【わたし達はおとな】
“自分”の範疇を超えていく――木竜麻生&藤原季節に訪れた、カメラの存在を完全に忘れた瞬間
――本作には、どのような経緯で参加することになったのでしょうか? 木竜さんは、加藤監督とは初タッグとなりました。
木竜:送られてきた脚本を読ませていただき、すぐにマネージャーさんと話したんです。「(脚本が)面白い。この作品はやろう」と。脚本は、最初から最後まで面白いと、純粋に感じましたし「2人(=優実と直哉)の事を見てみたい」と思いました。
――藤原さんは、加藤監督が演出した舞台「まゆをひそめて、僕を笑って」(2017)、「貴方なら生き残れるわ」(18)、「誰にも知られず死ぬ朝」(20)、「ぽに」(21)に出演されていますよね。
藤原:加藤さんとは付き合いが長いですね。「わたし達はおとな」に関しては、舞台の本番と重なっていて、元々出演することができなかったんです。「主人公は木竜さんに決まった」と加藤さんから報告を受けて「おめでとうございます。あとは相手役だけですね」と励ます立場だったんですが……参加するはずだった舞台が、コロナの影響で中止になったんです。それで加藤さんから声をかけていただき、すぐに脚本を読みました。
――どのように感じられましたか?
藤原:直哉を演じられるのは「僕しかいないな」と思いましたね(笑)。
一同:爆笑
藤原:脚本が本当に面白かった。「『面白い』。しかし、こんなことを言ってしまってもいいのだろうか」と感じる面白さがありましたね。二つ返事で出演が決まりました。
――では、クランクイン前に準備をしていたことはありますか?
藤原:加藤さんがリハーサルの機会を用意してくれて、何度も何度も繰り返していました。本作はラストに向かって、優実と積み上げていくものが必要になります。それには、役を演じる本人同士のコミュニケーションも大切です。なので、リハーサルの最中には、木竜さんと頻繁にコミュニケーションをとっていました。そういう時間は、加藤さんが用意してくれたんです。
木竜:今回の現場には、加藤監督と普段から仕事をしている方々が何人もいらっしゃったんです。リハーサルでは、共通言語を作る時間もとっていただけましたし、皆さんの作る“空気”に巻き込んでもらいながらセッションさせていただいた、という感じでした。
藤原:このリハーサルには、カメラも入っていたんです。まずは芝居の中で、僕たちが動きを作っていく。その後“カメラを何処に置けば、必要最低限のカットで、優実の表情の変化を撮れるのか”という点を、加藤さんたちが計算しながら探っていく。その一方で、僕らは芝居の精度を高める。スタッフと俳優のリハーサルが同時に行われているような感じだったんです。
――このリハーサルは、かなり重要な機会だったんですね。ちなみに、おふたりは初共演ですよね?
木竜:はい。でも、共通の友達がいるので、お互いの事を知ってはいたんです。
――“顔見知り”ではあったわけですね。では、今回の共演を通じて感じた「俳優・藤原季節」について教えていただけますか?
木竜:お芝居をすることに対して、何よりもまっすぐで強い。そんな印象を受けました。こんなにも芝居に対して夢中になれるのか……そんな風に感じてしまう方です。それは今回、実際に共演してみて強く思ったこと。「私も頑張らないと」「負けたくないな」という思いと、「でも、敵わないんだろうな」という考えが同時によぎってしまう俳優さんだと思っています。
――藤原さんは、いかがでしょうか?
藤原:木竜さんの出演作はほとんど見ています。ガラスのハートのように繊細なものを持ちながらも、それを突き抜ける“俳優としての強度”があるんです。同世代だと他に例がない。そうでなければ「菊とギロチン」のヒロインなんてできませんよ。
木竜:この事、いつも言ってくれるんですよ(笑)。
藤原:いやいや、誰にでもできる事じゃないから。“強度のある俳優”だということは、周知の事実だと思っています。
――では、加藤監督とのやりとりに話を転じましょう。木竜さんは、どのような対話を経て、優実の人物像を作り上げていきましたか?
木竜:リハーサルの最初から最後まで言われていたのは「今回は、どれだけ隠せるかが大切」ということです。心の中で思っている事、感情の動き、言いたい事、言えない事、言いたくはない事……これらをどれだけ隠せるのか。現場では、それらについて「出過ぎかな」「もう少しだけ出そう」と微調整を行ってもらったり、丁寧に強弱をつけていただいていました。もうひとつ言われていたのは「今回は暮らしを撮る。生活のある映画になる」ということ。この指針は、自分の中に持ち続けていたと思います。
――藤原さんは、前述の通り、加藤監督とは何度もご一緒されていますよね。加藤監督の魅力は、どのような点に表れていると思いますか?
