【interview】
生きていられることが、今は幸せだと感じているーー堂本剛が、自分の歌で伝えたいこと
https://t.cn/A6XMLwcE

5/13(金) 17:45配信

撮影:殿村誠士

「自分で楽曲を作って歌うということ。それは自炊に近い。心も体もすごく楽なんです」

シンガー・ソングライターの活動を始めて20周年、堂本剛は今、もっとも自分らしい状態にあるという。“本当の自分で生きられる喜び”を表現したものが、自分の作る音楽。この思いと行動が誰かの人生の、自分らしさを取り戻す幸せへとつながればうれしい……多忙なアイドル時代を駆け抜け、自身も生きづらさを抱えたからこそ見えてきた境地がある。仕事への矜持、そして死生観。堂本剛を突き動かすものとは。(取材・文:山野井春絵/撮影:殿村誠士/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)

——インスタグラムの使い方を「間違いたい」

およそ1年前から堂本剛が始めたインスタグラムは、はなから不思議なものだった。ポートレートはほぼ同じアングルで、どんどん眉毛が濃くなっていき、最後には額全体がアイブロウで埋め尽くされる。コメントは一言、「どうもジャニーズです」。まるでモダンアートだ。何か強いメッセージ性を帯びているようにも見える。その後も眉毛写真の投稿は続き、ネット上ではさまざまな臆測が飛び交った。

——これについて、本人はこともなげに語る。

「テーマは『インスタの使い方を間違いたい』でした。隙間時間で、他人の眉毛が太くなり、元に戻っていく写真を見るという無駄な時間をご提供することで、『笑い』『勇気』『なんでやねん』が発生すればいいなという、そんな発想です。無駄な時間って幸せだったりしませんか? 個人の日常を羅列するだけではなくて、こんな時代、笑ってほしくて、これ何? 説明して?ってみんなが困惑つっこみするようなものを軸にしました。インスタグラムを、宣伝の空間として使いつつ笑かしにかかっています。事務所の人たちがインスタをやりやすい環境にもつながればと思い、僕はこんな行動をしてみました。」

——「ジャニーズっぽくない」と言われて

「アーティスティック」「生活感がない」「不思議」「自由」……。
こうした堂本剛のイメージは、ジャニーズ事務所において相対的なものとして捉えられることが多い。堂本自身、それをよく理解していた。

「世の中に存在するイメージというものの多くは、第三者が作り上げているものじゃないですか? 僕はそんなことを言っていない、思っていないのに勝手にそうされてしまっている。その人の中では、『言いそう』で、『思ってそう』なんでしょうね。僕の周りにいる人は、僕を理解してくれています。理解するタイミングがない人は、丁寧に想像する前に疲れ、自分の情報の中だけで計算し決めつけた僕という答えを出して終わらせてしまうからか……導き出した答えと現実の僕、それが合わないから『~っぽくない』ということに自然となるんでしょうね」

かつて堂本は、「自由」ではなかった。
デビューしてすぐに大ブレーク。10代の頃は毎日3時間睡眠で、休日は年に3日。分刻みのスケジュールで動き、周囲の求めに応じて表情をつくった。しだいに堂本のメンタルには亀裂が入っていく。多忙な時期の記憶は、ほとんどが失われている。

故ジャニー喜多川の勧めでシンガー・ソングライターとなり、「自分らしく生きる選択」ができるようになったと実感した頃には、30代になっていた。

「最近でこそ、自分らしさが尊重される時代になってきましたけど、今でも自分らしく生きられない人、素直に生きる勇気や場所がない人たちがたくさんいます。世の中は自分らしく生きている人を批判するのではなく、『自分らしく生きる幸せ』を、みんなで優しい心を持って話すだけでいいのにな、と思うんです。優しい心で話しているうちに、人は本当の自分になれるものですから」

「ジャニーズらしさ」は、年々変わっていくもの。こだわることではない。一番大事なのは自分であり、それをファンの人たちにつなげること……堂本がジャニーズに所属し続ける理由は、ここにある。

