时光荏苒,沧海桑田,仿佛从来没变过。
人生更多时候,需要的不是一梦繁华,而是来自灵魂深处的,一份静谧之美。
古人以冬为三余。
予谓当以夏为三余:
晨起者,夜之余;夜坐者,昼之余;
午睡者,应酬人事之余。
古人诗云"我爱夏日长。"
春听鸟声,夏听蝉声,
秋听虫声,冬听雪声;
白昼听棋声,月下听箫声;
山中听松声,水际听欸乃声,
方不虚生此耳。
读经宜冬,其神专也;
读史宜夏,其时久也;
读诸子宜秋,其致别也;
读诸集宜春,其机畅也。
春风如酒,夏风如茗,
秋风如烟,冬风如姜芥。
花不可以无蝶,山不可以无泉,
石不可以无苔,水不可以无藻,
乔木不可以无藤萝,人不可以无癖。
水之为声,有四:
有瀑布声,有流泉声,有滩声,有沟浍声。
风之为声,有三:
有松涛声,有秋叶声,有波浪声。
雨之为声,有二:
有梧叶荷叶上声,有承檐溜竹筩中声。
山之光,水之声,月之色,花之香,
文人之韵致,美人之姿态,
皆无可名状,无可执着。
真足以摄召魂梦,颠倒情思。
少年读书,如隙中窥月;
中年读书,如庭中望月;
老年读书,如台上玩月。
皆以阅历之浅深,为所得之浅深耳。
所谓美人者:
以花为貌,以鸟为声,
以月为神,以柳为态,
以玉为骨,以冰雪为肤,
以秋水为姿,以诗词为心。
吾无间然矣。
种花须见其开,待月须见其满,
著书须见其成,
美人须见其畅适,方有实际。
否则皆为虚设。
月下谈禅,旨趣益远;
月下说剑,肝胆益真;
月下论诗,风致益幽;
月下对美人,情意益笃。
笋为蔬中尤物,荔枝为果中尤物,
蟹为水族中尤物,酒为饮食中尤物,
月为天文中尤物,西湖为山水中尤物,
词曲为文字中尤物。
梅令人高,兰令人幽,
菊令人野,莲令人淡,
春海棠令人艳,牡丹令人豪,
蕉与竹令人韵,秋海棠令人媚,
松令人逸,桐令人清,柳令人感。
艺花可以邀蝶;垒石可以邀云;
栽松可以邀风;贮水可以邀萍;
筑台可以邀月;种蕉可以邀雨;
植柳可以邀蝉。
有工夫读书,谓之福;
有力量济人,谓之福;
有学问著述,谓之福;
无是非到耳,谓之福;
有多闻、直、谅之友,谓之福。
对渊博友,如读异书;
对风雅友,如读名人诗文;
对谨饬友,如读圣贤经传;
对滑稽友,如阅传奇小说。
酒可以当茶,茶不可以当酒;
诗可以当文,文不可以当诗;
曲可以当词,词不可以当曲;
月可以当灯,灯不可以当月;
笔可以当口,口不可以当笔;
婢可以当奴,奴不可以当婢。
天下无书则已,有则必当读;
无酒则已,有则必当饮;
无名山则已,有则必当游;
无花月则已,有则必当赏玩;
无才子佳人则已,有则必当爱慕怜惜。
居城市中,当以画幅当山水,
以盆景当苑囿,以书籍当朋友。
楼上看山,
城头看雪,灯前看月,
舟中看霞,月下看美人,
另是一番情境。
赏花宜对佳人;
醉月宜对韵人;
映雪宜对高人。
风流自赏,只容花鸟趋陪;
真率谁知,合受烟霞供养。
我不知我之前生当春秋之季,
曾一识西施否;
当典午之时,曾一看卫玠否;
当义熙之世,曾一醉渊明否;
当天宝之代,曾一睹太真否;
当元丰之朝,曾一晤东坡否。
千古之上相思者,不止此数人,
而此数人则其尤甚者,故姑举之以概其余也。
凡事不宜刻,若读书则不可不刻;
凡事不宜贪,若买书则不可不贪;
凡事不宜痴,若行善则不可不痴。
藏书不难,能看为难;
看书不难,能读为难;
读书不难,能用为难;
能用不难,能记为难。
善读书者,无之而非书:
山水亦书也,
棋酒亦书也,花月亦书也。
善游山水者,无之而非山水:
书史亦山水也,
诗酒亦山水也,花月亦山水也。
鸟声之最佳者,画眉第一,
黄鹂、百舌次之。
然黄鹂、百舌,世未有笼而畜之者,
其殆高士之俦,可闻而不可屈者耶。
「空山无人,水流花开」二句,
极琴心之妙境;
「胜固欣然,败亦可喜」二句,
极手谈之妙境;
「帆随湘转,望衡九面」二句,
极泛舟之妙境;
「胡然而天,胡然而帝」二句,
极美人之妙境。
十亩之宅,五亩之园,
有水一池,有竹千竿。
勿谓土狭,勿谓地偏。
可以容膝,足以息肩。
有堂有庭,有桥有船,
有书有酒,有歌有弦。
有叟在中,白发飘然。
识分知足,外无求焉。
如鸟择木,始务巢安。
如龟居坎,不知海宽。
灵鹤怪石,紫菱白莲;
皆我所好,尽在吾前。
时饮一杯,或吟一篇;
妻孥熙熙,鸡犬闲闲。
优哉游哉,吾将终身于其间。
世间风雅,莫过与此。
人生更多时候,需要的不是一梦繁华,而是来自灵魂深处的,一份静谧之美。
古人以冬为三余。
予谓当以夏为三余:
晨起者,夜之余;夜坐者,昼之余;
午睡者,应酬人事之余。
古人诗云"我爱夏日长。"
春听鸟声,夏听蝉声,
秋听虫声,冬听雪声;
白昼听棋声,月下听箫声;
山中听松声,水际听欸乃声,
方不虚生此耳。
读经宜冬,其神专也;
读史宜夏,其时久也;
读诸子宜秋,其致别也;
读诸集宜春,其机畅也。
春风如酒,夏风如茗,
秋风如烟,冬风如姜芥。
花不可以无蝶,山不可以无泉,
石不可以无苔,水不可以无藻,
乔木不可以无藤萝,人不可以无癖。
水之为声,有四:
有瀑布声,有流泉声,有滩声,有沟浍声。
风之为声,有三:
有松涛声,有秋叶声,有波浪声。
雨之为声,有二:
有梧叶荷叶上声,有承檐溜竹筩中声。
山之光,水之声,月之色,花之香,
文人之韵致,美人之姿态,
