石川祐希选择“职业”的生活方式,“世界的宏阔,我想看看那样的景色”
米虫紀子
2018年3月26日 11:35
3月25日,全日本男子排球的主力石川祐希宣布成为职业选手。
25日是他就读的中央大学的毕业典礼。由于本赛季在意大利甲级联赛中拉蒂纳队还有比赛,所以他没有出席毕业典礼,但在毕业典礼结束的日子,他表明了今后作为职业排球选手的生活方式。
石川以前就表达过“想去海外联赛打球”的愿望。在海外打球有很多方法,既有去年离开三得利成为职业选手,本赛季效力于德国Bundesliga 的柳田将洋的例子,也有一边效力于V联赛球队一边前往海外的例子。
中央大学的同学大竹壱青虽然已经决定进入V联赛的松下,但是本赛季在德国联赛的法兰克福(united vallezleinamine)效力。过去也有丰田合成的古贺太一郎(现在作为职业选手在波兰联赛效力)、松下的福泽达哉等,在V联赛的球队效力却远渡海外的选手。在这样的情况下,石川讲述了自己选择成为职业选手的理由以及未来的目标。
[雪花]本赛季是为职业生涯做准备
——本赛季是继2014 - 15赛季的摩德纳、上赛季的拉蒂纳之后的第三个意甲赛季。球队在常规赛14支球队中排名第11位,需要进行附加赛。无论是对团队来说,还是对石川选手自己来说,是不是都和想象中的不一样呢?
祐希:是啊。虽然有很多有实力的选手,但我认为这是队伍没能很好地团结起来的结果。再次感受到,并不是有了好的队员就能取得胜利,而是只有发挥团队的作用才能取得胜利。
——即使选手都很齐全,如果没有组织的话就赢不了?
祐希:与其说是组织,我认为选手能够很好地完成教练要求的东西的球队才是强的。本赛季的拉蒂纳,感觉教练的要求和选手想做的事情有些不匹配。所以没能进入(由前8名球队组成的)季后赛。
——我想本赛季是你临近大学毕业,一边考虑今后的前途和生活方式一边度过的赛季。
祐希:是啊。首先没有作为(V联赛的队伍)官方选手被发表的时候,大家可能知道了“是职业选手吧”(笑)。成为职业选手后,如果不做出成绩,下一年就没有球队可去。现在虽然也有经纪人来找我,但不能保证会一直持续下去,所以我觉得这方面非常严峻。
虽然这个赛季还不是职业选手,但是今后必须要以排球为生。感觉是一边抱着事关生活的意识和觉悟,一边准备作为职业选手生活的赛季。
[雪花]决定成为职业选手的理由是?
——最终决定成为职业选手的理由是?
祐希:在现在日本大部分排球选手都不是职业选手的情况下,想要成为职业选手,并不是每个人都能做到的。在这种只有有限的选手能成为职业选手的情况下,如果自己也有机会成为职业选手的话,我想尝试一下。
——石川选手认为的“职业选手”是?
祐希:很难说。我想我现在还在寻找中,单纯地把生活和自己的将来都寄托在排球上。因为排球是我的工作,所以我必须以此为生。
——我认为在V联赛打球的职员选手们在现役期间排球也是工作。职业选手会一年又一年更加严格的追求结果吧。
祐希:那当然。如果自己拿不出成果的话,什么都会结束。没有什么绝对的保证,走得越远越有风险。但是如果在那里成功了的话,之后的世界会变得更加广阔,我想看看那个景色。
如果作为职员进入的话,中途可以转为职业选手,但是只要是职员,基本上都会一直在那一家公司打排球。即使(作为职员)被派遣去海外,最终也必须回来,时间也有限。
我想经历各种各样的事情。我觉得这样无论是对芭蕾还是对人生,对自己都有好处。虽然一旦受伤或失去实力,一切就都结束了。尽管如此,我还是决定选择能积累各种经验的职业选手。
如果是职业选手的话,自己的努力和成果就是一切,如果做出了成果并受到好评的话,就会进入强队,年薪也会提高。这也是我选择职业生涯的理由之一。
[雪花]“将来想在顶级俱乐部获得冠军”
——作为职业选手在海外比赛时,有没有“将来想在这里打球”的队伍?
祐希:虽然还没有这样的队伍,但我想在意大利前四名(佩鲁贾、奇维塔诺瓦、摩德纳、特伦蒂诺)的某个球队打球。在这样的上游队伍中,不仅要努力,还要以冠军为目标。每个队伍都有(优胜的)机会,因为那里是不尝试就不知道的世界,想在其中战斗。
——其中摩德纳是3年前加入的球队,是一直很难参加比赛的球队。有想再在那里打球这种特别的想法吗?