「柔らかく穏やかに、そういう感覚で僕は生きているからこそ、『ジャニーズっぽくない』カテゴリーに入れられてしまうのかもしれないけど。全てを事務所の許可を得て生きて来ました。事務所に直談判に行くこともあります。たくさんの人を動かすことになるので、一筋縄ではいかないこともある。でも理由や展望を持って話しにいくので、何言ってんの?って弾かれてしまうことはないですね。クリアしていきたいと思っていることはまだまだありますけど。少しずつです。ジャニーズは積極的にSNSに参戦する会社ではなかったけど、それが時代とともに変わってきました。僕が変化してもせずとも、変化していく時代というものがあるので、その時代に反応と順応をしたいと、柔軟に動いているところです」

ジャニーズ事務所では特別な立場にあるように見える堂本だが、単に自由なのではない。それを獲得するために、試行錯誤を続けてきたプロセスがあるのだ。

——人任せにしていたら滞るし、自分で動いたほうが早い

「自分で動く」。インタビューの間、堂本が何度も口にした言葉だ。
アイデアを形にするまでの動きはいつもスピーディーで、さらに二手、三手まで先を見ている。

「こんな世界状況の中でも、お金を出して作品を買ってくださる人がいる。僕が自分らしく仕事をしている姿を、家族や後輩君たちが見てくれている。そう考えたら、素直に動けます。人任せにしていたら滞るし、自分で動いたほうが早い。例えば伝言ゲームで、中継ぎの人が先方に納期を伝える時間が遅れ、作業していただけたはずの時間が減り、締め切りを縮めたり、完成を遅らせてしまったりすることがある。そういう仕事の仕方をする人は多いから、疲れることがあります。作り手、職人の作品に対して必要な時間、作業工程などが、その立場でない人からすると想像してあげられないんでしょうね。だから、直接やりとりすることがほとんどです。相手の心を考えて動くことも、仕事ですから。毎日くたくたですけど」

それでも音楽を作ることは、この上なく楽しい。仕事のスピード感を大切にしているのも、生まれたばかりのアイディアを、新鮮なうちに楽曲として閉じ込めたいとの思いからだ。

「極端にいえば、今このインタビュー中でも曲がひらめいたら、PCを開いてキーボードで打ち込みたくなる、というくらい、アイデアの鮮度を大切にしています」

頭の中で鳴る音楽を可視化し、音符に換えていく。音色を探して、演奏し、形作っていく。予想外に生まれるノイズやバグが、ドラマチックな音につながることがある。

「こういう一連の作業は、生きているからこそできることで、魂になったら、想像を形にすることもできなくなるんです。だから音楽を作ることは、命あることに感謝することでもあるんです。ただ、作品が出来上がって、リリースをするまでには時間がずいぶんと経過するので、リリース時にはもう自分が違うステージに行っていることがほとんど。だから、きょう曲を作ったら1週間後ぐらいにリリースする、そんな時代がくればいいのになって、思ったりもします。メッセージを強く込めた作品は、時代が流れている分、タイミングもクリエーティブの一部なんです」

ラブソングよりも、命や愛を歌いたい。
これは自身が心に傷を負い、パニック障害や突発性難聴に苦しんだ経験から、強く意識するようになったことだ。

「世の中の人々が、理由を持ってたどり着いた傷とか痛みに寄り添う歌詞、メロディー。その役目を持つ楽曲にあの頃の僕は救われ、もう一度生きようという気持ちにまで立ち戻れました。だから自分が作る音楽も、そういう役目でありたい。ジャニーズっぽくないと言われてもいいんです。もっとラブソングのほうが売れるよとか、うん、わかってるけど、ジャニーズにもいろんな歌が存在していいし、自分で作る音楽に、自分ではない歌声を選択することは、しない。限界の中で命を諦めようとしている人を救える音楽を作りたいって、僕は本気で思っているんです。自分と同じ経験をしている人を思いながら書いています。そんな中で少し変わったことは、世界的な問題が起き、みんなが同じ傷や痛みを共有する今、ポジティブな曲を書くようにもなりました。これまで使ってこなかったような、明るい言葉を綴ったりしながら」

