#中日互译#
应该是写作也可以用到的表达[鼓掌]
①朝霧が海の如く敷いている:晨雾如大海般弥漫着
②〜だったか、〜だったか記憶は定かではない:是…还是…,已经记不清了
③信的内容是这样的:……:〜〜〜といった意味のことが書かれてある
④生来就…天性就是…:根っこから〜〜
⑤一人芝居は一人では決して打てない:一个人演不成独角戏
⑥比别人更加…:人一倍に〜〜
⑦对什么都会感到吃惊:なんにでもびっくりしてしまう
⑧普普通通的…:なんてことない〜
⑨也说不上…:〜ってこともない(が)
⑩得体の知れない不吉な塊心を押さえつけている:莫名的不祥之感像一块巨石压在心头
#日语专业考研[超话]# #日语写作[超话]# #日语考研[超话]# #
应该是写作也可以用到的表达[鼓掌]
①朝霧が海の如く敷いている:晨雾如大海般弥漫着
②〜だったか、〜だったか記憶は定かではない:是…还是…,已经记不清了
③信的内容是这样的:……:〜〜〜といった意味のことが書かれてある
④生来就…天性就是…:根っこから〜〜
⑤一人芝居は一人では決して打てない:一个人演不成独角戏
⑥比别人更加…:人一倍に〜〜
⑦对什么都会感到吃惊:なんにでもびっくりしてしまう
⑧普普通通的…:なんてことない〜
⑨也说不上…:〜ってこともない(が)
⑩得体の知れない不吉な塊心を押さえつけている:莫名的不祥之感像一块巨石压在心头
#日语专业考研[超话]# #日语写作[超话]# #日语考研[超话]# #
【中村屋酒店の兄弟】
『中村屋酒店の兄弟』藤原季節さん、長尾卓磨さんインタビュー
―お2人は最初から俳優を目指していらっしゃったんですか?
藤原 僕は物心ついた時から俳優になりたいと思っていました。映画が好きだったんですよ。ジャッキー・チェンに憧れて、絶対俳優になるぞと決めていたので高校卒業後上京しました。
―じゃあ夢を叶えられたんですね。
藤原 まあまだ途中ではありますけれども。一応。
長尾 子どものころ、「先祖が上杉謙信だよ」と聞いて、戦国武将になりたかったんです。現代社会では無理だなと思って、馬に乗って刀振り回すにはこの中に入ればいいのかなって。それが中井貴一さん主演の「武田信玄」(1988年大河ドラマ)。仕事としては大学卒業してから広告代理店に入って、遠回りしました。
―俳優じゃなく”武将”が始まり!だからお城巡りがお好きなんですね。なりたかった武将役は?
長尾 『信虎』(2021/金子修介監督)で上杉景勝(長尾顕景)役をやらせていただきました。やってみたいのは、やはり上杉謙信(長尾景虎)役です。
nakamuraya1.jpg
―役をいただいたときと、演じ終わってから印象の違いはありましたか?
藤原 役をいただいたときは、兄弟との関係性で役を見ているというよりは「和馬」という役にフォーカスして見ていたんです。東京と実家を行き来して居場所を探している青年を演じるんだな、って。演じ終わったときに、長尾さんっていうお兄ちゃんと共演して「兄と一緒にいるときの自分」っていうのは、ある意味弟という役割だったり、仮面をかぶった弟という人間を演じようとしている青年でもあるなと思って。それが自分が働いている、東京でやってきたこととかが兄にバレたりして、そういう身ぐるみ剥がされていくというか正体がバレていくところの変化だったり、関係性においての青年にフォーカスを合わせて見れるようになった。それが演じる前と後では違いました。
長尾 僕も最初の印象では「何を勝手なこと言ってるんだ」と弟に対してあったんですけど、季節くんが、会った瞬間から可愛くて、どんどん可愛くなってきて、なんかずっと横顔を見ていたような感覚がありました。
監督が常々「優しく、もっともっと優しく接してください。怖いほど優しく。全て表面上は優しく」と言っていて。終わったときは、今、季節くんが言ってくれたみたいに、「兄という役割を自分で作っている」「兄としての役割を急に演じなくてはいけないと思いこんだ人間」なんじゃないかなと、同じようなことを考えました。
―優しい、いいお兄ちゃんでした。
藤原 その「優しい、いいお兄ちゃん」っていうのは、弟の前で見せるお兄ちゃんの顔で、本当のところは何もわからない。そういう裏側も見える映画になっていればいいなと思います。
―お兄ちゃんが一瞬怖く見えるところがありますね。お母さんの介護をずっと1人で背負ってきて、数年後に帰ってきた何もしなかった弟に対しての葛藤があると思いました。
藤原 そう見ていただけると嬉しいです。
―お母さんの言う「ありがとう」が他人に対しての「ありがとう」で、そこがお兄ちゃんには辛いだろうと思いました。お2人は、お若いので介護の経験はないでしょう?
