MORE 8月号 表紙撮影秘話https://t.cn/A6a98tKi
◆いつでも礼儀正しい大西さん
「よろしくお願いしまーす!」と、次々と元気良くスタジオに入ってきた皆さん。用意していた数々のお弁当にすぐさま反応したのは大西流星さん。焼肉弁当を猛スピードで完食すると、「めっちゃ美味しかったです。ごちそうさまでした」と丁寧にお礼を伝えてくれたんです……。「なんて礼儀正しい!」と、スタッフ一同で感動。
ちなみに、大西さんの可愛いメイクポーチには新しいコスメが沢山入っていることもインタビュー中に教えてくれました♡
◆なにわ男子イチの金魚すくい名人・長尾さん
ヘア&メイク中や待ち時間に「ねえ今日この後サッカーしません?」とマネージャーさんをずっと誘っていたのは長尾謙杜さん。そんなエネルギッシュな彼の得意技はまさかの「金魚すくい」!
表紙の撮影中、小道具で用意したビニールプールに浮かぶスーパーボールも、スイスイとすくいあげ……他のメンバーのポイがやぶれていても、長尾さんのポイはやぶれない! インタビュー中も、どうしたらポイがやぶれないかを熱弁してくれる、夏が似合う男・長尾さんでした!
◆たこ焼き食べすぎ・道枝さん
今回のテーマ「なにわ男子と終わらない夏休み」に合わせ、色々な夏にまつわる小道具や食べ物が用意された撮影現場。
集合カットを撮影中、「みんな好きなもの持ってみて!」というカメラマンの一言で、各自ヨーヨーで遊んだりする中、道枝駿佑さんは一目散にたこ焼きのもとへ。「みんなも食べないの?」と、ヨーヨーすくいに夢中になっているメンバーを、たこ焼きを頬いっぱいに詰め込みながら(笑)ながめていた姿が可愛すぎたのでした。
◆自称ラムネ宣伝大臣!? 藤原さん
「え! ラムネあんの? 絶対飲みたい!」とすぐさま反応してくれたのは藤原丈一郎さん。インタビュー中も、ラムネをプシュ。さらには、うまく開けられないけどラムネが飲みたい長尾さんのもとにやって来るや否や、男前に開けてくれました。ラムネへのアツイ想いはインタビューでもたっぷり語ってくれています!
撮影では、お祭りデート中に藤原さんが手を差し伸べてくれる神シチュエーションを、流石のポージングできめてくれました♡ MORE8月号でぜひチェックしてくださいね!
◆りんご飴にとびついたのは……大橋さん♡
「わ! このりんご飴俺好きやねん!」と、大西さんの撮影小道具として用意してあったりんご飴を見つけた大橋和也さん。実は以前撮影で行ったことのあるりんご飴屋さんのものだったらしく、無邪気にバリバリとほおばってくれました。
撮影では、“夕方、花火大会に向かう途中”をテーマにロケ撮影。いつものチャーミングな印象とはまた違う、アンニュイな表情にスタッフ一同惚れ惚れしてしまいました♡
◆ヨーヨーに興奮!? の高橋さん
表紙は色んなバージョンで撮影にトライしたのですが、大橋さん案のメンバーカラーのヨーヨーを持っている姿が見事採用となりました!
そしてそして、実は一番ヨーヨーを楽しんでいたのはなんと高橋恭平さん。最後は楽しくなりすぎ&ブンブン回しすぎで、スタッフが「高橋さんもヨーヨーも、ちょっと止まってください(笑)!」と言ってしまったほど。
ちなみに、高橋さんと大橋さんの二人がりんご飴をにぎるシーンがスペシャルピンナップの中にあります♡ この時は、高橋さんから大橋さんにりんご飴を差し出してくれたんですぜひ探してみてくださいね!
◆みんなを見守る西畑さん
みなさんがわちゃわちゃする姿を微笑みながら見守ってくれていたのが西畑大吾さん。集合カット撮影時に、藤原さんと大西さんが、長尾さんに教わりながらスーパーボールすくいをしてふざけている姿を、まるで保護者のような微笑みで(笑)眺めていたのが印象的でした♡
撮影中の大人な表情の色っぽさも流石のひと言。ぜひ誌面で味わってほしいです……!