——シンガー・ソングライターを続けることは、ジャニーさんの思いを持続させること

10代は、毎日、命が苦しいと思って生きていた。

「いろんな人に助けていただいて、もう一度生きよう、そう思わせてもらえたから僕は生きているんです。その人たちがいなかったら、今この世に僕はいません。当時は変人扱いされたけれど、でも、人は、傷つけば死にたいと思ってしまうものです。そんな人が世の中にはたくさんいること、それをみんなで理解して生きるべきだと、僕は思う。生きたいのに、生きられない人もいるんですよ」

ジャニーズだから、命や愛をテーマにした重い歌を歌ってはいけない? それは違う、と堂本は首を振る。

「ポップな曲はたくさんの人の心を幸せにする。それも理解はしています。命と愛が重たいと言うのなら、人は重たい存在となってしまいます。僕らは愛の果てに生まれた命なのに。重たいと認識してしまうのは悲しいし不思議です。だから、人が理由あってたどり着いた涙や傷に寄り添った曲も、たくさんの人の心を幸せにすると、本気で僕は思っています。死にたいと思わされてしまった経験がない人からは理解されづらいんですけど。僕自身がそう思った過去が悲しくもありました。でも、生きていられることが、今は幸せだと感じていることを、歌を通してあの頃の自分にも、同じように過ごす人たちにも伝えたい。一人で音楽を作る時は、その心を生きたいと思うし、提供したいと思っています」

ジャニーズ事務所には、ほかに“シンガー・ソングライター”として立っている者はいない。

「ジャニーさんに声をかけてもらって、この会社に入り、またジャニーさんからの提案を受けてシンガー・ソングライターになった。形がないゼロの状態から始まり、1にすること。そして、1から2……10へとつなげていくのは生半可な思いでいたら不可能なことですからね」

「そして、いまだやっているのが僕だけだからそれはそれは大変なことも多いけど、ある程度の分かりきった答えに向かうのもつまらないし、続けてこられたのはそれを楽しんできているからです。続けることは、ジャニーさんの思いを持続させることにもなると思っています。今はジャニーズの中で、音楽家のエリアは大きくないですけど、ここを整理整頓する位置にいられたらいいなとは思ってます。後輩君たちにも歌いたい歌があるだろうし、一人ひとりの歌唱スキルを把握して、声の魅力を引き出してもあげたいし、そういうディレクションまでを、本当はやってあげたいですね」

才能のある人たちを、解き放ってあげたい。堂本はまっすぐにそう語った。

今年はシンガー・ソングライターとして、デビュー20周年。ENDRECHERIとして精力的に楽曲をリリース、夏フェスへの参加も決まった。GYAOでの新番組「つよしP」を始動し、ZOZOとのファッションデザインやLINE VOOMなど、さまざまな企画を展開する。

「『決めつけ』るのではなく、素直に発想を出すこと、変で、妙で、面白くて、独創的なモノをたくさん作り、それらをいろんなコンテンツを通して表現する一度きりの僕の人生でありたい。そして『本当の自分を生きることの幸せ』が伝染していくといいなと思っています。僕の心が、『決めつけ』で苦しんで生きている人たちの心に届いて、自分らしく生きてみようという笑顔を与えられたなら、とても幸せだなって思います」

生きていられることが、今は幸せだと感じているーー堂本剛が、自分の歌で伝えたいこと(Yahoo!ニュース オリジナル 特集)

「自分で楽曲を作って歌うということ。それは自炊に近い。心も体もすごく楽なんです」

シンガー・ソングライターの活動を始めて20周年、堂本剛は今、もっとも自分らしい状態にあるという。“本当の自分で生きられる喜び”を表現したものが、自分の作る音楽。この思いと行動が誰かの人生の、自分らしさを取り戻す幸せへとつながればうれしい……多忙なアイドル時代を駆け抜け、自身も生きづらさを抱えたからこそ見えてきた境地がある。仕事への矜持、そして死生観。堂本剛を突き動かすものとは。(取材・文:山野井春絵/撮影:殿村誠士/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)