長尾 祖父母はいますが、そこまでの介護はしていないです。
藤原 僕も未経験です。
―長尾さん、ご兄弟はいらっしゃいますか?
長尾 いません。ひとりっ子です。
―藤原さんは妹さんがいらっしゃるんですよね。
藤原 はい、そうです。姉もいます。
―女の子の間の男の子って特権階級みたいなものです(笑)。優遇されますよね。
長尾・藤原 (笑)そうですね。
藤原 たしかに、優遇という言い方はあれなんですけど、母からは可愛がってもらってたんじゃないかな、と思います。
―「しかたがないなぁ」と思いつつ弟は可愛い。お兄ちゃんは弟が生まれたとたん「お兄ちゃん」でいなくちゃいけなくて、それなのに…という辛さもあります。短い中にいろんなことが詰まっていて、監督さんがお若いのにこのお話、と驚きました。
藤原 僕もそう思いました。
長尾 うん。
―今振り返ってみて、印象に残っているシーンは?
藤原 最後に兄が弟に言う言葉ですね。封筒の。
あの台詞に白磯君が言いたかった兄弟の距離間というものが、全部詰まっているように思います。弟が東京で何をしてきたかということを知って、兄が問い詰めることもできた。でもそれを全部飲み込んで、あの台詞に全てを込めるっていうのがやりたかったことなんじゃないかな。
そのとき自分が演じていた和馬の表情も印象的だなと、自分自身思いました。
―まばたき多くなっていました。
藤原 (笑)
―お兄ちゃんはいかがでしょうか?
長尾 僕はその前夜の2人でタバコを吸うところ。弟がどういう時間を過ごして店の前に出てきたのか、言葉を用意していたのか、しなかったのかという2人の関係。兄ははじめ、次の日に行くことがわかっているのかいないのか。2人のあいだにたゆたう時間、とても印象的でしたね。
IMG_6917 (2).jpg
―この映画で耳に残ったのが、2人が呼ぶ「母ちゃん」なんです。いいな、と思いました。お2人差支えなかったら、お母さんを何と呼んでいらっしゃるか教えてください。
藤原 僕は「かあちゃん」って呼んでますね。
―映画と同じですね。長尾さんは?
長尾 ○○子。さん付けするか、しないか。
―名前を呼ぶんですか?
藤原 長尾さんらしいですね。
長尾 そうかな? 十代から両親は名前で呼んでいます。
―それは、ご両親に言われたわけじゃなくて、自分で?
長尾 はい、自分で。家に来る友達もみんなそう呼んでいました。
―母親という役割より○○子さんが前に出ているって、すごく個人的というか欧米っぽいです。
長尾 反抗期のころで、所詮他人だろうっていうのもあって。その方が人として敬意をもって接することができるだろう、と。お袋っていうのもなんかちょっと。
藤原 父親のことを「親父」って呼べないな、呼んでみたいな、とかありますけど。「所詮他人だろう」っていうのは言い方を変えれば、他人として認識している。「母」ってあてはめちゃうとどうしても甘えが出てきちゃいますが、一人の他人だと認識することで敬意を持てる側面もあると思います。
―個人として尊重しているって感じがしますね。クールだ!とっても(笑)。
藤原 原田芳雄さんも自分の息子に下の名前で呼ばせてたって。
長尾 そうなんだ。
―監督が俳優を選ぶように、俳優も作品を選びますね。そのときに決め手になるものはなんですか?
藤原 やっぱり最初に脚本。その次に過去の作品。スタッフ、で最後にキャストですね。
―自分のほかに誰が出るかということですね。自分の役柄についてこだわりはありますか?
