丰乐楼.巅云香烟
[作揖][作揖]
世间地质慱园,
美幻岩遗地。
三清山,
神峰列坐,
信江源头发力。
自然美,
独一无二,
丰富花岗岩汇集。
道教名山远,
荷叶型绽放丽!
十四亿年,
中原古界,
地槽沉降戏。
海没久,
四亿春秋,
双桥山群屑迹。
火山喷,
晋宁运动。
地壳升,
出水为陆。
地台段,
华南洋岛,
扬子古板,
碰华夏古板霹雳!
震丹纪来,
陆壳固结,
冰雪消融递,
二海浸,
一点六亿,
奥陶纪未,
沉积浅海,
相砂页岩。
三叶虫游,
加里东第一幕巨。
花岗岩,
强骨雄体第。
延伸长距,
切割深舞姿绣,
奇丽山川铸续!
看今朝,
仙峰岩雄,
玉京峰,
巅耸鼎立;
玉虚顶,
地势险峻;
玉华峰,
丹霞峭拔鸟登啼!
女神峰,
拔发齐肩迷。
幽谷钟声烟密,
花岗岩艺,
雾拂神气!
[作揖][作揖]
世间地质慱园,
美幻岩遗地。
三清山,
神峰列坐,
信江源头发力。
自然美,
独一无二,
丰富花岗岩汇集。
道教名山远,
荷叶型绽放丽!
十四亿年,
中原古界,
地槽沉降戏。
海没久,
四亿春秋,
双桥山群屑迹。
火山喷,
晋宁运动。
地壳升,
出水为陆。
地台段,
华南洋岛,
扬子古板,
碰华夏古板霹雳!
震丹纪来,
陆壳固结,
冰雪消融递,
二海浸,
一点六亿,
奥陶纪未,
沉积浅海,
相砂页岩。
三叶虫游,
加里东第一幕巨。
花岗岩,
强骨雄体第。
延伸长距,
切割深舞姿绣,
奇丽山川铸续!
看今朝,
仙峰岩雄,
玉京峰,
巅耸鼎立;
玉虚顶,
地势险峻;
玉华峰,
丹霞峭拔鸟登啼!
女神峰,
拔发齐肩迷。
幽谷钟声烟密,
花岗岩艺,
雾拂神气!
七世观音化身尊者嘉瓦格桑嘉措证道歌
徹斷我執之教授
嗡 娑諦
1,從本清淨心之體,赤露開顯大恩師,
文殊金剛宗喀巴,敬禮上師殊勝天。
(译解:從本以來自性清淨之心體,為吾作赤露開顯之大恩上師,與上師無二無別之文殊金剛持宗喀巴,上師勝本尊之足下我敬禮)
2,眠醉識迷諸夢境,幻術欺誑象馬等,
除唯顯現究彼基,悉無彼事唯心立。
(被昏眠所迷醉之夢識境中,以及幻術所欺誑變現的象馬等唯假相顯現,除此以外,究彼根基並無任何所幻現之事法,彼等皆唯心假立,亦即唯覺知所施設)
3,自他輪涅等諸法,如是唯心唯名言,
假立於諸施設基,自方存在塵許無。
(如是,所謂自、他、輪回、涅槃等一切諸法,除了唯心及唯名言假立外,於諸施設基上,自方而有則僅微塵亦不可得)
4,無明濃睡所雜染,異生六聚之門頭,
任顯於基義自成,乃待自身劣心起。
(雖然如此,由於濃厚之無明睡眠所混雜染污的異生凡夫之六聚門頭上(六識上)的任何顯現——皆顯現為於彼施設基上彼義彼事自性成立自方而有,此種現起之方式乃觀待各自自身愚劣之心而生)
5,錯亂心所現我等,自方成立之住態,
微細所破於心頭,無余令滅極珍爱。
(如是,於錯亂之心上顯現的「我」等諸法之自方真實成立的存在方式或安住之形态,乃是微細之所破,當於心頭將之破滅無遺,這是極為珍貴宝爱啊)
6,若所謂我於蘊上,非唯名而自方有,
不容觀待他方成,我蘊無關如兩山。
(否則,如果所謂「我」是於蘊上非唯名假立,而是自方而有,那麼必不容許觀待和依賴他法而成立之理,則我與蘊將成彼此無關如東西的兩座山)