◆いつでも礼儀正しい大西さん
「よろしくお願いしまーす!」と、次々と元気良くスタジオに入ってきた皆さん。用意していた数々のお弁当にすぐさま反応したのは大西流星さん。焼肉弁当を猛スピードで完食すると、「めっちゃ美味しかったです。ごちそうさまでした」と丁寧にお礼を伝えてくれたんです……。「なんて礼儀正しい!」と、スタッフ一同で感動。
ちなみに、大西さんの可愛いメイクポーチには新しいコスメが沢山入っていることもインタビュー中に教えてくれました♡
◆なにわ男子イチの金魚すくい名人・長尾さん
ヘア&メイク中や待ち時間に「ねえ今日この後サッカーしません?」とマネージャーさんをずっと誘っていたのは長尾謙杜さん。そんなエネルギッシュな彼の得意技はまさかの「金魚すくい」!
表紙の撮影中、小道具で用意したビニールプールに浮かぶスーパーボールも、スイスイとすくいあげ……他のメンバーのポイがやぶれていても、長尾さんのポイはやぶれない! インタビュー中も、どうしたらポイがやぶれないかを熱弁してくれる、夏が似合う男・長尾さんでした!
◆たこ焼き食べすぎ・道枝さん
今回のテーマ「なにわ男子と終わらない夏休み」に合わせ、色々な夏にまつわる小道具や食べ物が用意された撮影現場。
集合カットを撮影中、「みんな好きなもの持ってみて!」というカメラマンの一言で、各自ヨーヨーで遊んだりする中、道枝駿佑さんは一目散にたこ焼きのもとへ。「みんなも食べないの?」と、ヨーヨーすくいに夢中になっているメンバーを、たこ焼きを頬いっぱいに詰め込みながら(笑)ながめていた姿が可愛すぎたのでした。
◆自称ラムネ宣伝大臣!? 藤原さん
「え! ラムネあんの? 絶対飲みたい!」とすぐさま反応してくれたのは藤原丈一郎さん。インタビュー中も、ラムネをプシュ。さらには、うまく開けられないけどラムネが飲みたい長尾さんのもとにやって来るや否や、男前に開けてくれました。ラムネへのアツイ想いはインタビューでもたっぷり語ってくれています!
撮影では、お祭りデート中に藤原さんが手を差し伸べてくれる神シチュエーションを、流石のポージングできめてくれました♡ MORE8月号でぜひチェックしてくださいね!
◆りんご飴にとびついたのは……大橋さん♡
「わ! このりんご飴俺好きやねん!」と、大西さんの撮影小道具として用意してあったりんご飴を見つけた大橋和也さん。実は以前撮影で行ったことのあるりんご飴屋さんのものだったらしく、無邪気にバリバリとほおばってくれました。
撮影では、“夕方、花火大会に向かう途中”をテーマにロケ撮影。いつものチャーミングな印象とはまた違う、アンニュイな表情にスタッフ一同惚れ惚れしてしまいました♡
◆ヨーヨーに興奮!? の高橋さん
表紙は色んなバージョンで撮影にトライしたのですが、大橋さん案のメンバーカラーのヨーヨーを持っている姿が見事採用となりました!
そしてそして、実は一番ヨーヨーを楽しんでいたのはなんと高橋恭平さん。最後は楽しくなりすぎ&ブンブン回しすぎで、スタッフが「高橋さんもヨーヨーも、ちょっと止まってください(笑)!」と言ってしまったほど。
ちなみに、高橋さんと大橋さんの二人がりんご飴をにぎるシーンがスペシャルピンナップの中にあります♡ この時は、高橋さんから大橋さんにりんご飴を差し出してくれたんですぜひ探してみてくださいね!
◆みんなを見守る西畑さん
みなさんがわちゃわちゃする姿を微笑みながら見守ってくれていたのが西畑大吾さん。集合カット撮影時に、藤原さんと大西さんが、長尾さんに教わりながらスーパーボールすくいをしてふざけている姿を、まるで保護者のような微笑みで(笑)眺めていたのが印象的でした♡
撮影中の大人な表情の色っぽさも流石のひと言。ぜひ誌面で味わってほしいです……!