藤原 それよりも、その役柄がその作品にどういった影響を及ぼしているかとか、作品のことをまずは考えて、小さい役でもそれに参加すべきだなと思ったら参加します。
―例えば快楽殺人犯の役とか、自分はちょっとと思うことは?
藤原 新しい感情とか、新しい自分に出逢えるチャンスがあるなら僕は飛び込みたい、と思っています。
―おお、チャレンジャーです! 長尾さんは?
長尾 監督含め、撮りたい方々が…なんとなくこういうと生意気かもしれないですけど、今の世の中に対してどう思っているかということが感じられると嬉しいですね。参加する身としては。自分が生きている環境、取り巻いている世界に対して、どういうものを持って表現したいかを、監督、脚本から感じ取れると参加させてもらえる意義を感じる気がします。
―監督さんにもよると思いますが、たとえば自分の役作りでたくさんディスカッションしたいほうですか? 任されたいほうですか?
長尾 どっちでも(笑)。
藤原 長尾さん結構、「向こうが望むなら僕はするし」という、なんかいい意味での受け入れというか、懐の深さがある人だなと現場で思いました。
―受け入れる間口広いんですね。かなり広いんですか?
長尾 それで季節くんをとまどわせてしまったかも(笑)。
藤原 最初とまどいました。
―広いと嬉しくないですか?ストライクゾーン広くて、どんなのも受け止めてくれる。
藤原 多少イラっとすることとか、これは言わなきゃっていうことも長尾さんは絶対言わない。全部受け止める。この人何考えてるんだろうと、最初思いましたね。
長尾(笑)
―映画の中村兄弟みたいですね。
藤原 そうですね。スタッフが映画を撮ったことのないチームだったので、最初はやり方がわからない中でしたが、3,4日経つと長尾さんや僕が望んでいた動き方に自然となっていきました。お芝居の中で起きたことを撮る。最初は「撮る」ことが目的なんですけど、僕たち2人の中で起きたことを撮ろうという流れに変わっていったんです。まずお芝居を見てから、何を撮るか考えよう、みんなでって。それは長尾さんが初日から黙っていたことで、自然発生的に起きていったことでしたね。
―呼び水。黙って。
長尾 そんなたいそうなもんじゃない(笑)。
―ご本人はそんなに意識しないでやっていたんでしょうか?
長尾 しないと言ったらウソになるかと思うんですけど。なんか見ないようにしようと思って(笑)、変な言い方だけど。
IMG_6919.jpg
―では最後にこの映画のテーマのひとつでもある「消えてほしくないもの」はなんですか?パッと思いついたことを。
藤原 パッと思いつくもの。手書きの手紙とか捨てられないです。新しくいろんなものが生まれていって、人の体温の残っている直筆の手紙は減っていくのかもしれないですけど、消えてほしくないなと思いますね。
―お母さんからの手紙はとってあるんですか?
藤原 ずーっと全部とってあります。捨てられないです。
―10年分?! お返事は出しています?
藤原 出してませんね。
―親って手紙すごく待っているんですよ。
藤原 そうですよね、書いてみます。やっぱりメールとかと違いますよね。
―違いますよー。お母さんを思って時間かけて書くんですから。
ハガキでいいですし、何と書いてあったって親は嬉しいものです。
藤原 はい、わかりました。
―長尾さんの消えてほしくないものは?
長尾 僕は「家族との思い出」ですかね。ぱっと思い浮かぶのは。どこかに行ったとか忘れてることって意外とたくさんあるなと思って。
―思い出は自分だけのものですものね。形のあるものでは何か?
長尾 その辺の再開発で、好きだった古くからの料理屋さんとかがなくなるのはとっても悲しい。
藤原 「家族との思い出」ってハッとしますね。全部消えていくものじゃないですか。
長尾 うんうん。
藤原 なんか切ないですね。それは。
―この映画で、お母さんが忘れていってしまうのにも繫がりますよね。和馬とお兄ちゃんにも。
藤原 それをわかったうえで「家族の思い出」って着想する長尾さんにぐっとくるものがあります。
長尾(笑)
―素敵なお答えをいただけました。ありがとうございました。
『中村屋酒店の兄弟』藤原季節さん、長尾卓磨さんインタビュー
―お2人は最初から俳優を目指していらっしゃったんですか?