7,復以一多因果等,極觀決了所察法,
纖毫不得所緣滅,現起妙智空朗朗。
(復次,以一與多、因與果等異門作極觀察,於決了實相之定智中,其所觀察分析之法纖毫亦不可得、微塵許亦無所緣,實執之所緣境滅盡之如同空朗朗之虛空般的般若妙智現起)
8,是正真見此同時,系不忘念以正知,
遠照堅固三摩地,樂明無念修至頂。
(此空智即是直接正破我執之真實正見,與此同時,以不忘念緊系並以正知遠遠地覺照住持之,成就堅固的三摩地,樂明無分別,達至修之極頂)
9,一心住定再再觀,決智猛力如金剛,
不壞百尖鋒利器,摧碎我執山無疑。
(如是,一心安止住定與再再觀察分析,令決了空性的智慧之力猛如金剛,此不可破壞之百尖鋒利器,無疑必將摧碎我執高山)
10,住定如空後得時,緣起幻聚如天弓,
未作觀察奇感現,自性悉無唯虛誑。
(定中安住如虛空,於後得位時,緣起之幻聚萬象猶如天帝之弓虹霓等般,於未作觀察時感性奇妙地顯現,而彼等悉無自性成立,唯是虛妄欺誑之幻象爾)
11,苦樂如夢境變化,色相似幻化城樓,
聲響同空谷回音,等爾猶貪似愚童。
(苦樂的感受如同夢境之變化不實,色相似幻術所化之城市般,聲響如同空谷所傳之回音,悉等同如此爾,卻猶趣貪著彼等,恰似愚笨的稚童矣!)
12,然如面目遇明鏡,色像雖空無疑現,
諸法明現與空性,合一緣起無欺故。
(雖然如此,而當士夫的面目與明鏡相遇時,自性空的色像毫無疑問會現起,為何呢?一切諸法明空合一之緣起無欺誑故)
13,故以三律調自心,微細制限取捨處,
審細行持善清淨,安意成辦究竟願。
(是故應當於自相續以三律儀戒調伏之,於黑白制限微細之取捨處,審細趣入如律行持作取捨,如是善自清淨,心意安樂地成辦究竟成佛之大願)
14,身似陶壺不淨滿,資財他主猶蜂蜜,
親友聚短同賈客,安樂唯如閻摩欺。
(此身唯似不淨充滿之陶壺,資財猶如群蜂之蜜為他人所主宰,
親友相聚須臾,如同買賣時之顧客短暫相遇買畢即散,
世間之安樂享受唯如怨敵死主迷惑吾人之騙術也)
15,命如險坡急流水,速降奔臨死主前,
未落西山日午前,亦無不死之把握,
(此身壽命猶如險坡急流而下的溪水,將迅速奔臨於死主跟前,
日輪尚未落下西山的上午時分,自己雖亦無不死之把握,)
16,卻著八法愚樂戲,致久宏願付風去,
如此愚蒙如我者,慘狀至心若不忍。
(卻由耽著於世間八法——愚人所喜樂之遊戲故,致使長久之宏願悉為八風吹散付諸東流,如此愚蒙無知的我以及類似我之有情,若對自他愚痴流轉之慘狀而至心生不忍的話)
17,若無欲得大菩提,發心攝持雖三門,
日夜相續修善業,毫無趨近向大乘。
(若沒有欲得無上大菩提之發心攝持,縱然身口意三門日夜不斷勤策行持善業,也仍一點都未能趨近於大乘道)
18,故子當發菩提心,從因與果偉大乘,
所說佛子妙行海,以精進力登彼岸!
(是故吾兒當發起清淨菩提心,從偉大的因與果顯密二種大乘教法中,佛所宣說的諸菩薩之妙行大海,汝當以精進之力登至彼岸)
19,如是無謬見修行,善說猶如夏鼓音,
無明睡眾令醒覺,無邊二利願悉成。
(如是講說無錯亂之見修行之善說,願如夏日之巨雷震吼之音,
醒覺一切無明睡眠中的眾生,為利他故成辦無邊二利的所願!)