藤原:“変化し続ける男”といえばいいんでしょうか……作品のカラーが、毎回異なる。そこがすごいですよね。でも、共通していることもあります。「善、悪」「好き、嫌い」「付き合う、付き合わない」「結婚する、結婚しない」という形では白黒がつけられない、“名前がつく前の曖昧な部分”を表現し続けているんだなと思っています。
――「映画の現場」だからこそ感じられた面白みはありましたか?
藤原:ワンカット・長回しを多用しているので、そういう意味では演劇に近いんです。演劇は“再現”をしないといけないので「感情をどこで出すか」という点は、稽古の時点で決まっていきます。「わたし達はおとな」のラストシーンは、ワンカット1発勝負をかけたところなんです。舞台上での“ライブ感”をそのまま生かした、たった1回のチャンス。俳優から何が出てくるのかは、誰もわからない。ここで感じた緊張感というのは、演劇の時よりも上だったかもしれません。どんなに良い芝居が撮れたとしても、例えば救急車の音が入ってしまったら、NGになってしまいますから。木竜さんの演技を見ているうちに「このワンカットで決まる。これは最後までいかないと、撮り直しがきかない」と感じたんです。だからこそ、ラストシーンは“目撃”してほしいんです。
――木竜さんの芝居を見て「ワンカットで決まる」と感じられた。それは、どのようなタイミングだったのでしょうか?
藤原:「わたし達はおとな」は、優実の物語なんです。優実が目的地まで運ばれるために、直哉と加藤さんという存在がいる。僕たちはラストシーンに勝負をかけていましたが、最後に戦うのは木竜さんひとり。最終的には、サポートできる部分が無くなっていくんです。カメラが回ってしまえば、任せるしかない。その時、木竜さんがしっかりと自分の足で立ち、優実になりきっている姿を見ました。それは木竜さんの範疇を超えているというか……。僕が演じている直哉も、僕の範疇から抜け出していく。次第に、優実と直哉の物語になる。木竜さんと僕はどこかに行ってしまった――そういう瞬間が、本番中にあったんです。
木竜:仰っていることが、とてもよくわかります。時間の感覚がない感じというか……。時間が止まっているわけでもなく、進んでいるわけでもないんです。
藤原:カメラの存在を、完全に忘れていますから。
木竜:そう、忘れていました! 映像を見返してみると、信じられない間(ま)ができていたり。でも、そんな間(ま)を作ろうという意識はなかったんです。初号試写を見た時に感じたのですが、自分の知らない声や顔がたくさんありました。(全編に)そういう自分がちらばっていて、少し変な感じだったんです。物語の後半になればなるほど、優実は直哉に思いの丈をぶつけていきます。藤原さんには、それを全部受け止めてもらいましたし、加藤組の皆さんの“芝居中の見守り方”も素晴らしかったんです。委ねることができた自分が、そこにいた――そう思えたのは、とても幸せな事でした。
藤原:芝居をする上では、全てが整っていた現場だったと思います。穏やかで、完璧でした。
――では、最後の質問とさせていただきます。「わたし達はおとな」というタイトルは“ヤングアダルトの時期”の象徴として付けられています。このタイトルは、改めて「おとな(=大人)」について考えるきっかけになりました。「おとなは『私はおとなだ』とは言わないのかもしれない」「『自分はおとなだ』と発言しなくなった頃から、本当の意味でおとなになるのではないか……?」等々。お二人にとって“おとなになる”とは、どういうことだと思いますか?
