【わたし達はおとな】
“自分”の範疇を超えていく――木竜麻生&藤原季節に訪れた、カメラの存在を完全に忘れた瞬間
――本作には、どのような経緯で参加することになったのでしょうか? 木竜さんは、加藤監督とは初タッグとなりました。
木竜:送られてきた脚本を読ませていただき、すぐにマネージャーさんと話したんです。「(脚本が)面白い。この作品はやろう」と。脚本は、最初から最後まで面白いと、純粋に感じましたし「2人(=優実と直哉)の事を見てみたい」と思いました。
――藤原さんは、加藤監督が演出した舞台「まゆをひそめて、僕を笑って」(2017)、「貴方なら生き残れるわ」(18)、「誰にも知られず死ぬ朝」(20)、「ぽに」(21)に出演されていますよね。
藤原:加藤さんとは付き合いが長いですね。「わたし達はおとな」に関しては、舞台の本番と重なっていて、元々出演することができなかったんです。「主人公は木竜さんに決まった」と加藤さんから報告を受けて「おめでとうございます。あとは相手役だけですね」と励ます立場だったんですが……参加するはずだった舞台が、コロナの影響で中止になったんです。それで加藤さんから声をかけていただき、すぐに脚本を読みました。
――どのように感じられましたか?
藤原:直哉を演じられるのは「僕しかいないな」と思いましたね(笑)。
一同:爆笑
藤原:脚本が本当に面白かった。「『面白い』。しかし、こんなことを言ってしまってもいいのだろうか」と感じる面白さがありましたね。二つ返事で出演が決まりました。
――では、クランクイン前に準備をしていたことはありますか?
藤原:加藤さんがリハーサルの機会を用意してくれて、何度も何度も繰り返していました。本作はラストに向かって、優実と積み上げていくものが必要になります。それには、役を演じる本人同士のコミュニケーションも大切です。なので、リハーサルの最中には、木竜さんと頻繁にコミュニケーションをとっていました。そういう時間は、加藤さんが用意してくれたんです。
木竜:今回の現場には、加藤監督と普段から仕事をしている方々が何人もいらっしゃったんです。リハーサルでは、共通言語を作る時間もとっていただけましたし、皆さんの作る“空気”に巻き込んでもらいながらセッションさせていただいた、という感じでした。
藤原:このリハーサルには、カメラも入っていたんです。まずは芝居の中で、僕たちが動きを作っていく。その後“カメラを何処に置けば、必要最低限のカットで、優実の表情の変化を撮れるのか”という点を、加藤さんたちが計算しながら探っていく。その一方で、僕らは芝居の精度を高める。スタッフと俳優のリハーサルが同時に行われているような感じだったんです。
――このリハーサルは、かなり重要な機会だったんですね。ちなみに、おふたりは初共演ですよね?
木竜:はい。でも、共通の友達がいるので、お互いの事を知ってはいたんです。
――“顔見知り”ではあったわけですね。では、今回の共演を通じて感じた「俳優・藤原季節」について教えていただけますか?
木竜:お芝居をすることに対して、何よりもまっすぐで強い。そんな印象を受けました。こんなにも芝居に対して夢中になれるのか……そんな風に感じてしまう方です。それは今回、実際に共演してみて強く思ったこと。「私も頑張らないと」「負けたくないな」という思いと、「でも、敵わないんだろうな」という考えが同時によぎってしまう俳優さんだと思っています。
――藤原さんは、いかがでしょうか?
藤原:木竜さんの出演作はほとんど見ています。ガラスのハートのように繊細なものを持ちながらも、それを突き抜ける“俳優としての強度”があるんです。同世代だと他に例がない。そうでなければ「菊とギロチン」のヒロインなんてできませんよ。
木竜:この事、いつも言ってくれるんですよ(笑)。
藤原:いやいや、誰にでもできる事じゃないから。“強度のある俳優”だということは、周知の事実だと思っています。
――では、加藤監督とのやりとりに話を転じましょう。木竜さんは、どのような対話を経て、優実の人物像を作り上げていきましたか?