祐希:虽然没有特别“想在摩德纳做!”,但好歹也是老东家(笑)。因为上次是“客人”的感觉,下次想成为能一决胜负的选手再去。还有,对波兰也很感兴趣。日本人的对决也还不错(苦笑)。
因为现在在海外打球的日本选手很少,所以有时候只是去了海外就能引起关注。但是,我想把那个舞台变高。因为现在自己还只是在下游的队伍里打球,所以为了能让大家看到自己在顶级球队里打球的样子,必须要有所成长。如果是日本人对决的话,希望大家都能进入顶尖队伍,比如决赛之类的。
石川祐希が選択した“プロ”という生き方 「世界が広がる、その景色を見てみたい」
米虫紀子
2018年3月26日 11:35
3月25日、バレーボール全日本男子のエース・石川祐希が、プロ選手になることが発表された。
25日はこれまで在籍していた中央大学の卒業式。まだイタリア・セリエAラティーナで今季の試合が残っているため卒業式に出席することはなかったが、区切りの日に合わせて、バレーボール選手として今後の生き方を表明した。
石川は以前から「海外のリーグでプレーしたい」という希望を口にしていた。海外でプレーするにはいろいろな方法がある。昨年、サントリーを退社してプロ選手となり、今季ドイツのバレーボール・バイソンズ・ビュールでプレーしている柳田将洋の例もあれば、Vリーグのチームに所属しながら海外に渡る例もある。
中央大の同級生、大竹壱青はVリーグのパナソニックへの入社が決まっているが、今季はドイツリーグのフランクフルト(ユナイテッド・バレーズ・ラインマイン)でプレーしている。過去にも豊田合成の古賀太一郎(現在はプロ選手としてポーランドリーグでプレー)や、パナソニックの福澤達哉など、Vリーグのチームに所属しながら海外に渡った選手はいた。そんな中で、石川が“プロ”という選択に至った理由や、この先の目標について語ってくれた。
[雪花]プロとして生きる準備をしてきた今シーズン
――今シーズンは、2014−15シーズンのモデナ、昨季のラティーナに続き、3度目のセリエAでのシーズンでした。チームはレギュラーラウンドで14チーム中11位に終わり、下位のプレーオフを戦うことになりました。チームとして、また石川選手自身としても、思い描いていたものとは違ったのではありませんか?
そうですね。実力のある選手は多くいるんですけれど、チームがうまくまとまらなかった結果だと思います。あらためて、いいメンバーがいれば勝てるわけではなく、チームとして機能しないと勝てないと感じました。
――選手がそろっていても、組織になっていなければ勝てない?
組織というか、監督が求めていることを選手がしっかりできているチームが強いと思います。今シーズンのラティーナは、監督が求めていることと、選手のやりたいことが少しマッチしていないと感じていました。なので(上位8チームによる)プレーオフにいけず、という結果でした。
――今シーズンは大学卒業を控え、この先の進路や生き方を考えながら過ごしたシーズンだったと思います。
そうですね。まず内定選手として(Vリーグのチームから)発表されていない時点で、「プロかな」というのは皆さん分かったかもしれませんけど(笑)。プロになったらやっぱり結果を出さないと、次の年に行くチームがない。今はエージェントの方から声をかけていただいていますけれど、それがいつまでも続く保証はないので、そのあたりはすごくシビアだなと思います。
今シーズンはまだプロではなかったですけれど、これからはバレーボールで生きていかないといけない。生活がかかってくる、そういう意識や覚悟を持ちつつ、プロとして生きる準備をしつつやってきたシーズンという感じです。
[雪花]プロ選手になると決断した理由は?
――最終的にプロ選手になると決断した理由は?
今、日本ではほとんどのバレー選手がプロではない中、プロでやっていくというのは、みんなができることではない。限られた選手しかプロになっていない中で、自分にもプロで挑戦できるチャンスがあるならトライしたいと思いました。
――石川選手が考える「プロ」とは?
難しいですね。まだこれから発見していくんだと思いますけれど、単純にバレーボールに生活が、自分の将来がかかっているというのはあります。バレーボールが仕事なので、それで生活していかないといけない。
――Vリーグでプレーする社員の選手も、現役の間はバレーボールが仕事だと思います。プロはよりシビアに1年1年、結果が問われるということでしょうか。
それはもちろんあります。自分が結果を出さないと、ただ終わっていくだけ。保証は間違いなくないですし。その中で極めていくのは、すごくリスクがあります。でもそこで成功したら、その先の世界がすごく広がっていくと思うので、その景色を見てみたいんです。
社員として入れば、途中でプロに変わることはできますけれど、社員でいる限りは基本的にずっとその会社でバレーボールをすることになる。たとえ(社員として)海外に行かせてもらえても、戻ってこなければいけないとか、期間も限られてしまうと思います。
自分はいろいろな経験をしたいんです。その方が、バレー的にも人生的にも、自分のためになると思うので。けがをしたり、実力がなくなったりしたらもう終わりというリスクはあります。それでも自分は、いろいろな経験ができる方に、プロでやっていく方に決めました。
プロだと自分の努力と結果がすべてなので、結果を出して評価されれば、たとえば強いチームに行けたり、年俸が上がったり。そういうところもプロとして生きていく道を選んだ理由の1つです。
[雪花]「将来は上位クラブで優勝を目指したい」
――プロとして海外でやっていく上で、「将来的にここでやりたい」と思うチームはありますか?