藤原:「おとな」と「こども」。自分の中には、その両方が存在しているんです。「おとな」の部分は、自分自身のことで悩まなくなったこと。僕はそんな「おとな」を嫌っていたんです。でも、そうやって嫌っていた存在に、きちんとなりつつある。それと同時に、自分はまだまだ「こども」なんだろうなと思うこともある。具体例を出すとなると、すぐには思いつきませんが……。役者という職業は、結局、現実逃避の延長線上にあると思っているんです。これしかできないという時点で、永遠に「こども」のままなのかもしれない。この感覚を失ってしまうと、ただのふざけた「おとな」になってしまうんです。映画に対する憧れ、純粋な気持ちを失うと、毎回毎回同じような芝居を繰り返し、それで満足するようになってしまう。それは全く“楽しくない”こと。表現というものには、きちんと向き合っていきたいんです。
木竜:わかりやすい点でいうと、頼る人の数が減ったのかなと思います。以前までは、幅広い関係性の中で甘えたり、頼ったりしていたと思うんです。でも、自分でしっかりと考えて、頼ってもいいと思える人を選択するようになりました。この変化が「おとな」になったのかなと思うんです。でも、誰かに頼ったり、甘えたりする自分を許容している部分は、まだまだ「こども」だなと思います。藤原さんが仰った「自分のことで悩まない」という点、私は「おとな」だなと感じました。私は、どうしても自分にベクトルが向きやすいタイプなので……。自分自身の「こども」の部分、そこもそうなのかなと思いました。
“自分”の範疇を超えていく――木竜麻生&藤原季節に訪れた、カメラの存在を完全に忘れた瞬間
――本作には、どのような経緯で参加することになったのでしょうか? 木竜さんは、加藤監督とは初タッグとなりました。
木竜:送られてきた脚本を読ませていただき、すぐにマネージャーさんと話したんです。「(脚本が)面白い。この作品はやろう」と。脚本は、最初から最後まで面白いと、純粋に感じましたし「2人(=優実と直哉)の事を見てみたい」と思いました。
――藤原さんは、加藤監督が演出した舞台「まゆをひそめて、僕を笑って」(2017)、「貴方なら生き残れるわ」(18)、「誰にも知られず死ぬ朝」(20)、「ぽに」(21)に出演されていますよね。
藤原:加藤さんとは付き合いが長いですね。「わたし達はおとな」に関しては、舞台の本番と重なっていて、元々出演することができなかったんです。「主人公は木竜さんに決まった」と加藤さんから報告を受けて「おめでとうございます。あとは相手役だけですね」と励ます立場だったんですが……参加するはずだった舞台が、コロナの影響で中止になったんです。それで加藤さんから声をかけていただき、すぐに脚本を読みました。
――どのように感じられましたか?
藤原:直哉を演じられるのは「僕しかいないな」と思いましたね(笑)。
一同:爆笑
藤原:脚本が本当に面白かった。「『面白い』。しかし、こんなことを言ってしまってもいいのだろうか」と感じる面白さがありましたね。二つ返事で出演が決まりました。
――では、クランクイン前に準備をしていたことはありますか?
藤原:加藤さんがリハーサルの機会を用意してくれて、何度も何度も繰り返していました。本作はラストに向かって、優実と積み上げていくものが必要になります。それには、役を演じる本人同士のコミュニケーションも大切です。なので、リハーサルの最中には、木竜さんと頻繁にコミュニケーションをとっていました。そういう時間は、加藤さんが用意してくれたんです。
木竜:今回の現場には、加藤監督と普段から仕事をしている方々が何人もいらっしゃったんです。リハーサルでは、共通言語を作る時間もとっていただけましたし、皆さんの作る“空気”に巻き込んでもらいながらセッションさせていただいた、という感じでした。
藤原:このリハーサルには、カメラも入っていたんです。まずは芝居の中で、僕たちが動きを作っていく。その後“カメラを何処に置けば、必要最低限のカットで、優実の表情の変化を撮れるのか”という点を、加藤さんたちが計算しながら探っていく。その一方で、僕らは芝居の精度を高める。スタッフと俳優のリハーサルが同時に行われているような感じだったんです。
――このリハーサルは、かなり重要な機会だったんですね。ちなみに、おふたりは初共演ですよね?
木竜:はい。でも、共通の友達がいるので、お互いの事を知ってはいたんです。
――“顔見知り”ではあったわけですね。では、今回の共演を通じて感じた「俳優・藤原季節」について教えていただけますか?
木竜:お芝居をすることに対して、何よりもまっすぐで強い。そんな印象を受けました。こんなにも芝居に対して夢中になれるのか……そんな風に感じてしまう方です。それは今回、実際に共演してみて強く思ったこと。「私も頑張らないと」「負けたくないな」という思いと、「でも、敵わないんだろうな」という考えが同時によぎってしまう俳優さんだと思っています。
――藤原さんは、いかがでしょうか?
藤原:木竜さんの出演作はほとんど見ています。ガラスのハートのように繊細なものを持ちながらも、それを突き抜ける“俳優としての強度”があるんです。同世代だと他に例がない。そうでなければ「菊とギロチン」のヒロインなんてできませんよ。
木竜:この事、いつも言ってくれるんですよ(笑)。
藤原:いやいや、誰にでもできる事じゃないから。“強度のある俳優”だということは、周知の事実だと思っています。
――では、加藤監督とのやりとりに話を転じましょう。木竜さんは、どのような対話を経て、優実の人物像を作り上げていきましたか?
木竜:リハーサルの最初から最後まで言われていたのは「今回は、どれだけ隠せるかが大切」ということです。心の中で思っている事、感情の動き、言いたい事、言えない事、言いたくはない事……これらをどれだけ隠せるのか。現場では、それらについて「出過ぎかな」「もう少しだけ出そう」と微調整を行ってもらったり、丁寧に強弱をつけていただいていました。もうひとつ言われていたのは「今回は暮らしを撮る。生活のある映画になる」ということ。この指針は、自分の中に持ち続けていたと思います。
――藤原さんは、前述の通り、加藤監督とは何度もご一緒されていますよね。加藤監督の魅力は、どのような点に表れていると思いますか?
