第八章、正道使然,救国之道
言筎玉一行,小路步行。在元目介绍之余,树林不远处,有两位持刀男子在追逐一女子。
“这可在元罗寺内!如此行径,好生狂背!”
言筎玉正义凛然,愤愤不平。
“虚竹!快去看看!”
元目使了个眼色,吩咐虚竹。
慌乱之际,女子摔倒,持刀男子扒其衣物,女子哭喊,“非礼啊,救命啊,两个淫贼,若再敢过来,我就一头撞死!”
虚竹飞奔而去,经过一幼树,随手拔之,顺势一扔,只见其中一持刀男子被撞飞而出,倒地不起。
“谁?敢管施王闲事!”
另一男子如同惊弓之鸟,持刀惊恐。
“敢在元罗寺内,如此放肆!还不速速就擒!”
虚竹稳步赶到,顺势擒下此贼,与此同时,不远处又有三人赶到,其中一人雍容华贵,珠圆玉润,十分狂妄,“我乃施王世子,我等闲事也敢插手,元罗寺又如何,尔等方丈都要对我等毕恭毕敬,你何宵小,也敢如此放肆!”
言筎玉和元目也缓缓而来,言筎玉看了看女子,邪笑道:“如此女子,跟你并非良配,看你锦衣玉带,定是至尊至贵之人。”
施世子趾高气扬道:“这位公子还算识相,识大体。小和尚,还不快快放人,少管闲事。”
“敢问施世子是否想要此女子更加般配与你?”
言筎玉向施世子行了个礼。
“那是自然,公子请讲应当如何相配?”
施世子有些疑惑。
言筎玉顺手拿出钢笔射在世子的冠上,只见世子披头散发,一动未动直打哆嗦。
“公...公子这...这为何意?”
施世子满头大汗。
言筎玉笑言:“世子不是要此女子般配与你吗?既允诺,在下帮你,有何不对?还请世子在此自行宽衣,这才得以完全般配。”
“大胆!你是何人?竟敢如此放肆!”
世子旁一老者大声呵斥。
言筎玉无视老者,扶起女子,托起女子下巴,打趣着女子,“你这品相还算不错,既然世子不愿与你坦诚相待,证明不是真心对你,还是跟了我吧,锦衣玉食,荣华富贵不比他少。”
女子看着言筎玉,怦然心动,但未敢动嘴。
老者震怒,黄气踏脚凌空袭来,只见元目跨步上前,幽蓝之气一震,老者顺势弹开,口吐鲜血。
元目霸道之气,众人惊恐。
“不知天人尊者驾到,还望恕罪,世子少不更事,求尊者饶恕。”
老者擦了擦嘴上血迹,缓缓起身,向元目鞠了个躬。
“由言先生定夺。”
元目回头向言筎玉行了个礼。
“饶恕便饶恕吧,我也绝非不依不饶之人,可世子你允诺之事尚未完成。若完成,我便不再为难于你。”
言筎玉对着世子亦然威胁。
“允...允诺何事?”
言筎玉一行,小路步行。在元目介绍之余,树林不远处,有两位持刀男子在追逐一女子。
“这可在元罗寺内!如此行径,好生狂背!”
言筎玉正义凛然,愤愤不平。
“虚竹!快去看看!”
元目使了个眼色,吩咐虚竹。
慌乱之际,女子摔倒,持刀男子扒其衣物,女子哭喊,“非礼啊,救命啊,两个淫贼,若再敢过来,我就一头撞死!”
虚竹飞奔而去,经过一幼树,随手拔之,顺势一扔,只见其中一持刀男子被撞飞而出,倒地不起。
“谁?敢管施王闲事!”
另一男子如同惊弓之鸟,持刀惊恐。
“敢在元罗寺内,如此放肆!还不速速就擒!”
虚竹稳步赶到,顺势擒下此贼,与此同时,不远处又有三人赶到,其中一人雍容华贵,珠圆玉润,十分狂妄,“我乃施王世子,我等闲事也敢插手,元罗寺又如何,尔等方丈都要对我等毕恭毕敬,你何宵小,也敢如此放肆!”
言筎玉和元目也缓缓而来,言筎玉看了看女子,邪笑道:“如此女子,跟你并非良配,看你锦衣玉带,定是至尊至贵之人。”
施世子趾高气扬道:“这位公子还算识相,识大体。小和尚,还不快快放人,少管闲事。”
“敢问施世子是否想要此女子更加般配与你?”
言筎玉向施世子行了个礼。
“那是自然,公子请讲应当如何相配?”
施世子有些疑惑。
言筎玉顺手拿出钢笔射在世子的冠上,只见世子披头散发,一动未动直打哆嗦。
“公...公子这...这为何意?”
施世子满头大汗。
言筎玉笑言:“世子不是要此女子般配与你吗?既允诺,在下帮你,有何不对?还请世子在此自行宽衣,这才得以完全般配。”
“大胆!你是何人?竟敢如此放肆!”
世子旁一老者大声呵斥。
言筎玉无视老者,扶起女子,托起女子下巴,打趣着女子,“你这品相还算不错,既然世子不愿与你坦诚相待,证明不是真心对你,还是跟了我吧,锦衣玉食,荣华富贵不比他少。”
女子看着言筎玉,怦然心动,但未敢动嘴。
老者震怒,黄气踏脚凌空袭来,只见元目跨步上前,幽蓝之气一震,老者顺势弹开,口吐鲜血。
元目霸道之气,众人惊恐。
“不知天人尊者驾到,还望恕罪,世子少不更事,求尊者饶恕。”
老者擦了擦嘴上血迹,缓缓起身,向元目鞠了个躬。
“由言先生定夺。”
元目回头向言筎玉行了个礼。
“饶恕便饶恕吧,我也绝非不依不饶之人,可世子你允诺之事尚未完成。若完成,我便不再为难于你。”
言筎玉对着世子亦然威胁。
“允...允诺何事?”