ここ、というチームはないんですけれど、イタリアの上位4つ(ペルージャ、チビタノーバ、モデナ、トレンティーノ)のどこかでプレーしたいです。そういう上位チームで、やるだけではなく優勝を目指したい。どのチームにも(優勝の)チャンスがあって、そこはやってみないと分からない世界なので、その中で戦いたいと思いますね。
――その中でモデナは3年前に所属して、なかなか試合に出られなかったチームです。またそこでプレーしたいという特別な思いはありますか?
特別「モデナでやりたい!」というのはないですけれど、一応、古巣ではあるので(笑)。前回は「お客さん」みたいな感じだったので、次は勝負できる選手になってまた行きたいなと思ったりはしますね。あとは、ポーランドも興味がありますね。でも、日本人対決はまだいいかなって(苦笑)。
今は海外でプレーしている日本人選手が少ないので、海外に行っているだけで注目していただけることもあります。でも、そのステージをもっと上にあげたいんです。現状で自分はまだ下位のチームでしかやれていないので、そこはこれから自分がトップチームでやっている姿を見てもらえるように、成長していかないといけない。もし日本人同士で対決するのであれば、お互いにトップチームに行って、例えば決勝とか、そういうところで戦いたいと思いますね。
Victoria
米虫紀子
2018年3月26日 11:35
3月25日,全日本男子排球的主力石川祐希宣布成为职业选手。
25日是他就读的中央大学的毕业典礼。由于本赛季在意大利甲级联赛中拉蒂纳队还有比赛,所以他没有出席毕业典礼,但在毕业典礼结束的日子,他表明了今后作为职业排球选手的生活方式。
石川以前就表达过“想去海外联赛打球”的愿望。在海外打球有很多方法,既有去年离开三得利成为职业选手,本赛季效力于德国Bundesliga 的柳田将洋的例子,也有一边效力于V联赛球队一边前往海外的例子。
中央大学的同学大竹壱青虽然已经决定进入V联赛的松下,但是本赛季在德国联赛的法兰克福(united vallezleinamine)效力。过去也有丰田合成的古贺太一郎(现在作为职业选手在波兰联赛效力)、松下的福泽达哉等,在V联赛的球队效力却远渡海外的选手。在这样的情况下,石川讲述了自己选择成为职业选手的理由以及未来的目标。
[雪花]本赛季是为职业生涯做准备
——本赛季是继2014 - 15赛季的摩德纳、上赛季的拉蒂纳之后的第三个意甲赛季。球队在常规赛14支球队中排名第11位,需要进行附加赛。无论是对团队来说,还是对石川选手自己来说,是不是都和想象中的不一样呢?
祐希:是啊。虽然有很多有实力的选手,但我认为这是队伍没能很好地团结起来的结果。再次感受到,并不是有了好的队员就能取得胜利,而是只有发挥团队的作用才能取得胜利。
——即使选手都很齐全,如果没有组织的话就赢不了?
祐希:与其说是组织,我认为选手能够很好地完成教练要求的东西的球队才是强的。本赛季的拉蒂纳,感觉教练的要求和选手想做的事情有些不匹配。所以没能进入(由前8名球队组成的)季后赛。
——我想本赛季是你临近大学毕业,一边考虑今后的前途和生活方式一边度过的赛季。
祐希:是啊。首先没有作为(V联赛的队伍)官方选手被发表的时候,大家可能知道了“是职业选手吧”(笑)。成为职业选手后,如果不做出成绩,下一年就没有球队可去。现在虽然也有经纪人来找我,但不能保证会一直持续下去,所以我觉得这方面非常严峻。
虽然这个赛季还不是职业选手,但是今后必须要以排球为生。感觉是一边抱着事关生活的意识和觉悟,一边准备作为职业选手生活的赛季。
[雪花]决定成为职业选手的理由是?
——最终决定成为职业选手的理由是?
祐希:在现在日本大部分排球选手都不是职业选手的情况下,想要成为职业选手,并不是每个人都能做到的。在这种只有有限的选手能成为职业选手的情况下,如果自己也有机会成为职业选手的话,我想尝试一下。
——石川选手认为的“职业选手”是?
