役のバックボーンについて教えてください。正樹も冴も、心に中にいろいろと抱えている思いがあるようですが、そういう役柄に対してどのようなアプローチで取り組んでいるのでしょうか。
中島裕翔(以下 中島)
新田正樹は、家族との確執もあるし、優秀な兄と常に比較されて暗い人生を歩んできたので、どこか社会を冷めた目で見ているようなところがあって。本当は夢とか、自分のやりたかったこともあったと思うんですけど、そういうのもすべて諦めて、「無理して生きるのを止めよう」と誓った人間というか……。で、そういう中で唯一、正樹のことを気にかけてくれたのが小坂先生(筧美和子)なんですけど……。とにかく、人を観察するのが得意で、彼のモットーみたいなものがあるんですけど、それが「人が望んでいるものを与える」ということ。ある種これは、僕らみたいな職業の人たちも同じで、何を求められているか理解していると思うんですね。それは良い意味でも悪い意味でも空回りしちゃうことがあるんですけど、意外とそこは使い方が違うだけで、共通点でもあると思うんです。そういう自分の中にある正樹の要素みたいなものを探して、そこから広げていくしかないんですけど、やっぱり理解できないようなバックボーンとかもあるので、想像に想像を重ねていって、というアプローチですね。いままであまりやったことがない役なので、見てくださる方にも新鮮だと思います。いろいろ難しいところもあるんですけど、その難しさも楽しんで演じていけたらなと思っています。
吉川愛(以下 吉川)
冴は、小さいころからお母さん(富田靖子さん演じる和泉静)にもの凄く強い愛を押し付けられて育てられていて……。なので、母親の嫌な部分が見えてしまうというか、どんどん嫌いになってしまう。でもやっぱり自分の母親だから好きな気持ちもあるし……という冴の複雑な気持ちを感じていて。冴にとって親は反面教師というか、そうはなりたくない、という存在でもあり……。本当に純粋で可愛らしくて芯の強い女の子なので、生意気な感じではなく可愛いと思える冴にしたいなと思っていて。お母さんに見せる顔、正樹さんに見せる顔、友だちに見せる顔が全然違ったものに見せていかなきゃいけないな、と思っています。
共演者のみなさんについてもお聞かせください。中島さんは、後輩の髙橋優斗さんと再共演になりますが……。
中島
さっき彼が控え室でメイクをしていて、そのときにいろいろ話したんですけど、「憧れの先輩、いるの?」って、まあテンプレートですけど聞いたんですよ。そしたら、まず「中居(正広)くん」と。その後、何人かの名前が出てきて、最後に僕の名前が……。「なめてんな、コイツ」って思って(笑)。『SUITS/スーツ2』のときにゲストで出演してくれたんですけど、そのときとはまた表情も違っていて、「成長しているんだな」って思いました。親心とまではいかないけど、見ていると若い人たちの成長の早さを感じで、頼もしいなと思います。ちょうど同じ名前だし(笑)。もうひとり、『美 少年』というグループに那須雄登くんというのがいるので、その3人で“ゆうと会”やろうね、みたいな話もしました(笑)。
中島裕翔(以下 中島)
新田正樹は、家族との確執もあるし、優秀な兄と常に比較されて暗い人生を歩んできたので、どこか社会を冷めた目で見ているようなところがあって。本当は夢とか、自分のやりたかったこともあったと思うんですけど、そういうのもすべて諦めて、「無理して生きるのを止めよう」と誓った人間というか……。で、そういう中で唯一、正樹のことを気にかけてくれたのが小坂先生(筧美和子)なんですけど……。とにかく、人を観察するのが得意で、彼のモットーみたいなものがあるんですけど、それが「人が望んでいるものを与える」ということ。ある種これは、僕らみたいな職業の人たちも同じで、何を求められているか理解していると思うんですね。それは良い意味でも悪い意味でも空回りしちゃうことがあるんですけど、意外とそこは使い方が違うだけで、共通点でもあると思うんです。そういう自分の中にある正樹の要素みたいなものを探して、そこから広げていくしかないんですけど、やっぱり理解できないようなバックボーンとかもあるので、想像に想像を重ねていって、というアプローチですね。いままであまりやったことがない役なので、見てくださる方にも新鮮だと思います。いろいろ難しいところもあるんですけど、その難しさも楽しんで演じていけたらなと思っています。
吉川愛(以下 吉川)
冴は、小さいころからお母さん(富田靖子さん演じる和泉静)にもの凄く強い愛を押し付けられて育てられていて……。なので、母親の嫌な部分が見えてしまうというか、どんどん嫌いになってしまう。でもやっぱり自分の母親だから好きな気持ちもあるし……という冴の複雑な気持ちを感じていて。冴にとって親は反面教師というか、そうはなりたくない、という存在でもあり……。本当に純粋で可愛らしくて芯の強い女の子なので、生意気な感じではなく可愛いと思える冴にしたいなと思っていて。お母さんに見せる顔、正樹さんに見せる顔、友だちに見せる顔が全然違ったものに見せていかなきゃいけないな、と思っています。
共演者のみなさんについてもお聞かせください。中島さんは、後輩の髙橋優斗さんと再共演になりますが……。
中島
さっき彼が控え室でメイクをしていて、そのときにいろいろ話したんですけど、「憧れの先輩、いるの?」って、まあテンプレートですけど聞いたんですよ。そしたら、まず「中居(正広)くん」と。その後、何人かの名前が出てきて、最後に僕の名前が……。「なめてんな、コイツ」って思って(笑)。『SUITS/スーツ2』のときにゲストで出演してくれたんですけど、そのときとはまた表情も違っていて、「成長しているんだな」って思いました。親心とまではいかないけど、見ていると若い人たちの成長の早さを感じで、頼もしいなと思います。ちょうど同じ名前だし(笑)。もうひとり、『美 少年』というグループに那須雄登くんというのがいるので、その3人で“ゆうと会”やろうね、みたいな話もしました(笑)。
为什么住持三宝的责任要落在出家人身上?