>インスタグラムの使い方を「間違いたい」

およそ1年前から堂本剛が始めたインスタグラムは、はなから不思議なものだった。ポートレートはほぼ同じアングルで、どんどん眉毛が濃くなっていき、最後には額全体がアイブロウで埋め尽くされる。コメントは一言、「どうもジャニーズです」。まるでモダンアートだ。何か強いメッセージ性を帯びているようにも見える。その後も眉毛写真の投稿は続き、ネット上ではさまざまな臆測が飛び交った。

これについて、本人はこともなげに語る。

「テーマは『インスタの使い方を間違いたい』でした。隙間時間で、他人の眉毛が太くなり、元に戻っていく写真を見るという無駄な時間をご提供することで、『笑い』『勇気』『なんでやねん』が発生すればいいなという、そんな発想です。無駄な時間って幸せだったりしませんか? 個人の日常を羅列するだけではなくて、こんな時代、笑ってほしくて、これ何? 説明して?ってみんなが困惑つっこみするようなものを軸にしました。インスタグラムを、宣伝の空間として使いつつ笑かしにかかっています。事務所の人たちがインスタをやりやすい環境にもつながればと思い、僕はこんな行動をしてみました。」

>「ジャニーズっぽくない」と言われて

「アーティスティック」「生活感がない」「不思議」「自由」……。
こうした堂本剛のイメージは、ジャニーズ事務所において相対的なものとして捉えられることが多い。堂本自身、それをよく理解していた。

「世の中に存在するイメージというものの多くは、第三者が作り上げているものじゃないですか? 僕はそんなことを言っていない、思っていないのに勝手にそうされてしまっている。その人の中では、『言いそう』で、『思ってそう』なんでしょうね。僕の周りにいる人は、僕を理解してくれています。理解するタイミングがない人は、丁寧に想像する前に疲れ、自分の情報の中だけで計算し決めつけた僕という答えを出して終わらせてしまうからか……導き出した答えと現実の僕、それが合わないから『~っぽくない』ということに自然となるんでしょうね」

かつて堂本は、「自由」ではなかった。
デビューしてすぐに大ブレーク。10代の頃は毎日3時間睡眠で、休日は年に3日。分刻みのスケジュールで動き、周囲の求めに応じて表情をつくった。しだいに堂本のメンタルには亀裂が入っていく。多忙な時期の記憶は、ほとんどが失われている。

故ジャニー喜多川の勧めでシンガー・ソングライターとなり、「自分らしく生きる選択」ができるようになったと実感した頃には、30代になっていた。

「最近でこそ、自分らしさが尊重される時代になってきましたけど、今でも自分らしく生きられない人、素直に生きる勇気や場所がない人たちがたくさんいます。世の中は自分らしく生きている人を批判するのではなく、『自分らしく生きる幸せ』を、みんなで優しい心を持って話すだけでいいのにな、と思うんです。優しい心で話しているうちに、人は本当の自分になれるものですから」

「ジャニーズらしさ」は、年々変わっていくもの。こだわることではない。一番大事なのは自分であり、それをファンの人たちにつなげること……堂本がジャニーズに所属し続ける理由は、ここにある。

「柔らかく穏やかに、そういう感覚で僕は生きているからこそ、『ジャニーズっぽくない』カテゴリーに入れられてしまうのかもしれないけど。全てを事務所の許可を得て生きて来ました。事務所に直談判に行くこともあります。たくさんの人を動かすことになるので、一筋縄ではいかないこともある。でも理由や展望を持って話しにいくので、何言ってんの?って弾かれてしまうことはないですね。クリアしていきたいと思っていることはまだまだありますけど。少しずつです。ジャニーズは積極的にSNSに参戦する会社ではなかったけど、それが時代とともに変わってきました。僕が変化してもせずとも、変化していく時代というものがあるので、その時代に反応と順応をしたいと、柔軟に動いているところです」