藤原 僕は物心ついた時から俳優になりたいと思っていました。映画が好きだったんですよ。ジャッキー・チェンに憧れて、絶対俳優になるぞと決めていたので高校卒業後上京しました。
―じゃあ夢を叶えられたんですね。
藤原 まあまだ途中ではありますけれども。一応。
長尾 子どものころ、「先祖が上杉謙信だよ」と聞いて、戦国武将になりたかったんです。現代社会では無理だなと思って、馬に乗って刀振り回すにはこの中に入ればいいのかなって。それが中井貴一さん主演の「武田信玄」(1988年大河ドラマ)。仕事としては大学卒業してから広告代理店に入って、遠回りしました。
―俳優じゃなく”武将”が始まり!だからお城巡りがお好きなんですね。なりたかった武将役は?
長尾 『信虎』(2021/金子修介監督)で上杉景勝(長尾顕景)役をやらせていただきました。やってみたいのは、やはり上杉謙信(長尾景虎)役です。
nakamuraya1.jpg
―役をいただいたときと、演じ終わってから印象の違いはありましたか?
藤原 役をいただいたときは、兄弟との関係性で役を見ているというよりは「和馬」という役にフォーカスして見ていたんです。東京と実家を行き来して居場所を探している青年を演じるんだな、って。演じ終わったときに、長尾さんっていうお兄ちゃんと共演して「兄と一緒にいるときの自分」っていうのは、ある意味弟という役割だったり、仮面をかぶった弟という人間を演じようとしている青年でもあるなと思って。それが自分が働いている、東京でやってきたこととかが兄にバレたりして、そういう身ぐるみ剥がされていくというか正体がバレていくところの変化だったり、関係性においての青年にフォーカスを合わせて見れるようになった。それが演じる前と後では違いました。
長尾 僕も最初の印象では「何を勝手なこと言ってるんだ」と弟に対してあったんですけど、季節くんが、会った瞬間から可愛くて、どんどん可愛くなってきて、なんかずっと横顔を見ていたような感覚がありました。
監督が常々「優しく、もっともっと優しく接してください。怖いほど優しく。全て表面上は優しく」と言っていて。終わったときは、今、季節くんが言ってくれたみたいに、「兄という役割を自分で作っている」「兄としての役割を急に演じなくてはいけないと思いこんだ人間」なんじゃないかなと、同じようなことを考えました。
―優しい、いいお兄ちゃんでした。
藤原 その「優しい、いいお兄ちゃん」っていうのは、弟の前で見せるお兄ちゃんの顔で、本当のところは何もわからない。そういう裏側も見える映画になっていればいいなと思います。
―お兄ちゃんが一瞬怖く見えるところがありますね。お母さんの介護をずっと1人で背負ってきて、数年後に帰ってきた何もしなかった弟に対しての葛藤があると思いました。
藤原 そう見ていただけると嬉しいです。
―お母さんの言う「ありがとう」が他人に対しての「ありがとう」で、そこがお兄ちゃんには辛いだろうと思いました。お2人は、お若いので介護の経験はないでしょう?
長尾 祖父母はいますが、そこまでの介護はしていないです。
藤原 僕も未経験です。
―長尾さん、ご兄弟はいらっしゃいますか?
長尾 いません。ひとりっ子です。
―藤原さんは妹さんがいらっしゃるんですよね。
藤原 はい、そうです。姉もいます。
―女の子の間の男の子って特権階級みたいなものです(笑)。優遇されますよね。
長尾・藤原 (笑)そうですね。
藤原 たしかに、優遇という言い方はあれなんですけど、母からは可愛がってもらってたんじゃないかな、と思います。
―「しかたがないなぁ」と思いつつ弟は可愛い。お兄ちゃんは弟が生まれたとたん「お兄ちゃん」でいなくちゃいけなくて、それなのに…という辛さもあります。短い中にいろんなことが詰まっていて、監督さんがお若いのにこのお話、と驚きました。
藤原 僕もそう思いました。
長尾 うん。
―今振り返ってみて、印象に残っているシーンは?
藤原 最後に兄が弟に言う言葉ですね。封筒の。
あの台詞に白磯君が言いたかった兄弟の距離間というものが、全部詰まっているように思います。弟が東京で何をしてきたかということを知って、兄が問い詰めることもできた。でもそれを全部飲み込んで、あの台詞に全てを込めるっていうのがやりたかったことなんじゃないかな。
そのとき自分が演じていた和馬の表情も印象的だなと、自分自身思いました。
―まばたき多くなっていました。
藤原 (笑)
―お兄ちゃんはいかがでしょうか?