俳優・高良健吾さん、日常を離れ、アナログな「時」を楽しむ旅 【前編】
これまでやりたくても「時間」がなくてできなかったことに挑戦する「時間」をセイコー プレザージュが提供するこの企画。
昨年の「瀬戸内しまなみ海道」での自転車旅に続いて、俳優の高良健吾さんが再び旅立った。2日間、自然の中へ——。旅の目的は、「やりたかったことをすべて叶(かな)える」こと。とかく情報過多になりがちな日常を抜け出して、アナログな時間の流れに身を置いた高良さんは、何を感じ、どんな思いを抱いたのか。今回お届けする前編では、都会の喧噪(けんそう)から離れ、兵庫県北部の山間(やまあい)で自然をゆるりと楽しむ様子を追った。
腕時計と地図。アナログなツールでドライブへ
とある初夏の一日、高良さんが訪れたのは山間に佇(たたず)む古民家宿。やりたかったことをすべて叶える、今回の旅の拠点だ。大きな窓のあるメインルームでソファに座り、高良さんは持参した文庫本をしばし読みふける。
「本は好きです。こんな何百円で、人の考えに触れられるなんてすごいですよね。手に取らないと出会えないような言葉だったり、生き方だったり、そういうものを知ることができる。ある意味、ちょっとした旅だと思います」
そしてふと顔を上げ、明るい光が入り込む大きな窓から、山々を見つめる高良さん。そろそろ出発の時間だ。日常から離れるために、スマートフォンは置いていく。ルートは地図で、時間は腕時計で確認するアナログな旅の始まりだ。
「自分は基本アナログ。家にパソコンはないし、映画館に行くときはスマホを家に置いていくこともよくあります。スマホを気にしない分、別のものが見えてくる。こういう自然の中なら周囲をよく見るようになるし、いつもと違うアンテナも張れます」。地図を眺め、腕時計に目を向けてから、高良さんは車へ乗り込んだ。
小一時間、車を走らせて訪れたのは、歴史ある寺院。しっかりとした足取りで、初めて訪れる寺の山門をくぐる。
寺院では本堂に上がり、庭に向かってあぐらをかく。瞑想(めいそう)、これもまた高良さんがこの日、やりたかったことのひとつだ。背筋をぴしりと伸ばし、目をつぶって微動だにしない。葉ずれの音、鳥やカエルの鳴き声が止(や)んだ瞬間は、まるで時が止まっているかのようだ。
高良さんにとって瞑想は、ルーティンのようなものだという。
「だいたい寝る前にやるんです。撮影している期間は日中集中しているので、寝付きが悪かったり、途中で目が覚めたりすることもあるので、眠る前にちょっと心を落ち着かせるという感じ。今日のように自然の音に囲まれた場所だと、家の中で瞑想するよりも入りやすいですね。何も考えない、無理をしない時間が過ごせました」
自然の揺れを感じに。日常にない、贅沢時間
瞑想を終え、「ゴチャゴチャしていたものが整理された」と言う高良さんの次の目的地は、山中の釣り場。川に沿って続く遊歩道を、土の感触を確かめるように泰然と歩いていく高良さん。途中、足を止めて伸びをしたり、思いのままに満喫しているようだ。
こうして自然に囲まれながら思うのは、「自分が落ち着く場所、癒やされる場所は、自然なんだ」ということ。
「原風景が祖父母の田舎なんですよね。阿蘇と北九州の田川。きっと、そういう田舎で遊んでいた、楽しかった記憶があるんだろうと思います。自然の揺れって、見ているだけで落ち着くので、そこを求めに行っている。東京にいると、そういう揺れは風とか、上を見ないと感じられないので」
やがてたどり着いたのが、半径15mほどの滝壺(つぼ)。主にニジマスが釣れるという。海でのルアーフィッシング経験はある高良さんだが、川釣りは初挑戦。竹竿(ざお)にウキという組み合わせも、やはり初めて使う道具だそうだ。照れくさそうに「海ではルアーをなくしてばかりいたし、今回のやりたいことの中では一番自信がない」と言うものの、慣れた手つきで竿を操っている。
糸を垂らし、狙うポイントを変えながら数十分。前日の雨で濁った水面がゆらめく様子を、ただ見つめながら過ごす贅沢(ぜいたく)な時間だ。
「釣れなくても、3時間くらいは平気で過ごせますね。どれだけ時間が経ったかを確認することはあっても、苦ではないです。こうやって自然の中で過ごしている時は、時間の確認は腕時計がいいですね。それもデジタルの数字じゃなくて、針で見るっていうのがいい」
