世界との差は詰まったか…石川祐希、西田有志、高橋藍にバレー復権の夢を抱く
1972年ミュンヘン五輪、バレーボール男子の全日本を知っているだろうか。初の金メダルから半世紀もの時が流れた。再び、夢が見たいのである。スター選手たちが、世界一になる夢を-。
ストーリーズ2022.08.23 11:04
益子浩一
ネーションズリーグ・ブラジル戦に感じた希望
結果と、抱いた感覚-
そこに大きな隔たりがある。
結果は0-3で強国ブラジルにストレート負け。
そこに言い訳の余地はないだろう。
勝負の世界。
ことスポーツに関しては、汗と涙にまみれた努力の過程が感動を呼ぶことが多々あっても、結果こそが重要視される。
負けは負け。
オリンピック競技であれば10年、20年、たとえ半世紀が過ぎたとしても、メダリストは称賛され、歴史にも記憶にも刻まれる。
ただ、確かな感覚が、あったのである。
世界に近づいている。
五輪のメダルはそう遠くはない。
そう思える感覚が。
それは、コートに立った選手にしか分からないものだった。
もしかすると、錯覚なのかも知れない。
これから歩む過程に、その答えはある。
2024年パリ五輪へと続く道に。
その途中に世界選手権(8月26日開幕)を控える。
あるいは、そこで答えは見えるのかも知れない。
ただ、1つ言えること。
それは、バレーボール男子の日本は、近年になく期待が持てそうだという事実。
主将でエースの石川祐希に西田有志、成長著しい高橋藍。
可能性を秘めるスター選手がそろっている。
彼らには、夢を抱いてしまう何かが、あるような気がしている。
同じ「結果」でも、違った「感触」
朝潮橋駅からほど近い丸善インテックアリーナ大阪は連日、満員の観衆で埋まった。
7月に開催されたバレーボール・ネーションズリーグ男子の大阪大会。
予選ラウンドの最終週、その最終戦を終えた西田有志は悔しさとともに、どこか手応えのようなものをつかんでいるように見えた。
記者会見場。彼の言葉は印象的だった。
「4連勝を目指していた中で1、2点の差。やっとブラジルを相手に、ここまで来れたという思いです」
大観衆の後押しを受けた大阪大会はオーストラリア、カナダ、ドイツと破り3連勝。大会時点で世界ランク7位に上昇していた日本は、1993年のワールドリーグ以来、公式戦では長らく勝てていない同2位のブラジルと対戦した。
東京五輪の準々決勝でもストレート負けした相手。
雪辱を期したが、またしても0-3(23-25、23-25、22-25)の敗戦。
「結果」は同じ。
だが-。
「感覚」は違った。
コート上、西田が肌で感じたのはこんなものだった。
「僕が初めてブラジルとやったのは2019年のネーションズリーグ、東京ラウンドでした。
あの時は、『打っても決まらないだろうな』というメンタルでやっていた。キャパがなかったんですね。選手としての小ささを感じたのを覚えています。
今回はイタリア(セリエA)で何回も試合をしたことのあるメンバーで、ブロックでどう(ブラジルが)跳んでくるかという、クセも分かる。
なので、自分がこうすれば決まるというというのがありました。
迷いなくプレーできるまでに近づいている。
チームスポーツは1人では取れないんでね。でも、組織や(チームメートとの)関係性でもだんだんと。
0-3で負けても、組織としても(ブラジルに)近づいている」
本気で勝ちに行ったからこその収穫
数字には表れることのない感覚-。
彼の言葉を借りるなら、相手の「クセ」を見抜いた上で生まれるちょっとした余裕が、選手としての「キャパ」になるのだろう。
現時点でそれがスコアにつながることはなくても、小さな積み重ねが結果という大きな収穫になる。
それが分かっているからこそ、こう続けた。
「格上の相手にこういう勝負をすることができた。
本気で(ブラジルに)勝ちにいって負けたからこそ、次につながる。
(負けて)仕方がないではなく、これをこうすれば勝てるというところまで来た。
あとは体現するだけです」
ストレート負けした3セット中、2セットが2点差、1セットが3点差。
特に石川、西田のサービスエースで食らいついた第1セットは終盤、23-24までもつれた。
第2セットも14-14、19-19と大接戦。一時は大塚のスパイクが決まって22-21と勝ち越した。
23-23ともつれながら、最後に連続得点を許した。
世界トップレベルの国との真剣勝負。
確かに日本は、手を伸ばせば届くところまで世界に近づいているのである。
それは高橋藍の言葉からもうかがい知ることができる。
「世界のトップと戦う力がついてきた。そう感じることができました。
最後の1本のスパイク、0・1秒の差の駆け引き。
試合中に修正しながら、どう対応するか。今回はゲーム中にやれなかったことが課題として残った。
ちょっとした気の緩みでスピードや高さにもっていかれてしまう。
レベルが上がるにつれて、もっと集中力を研ぎ澄ませないといけないです」
予選を9勝3敗で終えた日本は、ネーションズリーグで初めて上位8カ国(16カ国中)による決勝大会(イタリア・ボローニャ)に進む。
