【わたし達はおとな】

木竜麻生×藤原季節対談

考える/考えないタイプの違う芝居論

――今作で共演してみて、お互いにどんな印象を持ちましたか?

藤原季節(以下、藤原):木竜さんと共演できるのは、映画好きの人ならみんな嬉しいと思います。僕もその一人で、今までの出演作はほとんど観ています。共演するにあたって、ある程度の到達点までは木竜さんとなら行けるだろうって気はしてたんですけど、それ以上に行けた気がします。

木竜麻生(以下、木竜):藤原さんが出ている作品を観ていて、どうしてこの人はこんな表情になって、そういう心の動き方をするんだろうってずっと思っていて。今回ご一緒していた時もそれはすごく思いましたが、相手の気持ちや行動をすごく受け取る度量がある方で、そういうことなのかなぁって。意志が強いですし、同じくらい柔らかさをすごく感じました。

――現場では演技について話し合ったりしましたか?

木竜:私は加藤さんとご一緒するのが初めてだったので、「難しい」とこぼしていました。

藤原:僕は加藤さんに任せておけば全部うまくいくことは分かっていたので、木竜さんが加藤さんを信頼できるような手助けをしていた感じですかね。二人とも人見知りだったから、二人の間のコミュニケーションを僕が取り持ったり。

木竜:(笑)。加藤さんが考えてくれているなと思ったのが、休憩している時にふらっと現れてくれることで。その時の会話を藤原さんが取り持ってくれたので、3人で話すタイミングはちゃんと現場中にとれていました。

藤原:でもあれは、加藤さんが会議が嫌いなだけだと思う。スタッフさんのところにいると会議が始まっちゃうから、僕らのところに逃げてきてる(笑)。

木竜:あ、逃げてきてたのか。じゃあそれが結果オーライになってたってことね(笑)。

――3人でのコミュニケーションが映画に何か良い影響を与えたなと思うことはありましたか?

木竜:撮影の2日目に、自分の中で変に殻に入りそうになって。その時に藤原さんから「一緒に頑張ろうね」と声をかけられて、自分は何を一人になろうとしてるんだって、すごくハッとしたんです。そこからは藤原さんに委ねて、ぶつかっていこうと思って。その延長でスタッフさん、他のキャストさん、加藤さんのことも信じてその場に立っていられたので、すごく意味がありました。

――藤原さんは加藤さんとは長くやられていると思うんですけど、この作品ではどんなやりとりをしましたか?

藤原:いつも通りなんですけど、僕も加藤さんも核心に迫る会話の内容を嫌うんです。加藤さんは人との距離感や恥じらいとか、伝えたいことを隠すのを好む人で。日常会話においてもそうで、この映画を良くしたいとか、こうすればもっと良くなるっていうことはあえて口にしないんです。だから僕らはいつもくだらない話ばかりしていますね。

――加藤さんが「木竜さんの気の遣い方が優実と重なった」と話されていたのですが、ご自身で演じていて、「ここわかる」と思ったことはありましたか?

木竜:思っていることや、モヤモヤしているものを優実ほど隠せるかは分からないですけど、何か言われたり、自分もちょっと言いたいことがあったり、腹が立っていたり、悲しかったり……そういうことを笑いながら返しちゃうのは、あるよなぁって思いました。ストレートに伝えることが難しいことってあるなって。

――藤原さんは直哉を演じていてどうでした?

藤原:全然分からなくて、楽しかったです。

――台本で読んでわからないところは聞いたりするんですか?

藤原:いや、聞かないですね。

――自分で考えて?

藤原:考えないですね。“分かんないことを分かんないまま言う”ことを楽しんでいます。直哉が考えていること全然分かんないなって思いながらセリフを言ったりしていると、たまに、なんか分かったりします。

――なるほど。木竜さんは分からないこととかを楽しんで?

木竜:うーん……。人を演じることの喜びって、それがどんな人であろうと、みんなあるはずだとは思っていて。その人物を多角的に、いろんな面から見ると、直哉も直哉できっと何かあるんだよなって思うんです。藤原さんが演じていた直哉を見て、彼が生きてきた中での切なさみたいなものを、私は勝手に想像しましたし、想像するのがすごく楽しくて。だから、想像とか空想とかそういう力で補えるものがあるといいなって思いながら演じていますかね。分からないまま「分からない」を言うのができないタイプなので、そこはもう、うーーってなりながらやります(笑)。

藤原:タイプがありますよね。

木竜:うん。だからすごいなぁと思います。

「自分が相手に投げた言葉でも傷ついていた」

――会話劇が魅力なシーンが多かったですが、特に自分が発したセリフで印象に残っているものはありますか?