施世子还未回过神来,万分惊恐。
“世子这么快就忘记了?与她般配之事可还记得?可世子衣着如此整齐...”
言筎玉摸着钢笔,侃侃而谈。
话音未落,施世子领会其意,马上脱下外衣,双双行礼,落荒而逃。
“我在此处,人生地不熟,尤为不便,此女子还是你来安排吧。”
言筎玉瞟了一眼女子,吩咐元目。
“虚竹,你先带这位女施主前去,言先生由我带路即可。”
元目马上会意,吩咐虚竹。
虚竹告别俩人之后,便带女子离去。
元目唏嘘道:“'哎,先生都已看到,当今竹国,人如草芥,其他世家亦是如此。长此以往,定有大乱。祖辈创世之初,可曾想过会有如此不堪,世态炎凉。”
“人如蝼蚁,命如草芥,天地不仁以万物为刍狗,世人该如何看待此话?在我中心,此话亦为万物皆一视同仁,没有高低贵贱之分。”
这句话虽看似无情,但每人看法不一样,中心所想就会不同。言筎玉所经历的人生,明明如此残酷,但在她中心仍有平等之心。
“老衲受益匪浅,此生能再见到老祖,乃吾等之大幸。但如老祖之所想,我国应当如何?”
元目心中倍感幸慰,好奇始祖心中的国家应该是如何样子。
“如...立国之本,应为富强、自由、平等、公正、法治、爱国、诚信、友善之国。”
言筎玉想了许久,如此回答。
元目奉若神明,激动不已,“听老祖一言,犹如醍醐灌顶,胜读百书,受益终生。”
这可是五千年历史所总结经验的一部分,当然受益匪浅。经过此议,元目被彻底折服。
“老衲再带先生逛逛,元罗寺本为先生而建。史书记载,此处为元罗大战鹤乌之地,大战之后,元罗寺便修缮于此,太师父无渊大师所建。”
元目所讲,让言筎玉疑惑万千,毕竟言筎玉是言筎玉,罗竹是罗竹。
“元罗寺史记在何处?我可否观摩一二?”
其实言筎玉最想知晓“元罗”为何意,但又无法言语,只能借史记了解,不然怕往后无法再装下去。
“史记就在藏书阁内,先生想看,理所应当,老衲这就为先生带路。”
言筎玉目的已经达到,俩人直奔藏书阁而去。施世子还未回过神来,万分惊恐。
“世子这么快就忘记了?与她般配之事可还记得?可世子衣着如此整齐...”
言筎玉摸着钢笔,侃侃而谈。
话音未落,施世子领会其意,马上脱下外衣,双双行礼,落荒而逃。
“我在此处,人生地不熟,尤为不便,此女子还是你来安排吧。”
言筎玉瞟了一眼女子,吩咐元目。
“虚竹,你先带这位女施主前去,言先生由我带路即可。”
元目马上会意,吩咐虚竹。
虚竹告别俩人之后,便带女子离去。
元目唏嘘道:“'哎,先生都已看到,当今竹国,人如草芥,其他世家亦是如此。长此以往,定有大乱。祖辈创世之初,可曾想过会有如此不堪,世态炎凉。”
“人如蝼蚁,命如草芥,天地不仁以万物为刍狗,世人该如何看待此话?在我中心,此话亦为万物皆一视同仁,没有高低贵贱之分。”
这句话虽看似无情,但每人看法不一样,中心所想就会不同。言筎玉所经历的人生,明明如此残酷,但在她中心仍有平等之心。
“老衲受益匪浅,此生能再见到老祖,乃吾等之大幸。但如老祖之所想,我国应当如何?”
元目心中倍感幸慰,好奇始祖心中的国家应该是如何样子。
“如...立国之本,应为富强、自由、平等、公正、法治、爱国、诚信、友善之国。”
言筎玉想了许久,如此回答。
元目奉若神明,激动不已,“听老祖一言,犹如醍醐灌顶,胜读百书,受益终生。”
这可是五千年历史所总结经验的一部分,当然受益匪浅。经过此议,元目被彻底折服。
“老衲再带先生逛逛,元罗寺本为先生而建。史书记载,此处为元罗大战鹤乌之地,大战之后,元罗寺便修缮于此,太师父无渊大师所建。”
元目所讲,让言筎玉疑惑万千,毕竟言筎玉是言筎玉,罗竹是罗竹。
“元罗寺史记在何处?我可否观摩一二?”
其实言筎玉最想知晓“元罗”为何意,但又无法言语,只能借史记了解,不然怕往后无法再装下去。
“史记就在藏书阁内,先生想看,理所应当,老衲这就为先生带路。”
言筎玉目的已经达到,俩人直奔藏书阁而去。
言筎玉一行,小路步行。在元目介绍之余,树林不远处,有两位持刀男子在追逐一女子。
“这可在元罗寺内!如此行径,好生狂背!”
言筎玉正义凛然,愤愤不平。
“虚竹!快去看看!”
元目使了个眼色,吩咐虚竹。
慌乱之际,女子摔倒,持刀男子扒其衣物,女子哭喊,“非礼啊,救命啊,两个淫贼,若再敢过来,我就一头撞死!”