ジャニーズ事務所では特別な立場にあるように見える堂本だが、単に自由なのではない。それを獲得するために、試行錯誤を続けてきたプロセスがあるのだ。

>人任せにしていたら滞るし、自分で動いたほうが早い

「自分で動く」。インタビューの間、堂本が何度も口にした言葉だ。
アイデアを形にするまでの動きはいつもスピーディーで、さらに二手、三手まで先を見ている。

「こんな世界状況の中でも、お金を出して作品を買ってくださる人がいる。僕が自分らしく仕事をしている姿を、家族や後輩君たちが見てくれている。そう考えたら、素直に動けます。人任せにしていたら滞るし、自分で動いたほうが早い。例えば伝言ゲームで、中継ぎの人が先方に納期を伝える時間が遅れ、作業していただけたはずの時間が減り、締め切りを縮めたり、完成を遅らせてしまったりすることがある。そういう仕事の仕方をする人は多いから、疲れることがあります。作り手、職人の作品に対して必要な時間、作業工程などが、その立場でない人からすると想像してあげられないんでしょうね。だから、直接やりとりすることがほとんどです。相手の心を考えて動くことも、仕事ですから。毎日くたくたですけど」

それでも音楽を作ることは、この上なく楽しい。仕事のスピード感を大切にしているのも、生まれたばかりのアイディアを、新鮮なうちに楽曲として閉じ込めたいとの思いからだ。

「極端にいえば、今このインタビュー中でも曲がひらめいたら、PCを開いてキーボードで打ち込みたくなる、というくらい、アイデアの鮮度を大切にしています」

頭の中で鳴る音楽を可視化し、音符に換えていく。音色を探して、演奏し、形作っていく。予想外に生まれるノイズやバグが、ドラマチックな音につながることがある。

「こういう一連の作業は、生きているからこそできることで、魂になったら、想像を形にすることもできなくなるんです。だから音楽を作ることは、命あることに感謝することでもあるんです。ただ、作品が出来上がって、リリースをするまでには時間がずいぶんと経過するので、リリース時にはもう自分が違うステージに行っていることがほとんど。だから、きょう曲を作ったら1週間後ぐらいにリリースする、そんな時代がくればいいのになって、思ったりもします。メッセージを強く込めた作品は、時代が流れている分、タイミングもクリエーティブの一部なんです」

ラブソングよりも、命や愛を歌いたい。
これは自身が心に傷を負い、パニック障害や突発性難聴に苦しんだ経験から、強く意識するようになったことだ。

「世の中の人々が、理由を持ってたどり着いた傷とか痛みに寄り添う歌詞、メロディー。その役目を持つ楽曲にあの頃の僕は救われ、もう一度生きようという気持ちにまで立ち戻れました。だから自分が作る音楽も、そういう役目でありたい。ジャニーズっぽくないと言われてもいいんです。もっとラブソングのほうが売れるよとか、うん、わかってるけど、ジャニーズにもいろんな歌が存在していいし、自分で作る音楽に、自分ではない歌声を選択することは、しない。限界の中で命を諦めようとしている人を救える音楽を作りたいって、僕は本気で思っているんです。自分と同じ経験をしている人を思いながら書いています。そんな中で少し変わったことは、世界的な問題が起き、みんなが同じ傷や痛みを共有する今、ポジティブな曲を書くようにもなりました。これまで使ってこなかったような、明るい言葉を綴ったりしながら」

>シンガー・ソングライターを続けることは、ジャニーさんの思いを持続させること

10代は、毎日、命が苦しいと思って生きていた。

「いろんな人に助けていただいて、もう一度生きよう、そう思わせてもらえたから僕は生きているんです。その人たちがいなかったら、今この世に僕はいません。当時は変人扱いされたけれど、でも、人は、傷つけば死にたいと思ってしまうものです。そんな人が世の中にはたくさんいること、それをみんなで理解して生きるべきだと、僕は思う。生きたいのに、生きられない人もいるんですよ」

ジャニーズだから、命や愛をテーマにした重い歌を歌ってはいけない? それは違う、と堂本は首を振る。

「ポップな曲はたくさんの人の心を幸せにする。それも理解はしています。命と愛が重たいと言うのなら、人は重たい存在となってしまいます。僕らは愛の果てに生まれた命なのに。重たいと認識してしまうのは悲しいし不思議です。だから、人が理由あってたどり着いた涙や傷に寄り添った曲も、たくさんの人の心を幸せにすると、本気で僕は思っています。死にたいと思わされてしまった経験がない人からは理解されづらいんですけど。僕自身がそう思った過去が悲しくもありました。でも、生きていられることが、今は幸せだと感じていることを、歌を通してあの頃の自分にも、同じように過ごす人たちにも伝えたい。一人で音楽を作る時は、その心を生きたいと思うし、提供したいと思っています」

