人之于世,当如水,
容万物而不争,
涤尘埃而无怨。
居高直下不犹豫,
用瀑布的壮丽点燃观者的惊叹;
蜿蜒向前不回首,
用海洋的激荡成就生平的伟大。
哪怕再小,也不卑微,
依旧折射太阳的光辉;
哪怕再弱,亦无畏惧,
点滴汇成惊人的波澜。
用坚持洞穿顽石,
用柔美庇护苍生。
上善若水,大美尽在其中。早安吉祥! 起航人每天的第一声祝福!
容万物而不争,
涤尘埃而无怨。
居高直下不犹豫,
用瀑布的壮丽点燃观者的惊叹;
蜿蜒向前不回首,
用海洋的激荡成就生平的伟大。
哪怕再小,也不卑微,
依旧折射太阳的光辉;
哪怕再弱,亦无畏惧,
点滴汇成惊人的波澜。
用坚持洞穿顽石,
用柔美庇护苍生。
上善若水,大美尽在其中。早安吉祥! 起航人每天的第一声祝福!
【わたし達はおとな】
“自分”の範疇を超えていく――木竜麻生&藤原季節に訪れた、カメラの存在を完全に忘れた瞬間
――本作には、どのような経緯で参加することになったのでしょうか? 木竜さんは、加藤監督とは初タッグとなりました。
木竜:送られてきた脚本を読ませていただき、すぐにマネージャーさんと話したんです。「(脚本が)面白い。この作品はやろう」と。脚本は、最初から最後まで面白いと、純粋に感じましたし「2人(=優実と直哉)の事を見てみたい」と思いました。
――藤原さんは、加藤監督が演出した舞台「まゆをひそめて、僕を笑って」(2017)、「貴方なら生き残れるわ」(18)、「誰にも知られず死ぬ朝」(20)、「ぽに」(21)に出演されていますよね。
藤原:加藤さんとは付き合いが長いですね。「わたし達はおとな」に関しては、舞台の本番と重なっていて、元々出演することができなかったんです。「主人公は木竜さんに決まった」と加藤さんから報告を受けて「おめでとうございます。あとは相手役だけですね」と励ます立場だったんですが……参加するはずだった舞台が、コロナの影響で中止になったんです。それで加藤さんから声をかけていただき、すぐに脚本を読みました。
――どのように感じられましたか?
藤原:直哉を演じられるのは「僕しかいないな」と思いましたね(笑)。
一同:爆笑
藤原:脚本が本当に面白かった。「『面白い』。しかし、こんなことを言ってしまってもいいのだろうか」と感じる面白さがありましたね。二つ返事で出演が決まりました。
――では、クランクイン前に準備をしていたことはありますか?
藤原:加藤さんがリハーサルの機会を用意してくれて、何度も何度も繰り返していました。本作はラストに向かって、優実と積み上げていくものが必要になります。それには、役を演じる本人同士のコミュニケーションも大切です。なので、リハーサルの最中には、木竜さんと頻繁にコミュニケーションをとっていました。そういう時間は、加藤さんが用意してくれたんです。
木竜:今回の現場には、加藤監督と普段から仕事をしている方々が何人もいらっしゃったんです。リハーサルでは、共通言語を作る時間もとっていただけましたし、皆さんの作る“空気”に巻き込んでもらいながらセッションさせていただいた、という感じでした。
藤原:このリハーサルには、カメラも入っていたんです。まずは芝居の中で、僕たちが動きを作っていく。その後“カメラを何処に置けば、必要最低限のカットで、優実の表情の変化を撮れるのか”という点を、加藤さんたちが計算しながら探っていく。その一方で、僕らは芝居の精度を高める。スタッフと俳優のリハーサルが同時に行われているような感じだったんです。
――このリハーサルは、かなり重要な機会だったんですね。ちなみに、おふたりは初共演ですよね?
木竜:はい。でも、共通の友達がいるので、お互いの事を知ってはいたんです。
――“顔見知り”ではあったわけですね。では、今回の共演を通じて感じた「俳優・藤原季節」について教えていただけますか?