祐希:很难说。我想我现在还在寻找中,单纯地把生活和自己的将来都寄托在排球上。因为排球是我的工作,所以我必须以此为生。
——我认为在V联赛打球的职员选手们在现役期间排球也是工作。职业选手会一年又一年更加严格的追求结果吧。
祐希:那当然。如果自己拿不出成果的话,什么都会结束。没有什么绝对的保证,走得越远越有风险。但是如果在那里成功了的话,之后的世界会变得更加广阔,我想看看那个景色。
如果作为职员进入的话,中途可以转为职业选手,但是只要是职员,基本上都会一直在那一家公司打排球。即使(作为职员)被派遣去海外,最终也必须回来,时间也有限。
我想经历各种各样的事情。我觉得这样无论是对芭蕾还是对人生,对自己都有好处。虽然一旦受伤或失去实力,一切就都结束了。尽管如此,我还是决定选择能积累各种经验的职业选手。
如果是职业选手的话,自己的努力和成果就是一切,如果做出了成果并受到好评的话,就会进入强队,年薪也会提高。这也是我选择职业生涯的理由之一。
[雪花]“将来想在顶级俱乐部获得冠军”
——作为职业选手在海外比赛时,有没有“将来想在这里打球”的队伍?
祐希:虽然还没有这样的队伍,但我想在意大利前四名(佩鲁贾、奇维塔诺瓦、摩德纳、特伦蒂诺)的某个球队打球。在这样的上游队伍中,不仅要努力,还要以冠军为目标。每个队伍都有(优胜的)机会,因为那里是不尝试就不知道的世界,想在其中战斗。
——其中摩德纳是3年前加入的球队,是一直很难参加比赛的球队。有想再在那里打球这种特别的想法吗?
祐希:虽然没有特别“想在摩德纳做!”,但好歹也是老东家(笑)。因为上次是“客人”的感觉,下次想成为能一决胜负的选手再去。还有,对波兰也很感兴趣。日本人的对决也还不错(苦笑)。
因为现在在海外打球的日本选手很少,所以有时候只是去了海外就能引起关注。但是,我想把那个舞台变高。因为现在自己还只是在下游的队伍里打球,所以为了能让大家看到自己在顶级球队里打球的样子,必须要有所成长。如果是日本人对决的话,希望大家都能进入顶尖队伍,比如决赛之类的。
石川祐希が選択した“プロ”という生き方 「世界が広がる、その景色を見てみたい」
米虫紀子
2018年3月26日 11:35
3月25日、バレーボール全日本男子のエース・石川祐希が、プロ選手になることが発表された。
25日はこれまで在籍していた中央大学の卒業式。まだイタリア・セリエAラティーナで今季の試合が残っているため卒業式に出席することはなかったが、区切りの日に合わせて、バレーボール選手として今後の生き方を表明した。
石川は以前から「海外のリーグでプレーしたい」という希望を口にしていた。海外でプレーするにはいろいろな方法がある。昨年、サントリーを退社してプロ選手となり、今季ドイツのバレーボール・バイソンズ・ビュールでプレーしている柳田将洋の例もあれば、Vリーグのチームに所属しながら海外に渡る例もある。
中央大の同級生、大竹壱青はVリーグのパナソニックへの入社が決まっているが、今季はドイツリーグのフランクフルト(ユナイテッド・バレーズ・ラインマイン)でプレーしている。過去にも豊田合成の古賀太一郎(現在はプロ選手としてポーランドリーグでプレー)や、パナソニックの福澤達哉など、Vリーグのチームに所属しながら海外に渡った選手はいた。そんな中で、石川が“プロ”という選択に至った理由や、この先の目標について語ってくれた。
[雪花]プロとして生きる準備をしてきた今シーズン
――今シーズンは、2014−15シーズンのモデナ、昨季のラティーナに続き、3度目のセリエAでのシーズンでした。チームはレギュラーラウンドで14チーム中11位に終わり、下位のプレーオフを戦うことになりました。チームとして、また石川選手自身としても、思い描いていたものとは違ったのではありませんか?
そうですね。実力のある選手は多くいるんですけれど、チームがうまくまとまらなかった結果だと思います。あらためて、いいメンバーがいれば勝てるわけではなく、チームとして機能しないと勝てないと感じました。
――選手がそろっていても、組織になっていなければ勝てない?
組織というか、監督が求めていることを選手がしっかりできているチームが強いと思います。今シーズンのラティーナは、監督が求めていることと、選手のやりたいことが少しマッチしていないと感じていました。なので(上位8チームによる)プレーオフにいけず、という結果でした。
――今シーズンは大学卒業を控え、この先の進路や生き方を考えながら過ごしたシーズンだったと思います。
そうですね。まず内定選手として(Vリーグのチームから)発表されていない時点で、「プロかな」というのは皆さん分かったかもしれませんけど(笑)。プロになったらやっぱり結果を出さないと、次の年に行くチームがない。今はエージェントの方から声をかけていただいていますけれど、それがいつまでも続く保証はないので、そのあたりはすごくシビアだなと思います。
今シーズンはまだプロではなかったですけれど、これからはバレーボールで生きていかないといけない。生活がかかってくる、そういう意識や覚悟を持ちつつ、プロとして生きる準備をしつつやってきたシーズンという感じです。
[雪花]プロ選手になると決断した理由は?