そんな話をするうちに、不意にウキが動き出した。「食いついた!」。そう思った瞬間、必死に暴れる魚の姿が。木漏れ日に輝く銀色の体はかなり大きく、高良さんもしばらく格闘したものの、魚はハリから外れて滝壺の底へと消えていった。その後すぐに再び別の獲物を捕らえるが、今度は糸が切れてしまう事態に。この装備では、少し心許(こころもと)ないようだ。
そろそろ宿に戻ろうか……と諦めかけたところで、またもウキが躍り出す。三度目の正直とばかりに、見事釣り上げた高良さん。「今日に限らず、以前から目の前で逃がしてばかりだったけど、ようやく釣れた!」と、喜びであふれんばかりの笑顔を向けた。
手を掛けるだけ愛着が増す。フォーマルな印象のモデル
「1時間で3匹なら入れ食い状態」と笑みを浮かべながら、宿へと戻ってきた。本日、予定していた夕食は屋外でのバーベキューだった。しかし、天気は下り坂。焚(た)き火台に火を入れ、炎が上がり始めるころには雨も降り出してきたため、部屋の中の囲炉裏に場所を移しての食事となった。
周囲には街灯や民家がなく、夜の帳(とばり)が下りれば辺りは真っ暗に。肉に魚、野菜も焼いて、時折、焚き火を眺めるひととき。
「焚き火って、本当に自然の揺らぎですよね。人間が作り出せない揺れというか。それこそ波だってそうだし、空だって雲の流れだったり、風の流れだったり、それって人間が絶対作り出せない。そういう場所に身を置くことが、自分にとっての癒やしですかね」。そう語る彼を包み込むように、時間はゆったりと過ぎていく。
この日、高良さんの腕で時を刻んだのは、「セイコー プレザージュ Sharp Edged Series SARX097」。アナログな旅によく似合う、機械式時計だ。
「機械式時計の良さは、自分がちゃんとその時計を扱っていないといけないこと。毎日見て、定期的にちゃんとメンテナンスしてあげることでより愛着が湧きますよね。耳を近付けて音を聞きながらりゅうずを巻くのも、好きな行為ですね」
「この『セイコー プレザージュ Sharp Edged Series SARX097』は、どちらかというとフォーマルな印象でした。白文字盤は持っていなかったんですが、いいですね。スーツのようなキレイめにも合うし、幅広いシーンで使えると思いました。(白文字盤は)似合う年齢が少し上という勝手なイメージがあったんですけど、 身につけてみると、“いや、そんなことないな”って気がしました」
そう言って、「セイコー プレザージュ Sharp Edged Series SARX097」に視線を落とす高良さん。「静の旅」となった1日が、そろそろ終わろうとしている。明日は一転、「動の旅」と言えるほど、バラエティーに富んだアクティブな旅となる。そちらは後編として次回、改めてご紹介しよう。
(文・石川由紀子 写真・高橋雄大 取材協力・円覚山宗鏡寺、glaminka KAMIKAWA、日高神鍋観光協会、清滝地区コミュニティセンターの皆様)
これまでやりたくても「時間」がなくてできなかったことに挑戦する「時間」をセイコー プレザージュが提供するこの企画。
昨年の「瀬戸内しまなみ海道」での自転車旅に続いて、俳優の高良健吾さんが再び旅立った。2日間、自然の中へ——。旅の目的は、「やりたかったことをすべて叶(かな)える」こと。とかく情報過多になりがちな日常を抜け出して、アナログな時間の流れに身を置いた高良さんは、何を感じ、どんな思いを抱いたのか。今回お届けする前編では、都会の喧噪(けんそう)から離れ、兵庫県北部の山間(やまあい)で自然をゆるりと楽しむ様子を追った。
腕時計と地図。アナログなツールでドライブへ
とある初夏の一日、高良さんが訪れたのは山間に佇(たたず)む古民家宿。やりたかったことをすべて叶える、今回の旅の拠点だ。大きな窓のあるメインルームでソファに座り、高良さんは持参した文庫本をしばし読みふける。
「本は好きです。こんな何百円で、人の考えに触れられるなんてすごいですよね。手に取らないと出会えないような言葉だったり、生き方だったり、そういうものを知ることができる。ある意味、ちょっとした旅だと思います」