木竜:お芝居をすることに対して、何よりもまっすぐで強い。そんな印象を受けました。こんなにも芝居に対して夢中になれるのか……そんな風に感じてしまう方です。それは今回、実際に共演してみて強く思ったこと。「私も頑張らないと」「負けたくないな」という思いと、「でも、敵わないんだろうな」という考えが同時によぎってしまう俳優さんだと思っています。
――藤原さんは、いかがでしょうか?
藤原:木竜さんの出演作はほとんど見ています。ガラスのハートのように繊細なものを持ちながらも、それを突き抜ける“俳優としての強度”があるんです。同世代だと他に例がない。そうでなければ「菊とギロチン」のヒロインなんてできませんよ。
木竜:この事、いつも言ってくれるんですよ(笑)。
藤原:いやいや、誰にでもできる事じゃないから。“強度のある俳優”だということは、周知の事実だと思っています。
――では、加藤監督とのやりとりに話を転じましょう。木竜さんは、どのような対話を経て、優実の人物像を作り上げていきましたか?
木竜:リハーサルの最初から最後まで言われていたのは「今回は、どれだけ隠せるかが大切」ということです。心の中で思っている事、感情の動き、言いたい事、言えない事、言いたくはない事……これらをどれだけ隠せるのか。現場では、それらについて「出過ぎかな」「もう少しだけ出そう」と微調整を行ってもらったり、丁寧に強弱をつけていただいていました。もうひとつ言われていたのは「今回は暮らしを撮る。生活のある映画になる」ということ。この指針は、自分の中に持ち続けていたと思います。
――藤原さんは、前述の通り、加藤監督とは何度もご一緒されていますよね。加藤監督の魅力は、どのような点に表れていると思いますか?
藤原:“変化し続ける男”といえばいいんでしょうか……作品のカラーが、毎回異なる。そこがすごいですよね。でも、共通していることもあります。「善、悪」「好き、嫌い」「付き合う、付き合わない」「結婚する、結婚しない」という形では白黒がつけられない、“名前がつく前の曖昧な部分”を表現し続けているんだなと思っています。
――「映画の現場」だからこそ感じられた面白みはありましたか?
藤原:ワンカット・長回しを多用しているので、そういう意味では演劇に近いんです。演劇は“再現”をしないといけないので「感情をどこで出すか」という点は、稽古の時点で決まっていきます。「わたし達はおとな」のラストシーンは、ワンカット1発勝負をかけたところなんです。舞台上での“ライブ感”をそのまま生かした、たった1回のチャンス。俳優から何が出てくるのかは、誰もわからない。ここで感じた緊張感というのは、演劇の時よりも上だったかもしれません。どんなに良い芝居が撮れたとしても、例えば救急車の音が入ってしまったら、NGになってしまいますから。木竜さんの演技を見ているうちに「このワンカットで決まる。これは最後までいかないと、撮り直しがきかない」と感じたんです。だからこそ、ラストシーンは“目撃”してほしいんです。
――木竜さんの芝居を見て「ワンカットで決まる」と感じられた。それは、どのようなタイミングだったのでしょうか?
藤原:「わたし達はおとな」は、優実の物語なんです。優実が目的地まで運ばれるために、直哉と加藤さんという存在がいる。僕たちはラストシーンに勝負をかけていましたが、最後に戦うのは木竜さんひとり。最終的には、サポートできる部分が無くなっていくんです。カメラが回ってしまえば、任せるしかない。その時、木竜さんがしっかりと自分の足で立ち、優実になりきっている姿を見ました。それは木竜さんの範疇を超えているというか……。僕が演じている直哉も、僕の範疇から抜け出していく。次第に、優実と直哉の物語になる。木竜さんと僕はどこかに行ってしまった――そういう瞬間が、本番中にあったんです。
木竜:仰っていることが、とてもよくわかります。時間の感覚がない感じというか……。時間が止まっているわけでもなく、進んでいるわけでもないんです。
藤原:カメラの存在を、完全に忘れていますから。
木竜:そう、忘れていました! 映像を見返してみると、信じられない間(ま)ができていたり。でも、そんな間(ま)を作ろうという意識はなかったんです。初号試写を見た時に感じたのですが、自分の知らない声や顔がたくさんありました。(全編に)そういう自分がちらばっていて、少し変な感じだったんです。物語の後半になればなるほど、優実は直哉に思いの丈をぶつけていきます。藤原さんには、それを全部受け止めてもらいましたし、加藤組の皆さんの“芝居中の見守り方”も素晴らしかったんです。委ねることができた自分が、そこにいた――そう思えたのは、とても幸せな事でした。
藤原:芝居をする上では、全てが整っていた現場だったと思います。穏やかで、完璧でした。
――では、最後の質問とさせていただきます。「わたし達はおとな」というタイトルは“ヤングアダルトの時期”の象徴として付けられています。このタイトルは、改めて「おとな(=大人)」について考えるきっかけになりました。「おとなは『私はおとなだ』とは言わないのかもしれない」「『自分はおとなだ』と発言しなくなった頃から、本当の意味でおとなになるのではないか……?」等々。お二人にとって“おとなになる”とは、どういうことだと思いますか?
