#keitaeiji[超话]#
町田啓太コメント
魔法のような機会を頂けて光栄です。
またあの世界に入れるのは「チェリまほ」を通じて出逢えた皆様のおかげです。
本当にありがとうございます。そして楽しみにしていてください。
「チェリまほ」は僕の人生にとって大切な心持ちをたくさん教えてくれた作品。
この映画を観てくださる方の心に、僕が作品と皆様からもらえた優しい温かさをお届けできたらと思っています。
スタッフの皆様、赤楚くんはじめ共演者の方々、最高のチームでどんな物語をつくっていけるのか新たな挑戦が楽しみでなりません。
町田啓太コメント
魔法のような機会を頂けて光栄です。
またあの世界に入れるのは「チェリまほ」を通じて出逢えた皆様のおかげです。
本当にありがとうございます。そして楽しみにしていてください。
「チェリまほ」は僕の人生にとって大切な心持ちをたくさん教えてくれた作品。
この映画を観てくださる方の心に、僕が作品と皆様からもらえた優しい温かさをお届けできたらと思っています。
スタッフの皆様、赤楚くんはじめ共演者の方々、最高のチームでどんな物語をつくっていけるのか新たな挑戦が楽しみでなりません。
佐藤流司インタビュー!「芝居と離れることは無理だった・・・」そんな期間を経て臨んだ『読奏劇』
11月10日(火)21:00より、『Dream Stage(ドリームステージ)-読奏劇-』第8弾となる佐藤流司の「芥川龍之介 著/藪の中」が配信される。「The Brow Beat」のRyujiとしてアーティスト活動も行う佐藤が、今回は俳優として “「Music Video」のように「朗読」届ける”映像作品作りに向き合った。
撮影とインタビューを行ったのは、自粛期間を経て、演劇がこれまでの“当たり前”を失ってあり方を模索していた7月。佐藤がどんなことを考え、撮影に臨んだのか。言葉を選びながら心の内を語ってくれた。
——
――収録を終えた感想を教えてください。
難しすぎたなあ、と(笑)。でも、この『読奏劇』に声をかけていただいた時、せっかくなら普段読まないような難しいものに挑戦したい、と思ったので、結果的には正解だったかなと思っています。
――「藪の中」を選ばれた理由は?
芥川龍之介は、きっと誰もが知っている文豪ですよね。でも、もしかしたら作品そのものを読んだことがある人は多くないかもしれない。俺も普段本を読んだりするんですが、改めて触れてみたいなと思ったんですよね。せっかくのいい機会なので、皆さんと一緒に芥川を学べる機会になればと。
――「藪の中」は、事件をめぐって4人の目撃者と3人の当事者が告白しますが、結論が描かれておらず・・・という内容です。章ごとの佐藤さんの切り替えが素晴らしかったです。
1人で読むには、登場人物が結構多かったので、抽象的でもいいから人物像をしっかり持たないといけないと意識しました。よくよく読み込んでみると、人物は変わっているんですが、書いているのは芥川龍之介という作者なので、語り口調など似通っている部分が多かったんですよね。だから、読む上ではそれを自分の中でデフォルメして、イメージを強く持てるようにと考えました。
――舞台で演じる際と、重きを置くところに違いはありましたか?