虚竹飞奔而去,经过一幼树,随手拔之,顺势一扔,只见其中一持刀男子被撞飞而出,倒地不起。
“谁?敢管施王闲事!”
另一男子如同惊弓之鸟,持刀惊恐。
“敢在元罗寺内,如此放肆!还不速速就擒!”
虚竹稳步赶到,顺势擒下此贼,与此同时,不远处又有三人赶到,其中一人雍容华贵,珠圆玉润,十分狂妄,“我乃施王世子,我等闲事也敢插手,元罗寺又如何,尔等方丈都要对我等毕恭毕敬,你何宵小,也敢如此放肆!”
言筎玉和元目也缓缓而来,言筎玉看了看女子,邪笑道:“如此女子,跟你并非良配,看你锦衣玉带,定是至尊至贵之人。”
施世子趾高气扬道:“这位公子还算识相,识大体。小和尚,还不快快放人,少管闲事。”
“敢问施世子是否想要此女子更加般配与你?”
言筎玉向施世子行了个礼。
“那是自然,公子请讲应当如何相配?”
施世子有些疑惑。
言筎玉顺手拿出钢笔射在世子的冠上,只见世子披头散发,一动未动直打哆嗦。
“公...公子这...这为何意?”
施世子满头大汗。
言筎玉笑言:“世子不是要此女子般配与你吗?既允诺,在下帮你,有何不对?还请世子在此自行宽衣,这才得以完全般配。”
“大胆!你是何人?竟敢如此放肆!”
世子旁一老者大声呵斥。
言筎玉无视老者,扶起女子,托起女子下巴,打趣着女子,“你这品相还算不错,既然世子不愿与你坦诚相待,证明不是真心对你,还是跟了我吧,锦衣玉食,荣华富贵不比他少。”
女子看着言筎玉,怦然心动,但未敢动嘴。
老者震怒,黄气踏脚凌空袭来,只见元目跨步上前,幽蓝之气一震,老者顺势弹开,口吐鲜血。
元目霸道之气,众人惊恐。
“不知天人尊者驾到,还望恕罪,世子少不更事,求尊者饶恕。”
老者擦了擦嘴上血迹,缓缓起身,向元目鞠了个躬。
“由言先生定夺。”
元目回头向言筎玉行了个礼。
“饶恕便饶恕吧,我也绝非不依不饶之人,可世子你允诺之事尚未完成。若完成,我便不再为难于你。”
言筎玉对着世子亦然威胁。
“允...允诺何事?”
言筎玉一行,小路步行。在元目介绍之余,树林不远处,有两位持刀男子在追逐一女子。
“这可在元罗寺内!如此行径,好生狂背!”
言筎玉正义凛然,愤愤不平。
“虚竹!快去看看!”
元目使了个眼色,吩咐虚竹。
慌乱之际,女子摔倒,持刀男子扒其衣物,女子哭喊,“非礼啊,救命啊,两个淫贼,若再敢过来,我就一头撞死!”
虚竹飞奔而去,经过一幼树,随手拔之,顺势一扔,只见其中一持刀男子被撞飞而出,倒地不起。
“谁?敢管施王闲事!”
另一男子如同惊弓之鸟,持刀惊恐。
“敢在元罗寺内,如此放肆!还不速速就擒!”
虚竹稳步赶到,顺势擒下此贼,与此同时,不远处又有三人赶到,其中一人雍容华贵,珠圆玉润,十分狂妄,“我乃施王世子,我等闲事也敢插手,元罗寺又如何,尔等方丈都要对我等毕恭毕敬,你何宵小,也敢如此放肆!”
言筎玉和元目也缓缓而来,言筎玉看了看女子,邪笑道:“如此女子,跟你并非良配,看你锦衣玉带,定是至尊至贵之人。”
施世子趾高气扬道:“这位公子还算识相,识大体。小和尚,还不快快放人,少管闲事。”
“敢问施世子是否想要此女子更加般配与你?”
言筎玉向施世子行了个礼。
“那是自然,公子请讲应当如何相配?”
施世子有些疑惑。
言筎玉顺手拿出钢笔射在世子的冠上,只见世子披头散发,一动未动直打哆嗦。
“公...公子这...这为何意?”
施世子满头大汗。
言筎玉笑言:“世子不是要此女子般配与你吗?既允诺,在下帮你,有何不对?还请世子在此自行宽衣,这才得以完全般配。”
“大胆!你是何人?竟敢如此放肆!”
世子旁一老者大声呵斥。
言筎玉无视老者,扶起女子,托起女子下巴,打趣着女子,“你这品相还算不错,既然世子不愿与你坦诚相待,证明不是真心对你,还是跟了我吧,锦衣玉食,荣华富贵不比他少。”
女子看着言筎玉,怦然心动,但未敢动嘴。
老者震怒,黄气踏脚凌空袭来,只见元目跨步上前,幽蓝之气一震,老者顺势弹开,口吐鲜血。
元目霸道之气,众人惊恐。
“不知天人尊者驾到,还望恕罪,世子少不更事,求尊者饶恕。”
老者擦了擦嘴上血迹,缓缓起身,向元目鞠了个躬。
“由言先生定夺。”
元目回头向言筎玉行了个礼。
“饶恕便饶恕吧,我也绝非不依不饶之人,可世子你允诺之事尚未完成。若完成,我便不再为难于你。”
言筎玉对着世子亦然威胁。
“允...允诺何事?”
施世子还未回过神来,万分惊恐。
“世子这么快就忘记了?与她般配之事可还记得?可世子衣着如此整齐...”