――最終的にプロ選手になると決断した理由は?
今、日本ではほとんどのバレー選手がプロではない中、プロでやっていくというのは、みんなができることではない。限られた選手しかプロになっていない中で、自分にもプロで挑戦できるチャンスがあるならトライしたいと思いました。
――石川選手が考える「プロ」とは?
難しいですね。まだこれから発見していくんだと思いますけれど、単純にバレーボールに生活が、自分の将来がかかっているというのはあります。バレーボールが仕事なので、それで生活していかないといけない。
――Vリーグでプレーする社員の選手も、現役の間はバレーボールが仕事だと思います。プロはよりシビアに1年1年、結果が問われるということでしょうか。
それはもちろんあります。自分が結果を出さないと、ただ終わっていくだけ。保証は間違いなくないですし。その中で極めていくのは、すごくリスクがあります。でもそこで成功したら、その先の世界がすごく広がっていくと思うので、その景色を見てみたいんです。
社員として入れば、途中でプロに変わることはできますけれど、社員でいる限りは基本的にずっとその会社でバレーボールをすることになる。たとえ(社員として)海外に行かせてもらえても、戻ってこなければいけないとか、期間も限られてしまうと思います。
自分はいろいろな経験をしたいんです。その方が、バレー的にも人生的にも、自分のためになると思うので。けがをしたり、実力がなくなったりしたらもう終わりというリスクはあります。それでも自分は、いろいろな経験ができる方に、プロでやっていく方に決めました。
プロだと自分の努力と結果がすべてなので、結果を出して評価されれば、たとえば強いチームに行けたり、年俸が上がったり。そういうところもプロとして生きていく道を選んだ理由の1つです。
[雪花]「将来は上位クラブで優勝を目指したい」
――プロとして海外でやっていく上で、「将来的にここでやりたい」と思うチームはありますか?
ここ、というチームはないんですけれど、イタリアの上位4つ(ペルージャ、チビタノーバ、モデナ、トレンティーノ)のどこかでプレーしたいです。そういう上位チームで、やるだけではなく優勝を目指したい。どのチームにも(優勝の)チャンスがあって、そこはやってみないと分からない世界なので、その中で戦いたいと思いますね。
――その中でモデナは3年前に所属して、なかなか試合に出られなかったチームです。またそこでプレーしたいという特別な思いはありますか?
特別「モデナでやりたい!」というのはないですけれど、一応、古巣ではあるので(笑)。前回は「お客さん」みたいな感じだったので、次は勝負できる選手になってまた行きたいなと思ったりはしますね。あとは、ポーランドも興味がありますね。でも、日本人対決はまだいいかなって(苦笑)。
今は海外でプレーしている日本人選手が少ないので、海外に行っているだけで注目していただけることもあります。でも、そのステージをもっと上にあげたいんです。現状で自分はまだ下位のチームでしかやれていないので、そこはこれから自分がトップチームでやっている姿を見てもらえるように、成長していかないといけない。もし日本人同士で対決するのであれば、お互いにトップチームに行って、例えば決勝とか、そういうところで戦いたいと思いますね。
Victoria
根据真人真事改编,因为年代问题所以越狱的手段非常初级,但电影节奏气氛还不错,能够挑起你紧张的神经!如果忽略这背后的一些真实历史政治方面的问题,纯当成一个部越狱惊悚片还算是可以的!另外丹尼尔一直尝试着各种不同的角色,不断地寻找突破,甚至扮演过“尸体”,但是这么多年了,可惜每个人看见他第一个反应还是“啊!这不是哈利波特嘛”
#千问千寻大运河# 武清区田水铺村:萝卜大棚里,长出了一条致富路
12月下旬,沿着武香路一路向北,刚过廊良公路,就能看到道路两侧一排排的温室大棚,小货车变成临时销售点,稀疏的分散在东侧的路边,一个个立着的招牌上,打着“田水铺”、“萝卜”等关键词,过往的司机,不时会停下脚步,下车购买。