藤原:「おとな」と「こども」。自分の中には、その両方が存在しているんです。「おとな」の部分は、自分自身のことで悩まなくなったこと。僕はそんな「おとな」を嫌っていたんです。でも、そうやって嫌っていた存在に、きちんとなりつつある。それと同時に、自分はまだまだ「こども」なんだろうなと思うこともある。具体例を出すとなると、すぐには思いつきませんが……。役者という職業は、結局、現実逃避の延長線上にあると思っているんです。これしかできないという時点で、永遠に「こども」のままなのかもしれない。この感覚を失ってしまうと、ただのふざけた「おとな」になってしまうんです。映画に対する憧れ、純粋な気持ちを失うと、毎回毎回同じような芝居を繰り返し、それで満足するようになってしまう。それは全く“楽しくない”こと。表現というものには、きちんと向き合っていきたいんです。
木竜:わかりやすい点でいうと、頼る人の数が減ったのかなと思います。以前までは、幅広い関係性の中で甘えたり、頼ったりしていたと思うんです。でも、自分でしっかりと考えて、頼ってもいいと思える人を選択するようになりました。この変化が「おとな」になったのかなと思うんです。でも、誰かに頼ったり、甘えたりする自分を許容している部分は、まだまだ「こども」だなと思います。藤原さんが仰った「自分のことで悩まない」という点、私は「おとな」だなと感じました。私は、どうしても自分にベクトルが向きやすいタイプなので……。自分自身の「こども」の部分、そこもそうなのかなと思いました。
“自分”の範疇を超えていく――木竜麻生&藤原季節に訪れた、カメラの存在を完全に忘れた瞬間
――本作には、どのような経緯で参加することになったのでしょうか? 木竜さんは、加藤監督とは初タッグとなりました。
木竜:送られてきた脚本を読ませていただき、すぐにマネージャーさんと話したんです。「(脚本が)面白い。この作品はやろう」と。脚本は、最初から最後まで面白いと、純粋に感じましたし「2人(=優実と直哉)の事を見てみたい」と思いました。
――藤原さんは、加藤監督が演出した舞台「まゆをひそめて、僕を笑って」(2017)、「貴方なら生き残れるわ」(18)、「誰にも知られず死ぬ朝」(20)、「ぽに」(21)に出演されていますよね。
藤原:加藤さんとは付き合いが長いですね。「わたし達はおとな」に関しては、舞台の本番と重なっていて、元々出演することができなかったんです。「主人公は木竜さんに決まった」と加藤さんから報告を受けて「おめでとうございます。あとは相手役だけですね」と励ます立場だったんですが……参加するはずだった舞台が、コロナの影響で中止になったんです。それで加藤さんから声をかけていただき、すぐに脚本を読みました。
――どのように感じられましたか?
藤原:直哉を演じられるのは「僕しかいないな」と思いましたね(笑)。
一同:爆笑
藤原:脚本が本当に面白かった。「『面白い』。しかし、こんなことを言ってしまってもいいのだろうか」と感じる面白さがありましたね。二つ返事で出演が決まりました。
――では、クランクイン前に準備をしていたことはありますか?