言筎玉摸着钢笔,侃侃而谈。
话音未落,施世子领会其意,马上脱下外衣,双双行礼,落荒而逃。
“我在此处,人生地不熟,尤为不便,此女子还是你来安排吧。”
言筎玉瞟了一眼女子,吩咐元目。
“虚竹,你先带这位女施主前去,言先生由我带路即可。”
元目马上会意,吩咐虚竹。
虚竹告别俩人之后,便带女子离去。
元目唏嘘道:“'哎,先生都已看到,当今竹国,人如草芥,其他世家亦是如此。长此以往,定有大乱。祖辈创世之初,可曾想过会有如此不堪,世态炎凉。”
“人如蝼蚁,命如草芥,天地不仁以万物为刍狗,世人该如何看待此话?在我中心,此话亦为万物皆一视同仁,没有高低贵贱之分。”
这句话虽看似无情,但每人看法不一样,中心所想就会不同。言筎玉所经历的人生,明明如此残酷,但在她中心仍有平等之心。
“老衲受益匪浅,此生能再见到老祖,乃吾等之大幸。但如老祖之所想,我国应当如何?”
元目心中倍感幸慰,好奇始祖心中的国家应该是如何样子。
“如...立国之本,应为富强、自由、平等、公正、法治、爱国、诚信、友善之国。”
言筎玉想了许久,如此回答。
元目奉若神明,激动不已,“听老祖一言,犹如醍醐灌顶,胜读百书,受益终生。”
这可是五千年历史所总结经验的一部分,当然受益匪浅。经过此议,元目被彻底折服。
“老衲再带先生逛逛,元罗寺本为先生而建。史书记载,此处为元罗大战鹤乌之地,大战之后,元罗寺便修缮于此,太师父无渊大师所建。”
元目所讲,让言筎玉疑惑万千,毕竟言筎玉是言筎玉,罗竹是罗竹。
“元罗寺史记在何处?我可否观摩一二?”
其实言筎玉最想知晓“元罗”为何意,但又无法言语,只能借史记了解,不然怕往后无法再装下去。
“史记就在藏书阁内,先生想看,理所应当,老衲这就为先生带路。”
言筎玉目的已经达到,俩人直奔藏书阁而去。施世子还未回过神来,万分惊恐。
“世子这么快就忘记了?与她般配之事可还记得?可世子衣着如此整齐...”
言筎玉摸着钢笔,侃侃而谈。
话音未落,施世子领会其意,马上脱下外衣,双双行礼,落荒而逃。
“我在此处,人生地不熟,尤为不便,此女子还是你来安排吧。”
言筎玉瞟了一眼女子,吩咐元目。
“虚竹,你先带这位女施主前去,言先生由我带路即可。”
元目马上会意,吩咐虚竹。
虚竹告别俩人之后,便带女子离去。
元目唏嘘道:“'哎,先生都已看到,当今竹国,人如草芥,其他世家亦是如此。长此以往,定有大乱。祖辈创世之初,可曾想过会有如此不堪,世态炎凉。”
“人如蝼蚁,命如草芥,天地不仁以万物为刍狗,世人该如何看待此话?在我中心,此话亦为万物皆一视同仁,没有高低贵贱之分。”
这句话虽看似无情,但每人看法不一样,中心所想就会不同。言筎玉所经历的人生,明明如此残酷,但在她中心仍有平等之心。
“老衲受益匪浅,此生能再见到老祖,乃吾等之大幸。但如老祖之所想,我国应当如何?”
元目心中倍感幸慰,好奇始祖心中的国家应该是如何样子。
“如...立国之本,应为富强、自由、平等、公正、法治、爱国、诚信、友善之国。”
言筎玉想了许久,如此回答。
元目奉若神明,激动不已,“听老祖一言,犹如醍醐灌顶,胜读百书,受益终生。”
这可是五千年历史所总结经验的一部分,当然受益匪浅。经过此议,元目被彻底折服。
“老衲再带先生逛逛,元罗寺本为先生而建。史书记载,此处为元罗大战鹤乌之地,大战之后,元罗寺便修缮于此,太师父无渊大师所建。”
元目所讲,让言筎玉疑惑万千,毕竟言筎玉是言筎玉,罗竹是罗竹。
“元罗寺史记在何处?我可否观摩一二?”