此系由遠在邦澤拉瓦甘丹義成洲之山中禪院之喇嘛扎喜德樂求請《徹斷我執之見修行之教授》故,側身於持黃帽者之無謬聖教之懈怠比丘洛桑格桑嘉措手書。
濁世比丘弟子丹增宗炬敬譯於尼泊爾龐亭與藍毗尼寺中 辛醜年春 https://t.cn/RpzP1m8
徹斷我執之教授
嗡 娑諦
1,從本清淨心之體,赤露開顯大恩師,
文殊金剛宗喀巴,敬禮上師殊勝天。
(译解:從本以來自性清淨之心體,為吾作赤露開顯之大恩上師,與上師無二無別之文殊金剛持宗喀巴,上師勝本尊之足下我敬禮)
2,眠醉識迷諸夢境,幻術欺誑象馬等,
除唯顯現究彼基,悉無彼事唯心立。
(被昏眠所迷醉之夢識境中,以及幻術所欺誑變現的象馬等唯假相顯現,除此以外,究彼根基並無任何所幻現之事法,彼等皆唯心假立,亦即唯覺知所施設)
3,自他輪涅等諸法,如是唯心唯名言,
假立於諸施設基,自方存在塵許無。
(如是,所謂自、他、輪回、涅槃等一切諸法,除了唯心及唯名言假立外,於諸施設基上,自方而有則僅微塵亦不可得)
4,無明濃睡所雜染,異生六聚之門頭,
任顯於基義自成,乃待自身劣心起。
(雖然如此,由於濃厚之無明睡眠所混雜染污的異生凡夫之六聚門頭上(六識上)的任何顯現——皆顯現為於彼施設基上彼義彼事自性成立自方而有,此種現起之方式乃觀待各自自身愚劣之心而生)
5,錯亂心所現我等,自方成立之住態,
微細所破於心頭,無余令滅極珍爱。
(如是,於錯亂之心上顯現的「我」等諸法之自方真實成立的存在方式或安住之形态,乃是微細之所破,當於心頭將之破滅無遺,這是極為珍貴宝爱啊)
6,若所謂我於蘊上,非唯名而自方有,
不容觀待他方成,我蘊無關如兩山。
(否則,如果所謂「我」是於蘊上非唯名假立,而是自方而有,那麼必不容許觀待和依賴他法而成立之理,則我與蘊將成彼此無關如東西的兩座山)
7,復以一多因果等,極觀決了所察法,
纖毫不得所緣滅,現起妙智空朗朗。
(復次,以一與多、因與果等異門作極觀察,於決了實相之定智中,其所觀察分析之法纖毫亦不可得、微塵許亦無所緣,實執之所緣境滅盡之如同空朗朗之虛空般的般若妙智現起)
8,是正真見此同時,系不忘念以正知,
遠照堅固三摩地,樂明無念修至頂。
(此空智即是直接正破我執之真實正見,與此同時,以不忘念緊系並以正知遠遠地覺照住持之,成就堅固的三摩地,樂明無分別,達至修之極頂)
9,一心住定再再觀,決智猛力如金剛,
不壞百尖鋒利器,摧碎我執山無疑。
(如是,一心安止住定與再再觀察分析,令決了空性的智慧之力猛如金剛,此不可破壞之百尖鋒利器,無疑必將摧碎我執高山)
10,住定如空後得時,緣起幻聚如天弓,
未作觀察奇感現,自性悉無唯虛誑。
(定中安住如虛空,於後得位時,緣起之幻聚萬象猶如天帝之弓虹霓等般,於未作觀察時感性奇妙地顯現,而彼等悉無自性成立,唯是虛妄欺誑之幻象爾)
11,苦樂如夢境變化,色相似幻化城樓,
聲響同空谷回音,等爾猶貪似愚童。
(苦樂的感受如同夢境之變化不實,色相似幻術所化之城市般,聲響如同空谷所傳之回音,悉等同如此爾,卻猶趣貪著彼等,恰似愚笨的稚童矣!)