藤原:“変化し続ける男”といえばいいんでしょうか……作品のカラーが、毎回異なる。そこがすごいですよね。でも、共通していることもあります。「善、悪」「好き、嫌い」「付き合う、付き合わない」「結婚する、結婚しない」という形では白黒がつけられない、“名前がつく前の曖昧な部分”を表現し続けているんだなと思っています。
――「映画の現場」だからこそ感じられた面白みはありましたか?
藤原:ワンカット・長回しを多用しているので、そういう意味では演劇に近いんです。演劇は“再現”をしないといけないので「感情をどこで出すか」という点は、稽古の時点で決まっていきます。「わたし達はおとな」のラストシーンは、ワンカット1発勝負をかけたところなんです。舞台上での“ライブ感”をそのまま生かした、たった1回のチャンス。俳優から何が出てくるのかは、誰もわからない。ここで感じた緊張感というのは、演劇の時よりも上だったかもしれません。どんなに良い芝居が撮れたとしても、例えば救急車の音が入ってしまったら、NGになってしまいますから。木竜さんの演技を見ているうちに「このワンカットで決まる。これは最後までいかないと、撮り直しがきかない」と感じたんです。だからこそ、ラストシーンは“目撃”してほしいんです。
――木竜さんの芝居を見て「ワンカットで決まる」と感じられた。それは、どのようなタイミングだったのでしょうか?
藤原:「わたし達はおとな」は、優実の物語なんです。優実が目的地まで運ばれるために、直哉と加藤さんという存在がいる。僕たちはラストシーンに勝負をかけていましたが、最後に戦うのは木竜さんひとり。最終的には、サポートできる部分が無くなっていくんです。カメラが回ってしまえば、任せるしかない。その時、木竜さんがしっかりと自分の足で立ち、優実になりきっている姿を見ました。それは木竜さんの範疇を超えているというか……。僕が演じている直哉も、僕の範疇から抜け出していく。次第に、優実と直哉の物語になる。木竜さんと僕はどこかに行ってしまった――そういう瞬間が、本番中にあったんです。
木竜:仰っていることが、とてもよくわかります。時間の感覚がない感じというか……。時間が止まっているわけでもなく、進んでいるわけでもないんです。
藤原:カメラの存在を、完全に忘れていますから。
木竜:そう、忘れていました! 映像を見返してみると、信じられない間(ま)ができていたり。でも、そんな間(ま)を作ろうという意識はなかったんです。初号試写を見た時に感じたのですが、自分の知らない声や顔がたくさんありました。(全編に)そういう自分がちらばっていて、少し変な感じだったんです。物語の後半になればなるほど、優実は直哉に思いの丈をぶつけていきます。藤原さんには、それを全部受け止めてもらいましたし、加藤組の皆さんの“芝居中の見守り方”も素晴らしかったんです。委ねることができた自分が、そこにいた――そう思えたのは、とても幸せな事でした。
藤原:芝居をする上では、全てが整っていた現場だったと思います。穏やかで、完璧でした。
――では、最後の質問とさせていただきます。「わたし達はおとな」というタイトルは“ヤングアダルトの時期”の象徴として付けられています。このタイトルは、改めて「おとな(=大人)」について考えるきっかけになりました。「おとなは『私はおとなだ』とは言わないのかもしれない」「『自分はおとなだ』と発言しなくなった頃から、本当の意味でおとなになるのではないか……?」等々。お二人にとって“おとなになる”とは、どういうことだと思いますか?