藤原:加藤さんがリハーサルの機会を用意してくれて、何度も何度も繰り返していました。本作はラストに向かって、優実と積み上げていくものが必要になります。それには、役を演じる本人同士のコミュニケーションも大切です。なので、リハーサルの最中には、木竜さんと頻繁にコミュニケーションをとっていました。そういう時間は、加藤さんが用意してくれたんです。
木竜:今回の現場には、加藤監督と普段から仕事をしている方々が何人もいらっしゃったんです。リハーサルでは、共通言語を作る時間もとっていただけましたし、皆さんの作る“空気”に巻き込んでもらいながらセッションさせていただいた、という感じでした。
藤原:このリハーサルには、カメラも入っていたんです。まずは芝居の中で、僕たちが動きを作っていく。その後“カメラを何処に置けば、必要最低限のカットで、優実の表情の変化を撮れるのか”という点を、加藤さんたちが計算しながら探っていく。その一方で、僕らは芝居の精度を高める。スタッフと俳優のリハーサルが同時に行われているような感じだったんです。
――このリハーサルは、かなり重要な機会だったんですね。ちなみに、おふたりは初共演ですよね?
木竜:はい。でも、共通の友達がいるので、お互いの事を知ってはいたんです。
――“顔見知り”ではあったわけですね。では、今回の共演を通じて感じた「俳優・藤原季節」について教えていただけますか?
木竜:お芝居をすることに対して、何よりもまっすぐで強い。そんな印象を受けました。こんなにも芝居に対して夢中になれるのか……そんな風に感じてしまう方です。それは今回、実際に共演してみて強く思ったこと。「私も頑張らないと」「負けたくないな」という思いと、「でも、敵わないんだろうな」という考えが同時によぎってしまう俳優さんだと思っています。
――藤原さんは、いかがでしょうか?
藤原:木竜さんの出演作はほとんど見ています。ガラスのハートのように繊細なものを持ちながらも、それを突き抜ける“俳優としての強度”があるんです。同世代だと他に例がない。そうでなければ「菊とギロチン」のヒロインなんてできませんよ。
木竜:この事、いつも言ってくれるんですよ(笑)。
藤原:いやいや、誰にでもできる事じゃないから。“強度のある俳優”だということは、周知の事実だと思っています。
――では、加藤監督とのやりとりに話を転じましょう。木竜さんは、どのような対話を経て、優実の人物像を作り上げていきましたか?
木竜:リハーサルの最初から最後まで言われていたのは「今回は、どれだけ隠せるかが大切」ということです。心の中で思っている事、感情の動き、言いたい事、言えない事、言いたくはない事……これらをどれだけ隠せるのか。現場では、それらについて「出過ぎかな」「もう少しだけ出そう」と微調整を行ってもらったり、丁寧に強弱をつけていただいていました。もうひとつ言われていたのは「今回は暮らしを撮る。生活のある映画になる」ということ。この指針は、自分の中に持ち続けていたと思います。
――藤原さんは、前述の通り、加藤監督とは何度もご一緒されていますよね。加藤監督の魅力は、どのような点に表れていると思いますか?
藤原:“変化し続ける男”といえばいいんでしょうか……作品のカラーが、毎回異なる。そこがすごいですよね。でも、共通していることもあります。「善、悪」「好き、嫌い」「付き合う、付き合わない」「結婚する、結婚しない」という形では白黒がつけられない、“名前がつく前の曖昧な部分”を表現し続けているんだなと思っています。
――「映画の現場」だからこそ感じられた面白みはありましたか?
藤原:ワンカット・長回しを多用しているので、そういう意味では演劇に近いんです。演劇は“再現”をしないといけないので「感情をどこで出すか」という点は、稽古の時点で決まっていきます。「わたし達はおとな」のラストシーンは、ワンカット1発勝負をかけたところなんです。舞台上での“ライブ感”をそのまま生かした、たった1回のチャンス。俳優から何が出てくるのかは、誰もわからない。ここで感じた緊張感というのは、演劇の時よりも上だったかもしれません。どんなに良い芝居が撮れたとしても、例えば救急車の音が入ってしまったら、NGになってしまいますから。木竜さんの演技を見ているうちに「このワンカットで決まる。これは最後までいかないと、撮り直しがきかない」と感じたんです。だからこそ、ラストシーンは“目撃”してほしいんです。
――木竜さんの芝居を見て「ワンカットで決まる」と感じられた。それは、どのようなタイミングだったのでしょうか?