だが、現地入り後に主将でエースの石川祐希が左足首を負傷。精神的支柱を欠き、準々決勝で東京五輪金メダルのフランスに0-3のストレートで敗れる。
差は埋まっているのか-
やはり、錯覚だったのか-
世界選手権がパリ五輪の試金石に
8月26日には世界選手権(ポーランド、スロベニア共催)が幕を開ける。
ネーションズリーグで敗れたのはブラジル、フランス、アメリカの3カ国。24年パリ五輪でのメダル獲得への道の途中で、世界ランク上位国に勝つことが必要になってくる。
この夏、石川は治療とリハビリに専念してきた。
「勝って自信をつけるしかない。
勝つ回数を増やしていくしかないです」
まずは予選突破。
日本は世界選手権の1次リーグB組でカタール、ブラジル、キューバと対戦する。
「カタール、キューバには勝って、ブラジルにもチャンスがあると思う。ベスト8には入って、準々決勝で勝つことを大事にしたい」
確実に8強入り。
その先、4強の壁を越えることができれば、進む道に光が差し込む。
世界選手権は1970、74年の銅メダルが最高成績。
オリンピックは1964年東京五輪金の東洋の魔女から遅れること8年。
1972年ミュンヘン五輪で、団体では日本男子初の金を獲得したのを最後にメダルから遠ざかる。
当時の「一人時間差攻撃」「Bクイック」は革新的だった。
あれから半世紀の時が流れた。
世界選手権を経て、パリ五輪へ。
世界に近づいているという、あの「感覚」。
大阪で感じたものが間違いではなかったということを、示す舞台。
進む道は、明確になったのである。
Victoria
1972年ミュンヘン五輪、バレーボール男子の全日本を知っているだろうか。初の金メダルから半世紀もの時が流れた。再び、夢が見たいのである。スター選手たちが、世界一になる夢を-。
ストーリーズ2022.08.23 11:04
益子浩一
ネーションズリーグ・ブラジル戦に感じた希望
結果と、抱いた感覚-
そこに大きな隔たりがある。
結果は0-3で強国ブラジルにストレート負け。
そこに言い訳の余地はないだろう。
勝負の世界。
ことスポーツに関しては、汗と涙にまみれた努力の過程が感動を呼ぶことが多々あっても、結果こそが重要視される。
負けは負け。
オリンピック競技であれば10年、20年、たとえ半世紀が過ぎたとしても、メダリストは称賛され、歴史にも記憶にも刻まれる。
ただ、確かな感覚が、あったのである。
世界に近づいている。
五輪のメダルはそう遠くはない。
そう思える感覚が。
それは、コートに立った選手にしか分からないものだった。
もしかすると、錯覚なのかも知れない。
これから歩む過程に、その答えはある。
2024年パリ五輪へと続く道に。
その途中に世界選手権(8月26日開幕)を控える。
あるいは、そこで答えは見えるのかも知れない。
ただ、1つ言えること。
それは、バレーボール男子の日本は、近年になく期待が持てそうだという事実。
主将でエースの石川祐希に西田有志、成長著しい高橋藍。
可能性を秘めるスター選手がそろっている。
彼らには、夢を抱いてしまう何かが、あるような気がしている。
同じ「結果」でも、違った「感触」
朝潮橋駅からほど近い丸善インテックアリーナ大阪は連日、満員の観衆で埋まった。
7月に開催されたバレーボール・ネーションズリーグ男子の大阪大会。
予選ラウンドの最終週、その最終戦を終えた西田有志は悔しさとともに、どこか手応えのようなものをつかんでいるように見えた。
記者会見場。彼の言葉は印象的だった。
「4連勝を目指していた中で1、2点の差。やっとブラジルを相手に、ここまで来れたという思いです」
大観衆の後押しを受けた大阪大会はオーストラリア、カナダ、ドイツと破り3連勝。大会時点で世界ランク7位に上昇していた日本は、1993年のワールドリーグ以来、公式戦では長らく勝てていない同2位のブラジルと対戦した。
東京五輪の準々決勝でもストレート負けした相手。
雪辱を期したが、またしても0-3(23-25、23-25、22-25)の敗戦。
「結果」は同じ。
だが-。
「感覚」は違った。
コート上、西田が肌で感じたのはこんなものだった。
「僕が初めてブラジルとやったのは2019年のネーションズリーグ、東京ラウンドでした。
あの時は、『打っても決まらないだろうな』というメンタルでやっていた。キャパがなかったんですね。選手としての小ささを感じたのを覚えています。
今回はイタリア(セリエA)で何回も試合をしたことのあるメンバーで、ブロックでどう(ブラジルが)跳んでくるかという、クセも分かる。
なので、自分がこうすれば決まるというというのがありました。
迷いなくプレーできるまでに近づいている。
チームスポーツは1人では取れないんでね。でも、組織や(チームメートとの)関係性でもだんだんと。
0-3で負けても、組織としても(ブラジルに)近づいている」
本気で勝ちに行ったからこその収穫
数字には表れることのない感覚-。
彼の言葉を借りるなら、相手の「クセ」を見抜いた上で生まれるちょっとした余裕が、選手としての「キャパ」になるのだろう。