现在,正是天津市武清区大良镇田水铺村青萝卜丰收的季节,家家户户都在自家的大棚中,忙着采摘、销售、打包……38年间,这个靠近北运河东岸,只有200多户的小村庄,靠着种植萝卜,迅速崛起,从一个人均年收入只有2千元左右的贫困村,一跃成为了人均年收入6万元的富裕村。
2月19日,在天津武清大良镇田水铺村菠菜大棚内,农民戴着口罩菠菜幼苗间,有序的忙碌着。
从武香路转向田营路,穿过“田水铺村”的铁牌坊,一条敢闯敢拼的致富路,也在一个个萝卜大棚间徐徐铺开。
贫困村找到了致富经
走进田水铺村,映入眼帘的是干净整洁的街道,纵横交错的柏油路,通入了挨家挨户,更一路绵延至田间地头。
冬日午后,村民们陆续骑着农用三轮车,拉着工具,穿过街巷,直奔自己的萝卜大棚,在很多村庄已经进入了农闲的时候,这里却是一派忙碌的景象。
现在的田水铺村,因种植萝卜而远近闻名,但原来却是个贫困村。
“我们村原来主要是种植大田,收益不高。”回想起过去的日子,60岁的村民屈凤霞说,“刚种萝卜那会,一口人一年差不多有2000块钱的收入,那都觉得不少了,能有现在这样的生活,真是不敢想。”
田水铺村种植萝卜的历史,要从1983年说起。田水铺村党支部书记、主任张书义说,那一年,田水铺村开始了家庭联产承包责任制,有村民尝试着种植萝卜,收益确实比大田要好一些,于是陆续有人加入到种植萝卜的队伍中。
2003年,还是村民代表的张书义被选举为村长。那时候的他就在想,一定要为村民干点实事,“那会种萝卜没有大棚,都是露地萝卜,口味一般,收价4毛钱一斤,一亩地能有2000块钱的收入,我们村人均2亩地,村民们就很高兴很知足了。”
2006年,村民们选举张书义担任村党支部书记。也是同一年,田水铺村的萝卜搞起了创新。
张书义提议建棚种萝卜,然后晚收延后上市,村民们开始心里打鼓,但事实证明,张书义的判断没有错,“萝卜收价一下从4毛变成了8毛,拿出去后,以2块5一斤的价格,全都卖了。”
拔地而起的萝卜大棚
2007年,村民们纷纷加入其中,延后上市的青萝卜,让村民们看到了更大的希望。
也是2007年,国家农业部实施“一村一品”示范村工程,田水铺村被认定为“一村一品”青萝卜生产专业村,得到了资金和政策的支持。
“有了这些资金,我们开始大面积的扣大棚,还成立了蔬菜专业合作社,帮助村民们选种,帮他们提升技术、寻找销路。”张书义说,那之后,田水铺村的萝卜一路飘红。
2009年,萝卜的收价涨到1.5元每斤,打包成箱后,售价能达到每斤7元钱。一直到2012年,田水铺村大棚的萝卜每斤收价达到了1.8元。
但田水铺村并没有满足,村两委班子积极四处奔走考察,希望将萝卜做出更大的文章来。
2015年,田水铺村与天津蔬菜研究所达成技术合作关系,成功引进了名为“七星”的新品种。
“这个萝卜口感甜脆,品质好,产量也高,一下就打动了我们。”张书义说,当年,在党员们的带头种植下,田水铺村七星萝卜种植面积,达到了780余亩,“村民们看着销量好,单价高,也都开始陆续种植,到现在,我们村有1700亩地种植萝卜。周边的村,也都开始陆陆续续的跟着种起了萝卜。”
2018年,武清召开“小兔拔拔”水果萝卜品牌发布会,品牌效应再一次为田水铺村青萝卜的身价加码。
在田水铺村一条武香路之隔的南侧,整齐的排列着一排排,拥有着小型气象站、物联网监控、滴灌等设备的现代化智能大棚,这是“小兔拔拔”的标准化生产基地,占地1530亩。
现在,“小兔拔拔”水果萝卜,已经成功入驻超市近400家,其中包括盒马鲜生、京东7FRESH、物美超市,永旺超市等,线上线下的大型平台和连锁超市。
站在基地的大棚里,张书义告诉记者,“‘小兔拔拔’品牌发布会之后,田水铺村连同周边其他村庄的萝卜,收价平均涨了1块钱,村民们都高兴极了。”
如今,田水铺的萝卜,不仅在国内很多省市进行销售,还出口到了韩国、日本等国家。
生活富裕的有了底气
目前,田水铺村有246户村民,76%以上的村民家在城区买了楼房。
屈凤霞家不仅买了新房,2019年还在村里的老房子前,新建了一处房。屈凤霞说,现在经济条件好了,精神头也特别足,忙的时候,她也会不管白天黑天的,跟着去大棚帮帮忙,虽然有时候会辛苦一些,但感觉每天都过得特别幸福、快乐。
这个季节,田水铺村的大棚里,经常能够看到村民们忙碌的身影。