木竜:リハーサルの最初から最後まで言われていたのは「今回は、どれだけ隠せるかが大切」ということです。心の中で思っている事、感情の動き、言いたい事、言えない事、言いたくはない事……これらをどれだけ隠せるのか。現場では、それらについて「出過ぎかな」「もう少しだけ出そう」と微調整を行ってもらったり、丁寧に強弱をつけていただいていました。もうひとつ言われていたのは「今回は暮らしを撮る。生活のある映画になる」ということ。この指針は、自分の中に持ち続けていたと思います。
――藤原さんは、前述の通り、加藤監督とは何度もご一緒されていますよね。加藤監督の魅力は、どのような点に表れていると思いますか?
藤原:“変化し続ける男”といえばいいんでしょうか……作品のカラーが、毎回異なる。そこがすごいですよね。でも、共通していることもあります。「善、悪」「好き、嫌い」「付き合う、付き合わない」「結婚する、結婚しない」という形では白黒がつけられない、“名前がつく前の曖昧な部分”を表現し続けているんだなと思っています。
――「映画の現場」だからこそ感じられた面白みはありましたか?
藤原:ワンカット・長回しを多用しているので、そういう意味では演劇に近いんです。演劇は“再現”をしないといけないので「感情をどこで出すか」という点は、稽古の時点で決まっていきます。「わたし達はおとな」のラストシーンは、ワンカット1発勝負をかけたところなんです。舞台上での“ライブ感”をそのまま生かした、たった1回のチャンス。俳優から何が出てくるのかは、誰もわからない。ここで感じた緊張感というのは、演劇の時よりも上だったかもしれません。どんなに良い芝居が撮れたとしても、例えば救急車の音が入ってしまったら、NGになってしまいますから。木竜さんの演技を見ているうちに「このワンカットで決まる。これは最後までいかないと、撮り直しがきかない」と感じたんです。だからこそ、ラストシーンは“目撃”してほしいんです。
――木竜さんの芝居を見て「ワンカットで決まる」と感じられた。それは、どのようなタイミングだったのでしょうか?
藤原:「わたし達はおとな」は、優実の物語なんです。優実が目的地まで運ばれるために、直哉と加藤さんという存在がいる。僕たちはラストシーンに勝負をかけていましたが、最後に戦うのは木竜さんひとり。最終的には、サポートできる部分が無くなっていくんです。カメラが回ってしまえば、任せるしかない。その時、木竜さんがしっかりと自分の足で立ち、優実になりきっている姿を見ました。それは木竜さんの範疇を超えているというか……。僕が演じている直哉も、僕の範疇から抜け出していく。次第に、優実と直哉の物語になる。木竜さんと僕はどこかに行ってしまった――そういう瞬間が、本番中にあったんです。
木竜:仰っていることが、とてもよくわかります。時間の感覚がない感じというか……。時間が止まっているわけでもなく、進んでいるわけでもないんです。
藤原:カメラの存在を、完全に忘れていますから。
木竜:そう、忘れていました! 映像を見返してみると、信じられない間(ま)ができていたり。でも、そんな間(ま)を作ろうという意識はなかったんです。初号試写を見た時に感じたのですが、自分の知らない声や顔がたくさんありました。(全編に)そういう自分がちらばっていて、少し変な感じだったんです。物語の後半になればなるほど、優実は直哉に思いの丈をぶつけていきます。藤原さんには、それを全部受け止めてもらいましたし、加藤組の皆さんの“芝居中の見守り方”も素晴らしかったんです。委ねることができた自分が、そこにいた――そう思えたのは、とても幸せな事でした。
藤原:芝居をする上では、全てが整っていた現場だったと思います。穏やかで、完璧でした。
――では、最後の質問とさせていただきます。「わたし達はおとな」というタイトルは“ヤングアダルトの時期”の象徴として付けられています。このタイトルは、改めて「おとな(=大人)」について考えるきっかけになりました。「おとなは『私はおとなだ』とは言わないのかもしれない」「『自分はおとなだ』と発言しなくなった頃から、本当の意味でおとなになるのではないか……?」等々。お二人にとって“おとなになる”とは、どういうことだと思いますか?