三参法师 佛日清凉 2022-07-03 21:30 发表于广东
清净正见
FORIQINGLIANG
三皈依不共之处
(1)
Three Refuges
我们的皈依就是情与非情境,非情境就是场景,是整个皈依羯磨法会的仪式。虽然从理上说三皈依具足戒体、定体和慧体,甚至这个三皈依都能囊括三乘,但实际上它还有不共的地方。
虽然说三皈的体和戒的体是同一体的,但是戒体的获得又有另外的要求——通过羯磨法。通过了剃度羯磨法会,出家之后还要受沙弥戒、沙弥尼戒、比丘戒、比丘尼戒,要登坛,要作法。这就具体地形成了更加丰富的、具有现前传承加持的一种戒体。
虽然从理论上来说,居士受的三皈依里面也有戒定慧的体,但是跟出家人所得到的皈依体是不一样的。在家也有大乘僧宝,一个证悟空性、发大菩提心的在家人,他也属于贤圣僧数,属于大乘僧团所摄。但是纵使是大菩萨了,在家人也不能参加出家羯磨仪式。在家和出家还是有区别的。
(2)
住持佛法的僧宝
Three Refuges
为什么住持三宝的责任要落在出家人身上呢?虽然在家人也可以解释佛法、弘扬佛法,但是住持佛法一定是僧宝的事,出家僧团肩负着这个责任。
判定一个地方是“边地”还是“中国”,是根据出家人的情况来决定的。在边地受戒,要有得戒本师、羯磨阿阇黎、教授阿阇黎,还要加上尊证阿阇黎,总共五位就可以了。如果能有十位具格的师父分别作得戒和尚、羯磨阿阇黎、教授阿阇黎和尊证阿阇黎,就是“中国”的标志了。
所以理不坏事,虽然说三皈依里具有戒的体,但它不能替代出家的羯磨仪式,乃至不能替代受戒的羯磨作法。
这就是为尊佛陀所制定下的戒律,既是尊戒也是尊佛陀,尊佛陀的这些嘱咐。所以各个时代的僧宝都非常尊重,不敢违越佛陀制定的戒律。
(3)
重要的清净正见
Three Refuges
戒是释迦佛陀所制,除此之外没有其他人可以制。但是在佛法传承中,作为弟子们来说,也要尊重住持、尊重师父如尊佛陀。不管哪乘佛教,小乘、大乘、金刚乘都讲到“视师如佛”,因为如果不能"视师如佛",就不能得到佛的传承,所以登戒坛的时候必须要"视师如佛"。由于这样子的缘故,现前善知识的教导,对佛弟子来说也相当于佛现前的教导一样。
我师父以前也私下跟我讲过这个,因为我们中国人的性格比较含蓄,我师父只是问我:祖师跟佛有什么区别?我跪下来请师父教导,师父就说:“佛佛祖祖,同一鼻孔出气。”这是一个非常重要的清净正见,没有这个清净正见,佛法就难以延续。
所以它是圆融的,虽然祖师没有制戒,但是祖师制定的禅门规约、常住规约,我们还是要遵守的。佛陀也说过,无论你走到哪里,也应当遵守那些国家的法律和良好的民俗民风。所以并不是说佛已经圆满地、没有遗漏地全部制定好了,祂还给我们留下了这样一个空间,让我们不要墨守成规。世间之轨如果是无害的,我们还是要遵守的。
(4)
佛如实而说
Three Refuges
就像我们读《楞严经》一样,虽然《楞严经》里面的《楞严咒》五会已经很长了,但这只是真正《楞严咒》里的沧海一粟,只是其中的一部分。所以佛陀不论是讲戒律、讲咒语,还是讲经教,或者讲某些话题,祂都会加一句“增一劫也说之不完”。同样一部《华严经》,广本的就有恒河沙劫偈颂。佛经这么广博,对于佛弟子来说,一打开经书,一个宇宙文明就呈现在眼前了。过去、现在、未来,乃至他方世界尽收眼底,我们的心胸瞬间就被打开了。
纵使如此,佛陀还是告诉我们,我能给你们讲的还是有限中的有限。就像科学家给我们普及宇宙知识一样,先从地球开始,然后范围越来越大,到太阳系、银河系,银河系之外还有那么多如繁星一样的星系,最后告诉我们,这只是宇宙中的一个小角落,如沧海一粟。这跟我们佛教所讲的宇宙观完全是相映衬的。爱因斯坦讲过,如果世界上有一个宗教不但不与科学相违,而且每一次的科学新发现都能够验证它的观点,这就是佛教。
佛是不妄语者、真语者、实语者,祂不需要像文学家那样去想象,也不需要像科幻作家那样去杜撰,祂如实而说。
我于十方佛,合掌诚祈请:
为众除苦暗,请燃正法炬!