そしてふと顔を上げ、明るい光が入り込む大きな窓から、山々を見つめる高良さん。そろそろ出発の時間だ。日常から離れるために、スマートフォンは置いていく。ルートは地図で、時間は腕時計で確認するアナログな旅の始まりだ。
「自分は基本アナログ。家にパソコンはないし、映画館に行くときはスマホを家に置いていくこともよくあります。スマホを気にしない分、別のものが見えてくる。こういう自然の中なら周囲をよく見るようになるし、いつもと違うアンテナも張れます」。地図を眺め、腕時計に目を向けてから、高良さんは車へ乗り込んだ。
小一時間、車を走らせて訪れたのは、歴史ある寺院。しっかりとした足取りで、初めて訪れる寺の山門をくぐる。
寺院では本堂に上がり、庭に向かってあぐらをかく。瞑想(めいそう)、これもまた高良さんがこの日、やりたかったことのひとつだ。背筋をぴしりと伸ばし、目をつぶって微動だにしない。葉ずれの音、鳥やカエルの鳴き声が止(や)んだ瞬間は、まるで時が止まっているかのようだ。
高良さんにとって瞑想は、ルーティンのようなものだという。
「だいたい寝る前にやるんです。撮影している期間は日中集中しているので、寝付きが悪かったり、途中で目が覚めたりすることもあるので、眠る前にちょっと心を落ち着かせるという感じ。今日のように自然の音に囲まれた場所だと、家の中で瞑想するよりも入りやすいですね。何も考えない、無理をしない時間が過ごせました」
自然の揺れを感じに。日常にない、贅沢時間
瞑想を終え、「ゴチャゴチャしていたものが整理された」と言う高良さんの次の目的地は、山中の釣り場。川に沿って続く遊歩道を、土の感触を確かめるように泰然と歩いていく高良さん。途中、足を止めて伸びをしたり、思いのままに満喫しているようだ。
こうして自然に囲まれながら思うのは、「自分が落ち着く場所、癒やされる場所は、自然なんだ」ということ。
「原風景が祖父母の田舎なんですよね。阿蘇と北九州の田川。きっと、そういう田舎で遊んでいた、楽しかった記憶があるんだろうと思います。自然の揺れって、見ているだけで落ち着くので、そこを求めに行っている。東京にいると、そういう揺れは風とか、上を見ないと感じられないので」
やがてたどり着いたのが、半径15mほどの滝壺(つぼ)。主にニジマスが釣れるという。海でのルアーフィッシング経験はある高良さんだが、川釣りは初挑戦。竹竿(ざお)にウキという組み合わせも、やはり初めて使う道具だそうだ。照れくさそうに「海ではルアーをなくしてばかりいたし、今回のやりたいことの中では一番自信がない」と言うものの、慣れた手つきで竿を操っている。
糸を垂らし、狙うポイントを変えながら数十分。前日の雨で濁った水面がゆらめく様子を、ただ見つめながら過ごす贅沢(ぜいたく)な時間だ。
「釣れなくても、3時間くらいは平気で過ごせますね。どれだけ時間が経ったかを確認することはあっても、苦ではないです。こうやって自然の中で過ごしている時は、時間の確認は腕時計がいいですね。それもデジタルの数字じゃなくて、針で見るっていうのがいい」
そんな話をするうちに、不意にウキが動き出した。「食いついた!」。そう思った瞬間、必死に暴れる魚の姿が。木漏れ日に輝く銀色の体はかなり大きく、高良さんもしばらく格闘したものの、魚はハリから外れて滝壺の底へと消えていった。その後すぐに再び別の獲物を捕らえるが、今度は糸が切れてしまう事態に。この装備では、少し心許(こころもと)ないようだ。
そろそろ宿に戻ろうか……と諦めかけたところで、またもウキが躍り出す。三度目の正直とばかりに、見事釣り上げた高良さん。「今日に限らず、以前から目の前で逃がしてばかりだったけど、ようやく釣れた!」と、喜びであふれんばかりの笑顔を向けた。
手を掛けるだけ愛着が増す。フォーマルな印象のモデル
「1時間で3匹なら入れ食い状態」と笑みを浮かべながら、宿へと戻ってきた。本日、予定していた夕食は屋外でのバーベキューだった。しかし、天気は下り坂。焚(た)き火台に火を入れ、炎が上がり始めるころには雨も降り出してきたため、部屋の中の囲炉裏に場所を移しての食事となった。