皆无可名状,无可执着。
真足以摄召魂梦,颠倒情思。
少年读书,如隙中窥月;
中年读书,如庭中望月;
老年读书,如台上玩月。
皆以阅历之浅深,为所得之浅深耳。
所谓美人者:
以花为貌,以鸟为声,
以月为神,以柳为态,
以玉为骨,以冰雪为肤,
以秋水为姿,以诗词为心。
吾无间然矣。
种花须见其开,待月须见其满,
著书须见其成,
美人须见其畅适,方有实际。
否则皆为虚设。
月下谈禅,旨趣益远;
月下说剑,肝胆益真;
月下论诗,风致益幽;
月下对美人,情意益笃。
笋为蔬中尤物,荔枝为果中尤物,
蟹为水族中尤物,酒为饮食中尤物,
月为天文中尤物,西湖为山水中尤物,
词曲为文字中尤物。
梅令人高,兰令人幽,
菊令人野,莲令人淡,
春海棠令人艳,牡丹令人豪,
蕉与竹令人韵,秋海棠令人媚,
松令人逸,桐令人清,柳令人感。
艺花可以邀蝶;垒石可以邀云;
栽松可以邀风;贮水可以邀萍;
筑台可以邀月;种蕉可以邀雨;
植柳可以邀蝉。
有工夫读书,谓之福;
有力量济人,谓之福;
有学问著述,谓之福;
无是非到耳,谓之福;
有多闻、直、谅之友,谓之福。
对渊博友,如读异书;
对风雅友,如读名人诗文;
对谨饬友,如读圣贤经传;
对滑稽友,如阅传奇小说。
酒可以当茶,茶不可以当酒;
诗可以当文,文不可以当诗;
曲可以当词,词不可以当曲;
月可以当灯,灯不可以当月;
笔可以当口,口不可以当笔;
婢可以当奴,奴不可以当婢。
天下无书则已,有则必当读;
无酒则已,有则必当饮;
无名山则已,有则必当游;
无花月则已,有则必当赏玩;
无才子佳人则已,有则必当爱慕怜惜。
居城市中,当以画幅当山水,
以盆景当苑囿,以书籍当朋友。
楼上看山,
城头看雪,灯前看月,
舟中看霞,月下看美人,
另是一番情境。
赏花宜对佳人;
醉月宜对韵人;
映雪宜对高人。
风流自赏,只容花鸟趋陪;
真率谁知,合受烟霞供养。
我不知我之前生当春秋之季,
曾一识西施否;
当典午之时,曾一看卫玠否;
当义熙之世,曾一醉渊明否;
当天宝之代,曾一睹太真否;
当元丰之朝,曾一晤东坡否。
千古之上相思者,不止此数人,
而此数人则其尤甚者,故姑举之以概其余也。
凡事不宜刻,若读书则不可不刻;
凡事不宜贪,若买书则不可不贪;
凡事不宜痴,若行善则不可不痴。
藏书不难,能看为难;
看书不难,能读为难;
读书不难,能用为难;
能用不难,能记为难。
善读书者,无之而非书:
山水亦书也,
棋酒亦书也,花月亦书也。
善游山水者,无之而非山水:
书史亦山水也,
诗酒亦山水也,花月亦山水也。
鸟声之最佳者,画眉第一,
黄鹂、百舌次之。
然黄鹂、百舌,世未有笼而畜之者,
其殆高士之俦,可闻而不可屈者耶。
「空山无人,水流花开」二句,
极琴心之妙境;
「胜固欣然,败亦可喜」二句,
极手谈之妙境;
「帆随湘转,望衡九面」二句,
极泛舟之妙境;
「胡然而天,胡然而帝」二句,
极美人之妙境。
十亩之宅,五亩之园,
有水一池,有竹千竿。
勿谓土狭,勿谓地偏。
可以容膝,足以息肩。
有堂有庭,有桥有船,
有书有酒,有歌有弦。
有叟在中,白发飘然。
识分知足,外无求焉。
如鸟择木,始务巢安。
如龟居坎,不知海宽。
灵鹤怪石,紫菱白莲;
皆我所好,尽在吾前。
时饮一杯,或吟一篇;
妻孥熙熙,鸡犬闲闲。
优哉游哉,吾将终身于其间。
世间风雅,莫过与此。
⛩《大乘离文字普光明藏经》全文⛩
[更改富贵层次,快速改命运,突破前生造作命运格局的瓶颈。]
最适合末法众生改命的一部经典,有时福报不够财神来了都帮不了,而此部经典可以
读诵此经,传播此经,对人解说,所有业障消除,可见此经是古代皇家之密中密,一般的人是碰不到的。
大乘离普光明藏经
书写、受持、读诵,为人解说,可灭无间地狱
《大乘离文字普光明藏经》被认为是一部感召财富非常猛烈的经典,在古代就有过很多古人因受持这部经典而获得财富的记载,而在今时今日据说也有不少人因持诵这部经典而获得巨财。因为据说具有这种世俗利益的强烈感应,所以这部经典在当下十分流行。
正如其名,本经是一部大乘经典,不过普光明藏经在过去并没有如其他大乘经典知名度那么高,相比起心经、金刚经,乃至地藏经、法华经等很多人耳熟能详的经典,普光明藏经可能有不少人连名字都没有听过。
尽管本经可能知名度并不是那么高,但所说内容却实实在在是非常殊胜,而且深入浅出,文字浅显但是说理很深,篇幅不过短短数页,但是佛法的三大内容戒、定、慧都包含在其中了。“非己所安,不加于物”一句话将戒律的核心总结了出来,而后文的“如来觉者无所觉故”等一系列阐述,则将如来的智慧境界直接道出,所说内容与金刚经隐隐然遥相呼应。因为后面还有提到受持经典会得到阿弥陀佛的接引,所以此经历来还被誉为禅净双修,有着极高的评价。
本经虽然据说有很多感应,但是学佛之人最好还是不应该贪著世俗利益,总是寻求感应的话也容易偏离正道。而且读诵经典的重点还是在于领悟佛所讲的道理,在理解之后欢喜奉行,这样才算是受持。
我们自己读诵经典之外,只要诚心转发分享此文,便相当于宣说大乘离文字普光明藏经的功德,于此娑婆国土最后时中,见有其人流通为说,因为你的转发,流通为说,末法时代,但凡有一人看到了,种下善根,乃至受持读诵,你都进入了九十亿菩萨所观察的见有其人流通的善知识之行列,福报便能源源不断,形成良性循环,流通功德无量无边