12月23日,从早晨9点多,进入大棚坐定,打开3台手机,开始直播,一直到晚上4点多,28岁的丁淑曼跟10几万粉丝说再见后,关闭了直播间,起身活动了一下筋骨。
这一天,她的直播销量有200多箱,“其实现在还不算忙,最忙的时候,是快过年的那些日子,有时候要直播到半夜,一天能卖600多箱,还得雇人帮着装箱打包。”丁淑曼笑着说,大学毕业后,她跟着爱人一起回到了田水铺村,开始种植萝卜。
这是她做直播销售自家萝卜的第4年,萝卜每年可以从10月下旬,一直卖到春节之后。
记者在丁淑曼的萝卜大棚里停留的1个小时里,丁淑曼的手机不时的响起,不是微信顾客的新订单,就是打电话询问地址,打算亲自来大棚采摘的顾客。
2020年,丁淑曼家20多亩地的萝卜,纯利润达到了50万元左右,“我家还不是卖的最好的,比我们卖的还好的,有的是。”
从大城市回到农村种地,在丁淑曼看来并非难事。丁淑曼说,现在农村发展的都特别好,给年轻人的机会也多,回村发展比在城市打拼赚得更多,虽然有时很辛苦,但却让她的生活更有底气。
越来越好的乡村发展
从2003年村集体收入只有三四万元,到2020年村集体收入30万元,30%以上的村民年收入超过10万元,全村人平均年收入6万元。田水铺村的村民们,走向了富裕。
2014年,在帮扶组的支持下,村内硬化了胡同里巷及主干道路6500平方米,修建排污渠400余米,建设了1500平方米的多功能健身广场,还栽种了不同种类的观赏苗木。2020年,田水铺村又对村内的厕所、地下污水管网,进行了统一改造。
“下一步,我们要对乡村进行更大的提升改造,让我们的村容村貌变得更好。”张书义说,未来,田水铺村要筹划做一些与萝卜有关的深加工产品,然后建造民宿,让旅游业与农业、产业相结合,增加村集体和村民们的收入,“我们的目标是,把田水铺村打造成集农业、产业、旅游业于一体的,新农村的典范,努力实现我们的乡村振兴梦。”
12月下旬,沿着武香路一路向北,刚过廊良公路,就能看到道路两侧一排排的温室大棚,小货车变成临时销售点,稀疏的分散在东侧的路边,一个个立着的招牌上,打着“田水铺”、“萝卜”等关键词,过往的司机,不时会停下脚步,下车购买。
现在,正是天津市武清区大良镇田水铺村青萝卜丰收的季节,家家户户都在自家的大棚中,忙着采摘、销售、打包……38年间,这个靠近北运河东岸,只有200多户的小村庄,靠着种植萝卜,迅速崛起,从一个人均年收入只有2千元左右的贫困村,一跃成为了人均年收入6万元的富裕村。
2月19日,在天津武清大良镇田水铺村菠菜大棚内,农民戴着口罩菠菜幼苗间,有序的忙碌着。
从武香路转向田营路,穿过“田水铺村”的铁牌坊,一条敢闯敢拼的致富路,也在一个个萝卜大棚间徐徐铺开。
贫困村找到了致富经
走进田水铺村,映入眼帘的是干净整洁的街道,纵横交错的柏油路,通入了挨家挨户,更一路绵延至田间地头。
冬日午后,村民们陆续骑着农用三轮车,拉着工具,穿过街巷,直奔自己的萝卜大棚,在很多村庄已经进入了农闲的时候,这里却是一派忙碌的景象。
现在的田水铺村,因种植萝卜而远近闻名,但原来却是个贫困村。
“我们村原来主要是种植大田,收益不高。”回想起过去的日子,60岁的村民屈凤霞说,“刚种萝卜那会,一口人一年差不多有2000块钱的收入,那都觉得不少了,能有现在这样的生活,真是不敢想。”
田水铺村种植萝卜的历史,要从1983年说起。田水铺村党支部书记、主任张书义说,那一年,田水铺村开始了家庭联产承包责任制,有村民尝试着种植萝卜,收益确实比大田要好一些,于是陆续有人加入到种植萝卜的队伍中。
2003年,还是村民代表的张书义被选举为村长。那时候的他就在想,一定要为村民干点实事,“那会种萝卜没有大棚,都是露地萝卜,口味一般,收价4毛钱一斤,一亩地能有2000块钱的收入,我们村人均2亩地,村民们就很高兴很知足了。”
2006年,村民们选举张书义担任村党支部书记。也是同一年,田水铺村的萝卜搞起了创新。
张书义提议建棚种萝卜,然后晚收延后上市,村民们开始心里打鼓,但事实证明,张书义的判断没有错,“萝卜收价一下从4毛变成了8毛,拿出去后,以2块5一斤的价格,全都卖了。”
拔地而起的萝卜大棚
2007年,村民们纷纷加入其中,延后上市的青萝卜,让村民们看到了更大的希望。