長尾 僕はその前夜の2人でタバコを吸うところ。弟がどういう時間を過ごして店の前に出てきたのか、言葉を用意していたのか、しなかったのかという2人の関係。兄ははじめ、次の日に行くことがわかっているのかいないのか。2人のあいだにたゆたう時間、とても印象的でしたね。
IMG_6917 (2).jpg
―この映画で耳に残ったのが、2人が呼ぶ「母ちゃん」なんです。いいな、と思いました。お2人差支えなかったら、お母さんを何と呼んでいらっしゃるか教えてください。
藤原 僕は「かあちゃん」って呼んでますね。
―映画と同じですね。長尾さんは?
長尾 ○○子。さん付けするか、しないか。
―名前を呼ぶんですか?
藤原 長尾さんらしいですね。
長尾 そうかな? 十代から両親は名前で呼んでいます。
―それは、ご両親に言われたわけじゃなくて、自分で?
長尾 はい、自分で。家に来る友達もみんなそう呼んでいました。
―母親という役割より○○子さんが前に出ているって、すごく個人的というか欧米っぽいです。
長尾 反抗期のころで、所詮他人だろうっていうのもあって。その方が人として敬意をもって接することができるだろう、と。お袋っていうのもなんかちょっと。
藤原 父親のことを「親父」って呼べないな、呼んでみたいな、とかありますけど。「所詮他人だろう」っていうのは言い方を変えれば、他人として認識している。「母」ってあてはめちゃうとどうしても甘えが出てきちゃいますが、一人の他人だと認識することで敬意を持てる側面もあると思います。
―個人として尊重しているって感じがしますね。クールだ!とっても(笑)。
藤原 原田芳雄さんも自分の息子に下の名前で呼ばせてたって。
長尾 そうなんだ。
―監督が俳優を選ぶように、俳優も作品を選びますね。そのときに決め手になるものはなんですか?
藤原 やっぱり最初に脚本。その次に過去の作品。スタッフ、で最後にキャストですね。
―自分のほかに誰が出るかということですね。自分の役柄についてこだわりはありますか?
藤原 それよりも、その役柄がその作品にどういった影響を及ぼしているかとか、作品のことをまずは考えて、小さい役でもそれに参加すべきだなと思ったら参加します。
―例えば快楽殺人犯の役とか、自分はちょっとと思うことは?
藤原 新しい感情とか、新しい自分に出逢えるチャンスがあるなら僕は飛び込みたい、と思っています。
―おお、チャレンジャーです! 長尾さんは?
長尾 監督含め、撮りたい方々が…なんとなくこういうと生意気かもしれないですけど、今の世の中に対してどう思っているかということが感じられると嬉しいですね。参加する身としては。自分が生きている環境、取り巻いている世界に対して、どういうものを持って表現したいかを、監督、脚本から感じ取れると参加させてもらえる意義を感じる気がします。
―監督さんにもよると思いますが、たとえば自分の役作りでたくさんディスカッションしたいほうですか? 任されたいほうですか?
長尾 どっちでも(笑)。
藤原 長尾さん結構、「向こうが望むなら僕はするし」という、なんかいい意味での受け入れというか、懐の深さがある人だなと現場で思いました。
―受け入れる間口広いんですね。かなり広いんですか?
長尾 それで季節くんをとまどわせてしまったかも(笑)。
藤原 最初とまどいました。
―広いと嬉しくないですか?ストライクゾーン広くて、どんなのも受け止めてくれる。
藤原 多少イラっとすることとか、これは言わなきゃっていうことも長尾さんは絶対言わない。全部受け止める。この人何考えてるんだろうと、最初思いましたね。
長尾(笑)
―映画の中村兄弟みたいですね。
藤原 そうですね。スタッフが映画を撮ったことのないチームだったので、最初はやり方がわからない中でしたが、3,4日経つと長尾さんや僕が望んでいた動き方に自然となっていきました。お芝居の中で起きたことを撮る。最初は「撮る」ことが目的なんですけど、僕たち2人の中で起きたことを撮ろうという流れに変わっていったんです。まずお芝居を見てから、何を撮るか考えよう、みんなでって。それは長尾さんが初日から黙っていたことで、自然発生的に起きていったことでしたね。
―呼び水。黙って。
長尾 そんなたいそうなもんじゃない(笑)。
―ご本人はそんなに意識しないでやっていたんでしょうか?