诚心受持读诵此经一遍,相当于五十万金刚萨埵心咒,供十万曼扎的功德,
藏密那边说这部经的功德完全等同于50万金刚萨埵观修加上3万多遍37堆曼扎功德
“念一遍《大乘离文字普光明藏经》即胜供三万四千遍真金纯银曼扎。”这些高僧大德善根深厚,所言不虚。法王如意宝提到过这部经能成就大圆满。
受持读诵此经,可成就破瓦法、拙火
宋朝元丰年间,有一个叫王圭的孝子。境遇可以说比较悲惨,家里赤贫,没考上科举,父亲过世后连棺材都置办不起,只好卖身为奴,以所得的钱把父亲给埋了。成为别人家的奴仆后,生活也非常悲惨,吃不饱穿不暖睡不好,“日仅拳食”,一天的食物大概就一个拳头那么多,半餐都不够吃。一天,王孝子在外面碰到了ー个饥寒交迫的僧人,王孝子心生怜,便分出了自己一般的食物给了这位僧人。僧人看到王孝子本来食物就极少,却能分出半来给自己,大为感动,便拿出一卷《普光明藏》对王孝子说:“每天持诵,可得大富贵。王孝子于是坚持持诵,后来外出做生意,得连城之富,连城是一片城市的意思,连城之富大概可以理解为在一片城市中不是首富,也是响当当的富翁。果然如僧人所言得了大富贵。
这部经消业和积累福报算是最厉害的了。有些人念这部经都成就了破瓦法,头顶可以插吉祥草,念此经,若出现身体清净,甚至如洗净一般的感觉就表示金刚萨埵修法已经圆满,若梦见金银遍地就表示曼扎供已经圆满,若头顶疼痛就表示破瓦法已经成就。末学曾亲眼见一持诵此经的人头顶可以插草,破瓦法成就。真实不虚。顶礼这些成就的师兄。顶礼《大乘离文字普光明藏经》。若身体温暖而定住了,就是拙火定已经成就。
非有善根福报,难遇此经,非诸众生有少善根而能听受
能听受这部经的人,所谓听受,一是深信不疑的听闻,二是持续深信不疑。如果你做到这样,你就是真实供养于佛,就是分担了如来家业。有人说供佛没时间,要上班,难不难,不难,只要能持续深信这部经就是供养了,就怕你动摇。如来有多大的家业,三千大千世界?还不止啊。
受持这部经即为诸佛菩萨之所护念,生生世世得诸佛灌顶,临终往生净土
这部经,只要你诚心传播,那么接受的众生人人都会得利益,没有一个人例外。
世尊也在经末开始,这部经,为人解说受持读诵,所有业障全部消除!在普贤行愿品里,人的业障于过去无始劫中,由贪嗔痴,发身口意,作诸恶业,无量无边。若此恶业有体相者,尽虚空界不能容受。这样多累生累世的业障,只要书持读诵为人解说,全部都是消除!这是多么不可思议!法会圣众的九十亿菩萨摩诃萨于娑婆国土最后时中,见有人流通为说。
如果有师兄出于自己对佛法的理解,对以上读音有不同的看法,那么完全以你为准,并且欢迎提出你的意见一同讨论。不过对于对读音没什么把握的师兄,则大可放心以上面的读音作为参考。『大乘离文字普光明藏经』https://t.cn/A6ijLEel
[更改富贵层次,快速改命运,突破前生造作命运格局的瓶颈。]
最适合末法众生改命的一部经典,有时福报不够财神来了都帮不了,而此部经典可以
读诵此经,传播此经,对人解说,所有业障消除,可见此经是古代皇家之密中密,一般的人是碰不到的。
大乘离普光明藏经
书写、受持、读诵,为人解说,可灭无间地狱
《大乘离文字普光明藏经》被认为是一部感召财富非常猛烈的经典,在古代就有过很多古人因受持这部经典而获得财富的记载,而在今时今日据说也有不少人因持诵这部经典而获得巨财。因为据说具有这种世俗利益的强烈感应,所以这部经典在当下十分流行。
正如其名,本经是一部大乘经典,不过普光明藏经在过去并没有如其他大乘经典知名度那么高,相比起心经、金刚经,乃至地藏经、法华经等很多人耳熟能详的经典,普光明藏经可能有不少人连名字都没有听过。
尽管本经可能知名度并不是那么高,但所说内容却实实在在是非常殊胜,而且深入浅出,文字浅显但是说理很深,篇幅不过短短数页,但是佛法的三大内容戒、定、慧都包含在其中了。“非己所安,不加于物”一句话将戒律的核心总结了出来,而后文的“如来觉者无所觉故”等一系列阐述,则将如来的智慧境界直接道出,所说内容与金刚经隐隐然遥相呼应。因为后面还有提到受持经典会得到阿弥陀佛的接引,所以此经历来还被誉为禅净双修,有着极高的评价。
本经虽然据说有很多感应,但是学佛之人最好还是不应该贪著世俗利益,总是寻求感应的话也容易偏离正道。而且读诵经典的重点还是在于领悟佛所讲的道理,在理解之后欢喜奉行,这样才算是受持。
我们自己读诵经典之外,只要诚心转发分享此文,便相当于宣说大乘离文字普光明藏经的功德,于此娑婆国土最后时中,见有其人流通为说,因为你的转发,流通为说,末法时代,但凡有一人看到了,种下善根,乃至受持读诵,你都进入了九十亿菩萨所观察的见有其人流通的善知识之行列,福报便能源源不断,形成良性循环,流通功德无量无边
诚心受持读诵此经一遍,相当于五十万金刚萨埵心咒,供十万曼扎的功德,
藏密那边说这部经的功德完全等同于50万金刚萨埵观修加上3万多遍37堆曼扎功德
“念一遍《大乘离文字普光明藏经》即胜供三万四千遍真金纯银曼扎。”这些高僧大德善根深厚,所言不虚。法王如意宝提到过这部经能成就大圆满。
受持读诵此经,可成就破瓦法、拙火