藤原:「わたし達はおとな」は、優実の物語なんです。優実が目的地まで運ばれるために、直哉と加藤さんという存在がいる。僕たちはラストシーンに勝負をかけていましたが、最後に戦うのは木竜さんひとり。最終的には、サポートできる部分が無くなっていくんです。カメラが回ってしまえば、任せるしかない。その時、木竜さんがしっかりと自分の足で立ち、優実になりきっている姿を見ました。それは木竜さんの範疇を超えているというか……。僕が演じている直哉も、僕の範疇から抜け出していく。次第に、優実と直哉の物語になる。木竜さんと僕はどこかに行ってしまった――そういう瞬間が、本番中にあったんです。
木竜:仰っていることが、とてもよくわかります。時間の感覚がない感じというか……。時間が止まっているわけでもなく、進んでいるわけでもないんです。
藤原:カメラの存在を、完全に忘れていますから。
木竜:そう、忘れていました! 映像を見返してみると、信じられない間(ま)ができていたり。でも、そんな間(ま)を作ろうという意識はなかったんです。初号試写を見た時に感じたのですが、自分の知らない声や顔がたくさんありました。(全編に)そういう自分がちらばっていて、少し変な感じだったんです。物語の後半になればなるほど、優実は直哉に思いの丈をぶつけていきます。藤原さんには、それを全部受け止めてもらいましたし、加藤組の皆さんの“芝居中の見守り方”も素晴らしかったんです。委ねることができた自分が、そこにいた――そう思えたのは、とても幸せな事でした。
藤原:芝居をする上では、全てが整っていた現場だったと思います。穏やかで、完璧でした。
――では、最後の質問とさせていただきます。「わたし達はおとな」というタイトルは“ヤングアダルトの時期”の象徴として付けられています。このタイトルは、改めて「おとな(=大人)」について考えるきっかけになりました。「おとなは『私はおとなだ』とは言わないのかもしれない」「『自分はおとなだ』と発言しなくなった頃から、本当の意味でおとなになるのではないか……?」等々。お二人にとって“おとなになる”とは、どういうことだと思いますか?
藤原:「おとな」と「こども」。自分の中には、その両方が存在しているんです。「おとな」の部分は、自分自身のことで悩まなくなったこと。僕はそんな「おとな」を嫌っていたんです。でも、そうやって嫌っていた存在に、きちんとなりつつある。それと同時に、自分はまだまだ「こども」なんだろうなと思うこともある。具体例を出すとなると、すぐには思いつきませんが……。役者という職業は、結局、現実逃避の延長線上にあると思っているんです。これしかできないという時点で、永遠に「こども」のままなのかもしれない。この感覚を失ってしまうと、ただのふざけた「おとな」になってしまうんです。映画に対する憧れ、純粋な気持ちを失うと、毎回毎回同じような芝居を繰り返し、それで満足するようになってしまう。それは全く“楽しくない”こと。表現というものには、きちんと向き合っていきたいんです。
木竜:わかりやすい点でいうと、頼る人の数が減ったのかなと思います。以前までは、幅広い関係性の中で甘えたり、頼ったりしていたと思うんです。でも、自分でしっかりと考えて、頼ってもいいと思える人を選択するようになりました。この変化が「おとな」になったのかなと思うんです。でも、誰かに頼ったり、甘えたりする自分を許容している部分は、まだまだ「こども」だなと思います。藤原さんが仰った「自分のことで悩まない」という点、私は「おとな」だなと感じました。私は、どうしても自分にベクトルが向きやすいタイプなので……。自分自身の「こども」の部分、そこもそうなのかなと思いました。