長尾 しないと言ったらウソになるかと思うんですけど。なんか見ないようにしようと思って(笑)、変な言い方だけど。
IMG_6919.jpg
―では最後にこの映画のテーマのひとつでもある「消えてほしくないもの」はなんですか?パッと思いついたことを。
藤原 パッと思いつくもの。手書きの手紙とか捨てられないです。新しくいろんなものが生まれていって、人の体温の残っている直筆の手紙は減っていくのかもしれないですけど、消えてほしくないなと思いますね。
―お母さんからの手紙はとってあるんですか?
藤原 ずーっと全部とってあります。捨てられないです。
―10年分?! お返事は出しています?
藤原 出してませんね。
―親って手紙すごく待っているんですよ。
藤原 そうですよね、書いてみます。やっぱりメールとかと違いますよね。
―違いますよー。お母さんを思って時間かけて書くんですから。
ハガキでいいですし、何と書いてあったって親は嬉しいものです。
藤原 はい、わかりました。
―長尾さんの消えてほしくないものは?
長尾 僕は「家族との思い出」ですかね。ぱっと思い浮かぶのは。どこかに行ったとか忘れてることって意外とたくさんあるなと思って。
―思い出は自分だけのものですものね。形のあるものでは何か?
長尾 その辺の再開発で、好きだった古くからの料理屋さんとかがなくなるのはとっても悲しい。
藤原 「家族との思い出」ってハッとしますね。全部消えていくものじゃないですか。
長尾 うんうん。
藤原 なんか切ないですね。それは。
―この映画で、お母さんが忘れていってしまうのにも繫がりますよね。和馬とお兄ちゃんにも。
藤原 それをわかったうえで「家族の思い出」って着想する長尾さんにぐっとくるものがあります。
長尾(笑)
―素敵なお答えをいただけました。ありがとうございました。
#道教# 务成子注叙
扶桑大帝君命旸谷神仙王传魏夫人旸谷神王,当是大帝之臣。授此经之时,与青童君俱来。夫人初在修武县中也。
《黄庭内景》者脾为黄庭命门。明堂中部,老君居之,所以云“黄庭内人服锦衣也”。自脐后三寸,皆号黄庭命门,故下一云命门中有黄庭元王玄阙大君。又云坐当命门。犹如头中亦呼为泥丸洞房中也。此《经》以虚无为主,故用黄庭标之耳。其景者,神也。其《经》有十三神,皆身中之内景名字。又别有《老君外景经》。总真云:黄庭内外。涓子云:《黄庭内经》、《外经》者,皆是也。此神名与八景不同。又递述有无者,盖所施用处异也。名服既殊,源本亦别。太极太微者,品号域也,一名《太上琴心文》琴,和也。诵之可以和六腑、宁心神,使得神仙。此十七字,本经所注也,一名《大帝金书》扶桑大帝君宫中昼诵此经。以金简刻书之,故曰金书。此二十一字,本经所注也,一名《东华玉篇》东华者,方诸宫名也,东海青童君所居也。其中玉女、仙人皆诵咏之。刻玉书之为玉篇。此三十三字,本经所注。夫此二宫之神仙犹诵之者,非复以辟邪,正谓和神耳。但诵万遍毕,当得洞经。不信此义,亦为一滞也。