そうですね、撮影中はアフレコに近いような感覚がありました。全編を通して読むのではなく、章を分けながら、環境なども変えながら撮影していただく中で、座って読むことだけでその人物を演じる・・・という形の撮影だったので。俺は素材の1つなので、読む声と表情で表現していかなければならない。舞台に立つのとは、また違った感覚があって面白かったですね。
――動きが少ないゆえに、佐藤さんの声の良さをじっくり味わうことができました。
ありがとうございます(笑)。自分にできることとして、耳も楽しんでもらえたらいいなと思っていたので、そう言っていただけるのはとても光栄ですね。
――登場人物は、「木樵(きこり)」「旅法師」「放免」「媼(おうな)」「多襄丸」「懺悔する女」「巫女の口を借りた死霊」と、年齢も性別も様々でした。
女性の役を読み方で表現するのは難しかったですね。でも、ドラマ(『日暮里チャーリーズ』)で、おばあちゃん役や女子高生役もやらせていただいていたので、その経験が活きた・・・かもしれないです(笑)。
――(笑)。撮影中もいろんなことが起きてましたが動じない佐藤さん、さすがでした。
「朗読」を「MV風」っていうのは、新しいですよね。撮影でも、プロジェクターで何かを投影していたり、登場人物によって光の当て方を変えたりしていただいていたんですが・・・座っていた俺は、どうなっていたのかイマイチ分かっていません(笑)。編集されたものをいただくまで何が起こっていたか分からない点が多いというのは、映像作品の面白いところですよね。どう映っているのか、俺も観るのが楽しみです。
――配信日当日は、スタジオにお越しいただいて、トークをしながらお客様と一緒に出来上がりを観ていただくことになります。
自分が出た作品を見返すことは結構するんですが、リアルタイムでお客さんと一緒に観るという経験は今まであまりしたことがないので、楽しみです。・・・評価、高いといいな。ダメ出しとかされたらどうしよう(笑)。
――(笑)。お客様もきっと、今年は「観る」ことに飢えていらっしゃる時間が多かったでしょうね。佐藤さんご自身は、どんなことを考えていらっしゃいましたか。
自粛期間中は・・・一度、芝居から離れようと思ったんですよ。芝居をはじめてから10年近く立ちますが、ずっと芝居のことを考えていたから、一度やめてみようと思って。映画とか、舞台の映像を観たりするのもいろいろ考えちゃうからやめて、今まであまりできなかったことをやっていました。
例えば、ゲームをやったり、小説を読んでみたり。でも、「この言い回しかっこいいから今度使いたいな」とか、「この動きいいな、今度取り入れてみようかな」とか、そういうことばかり考えてしまって。どういう状況になっても、俺は芝居から離れるの無理なんだなあと・・・。改めて自分の中で芝居というものがどういうものであるのか、痛いほどよく分かりました。
――たぶん、皆さんも佐藤さんのその「欲」を求めていますね。仕上がりを一緒に拝見できるのが楽しみです。
「藪の中」は、解決しない物語なので、結局誰が嘘ついているのか、受け取る方によって考え方が違うと思います。きっと、もやもやすると思います。その感覚が、この作品の面白い部分だなと思ったので、皆さんにもぜひその感覚を味わっていただきたいなと思います。俺も一緒にもやもやします(笑)。よろしくお願いします。
——————
https://t.cn/A6GxPqWz
20211109
11月10日(火)21:00より、『Dream Stage(ドリームステージ)-読奏劇-』第8弾となる佐藤流司の「芥川龍之介 著/藪の中」が配信される。「The Brow Beat」のRyujiとしてアーティスト活動も行う佐藤が、今回は俳優として “「Music Video」のように「朗読」届ける”映像作品作りに向き合った。
撮影とインタビューを行ったのは、自粛期間を経て、演劇がこれまでの“当たり前”を失ってあり方を模索していた7月。佐藤がどんなことを考え、撮影に臨んだのか。言葉を選びながら心の内を語ってくれた。
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――収録を終えた感想を教えてください。
難しすぎたなあ、と(笑)。でも、この『読奏劇』に声をかけていただいた時、せっかくなら普段読まないような難しいものに挑戦したい、と思ったので、結果的には正解だったかなと思っています。
――「藪の中」を選ばれた理由は?
芥川龍之介は、きっと誰もが知っている文豪ですよね。でも、もしかしたら作品そのものを読んだことがある人は多くないかもしれない。俺も普段本を読んだりするんですが、改めて触れてみたいなと思ったんですよね。せっかくのいい機会なので、皆さんと一緒に芥川を学べる機会になればと。
――「藪の中」は、事件をめぐって4人の目撃者と3人の当事者が告白しますが、結論が描かれておらず・・・という内容です。章ごとの佐藤さんの切り替えが素晴らしかったです。
1人で読むには、登場人物が結構多かったので、抽象的でもいいから人物像をしっかり持たないといけないと意識しました。よくよく読み込んでみると、人物は変わっているんですが、書いているのは芥川龍之介という作者なので、語り口調など似通っている部分が多かったんですよね。だから、読む上ではそれを自分の中でデフォルメして、イメージを強く持てるようにと考えました。
――舞台で演じる際と、重きを置くところに違いはありましたか?