藤原:伝えたいことって反復したりするじゃないですか。「それ本気で言ってる? それ、本気で言ってる?」っていう、この2回目の「本気で言ってる?」の時に、“本気でそれが聞きたいんだな”って自分の中で分かるというか。そういうことが台本の中に眠っていて、見つけた時はグッときました。

木竜:今回はとにかく隠すことを言われていたので、言葉に完全に重きを置くのではなく、言っていることの奥で何を持って生活をして、誰の言葉を聞いて、どれだけちゃんと背景を持てているかを考えるのが難しくて。自分の気持ちで素直にいると直哉の言葉がすごく刺さってしまうし、相手に言ったことなのに自分が傷ついたりとか、そういうことが特に後半にかけてはあったような気がします。

――相手の言葉で刺さったことはありますか?

木竜:ラストシーンは、相手が言っていることでも傷ついているし、自分が相手に投げたものでも傷ついていた気がします。直哉の「じゃ」に「はい」で返す感じは、感覚として忘れないですね。

藤原:直哉は相手を傷つけるための言葉を吐いている男なので、自分が傷つかないようにちゃんと言葉を選択できる人なんですよ。そういうズルいところがある。元カノのシーンでも、相手に言葉をまくしたてるんですけど、全部、自分は悪くない、自分は悪くないって。でも、ラストシーンでは、やっぱり少なからず傷ついていたんじゃないですかね。それでなんとかまくしたてようとして。

――直哉はよく「言い方が悪かったね」と言っていますが、誰かと関わる時の自分の言葉選びを考えたりしますか?

木竜:難しいことだなぁっていつも思いますね。インタビューでもそうですが、口に出した瞬間、本当に思っていたことから離れていく感覚がすごくあって。言った瞬間から、誰にも言わないで思っていたこととは違うものになって外に出ている感じがするんです。なるべく思っていることと近い状態で言語化したいなとは思いますけど。

藤原:もちろん考えますし、それに割いてきた時間は多いと思うんですけど、最近はいい加減さとか寛容さとか、その「容赦」みたいなものを他人や自分に対して求めるようになっていて。思ったことをなんでも口に出すのって本来良くないと思うんです。子供みたいだし。でもあえてそれをやって、相手を嫌な気持ちにさせたり、自分が嫌な気持ちになる状況に対して、寛容になってるというか。今は思ったことをなんでも口に出してみようって思っている時期です。

――なんでそういうことをやろうと思ったんですか?

藤原:その方が相手に対して、ひょっとしたら深くアクセスできるかもしれないと思って。どこかで長い付き合いになるかもしれない人とすれ違って、たった数言交わすだけで別れていくような儚い人生かもしれないんだったら、嫌われてでも言葉を相手に放ってみて、深いところでアクセスしてみようって、ちょっと思っているんですよね。

“もがいている人”への憧れ

――キラキラした恋愛映画もある一方で、本作のようなもがいているヒロインの恋愛作品も支持されていますが、その魅力をどう思いますか?

藤原:性別に限らずですけど、もがいている人は素敵ですよね。なんでなんですかね? 自分もその人を見て頑張ろうって思うし。

木竜:自分に対してかもしれないし、誰かに対してかもしれないんですけど、もがいている最中の夢中な感じって、例えそれがものすごくボロボロだったり、泥だらけだったりしても、なんかちょっと透明に感じます。そういうところへの優しさ、憧れみたいなものを感じるのかもしれないです。

藤原:憧れ、あるな。

木竜:うん。まっさらっていう感じにどうしても憧れるなぁって思います。

――最後に劇中のお二人の好きなシーンを教えてください。

藤原:ラストですね。

木竜:ラストから、主題歌がかかるところは、本当にすごくいいです。

藤原:あの長回しはマジで必見。

――そのシーンの撮影にはどういう気持ちで臨みました?

藤原:もう、最強のマインドセット。100%入るスリーポイントシュートを打つみたいな感じですね。100%なんて入らないじゃないですか、絶対。だけど、100%入るって信じ込むんですよ。その感じです。

木竜:あははは(笑)。

終わっていく物語と続いていく物語

――撮影順的にも最後に撮られたんですか?