12,然如面目遇明鏡,色像雖空無疑現,
諸法明現與空性,合一緣起無欺故。
(雖然如此,而當士夫的面目與明鏡相遇時,自性空的色像毫無疑問會現起,為何呢?一切諸法明空合一之緣起無欺誑故)
13,故以三律調自心,微細制限取捨處,
審細行持善清淨,安意成辦究竟願。
(是故應當於自相續以三律儀戒調伏之,於黑白制限微細之取捨處,審細趣入如律行持作取捨,如是善自清淨,心意安樂地成辦究竟成佛之大願)
14,身似陶壺不淨滿,資財他主猶蜂蜜,
親友聚短同賈客,安樂唯如閻摩欺。
(此身唯似不淨充滿之陶壺,資財猶如群蜂之蜜為他人所主宰,
親友相聚須臾,如同買賣時之顧客短暫相遇買畢即散,
世間之安樂享受唯如怨敵死主迷惑吾人之騙術也)
15,命如險坡急流水,速降奔臨死主前,
未落西山日午前,亦無不死之把握,
(此身壽命猶如險坡急流而下的溪水,將迅速奔臨於死主跟前,
日輪尚未落下西山的上午時分,自己雖亦無不死之把握,)
16,卻著八法愚樂戲,致久宏願付風去,
如此愚蒙如我者,慘狀至心若不忍。
(卻由耽著於世間八法——愚人所喜樂之遊戲故,致使長久之宏願悉為八風吹散付諸東流,如此愚蒙無知的我以及類似我之有情,若對自他愚痴流轉之慘狀而至心生不忍的話)
17,若無欲得大菩提,發心攝持雖三門,
日夜相續修善業,毫無趨近向大乘。
(若沒有欲得無上大菩提之發心攝持,縱然身口意三門日夜不斷勤策行持善業,也仍一點都未能趨近於大乘道)
18,故子當發菩提心,從因與果偉大乘,
所說佛子妙行海,以精進力登彼岸!
(是故吾兒當發起清淨菩提心,從偉大的因與果顯密二種大乘教法中,佛所宣說的諸菩薩之妙行大海,汝當以精進之力登至彼岸)
19,如是無謬見修行,善說猶如夏鼓音,
無明睡眾令醒覺,無邊二利願悉成。
(如是講說無錯亂之見修行之善說,願如夏日之巨雷震吼之音,
醒覺一切無明睡眠中的眾生,為利他故成辦無邊二利的所願!)
此系由遠在邦澤拉瓦甘丹義成洲之山中禪院之喇嘛扎喜德樂求請《徹斷我執之見修行之教授》故,側身於持黃帽者之無謬聖教之懈怠比丘洛桑格桑嘉措手書。
濁世比丘弟子丹增宗炬敬譯於尼泊爾龐亭與藍毗尼寺中 辛醜年春 https://t.cn/RpzP1m8
【blog】2017.12.10
トレンドは全員死刑
2017/12/10 17:20
突然だけど、僕は最近
自分の感性というものについて考えている。
きっかけは自分の尊敬してる人たちが
「自分の感性は信じてる?」
「全く信じてない」
「だよね。感性は信じちゃいけないんだよ」
と話していたことに始まる。
僕は20歳でオフィス作に入るまで小劇場や「ケンとカズ」の撮影で芝居をしていたわけだけど、正直に言って、その時から自分の感性を疑ったことがない。むしろそのことが自分を支えてきた一面もある。
ところが尊敬する人たちは感性を信じちゃいけないと言うわけだ。それからずっと考えている。あれれ?俺、間違ってたのかなって。
今朝、撮影現場に向かうロケバスの中。
運転手さんを見ながら考える。
もちろん、感性の事を。
スタッフや俳優を詰め込んで長い距離を運転するのは多分、なまら疲れる。そこで果たして運転手さんは自分の感性を信じているだろうか?感性とは無意識で無自覚な領域にあるもの、だけどそこには確かに経験の裏打ちがあると思う。
「俺は今までの運転でも成功してきたんだ。今回も自分を信じて集中すれば大丈夫だ。うし頑張ろう」
ほら文章にすると見えてくる。
上記の台詞は書いてみると危険な香りがプンプンする。では次に、自分の感性を信じていないパターンをご覧いただこう。
「今日はいつもより冷え込んでるな。昨夜は雨だったから路面が少し凍ってる可能性がある。慎重に運転しないと。自分を信じたらダメだ」
はい安全ー!!!!!
でも、なんか疲れるー!!!