宋朝元丰年间,有一个叫王圭的孝子。境遇可以说比较悲惨,家里赤贫,没考上科举,父亲过世后连棺材都置办不起,只好卖身为奴,以所得的钱把父亲给埋了。成为别人家的奴仆后,生活也非常悲惨,吃不饱穿不暖睡不好,“日仅拳食”,一天的食物大概就一个拳头那么多,半餐都不够吃。一天,王孝子在外面碰到了ー个饥寒交迫的僧人,王孝子心生怜,便分出了自己一般的食物给了这位僧人。僧人看到王孝子本来食物就极少,却能分出半来给自己,大为感动,便拿出一卷《普光明藏》对王孝子说:“每天持诵,可得大富贵。王孝子于是坚持持诵,后来外出做生意,得连城之富,连城是一片城市的意思,连城之富大概可以理解为在一片城市中不是首富,也是响当当的富翁。果然如僧人所言得了大富贵。
这部经消业和积累福报算是最厉害的了。有些人念这部经都成就了破瓦法,头顶可以插吉祥草,念此经,若出现身体清净,甚至如洗净一般的感觉就表示金刚萨埵修法已经圆满,若梦见金银遍地就表示曼扎供已经圆满,若头顶疼痛就表示破瓦法已经成就。末学曾亲眼见一持诵此经的人头顶可以插草,破瓦法成就。真实不虚。顶礼这些成就的师兄。顶礼《大乘离文字普光明藏经》。若身体温暖而定住了,就是拙火定已经成就。
非有善根福报,难遇此经,非诸众生有少善根而能听受
能听受这部经的人,所谓听受,一是深信不疑的听闻,二是持续深信不疑。如果你做到这样,你就是真实供养于佛,就是分担了如来家业。有人说供佛没时间,要上班,难不难,不难,只要能持续深信这部经就是供养了,就怕你动摇。如来有多大的家业,三千大千世界?还不止啊。
受持这部经即为诸佛菩萨之所护念,生生世世得诸佛灌顶,临终往生净土
这部经,只要你诚心传播,那么接受的众生人人都会得利益,没有一个人例外。
世尊也在经末开始,这部经,为人解说受持读诵,所有业障全部消除!在普贤行愿品里,人的业障于过去无始劫中,由贪嗔痴,发身口意,作诸恶业,无量无边。若此恶业有体相者,尽虚空界不能容受。这样多累生累世的业障,只要书持读诵为人解说,全部都是消除!这是多么不可思议!法会圣众的九十亿菩萨摩诃萨于娑婆国土最后时中,见有人流通为说。
如果有师兄出于自己对佛法的理解,对以上读音有不同的看法,那么完全以你为准,并且欢迎提出你的意见一同讨论。不过对于对读音没什么把握的师兄,则大可放心以上面的读音作为参考。『大乘离文字普光明藏经』https://t.cn/A6ijLEel
【interview】
生きていられることが、今は幸せだと感じているーー堂本剛が、自分の歌で伝えたいこと
https://t.cn/A6XMLwcE
5/13(金) 17:45配信
撮影:殿村誠士
「自分で楽曲を作って歌うということ。それは自炊に近い。心も体もすごく楽なんです」
シンガー・ソングライターの活動を始めて20周年、堂本剛は今、もっとも自分らしい状態にあるという。“本当の自分で生きられる喜び”を表現したものが、自分の作る音楽。この思いと行動が誰かの人生の、自分らしさを取り戻す幸せへとつながればうれしい……多忙なアイドル時代を駆け抜け、自身も生きづらさを抱えたからこそ見えてきた境地がある。仕事への矜持、そして死生観。堂本剛を突き動かすものとは。(取材・文:山野井春絵/撮影:殿村誠士/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)
——インスタグラムの使い方を「間違いたい」
およそ1年前から堂本剛が始めたインスタグラムは、はなから不思議なものだった。ポートレートはほぼ同じアングルで、どんどん眉毛が濃くなっていき、最後には額全体がアイブロウで埋め尽くされる。コメントは一言、「どうもジャニーズです」。まるでモダンアートだ。何か強いメッセージ性を帯びているようにも見える。その後も眉毛写真の投稿は続き、ネット上ではさまざまな臆測が飛び交った。
——これについて、本人はこともなげに語る。
「テーマは『インスタの使い方を間違いたい』でした。隙間時間で、他人の眉毛が太くなり、元に戻っていく写真を見るという無駄な時間をご提供することで、『笑い』『勇気』『なんでやねん』が発生すればいいなという、そんな発想です。無駄な時間って幸せだったりしませんか? 個人の日常を羅列するだけではなくて、こんな時代、笑ってほしくて、これ何? 説明して?ってみんなが困惑つっこみするようなものを軸にしました。インスタグラムを、宣伝の空間として使いつつ笑かしにかかっています。事務所の人たちがインスタをやりやすい環境にもつながればと思い、僕はこんな行動をしてみました。」
——「ジャニーズっぽくない」と言われて
「アーティスティック」「生活感がない」「不思議」「自由」……。
こうした堂本剛のイメージは、ジャニーズ事務所において相対的なものとして捉えられることが多い。堂本自身、それをよく理解していた。
「世の中に存在するイメージというものの多くは、第三者が作り上げているものじゃないですか? 僕はそんなことを言っていない、思っていないのに勝手にそうされてしまっている。その人の中では、『言いそう』で、『思ってそう』なんでしょうね。僕の周りにいる人は、僕を理解してくれています。理解するタイミングがない人は、丁寧に想像する前に疲れ、自分の情報の中だけで計算し決めつけた僕という答えを出して終わらせてしまうからか……導き出した答えと現実の僕、それが合わないから『~っぽくない』ということに自然となるんでしょうね」