そうですね、撮影中はアフレコに近いような感覚がありました。全編を通して読むのではなく、章を分けながら、環境なども変えながら撮影していただく中で、座って読むことだけでその人物を演じる・・・という形の撮影だったので。俺は素材の1つなので、読む声と表情で表現していかなければならない。舞台に立つのとは、また違った感覚があって面白かったですね。
――動きが少ないゆえに、佐藤さんの声の良さをじっくり味わうことができました。
ありがとうございます(笑)。自分にできることとして、耳も楽しんでもらえたらいいなと思っていたので、そう言っていただけるのはとても光栄ですね。
――登場人物は、「木樵(きこり)」「旅法師」「放免」「媼(おうな)」「多襄丸」「懺悔する女」「巫女の口を借りた死霊」と、年齢も性別も様々でした。
女性の役を読み方で表現するのは難しかったですね。でも、ドラマ(『日暮里チャーリーズ』)で、おばあちゃん役や女子高生役もやらせていただいていたので、その経験が活きた・・・かもしれないです(笑)。
――(笑)。撮影中もいろんなことが起きてましたが動じない佐藤さん、さすがでした。
「朗読」を「MV風」っていうのは、新しいですよね。撮影でも、プロジェクターで何かを投影していたり、登場人物によって光の当て方を変えたりしていただいていたんですが・・・座っていた俺は、どうなっていたのかイマイチ分かっていません(笑)。編集されたものをいただくまで何が起こっていたか分からない点が多いというのは、映像作品の面白いところですよね。どう映っているのか、俺も観るのが楽しみです。
――配信日当日は、スタジオにお越しいただいて、トークをしながらお客様と一緒に出来上がりを観ていただくことになります。
自分が出た作品を見返すことは結構するんですが、リアルタイムでお客さんと一緒に観るという経験は今まであまりしたことがないので、楽しみです。・・・評価、高いといいな。ダメ出しとかされたらどうしよう(笑)。
――(笑)。お客様もきっと、今年は「観る」ことに飢えていらっしゃる時間が多かったでしょうね。佐藤さんご自身は、どんなことを考えていらっしゃいましたか。
自粛期間中は・・・一度、芝居から離れようと思ったんですよ。芝居をはじめてから10年近く立ちますが、ずっと芝居のことを考えていたから、一度やめてみようと思って。映画とか、舞台の映像を観たりするのもいろいろ考えちゃうからやめて、今まであまりできなかったことをやっていました。
例えば、ゲームをやったり、小説を読んでみたり。でも、「この言い回しかっこいいから今度使いたいな」とか、「この動きいいな、今度取り入れてみようかな」とか、そういうことばかり考えてしまって。どういう状況になっても、俺は芝居から離れるの無理なんだなあと・・・。改めて自分の中で芝居というものがどういうものであるのか、痛いほどよく分かりました。
――たぶん、皆さんも佐藤さんのその「欲」を求めていますね。仕上がりを一緒に拝見できるのが楽しみです。
「藪の中」は、解決しない物語なので、結局誰が嘘ついているのか、受け取る方によって考え方が違うと思います。きっと、もやもやすると思います。その感覚が、この作品の面白い部分だなと思ったので、皆さんにもぜひその感覚を味わっていただきたいなと思います。俺も一緒にもやもやします(笑)。よろしくお願いします。
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20211109