佛以一音演说法,众生随类各得解。
八万四千法门,法法皆可解脱,法无高下,是法平等,无二无别,应缘对机而生,人若无心,无为,闲然自在,何处不是净土。
无人,无我,无涅槃,无生,无灭。本自解脱,何更解脱,本来如是,别求如是,本来如此,本来是佛,本来实相,妄起虚幻,识此本来,天下皆安。
华严最初三七日
阿含十二方等八
二十二年般若谈
法华涅槃共八年
以前讲的所有的法都是《妙法莲华经》的序品,到《妙法莲华经》法华会上开权显实、这是正宗分了,然后最后《涅槃经》结束。所以佛一生的讲法,天台宗讲“五时判教”,首先是华严,“华严最初三七日”,这是对大菩萨称性直谈,而阿罗汉、声闻弟子听了,如聋如哑,不知其妙。那么佛一看,高则高矣,然不广啊,要三根普被,华严太高,但不能广。
就像《法华经》里的穷子品,《法华经》有七喻,穷子品里,有一个老爸,儿子失散几十年,最后落魄到讨饭回乡。他父亲富可敌国啊,就是没有继承人,继承人几十年前小时候走丢了,后来流浪生死沦落为叫花子,根本不知道自己出身高贵,根本不知道自己是一个万富家财的唯一继承人。然后就又流浪、流浪,居然流浪到他老爸跟前,被他老爸一眼认出,马上叫上两个家丁,“这就是我儿子,快把他追回来”。
一追把这个叫花子吓得魂飞魄散,我又没犯错误,就在你们家路过我都有罪啦?就开始大叫,以为被抓住了要受惩罚。那么老爸一看这个架势,他这个儿子个性也好、人格也好,方方面面已经太卑劣了,他生活在社会最底层,已经无法承受任何东西,如果一眼就跟他说,你就是我的继承人,当时就把他吓死了。
最后就说,不要这样了,你们去找两个长得比较磕碜的、歪瓜劣枣的,扮演成跟他一个层次的苦命人,说某个长者家要雇一个短工。如果问干什么,就是扫扫厕所,最低端的,只要把他哄来,我再慢慢调教他。
所以这两个人就穿着很脏兮兮的衣服,跟他和光同尘,反正咱们是一个频道、一伙的,那么他就能够打成一片。你如果稍微示现高贵身,他马上就害怕了,以为要拿他怎么的。
所以释迦牟尼佛在华严会上,是现卢舍那身,这是无量种好,无量相好,放光动地,相当了不起。一般众生不堪受其大化,所以要脱珍御弊,把漂亮的珍贵的衣服脱下来,穿上有垢弊的衣服,自降身份。释迦牟尼佛示现一个老比丘相,在鹿野苑为五比丘、为声闻弟子所示十二因缘法,说四部阿含法(《长阿含》《中阿含》《杂阿含》《增一阿含》),这样前前后后说了十二年。
真正的佛法全称叫一佛乘。
“阿含十二方等八”,到了方等时回小向大,已经从小乘往大乘走,这是八年方等。方等其实还不是大乘的深妙之法,所以再往上提就叫“二十二年般若谈”。这个般若经,六百卷《大般若经》,还有《仁王般若经》《大品般若经》《小品般若经》《放光般若经》,有很多般若系的经典。般若系是佛一生讲得最长的,关键就是讲空性,般若性空,缘起性空。空是什么,是菩萨的智慧,所以《心经》中讲“观自在菩萨,行深般若波罗蜜多时,照见五蕴皆空,度一切苦厄”。
讲空,二十二年讲完了,已经把佛法讲到般若时,已经非常非常高妙了,但这些讲的都只是菩萨法,还不是佛法。真正的佛法全称叫“一佛乘法”,是讲诸法实相义,是“醍醐妙法”。
所以从牛出乳,是原汁原味的牛奶,这是华严时;从乳出酪,这是阿含时;从酪出生酥,这是方等时;从生酥出熟酥,这是般若时;从熟酥提炼最高的牛奶的精华,就叫醍醐。醍醐是奶制品当中最高最高的境界了,无以复加了,那么醍醐味就是叫法华涅槃时。
《法华经》佛陀为何宣讲八年?
《法华经》佛讲了八年,《涅槃经》佛讲了一天一夜,那么我们现代人就会觉得很不可思议了,《法华经》才七卷二十八品,也就六万九千多字,《涅槃经》有四十多卷,怎么一天一夜讲四十多卷,八年讲七卷?