藤原:「おとな」と「こども」。自分の中には、その両方が存在しているんです。「おとな」の部分は、自分自身のことで悩まなくなったこと。僕はそんな「おとな」を嫌っていたんです。でも、そうやって嫌っていた存在に、きちんとなりつつある。それと同時に、自分はまだまだ「こども」なんだろうなと思うこともある。具体例を出すとなると、すぐには思いつきませんが……。役者という職業は、結局、現実逃避の延長線上にあると思っているんです。これしかできないという時点で、永遠に「こども」のままなのかもしれない。この感覚を失ってしまうと、ただのふざけた「おとな」になってしまうんです。映画に対する憧れ、純粋な気持ちを失うと、毎回毎回同じような芝居を繰り返し、それで満足するようになってしまう。それは全く“楽しくない”こと。表現というものには、きちんと向き合っていきたいんです。
木竜:わかりやすい点でいうと、頼る人の数が減ったのかなと思います。以前までは、幅広い関係性の中で甘えたり、頼ったりしていたと思うんです。でも、自分でしっかりと考えて、頼ってもいいと思える人を選択するようになりました。この変化が「おとな」になったのかなと思うんです。でも、誰かに頼ったり、甘えたりする自分を許容している部分は、まだまだ「こども」だなと思います。藤原さんが仰った「自分のことで悩まない」という点、私は「おとな」だなと感じました。私は、どうしても自分にベクトルが向きやすいタイプなので……。自分自身の「こども」の部分、そこもそうなのかなと思いました。
#菏泽日报##乐享菏泽##鄄城# 【鄄城:打造教育装备产业新高地】一个产业成就一座城市的梦想。近年来,鄄城县把教育装备产业作为工业经济发展的主导产业之一来抓,围绕“创新引领、重点突破、产业集聚”的发展思路,引导本地企业由小规模作坊式生产向规模化发展,促进企业转型升级,扶持企业做大做强、做精做细,向品牌化发展,教育装备产业的转型升级得到了稳步推进。
打造教育装备产业集群
“市县领导高度重视教育装备产业,出台了一系列招商引资优惠政策,为企业在项目落地、科技创新、产业培育、人才引进、应用推广等方面提供全方位的支持,着力培育教育装备产业创新生态,打造教育装备产业集群。”鄄城县招商局相关负责人告诉记者。
鄄城县左营镇招商引资的山东省教育装备科技园2020年11月落户鄄城,该项目由百裕集团投资建设,主力打造教育装备设计研发,展示体验交易,教育装备制造为一体的现代高端教育装备产业,以菏泽市科教产业为基础,着力打造中部区域最齐全的全品类教育装备用品展示生产基地。
据了解,该项目计划总投资5.5亿元,占地面积200亩,建设面积15万平方米。分两期建设,项目一期占地面积约68亩,建设规模5万平方米。项目建成后,园区将入驻包括百裕集团在内的多家行业龙头企业,将吸引10-20家优质教育装备相关企业,年产值将达到3.5亿元以上、利税2000万元以上,提供就业岗位3000个。
百裕集团是教育装备行业的领军企业,实力雄厚,久负盛名。在鄄城县布局教育装备科技园项目,把百裕集团的资源技术优势与鄄城的产业基础优势有机融合,一体推进,对于加强鄄城教育装备产业补链延链强链,加快转型升级步伐,向集群化、高端化发展具有重要意义。
百裕集团董事长许曲煌表示,集团将发挥在行业内的影响,携同鄄城相关部门做好园区招商工作,吸引更多企业入驻园区,共同打造教育装备产业新高地。
“山东教育装备科技园立足整合现有产业资源集中展示,教育装备产业集群化、规模化、立足菏泽打响教育装备产业品牌,是中部地区唯一教育装备科技园。”山东教育装备科技园负责人蔡志伟介绍,科技园区可依据企业要求“量身定制”不同生产车间、名优品牌展示厅,是集“展示、生产、销售、服务”为一体的高端教育装备工业园区。
“山东教育装备科技园作为鄄城打造教育装备基地中的重要一环,获鄄城县委、县政府高度重视。制定了针对性的帮扶政策,加大对企业生产性设备引进、招投标等方面的扶持力度。着力推动教育装备产业升级,打造鄄城商户商贸区。”左营镇党委书记史燕这样告诉记者。
为什么是鄄城?
鄄城县教育装备产业起步较早,主要集中在什集、富春等镇,如什集镇的东王谭村就是远近闻名的教学仪器生产专业村,加工教具已有30多年的历史,生产标杆、算盘、圆规、量角器等教学器材种类达100余种。
“目前,什集镇20余个村都从事着教学仪器的生产和销售,生产出的教学仪器远销云南、贵州、陕西、青海等省。”什集镇党委书记杜群告诉记者。
什集镇不仅有科教专业村,也有成规模的科教公司,鄄城致远科教仪器有限公司就是其中一家。“公司拥有现代化技术制造设备及大型厂房,专业研发生产销售教学仪器,主打产品是包埋标本。”鄄城致远科教仪器有限公司办公室主任马海丽告诉记者。
据工商登记,鄄城县教育装备类在营企业共118家,产品主要以部分木制品教具、学生寝室装备和部分铁质、塑钢类教具为主,产品种类分为:基础教育装备类70%;后勤装备类15%;体育装备类10%;其他5%。