为什么我们在大银幕看到的国产动画,不是以西游封神为代表的神话人物,就是各种相对子供向的直立动物?因为家喻户晓、自带流量、娱乐属性强、观影门槛低、容易赚取票房,所以没有多少厂商愿意去触及那些吃力不讨好的冷门领域,导致聚焦现实生活的动画题材几乎在大银幕销声匿迹。换言之制作一部写实风国漫,就得承担大得多的亏钱风险,单凭这份魄力,就足以让我对一部国漫产生兴趣并去看了点映。它就是《雄狮少年》,豆瓣刚刚开分,8.3分。这部动画写实到什么程度?人物写实,场景写实,剧情写实,内核写实,连彩蛋也写实。完完全全摆脱了传统神话束缚,视角回归到最真实的生活,放在中国南方最底层的农村年轻人身上,他们没钱没颜值没背景没超能力,就是一群普通到不能再普通的平民百姓。《雄狮少年》故事主线两句话就可以概括:三名被人看不起的留守青少年,在退役狮王的训练和带领下参加了舞狮比赛,最终通过比赛证明了自己的人生价值。简言之:一个“咸鱼翻身”的励志故事。这种故事比较俗套,已经不新鲜,不过元素运用上却别出心裁,将社会“留守”和国潮“舞狮”巧妙地结合起来,既让人捧腹大笑,热血沸腾,又让人感同身受,心灵震撼。男主叫阿娟,父母都在广州打工,而他则和爷爷留在农村,其貌不扬,骨瘦如柴,个子也不高,经常被舞狮队的村霸欺负,还被调侃为病猫。阿娟由于童年时期在父母陪伴下看了很多舞狮,所以从小就对舞狮这一华丽而灵动的民间艺术产生憧憬和向往,在他18岁那年,乡村举行舞狮抢青活动之日,全程目睹盛气凌人的村霸被一名技艺精湛的神秘人耍得团团转。这名神秘人是舞狮高手,有趣的是名字也设置为阿娟,要说为什么两人同名,我个人理解不是随性而为,应该是蕴含了主创的精心设计和其他用意。男阿娟外表邋遢,精神颓丧,内心自卑,代表一条被人瞧不起的废柴咸鱼,女阿娟光鲜亮丽,自信张扬,拥有打败村霸的厉害实力。她有可能是男阿娟内心深处的投射,是他未来渴望成为的那个样子,而且女阿娟在全片没有多少戏份,更多只是起到引路明灯的作用,所以我觉得她也许只是一个意象。实际上我最开始也以为她是女主角,深入剧情后却得知,全片塑造得最饱满最立体的女性角色,是退役狮王咸鱼强的老婆阿珍,也就是少年舞狮队的师母。主创花了不少笔墨刻画阿珍和阿强的感情线,她可以说是少年舞狮队得以走上追逐梦想之路的定心丸。三人参加舞狮比赛的动机说起来会让人觉得不可思议,男主是为了去广州见打工的爸妈,阿猫是为了见到漂亮的女阿娟,阿狗是为了包吃包住。所以这部动画所谓的梦想说白了,不是什么令人肃然起敬的豪言壮举,完全就是底层小人物最真实的生理冲动以及最迫切的情感愿望罢了。只不过由于男主从小到大都喜欢舞狮,所以舞狮也就成为了他平凡人生中唯一看到咸鱼翻身希望的方式。《雄狮少年》应该是我国第一部宣扬舞狮文化的院线动画电影,影片开头用了一个水墨画形式简要介绍了舞狮历史,一开场就充满中国风 。舞狮作为一种历史悠久的助兴艺术,有南北之分,本片讲述了南狮文化,南狮又称醒狮,主要以广东为代表,是第一批国家级非物质文化遗产。北方的朋友可能对舞狮没有那么浓烈的认知度 ,但作为一名土生土长的广东人,我可以很明确地说,无数广东人从小到大在这种文化精粹中耳濡目染,尤其很多农村孩子从小就学舞狮学敲锣打鼓,这种文化就这样一代一代传承下去,昌盛不绝。北方朋友如果来广东生活一段时间就可以发现,广东地区每逢新业开张、节日活动、张灯结彩之际,几乎必有舞狮队的身影。舞狮文化往小了说是一种有驱邪避害寓意的仪式,往大了说是海外华人扬民族之威、认祖归宗的文化桥梁。相信很多人看过由徐克导演、李连杰主演,在1992年上映的《黄飞鸿3:狮王争霸》,那应该就是知名度最高、以舞狮为主题的商业电影了。我查了查这部《雄狮少年》的主创团队,原来编剧就来自佛山,而佛山可是狮艺之乡,是南狮的发源地,电影的舞狮元素给得如此饱满,细节如此考究,一看就知道对舞狮文化有深入研究。据称主创深度采风了广州佛山两地,难怪片中的街景建模几乎就是一比一还原了南方水土乡村。那蔚蓝的天空,那泥泞的道路,那熟悉的大排档,光影效果堪称精雕细琢,美艳绝伦又充满烟火气。导致我观影过程中一度模糊了这到底是虚拟动画还是真人电影?特别是纤毫毕现的狮头在人的摆动下毛发随风飘荡,把南狮头霸道又可爱的气质建模得惟妙惟肖,达到了以假乱真的细腻程度。而本片音乐的搭配堪称一大加分项,用了很多恰到好处、能让南方年轻人DNA颤动的音乐。比如开头五条人的《道山靓仔》,比如中间粤语名歌《世间始终你好》,再比如比如片尾九连真人《莫欺少年穷》,话说我还是第一次听客家话的歌曲,没想到这么带感。而配音对白方面是普通话、粤语、闽南语混合使用,多方言带来的搞怪效果让人忍俊不禁。此外,《雄狮少年》有不少情节致敬了周星驰电影,尤其是《少林足球》。