ジャニーズ事務所には、ほかに“シンガー・ソングライター”として立っている者はいない。

「ジャニーさんに声をかけてもらって、この会社に入り、またジャニーさんからの提案を受けてシンガー・ソングライターになった。形がないゼロの状態から始まり、1にすること。そして、1から2……10へとつなげていくのは生半可な思いでいたら不可能なことですからね」

「そして、いまだやっているのが僕だけだからそれはそれは大変なことも多いけど、ある程度の分かりきった答えに向かうのもつまらないし、続けてこられたのはそれを楽しんできているからです。続けることは、ジャニーさんの思いを持続させることにもなると思っています。今はジャニーズの中で、音楽家のエリアは大きくないですけど、ここを整理整頓する位置にいられたらいいなとは思ってます。後輩君たちにも歌いたい歌があるだろうし、一人ひとりの歌唱スキルを把握して、声の魅力を引き出してもあげたいし、そういうディレクションまでを、本当はやってあげたいですね」

才能のある人たちを、解き放ってあげたい。堂本はまっすぐにそう語った。

今年はシンガー・ソングライターとして、デビュー20周年。ENDRECHERIとして精力的に楽曲をリリース、夏フェスへの参加も決まった。GYAOでの新番組「つよしP」を始動し、ZOZOとのファッションデザインやLINE VOOMなど、さまざまな企画を展開する。

「『決めつけ』るのではなく、素直に発想を出すこと、変で、妙で、面白くて、独創的なモノをたくさん作り、それらをいろんなコンテンツを通して表現する一度きりの僕の人生でありたい。そして『本当の自分を生きることの幸せ』が伝染していくといいなと思っています。僕の心が、『決めつけ』で苦しんで生きている人たちの心に届いて、自分らしく生きてみようという笑顔を与えられたなら、とても幸せだなって思います」

因为雪松隔挡,三号教学楼的阳光总照不进来。
我不喜欢上的就是“西安鼓乐”这门课,先生四十多点,口音重,名字也不好念,明卟剑,我们老叫他明儿不见。西安鼓乐,说白了就是敲锣打鼓,说得好听点,那就是唐代宫廷燕乐。
上学那会儿意气风发,总觉着练好自己的专业就行,其他选修课只要不挂,入都入不了眼,三年时光晃晃悠悠,我也从学妹摇成了学姐,最后一次去听“西安鼓乐”,本是为了那四个点的学分,却让我受益匪浅,一生难忘。
那日算不上烈日炎炎,却闷的紧,我闲散着上了二楼,要搁平时,一踏进楼道就能听到那死难听的《朝天子》,笙竽锣梆一应俱全,再配上那屮(che)厶(si)丿(yi)厶(si)的唱法,刚好能在班里睡个回笼觉,今儿却没听到那声。
奇了,先生还没来?
我进得挺早,班里没什么人,便挑了个靠窗的位置坐下,七月份的西安热得发慌,光是坐在窗边也不够,怕是得坐进水池里才凉快。
同学们陆陆续续都来得早,还有许多我一学期都没怎么见过的‘生面孔’,大家心思一样,就是那四个点。本是安静的午后略显得嘈杂,人都挤着往电风扇下坐,我是占了捷足先登的好,没人与我抢这自来风。
眼看着要到点了,明先生还是未来,人群窸窸窣窣,交头接耳,三号楼是苏联时期建的楼,东西都置办得陈旧,我趴在那老木头的桌面上,一双皮鞋就这么入了眼。
那人轻咳着进了教室,手里抱了本书,金丝边的眼眶松垮的搭在耳后,衬衣也有褶皱,三十出头却看着有些憔悴。
“抱歉同学们,来晚了。”
我本以为见着了明先生,却没想着来的是他学生,余正华。
那人气喘吁吁,像是刚跑过的样子,他摸索着开了CD机,里面终是放着不变的那首《朝天子》,酣畅淋漓的唢呐声一响,睡觉的几个人就都醒了,大家都听的呱噪,我却见着余老师抹了下眼泪。
一节课过的挺快,毕竟听听曲儿,打打拍子就能混去,到了时间,同学们又陆陆续续出了班,余老师却淡淡的说了声:“同学们,再见。”
我本未觉出什么,下楼却像是扯了腿,我忆起余老师的神情,停了步子,转身就往回跑。