かつて堂本は、「自由」ではなかった。
デビューしてすぐに大ブレーク。10代の頃は毎日3時間睡眠で、休日は年に3日。分刻みのスケジュールで動き、周囲の求めに応じて表情をつくった。しだいに堂本のメンタルには亀裂が入っていく。多忙な時期の記憶は、ほとんどが失われている。
故ジャニー喜多川の勧めでシンガー・ソングライターとなり、「自分らしく生きる選択」ができるようになったと実感した頃には、30代になっていた。
「最近でこそ、自分らしさが尊重される時代になってきましたけど、今でも自分らしく生きられない人、素直に生きる勇気や場所がない人たちがたくさんいます。世の中は自分らしく生きている人を批判するのではなく、『自分らしく生きる幸せ』を、みんなで優しい心を持って話すだけでいいのにな、と思うんです。優しい心で話しているうちに、人は本当の自分になれるものですから」
「ジャニーズらしさ」は、年々変わっていくもの。こだわることではない。一番大事なのは自分であり、それをファンの人たちにつなげること……堂本がジャニーズに所属し続ける理由は、ここにある。
「柔らかく穏やかに、そういう感覚で僕は生きているからこそ、『ジャニーズっぽくない』カテゴリーに入れられてしまうのかもしれないけど。全てを事務所の許可を得て生きて来ました。事務所に直談判に行くこともあります。たくさんの人を動かすことになるので、一筋縄ではいかないこともある。でも理由や展望を持って話しにいくので、何言ってんの?って弾かれてしまうことはないですね。クリアしていきたいと思っていることはまだまだありますけど。少しずつです。ジャニーズは積極的にSNSに参戦する会社ではなかったけど、それが時代とともに変わってきました。僕が変化してもせずとも、変化していく時代というものがあるので、その時代に反応と順応をしたいと、柔軟に動いているところです」
ジャニーズ事務所では特別な立場にあるように見える堂本だが、単に自由なのではない。それを獲得するために、試行錯誤を続けてきたプロセスがあるのだ。
——人任せにしていたら滞るし、自分で動いたほうが早い
「自分で動く」。インタビューの間、堂本が何度も口にした言葉だ。
アイデアを形にするまでの動きはいつもスピーディーで、さらに二手、三手まで先を見ている。
「こんな世界状況の中でも、お金を出して作品を買ってくださる人がいる。僕が自分らしく仕事をしている姿を、家族や後輩君たちが見てくれている。そう考えたら、素直に動けます。人任せにしていたら滞るし、自分で動いたほうが早い。例えば伝言ゲームで、中継ぎの人が先方に納期を伝える時間が遅れ、作業していただけたはずの時間が減り、締め切りを縮めたり、完成を遅らせてしまったりすることがある。そういう仕事の仕方をする人は多いから、疲れることがあります。作り手、職人の作品に対して必要な時間、作業工程などが、その立場でない人からすると想像してあげられないんでしょうね。だから、直接やりとりすることがほとんどです。相手の心を考えて動くことも、仕事ですから。毎日くたくたですけど」
それでも音楽を作ることは、この上なく楽しい。仕事のスピード感を大切にしているのも、生まれたばかりのアイディアを、新鮮なうちに楽曲として閉じ込めたいとの思いからだ。
「極端にいえば、今このインタビュー中でも曲がひらめいたら、PCを開いてキーボードで打ち込みたくなる、というくらい、アイデアの鮮度を大切にしています」
頭の中で鳴る音楽を可視化し、音符に換えていく。音色を探して、演奏し、形作っていく。予想外に生まれるノイズやバグが、ドラマチックな音につながることがある。
「こういう一連の作業は、生きているからこそできることで、魂になったら、想像を形にすることもできなくなるんです。だから音楽を作ることは、命あることに感謝することでもあるんです。ただ、作品が出来上がって、リリースをするまでには時間がずいぶんと経過するので、リリース時にはもう自分が違うステージに行っていることがほとんど。だから、きょう曲を作ったら1週間後ぐらいにリリースする、そんな時代がくればいいのになって、思ったりもします。メッセージを強く込めた作品は、時代が流れている分、タイミングもクリエーティブの一部なんです」
ラブソングよりも、命や愛を歌いたい。
これは自身が心に傷を負い、パニック障害や突発性難聴に苦しんだ経験から、強く意識するようになったことだ。
「世の中の人々が、理由を持ってたどり着いた傷とか痛みに寄り添う歌詞、メロディー。その役目を持つ楽曲にあの頃の僕は救われ、もう一度生きようという気持ちにまで立ち戻れました。だから自分が作る音楽も、そういう役目でありたい。ジャニーズっぽくないと言われてもいいんです。もっとラブソングのほうが売れるよとか、うん、わかってるけど、ジャニーズにもいろんな歌が存在していいし、自分で作る音楽に、自分ではない歌声を選択することは、しない。限界の中で命を諦めようとしている人を救える音楽を作りたいって、僕は本気で思っているんです。自分と同じ経験をしている人を思いながら書いています。そんな中で少し変わったことは、世界的な問題が起き、みんなが同じ傷や痛みを共有する今、ポジティブな曲を書くようにもなりました。これまで使ってこなかったような、明るい言葉を綴ったりしながら」