回 向
文殊师利勇猛智 普贤慧行亦复然
我今回向诸善根 随彼一切常修学
三世诸佛所称叹 如是最胜诸大愿
我今回向诸善根 为得普贤殊胜行
你要做的
无非是开始和坚持
三参法师 佛日清凉 2022-07-03 21:30 发表于广东
清净正见
FORIQINGLIANG
三皈依不共之处
(1)
Three Refuges
我们的皈依就是情与非情境,非情境就是场景,是整个皈依羯磨法会的仪式。虽然从理上说三皈依具足戒体、定体和慧体,甚至这个三皈依都能囊括三乘,但实际上它还有不共的地方。
虽然说三皈的体和戒的体是同一体的,但是戒体的获得又有另外的要求——通过羯磨法。通过了剃度羯磨法会,出家之后还要受沙弥戒、沙弥尼戒、比丘戒、比丘尼戒,要登坛,要作法。这就具体地形成了更加丰富的、具有现前传承加持的一种戒体。
虽然从理论上来说,居士受的三皈依里面也有戒定慧的体,但是跟出家人所得到的皈依体是不一样的。在家也有大乘僧宝,一个证悟空性、发大菩提心的在家人,他也属于贤圣僧数,属于大乘僧团所摄。但是纵使是大菩萨了,在家人也不能参加出家羯磨仪式。在家和出家还是有区别的。
(2)
住持佛法的僧宝
Three Refuges
为什么住持三宝的责任要落在出家人身上呢?虽然在家人也可以解释佛法、弘扬佛法,但是住持佛法一定是僧宝的事,出家僧团肩负着这个责任。
判定一个地方是“边地”还是“中国”,是根据出家人的情况来决定的。在边地受戒,要有得戒本师、羯磨阿阇黎、教授阿阇黎,还要加上尊证阿阇黎,总共五位就可以了。如果能有十位具格的师父分别作得戒和尚、羯磨阿阇黎、教授阿阇黎和尊证阿阇黎,就是“中国”的标志了。
所以理不坏事,虽然说三皈依里具有戒的体,但它不能替代出家的羯磨仪式,乃至不能替代受戒的羯磨作法。
这就是为尊佛陀所制定下的戒律,既是尊戒也是尊佛陀,尊佛陀的这些嘱咐。所以各个时代的僧宝都非常尊重,不敢违越佛陀制定的戒律。
(3)
重要的清净正见
Three Refuges
戒是释迦佛陀所制,除此之外没有其他人可以制。但是在佛法传承中,作为弟子们来说,也要尊重住持、尊重师父如尊佛陀。不管哪乘佛教,小乘、大乘、金刚乘都讲到“视师如佛”,因为如果不能"视师如佛",就不能得到佛的传承,所以登戒坛的时候必须要"视师如佛"。由于这样子的缘故,现前善知识的教导,对佛弟子来说也相当于佛现前的教导一样。
我师父以前也私下跟我讲过这个,因为我们中国人的性格比较含蓄,我师父只是问我:祖师跟佛有什么区别?我跪下来请师父教导,师父就说:“佛佛祖祖,同一鼻孔出气。”这是一个非常重要的清净正见,没有这个清净正见,佛法就难以延续。
所以它是圆融的,虽然祖师没有制戒,但是祖师制定的禅门规约、常住规约,我们还是要遵守的。佛陀也说过,无论你走到哪里,也应当遵守那些国家的法律和良好的民俗民风。所以并不是说佛已经圆满地、没有遗漏地全部制定好了,祂还给我们留下了这样一个空间,让我们不要墨守成规。世间之轨如果是无害的,我们还是要遵守的。
(4)
佛如实而说
Three Refuges
就像我们读《楞严经》一样,虽然《楞严经》里面的《楞严咒》五会已经很长了,但这只是真正《楞严咒》里的沧海一粟,只是其中的一部分。所以佛陀不论是讲戒律、讲咒语,还是讲经教,或者讲某些话题,祂都会加一句“增一劫也说之不完”。同样一部《华严经》,广本的就有恒河沙劫偈颂。佛经这么广博,对于佛弟子来说,一打开经书,一个宇宙文明就呈现在眼前了。过去、现在、未来,乃至他方世界尽收眼底,我们的心胸瞬间就被打开了。
纵使如此,佛陀还是告诉我们,我能给你们讲的还是有限中的有限。就像科学家给我们普及宇宙知识一样,先从地球开始,然后范围越来越大,到太阳系、银河系,银河系之外还有那么多如繁星一样的星系,最后告诉我们,这只是宇宙中的一个小角落,如沧海一粟。这跟我们佛教所讲的宇宙观完全是相映衬的。爱因斯坦讲过,如果世界上有一个宗教不但不与科学相违,而且每一次的科学新发现都能够验证它的观点,这就是佛教。
佛是不妄语者、真语者、实语者,祂不需要像文学家那样去想象,也不需要像科幻作家那样去杜撰,祂如实而说。
我于十方佛,合掌诚祈请:
为众除苦暗,请燃正法炬!