藤原:「おとな」と「こども」。自分の中には、その両方が存在しているんです。「おとな」の部分は、自分自身のことで悩まなくなったこと。僕はそんな「おとな」を嫌っていたんです。でも、そうやって嫌っていた存在に、きちんとなりつつある。それと同時に、自分はまだまだ「こども」なんだろうなと思うこともある。具体例を出すとなると、すぐには思いつきませんが……。役者という職業は、結局、現実逃避の延長線上にあると思っているんです。これしかできないという時点で、永遠に「こども」のままなのかもしれない。この感覚を失ってしまうと、ただのふざけた「おとな」になってしまうんです。映画に対する憧れ、純粋な気持ちを失うと、毎回毎回同じような芝居を繰り返し、それで満足するようになってしまう。それは全く“楽しくない”こと。表現というものには、きちんと向き合っていきたいんです。
木竜:わかりやすい点でいうと、頼る人の数が減ったのかなと思います。以前までは、幅広い関係性の中で甘えたり、頼ったりしていたと思うんです。でも、自分でしっかりと考えて、頼ってもいいと思える人を選択するようになりました。この変化が「おとな」になったのかなと思うんです。でも、誰かに頼ったり、甘えたりする自分を許容している部分は、まだまだ「こども」だなと思います。藤原さんが仰った「自分のことで悩まない」という点、私は「おとな」だなと感じました。私は、どうしても自分にベクトルが向きやすいタイプなので……。自分自身の「こども」の部分、そこもそうなのかなと思いました。
“自分”の範疇を超えていく――木竜麻生&藤原季節に訪れた、カメラの存在を完全に忘れた瞬間
――本作には、どのような経緯で参加することになったのでしょうか? 木竜さんは、加藤監督とは初タッグとなりました。
木竜:送られてきた脚本を読ませていただき、すぐにマネージャーさんと話したんです。「(脚本が)面白い。この作品はやろう」と。脚本は、最初から最後まで面白いと、純粋に感じましたし「2人(=優実と直哉)の事を見てみたい」と思いました。
――藤原さんは、加藤監督が演出した舞台「まゆをひそめて、僕を笑って」(2017)、「貴方なら生き残れるわ」(18)、「誰にも知られず死ぬ朝」(20)、「ぽに」(21)に出演されていますよね。
藤原:加藤さんとは付き合いが長いですね。「わたし達はおとな」に関しては、舞台の本番と重なっていて、元々出演することができなかったんです。「主人公は木竜さんに決まった」と加藤さんから報告を受けて「おめでとうございます。あとは相手役だけですね」と励ます立場だったんですが……参加するはずだった舞台が、コロナの影響で中止になったんです。それで加藤さんから声をかけていただき、すぐに脚本を読みました。
――どのように感じられましたか?
藤原:直哉を演じられるのは「僕しかいないな」と思いましたね(笑)。
一同:爆笑
藤原:脚本が本当に面白かった。「『面白い』。しかし、こんなことを言ってしまってもいいのだろうか」と感じる面白さがありましたね。二つ返事で出演が決まりました。
――では、クランクイン前に準備をしていたことはありますか?
藤原:加藤さんがリハーサルの機会を用意してくれて、何度も何度も繰り返していました。本作はラストに向かって、優実と積み上げていくものが必要になります。それには、役を演じる本人同士のコミュニケーションも大切です。なので、リハーサルの最中には、木竜さんと頻繁にコミュニケーションをとっていました。そういう時間は、加藤さんが用意してくれたんです。
木竜:今回の現場には、加藤監督と普段から仕事をしている方々が何人もいらっしゃったんです。リハーサルでは、共通言語を作る時間もとっていただけましたし、皆さんの作る“空気”に巻き込んでもらいながらセッションさせていただいた、という感じでした。
藤原:このリハーサルには、カメラも入っていたんです。まずは芝居の中で、僕たちが動きを作っていく。その後“カメラを何処に置けば、必要最低限のカットで、優実の表情の変化を撮れるのか”という点を、加藤さんたちが計算しながら探っていく。その一方で、僕らは芝居の精度を高める。スタッフと俳優のリハーサルが同時に行われているような感じだったんです。
――このリハーサルは、かなり重要な機会だったんですね。ちなみに、おふたりは初共演ですよね?
木竜:はい。でも、共通の友達がいるので、お互いの事を知ってはいたんです。
――“顔見知り”ではあったわけですね。では、今回の共演を通じて感じた「俳優・藤原季節」について教えていただけますか?
木竜:お芝居をすることに対して、何よりもまっすぐで強い。そんな印象を受けました。こんなにも芝居に対して夢中になれるのか……そんな風に感じてしまう方です。それは今回、実際に共演してみて強く思ったこと。「私も頑張らないと」「負けたくないな」という思いと、「でも、敵わないんだろうな」という考えが同時によぎってしまう俳優さんだと思っています。
――藤原さんは、いかがでしょうか?