教学仪器加工在鄄城县已经发展成为一个令人瞩目的产业,产业基地雏形初显。
鄄城县现有教育装备企业虽然数量较多,从业人员不少,整体产值不低,但产品科技含量不高,企业综合竞争力不强,所以大部分企业都是以外接订单承接加工为主,缺乏产品研发能力,导致企业竞争力不强,即使接到订单,整个订单中附加值高的部分也无法独自完成,所以鄄城县教育装备企业体现出来就是企业利润不高,税收也不高,缺乏市场竞争力,部分企业面临被市场淘汰的危险。
但鄄城县毕竟已经形成教育装备产业行业基础,已经拥有海声音科教、卓辰教育装备、建鲁科教设备、华东教学仪器、奥斯乐教育科技、致远科教仪器、宏博科教仪器等一批比较优秀的教育装备企业和专职营销群体,同时也已积累了数量庞大的客户销售群体,业务遍及山东、贵州、湖北、江西、海南、黑龙江、甘肃等20多个省份,鄄城教育装备已经在全国行业内拥有一定的知名度。
“随着国家产业结构的不断调整,给了我们创业者更多的政策和机遇,加上各级党委、政府的大力支持,让我们山东海声音科教仪器公司真正走上了发展的快车道。多年来,公司主要生产经营小中高教学仪器、音、体、美、卫、艺器材及实验室设备、心理咨询室、科技活动室、书法教室、历史教室、地理教室等多种功能室以及幼儿实木家具。凭借独特的营销机制和优质的售后服务,公司成为中国教学仪器设备行业协会会员单位。”山东海声音科教仪器有限公司总经理张丽丽说。
“当前教育装备产业发展还处于‘弱、小、散’阶段,明显滞后于教育事业的发展。传统教育装备很难满足现代教育要求。把教育装备产业列入鄄城县特色产业结构和规划中,制定相关扶持措施与政策,在企业业务发展、税收、金融、用工、投资等方面系统化给予政府支持和引导,夯实行业发展所必需的基础。同时,教育装备产业急需一个完备的发展平台。”张丽丽的话道出了行业内部的心声。
企业有心声,政府有行动。通过鄄城县的积极努力,山东省教育装备科技园落户鄄城。
蔡志伟说,教育装备产业选择鄄城,因其具有天时地利人和:教育装备产业属于劳动密集型产业,整个教育装备产业品类繁多,有几千个产品类别,可以带动和吸引更多企业到鄄城县进行制造业投资。产业需求稳定,每年递增,不会因为市场冲击产生过多不确定因素。且周边省份目前还没有类似“山东教育装备科技园”的综合专题教育装备园区,产业聚集优势十分明显,是为天时。同时,菏泽地理位置优越,区域优势十分明显,区域辐射面广、人口密度大,以鄄城县为中心300公里范围内,就约有1.5亿人口,人口红利与市场空间十分庞大,是为地利。近年来,鄄城创新推出的“企业吹哨,部门报到”“企业秘书”等营商环境措施,给了教育装备产业极好的发展环境,是为人和。
将为鄄城带来啥?
教育装备是辅助教学活动的重要工具,教育的现代化、智能化发展离不开教育装备的更新换代。长期以来,教育装备产业的发展得不到重视,许多人对教育装备的印象还停留在圆规、直尺的水平。
“而山东教育装备科技园建成后,把教育装备产业提升到适合现代智能化、数字化教育的新高度。将在鄄城县产生教育装备产业聚集,将在鄄城县打造教育装备展示园区和教育装备互联网展示平台,将在现有鄄城县教育装备基础上进一步完善教育装备品类和生产制造供应链条,鄄城县将成为中国中部地区首选的教育装备采购交易目的地。”面对未来,许曲煌信心满满。
山东教育装备科技园将建成全国中部地区首个以教育装备产业为主题的集教育装备研发、生产、展示、交易、服务为一体的综合性园区,在鄄城县现有教育装备产业基础上,进一步完善产品品类,进一步提升产品科技含量,铸造本地产品品牌,以山东教育装备科技园为集中展示平台,形成产业聚集和产品品类覆盖,以集群效应与完善的产品品类逐渐打响鄄城县教育装备产业基地品牌。
同时,通过持续举办教育装备交流会或教育装备展示活动,抢占周边省市教育装备生产,吸引更多教育装备行业企业到鄄城县投资设立公司,夯实鄄城县教育装备产业基础,以教育装备产业的研发、制造、销售、服务,带动鄄城县原材料制造业、物流业、电商产业、旅游业等全面发展。(菏泽报业全媒体记者 焦同帅 通讯员 刘永霞)
打造教育装备产业集群
“市县领导高度重视教育装备产业,出台了一系列招商引资优惠政策,为企业在项目落地、科技创新、产业培育、人才引进、应用推广等方面提供全方位的支持,着力培育教育装备产业创新生态,打造教育装备产业集群。”鄄城县招商局相关负责人告诉记者。
鄄城县左营镇招商引资的山东省教育装备科技园2020年11月落户鄄城,该项目由百裕集团投资建设,主力打造教育装备设计研发,展示体验交易,教育装备制造为一体的现代高端教育装备产业,以菏泽市科教产业为基础,着力打造中部区域最齐全的全品类教育装备用品展示生产基地。