其实言筎玉最想知晓“元罗”为何意,但又无法言语,只能借史记了解,不然怕往后无法再装下去。
“史记就在藏书阁内,先生想看,理所应当,老衲这就为先生带路。”
言筎玉目的已经达到,俩人直奔藏书阁而去。
#刘雨昕[超话]# ️#刘雨昕首张个人专辑xanadu#
对于这篇文章,我还是挺认同的。雨昕不是在舒适圈徘徊的人,她一直在自我突破,也始终明白,作品才是最重要的。
在破圈的路上,会有艰难的时刻,但被看到的多了,有各种各样的声音都是正常的。
不必在意一人一言、多人多语具体在说些什么,其实他们都在说:“刘雨昕,我看到你了。”
对于这篇文章,我还是挺认同的。雨昕不是在舒适圈徘徊的人,她一直在自我突破,也始终明白,作品才是最重要的。
在破圈的路上,会有艰难的时刻,但被看到的多了,有各种各样的声音都是正常的。
不必在意一人一言、多人多语具体在说些什么,其实他们都在说:“刘雨昕,我看到你了。”
【interview】
生きていられることが、今は幸せだと感じているーー堂本剛が、自分の歌で伝えたいこと
https://t.cn/A6XMLwcE
5/13(金) 17:45配信
撮影:殿村誠士
「自分で楽曲を作って歌うということ。それは自炊に近い。心も体もすごく楽なんです」
シンガー・ソングライターの活動を始めて20周年、堂本剛は今、もっとも自分らしい状態にあるという。“本当の自分で生きられる喜び”を表現したものが、自分の作る音楽。この思いと行動が誰かの人生の、自分らしさを取り戻す幸せへとつながればうれしい……多忙なアイドル時代を駆け抜け、自身も生きづらさを抱えたからこそ見えてきた境地がある。仕事への矜持、そして死生観。堂本剛を突き動かすものとは。(取材・文:山野井春絵/撮影:殿村誠士/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)
——インスタグラムの使い方を「間違いたい」
およそ1年前から堂本剛が始めたインスタグラムは、はなから不思議なものだった。ポートレートはほぼ同じアングルで、どんどん眉毛が濃くなっていき、最後には額全体がアイブロウで埋め尽くされる。コメントは一言、「どうもジャニーズです」。まるでモダンアートだ。何か強いメッセージ性を帯びているようにも見える。その後も眉毛写真の投稿は続き、ネット上ではさまざまな臆測が飛び交った。
——これについて、本人はこともなげに語る。
「テーマは『インスタの使い方を間違いたい』でした。隙間時間で、他人の眉毛が太くなり、元に戻っていく写真を見るという無駄な時間をご提供することで、『笑い』『勇気』『なんでやねん』が発生すればいいなという、そんな発想です。無駄な時間って幸せだったりしませんか? 個人の日常を羅列するだけではなくて、こんな時代、笑ってほしくて、これ何? 説明して?ってみんなが困惑つっこみするようなものを軸にしました。インスタグラムを、宣伝の空間として使いつつ笑かしにかかっています。事務所の人たちがインスタをやりやすい環境にもつながればと思い、僕はこんな行動をしてみました。」
——「ジャニーズっぽくない」と言われて
「アーティスティック」「生活感がない」「不思議」「自由」……。
こうした堂本剛のイメージは、ジャニーズ事務所において相対的なものとして捉えられることが多い。堂本自身、それをよく理解していた。
「世の中に存在するイメージというものの多くは、第三者が作り上げているものじゃないですか? 僕はそんなことを言っていない、思っていないのに勝手にそうされてしまっている。その人の中では、『言いそう』で、『思ってそう』なんでしょうね。僕の周りにいる人は、僕を理解してくれています。理解するタイミングがない人は、丁寧に想像する前に疲れ、自分の情報の中だけで計算し決めつけた僕という答えを出して終わらせてしまうからか……導き出した答えと現実の僕、それが合わないから『~っぽくない』ということに自然となるんでしょうね」
かつて堂本は、「自由」ではなかった。
デビューしてすぐに大ブレーク。10代の頃は毎日3時間睡眠で、休日は年に3日。分刻みのスケジュールで動き、周囲の求めに応じて表情をつくった。しだいに堂本のメンタルには亀裂が入っていく。多忙な時期の記憶は、ほとんどが失われている。
故ジャニー喜多川の勧めでシンガー・ソングライターとなり、「自分らしく生きる選択」ができるようになったと実感した頃には、30代になっていた。
「最近でこそ、自分らしさが尊重される時代になってきましたけど、今でも自分らしく生きられない人、素直に生きる勇気や場所がない人たちがたくさんいます。世の中は自分らしく生きている人を批判するのではなく、『自分らしく生きる幸せ』を、みんなで優しい心を持って話すだけでいいのにな、と思うんです。優しい心で話しているうちに、人は本当の自分になれるものですから」
「ジャニーズらしさ」は、年々変わっていくもの。こだわることではない。一番大事なのは自分であり、それをファンの人たちにつなげること……堂本がジャニーズに所属し続ける理由は、ここにある。
「柔らかく穏やかに、そういう感覚で僕は生きているからこそ、『ジャニーズっぽくない』カテゴリーに入れられてしまうのかもしれないけど。全てを事務所の許可を得て生きて来ました。事務所に直談判に行くこともあります。たくさんの人を動かすことになるので、一筋縄ではいかないこともある。でも理由や展望を持って話しにいくので、何言ってんの?って弾かれてしまうことはないですね。クリアしていきたいと思っていることはまだまだありますけど。少しずつです。ジャニーズは積極的にSNSに参戦する会社ではなかったけど、それが時代とともに変わってきました。僕が変化してもせずとも、変化していく時代というものがあるので、その時代に反応と順応をしたいと、柔軟に動いているところです」
ジャニーズ事務所では特別な立場にあるように見える堂本だが、単に自由なのではない。それを獲得するために、試行錯誤を続けてきたプロセスがあるのだ。
——人任せにしていたら滞るし、自分で動いたほうが早い