藤原:木竜さんの出演作はほとんど見ています。ガラスのハートのように繊細なものを持ちながらも、それを突き抜ける“俳優としての強度”があるんです。同世代だと他に例がない。そうでなければ「菊とギロチン」のヒロインなんてできませんよ。
木竜:この事、いつも言ってくれるんですよ(笑)。
藤原:いやいや、誰にでもできる事じゃないから。“強度のある俳優”だということは、周知の事実だと思っています。
――では、加藤監督とのやりとりに話を転じましょう。木竜さんは、どのような対話を経て、優実の人物像を作り上げていきましたか?
木竜:リハーサルの最初から最後まで言われていたのは「今回は、どれだけ隠せるかが大切」ということです。心の中で思っている事、感情の動き、言いたい事、言えない事、言いたくはない事……これらをどれだけ隠せるのか。現場では、それらについて「出過ぎかな」「もう少しだけ出そう」と微調整を行ってもらったり、丁寧に強弱をつけていただいていました。もうひとつ言われていたのは「今回は暮らしを撮る。生活のある映画になる」ということ。この指針は、自分の中に持ち続けていたと思います。
――藤原さんは、前述の通り、加藤監督とは何度もご一緒されていますよね。加藤監督の魅力は、どのような点に表れていると思いますか?
藤原:“変化し続ける男”といえばいいんでしょうか……作品のカラーが、毎回異なる。そこがすごいですよね。でも、共通していることもあります。「善、悪」「好き、嫌い」「付き合う、付き合わない」「結婚する、結婚しない」という形では白黒がつけられない、“名前がつく前の曖昧な部分”を表現し続けているんだなと思っています。
――「映画の現場」だからこそ感じられた面白みはありましたか?
藤原:ワンカット・長回しを多用しているので、そういう意味では演劇に近いんです。演劇は“再現”をしないといけないので「感情をどこで出すか」という点は、稽古の時点で決まっていきます。「わたし達はおとな」のラストシーンは、ワンカット1発勝負をかけたところなんです。舞台上での“ライブ感”をそのまま生かした、たった1回のチャンス。俳優から何が出てくるのかは、誰もわからない。ここで感じた緊張感というのは、演劇の時よりも上だったかもしれません。どんなに良い芝居が撮れたとしても、例えば救急車の音が入ってしまったら、NGになってしまいますから。木竜さんの演技を見ているうちに「このワンカットで決まる。これは最後までいかないと、撮り直しがきかない」と感じたんです。だからこそ、ラストシーンは“目撃”してほしいんです。
――木竜さんの芝居を見て「ワンカットで決まる」と感じられた。それは、どのようなタイミングだったのでしょうか?
藤原:「わたし達はおとな」は、優実の物語なんです。優実が目的地まで運ばれるために、直哉と加藤さんという存在がいる。僕たちはラストシーンに勝負をかけていましたが、最後に戦うのは木竜さんひとり。最終的には、サポートできる部分が無くなっていくんです。カメラが回ってしまえば、任せるしかない。その時、木竜さんがしっかりと自分の足で立ち、優実になりきっている姿を見ました。それは木竜さんの範疇を超えているというか……。僕が演じている直哉も、僕の範疇から抜け出していく。次第に、優実と直哉の物語になる。木竜さんと僕はどこかに行ってしまった――そういう瞬間が、本番中にあったんです。
木竜:仰っていることが、とてもよくわかります。時間の感覚がない感じというか……。時間が止まっているわけでもなく、進んでいるわけでもないんです。
藤原:カメラの存在を、完全に忘れていますから。
木竜:そう、忘れていました! 映像を見返してみると、信じられない間(ま)ができていたり。でも、そんな間(ま)を作ろうという意識はなかったんです。初号試写を見た時に感じたのですが、自分の知らない声や顔がたくさんありました。(全編に)そういう自分がちらばっていて、少し変な感じだったんです。物語の後半になればなるほど、優実は直哉に思いの丈をぶつけていきます。藤原さんには、それを全部受け止めてもらいましたし、加藤組の皆さんの“芝居中の見守り方”も素晴らしかったんです。委ねることができた自分が、そこにいた――そう思えたのは、とても幸せな事でした。
藤原:芝居をする上では、全てが整っていた現場だったと思います。穏やかで、完璧でした。
――では、最後の質問とさせていただきます。「わたし達はおとな」というタイトルは“ヤングアダルトの時期”の象徴として付けられています。このタイトルは、改めて「おとな(=大人)」について考えるきっかけになりました。「おとなは『私はおとなだ』とは言わないのかもしれない」「『自分はおとなだ』と発言しなくなった頃から、本当の意味でおとなになるのではないか……?」等々。お二人にとって“おとなになる”とは、どういうことだと思いますか?