周囲には街灯や民家がなく、夜の帳(とばり)が下りれば辺りは真っ暗に。肉に魚、野菜も焼いて、時折、焚き火を眺めるひととき。
「焚き火って、本当に自然の揺らぎですよね。人間が作り出せない揺れというか。それこそ波だってそうだし、空だって雲の流れだったり、風の流れだったり、それって人間が絶対作り出せない。そういう場所に身を置くことが、自分にとっての癒やしですかね」。そう語る彼を包み込むように、時間はゆったりと過ぎていく。
この日、高良さんの腕で時を刻んだのは、「セイコー プレザージュ Sharp Edged Series SARX097」。アナログな旅によく似合う、機械式時計だ。
「機械式時計の良さは、自分がちゃんとその時計を扱っていないといけないこと。毎日見て、定期的にちゃんとメンテナンスしてあげることでより愛着が湧きますよね。耳を近付けて音を聞きながらりゅうずを巻くのも、好きな行為ですね」
「この『セイコー プレザージュ Sharp Edged Series SARX097』は、どちらかというとフォーマルな印象でした。白文字盤は持っていなかったんですが、いいですね。スーツのようなキレイめにも合うし、幅広いシーンで使えると思いました。(白文字盤は)似合う年齢が少し上という勝手なイメージがあったんですけど、 身につけてみると、“いや、そんなことないな”って気がしました」
そう言って、「セイコー プレザージュ Sharp Edged Series SARX097」に視線を落とす高良さん。「静の旅」となった1日が、そろそろ終わろうとしている。明日は一転、「動の旅」と言えるほど、バラエティーに富んだアクティブな旅となる。そちらは後編として次回、改めてご紹介しよう。
(文・石川由紀子 写真・高橋雄大 取材協力・円覚山宗鏡寺、glaminka KAMIKAWA、日高神鍋観光協会、清滝地区コミュニティセンターの皆様)
週刊女性報導
https://t.cn/A6aVbeHD
ジャニーズ事務所は「日本一ボランティアに熱心」な芸能プロ、キレイごとで終わらない本気の寄附額
1962年に設立されたジャニーズ事務所。以降、男性アイドル界の第一線を走り続けてきたわけだが、彼らが残した功績は大きい。その1つが、「日本で一番、寄附とボランティアに熱心な芸能プロダクション」であるということ。断トツである。
阪神・淡路大震災では寄附総額は8億円越え!
1997年以降、災害に遭った自治体や福祉団体、医療関係者らに対し、実に50億円以上も寄附している。人口1万人規模の自治体の年間予算に匹敵する金額である。
ジャニーズ事務所が寄附とボランティアに力を入れ始めたのは1995年1月。この月に起きた阪神・淡路大震災がきっかけだった。まずTOKIO、KinKi Kids、光GENJI SUPER5が、支援物資の仕分け作業やJR大阪駅前での街頭募金活動を行った。
翌1996年末にはV6による震災復興チャリティーイベント『V6 COUNTDOWN '97』が神戸ワールド記念ホール(神戸市)で開催された。衣装約250点のチャリティーオークションが実施され、売り上げはもちろん全額が寄附された。
さらに翌1997年末には被災地復興支援プロジェクト『J-FRIENDS』がスタート。メンバーに関西出身者がいるTOKIO、V6、KinKi Kidsがユニットを組み、チャリティーコンサートなどを次々と行った。活動は2003年3月まで5年余にわたって行われ、寄附総額は8億3695万1855円に達した。
なぜ、ジャニーズ事務所が寄附とボランティアに熱心になったかというと、当然ながら総帥だった故・ジャニー喜多川さんの影響。
ジャニーさんはエンターテイメントを通じ、日本のティーンたちに夢と幸福を与えようと思っていた人。だが、自然災害に襲われた子どもたちを救うためには金品の支援も必要と考えた。
もともとボランティア精神のある人だった。日系米国人だったジャニーさんは1948年に朝鮮戦争が起こると、日本から韓国に渡り、戦災孤児となった米国人の子どもに語学を教えた。語学が出来ずに辛い思いをする子どもが出ないよう努めた。
ジャニーさんは個人としても巨額の寄附を行っていている。2019年7月の死去後、赤十字病院の運営や看護師養成事業を行う日本赤十字社に5億円が贈られた。生前の本人の意向によるものだった。