也是2007年,国家农业部实施“一村一品”示范村工程,田水铺村被认定为“一村一品”青萝卜生产专业村,得到了资金和政策的支持。
“有了这些资金,我们开始大面积的扣大棚,还成立了蔬菜专业合作社,帮助村民们选种,帮他们提升技术、寻找销路。”张书义说,那之后,田水铺村的萝卜一路飘红。
2009年,萝卜的收价涨到1.5元每斤,打包成箱后,售价能达到每斤7元钱。一直到2012年,田水铺村大棚的萝卜每斤收价达到了1.8元。
但田水铺村并没有满足,村两委班子积极四处奔走考察,希望将萝卜做出更大的文章来。
2015年,田水铺村与天津蔬菜研究所达成技术合作关系,成功引进了名为“七星”的新品种。
“这个萝卜口感甜脆,品质好,产量也高,一下就打动了我们。”张书义说,当年,在党员们的带头种植下,田水铺村七星萝卜种植面积,达到了780余亩,“村民们看着销量好,单价高,也都开始陆续种植,到现在,我们村有1700亩地种植萝卜。周边的村,也都开始陆陆续续的跟着种起了萝卜。”
2018年,武清召开“小兔拔拔”水果萝卜品牌发布会,品牌效应再一次为田水铺村青萝卜的身价加码。
在田水铺村一条武香路之隔的南侧,整齐的排列着一排排,拥有着小型气象站、物联网监控、滴灌等设备的现代化智能大棚,这是“小兔拔拔”的标准化生产基地,占地1530亩。
现在,“小兔拔拔”水果萝卜,已经成功入驻超市近400家,其中包括盒马鲜生、京东7FRESH、物美超市,永旺超市等,线上线下的大型平台和连锁超市。
站在基地的大棚里,张书义告诉记者,“‘小兔拔拔’品牌发布会之后,田水铺村连同周边其他村庄的萝卜,收价平均涨了1块钱,村民们都高兴极了。”
如今,田水铺的萝卜,不仅在国内很多省市进行销售,还出口到了韩国、日本等国家。
生活富裕的有了底气
目前,田水铺村有246户村民,76%以上的村民家在城区买了楼房。
屈凤霞家不仅买了新房,2019年还在村里的老房子前,新建了一处房。屈凤霞说,现在经济条件好了,精神头也特别足,忙的时候,她也会不管白天黑天的,跟着去大棚帮帮忙,虽然有时候会辛苦一些,但感觉每天都过得特别幸福、快乐。
这个季节,田水铺村的大棚里,经常能够看到村民们忙碌的身影。
12月23日,从早晨9点多,进入大棚坐定,打开3台手机,开始直播,一直到晚上4点多,28岁的丁淑曼跟10几万粉丝说再见后,关闭了直播间,起身活动了一下筋骨。
这一天,她的直播销量有200多箱,“其实现在还不算忙,最忙的时候,是快过年的那些日子,有时候要直播到半夜,一天能卖600多箱,还得雇人帮着装箱打包。”丁淑曼笑着说,大学毕业后,她跟着爱人一起回到了田水铺村,开始种植萝卜。
这是她做直播销售自家萝卜的第4年,萝卜每年可以从10月下旬,一直卖到春节之后。
记者在丁淑曼的萝卜大棚里停留的1个小时里,丁淑曼的手机不时的响起,不是微信顾客的新订单,就是打电话询问地址,打算亲自来大棚采摘的顾客。
2020年,丁淑曼家20多亩地的萝卜,纯利润达到了50万元左右,“我家还不是卖的最好的,比我们卖的还好的,有的是。”
从大城市回到农村种地,在丁淑曼看来并非难事。丁淑曼说,现在农村发展的都特别好,给年轻人的机会也多,回村发展比在城市打拼赚得更多,虽然有时很辛苦,但却让她的生活更有底气。
越来越好的乡村发展
从2003年村集体收入只有三四万元,到2020年村集体收入30万元,30%以上的村民年收入超过10万元,全村人平均年收入6万元。田水铺村的村民们,走向了富裕。
2014年,在帮扶组的支持下,村内硬化了胡同里巷及主干道路6500平方米,修建排污渠400余米,建设了1500平方米的多功能健身广场,还栽种了不同种类的观赏苗木。2020年,田水铺村又对村内的厕所、地下污水管网,进行了统一改造。
“下一步,我们要对乡村进行更大的提升改造,让我们的村容村貌变得更好。”张书义说,未来,田水铺村要筹划做一些与萝卜有关的深加工产品,然后建造民宿,让旅游业与农业、产业相结合,增加村集体和村民们的收入,“我们的目标是,把田水铺村打造成集农业、产业、旅游业于一体的,新农村的典范,努力实现我们的乡村振兴梦。”
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