藤原:「おとな」と「こども」。自分の中には、その両方が存在しているんです。「おとな」の部分は、自分自身のことで悩まなくなったこと。僕はそんな「おとな」を嫌っていたんです。でも、そうやって嫌っていた存在に、きちんとなりつつある。それと同時に、自分はまだまだ「こども」なんだろうなと思うこともある。具体例を出すとなると、すぐには思いつきませんが……。役者という職業は、結局、現実逃避の延長線上にあると思っているんです。これしかできないという時点で、永遠に「こども」のままなのかもしれない。この感覚を失ってしまうと、ただのふざけた「おとな」になってしまうんです。映画に対する憧れ、純粋な気持ちを失うと、毎回毎回同じような芝居を繰り返し、それで満足するようになってしまう。それは全く“楽しくない”こと。表現というものには、きちんと向き合っていきたいんです。
木竜:わかりやすい点でいうと、頼る人の数が減ったのかなと思います。以前までは、幅広い関係性の中で甘えたり、頼ったりしていたと思うんです。でも、自分でしっかりと考えて、頼ってもいいと思える人を選択するようになりました。この変化が「おとな」になったのかなと思うんです。でも、誰かに頼ったり、甘えたりする自分を許容している部分は、まだまだ「こども」だなと思います。藤原さんが仰った「自分のことで悩まない」という点、私は「おとな」だなと感じました。私は、どうしても自分にベクトルが向きやすいタイプなので……。自分自身の「こども」の部分、そこもそうなのかなと思いました。
#党代表风采##中国共产党四川省第十二次代表大会# 【省第十二次党代会代表,广安市公安局经开区分局党委副书记、政治委员陈界安:投身警界16年,做好人民守护者】【人物名片】
陈界安,现任广安市公安局经开区分局党委副书记、政治委员,2006年加入中国共产党。2021年6月,荣获“全国优秀共产党员”荣誉称号;2022年1月,被评选为全国政法机关“双百政法英模”。
【人物故事】
“这个案件后续怎么样了?村民返还款有多少已经到位了?”5月25日下午,身在成都的陈界安心系局里工作,趁着空隙打电话询问前段时间破获的农村盗窃案相关情况。
今年38岁的陈界安,从警16年来始终战斗在维护一方平安、打击犯罪的最前沿,他曾办理四川首起跨国电信诈骗案,成为远近闻名的“反诈专家”,组织参与侦破各类案件上百起。
心中有正义 维护一方平安
2007年,陈界安从警院毕业,考入华蓥市公安局,成为一名社区民警。初出茅庐的他,工作十分积极。当辖区内发生了一起恶性案件后,他主动请缨参与办案,通过化装侦察一举将犯罪嫌疑人抓捕归案。初战告捷的陈界安,随后成为一名案侦民警。
在基层派出所摸爬滚打两年后,2009年,陈界安被遴选到广安市公安局工作。此时,随着社会的快速发展,网络犯罪也在滋生。2012年,组织安排陈界安到网安支队工作。
面对全新的领域,陈界安倍感压力,为了熟悉现场情况,他曾半个月跑遍了广安城区各小区、楼栋,成了名副其实的“活地图”。凭着踏实肯干和一股韧劲,他化身行家里手,成长为案侦大队大队长。
“有群众被骗走了105万元!”2017年3月5日,一位基层民警前来求助。受害人的眼泪和工作的使命,给了陈界安“追凶到底”的决心。经过一个月的艰苦侦查,陈界安和同事查明,这是一起跨国通讯诈骗案。
在公安部、省公安厅的大力支持下,陈界安和同事前往国外开展侦查,由于身处异国他乡,办案诸多不便以及对方十分凶恶,陈界安一行先后遭遇了2次飞车抢夺、3次行动失败,经过三个月的努力终于将100余名犯罪嫌疑人员押解回国,开启了四川公安在境外成功侦破电信诈骗案件的先河。
“305”案件的破获及其多起大案要案的侦办,让这位“80后网警”陈界安崭露头角,成了远近闻名的“反诈专家”。担任大队长期间,陈界安牵头破获200余起案件,为群众挽回损失上千万元,并搭建“反诈联盟”,形成了“境内支撑境外打击”“本地窝点摸排”等一系列技战法。