回 向
文殊师利勇猛智 普贤慧行亦复然
我今回向诸善根 随彼一切常修学
三世诸佛所称叹 如是最胜诸大愿
我今回向诸善根 为得普贤殊胜行
你要做的
无非是开始和坚持
#每日一道# 【道教法物的文化内涵】
所谓道教法物,简而言之即道教持道、护道、做法所用之物也。道教法物历史久远,形式多样,品种繁多,可谓丰富多彩。有的做工十分精细,堪称上品。道教法物来自原始宗教以及早期礼乐祭天敬祖活动,早在南北朝刘宋时陆修静就已对道教法物做了严格的规定,《道藏·天皇至道太清玉册》卷四中的《奉圣仪制章》中就有关于“圣像宝座”、“龙牌”、“龟鹤炉”、“幡”、“盖”等道教法物规范制作的详细记载。道教法物在一定程度上体现了道教神仙信仰、灵魂永在、祈求大同、和平、普济度物等思想观念,它的形成是研究道教宫观建筑、教制、戒律等多方面历史的有力佐证。道教法物文化又同传统的绘画、书法等艺术相结合,体现了道教独特的审美及世界观。道教法物是道教文化重要的一部分。我们试以分类介绍之。
一、道场用物
道教斋醮来自古代的祷神祭祀。宋玉《高唐赋》说:“醮诸神,礼太一”。道教斋醮正式形成可以追根到祖天师的“三官手书”和寇谦之的“云中音诵新科之诫”,到了南朝刘宋时陆修静演成大型分类斋仪,陶弘景又因斋设醮,制定出醮仪。从此道教法事绵延不断,斋醮日臻繁多,道教法物也日渐丰富多彩了。
(一)、法器
道教将用的打击乐器称作“法器”,即做法用之乐器。道教迄今用的法器一般为铛子、钗子(当击铰子)、铃子、木鱼、引磬、翁子、磬、鼓、钟、铙钹等。属纯粹的中国古“钟鼓之乐”。钟鼓文化我们在《道教钟鼓文化内涵》中谈过,此处不再介绍。
1、磬
道场所用的磬有大磬、单磬及引磬。大磬置大殿的左上方。一般除监院、方丈叩首时用,平时很少用。单磬是放在经单上的小磬,一般用于交板连接及诵“天尊”处击一响。单磬及大磬口上方边多有图案,称为“万不断”。有的磬同忏钟一样,均铸有铭文或经文,以示庄重。引磬是上单主经者或殿主上供时引道、引叩所用之物。大一点的引磬称为“翁子”,一般只有方丈或监院的使者持用。
2、木鱼
是道教重要法器之一,古时称其为木鱼鼓、鱼鼓、或者木鱼板。显然是古人敲击空木所发现的打击乐器。道教刻之鱼形,相传鱼类目不合睛,昼夜常醒,所以玄门用木雕刻成鱼形,以便敲响时警惕大家不要昏沉懈怠。木鱼作为敲击乐器何时出现在道教,已无可考。
3、铙、钹
辞源说:铙,中乐器也。周礼以金铙止鼓。有称小钲,浮屠氏所用,出西域。钹,即铜盔,本西域南蛮之器。
辞源记载说:铙钹,乐器,本名铜钹,南齐穆士素所造,其园数寸,大者出扶南、南昌、疏勤等国。其圆数尺,隆起如浮区,以韦贯之,相击以和乐者,今通称铙钹。按《道藏·天皇至道大清玉册》卷五中言:“铙钹,蚩尤驱虎豹与黄帝战,黄帝作铙钹以破之……唐武后时……令道门亦有建阴阳醮者皆用之。”说明铙钹用于道教斋醮历史颇早。
按《道藏·天皇至道太清玉册》中记载,道教上等乐为“三清天乐”,为“黄帝祀三清之乐也”。其法器达十九种,其中有包括吹弹乐器十四种。其为:震天集灵之鼓(丰鼓)、碧霄震空之钟(洪钟)、万金铮从之钟(架上十六应候之钟)、群玉琳琅之磬(架上十六应候之磬)、瑶池灵明之鼓(扛鼓也)、达悃通真之磬(手磬)、玉霄紫金之钟(金钟)、玉清天球之磬(玉磬)、太昊咸和之琴、琅霄遏云之管、湘灵空清之瑟、太虚仙音之簌(似箜候而奏弦)、瑶台夜月之阮、檄龙命鸦之愫、青华瑶天之笙、玄洲洞灵之箫、啸风凌云之笛、灵龟啸风之鼓(即札)、枸台碧玉之板、震空册霄之璈、叶和众音之埙、保合太和之箎、五音翕和之祝、八音九成之敔。并说:“凡升坛朝真谒帝则用之,其行道诵经只用常日之仙乐”。
(二)、法物
法事中高功做法祈请神将、召将、敕鬼等用物也称之为法物。试举例几种。
1、笏板