——シンガー・ソングライターを続けることは、ジャニーさんの思いを持続させること
10代は、毎日、命が苦しいと思って生きていた。
「いろんな人に助けていただいて、もう一度生きよう、そう思わせてもらえたから僕は生きているんです。その人たちがいなかったら、今この世に僕はいません。当時は変人扱いされたけれど、でも、人は、傷つけば死にたいと思ってしまうものです。そんな人が世の中にはたくさんいること、それをみんなで理解して生きるべきだと、僕は思う。生きたいのに、生きられない人もいるんですよ」
ジャニーズだから、命や愛をテーマにした重い歌を歌ってはいけない? それは違う、と堂本は首を振る。
「ポップな曲はたくさんの人の心を幸せにする。それも理解はしています。命と愛が重たいと言うのなら、人は重たい存在となってしまいます。僕らは愛の果てに生まれた命なのに。重たいと認識してしまうのは悲しいし不思議です。だから、人が理由あってたどり着いた涙や傷に寄り添った曲も、たくさんの人の心を幸せにすると、本気で僕は思っています。死にたいと思わされてしまった経験がない人からは理解されづらいんですけど。僕自身がそう思った過去が悲しくもありました。でも、生きていられることが、今は幸せだと感じていることを、歌を通してあの頃の自分にも、同じように過ごす人たちにも伝えたい。一人で音楽を作る時は、その心を生きたいと思うし、提供したいと思っています」
ジャニーズ事務所には、ほかに“シンガー・ソングライター”として立っている者はいない。
「ジャニーさんに声をかけてもらって、この会社に入り、またジャニーさんからの提案を受けてシンガー・ソングライターになった。形がないゼロの状態から始まり、1にすること。そして、1から2……10へとつなげていくのは生半可な思いでいたら不可能なことですからね」
「そして、いまだやっているのが僕だけだからそれはそれは大変なことも多いけど、ある程度の分かりきった答えに向かうのもつまらないし、続けてこられたのはそれを楽しんできているからです。続けることは、ジャニーさんの思いを持続させることにもなると思っています。今はジャニーズの中で、音楽家のエリアは大きくないですけど、ここを整理整頓する位置にいられたらいいなとは思ってます。後輩君たちにも歌いたい歌があるだろうし、一人ひとりの歌唱スキルを把握して、声の魅力を引き出してもあげたいし、そういうディレクションまでを、本当はやってあげたいですね」
才能のある人たちを、解き放ってあげたい。堂本はまっすぐにそう語った。
今年はシンガー・ソングライターとして、デビュー20周年。ENDRECHERIとして精力的に楽曲をリリース、夏フェスへの参加も決まった。GYAOでの新番組「つよしP」を始動し、ZOZOとのファッションデザインやLINE VOOMなど、さまざまな企画を展開する。
「『決めつけ』るのではなく、素直に発想を出すこと、変で、妙で、面白くて、独創的なモノをたくさん作り、それらをいろんなコンテンツを通して表現する一度きりの僕の人生でありたい。そして『本当の自分を生きることの幸せ』が伝染していくといいなと思っています。僕の心が、『決めつけ』で苦しんで生きている人たちの心に届いて、自分らしく生きてみようという笑顔を与えられたなら、とても幸せだなって思います」
生きていられることが、今は幸せだと感じているーー堂本剛が、自分の歌で伝えたいこと
https://t.cn/A6XMLwcE
5/13(金) 17:45配信
撮影:殿村誠士
「自分で楽曲を作って歌うということ。それは自炊に近い。心も体もすごく楽なんです」
シンガー・ソングライターの活動を始めて20周年、堂本剛は今、もっとも自分らしい状態にあるという。“本当の自分で生きられる喜び”を表現したものが、自分の作る音楽。この思いと行動が誰かの人生の、自分らしさを取り戻す幸せへとつながればうれしい……多忙なアイドル時代を駆け抜け、自身も生きづらさを抱えたからこそ見えてきた境地がある。仕事への矜持、そして死生観。堂本剛を突き動かすものとは。(取材・文:山野井春絵/撮影:殿村誠士/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)
——インスタグラムの使い方を「間違いたい」
およそ1年前から堂本剛が始めたインスタグラムは、はなから不思議なものだった。ポートレートはほぼ同じアングルで、どんどん眉毛が濃くなっていき、最後には額全体がアイブロウで埋め尽くされる。コメントは一言、「どうもジャニーズです」。まるでモダンアートだ。何か強いメッセージ性を帯びているようにも見える。その後も眉毛写真の投稿は続き、ネット上ではさまざまな臆測が飛び交った。
——これについて、本人はこともなげに語る。