余老师正收拾着桌上的笔记,看着去而复返的我,问道:“怎么了同学?”
他可能也记不住我的名字,我粗喘着气,看着余老师,倏然说道:“老师,能与我讲讲明先生的事吗?”那阳光带着慵懒洒向地面,余正华的鞋子却踏着泥泞,教室里的风扇一下一下的转着,时光似是戛然而止。
余老师先是未说话,随后却满是柔情。
“先生他…内子他,以后都不来了。”他说完扔了粉笔到盒子里,又说道:“不过你们这届大三也修完了。”
我先是一惊,后又觉着这应是个很长的故事,便坐到了讲桌前的桌子上,余老师手撑着桌沿,笑着说道:“先生他,人挺好。”
他翻着那本《西安鼓乐》,暖阳照过书页,好似又回到那个初识的日子,他意气风发,他正值风华,他27,他18。
余正华是民乐系二胡专业的学生,进校时因为技艺高超,被系主任点了做学生,一节专业课上的他头痛欲裂,正想着中午吃什么,金庭就开了口:“正华,这本书你给明老师送去。”
“明老师?”
“明卟剑。”金庭收了二胡,说道。
余正华应是没听清,说了句:“明不见?”
金庭年纪不小,却是个老来宝,一点也无系主任的架子,他朝着余正华笑了笑,道:“差不多吧。”
余正华当头一棒,苦瘪了脸,他接过书本一看,《西安鼓乐》,这门课他们还没开,这先生他也不识得。
“家属院一栋一单元一楼东户,好记吧?”金老笑笑,拍了拍这小子的肩膀。
余正华最怕这笑面虎,虽是关系好,却也杵得很,他再怎么技艺高超,却也听话的去了。
好在是家属院离着教学楼不远,一条梧桐大道走到头,就是家属院的老门,余正华跨着步子往前走,门卫大爷扬声道:“找谁?”
余正华本就没好气,听了这老陕腔调,更是火冒三丈,“送东西!”余正华喊道。
“哪栋哪户哪单元?”
余正华咬了咬牙,翻了白眼道:“一栋一楼一单元,明不见!”
他连老师都未叫,真是熊心豹子胆。
那门卫还未反应过来,就听着不远处传来一声:“哎!在这儿呢!”
两人闻声转了过去,就见一中山装的男人,撩了两支袖子,灰头土脸的小跑了过来。
“谁找我?”
余正华的眼镜跌了一半,他张着嘴,有种被人揪了小辫儿的感觉,门卫这才放行,余正华未免尴尬,轻声说道:“明,明老师,这是您的书。”
明卟剑这才笑道,“方才你唤我来着?”
余正华红了脸,推了推眼镜,谁想这明先生是个好脾气,拉着人就往前院里去,“我这儿正挖荠菜呢,来帮忙。”
他说着递给了余正华一个小铲子,细心的帮人撸了袖子。
“来吧!”
就这样,余正华不仅帮着金主任送了书,还帮着明先生挖了菜。
“先生,我还未吃饭呢。”
“唤我名字的时候,可这样胆怯?”余正华不占理,就这么扯着塑料袋。
烈日当空,却是清风徐来,明卟剑干完了也没放余正华走,这小子耐心有点告罄了,站在那儿直抖腿。
“男抖贫,女抖欠,人抖穷,树抖死。”明卟剑捆了塑料袋,路过余正华说了一句。
“我不信这。”
余正华斜眼打量着这人,文质彬彬的书呆子,就是形容这样的人,他解了中山装的一个扣,擦了擦汗,道:“想吃什么?”
余正华没料到这人与他说话,便说道:“先生,我来之前吃过饭了。”
说完肚子就叫了。
两人无言,明卟剑笑了笑,进了厨房,这楼也老,屋子里都是些宣纸毛笔,因着在一楼,总也见不到光,虽是夏天却也有些冻手,余正华就这么站在门口,没过一会先生便端来了一份“鸡蛋羹”。
“你来送了书,又来挖了菜,本是该感谢你,我却在厨艺上没什么本事。”这人比他高个半头,缩起来却小得很,余正华别过脸接了羹,轻声说道:“总不能站着让人吃吧。”
明卟剑忙用胳膊扫开了宣纸,这才腾出了一点地方。