「自分で動く」。インタビューの間、堂本が何度も口にした言葉だ。
アイデアを形にするまでの動きはいつもスピーディーで、さらに二手、三手まで先を見ている。
「こんな世界状況の中でも、お金を出して作品を買ってくださる人がいる。僕が自分らしく仕事をしている姿を、家族や後輩君たちが見てくれている。そう考えたら、素直に動けます。人任せにしていたら滞るし、自分で動いたほうが早い。例えば伝言ゲームで、中継ぎの人が先方に納期を伝える時間が遅れ、作業していただけたはずの時間が減り、締め切りを縮めたり、完成を遅らせてしまったりすることがある。そういう仕事の仕方をする人は多いから、疲れることがあります。作り手、職人の作品に対して必要な時間、作業工程などが、その立場でない人からすると想像してあげられないんでしょうね。だから、直接やりとりすることがほとんどです。相手の心を考えて動くことも、仕事ですから。毎日くたくたですけど」
それでも音楽を作ることは、この上なく楽しい。仕事のスピード感を大切にしているのも、生まれたばかりのアイディアを、新鮮なうちに楽曲として閉じ込めたいとの思いからだ。
「極端にいえば、今このインタビュー中でも曲がひらめいたら、PCを開いてキーボードで打ち込みたくなる、というくらい、アイデアの鮮度を大切にしています」
頭の中で鳴る音楽を可視化し、音符に換えていく。音色を探して、演奏し、形作っていく。予想外に生まれるノイズやバグが、ドラマチックな音につながることがある。
「こういう一連の作業は、生きているからこそできることで、魂になったら、想像を形にすることもできなくなるんです。だから音楽を作ることは、命あることに感謝することでもあるんです。ただ、作品が出来上がって、リリースをするまでには時間がずいぶんと経過するので、リリース時にはもう自分が違うステージに行っていることがほとんど。だから、きょう曲を作ったら1週間後ぐらいにリリースする、そんな時代がくればいいのになって、思ったりもします。メッセージを強く込めた作品は、時代が流れている分、タイミングもクリエーティブの一部なんです」
ラブソングよりも、命や愛を歌いたい。
これは自身が心に傷を負い、パニック障害や突発性難聴に苦しんだ経験から、強く意識するようになったことだ。
「世の中の人々が、理由を持ってたどり着いた傷とか痛みに寄り添う歌詞、メロディー。その役目を持つ楽曲にあの頃の僕は救われ、もう一度生きようという気持ちにまで立ち戻れました。だから自分が作る音楽も、そういう役目でありたい。ジャニーズっぽくないと言われてもいいんです。もっとラブソングのほうが売れるよとか、うん、わかってるけど、ジャニーズにもいろんな歌が存在していいし、自分で作る音楽に、自分ではない歌声を選択することは、しない。限界の中で命を諦めようとしている人を救える音楽を作りたいって、僕は本気で思っているんです。自分と同じ経験をしている人を思いながら書いています。そんな中で少し変わったことは、世界的な問題が起き、みんなが同じ傷や痛みを共有する今、ポジティブな曲を書くようにもなりました。これまで使ってこなかったような、明るい言葉を綴ったりしながら」
——シンガー・ソングライターを続けることは、ジャニーさんの思いを持続させること
10代は、毎日、命が苦しいと思って生きていた。
「いろんな人に助けていただいて、もう一度生きよう、そう思わせてもらえたから僕は生きているんです。その人たちがいなかったら、今この世に僕はいません。当時は変人扱いされたけれど、でも、人は、傷つけば死にたいと思ってしまうものです。そんな人が世の中にはたくさんいること、それをみんなで理解して生きるべきだと、僕は思う。生きたいのに、生きられない人もいるんですよ」
ジャニーズだから、命や愛をテーマにした重い歌を歌ってはいけない? それは違う、と堂本は首を振る。
「ポップな曲はたくさんの人の心を幸せにする。それも理解はしています。命と愛が重たいと言うのなら、人は重たい存在となってしまいます。僕らは愛の果てに生まれた命なのに。重たいと認識してしまうのは悲しいし不思議です。だから、人が理由あってたどり着いた涙や傷に寄り添った曲も、たくさんの人の心を幸せにすると、本気で僕は思っています。死にたいと思わされてしまった経験がない人からは理解されづらいんですけど。僕自身がそう思った過去が悲しくもありました。でも、生きていられることが、今は幸せだと感じていることを、歌を通してあの頃の自分にも、同じように過ごす人たちにも伝えたい。一人で音楽を作る時は、その心を生きたいと思うし、提供したいと思っています」
ジャニーズ事務所には、ほかに“シンガー・ソングライター”として立っている者はいない。
「ジャニーさんに声をかけてもらって、この会社に入り、またジャニーさんからの提案を受けてシンガー・ソングライターになった。形がないゼロの状態から始まり、1にすること。そして、1から2……10へとつなげていくのは生半可な思いでいたら不可能なことですからね」
「そして、いまだやっているのが僕だけだからそれはそれは大変なことも多いけど、ある程度の分かりきった答えに向かうのもつまらないし、続けてこられたのはそれを楽しんできているからです。続けることは、ジャニーさんの思いを持続させることにもなると思っています。今はジャニーズの中で、音楽家のエリアは大きくないですけど、ここを整理整頓する位置にいられたらいいなとは思ってます。後輩君たちにも歌いたい歌があるだろうし、一人ひとりの歌唱スキルを把握して、声の魅力を引き出してもあげたいし、そういうディレクションまでを、本当はやってあげたいですね」
才能のある人たちを、解き放ってあげたい。堂本はまっすぐにそう語った。
今年はシンガー・ソングライターとして、デビュー20周年。ENDRECHERIとして精力的に楽曲をリリース、夏フェスへの参加も決まった。GYAOでの新番組「つよしP」を始動し、ZOZOとのファッションデザインやLINE VOOMなど、さまざまな企画を展開する。