古时没有纸张,人们要简单地记点事情,最方便的方法就是写在竹木削成的竹片和木片上,狭长的叫简,宽厚的叫牍。古人把随身携带的竹、木牍专称为笏。大概从春秋战国开始广泛使用。一直到唐宋,不过六朝以后,笏也称手板。唐代,官吏都要持笏,这已成制度,公卿也不例外。一方面是为了议事时记事,一方面是为了遮面以防惊了圣驾。这种文化一直留传到道教传统中。古时笏分为“简”、“圭”、二种。
道教在祭祀五岳时要“投龙玉简”,简上有符。有《救苦简符》、《九幽玉简符》、《神霄玉简符》等,其书符皆有咒,如《神霄金简》书符咒曰:
明梵玄景,开度穷魂。阴阳交象,火炼成人。大帝阳堂,号人灵君。魂生摄炁,九转成仙。元炁归身,混合百神。九门禄道,胎炁上玄。得澄无为。身腾紫云。
其简文皆有告文,如《九幽玉简》中《告文》曰:
太上玉简,九幽符命告下。罗丰九垒,五岳重幽。据吏考官,冥司典吏。牛头狱卒,监牢大神。拔度某神魂,永离长夜。出离九幽,得睹慈光。心神明了,证品仙阶。冤仇和释,上生大有之天,一如诰命。年岁次某月某日告下。
一般用玉或金做成的简称为圭。圭的档次要高贵些,一般多为天神用物。《道藏·灵宝玉鉴》卷十九第四有《圭上朝真符》,为高功朝真谒帝时专用之圭。这样的圭符一直流传到现在。全真、正一二教在《玉皇大表科仪》中高功变身谒帝时则用此种圭符。
2、香炉
香炉的种类很多,《天皇至道太清玉册》中有“龟鹤炉”的记载:“丹陛上两旁宜用,铜铁铸成,龟鹤二对为炉,凡建醮事焚香于内可以通仙灵,香气可达上苍。”
3、灯
《天皇至道太清玉册》有“日月灯”,言:“凡殿两楹之间必用鱼鲀为灯,以云霞覆之,高耸于楣枋之间,左用红以象日,右用白以象月。”
4、神尺
按《道藏·道法会元》卷之一百五十七之《上清天蓬伏魔大法》中有《神尺秘旨》言:“造尺之法,用福地桃木或雷震枣木为之,择甲子日造。准尺长一尺二寸,厚八分,阔一寸二分。正面三台七星罡,星指下书元帅……背上刊七星隐讳,三台北斗,星下元帅有令……左侧太乙力士,右侧二十四神,雕造毕,写天蓬咒,用水调朱填篆,以降纱囊盛。”
5、铁鏆
道教《全真青玄济炼铁鏆施食全集》中有《铁鏆图式》,相传为铁师传北宋道士萨守坚,萨守坚传流至今。道教施食中以铁鏆装米,通过高功作用,将铁鏆内的米祭成琼浆,进而饱食幽魂众。其鏆上还须帖上封鏆符,据说怕众饥饿之鬼来抢食。
6、印篆
道教印篆有佩带及章表传神二种功用。《道藏·道法会元》称《雷霆都司符玺》:“元始上帝付授三洞飞仙五岳丈人,其符玺皆玉为之。黄帝得之佩印登天,雷公风后二君得之相继仙去”。在《魁台宝玺式》中言:“斯印在处,将吏护持,久久行持,鬼神不敢正视,凡所遇山川社稷神庙,城隍社令悉来迎拜,宜佩受之,以求灵焉”。道教印篆,乃五天真文,篆而成印,非世间印也。可除身中秽毒、令人聪明、保命护身、诸患无侵、名系仙籍、神异无比。
道教章函用印来自上古书简用泥封以为信的传统。如《道藏·道法会元》卷五十七中称:紫光丹天之文……可奏上帝……可印符箓牒状。其有投江河中,起龙发雨,印牒请风,能使舟航快急、发雷电,请晴雨雪、照千百殃出,感动天地神明,役风使雨,驱除神怪,诛斩妖魅。凡一切疾病以印印之立愈。《道藏》中关于印的记载很多,如《九天上章灵官印》、《飞玄三炁玉章印》、《三天内讳印》、《三天太上印》等。现通行正一教的印有《灵宝大法师印》、《正一大法师印》等,全真教多用《混元宗坛印》、《道经师宝印》、《雷霆都司印》等。
7、令尺
令尺也称令牌,《道藏·道书援神契》中言:“周礼,牙璋以起军旅。汉,铜虎符,上圆下方,刻五牙,文若垂露状,背文作一坐虎形,铭其旁曰,如古牙璋作虎符,今召将用令牌,此法也”。《道教全真秘旨》中对令尺作法有严格规定,其一是选料,不可用槐木,枣木、柏木、松木、黄阳木均可,古人选雷击木。一般长四寸,厚七分。