这些年,陈界安从青涩懵懂到正值壮年,从派出所、指挥中心、网安支队到基层公安机关负责人,从本土办理案件到跨省办理大案再到跨国办理四川首起跨国电信诈骗案,变的是年龄、岗位和职务,不变的是为民服务的初心和守护一方平安的使命。
“一路走来,让我体会最深的就是作为一名人民警察,要心中有正义、肩上有担当。”陈界安坚定地说。
侦破“盗鸭”案 解决群众烦心事
基层公安工作纷繁复杂、点多面广。结合广安经开区实际,2021年7月到达岗位之后的陈界安第一时间思考治安、刑侦、户籍等业务工作该如何开展。为此,他多方走访调研,刻苦钻研各项业务工作,针对基层公安的实际情况,树立“多破快破小案”的理念,更好地守护人民群众财产和生命安全。
“我们家养了5年的11只老鸭子不见了,可以帮帮我们吗?”2022年3月,陈界安在辖区护安镇新路村走访时,村民陈某称自己家鸭子曾有人出价300元一只都不愿意卖,鸭子不见后,老伴非常伤心。
“许多长时间养殖家禽的村民已经有了情感上的寄托,这个案子虽小,但却是人民群众的烦心事、揪心事,当时便决定一定要侦破。”陈界安告诉记者,当时在详细了解情况后,先在新路村开展了调查。
“我家丢了5只鸭子。”“我家也有3只,是去年丢的。”……调查过程中,村民们纷纷围过来,说明自己家的情况。凭着职业的敏感性,陈界安觉得事情没有那么简单,于是在更广范围内进行走访,发现有十多起类似的家禽被盗案件,涉及多个村。
但是农村很多地方没有监控,村民也说不出家禽被盗的明确时间,派出所、刑警大队的警察感到案子办理起来很难。陈界安便每晚6点组织开会研究案件,对办案民警进行指导,并要求每天见效果、天天有进展。最终,通过7天的走访侦查,办案民警成功锁定了犯罪嫌疑人。
经查,李某与张某2021年以来在护安镇、观塘镇、代市镇等地,驾驶摩托车作案多起、盗窃百余只家禽,目前他们已被公安机关刑事处罚,数位村民的返还款已陆续到位。这仅仅是陈界安走访基层、服务群众的一个缩影。
在开展“我为群众办实事”实践活动中,陈界安督促侦破贫困老人购买燃气报警器被诈骗案、跨省盗窃手机系列案等10余件,获得了辖区居民的一致好评。
“在以前的工作岗位上,我坚持立大志、破大案。而在基层工作中,我们要多破快破小案,让人民群众感受到公安工作的热度和温度,才能获取老百姓的信任。”陈界安表示,也希望通过这样的方式,给辖区基层民警起到示范作用,让以后类似的案件更好侦破,也让他们更有信心,由此进入良性循环。
锤炼队伍 肩负使命作表率
“从我们侦破的大多数案件来看,不少线索都是从下乡走访、与村民交谈中获取的。每一个案件可能涉及的利益很小,但是类似的案件累积起来便成为串案,涉及群体广、利益大。”陈界安说。
乡村警务是公安机关警务前移的重要阵地,在基层治理中发挥着突出作用,也是服务乡村振兴的有力保障。来到广安经开区公安分局后,陈界安对乡村警务工作进行了全面走访,发现乡镇派出所由于种种原因,案件侦破起来很困难。
对此,陈界安带头制定“三识四见”乡村警务工作法,鼓励驻村民辅警在自己所负责的范围内进行全覆盖走访,做到能识地、识人、识物,能见人、见事、见地、见感悟。“对每一位村民、每一寸土地都深入了解,才能提高工作效率,更好地为群众办实事。”陈界安说。
缺少合适的办案交通工具,是基层派出所面对的主要问题之一。对此,陈界安向上争取,为乡镇派出所配备了10余辆农村警务电瓶车,为民辅警进村开展工作提供便利。
此外,陈界安还积极发扬新时代“枫桥经验”,提出“预防走在排查前、排查走在调解前、调解走在激化前”的工作要求,不断加强源头治理,严格落实早发现、早介入、早调处的“三早”措施,最大限度消除不稳定、不和谐因素,有效将矛盾纠纷化解在基层。