佛说经典有广本、略本。《华严经》八十一卷够厉害了吧,这都是略到哪个程度都不知道,《法华经》的广本集起来也是我们一辈子看不完、读不完的,但众生不堪受其大化,所有的经典“龙宫海藏散天香”,都进入龙宫了,最后由菩萨发心把它一点一点诵出来。像《华严经》是龙树菩萨到大龙菩萨的龙宫诵出来的,有四十华严、六十华严,最后一直到八十一卷华严。这个都还算是小品略本。
所以说不要认为《法华经》很短,不可能八年,《涅槃经》很长,怎么可能是一个晚上能够讲完的?入不可思议境界。就像维摩居士方丈室,什么叫方丈啊?一丈见方,深一丈、宽一丈,一丈见方谓之方丈。他示现疾病的时候,释迦牟尼佛派弟子去问疾,派舍利弗去,舍利弗不敢去,派目犍连去,目犍连不敢去。为什么?这老人家说法自在、辩才无碍,以前碰到都被他出洋相的,说不过他,那如果代表佛去探望,万一他到时候来几句回马枪怎么办?所以没有一个人敢去。
最后文殊菩萨毛遂自荐,一听说文殊菩萨出马,个个报名都要去。为什么?这叫高峰论剑,这是最高境界的智者对谈啊,一个是出家人当中的智慧第一,一个是在家人当中的智慧第一。维摩居士是金粟如来化身,这不得了的。两个大智慧的人在一起碰撞,这是般若的光环,一定要去,最后带着无量人都去了。
一丈见方的石屋怎么容得下这么多人呢?最后居然都进去了。只有在一种情况下可以进去,要么房子放大,要么所有人都缩小,但是房子也没有大,人也没有小,八万四千狮子座也没有小。光光互融啊,就像一个房间点一盏灯不会空,点一千盏灯也不会满。这是什么境界?就叫不可思议解脱境界。
佛最高最圆的说法就叫“法华涅槃时”,尤其《法华经》是诸佛降生必说之法。是第一义谛大法,是最上乘之法,是究竟解脱之法,是成佛最妙之法。
八万四千法门,法法皆可解脱,法无高下,是法平等,无二无别,应缘对机而生,人若无心,无为,闲然自在,何处不是净土。
无人,无我,无涅槃,无生,无灭。本自解脱,何更解脱,本来如是,别求如是,本来如此,本来是佛,本来实相,妄起虚幻,识此本来,天下皆安。
华严最初三七日
阿含十二方等八
二十二年般若谈
法华涅槃共八年
以前讲的所有的法都是《妙法莲华经》的序品,到《妙法莲华经》法华会上开权显实、这是正宗分了,然后最后《涅槃经》结束。所以佛一生的讲法,天台宗讲“五时判教”,首先是华严,“华严最初三七日”,这是对大菩萨称性直谈,而阿罗汉、声闻弟子听了,如聋如哑,不知其妙。那么佛一看,高则高矣,然不广啊,要三根普被,华严太高,但不能广。
就像《法华经》里的穷子品,《法华经》有七喻,穷子品里,有一个老爸,儿子失散几十年,最后落魄到讨饭回乡。他父亲富可敌国啊,就是没有继承人,继承人几十年前小时候走丢了,后来流浪生死沦落为叫花子,根本不知道自己出身高贵,根本不知道自己是一个万富家财的唯一继承人。然后就又流浪、流浪,居然流浪到他老爸跟前,被他老爸一眼认出,马上叫上两个家丁,“这就是我儿子,快把他追回来”。
一追把这个叫花子吓得魂飞魄散,我又没犯错误,就在你们家路过我都有罪啦?就开始大叫,以为被抓住了要受惩罚。那么老爸一看这个架势,他这个儿子个性也好、人格也好,方方面面已经太卑劣了,他生活在社会最底层,已经无法承受任何东西,如果一眼就跟他说,你就是我的继承人,当时就把他吓死了。
最后就说,不要这样了,你们去找两个长得比较磕碜的、歪瓜劣枣的,扮演成跟他一个层次的苦命人,说某个长者家要雇一个短工。如果问干什么,就是扫扫厕所,最低端的,只要把他哄来,我再慢慢调教他。
所以这两个人就穿着很脏兮兮的衣服,跟他和光同尘,反正咱们是一个频道、一伙的,那么他就能够打成一片。你如果稍微示现高贵身,他马上就害怕了,以为要拿他怎么的。