8、规、钵
道教全真派传戒时传衣钵,衣即戒衣及规,钵即饭钵。
三坛大戒的戒衣各不一样,即初真戒衣、中极戒衣及天仙戒衣。规是规范道人行为的尺度,戒规是戒子礼神、礼师时跪拜之物。一般用黄色或红色,四周用黑边,长方形,四角中一角内有红色或黄色三角者为规头。
9、戒尺
《道藏·天皇至道太清玉册》中有《清规戒尺式》:“用木造阔一寸四分,厚四分,长三尺。”戒尺上有铭文曰:“法非此不行、礼非此不齐、德非此不修,人非此不耻。”
二、教事用物
道教在大型教事活动中用仙仗,如方丈、监院升座,传戒授箓等活动。按《天皇至道太清玉册》中有十七种,其为肃清黄道之旆一对、昭告万灵之幡一对、震摄百魔之幢一对、九皇万龄之缕一对、三清神霓之旌一对、太微命灵之麾一对、太清极玄之幢一对(一面画龙,一面画虎)、五灵绛霄之节一对、九天伏魔如意一对、九霄云翰之扇一对、玉罗庆云之扇一对、神飚飞霞之盖一对、破暗烛明之灯一对、丹霄神焰之灯一对、天衢玉霄之灯一对、丹凤呈祥之辇(香亭是也)、神龙捧圣之辂。并说:“以上仙仗用硃竿宝盖珠绸绵帛缕彩为之,务在装尽整肃列于外坛,四面每朝步虚旋行之际,则道童各执仙仗和华夏吟,随班旋绕皇坛之上。”如幡,道教的用法及式样就很多。《天皇至道太清玉册》言:“道教所用之幡以表天地人三才之象”。并说:“幡顶用桐梓之木为之上,用日月星辰云霞内,画天尊像于二,以表天也,腹书天帝之名,脚具用龙凤,雨边带取象于手,皆以云龙飞凤为副之,取象于人也。脚亦用桐梓之木,画山河大地,五岳四渎,取象于地也。
道人日常所持之物,也称法物,如云游用的棕薄团、便铲、缘瓢、引磬等,道人所戴的冠如黄冠、五岳冠、星冠、莲花冠、五老冠皆为道教法物范围。
现在国外学术界很看重道教法物,道教法物往往体现了某段历史时期的道教文化现象。王宜娥老师的《让美国民众步入道教艺术的殿堂》一文中就详尽地介绍了道教法物在美国成功举办艺术展的盛况。道教法物的文化内涵还有待学者们进一步深入研究。
作者:任宗权
文章来源:北京白云观
所谓道教法物,简而言之即道教持道、护道、做法所用之物也。道教法物历史久远,形式多样,品种繁多,可谓丰富多彩。有的做工十分精细,堪称上品。道教法物来自原始宗教以及早期礼乐祭天敬祖活动,早在南北朝刘宋时陆修静就已对道教法物做了严格的规定,《道藏·天皇至道太清玉册》卷四中的《奉圣仪制章》中就有关于“圣像宝座”、“龙牌”、“龟鹤炉”、“幡”、“盖”等道教法物规范制作的详细记载。道教法物在一定程度上体现了道教神仙信仰、灵魂永在、祈求大同、和平、普济度物等思想观念,它的形成是研究道教宫观建筑、教制、戒律等多方面历史的有力佐证。道教法物文化又同传统的绘画、书法等艺术相结合,体现了道教独特的审美及世界观。道教法物是道教文化重要的一部分。我们试以分类介绍之。
一、道场用物
道教斋醮来自古代的祷神祭祀。宋玉《高唐赋》说:“醮诸神,礼太一”。道教斋醮正式形成可以追根到祖天师的“三官手书”和寇谦之的“云中音诵新科之诫”,到了南朝刘宋时陆修静演成大型分类斋仪,陶弘景又因斋设醮,制定出醮仪。从此道教法事绵延不断,斋醮日臻繁多,道教法物也日渐丰富多彩了。
(一)、法器
道教将用的打击乐器称作“法器”,即做法用之乐器。道教迄今用的法器一般为铛子、钗子(当击铰子)、铃子、木鱼、引磬、翁子、磬、鼓、钟、铙钹等。属纯粹的中国古“钟鼓之乐”。钟鼓文化我们在《道教钟鼓文化内涵》中谈过,此处不再介绍。
1、磬
道场所用的磬有大磬、单磬及引磬。大磬置大殿的左上方。一般除监院、方丈叩首时用,平时很少用。单磬是放在经单上的小磬,一般用于交板连接及诵“天尊”处击一响。单磬及大磬口上方边多有图案,称为“万不断”。有的磬同忏钟一样,均铸有铭文或经文,以示庄重。引磬是上单主经者或殿主上供时引道、引叩所用之物。大一点的引磬称为“翁子”,一般只有方丈或监院的使者持用。