藤原:僕はもうそのワンカットに全てを懸けていたので。優実が行くところまで運ばれる最後のラストチャンス、無事に運ばれてくださったんで。僕の仕事はもうその時点で終了でした(笑)。

木竜:そのラストをやって、本当のラストに直哉が鍵を渡して出て行く。あのラストがないと私、その後のシーンってできなかったと思います。

藤原:母だから続いていくんですよね。お腹に子どもがいるから、あそこで物語は終わらない。僕とはちょっと違うよね。

――去っていくだけですよね。

藤原:そうです。あそこで僕の中での物語は終えられるんです。

木竜:(笑)。私はそれから加藤さんとちょっとだけ話をしました。「どういう気持ちなんかなー」っていうこと言われて、ポツポツポツーって言ったら、じーって見られて、「いこうかぁ」って言われて。同じラストシーンでも、藤原さんとは違う感覚だったかもしれないです。

藤原:全然違うかも。あのワンカット撮り終わって全て消化しきってたから、もう情感ゼロ。

木竜:(笑)。いや、ゼロとは言わないでほしいよね。どういう気持ちで鍵渡すかとかあるじゃん。

藤原:あ、ないないないない。無。

木竜:あってくれよ。無なんですか。

藤原:「あ、鍵を渡さなきゃ複雑だな」とかないの。その流れで行く時間に身を任せるって言うか。鍵を渡さなきゃいけない状況になっちゃったから渡すだけ、という。それが僕にとっての直哉でした。

木竜:なるほどね。

――エンドロールにかけての最後の最後のラストシーンを経て、木竜さんはどんなことを思いましたか?

木竜:最後、優実がご飯を作って食べるところに、彼女が自分の日常を取り戻そうとしているなと私は思いました。生きていくこと、暮らしていくことを、なんとか取り直そうというタフな強さというか。これからの自分の人生の中でも、このまま朝なんか来ないんじゃないかと思うような夜もあるでしょうし、何もしたくない気持ちになったり、誰とも会いたくない気持ちになったり……。反対に、無性に誰かと話したくなったり……。そういう自分が誰かに与える影響も、自分が誰かに与えられる影響も、ちゃんと余すことなく自分が飲み込んでやる、とは思っています。全部私が味わって、ちょっとずつ生きていければいいかなと思いました。

■公開情報
『わたし達はおとな』
新宿武蔵野館ほかにて全国公開中
出演:木竜麻生、藤原季節、菅野莉央、清水くるみ、森田想、桜田通、山崎紘菜、片岡礼子、石田ひかり、佐戸井けん太、鈴木勝大、山脇辰哉、上村侑、中山求一郎、諫早幸作、伊藤風喜、鳥谷 宏之、平原テツ
監督・脚本:加藤拓也
音楽:谷川正憲
製作:狩野隆也、松岡雄浩、宇田川寧
エグゼクティブプロデューサー:服部保彦
プロデューサー:松岡達矢 柴原祐一
製作幹事:メ~テレ
配給:ラビットハウス
製作プロダクション:ダブ
(c)2022「わたし達はおとな」製作委員会
公式サイト:https://t.cn/A6M7UJcX

迢递三巴路,羁危万里身。
乱山残雪夜,孤烛异乡人。(异乡人 一作:异乡春)
渐与骨肉远,转于僮仆亲。
那堪正飘泊,明日岁华新。
—— 唐代·崔涂《除夜 / 巴山道中除夜书怀》

译文
跋涉在道路崎岖又遥远的三巴路上,客居在万里之外的危险地方。
乱山上残雪在黑夜里闪光,一支烛火陪伴着我这异乡的人。
因离亲人越来越远,反而与书童和仆人渐渐亲近。
真难以忍受在漂泊中度过除夕夜,到明天岁月更新就是新的一年。

【#历史冷知识# 古人如何以冰消暑,“冰心玉壶”是妙词】
大暑正值“三伏天”里的“中伏”。古籍中说:“大者,乃炎热之极也。”足见大暑的炎热程度。那么,在炎热而没有空调的古代,人们用什么办法来消暑呢?除了扇子,也有今人常用的冰。这让人不得不佩服古人的智慧。

(一)冰开始的地方

冰,很早就被人们用来消暑纳凉了。

商周时期,人们便开始利用天然冰来制冷。周王室为保证夏天有冰块用,成立了相应的机构管理“冰政”,专门负责“掌冰”,负责人被称为“凌人”。《周礼》载:“凌人掌冰,正岁,十有二月,令斩冰,三其凌。”《礼记》也说:“季冬之月,冰方盛,水泽腹坚,命取冰。”周以后的各个王朝,都设有专门的官吏管理冰政。