据了解,该项目计划总投资5.5亿元,占地面积200亩,建设面积15万平方米。分两期建设,项目一期占地面积约68亩,建设规模5万平方米。项目建成后,园区将入驻包括百裕集团在内的多家行业龙头企业,将吸引10-20家优质教育装备相关企业,年产值将达到3.5亿元以上、利税2000万元以上,提供就业岗位3000个。
百裕集团是教育装备行业的领军企业,实力雄厚,久负盛名。在鄄城县布局教育装备科技园项目,把百裕集团的资源技术优势与鄄城的产业基础优势有机融合,一体推进,对于加强鄄城教育装备产业补链延链强链,加快转型升级步伐,向集群化、高端化发展具有重要意义。
百裕集团董事长许曲煌表示,集团将发挥在行业内的影响,携同鄄城相关部门做好园区招商工作,吸引更多企业入驻园区,共同打造教育装备产业新高地。
“山东教育装备科技园立足整合现有产业资源集中展示,教育装备产业集群化、规模化、立足菏泽打响教育装备产业品牌,是中部地区唯一教育装备科技园。”山东教育装备科技园负责人蔡志伟介绍,科技园区可依据企业要求“量身定制”不同生产车间、名优品牌展示厅,是集“展示、生产、销售、服务”为一体的高端教育装备工业园区。
“山东教育装备科技园作为鄄城打造教育装备基地中的重要一环,获鄄城县委、县政府高度重视。制定了针对性的帮扶政策,加大对企业生产性设备引进、招投标等方面的扶持力度。着力推动教育装备产业升级,打造鄄城商户商贸区。”左营镇党委书记史燕这样告诉记者。
为什么是鄄城?
鄄城县教育装备产业起步较早,主要集中在什集、富春等镇,如什集镇的东王谭村就是远近闻名的教学仪器生产专业村,加工教具已有30多年的历史,生产标杆、算盘、圆规、量角器等教学器材种类达100余种。
“目前,什集镇20余个村都从事着教学仪器的生产和销售,生产出的教学仪器远销云南、贵州、陕西、青海等省。”什集镇党委书记杜群告诉记者。
什集镇不仅有科教专业村,也有成规模的科教公司,鄄城致远科教仪器有限公司就是其中一家。“公司拥有现代化技术制造设备及大型厂房,专业研发生产销售教学仪器,主打产品是包埋标本。”鄄城致远科教仪器有限公司办公室主任马海丽告诉记者。
据工商登记,鄄城县教育装备类在营企业共118家,产品主要以部分木制品教具、学生寝室装备和部分铁质、塑钢类教具为主,产品种类分为:基础教育装备类70%;后勤装备类15%;体育装备类10%;其他5%。
教学仪器加工在鄄城县已经发展成为一个令人瞩目的产业,产业基地雏形初显。
鄄城县现有教育装备企业虽然数量较多,从业人员不少,整体产值不低,但产品科技含量不高,企业综合竞争力不强,所以大部分企业都是以外接订单承接加工为主,缺乏产品研发能力,导致企业竞争力不强,即使接到订单,整个订单中附加值高的部分也无法独自完成,所以鄄城县教育装备企业体现出来就是企业利润不高,税收也不高,缺乏市场竞争力,部分企业面临被市场淘汰的危险。
但鄄城县毕竟已经形成教育装备产业行业基础,已经拥有海声音科教、卓辰教育装备、建鲁科教设备、华东教学仪器、奥斯乐教育科技、致远科教仪器、宏博科教仪器等一批比较优秀的教育装备企业和专职营销群体,同时也已积累了数量庞大的客户销售群体,业务遍及山东、贵州、湖北、江西、海南、黑龙江、甘肃等20多个省份,鄄城教育装备已经在全国行业内拥有一定的知名度。
“随着国家产业结构的不断调整,给了我们创业者更多的政策和机遇,加上各级党委、政府的大力支持,让我们山东海声音科教仪器公司真正走上了发展的快车道。多年来,公司主要生产经营小中高教学仪器、音、体、美、卫、艺器材及实验室设备、心理咨询室、科技活动室、书法教室、历史教室、地理教室等多种功能室以及幼儿实木家具。凭借独特的营销机制和优质的售后服务,公司成为中国教学仪器设备行业协会会员单位。”山东海声音科教仪器有限公司总经理张丽丽说。
“当前教育装备产业发展还处于‘弱、小、散’阶段,明显滞后于教育事业的发展。传统教育装备很难满足现代教育要求。把教育装备产业列入鄄城县特色产业结构和规划中,制定相关扶持措施与政策,在企业业务发展、税收、金融、用工、投资等方面系统化给予政府支持和引导,夯实行业发展所必需的基础。同时,教育装备产业急需一个完备的发展平台。”张丽丽的话道出了行业内部的心声。
企业有心声,政府有行动。通过鄄城县的积极努力,山东省教育装备科技园落户鄄城。
蔡志伟说,教育装备产业选择鄄城,因其具有天时地利人和:教育装备产业属于劳动密集型产业,整个教育装备产业品类繁多,有几千个产品类别,可以带动和吸引更多企业到鄄城县进行制造业投资。产业需求稳定,每年递增,不会因为市场冲击产生过多不确定因素。且周边省份目前还没有类似“山东教育装备科技园”的综合专题教育装备园区,产业聚集优势十分明显,是为天时。同时,菏泽地理位置优越,区域优势十分明显,区域辐射面广、人口密度大,以鄄城县为中心300公里范围内,就约有1.5亿人口,人口红利与市场空间十分庞大,是为地利。近年来,鄄城创新推出的“企业吹哨,部门报到”“企业秘书”等营商环境措施,给了教育装备产业极好的发展环境,是为人和。
将为鄄城带来啥?