2、木鱼
是道教重要法器之一,古时称其为木鱼鼓、鱼鼓、或者木鱼板。显然是古人敲击空木所发现的打击乐器。道教刻之鱼形,相传鱼类目不合睛,昼夜常醒,所以玄门用木雕刻成鱼形,以便敲响时警惕大家不要昏沉懈怠。木鱼作为敲击乐器何时出现在道教,已无可考。
3、铙、钹
辞源说:铙,中乐器也。周礼以金铙止鼓。有称小钲,浮屠氏所用,出西域。钹,即铜盔,本西域南蛮之器。
辞源记载说:铙钹,乐器,本名铜钹,南齐穆士素所造,其园数寸,大者出扶南、南昌、疏勤等国。其圆数尺,隆起如浮区,以韦贯之,相击以和乐者,今通称铙钹。按《道藏·天皇至道大清玉册》卷五中言:“铙钹,蚩尤驱虎豹与黄帝战,黄帝作铙钹以破之……唐武后时……令道门亦有建阴阳醮者皆用之。”说明铙钹用于道教斋醮历史颇早。
按《道藏·天皇至道太清玉册》中记载,道教上等乐为“三清天乐”,为“黄帝祀三清之乐也”。其法器达十九种,其中有包括吹弹乐器十四种。其为:震天集灵之鼓(丰鼓)、碧霄震空之钟(洪钟)、万金铮从之钟(架上十六应候之钟)、群玉琳琅之磬(架上十六应候之磬)、瑶池灵明之鼓(扛鼓也)、达悃通真之磬(手磬)、玉霄紫金之钟(金钟)、玉清天球之磬(玉磬)、太昊咸和之琴、琅霄遏云之管、湘灵空清之瑟、太虚仙音之簌(似箜候而奏弦)、瑶台夜月之阮、檄龙命鸦之愫、青华瑶天之笙、玄洲洞灵之箫、啸风凌云之笛、灵龟啸风之鼓(即札)、枸台碧玉之板、震空册霄之璈、叶和众音之埙、保合太和之箎、五音翕和之祝、八音九成之敔。并说:“凡升坛朝真谒帝则用之,其行道诵经只用常日之仙乐”。
(二)、法物
法事中高功做法祈请神将、召将、敕鬼等用物也称之为法物。试举例几种。
1、笏板
古时没有纸张,人们要简单地记点事情,最方便的方法就是写在竹木削成的竹片和木片上,狭长的叫简,宽厚的叫牍。古人把随身携带的竹、木牍专称为笏。大概从春秋战国开始广泛使用。一直到唐宋,不过六朝以后,笏也称手板。唐代,官吏都要持笏,这已成制度,公卿也不例外。一方面是为了议事时记事,一方面是为了遮面以防惊了圣驾。这种文化一直留传到道教传统中。古时笏分为“简”、“圭”、二种。
道教在祭祀五岳时要“投龙玉简”,简上有符。有《救苦简符》、《九幽玉简符》、《神霄玉简符》等,其书符皆有咒,如《神霄金简》书符咒曰:
明梵玄景,开度穷魂。阴阳交象,火炼成人。大帝阳堂,号人灵君。魂生摄炁,九转成仙。元炁归身,混合百神。九门禄道,胎炁上玄。得澄无为。身腾紫云。
其简文皆有告文,如《九幽玉简》中《告文》曰:
太上玉简,九幽符命告下。罗丰九垒,五岳重幽。据吏考官,冥司典吏。牛头狱卒,监牢大神。拔度某神魂,永离长夜。出离九幽,得睹慈光。心神明了,证品仙阶。冤仇和释,上生大有之天,一如诰命。年岁次某月某日告下。
一般用玉或金做成的简称为圭。圭的档次要高贵些,一般多为天神用物。《道藏·灵宝玉鉴》卷十九第四有《圭上朝真符》,为高功朝真谒帝时专用之圭。这样的圭符一直流传到现在。全真、正一二教在《玉皇大表科仪》中高功变身谒帝时则用此种圭符。
2、香炉
香炉的种类很多,《天皇至道太清玉册》中有“龟鹤炉”的记载:“丹陛上两旁宜用,铜铁铸成,龟鹤二对为炉,凡建醮事焚香于内可以通仙灵,香气可达上苍。”
3、灯
《天皇至道太清玉册》有“日月灯”,言:“凡殿两楹之间必用鱼鲀为灯,以云霞覆之,高耸于楣枋之间,左用红以象日,右用白以象月。”
4、神尺
按《道藏·道法会元》卷之一百五十七之《上清天蓬伏魔大法》中有《神尺秘旨》言:“造尺之法,用福地桃木或雷震枣木为之,择甲子日造。准尺长一尺二寸,厚八分,阔一寸二分。正面三台七星罡,星指下书元帅……背上刊七星隐讳,三台北斗,星下元帅有令……左侧太乙力士,右侧二十四神,雕造毕,写天蓬咒,用水调朱填篆,以降纱囊盛。”