所以释迦牟尼佛在华严会上,是现卢舍那身,这是无量种好,无量相好,放光动地,相当了不起。一般众生不堪受其大化,所以要脱珍御弊,把漂亮的珍贵的衣服脱下来,穿上有垢弊的衣服,自降身份。释迦牟尼佛示现一个老比丘相,在鹿野苑为五比丘、为声闻弟子所示十二因缘法,说四部阿含法(《长阿含》《中阿含》《杂阿含》《增一阿含》),这样前前后后说了十二年。
真正的佛法全称叫一佛乘。
“阿含十二方等八”,到了方等时回小向大,已经从小乘往大乘走,这是八年方等。方等其实还不是大乘的深妙之法,所以再往上提就叫“二十二年般若谈”。这个般若经,六百卷《大般若经》,还有《仁王般若经》《大品般若经》《小品般若经》《放光般若经》,有很多般若系的经典。般若系是佛一生讲得最长的,关键就是讲空性,般若性空,缘起性空。空是什么,是菩萨的智慧,所以《心经》中讲“观自在菩萨,行深般若波罗蜜多时,照见五蕴皆空,度一切苦厄”。
讲空,二十二年讲完了,已经把佛法讲到般若时,已经非常非常高妙了,但这些讲的都只是菩萨法,还不是佛法。真正的佛法全称叫“一佛乘法”,是讲诸法实相义,是“醍醐妙法”。
所以从牛出乳,是原汁原味的牛奶,这是华严时;从乳出酪,这是阿含时;从酪出生酥,这是方等时;从生酥出熟酥,这是般若时;从熟酥提炼最高的牛奶的精华,就叫醍醐。醍醐是奶制品当中最高最高的境界了,无以复加了,那么醍醐味就是叫法华涅槃时。
《法华经》佛陀为何宣讲八年?
《法华经》佛讲了八年,《涅槃经》佛讲了一天一夜,那么我们现代人就会觉得很不可思议了,《法华经》才七卷二十八品,也就六万九千多字,《涅槃经》有四十多卷,怎么一天一夜讲四十多卷,八年讲七卷?
佛说经典有广本、略本。《华严经》八十一卷够厉害了吧,这都是略到哪个程度都不知道,《法华经》的广本集起来也是我们一辈子看不完、读不完的,但众生不堪受其大化,所有的经典“龙宫海藏散天香”,都进入龙宫了,最后由菩萨发心把它一点一点诵出来。像《华严经》是龙树菩萨到大龙菩萨的龙宫诵出来的,有四十华严、六十华严,最后一直到八十一卷华严。这个都还算是小品略本。
所以说不要认为《法华经》很短,不可能八年,《涅槃经》很长,怎么可能是一个晚上能够讲完的?入不可思议境界。就像维摩居士方丈室,什么叫方丈啊?一丈见方,深一丈、宽一丈,一丈见方谓之方丈。他示现疾病的时候,释迦牟尼佛派弟子去问疾,派舍利弗去,舍利弗不敢去,派目犍连去,目犍连不敢去。为什么?这老人家说法自在、辩才无碍,以前碰到都被他出洋相的,说不过他,那如果代表佛去探望,万一他到时候来几句回马枪怎么办?所以没有一个人敢去。
最后文殊菩萨毛遂自荐,一听说文殊菩萨出马,个个报名都要去。为什么?这叫高峰论剑,这是最高境界的智者对谈啊,一个是出家人当中的智慧第一,一个是在家人当中的智慧第一。维摩居士是金粟如来化身,这不得了的。两个大智慧的人在一起碰撞,这是般若的光环,一定要去,最后带着无量人都去了。
一丈见方的石屋怎么容得下这么多人呢?最后居然都进去了。只有在一种情况下可以进去,要么房子放大,要么所有人都缩小,但是房子也没有大,人也没有小,八万四千狮子座也没有小。光光互融啊,就像一个房间点一盏灯不会空,点一千盏灯也不会满。这是什么境界?就叫不可思议解脱境界。
佛最高最圆的说法就叫“法华涅槃时”,尤其《法华经》是诸佛降生必说之法。是第一义谛大法,是最上乘之法,是究竟解脱之法,是成佛最妙之法。
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