每年寒冬腊月,凌人会命人到水质好的江湖面上凿采冰块,这时的冰块最坚硬,不易融化,方便采用和搬运。采好的冰会被储藏到预先准备好的地下冰窖里,《诗经·豳风·七月》“二之日凿冰冲冲,三之日纳于凌阴”中的“凌阴”就是山阴处的藏冰地窖,“二之日”“三之日”是周历的二月和三月。地下冰窖内铺满了干净稻草和芦席,设置了专门搬运冰块的冰板,待冰到了窖口,冰板一头支在窖口,一头支在窖底,形成一个斜面,让冰块滑下去,再由窖里的人码放整齐,在冰上覆盖稻糠、树叶等隔热材料,最后将整个冰窖密封,等来年使用。由于储存环境和方法的限制,最终都免不了会有约三分之二的冰在使用前自行融化,因此古人常常将藏冰量提高到所需使用冰量的至少三倍,以满足宫廷需求。冰窖也慢慢增多,到了清代,北方的官方冰窖有20余座,存冰量大概有二十万块以上,北京的冰窖口胡同、西安的冰窖巷就得名于此。

由于夏日用冰量大,官方藏冰常常不足,因此出现了私家藏冰的“冰商”。据宋人所作《迷楼记》记载,宫中“美人各市冰为盘,以望(隋炀帝)行幸。京师冰为之踊贵,藏冰之家皆获千金。”这说明隋代就能在市场上买到冰。到了清代,《大清会典》明文规定:各级官府“如藏冰不敷用,从市采买”。清代的冰窖分为官窖、府窖和民窖三种,民窖由商民设立,专门用于商业经营。

有了冰之后,古人的夏天就凉爽起来,他们把冰块放在盛冰的容器冰鉴里。《周礼》中有在容器“冰鉴”中保存冰块的记录。冰鉴最先是陶制的,后有木制的,春秋中期以后流行青铜鉴,大口小底,底部有直径很小的排水口,可在冰融化后直接排出冷水。冰鉴可以散发冷气,还可以保存食品,将盛满饮料或食物的器皿放进去,四周围满冰块,合上盖子,“冷饮”就可制成。《楚辞》中记录的“挫糟冻饮,酎清凉些”“清馨冻饮”,都展示了夏天饮冰镇酒水的舒适和快乐。

进入汉代,古人用冰就更讲究了。汉代皇宫设有夏季用房“清凉殿”,殿内有多重降温装置,以石头为床,用玉晶盘盛装冰块,仆人站在一旁对着扇竹扇。清凉殿内清凉无比,汉武帝刘彻常常带着自己宠幸的嫔妃宦臣“卧延清之室”,吟唱辞赋歌谣,品尝果品佳肴,不亦乐乎。

唐宋以后,“清凉殿”之类的“空调房”越建越高级,殿内除了放冰块,还放有“扇车”,借水的作用转动扇叶,扇带凉水吹更凉。宋代还注重空气净化,在厅堂里摆几百盆鲜花,“鼓以风轮”,既凉快,又“清芬满殿”,宋代的“空调”设备已在民间普及。

这次第,怎一个凉字了得。冰开始的地方,也是梦开始的地方。

(二)冰有趣的时候

冰,还被古人用出趣味。

有用冰来装病的。据《左传》记载,公元前552年,楚国的令尹(即主持国事的大臣)子庚去世,楚国国君楚康王指派楚国士大夫薳子冯继任。薳子冯征求好友申叔豫意见,申叔豫说:“朝廷内宠臣很多,君王年轻弱势,治理国家的难度很大啊。”于是薳子冯就用装病来推辞。当时正值盛夏,薳子冯在家里挖了个地窖,放上冰,用冷水浇身,把自己弄成重感冒,然后身穿厚棉衣和皮袍子,躺在床上好几天不吃东西。楚康王派御医前往诊视,御医发现薳子冯“瘦弱到了极点”。楚康王无奈,只好改任子南为令尹。

薳子冯也堪称“开空调盖棉被”的古代先驱。只是,我们始终不明白,装病的方式有多种,为什么要躺冰块上呢?花费的成本太大了。要知道,唐代以前,冰块非常珍贵,不仅数量有限,还价格昂贵,到了“长安冰雪至夏日则价等金璧”的地步,大臣在蒙皇帝赏赐冰块时都会深感为荣,如唐代诗人白居易某日得到几块小冰的赏赐,就高兴得很,还记录下来:“圣旨赐臣等冰者,伏以颁冰之仪,朝廷盛典,以其非常之物,用表特异之恩。” 所以,对于楚国士大夫薳子冯,我们只好感叹一声:真土豪也。