この寄附で赤十字社は「ジャニー基金」を設立。基金は「明日を担う子どもと家族のため」などに使われている。
ジャニーズ事務所の願い
ジャニーズ事務所としての寄附とボランティアは『J-FRIENDS』で終わらなかった。2011年3月に東日本大震災が発生すると、翌4月には被災者支援プロジェクト『Marching J』が立ち上げられた。今度はオール・ジャニーズが集結した。
このプロジエクトが1年後の翌2012年3月までに集めた募金は計8億2655万3991円。その全額が被災した子どもたちに寄附された。「少年の才能を見抜き、育てるプロ」だったジャニーさんは、どこまで子どもを第一に考えた。
2018年7月には会社内に社会貢献活動を行う窓口『ジャニーズ・スマイルアップ・プロジェクト』がつくられた。まだジャニーさんが元気だったころだ。その際、寄附やボランティアを継続して行うことを宣言した。
このときジャニーズ事務所の説明はこうだった。
「エンターテイメントに触れていただく時間も、困難な状況が訪れた時も、どんな時でも“一人でも多くの皆様が笑顔になれる”時間が提供できる企業でありたいと思っております」
“キレイごとだ”と切り捨ててしまうのは簡単である。けれど社会貢献のために50億円以上の寄附を行うような組織は一般企業を含めてもほとんど存在しない。ジャニーさんの純粋な思いの表れと見ていいのではないか。
ジャニーさんの姪で現社長の藤島ジュリー景子さん(55)はインターナショナルスクールから上智大外国語学部比較文化学科(現・国際教養学部)に進み、在学中はスイスに留学した。グローバル感覚のある人として知られる。
欧米では社会に貢献を考えない企業は敬意を払われない。利益追求しか考えない企業は軽蔑される。ジュリーさんもジャニーさんの遺志を受け継ぐはずだ。
事実、ジャニーさんの死去後も滝沢秀明副社長(40)らによって寄附とボランティアは続けられている。2019年秋に千葉県内で台風被害が相次ぐと、滝沢副社長はV6の三宅健(42)ら8人と一緒に南房総市と館山市を訪れ、風雨で壊れたビニールハウスを解体するボランティアや炊き出しを行った。
一方、嵐もこの台風で動いた。千葉県に6000万円を寄附。千葉市出身の相葉雅紀(39)が県庁を訪れ、目録を手渡した。
8月27日から同28日にかけて放送される日本テレビのチャリティー番組『24時間テレビ45』のメインパーソナリティーもジャニーズ事務所勢・ジャにのちゃねるの4人。二宮和也(39)、中丸雄一(38)、山田涼介(29)、菊池風磨(27)である。
今年に限らず、2000年ごろから『24時間テレビ』はやたらとジャニーズ事務所勢の出演が目立つ。もちろん偶然ではない。日テレの中興の祖である故・氏家斎一郎元会長と元ジャニーズ事務所副社長の故・メリー喜多川さんが昵懇の間柄だった上、メリーさんが番組の精神に共鳴したから。『24時間テレビ』への全面協力を約束した。
メリーさんは番組のフィナーレ時には必ず顔を出していた。「女帝」とまで言われていた人なのだから、ほかの番組やイベントではあり得ない。ジャニーさんもメリーさんも社会貢献が好きだったのだ。
コロナ禍後は全国645カ所の医療機関に防護服などを計8万3000枚、医療用マスクなど計100万枚を届けた。総額3億6000万円になったというから、半端じゃない。
まだPCR検査が行き届いてなかった2020年には検査キット1000回分を47都道府県に送った。
今後も寄附とボランティアに最も熱心な芸能プロであり続けるに違いない。なにしろスケールが違うのだ。
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ジャニーズ事務所は「日本一ボランティアに熱心」な芸能プロ、キレイごとで終わらない本気の寄附額
1962年に設立されたジャニーズ事務所。以降、男性アイドル界の第一線を走り続けてきたわけだが、彼らが残した功績は大きい。その1つが、「日本で一番、寄附とボランティアに熱心な芸能プロダクション」であるということ。断トツである。
阪神・淡路大震災では寄附総額は8億円越え!