屋里老电视机放着《霸王别姬》,收音机里却响着时事新闻,余正华不解的问道:“老师,您多大了?”
“看着小?”
“不,看着老。”余正华是个嘴不把门的,就这么戳了出来。
明卟剑:“……”
“年方二七,臭小子。”明卟剑没好气的挖了勺鸡蛋羹,忿忿说道。
“年纪不大啊,怎么就听些这老不溜秋的东西呢?”余正华说着,那电视里就响起了程蝶衣的唱曲儿。
明卟剑有些听入迷,跟着哼了两句,道:“这都是好东西啊,你还小,不懂。”
午饭过后,明卟剑送走了余正华,他出了门,却久久忘不了明卟剑那句:“假霸王碰上了真虞姬。”,也忘不了程蝶衣那句:“不疯魔不成活。”
许是戏听腻了,一碗鸡蛋羹便饱了肚。
此后再见,便是每节的‘西安鼓乐’课,那人满腹经纶却洒向了教室瞌睡人,但他总是孜孜不倦,即使看到那一个个瞌睡的面孔,依旧是意气风发,余正华觉得心疼,他不知是心疼鼓乐还是心疼这人。
那节课后,他老老实实的端了书,走了过去,沉声道:“先生,可否与我再说一遍?”
“上课没仔细听?”
余正华笑笑,明卟剑也笑笑。
“那日顶好的天,先生笑的格外开心,我只记得我问他‘为何如此不知疲倦?’,他只说,‘这东西总得有人传承’。那一刻我才明白,原来很多东西是有人拉着扯着,才得以保存。”
我本想问,为何明先生不来了,余老师似是看出我的疑惑,轻声道:“先生他患了再生不良性贫血,于上周四13时26分,逝世了。”
我不言其他,只咽了咽喉。

那天我从教室走出,不知怎的,心里就十分难受,也是在那时,我定下了自己论文的题目:
《传承》
我用了一年的时间将它完成,却如何也敲不下结尾,连日辗转反侧,左右斟酌,我才写下:传承是一份呕心沥血,生活是,生命是,爱也是。

这篇论最终获了奖,刊登在校园报上。

庆幸的是,西安鼓乐被申请了非物质文化遗产,而这门课也一直延续至今,我不说谁是假霸王,谁是真虞姬,单说这余老师对先生的追随,那便是不疯魔不成活。
我已毕业十年,每年余老师生日,我都会再去那小院看望他,他总是抱着那本《西安鼓乐》,迎着余晖向我走来,真正的风华正茂,我惝恍之中好像瞧见了明先生的影子,他带着笑,说那一句“臭小子!”
又过十年,余老师的眼睛不行了,金边变成了老花,课也上不动,我最终抛下自己的工作,回到了母校,‘传承’了他们的信念,直到任职那天我才知道,西安鼓乐这门课,从始至终,都是没有工资没有补助。我站在讲台上,乐此不疲的对着坐下学生,鸡同鸭讲一般,我却没有半丝气馁,因为总有人在砥砺前行。
那日课后,余老扶着墙走到教室,看了看那些认真记笔记的后生仔,突然笑了笑,念叨:
“老来多健忘,唯不忘相思。”
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  • 一直很懒得编辑 以至于最直观的感受已经有些忘了 真的是鱼的记忆 无语子早上又检查了一遍行李 先放到楼下 去吃早饭饭 把行李拿到车上后 到草坪集合 是最后一个户