当清斋九十日,诵之万遍此谓先斋九十日,乃就诵之。非九十日斋令诵得万遍也。诵日数无定限,若专此一法,日夜自可二十遍。若兼以余事者,乘闲正可四五遍耳。计得十遍,亦可依法礼拜。若遍限既毕,未能通感者,但更精心诵之,勿便止也。使调和三魂,制炼七魄;除去三尸,安和六腑;五脏生华,色反孩童;百病不能伤,灾祸不得干。万过既毕,自然洞观鬼神,内视肠胃,得见五脏。其时当有黄庭真人中华玉女,教子神仙焉。此不死之道也临目外观,则鬼神摽形,接手内视,则脏腑洞别,乃得表里无隔,栖真降灵,然后禀受玄教,施行妙诀也。既曰不死,则天地长存,复何索乎。子有仙相,得吾此书吾者,应是旸谷神王自称也。此文罗列一形之神室,处胎神之所在耳于形中诸神,乃不都尽,而目其室宅,亦备穷委密矣。胎神即明堂三老君,所谓胎灵大神也。此最为黄庭之本。恒诵咏之者,则神室明正,胎真安宁,灵液流通,百关朗清,血髓充溢,肠胃虚盈无复滓秽为虚,津液常满为盈。所谓六气盈满,神明灵也。五脏结华,耳目聪明;朽齿白发,还黑更生。所以却邪痾之纷若者,谓我已得魂精六纬之姓名也纷若者,犹乱杂也。今五脏并胆,是为六纬,并神魂之精爽矣。形充魂精而曰欲死,不可得也。故曰内景黄庭为不死之道人之死也,常在形神相离。今形既恒充,则神栖而逸;神既常宁,则形全无毁。两者相守,死何由萌?虽曰欲逝,其可得乎?此道乃未能控景登虚,高宴上清,而既无死患,形固神洁,内彻身灵,外降英圣,隐芝大洞,于是而至,端坐招真,不俟游涉,筌蹄之妙,岂得逾此。受者斋九日,或七日,或三日,然后受之。授者为师,受者奉焉此师及弟子俱应结斋。斋日多少,随其身事。若履涉世尘,宜须积日自洁。其山居清整者,三日便足也。结盟立誓,期以勿泄。古有盟用玄云之锦九十尺,金简凤文之罗四十尺,金钮九双,以代割发歃血勿泄之约。此物是神乡之奇帛,非赤县之所有也。今锦可用白绢,罗可用青布,钮可用金钚,亦足以誓信九天,制告三官矣诸经中信用金龙、玉鱼之例,多是宝贵,非寒栖能办,故许听以世中易得物比之。今罗、锦异类,事绝人工,理宜准代。犹应选极精洁者。绢九丈,当使连织。钚小细于钮,以上金九分作九双,于丰俭为适。皆奉有经之师,散之寒栖。违盟负约,七祖受考于旸谷河源,身为下鬼,考于风刀旸谷神仙王口诀。此七字本经中所注。一人受书,得传九人诸经多云七百年传三人,此非世上之格。今此虽限人数,不制年期,当是止就一生之身为言也。
审视形气,必慈仁忠信、耽玄注真、不毁真正、敬乐神仙者,乃可示耳。自非其才,是为漏泄。谨量可授,亦诚难也人虽不可常保,或始勤而末怠,初善而后恶。但本性既能慈仁惠信,耽玄乐仙,应当无复为过咎矣。此六德则未可全亲,故后云宁慎密之。
又当先求感应,推讯虚灵者乃佳也。审可传者,亦将得梦以告悟。临时之宜,亦玄解于心矣。宣泄之科既重,传之者良为嶮巇。有《黄庭内经》之子,宁慎密之清虚真人口诀,夫《内景黄庭经》者,扶桑太帝君之金书,炼真秘言矣。二十六字本经所注。案此二篇,是说传授科格,非扶桑东华金书玉字本文,止是二匠授南真时口诀,故并题注言之也。
扶桑大帝君命旸谷神仙王传魏夫人旸谷神王,当是大帝之臣。授此经之时,与青童君俱来。夫人初在修武县中也。
《黄庭内景》者脾为黄庭命门。明堂中部,老君居之,所以云“黄庭内人服锦衣也”。自脐后三寸,皆号黄庭命门,故下一云命门中有黄庭元王玄阙大君。又云坐当命门。犹如头中亦呼为泥丸洞房中也。此《经》以虚无为主,故用黄庭标之耳。其景者,神也。其《经》有十三神,皆身中之内景名字。又别有《老君外景经》。总真云:黄庭内外。涓子云:《黄庭内经》、《外经》者,皆是也。此神名与八景不同。又递述有无者,盖所施用处异也。名服既殊,源本亦别。太极太微者,品号域也,一名《太上琴心文》琴,和也。诵之可以和六腑、宁心神,使得神仙。此十七字,本经所注也,一名《大帝金书》扶桑大帝君宫中昼诵此经。以金简刻书之,故曰金书。此二十一字,本经所注也,一名《东华玉篇》东华者,方诸宫名也,东海青童君所居也。其中玉女、仙人皆诵咏之。刻玉书之为玉篇。此三十三字,本经所注。夫此二宫之神仙犹诵之者,非复以辟邪,正谓和神耳。但诵万遍毕,当得洞经。不信此义,亦为一滞也。