有因冰生病的,也有用冰治病的。《盱眙旧志辑要》介绍,宋徽宗赵佶在某年夏天,“食冰太过,病脾疾”,御医按照常规治疗方法,让他服用大理中丸,但服用多日,均不见效果。宋徽宗寝食难安,后来听说民间医生杨介医术高明,便召杨介为他诊疗。杨介查明病因,仍使用大理中丸,只是改用冰煎服,宋徽宗服后立马痊愈了。

甘、冷、无毒的冰真如明代医药学家李时珍所说,“冰者,太阴之精,水极似土,变柔为刚,所谓物极反兼化也。”冰可以去热烦、解烦渴、消暑毒,“伤寒阳毒,热盛昏迷者,以冰一块置于膻中,良。亦解烧酒毒。”杨介的治法算是“从因治病”,妙手仁心。当时,宋徽宗和杨介的对话也简单有趣:“介用大理中丸。上曰:服之屡矣。介曰:病因食冰,臣因以冰煎此药,是治受病之原也。”还好,宋徽宗遵了医嘱。

说到底,都是吃惹的祸。宋代的冰制食品简直不要太好吃哦,“冰糖冰雪冰元子”“冰雪甘草汤”“冰雪凉水荔枝膏”“雪泡豆儿水”“雪泡梅花酒”等,光听名字,心里就舒坦,怎么不想让它们“一步到胃”呢?南宋诗人杨万里早用《荔枝歌》道出了这份心花怒放:“市人如炊汗如雨,卖冰一声隔水来。行人未吃心眼开,甘霜甜雪如压蔗。”元代的商人又在冰中加上果浆和牛奶,开创了冰淇淋的先河。市场中还出现了“冰鲜”,人们把打捞的海产品,通过冰的冷冻后,运输得更远、保存得更久。

(三)冰深情的日子

冰,也在被人们赋予深情。

在冰特别难得的时代,皇帝用冰靠事先储存,大臣用冰或靠皇帝赏赐、或凭官阶和“冰票”领取,级别低的官员可能得不到冰,可能靠级别高的官员赏赐。这种“颁冰”的做法始于周朝,一直延续到清代。所以,若是将冰作为礼物来馈赠他人,那真是可贵的。

北宋文学家欧阳修就常常送冰给同僚梅尧臣,他的馈赠是出于朋友之间的情谊。欧阳修在25岁至洛阳任钱惟演幕府推官时,与年长自己5岁的任主簿的梅尧臣相识,开始了长达30年的友情,直至梅尧臣去世、欧阳修54岁。流金岁月中,俩人心心相印,不离不弃,聚则乐而游,别则思而梦,于道义、事业上互相支持。梅尧臣还是欧阳修古文运动的坚定支持者。

随着为官级别的增高,欧阳修送给梅尧臣的冰块也增多,使得仕途坎坷、级别很低的梅尧臣能长年享受较好的以冰消暑之待遇,安然度炎夏。为了让梅尧臣安心接受,欧阳修还曾以自己不怕热为借口。其实,即使是真的不怕热,也不会嫌冰多。梅尧臣心中明白,便常把自己舍不得吃的冰镇果品回赠欧阳修。

冰,就这样透亮着。怪不得会有冰心玉壶、冰雪聪明这样的妙词儿。饱含纯粹情谊的心,就像唐代诗人王昌龄《芙蓉楼送辛渐》里的“洛阳亲友如相问,一片冰心在玉壶”,焕发玉一般的晶莹和澈亮;也像唐代诗人杜甫《送樊二十三侍御赴汉中判官》中的“冰雪净聪明,雷霆走精锐”,透出雪洗净过的细腻和敏捷。

想那洛阳的初识,是多么令人开怀,欧阳修后来还作诗《书怀感事寄梅圣俞》(梅尧臣,字圣俞)来表达:“三月入洛阳,春深花未残……逢君饮水畔,一见已开颜”,梅尧臣也欣然记下:“春风午桥上,始迎欧阳公”。俩人一见如故,相见恨晚,欧阳修当即写了《七交》七首,分述同游的几个人,写到梅尧臣《梅主簿》时,颇多揄扬之辞:“圣俞翘楚才,乃是东南秀。玉山高岑岑,映我觉形陋。”梅尧臣则说:“欧阳修与为诗文,自以为不及。尧臣益刻厉,静思苦学。”这样的相识,是人生中最美好的遇见。宛若冰一样,闪耀着清润明洁的光辉。


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