「テーマは『インスタの使い方を間違いたい』でした。隙間時間で、他人の眉毛が太くなり、元に戻っていく写真を見るという無駄な時間をご提供することで、『笑い』『勇気』『なんでやねん』が発生すればいいなという、そんな発想です。無駄な時間って幸せだったりしませんか? 個人の日常を羅列するだけではなくて、こんな時代、笑ってほしくて、これ何? 説明して?ってみんなが困惑つっこみするようなものを軸にしました。インスタグラムを、宣伝の空間として使いつつ笑かしにかかっています。事務所の人たちがインスタをやりやすい環境にもつながればと思い、僕はこんな行動をしてみました。」
——「ジャニーズっぽくない」と言われて
「アーティスティック」「生活感がない」「不思議」「自由」……。
こうした堂本剛のイメージは、ジャニーズ事務所において相対的なものとして捉えられることが多い。堂本自身、それをよく理解していた。
「世の中に存在するイメージというものの多くは、第三者が作り上げているものじゃないですか? 僕はそんなことを言っていない、思っていないのに勝手にそうされてしまっている。その人の中では、『言いそう』で、『思ってそう』なんでしょうね。僕の周りにいる人は、僕を理解してくれています。理解するタイミングがない人は、丁寧に想像する前に疲れ、自分の情報の中だけで計算し決めつけた僕という答えを出して終わらせてしまうからか……導き出した答えと現実の僕、それが合わないから『~っぽくない』ということに自然となるんでしょうね」
かつて堂本は、「自由」ではなかった。
デビューしてすぐに大ブレーク。10代の頃は毎日3時間睡眠で、休日は年に3日。分刻みのスケジュールで動き、周囲の求めに応じて表情をつくった。しだいに堂本のメンタルには亀裂が入っていく。多忙な時期の記憶は、ほとんどが失われている。
故ジャニー喜多川の勧めでシンガー・ソングライターとなり、「自分らしく生きる選択」ができるようになったと実感した頃には、30代になっていた。
「最近でこそ、自分らしさが尊重される時代になってきましたけど、今でも自分らしく生きられない人、素直に生きる勇気や場所がない人たちがたくさんいます。世の中は自分らしく生きている人を批判するのではなく、『自分らしく生きる幸せ』を、みんなで優しい心を持って話すだけでいいのにな、と思うんです。優しい心で話しているうちに、人は本当の自分になれるものですから」
「ジャニーズらしさ」は、年々変わっていくもの。こだわることではない。一番大事なのは自分であり、それをファンの人たちにつなげること……堂本がジャニーズに所属し続ける理由は、ここにある。
「柔らかく穏やかに、そういう感覚で僕は生きているからこそ、『ジャニーズっぽくない』カテゴリーに入れられてしまうのかもしれないけど。全てを事務所の許可を得て生きて来ました。事務所に直談判に行くこともあります。たくさんの人を動かすことになるので、一筋縄ではいかないこともある。でも理由や展望を持って話しにいくので、何言ってんの?って弾かれてしまうことはないですね。クリアしていきたいと思っていることはまだまだありますけど。少しずつです。ジャニーズは積極的にSNSに参戦する会社ではなかったけど、それが時代とともに変わってきました。僕が変化してもせずとも、変化していく時代というものがあるので、その時代に反応と順応をしたいと、柔軟に動いているところです」
ジャニーズ事務所では特別な立場にあるように見える堂本だが、単に自由なのではない。それを獲得するために、試行錯誤を続けてきたプロセスがあるのだ。
——人任せにしていたら滞るし、自分で動いたほうが早い
「自分で動く」。インタビューの間、堂本が何度も口にした言葉だ。
アイデアを形にするまでの動きはいつもスピーディーで、さらに二手、三手まで先を見ている。
「こんな世界状況の中でも、お金を出して作品を買ってくださる人がいる。僕が自分らしく仕事をしている姿を、家族や後輩君たちが見てくれている。そう考えたら、素直に動けます。人任せにしていたら滞るし、自分で動いたほうが早い。例えば伝言ゲームで、中継ぎの人が先方に納期を伝える時間が遅れ、作業していただけたはずの時間が減り、締め切りを縮めたり、完成を遅らせてしまったりすることがある。そういう仕事の仕方をする人は多いから、疲れることがあります。作り手、職人の作品に対して必要な時間、作業工程などが、その立場でない人からすると想像してあげられないんでしょうね。だから、直接やりとりすることがほとんどです。相手の心を考えて動くことも、仕事ですから。毎日くたくたですけど」
それでも音楽を作ることは、この上なく楽しい。仕事のスピード感を大切にしているのも、生まれたばかりのアイディアを、新鮮なうちに楽曲として閉じ込めたいとの思いからだ。
「極端にいえば、今このインタビュー中でも曲がひらめいたら、PCを開いてキーボードで打ち込みたくなる、というくらい、アイデアの鮮度を大切にしています」
頭の中で鳴る音楽を可視化し、音符に換えていく。音色を探して、演奏し、形作っていく。予想外に生まれるノイズやバグが、ドラマチックな音につながることがある。