自分の感性を信じないというのは、疲れる行為なんだ。困難な選択。困難な選択には正解が多いらしい。
でも君はどちらのバスに乗りたいだろうか。僕が乗るとしたら迷う。前者の運転手には自信があるわけで、自信がある人のそばにいると安心する。ロケバスでは寝たいし。
最強の運転手。
それは自分の感性を疑いつつ、そのことを決して表には出さない人。つまり周囲に安心感を与える頼れる男の雰囲気を醸し出しながらも、内面では路面の凍結に気を配るクールガイ。
運転手の話はもうよそう。ちょっとなんの話をしてるのかわからなくなってきた。でもどういう男が格好良いのか、という答えが少しだけ出たので良しとしよう。
小林勇貴。
彼に「自分の感性信じてる?」と聞いたらなんて答えるだろう。多分皆のイメージの彼なら「あたりめぇだろ、ぶっさらうぞ百姓が!!」って感じかな?
でも僕が知ってる彼はとても頭が良いから、きっと違う答えが返ってくるだろう。でもこのブログを書いたせいできっと面白い答えを用意してくるはずだから、絶対聞いてやらない。
間宮祥太朗は?
正直に言って、奴の内面は全然わからない。毎熊克哉の慎重さはすごくわかるけど間宮祥太朗は本当わからない。慎重なのか大胆なのか。他人にも決して迷惑をかけない。内面がバラけて爆発する瞬間なんて想像もつかない。でも、そんな人間なんていないはずだ。きっと奴にも複雑な内面があって爆発して人前で泣いたりしたこともあるはずだ。今度はそっちの演技も見てみたいもんだ。そう考えるとこれからが楽しみな俳優だ。また褒めちまった。割愛。
話を変えてみよう。
昨日の話。
朝目覚めると吉村界人からメール3件と着信。当然コーヒーの誘い。渋谷で合流。開口イチバン「最高じゃねえか」多分僕の寝起きでダウン羽織っただけの格好がお気に召したようだ。
「全員死刑おもしれえな!」
彼はアンテナが早い。この映画を見たのも公開してすぐだ。
「ありがとう」
「ゆーちーばーに会ったりしたの?」
「ゆーちーばーは会わなくてもスマホで見れるんだよ」
「へえーーー」
「ブログ用に全員死刑のコメント書いてくれよ今日中に」
「いいよ任しとけ」
彼からコメントはまだ届いてない。でもそれでいい。文章なんて書きたいときに書けばいい。
「ビジランテも見るよ」
「おう宜しく」
昼過ぎに解散してブックオフ。
久しぶりにどうしても読みたくなって「半島を出よ」を買う。夜、札幌の友達に誘われてウィークエンドシャッフルを聴きながら酒を飲む。「半島を出よ」を無くす。グッバイ。
今は撮影現場でこのブログを書いている。この現場で初めて、ある俳優さんにお会いする。「君は全員死刑に出てるんだよね」といきなり言われ驚愕。どうやら舞台の稽古場で六平さんと入絵さんが宣伝してくださってるらしい。「まだ見てないけど見るからね」と言われ感動。ちょっと震える。
全員死刑について書かなきゃと思って書き始めたブログ。適当な出だしで適当に書いてみようと思ったが、やはり僕の中のトレンドは全員死刑だ。今は何を書いてもこの映画に繋がっていく。時々訪れるこの感覚は良い兆候だ。
その感性だけは、信じることにしよう。
luck.
https://t.cn/A6VKeFYx
トレンドは全員死刑
2017/12/10 17:20
突然だけど、僕は最近
自分の感性というものについて考えている。
きっかけは自分の尊敬してる人たちが
「自分の感性は信じてる?」
「全く信じてない」
「だよね。感性は信じちゃいけないんだよ」
と話していたことに始まる。
僕は20歳でオフィス作に入るまで小劇場や「ケンとカズ」の撮影で芝居をしていたわけだけど、正直に言って、その時から自分の感性を疑ったことがない。むしろそのことが自分を支えてきた一面もある。
ところが尊敬する人たちは感性を信じちゃいけないと言うわけだ。それからずっと考えている。あれれ?俺、間違ってたのかなって。
今朝、撮影現場に向かうロケバスの中。
運転手さんを見ながら考える。
もちろん、感性の事を。
スタッフや俳優を詰め込んで長い距離を運転するのは多分、なまら疲れる。そこで果たして運転手さんは自分の感性を信じているだろうか?感性とは無意識で無自覚な領域にあるもの、だけどそこには確かに経験の裏打ちがあると思う。
「俺は今までの運転でも成功してきたんだ。今回も自分を信じて集中すれば大丈夫だ。うし頑張ろう」
ほら文章にすると見えてくる。
上記の台詞は書いてみると危険な香りがプンプンする。では次に、自分の感性を信じていないパターンをご覧いただこう。
「今日はいつもより冷え込んでるな。昨夜は雨だったから路面が少し凍ってる可能性がある。慎重に運転しないと。自分を信じたらダメだ」
はい安全ー!!!!!