“喊破嗓子不如做出样子。”这是陈界安的真实写照。时刻不忘党员身份、时刻践行初心使命、时刻心系公安事业的党员民警陈界安,正在以自己的坚持和努力带领分局全体民辅警争做改革创新的先行者、干事创业的实践者、群众路线的践行者、清正廉洁的示范者,以实际行动践行“人民警察为人民”的铮铮誓言,以不懈奋斗成就平凡中的伟大。
【感言】
当选省第十二次党代会代表,我深感光荣和自豪。我将立足基层,把人民群众的小事当作自己的大事,用自身的行动将党的关爱传递给身边的群众,更要当好经济社会发展的建设者、捍卫者,在平凡的工作中体现自我价值。
陈界安,现任广安市公安局经开区分局党委副书记、政治委员,2006年加入中国共产党。2021年6月,荣获“全国优秀共产党员”荣誉称号;2022年1月,被评选为全国政法机关“双百政法英模”。
【人物故事】
“这个案件后续怎么样了?村民返还款有多少已经到位了?”5月25日下午,身在成都的陈界安心系局里工作,趁着空隙打电话询问前段时间破获的农村盗窃案相关情况。
今年38岁的陈界安,从警16年来始终战斗在维护一方平安、打击犯罪的最前沿,他曾办理四川首起跨国电信诈骗案,成为远近闻名的“反诈专家”,组织参与侦破各类案件上百起。
心中有正义 维护一方平安
2007年,陈界安从警院毕业,考入华蓥市公安局,成为一名社区民警。初出茅庐的他,工作十分积极。当辖区内发生了一起恶性案件后,他主动请缨参与办案,通过化装侦察一举将犯罪嫌疑人抓捕归案。初战告捷的陈界安,随后成为一名案侦民警。
在基层派出所摸爬滚打两年后,2009年,陈界安被遴选到广安市公安局工作。此时,随着社会的快速发展,网络犯罪也在滋生。2012年,组织安排陈界安到网安支队工作。
面对全新的领域,陈界安倍感压力,为了熟悉现场情况,他曾半个月跑遍了广安城区各小区、楼栋,成了名副其实的“活地图”。凭着踏实肯干和一股韧劲,他化身行家里手,成长为案侦大队大队长。
“有群众被骗走了105万元!”2017年3月5日,一位基层民警前来求助。受害人的眼泪和工作的使命,给了陈界安“追凶到底”的决心。经过一个月的艰苦侦查,陈界安和同事查明,这是一起跨国通讯诈骗案。
在公安部、省公安厅的大力支持下,陈界安和同事前往国外开展侦查,由于身处异国他乡,办案诸多不便以及对方十分凶恶,陈界安一行先后遭遇了2次飞车抢夺、3次行动失败,经过三个月的努力终于将100余名犯罪嫌疑人员押解回国,开启了四川公安在境外成功侦破电信诈骗案件的先河。
“305”案件的破获及其多起大案要案的侦办,让这位“80后网警”陈界安崭露头角,成了远近闻名的“反诈专家”。担任大队长期间,陈界安牵头破获200余起案件,为群众挽回损失上千万元,并搭建“反诈联盟”,形成了“境内支撑境外打击”“本地窝点摸排”等一系列技战法。
这些年,陈界安从青涩懵懂到正值壮年,从派出所、指挥中心、网安支队到基层公安机关负责人,从本土办理案件到跨省办理大案再到跨国办理四川首起跨国电信诈骗案,变的是年龄、岗位和职务,不变的是为民服务的初心和守护一方平安的使命。
“一路走来,让我体会最深的就是作为一名人民警察,要心中有正义、肩上有担当。”陈界安坚定地说。
侦破“盗鸭”案 解决群众烦心事
基层公安工作纷繁复杂、点多面广。结合广安经开区实际,2021年7月到达岗位之后的陈界安第一时间思考治安、刑侦、户籍等业务工作该如何开展。为此,他多方走访调研,刻苦钻研各项业务工作,针对基层公安的实际情况,树立“多破快破小案”的理念,更好地守护人民群众财产和生命安全。
“我们家养了5年的11只老鸭子不见了,可以帮帮我们吗?”2022年3月,陈界安在辖区护安镇新路村走访时,村民陈某称自己家鸭子曾有人出价300元一只都不愿意卖,鸭子不见后,老伴非常伤心。
“许多长时间养殖家禽的村民已经有了情感上的寄托,这个案子虽小,但却是人民群众的烦心事、揪心事,当时便决定一定要侦破。”陈界安告诉记者,当时在详细了解情况后,先在新路村开展了调查。