「『決めつけ』るのではなく、素直に発想を出すこと、変で、妙で、面白くて、独創的なモノをたくさん作り、それらをいろんなコンテンツを通して表現する一度きりの僕の人生でありたい。そして『本当の自分を生きることの幸せ』が伝染していくといいなと思っています。僕の心が、『決めつけ』で苦しんで生きている人たちの心に届いて、自分らしく生きてみようという笑顔を与えられたなら、とても幸せだなって思います」
生きていられることが、今は幸せだと感じているーー堂本剛が、自分の歌で伝えたいこと
https://t.cn/A6XMLwcE
5/13(金) 17:45配信
撮影:殿村誠士
「自分で楽曲を作って歌うということ。それは自炊に近い。心も体もすごく楽なんです」
シンガー・ソングライターの活動を始めて20周年、堂本剛は今、もっとも自分らしい状態にあるという。“本当の自分で生きられる喜び”を表現したものが、自分の作る音楽。この思いと行動が誰かの人生の、自分らしさを取り戻す幸せへとつながればうれしい……多忙なアイドル時代を駆け抜け、自身も生きづらさを抱えたからこそ見えてきた境地がある。仕事への矜持、そして死生観。堂本剛を突き動かすものとは。(取材・文:山野井春絵/撮影:殿村誠士/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)
——インスタグラムの使い方を「間違いたい」
およそ1年前から堂本剛が始めたインスタグラムは、はなから不思議なものだった。ポートレートはほぼ同じアングルで、どんどん眉毛が濃くなっていき、最後には額全体がアイブロウで埋め尽くされる。コメントは一言、「どうもジャニーズです」。まるでモダンアートだ。何か強いメッセージ性を帯びているようにも見える。その後も眉毛写真の投稿は続き、ネット上ではさまざまな臆測が飛び交った。
——これについて、本人はこともなげに語る。
「テーマは『インスタの使い方を間違いたい』でした。隙間時間で、他人の眉毛が太くなり、元に戻っていく写真を見るという無駄な時間をご提供することで、『笑い』『勇気』『なんでやねん』が発生すればいいなという、そんな発想です。無駄な時間って幸せだったりしませんか? 個人の日常を羅列するだけではなくて、こんな時代、笑ってほしくて、これ何? 説明して?ってみんなが困惑つっこみするようなものを軸にしました。インスタグラムを、宣伝の空間として使いつつ笑かしにかかっています。事務所の人たちがインスタをやりやすい環境にもつながればと思い、僕はこんな行動をしてみました。」
——「ジャニーズっぽくない」と言われて
「アーティスティック」「生活感がない」「不思議」「自由」……。
こうした堂本剛のイメージは、ジャニーズ事務所において相対的なものとして捉えられることが多い。堂本自身、それをよく理解していた。
「世の中に存在するイメージというものの多くは、第三者が作り上げているものじゃないですか? 僕はそんなことを言っていない、思っていないのに勝手にそうされてしまっている。その人の中では、『言いそう』で、『思ってそう』なんでしょうね。僕の周りにいる人は、僕を理解してくれています。理解するタイミングがない人は、丁寧に想像する前に疲れ、自分の情報の中だけで計算し決めつけた僕という答えを出して終わらせてしまうからか……導き出した答えと現実の僕、それが合わないから『~っぽくない』ということに自然となるんでしょうね」
かつて堂本は、「自由」ではなかった。
デビューしてすぐに大ブレーク。10代の頃は毎日3時間睡眠で、休日は年に3日。分刻みのスケジュールで動き、周囲の求めに応じて表情をつくった。しだいに堂本のメンタルには亀裂が入っていく。多忙な時期の記憶は、ほとんどが失われている。
故ジャニー喜多川の勧めでシンガー・ソングライターとなり、「自分らしく生きる選択」ができるようになったと実感した頃には、30代になっていた。
「最近でこそ、自分らしさが尊重される時代になってきましたけど、今でも自分らしく生きられない人、素直に生きる勇気や場所がない人たちがたくさんいます。世の中は自分らしく生きている人を批判するのではなく、『自分らしく生きる幸せ』を、みんなで優しい心を持って話すだけでいいのにな、と思うんです。優しい心で話しているうちに、人は本当の自分になれるものですから」
「ジャニーズらしさ」は、年々変わっていくもの。こだわることではない。一番大事なのは自分であり、それをファンの人たちにつなげること……堂本がジャニーズに所属し続ける理由は、ここにある。
「柔らかく穏やかに、そういう感覚で僕は生きているからこそ、『ジャニーズっぽくない』カテゴリーに入れられてしまうのかもしれないけど。全てを事務所の許可を得て生きて来ました。事務所に直談判に行くこともあります。たくさんの人を動かすことになるので、一筋縄ではいかないこともある。でも理由や展望を持って話しにいくので、何言ってんの?って弾かれてしまうことはないですね。クリアしていきたいと思っていることはまだまだありますけど。少しずつです。ジャニーズは積極的にSNSに参戦する会社ではなかったけど、それが時代とともに変わってきました。僕が変化してもせずとも、変化していく時代というものがあるので、その時代に反応と順応をしたいと、柔軟に動いているところです」
ジャニーズ事務所では特別な立場にあるように見える堂本だが、単に自由なのではない。それを獲得するために、試行錯誤を続けてきたプロセスがあるのだ。
——人任せにしていたら滞るし、自分で動いたほうが早い
「自分で動く」。インタビューの間、堂本が何度も口にした言葉だ。
アイデアを形にするまでの動きはいつもスピーディーで、さらに二手、三手まで先を見ている。