でも、なんか疲れるー!!!
自分の感性を信じないというのは、疲れる行為なんだ。困難な選択。困難な選択には正解が多いらしい。
でも君はどちらのバスに乗りたいだろうか。僕が乗るとしたら迷う。前者の運転手には自信があるわけで、自信がある人のそばにいると安心する。ロケバスでは寝たいし。
最強の運転手。
それは自分の感性を疑いつつ、そのことを決して表には出さない人。つまり周囲に安心感を与える頼れる男の雰囲気を醸し出しながらも、内面では路面の凍結に気を配るクールガイ。
運転手の話はもうよそう。ちょっとなんの話をしてるのかわからなくなってきた。でもどういう男が格好良いのか、という答えが少しだけ出たので良しとしよう。
小林勇貴。
彼に「自分の感性信じてる?」と聞いたらなんて答えるだろう。多分皆のイメージの彼なら「あたりめぇだろ、ぶっさらうぞ百姓が!!」って感じかな?
でも僕が知ってる彼はとても頭が良いから、きっと違う答えが返ってくるだろう。でもこのブログを書いたせいできっと面白い答えを用意してくるはずだから、絶対聞いてやらない。
間宮祥太朗は?
正直に言って、奴の内面は全然わからない。毎熊克哉の慎重さはすごくわかるけど間宮祥太朗は本当わからない。慎重なのか大胆なのか。他人にも決して迷惑をかけない。内面がバラけて爆発する瞬間なんて想像もつかない。でも、そんな人間なんていないはずだ。きっと奴にも複雑な内面があって爆発して人前で泣いたりしたこともあるはずだ。今度はそっちの演技も見てみたいもんだ。そう考えるとこれからが楽しみな俳優だ。また褒めちまった。割愛。
話を変えてみよう。
昨日の話。
朝目覚めると吉村界人からメール3件と着信。当然コーヒーの誘い。渋谷で合流。開口イチバン「最高じゃねえか」多分僕の寝起きでダウン羽織っただけの格好がお気に召したようだ。
「全員死刑おもしれえな!」
彼はアンテナが早い。この映画を見たのも公開してすぐだ。
「ありがとう」
「ゆーちーばーに会ったりしたの?」
「ゆーちーばーは会わなくてもスマホで見れるんだよ」
「へえーーー」
「ブログ用に全員死刑のコメント書いてくれよ今日中に」
「いいよ任しとけ」
彼からコメントはまだ届いてない。でもそれでいい。文章なんて書きたいときに書けばいい。
「ビジランテも見るよ」
「おう宜しく」
昼過ぎに解散してブックオフ。
久しぶりにどうしても読みたくなって「半島を出よ」を買う。夜、札幌の友達に誘われてウィークエンドシャッフルを聴きながら酒を飲む。「半島を出よ」を無くす。グッバイ。
今は撮影現場でこのブログを書いている。この現場で初めて、ある俳優さんにお会いする。「君は全員死刑に出てるんだよね」といきなり言われ驚愕。どうやら舞台の稽古場で六平さんと入絵さんが宣伝してくださってるらしい。「まだ見てないけど見るからね」と言われ感動。ちょっと震える。
全員死刑について書かなきゃと思って書き始めたブログ。適当な出だしで適当に書いてみようと思ったが、やはり僕の中のトレンドは全員死刑だ。今は何を書いてもこの映画に繋がっていく。時々訪れるこの感覚は良い兆候だ。
その感性だけは、信じることにしよう。
luck.
https://t.cn/A6VKeFYx
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