教育装备是辅助教学活动的重要工具,教育的现代化、智能化发展离不开教育装备的更新换代。长期以来,教育装备产业的发展得不到重视,许多人对教育装备的印象还停留在圆规、直尺的水平。
“而山东教育装备科技园建成后,把教育装备产业提升到适合现代智能化、数字化教育的新高度。将在鄄城县产生教育装备产业聚集,将在鄄城县打造教育装备展示园区和教育装备互联网展示平台,将在现有鄄城县教育装备基础上进一步完善教育装备品类和生产制造供应链条,鄄城县将成为中国中部地区首选的教育装备采购交易目的地。”面对未来,许曲煌信心满满。
山东教育装备科技园将建成全国中部地区首个以教育装备产业为主题的集教育装备研发、生产、展示、交易、服务为一体的综合性园区,在鄄城县现有教育装备产业基础上,进一步完善产品品类,进一步提升产品科技含量,铸造本地产品品牌,以山东教育装备科技园为集中展示平台,形成产业聚集和产品品类覆盖,以集群效应与完善的产品品类逐渐打响鄄城县教育装备产业基地品牌。
同时,通过持续举办教育装备交流会或教育装备展示活动,抢占周边省市教育装备生产,吸引更多教育装备行业企业到鄄城县投资设立公司,夯实鄄城县教育装备产业基础,以教育装备产业的研发、制造、销售、服务,带动鄄城县原材料制造业、物流业、电商产业、旅游业等全面发展。(菏泽报业全媒体记者 焦同帅 通讯员 刘永霞)
#每日一善[超话]#[送花花]#每日一善# [毕业帽]#阳光信用#
【ygxy极好734,互极好裙&hyq&同担,其余指路不吞只互极好/较好,较好以下,点即已互[彩虹屁]】
每一个故事都有不同的结局,每个故事都有美好的遐/想,相信爱的吸引力,你会遇见最好的幸福。我总愿意有那么一个人能了解得我清清楚楚的,如若不懂得我,我要那些爱,那些体/贴做什么?社会在变化,生活在变化,人在变化,没有什么是一成不变的,包括人的关系。用一段时光,换一次懂/得。曾有一个人,你用尽所有痴/狂,爱他一如生命。愿有一个人,让你收起铅/华,用心陪他走过光阴。有一种寂/寞,身边添一个可谈的人,一条知/心的狗,或许就可以消/减。有一种寂/寞,茫茫天地之间余舟一/芥的无边无际无着落,人只能各自孤/独面对,素颜修行。我们来自同一个深/渊,然而人人都在奔向自己的目的地,试图跃出深/渊。我们可以彼此理解,然而能解读自己的人只有自己。
【ygxy极好734,互极好裙&hyq&同担,其余指路不吞只互极好/较好,较好以下,点即已互[彩虹屁]】
每一个故事都有不同的结局,每个故事都有美好的遐/想,相信爱的吸引力,你会遇见最好的幸福。我总愿意有那么一个人能了解得我清清楚楚的,如若不懂得我,我要那些爱,那些体/贴做什么?社会在变化,生活在变化,人在变化,没有什么是一成不变的,包括人的关系。用一段时光,换一次懂/得。曾有一个人,你用尽所有痴/狂,爱他一如生命。愿有一个人,让你收起铅/华,用心陪他走过光阴。有一种寂/寞,身边添一个可谈的人,一条知/心的狗,或许就可以消/减。有一种寂/寞,茫茫天地之间余舟一/芥的无边无际无着落,人只能各自孤/独面对,素颜修行。我们来自同一个深/渊,然而人人都在奔向自己的目的地,试图跃出深/渊。我们可以彼此理解,然而能解读自己的人只有自己。
✋热门推荐