は、今回で5回目なんです。石橋さんとは親同士のつながりもあって、幼い頃から知っているので、すごい縁だなと。哲司さんの忠兵衛、笹本さんの遊女梅川をはじめ、めちゃめちゃ素敵なキャストが揃ってますし、自分もホントに頑張らないとヤバいですね。
ーー関西弁で演じることについてはどう感じていますか?
大変そうですね。関西弁でお芝居をするのは初めてなので、どうしようかなと。勝手なイメージですけど、東北弁は口をあまり開けないでしゃべる感じで、意外と雰囲気で誤魔化せたんじゃないかと思っているのですが、関西弁だと、それも通用しなさそうですよね(笑)。ただ、この舞台での関西弁は、秋元さんが書かれた江戸時代の関西弁ですから。関西の方に「何弁?」って言われないように、そこは今のうちから、インタビューでなるべく主張していこうと思ってます(笑)。
ーー会見で「長塚さんはいつも僕に対してピリッとしたことを言ってくれる」と話されていましたが、印象に残る“ピリッとした言葉”があったら教えてください。
稽古中に長塚さんが話をしている時に、つい聞いてない時が(笑)。そう言うことで怒られてますね。変なタイミングで栗を食べたり。完全に僕が集中力足りてないだけですね(笑)。そういう部分はさて置き、そうですね。長塚さんの演出は、物語のテーマだったり、確固としたイメージがあるのを感じるんです。だからこそ、自分も同じ温度を保ってないと置いていかれるような緊張感があるし、応えたいと思うから、自分の気持ちもピリッとします。
ーーKAAT神奈川芸術劇場への出演は、『冒した者』以来ですね。劇場や横浜にはどんな思い出がありますか?
『冒した者』は、稽古もKAATでやらせてもらったので、懐かしいですね。僕は毎日、都内から自分の車で稽古に通っていたんですけど、運転しながらセリフを繰り返すと、結構覚えやすいなと思った記憶があります。ただ、道を覚える前にそれをやると、高速で降りるところを間違えたり、慣れるまで気をつけないといけないですね(笑)。僕の場合、家でも、普通に台本を読むより、何かちょっとした作業をしながらのほうが、セリフを覚えやすいです。
ーーコロナ禍では、どんなふうに過ごしていたのですか?
家でテレビを見たり、ゲームをしたりですね……もともと家で過ごすのが好きですし、仕事もけっこうスケジュールが先になったりして。でも、割りと大きくは変わらずでしたね。会社勤めだったり、コンスタントに動いていた人は急に生活スタイルが変わって大変なんだと思います。
僕としては「休めるならこのままずっと休みたい」と思ってしまう事のほうが怖かったです。
ーーお仕事を再開された時は、どんな思いがありましたか?
そうですね。久々の撮影は「どうやるんだっけ?」という感じでした(笑)。でもやっぱり楽しかったです。何よりありがたかったし、もっと楽しくするためにはどうしたらいいのか考えないとですね。この仕事ははっきりしたものがあるわけじゃないから、そういう思いは尽きることがないんでしょうけど。これからもずっと、そんなことを考えながら、繰り返していけたらって思います。
ーー松田さんが俳優になってよかったなと思うのは、どんな時ですか?
お芝居は、コミュニケーションの上にあるものなので、役に対して混じりっけなく真っ直ぐになれた時は、気持ちいいなと感じます。普段の人との会話もそうですよね。不安とか嫉妬とか、そういう余計な要素がなく、相手に対してお互いに真っ直ぐ話し合えたら、それは幸せな時間ですし。自分はそういう機会を、いろいろな役やシチュエーションを通して得ているのかもしれません。そういう意味では、こんなに楽しいことはないなと思います。特に舞台は何度も稽古を重ねたうえで役と向き合えるので最高ですね。
ーーこの『近松心中物語』で始まるKAATの2021年メインシーズンのテーマは“冒”だそうです。松田さんが冒険、挑戦したいことを教えてください。
色々な国の人と仕事をしたいですね。もちろん言葉の壁はありますけど、繋がり方も変わってきていると思うし。チャンスはあるんじゃないかな。まあ、今は『近松心中物語』をやり切らないとですね。こんな世の中で、出掛けるのはなかなか難しい状況になるかもしれませんが、『近松心中物語』。「心中」に魅了された男女の物語をぜひ劇場でご覧ください。
ヘアメイク:赤松絵利(ESPER)
スタイリスト:石井大
取材・文=岡﨑 香 撮影=西村彩子(SELF:PSY’S)
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