「こんな世界状況の中でも、お金を出して作品を買ってくださる人がいる。僕が自分らしく仕事をしている姿を、家族や後輩君たちが見てくれている。そう考えたら、素直に動けます。人任せにしていたら滞るし、自分で動いたほうが早い。例えば伝言ゲームで、中継ぎの人が先方に納期を伝える時間が遅れ、作業していただけたはずの時間が減り、締め切りを縮めたり、完成を遅らせてしまったりすることがある。そういう仕事の仕方をする人は多いから、疲れることがあります。作り手、職人の作品に対して必要な時間、作業工程などが、その立場でない人からすると想像してあげられないんでしょうね。だから、直接やりとりすることがほとんどです。相手の心を考えて動くことも、仕事ですから。毎日くたくたですけど」
それでも音楽を作ることは、この上なく楽しい。仕事のスピード感を大切にしているのも、生まれたばかりのアイディアを、新鮮なうちに楽曲として閉じ込めたいとの思いからだ。
「極端にいえば、今このインタビュー中でも曲がひらめいたら、PCを開いてキーボードで打ち込みたくなる、というくらい、アイデアの鮮度を大切にしています」
頭の中で鳴る音楽を可視化し、音符に換えていく。音色を探して、演奏し、形作っていく。予想外に生まれるノイズやバグが、ドラマチックな音につながることがある。
「こういう一連の作業は、生きているからこそできることで、魂になったら、想像を形にすることもできなくなるんです。だから音楽を作ることは、命あることに感謝することでもあるんです。ただ、作品が出来上がって、リリースをするまでには時間がずいぶんと経過するので、リリース時にはもう自分が違うステージに行っていることがほとんど。だから、きょう曲を作ったら1週間後ぐらいにリリースする、そんな時代がくればいいのになって、思ったりもします。メッセージを強く込めた作品は、時代が流れている分、タイミングもクリエーティブの一部なんです」
ラブソングよりも、命や愛を歌いたい。
これは自身が心に傷を負い、パニック障害や突発性難聴に苦しんだ経験から、強く意識するようになったことだ。
「世の中の人々が、理由を持ってたどり着いた傷とか痛みに寄り添う歌詞、メロディー。その役目を持つ楽曲にあの頃の僕は救われ、もう一度生きようという気持ちにまで立ち戻れました。だから自分が作る音楽も、そういう役目でありたい。ジャニーズっぽくないと言われてもいいんです。もっとラブソングのほうが売れるよとか、うん、わかってるけど、ジャニーズにもいろんな歌が存在していいし、自分で作る音楽に、自分ではない歌声を選択することは、しない。限界の中で命を諦めようとしている人を救える音楽を作りたいって、僕は本気で思っているんです。自分と同じ経験をしている人を思いながら書いています。そんな中で少し変わったことは、世界的な問題が起き、みんなが同じ傷や痛みを共有する今、ポジティブな曲を書くようにもなりました。これまで使ってこなかったような、明るい言葉を綴ったりしながら」
——シンガー・ソングライターを続けることは、ジャニーさんの思いを持続させること
10代は、毎日、命が苦しいと思って生きていた。
「いろんな人に助けていただいて、もう一度生きよう、そう思わせてもらえたから僕は生きているんです。その人たちがいなかったら、今この世に僕はいません。当時は変人扱いされたけれど、でも、人は、傷つけば死にたいと思ってしまうものです。そんな人が世の中にはたくさんいること、それをみんなで理解して生きるべきだと、僕は思う。生きたいのに、生きられない人もいるんですよ」
ジャニーズだから、命や愛をテーマにした重い歌を歌ってはいけない? それは違う、と堂本は首を振る。
「ポップな曲はたくさんの人の心を幸せにする。それも理解はしています。命と愛が重たいと言うのなら、人は重たい存在となってしまいます。僕らは愛の果てに生まれた命なのに。重たいと認識してしまうのは悲しいし不思議です。だから、人が理由あってたどり着いた涙や傷に寄り添った曲も、たくさんの人の心を幸せにすると、本気で僕は思っています。死にたいと思わされてしまった経験がない人からは理解されづらいんですけど。僕自身がそう思った過去が悲しくもありました。でも、生きていられることが、今は幸せだと感じていることを、歌を通してあの頃の自分にも、同じように過ごす人たちにも伝えたい。一人で音楽を作る時は、その心を生きたいと思うし、提供したいと思っています」
ジャニーズ事務所には、ほかに“シンガー・ソングライター”として立っている者はいない。
「ジャニーさんに声をかけてもらって、この会社に入り、またジャニーさんからの提案を受けてシンガー・ソングライターになった。形がないゼロの状態から始まり、1にすること。そして、1から2……10へとつなげていくのは生半可な思いでいたら不可能なことですからね」
「そして、いまだやっているのが僕だけだからそれはそれは大変なことも多いけど、ある程度の分かりきった答えに向かうのもつまらないし、続けてこられたのはそれを楽しんできているからです。続けることは、ジャニーさんの思いを持続させることにもなると思っています。今はジャニーズの中で、音楽家のエリアは大きくないですけど、ここを整理整頓する位置にいられたらいいなとは思ってます。後輩君たちにも歌いたい歌があるだろうし、一人ひとりの歌唱スキルを把握して、声の魅力を引き出してもあげたいし、そういうディレクションまでを、本当はやってあげたいですね」
才能のある人たちを、解き放ってあげたい。堂本はまっすぐにそう語った。
今年はシンガー・ソングライターとして、デビュー20周年。ENDRECHERIとして精力的に楽曲をリリース、夏フェスへの参加も決まった。GYAOでの新番組「つよしP」を始動し、ZOZOとのファッションデザインやLINE VOOMなど、さまざまな企画を展開する。
「『決めつけ』るのではなく、素直に発想を出すこと、変で、妙で、面白くて、独創的なモノをたくさん作り、それらをいろんなコンテンツを通して表現する一度きりの僕の人生でありたい。そして『本当の自分を生きることの幸せ』が伝染していくといいなと思っています。僕の心が、『決めつけ』で苦しんで生きている人たちの心に届いて、自分らしく生きてみようという笑顔を与えられたなら、とても幸せだなって思います」
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