5、铁鏆
道教《全真青玄济炼铁鏆施食全集》中有《铁鏆图式》,相传为铁师传北宋道士萨守坚,萨守坚传流至今。道教施食中以铁鏆装米,通过高功作用,将铁鏆内的米祭成琼浆,进而饱食幽魂众。其鏆上还须帖上封鏆符,据说怕众饥饿之鬼来抢食。
6、印篆
道教印篆有佩带及章表传神二种功用。《道藏·道法会元》称《雷霆都司符玺》:“元始上帝付授三洞飞仙五岳丈人,其符玺皆玉为之。黄帝得之佩印登天,雷公风后二君得之相继仙去”。在《魁台宝玺式》中言:“斯印在处,将吏护持,久久行持,鬼神不敢正视,凡所遇山川社稷神庙,城隍社令悉来迎拜,宜佩受之,以求灵焉”。道教印篆,乃五天真文,篆而成印,非世间印也。可除身中秽毒、令人聪明、保命护身、诸患无侵、名系仙籍、神异无比。
道教章函用印来自上古书简用泥封以为信的传统。如《道藏·道法会元》卷五十七中称:紫光丹天之文……可奏上帝……可印符箓牒状。其有投江河中,起龙发雨,印牒请风,能使舟航快急、发雷电,请晴雨雪、照千百殃出,感动天地神明,役风使雨,驱除神怪,诛斩妖魅。凡一切疾病以印印之立愈。《道藏》中关于印的记载很多,如《九天上章灵官印》、《飞玄三炁玉章印》、《三天内讳印》、《三天太上印》等。现通行正一教的印有《灵宝大法师印》、《正一大法师印》等,全真教多用《混元宗坛印》、《道经师宝印》、《雷霆都司印》等。
7、令尺
令尺也称令牌,《道藏·道书援神契》中言:“周礼,牙璋以起军旅。汉,铜虎符,上圆下方,刻五牙,文若垂露状,背文作一坐虎形,铭其旁曰,如古牙璋作虎符,今召将用令牌,此法也”。《道教全真秘旨》中对令尺作法有严格规定,其一是选料,不可用槐木,枣木、柏木、松木、黄阳木均可,古人选雷击木。一般长四寸,厚七分。
8、规、钵
道教全真派传戒时传衣钵,衣即戒衣及规,钵即饭钵。
三坛大戒的戒衣各不一样,即初真戒衣、中极戒衣及天仙戒衣。规是规范道人行为的尺度,戒规是戒子礼神、礼师时跪拜之物。一般用黄色或红色,四周用黑边,长方形,四角中一角内有红色或黄色三角者为规头。
9、戒尺
《道藏·天皇至道太清玉册》中有《清规戒尺式》:“用木造阔一寸四分,厚四分,长三尺。”戒尺上有铭文曰:“法非此不行、礼非此不齐、德非此不修,人非此不耻。”
二、教事用物
道教在大型教事活动中用仙仗,如方丈、监院升座,传戒授箓等活动。按《天皇至道太清玉册》中有十七种,其为肃清黄道之旆一对、昭告万灵之幡一对、震摄百魔之幢一对、九皇万龄之缕一对、三清神霓之旌一对、太微命灵之麾一对、太清极玄之幢一对(一面画龙,一面画虎)、五灵绛霄之节一对、九天伏魔如意一对、九霄云翰之扇一对、玉罗庆云之扇一对、神飚飞霞之盖一对、破暗烛明之灯一对、丹霄神焰之灯一对、天衢玉霄之灯一对、丹凤呈祥之辇(香亭是也)、神龙捧圣之辂。并说:“以上仙仗用硃竿宝盖珠绸绵帛缕彩为之,务在装尽整肃列于外坛,四面每朝步虚旋行之际,则道童各执仙仗和华夏吟,随班旋绕皇坛之上。”如幡,道教的用法及式样就很多。《天皇至道太清玉册》言:“道教所用之幡以表天地人三才之象”。并说:“幡顶用桐梓之木为之上,用日月星辰云霞内,画天尊像于二,以表天也,腹书天帝之名,脚具用龙凤,雨边带取象于手,皆以云龙飞凤为副之,取象于人也。脚亦用桐梓之木,画山河大地,五岳四渎,取象于地也。
道人日常所持之物,也称法物,如云游用的棕薄团、便铲、缘瓢、引磬等,道人所戴的冠如黄冠、五岳冠、星冠、莲花冠、五老冠皆为道教法物范围。
现在国外学术界很看重道教法物,道教法物往往体现了某段历史时期的道教文化现象。王宜娥老师的《让美国民众步入道教艺术的殿堂》一文中就详尽地介绍了道教法物在美国成功举办艺术展的盛况。道教法物的文化内涵还有待学者们进一步深入研究。
作者:任宗权
文章来源:北京白云观
✋热门推荐