1997年以降、災害に遭った自治体や福祉団体、医療関係者らに対し、実に50億円以上も寄附している。人口1万人規模の自治体の年間予算に匹敵する金額である。
ジャニーズ事務所が寄附とボランティアに力を入れ始めたのは1995年1月。この月に起きた阪神・淡路大震災がきっかけだった。まずTOKIO、KinKi Kids、光GENJI SUPER5が、支援物資の仕分け作業やJR大阪駅前での街頭募金活動を行った。
翌1996年末にはV6による震災復興チャリティーイベント『V6 COUNTDOWN '97』が神戸ワールド記念ホール(神戸市)で開催された。衣装約250点のチャリティーオークションが実施され、売り上げはもちろん全額が寄附された。
さらに翌1997年末には被災地復興支援プロジェクト『J-FRIENDS』がスタート。メンバーに関西出身者がいるTOKIO、V6、KinKi Kidsがユニットを組み、チャリティーコンサートなどを次々と行った。活動は2003年3月まで5年余にわたって行われ、寄附総額は8億3695万1855円に達した。
なぜ、ジャニーズ事務所が寄附とボランティアに熱心になったかというと、当然ながら総帥だった故・ジャニー喜多川さんの影響。
ジャニーさんはエンターテイメントを通じ、日本のティーンたちに夢と幸福を与えようと思っていた人。だが、自然災害に襲われた子どもたちを救うためには金品の支援も必要と考えた。
もともとボランティア精神のある人だった。日系米国人だったジャニーさんは1948年に朝鮮戦争が起こると、日本から韓国に渡り、戦災孤児となった米国人の子どもに語学を教えた。語学が出来ずに辛い思いをする子どもが出ないよう努めた。
ジャニーさんは個人としても巨額の寄附を行っていている。2019年7月の死去後、赤十字病院の運営や看護師養成事業を行う日本赤十字社に5億円が贈られた。生前の本人の意向によるものだった。
この寄附で赤十字社は「ジャニー基金」を設立。基金は「明日を担う子どもと家族のため」などに使われている。
ジャニーズ事務所の願い
ジャニーズ事務所としての寄附とボランティアは『J-FRIENDS』で終わらなかった。2011年3月に東日本大震災が発生すると、翌4月には被災者支援プロジェクト『Marching J』が立ち上げられた。今度はオール・ジャニーズが集結した。
このプロジエクトが1年後の翌2012年3月までに集めた募金は計8億2655万3991円。その全額が被災した子どもたちに寄附された。「少年の才能を見抜き、育てるプロ」だったジャニーさんは、どこまで子どもを第一に考えた。
2018年7月には会社内に社会貢献活動を行う窓口『ジャニーズ・スマイルアップ・プロジェクト』がつくられた。まだジャニーさんが元気だったころだ。その際、寄附やボランティアを継続して行うことを宣言した。
このときジャニーズ事務所の説明はこうだった。
「エンターテイメントに触れていただく時間も、困難な状況が訪れた時も、どんな時でも“一人でも多くの皆様が笑顔になれる”時間が提供できる企業でありたいと思っております」
“キレイごとだ”と切り捨ててしまうのは簡単である。けれど社会貢献のために50億円以上の寄附を行うような組織は一般企業を含めてもほとんど存在しない。ジャニーさんの純粋な思いの表れと見ていいのではないか。
ジャニーさんの姪で現社長の藤島ジュリー景子さん(55)はインターナショナルスクールから上智大外国語学部比較文化学科(現・国際教養学部)に進み、在学中はスイスに留学した。グローバル感覚のある人として知られる。
欧米では社会に貢献を考えない企業は敬意を払われない。利益追求しか考えない企業は軽蔑される。ジュリーさんもジャニーさんの遺志を受け継ぐはずだ。
事実、ジャニーさんの死去後も滝沢秀明副社長(40)らによって寄附とボランティアは続けられている。2019年秋に千葉県内で台風被害が相次ぐと、滝沢副社長はV6の三宅健(42)ら8人と一緒に南房総市と館山市を訪れ、風雨で壊れたビニールハウスを解体するボランティアや炊き出しを行った。
一方、嵐もこの台風で動いた。千葉県に6000万円を寄附。千葉市出身の相葉雅紀(39)が県庁を訪れ、目録を手渡した。
8月27日から同28日にかけて放送される日本テレビのチャリティー番組『24時間テレビ45』のメインパーソナリティーもジャニーズ事務所勢・ジャにのちゃねるの4人。二宮和也(39)、中丸雄一(38)、山田涼介(29)、菊池風磨(27)である。
今年に限らず、2000年ごろから『24時間テレビ』はやたらとジャニーズ事務所勢の出演が目立つ。もちろん偶然ではない。日テレの中興の祖である故・氏家斎一郎元会長と元ジャニーズ事務所副社長の故・メリー喜多川さんが昵懇の間柄だった上、メリーさんが番組の精神に共鳴したから。『24時間テレビ』への全面協力を約束した。
メリーさんは番組のフィナーレ時には必ず顔を出していた。「女帝」とまで言われていた人なのだから、ほかの番組やイベントではあり得ない。ジャニーさんもメリーさんも社会貢献が好きだったのだ。
コロナ禍後は全国645カ所の医療機関に防護服などを計8万3000枚、医療用マスクなど計100万枚を届けた。総額3億6000万円になったというから、半端じゃない。
まだPCR検査が行き届いてなかった2020年には検査キット1000回分を47都道府県に送った。
今後も寄附とボランティアに最も熱心な芸能プロであり続けるに違いない。なにしろスケールが違うのだ。
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