「こういう一連の作業は、生きているからこそできることで、魂になったら、想像を形にすることもできなくなるんです。だから音楽を作ることは、命あることに感謝することでもあるんです。ただ、作品が出来上がって、リリースをするまでには時間がずいぶんと経過するので、リリース時にはもう自分が違うステージに行っていることがほとんど。だから、きょう曲を作ったら1週間後ぐらいにリリースする、そんな時代がくればいいのになって、思ったりもします。メッセージを強く込めた作品は、時代が流れている分、タイミングもクリエーティブの一部なんです」
ラブソングよりも、命や愛を歌いたい。
これは自身が心に傷を負い、パニック障害や突発性難聴に苦しんだ経験から、強く意識するようになったことだ。
「世の中の人々が、理由を持ってたどり着いた傷とか痛みに寄り添う歌詞、メロディー。その役目を持つ楽曲にあの頃の僕は救われ、もう一度生きようという気持ちにまで立ち戻れました。だから自分が作る音楽も、そういう役目でありたい。ジャニーズっぽくないと言われてもいいんです。もっとラブソングのほうが売れるよとか、うん、わかってるけど、ジャニーズにもいろんな歌が存在していいし、自分で作る音楽に、自分ではない歌声を選択することは、しない。限界の中で命を諦めようとしている人を救える音楽を作りたいって、僕は本気で思っているんです。自分と同じ経験をしている人を思いながら書いています。そんな中で少し変わったことは、世界的な問題が起き、みんなが同じ傷や痛みを共有する今、ポジティブな曲を書くようにもなりました。これまで使ってこなかったような、明るい言葉を綴ったりしながら」
——シンガー・ソングライターを続けることは、ジャニーさんの思いを持続させること
10代は、毎日、命が苦しいと思って生きていた。
「いろんな人に助けていただいて、もう一度生きよう、そう思わせてもらえたから僕は生きているんです。その人たちがいなかったら、今この世に僕はいません。当時は変人扱いされたけれど、でも、人は、傷つけば死にたいと思ってしまうものです。そんな人が世の中にはたくさんいること、それをみんなで理解して生きるべきだと、僕は思う。生きたいのに、生きられない人もいるんですよ」
ジャニーズだから、命や愛をテーマにした重い歌を歌ってはいけない? それは違う、と堂本は首を振る。
「ポップな曲はたくさんの人の心を幸せにする。それも理解はしています。命と愛が重たいと言うのなら、人は重たい存在となってしまいます。僕らは愛の果てに生まれた命なのに。重たいと認識してしまうのは悲しいし不思議です。だから、人が理由あってたどり着いた涙や傷に寄り添った曲も、たくさんの人の心を幸せにすると、本気で僕は思っています。死にたいと思わされてしまった経験がない人からは理解されづらいんですけど。僕自身がそう思った過去が悲しくもありました。でも、生きていられることが、今は幸せだと感じていることを、歌を通してあの頃の自分にも、同じように過ごす人たちにも伝えたい。一人で音楽を作る時は、その心を生きたいと思うし、提供したいと思っています」
ジャニーズ事務所には、ほかに“シンガー・ソングライター”として立っている者はいない。
「ジャニーさんに声をかけてもらって、この会社に入り、またジャニーさんからの提案を受けてシンガー・ソングライターになった。形がないゼロの状態から始まり、1にすること。そして、1から2……10へとつなげていくのは生半可な思いでいたら不可能なことですからね」
「そして、いまだやっているのが僕だけだからそれはそれは大変なことも多いけど、ある程度の分かりきった答えに向かうのもつまらないし、続けてこられたのはそれを楽しんできているからです。続けることは、ジャニーさんの思いを持続させることにもなると思っています。今はジャニーズの中で、音楽家のエリアは大きくないですけど、ここを整理整頓する位置にいられたらいいなとは思ってます。後輩君たちにも歌いたい歌があるだろうし、一人ひとりの歌唱スキルを把握して、声の魅力を引き出してもあげたいし、そういうディレクションまでを、本当はやってあげたいですね」
才能のある人たちを、解き放ってあげたい。堂本はまっすぐにそう語った。
今年はシンガー・ソングライターとして、デビュー20周年。ENDRECHERIとして精力的に楽曲をリリース、夏フェスへの参加も決まった。GYAOでの新番組「つよしP」を始動し、ZOZOとのファッションデザインやLINE VOOMなど、さまざまな企画を展開する。
「『決めつけ』るのではなく、素直に発想を出すこと、変で、妙で、面白くて、独創的なモノをたくさん作り、それらをいろんなコンテンツを通して表現する一度きりの僕の人生でありたい。そして『本当の自分を生きることの幸せ』が伝染していくといいなと思っています。僕の心が、『決めつけ』で苦しんで生きている人たちの心に届いて、自分らしく生きてみようという笑顔を与えられたなら、とても幸せだなって思います」
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