师傅咸鱼强带三人魔鬼训练一段时间后,为三人组织了跟另外一支舞狮队的切磋,瞬间令我联想起《少林足球》锋哥带少林队第一次比赛的段落。因此不夸张地说,这是一部能让南方观众产生共情、倍感亲切且唤起回忆的动画。不过该动画由于几位主角相貌建模不符合主流审美引起了较大争议,我个人觉得预告片要背一些锅,因为我在看正片的时候基本就没有被眼睛问题分散注意力。有一说一,不是大眼眸的主角团的确不美,不过全片看下来真正算得上丑的我觉得只有那个阿猫,其实主创明显有意将其建模成猴子一般滑稽(出场吃香蕉),片中两次强调了他长得丑。至于负责打鼓的阿狗我只觉得他很憨厚很爱吃。这么看下来,《雄狮少年》的人物阵容还挺有《西游》那味,男主是唐僧,阿猫是大圣,阿狗是八戒,开场身穿洁白上衣的女阿娟则是观音菩萨,电影中还出现了男主在佛像面前诉苦,似乎更加证明了主创有意向西游靠拢,当然以上纯属个人过度解读。男主阿娟虽然前期土得要命,但中后期离开乡村到外面打工剪了一个清爽寸头后,精气神立刻提拔上来。其实不用到中后期,只要男主一套上狮头,整个人的气质就180°大转变,从垂头丧气变得飒爽帅气,从低沉失落变得狂放灵动,眼神再也不见一丝一毫的自卑,有的只是无尽的凌厉以及对于胜利的渴望。一套上狮头,给我感觉宛如变了身,他不再是一条浑浑噩噩的咸鱼,而是一条气势惊人的鲨鱼,不再是任人欺凌的病猫,而是威风凛凛的雄狮。值得一提的是这部动画在动作设计上太干脆利索了。舞动时的马步,上肩、上杆、跳椿、爬桩等一系列动作既好看又迅疾,大起大落,大开大合,稳而不乱,猛而不急。尤其是男主在大赛紧急关头华丽登场,通过努力训练而来的精湛技艺力挽狂澜,配合上有节奏感的鼓点BGM,全片高潮点和情绪点在那一刹那宛如山呼海啸般顷刻引爆,看得我热血澎湃、大呼过瘾。如果《雄狮少年》仅仅停留在让观众看爽看笑的程度,那么它充其量只是一部合家欢爆米花。这部电影真正让我感动的,是深入阐释了“留守”这一个社会议题,延展出了带来情感共鸣的现实意义以及思想深度。男主的梦想是通过舞狮来实现自己的魅力和价值,他的初衷就是让在外辛苦赚钱的父母,知道自己很了不起,不用父母担忧。然而残酷的是,舞狮不能解决吃饭问题,不能带来收益,一针见血戳中了“理想很性感,现实很骨感”这一个平凡人在追梦道路上永远绕不开的痛点。片中就用了咸鱼强这条线来佐证。咸鱼强年轻时就是舞狮界王者,由此吸引了阿珍的爱慕,可因为经济原因,最终只能当上一名平庸无奇的咸鱼小贩。年仅18岁的男主阿娟同样遭遇了这个残酷困境,一个出身农村的平凡少年抵抗不了这样的命运。他甚至连跟现实博弈的机会都没有,只能挥洒泪水,用弱小的身躯承担起重任,那奋力挣扎的样子见者为之心疼和叹息。所以该片节奏在前期轻松活泼搞怪滑稽甚至有点无厘头,但在中后期就逐渐揭开社会最真实的一面,让观众抛开浮躁,冷静下来思考。为什么梦想如此可贵?普通人难道就不配拥有出人头地的机会吗?《雄狮少年》从头到尾都在努力传达一个观念,那就是持有梦想的人,他们的坚持和执着,一定是值得肯定的。只要肯拼搏,病猫照样也有蜕变成雄狮的可能,照样也能有在万众瞩目之下仰天咆哮、骄傲怒吼的高光时刻,影片结尾通过这样的精神升华,完成了角色弧光闭环。然而正当我以为全片立意就此终结的时候,彩蛋又将我高涨的思绪拉回了现实,将我那一颗行将上天的心又安抚到了地面。这部电影的主创给我的感觉很理智很克制,即便是允许夸张化的动画艺术,他们也极力控制在符合现实主义的逻辑之内,很难得没有假大空,做到了不虚浮不混乱。如我开头所言,这是一部写实到极致的现实题材动画,紧紧贴合生活,处处是现实世界的真实反映,与此同时又柔情地鼓励观众,要勇于追逐梦想,梦想与现实不是必然会产生冲突的,一定存在一个既能照顾现实、也能让梦想发光发热的平衡点。《雄狮少年》一方面用了搞笑而热血的方式,将传统舞狮文化的魅力展现得淋漓尽致,另一方面又用了感性而浪漫的方式,治愈了在社会工作、可梦想之火几乎被浇灭的打工人。用了最潮最泪目的形式传达了最普世的精神内核和价值观。如同片中一句台词所说:“只要鼓点还能在心中响起,我们就是雄狮。”
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