当清斋九十日,诵之万遍此谓先斋九十日,乃就诵之。非九十日斋令诵得万遍也。诵日数无定限,若专此一法,日夜自可二十遍。若兼以余事者,乘闲正可四五遍耳。计得十遍,亦可依法礼拜。若遍限既毕,未能通感者,但更精心诵之,勿便止也。使调和三魂,制炼七魄;除去三尸,安和六腑;五脏生华,色反孩童;百病不能伤,灾祸不得干。万过既毕,自然洞观鬼神,内视肠胃,得见五脏。其时当有黄庭真人中华玉女,教子神仙焉。此不死之道也临目外观,则鬼神摽形,接手内视,则脏腑洞别,乃得表里无隔,栖真降灵,然后禀受玄教,施行妙诀也。既曰不死,则天地长存,复何索乎。子有仙相,得吾此书吾者,应是旸谷神王自称也。此文罗列一形之神室,处胎神之所在耳于形中诸神,乃不都尽,而目其室宅,亦备穷委密矣。胎神即明堂三老君,所谓胎灵大神也。此最为黄庭之本。恒诵咏之者,则神室明正,胎真安宁,灵液流通,百关朗清,血髓充溢,肠胃虚盈无复滓秽为虚,津液常满为盈。所谓六气盈满,神明灵也。五脏结华,耳目聪明;朽齿白发,还黑更生。所以却邪痾之纷若者,谓我已得魂精六纬之姓名也纷若者,犹乱杂也。今五脏并胆,是为六纬,并神魂之精爽矣。形充魂精而曰欲死,不可得也。故曰内景黄庭为不死之道人之死也,常在形神相离。今形既恒充,则神栖而逸;神既常宁,则形全无毁。两者相守,死何由萌?虽曰欲逝,其可得乎?此道乃未能控景登虚,高宴上清,而既无死患,形固神洁,内彻身灵,外降英圣,隐芝大洞,于是而至,端坐招真,不俟游涉,筌蹄之妙,岂得逾此。受者斋九日,或七日,或三日,然后受之。授者为师,受者奉焉此师及弟子俱应结斋。斋日多少,随其身事。若履涉世尘,宜须积日自洁。其山居清整者,三日便足也。结盟立誓,期以勿泄。古有盟用玄云之锦九十尺,金简凤文之罗四十尺,金钮九双,以代割发歃血勿泄之约。此物是神乡之奇帛,非赤县之所有也。今锦可用白绢,罗可用青布,钮可用金钚,亦足以誓信九天,制告三官矣诸经中信用金龙、玉鱼之例,多是宝贵,非寒栖能办,故许听以世中易得物比之。今罗、锦异类,事绝人工,理宜准代。犹应选极精洁者。绢九丈,当使连织。钚小细于钮,以上金九分作九双,于丰俭为适。皆奉有经之师,散之寒栖。违盟负约,七祖受考于旸谷河源,身为下鬼,考于风刀旸谷神仙王口诀。此七字本经中所注。一人受书,得传九人诸经多云七百年传三人,此非世上之格。今此虽限人数,不制年期,当是止就一生之身为言也。
审视形气,必慈仁忠信、耽玄注真、不毁真正、敬乐神仙者,乃可示耳。自非其才,是为漏泄。谨量可授,亦诚难也人虽不可常保,或始勤而末怠,初善而后恶。但本性既能慈仁惠信,耽玄乐仙,应当无复为过咎矣。此六德则未可全亲,故后云宁慎密之。
又当先求感应,推讯虚灵者乃佳也。审可传者,亦将得梦以告悟。临时之宜,亦玄解于心矣。宣泄之科既重,传之者良为嶮巇。有《黄庭内经》之子,宁慎密之清虚真人口诀,夫《内景黄庭经》者,扶桑太帝君之金书,炼真秘言矣。二十六字本经所注。案此二篇,是说传授科格,非扶桑东华金书玉字本文,止是二匠授南真时口诀,故并题注言之也。
✋热门推荐