“我家丢了5只鸭子。”“我家也有3只,是去年丢的。”……调查过程中,村民们纷纷围过来,说明自己家的情况。凭着职业的敏感性,陈界安觉得事情没有那么简单,于是在更广范围内进行走访,发现有十多起类似的家禽被盗案件,涉及多个村。
但是农村很多地方没有监控,村民也说不出家禽被盗的明确时间,派出所、刑警大队的警察感到案子办理起来很难。陈界安便每晚6点组织开会研究案件,对办案民警进行指导,并要求每天见效果、天天有进展。最终,通过7天的走访侦查,办案民警成功锁定了犯罪嫌疑人。
经查,李某与张某2021年以来在护安镇、观塘镇、代市镇等地,驾驶摩托车作案多起、盗窃百余只家禽,目前他们已被公安机关刑事处罚,数位村民的返还款已陆续到位。这仅仅是陈界安走访基层、服务群众的一个缩影。
在开展“我为群众办实事”实践活动中,陈界安督促侦破贫困老人购买燃气报警器被诈骗案、跨省盗窃手机系列案等10余件,获得了辖区居民的一致好评。
“在以前的工作岗位上,我坚持立大志、破大案。而在基层工作中,我们要多破快破小案,让人民群众感受到公安工作的热度和温度,才能获取老百姓的信任。”陈界安表示,也希望通过这样的方式,给辖区基层民警起到示范作用,让以后类似的案件更好侦破,也让他们更有信心,由此进入良性循环。
锤炼队伍 肩负使命作表率
“从我们侦破的大多数案件来看,不少线索都是从下乡走访、与村民交谈中获取的。每一个案件可能涉及的利益很小,但是类似的案件累积起来便成为串案,涉及群体广、利益大。”陈界安说。
乡村警务是公安机关警务前移的重要阵地,在基层治理中发挥着突出作用,也是服务乡村振兴的有力保障。来到广安经开区公安分局后,陈界安对乡村警务工作进行了全面走访,发现乡镇派出所由于种种原因,案件侦破起来很困难。
对此,陈界安带头制定“三识四见”乡村警务工作法,鼓励驻村民辅警在自己所负责的范围内进行全覆盖走访,做到能识地、识人、识物,能见人、见事、见地、见感悟。“对每一位村民、每一寸土地都深入了解,才能提高工作效率,更好地为群众办实事。”陈界安说。
缺少合适的办案交通工具,是基层派出所面对的主要问题之一。对此,陈界安向上争取,为乡镇派出所配备了10余辆农村警务电瓶车,为民辅警进村开展工作提供便利。
此外,陈界安还积极发扬新时代“枫桥经验”,提出“预防走在排查前、排查走在调解前、调解走在激化前”的工作要求,不断加强源头治理,严格落实早发现、早介入、早调处的“三早”措施,最大限度消除不稳定、不和谐因素,有效将矛盾纠纷化解在基层。
“喊破嗓子不如做出样子。”这是陈界安的真实写照。时刻不忘党员身份、时刻践行初心使命、时刻心系公安事业的党员民警陈界安,正在以自己的坚持和努力带领分局全体民辅警争做改革创新的先行者、干事创业的实践者、群众路线的践行者、清正廉洁的示范者,以实际行动践行“人民警察为人民”的铮铮誓言,以不懈奋斗成就平凡中的伟大。
【感言】
当选省第十二次党代会代表,我深感光荣和自豪。我将立足基层,把人民群众的小事当作自己的大事,用自身的行动将党的关爱传递给身边的群众,更要当好经济社会发展的建设者、捍卫者,在平凡的工作中体现自我价值。
优质男生YM000374
年月日:95年
户口所在地:宁波市宁海县
常住地址:杭州市钱江世纪城
身高/体重:185/75kg
房/车情况:有房有车
学历:本科
职业:互联网,2016年创办网络科技公司,(2019年获创新重塑商业中国,年度创新业最佳CEO人物)
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父母情况:做点小生意
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宗教信仰:无
婚姻状况:未婚
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