現時点でそれがスコアにつながることはなくても、小さな積み重ねが結果という大きな収穫になる。
それが分かっているからこそ、こう続けた。
「格上の相手にこういう勝負をすることができた。
本気で(ブラジルに)勝ちにいって負けたからこそ、次につながる。
(負けて)仕方がないではなく、これをこうすれば勝てるというところまで来た。
あとは体現するだけです」
ストレート負けした3セット中、2セットが2点差、1セットが3点差。
特に石川、西田のサービスエースで食らいついた第1セットは終盤、23-24までもつれた。
第2セットも14-14、19-19と大接戦。一時は大塚のスパイクが決まって22-21と勝ち越した。
23-23ともつれながら、最後に連続得点を許した。
世界トップレベルの国との真剣勝負。
確かに日本は、手を伸ばせば届くところまで世界に近づいているのである。
それは高橋藍の言葉からもうかがい知ることができる。
「世界のトップと戦う力がついてきた。そう感じることができました。
最後の1本のスパイク、0・1秒の差の駆け引き。
試合中に修正しながら、どう対応するか。今回はゲーム中にやれなかったことが課題として残った。
ちょっとした気の緩みでスピードや高さにもっていかれてしまう。
レベルが上がるにつれて、もっと集中力を研ぎ澄ませないといけないです」
予選を9勝3敗で終えた日本は、ネーションズリーグで初めて上位8カ国(16カ国中)による決勝大会(イタリア・ボローニャ)に進む。
だが、現地入り後に主将でエースの石川祐希が左足首を負傷。精神的支柱を欠き、準々決勝で東京五輪金メダルのフランスに0-3のストレートで敗れる。
差は埋まっているのか-
やはり、錯覚だったのか-
世界選手権がパリ五輪の試金石に
8月26日には世界選手権(ポーランド、スロベニア共催)が幕を開ける。
ネーションズリーグで敗れたのはブラジル、フランス、アメリカの3カ国。24年パリ五輪でのメダル獲得への道の途中で、世界ランク上位国に勝つことが必要になってくる。
この夏、石川は治療とリハビリに専念してきた。
「勝って自信をつけるしかない。
勝つ回数を増やしていくしかないです」
まずは予選突破。
日本は世界選手権の1次リーグB組でカタール、ブラジル、キューバと対戦する。
「カタール、キューバには勝って、ブラジルにもチャンスがあると思う。ベスト8には入って、準々決勝で勝つことを大事にしたい」
確実に8強入り。
その先、4強の壁を越えることができれば、進む道に光が差し込む。
世界選手権は1970、74年の銅メダルが最高成績。
オリンピックは1964年東京五輪金の東洋の魔女から遅れること8年。
1972年ミュンヘン五輪で、団体では日本男子初の金を獲得したのを最後にメダルから遠ざかる。
当時の「一人時間差攻撃」「Bクイック」は革新的だった。
あれから半世紀の時が流れた。
世界選手権を経て、パリ五輪へ。
世界に近づいているという、あの「感覚」。
大阪で感じたものが間違いではなかったということを、示す舞台。
進む道は、明確になったのである。
Victoria
#菅井友香[超话]#
大好きなみなさまへ
みなさんこんばんは
お元気ですか?
今日はいつも応援して下さる大切なみなさまにお伝えしたい事があり、
ブログを書かせて頂きました。
少し長くなってしまいますが
最後まで読んでくださったら嬉しいです。
私 菅井友香は、2022年のツアーファイナルをもって卒業させて頂くことになりました。
沢山考えた上での、前向きな卒業です!
本当は卒業をお伝えした上で、
アルバム発売を記念したミート&グリート初日を迎える事を予定して準備していました。
しかし今回、『W-KEYAKI FES.2022』を延期せざるを得なくなってしまいました。
このフェスをもって卒業する、尾関と葵をきちんと送り出してから発表させて頂くことになり
予定より遅いタイミングでお知らせさせて頂く形となりました。
みなさまにもっと早くお伝えしたくて心苦しかったのですが、ごめんなさい。
これまでの活動を少し振り返らせて頂くと
ちょうど7年前である
2015年8月21日
欅坂46の1期生メンバーに選んで頂きました。
あれから長い夢を見ているかのような
波乱万丈なアイドル人生を歩ませて頂いています!
私は小さい頃から自分が不器用であることに悩んできました。
将来について考えていた時
こんな自分でも誰かの力になって
生まれてきた意味を見つけられたらいいな
と思ってオーディションを受けました。
思い切って飛び込んだ世界では
人生において忘れられない貴重な体験を沢山させて頂きました。
大先輩である乃木坂46さんの存在もあり
恵まれた環境で活動させて頂けたこと、とても感謝しています。
数々の思い出深い素敵な楽曲に巡り合うことができたことは、嬉しかったことの一つです。
デビュー曲
『サイレントマジョリティー』には自分自身も背中を押して貰いました。
また、この道を選択しなければ巡り会えていなかったかもしれない一人一人との出逢いは、奇跡のように感じます。
応援してくださるBuddiesのみなさま、
日々熱心にサポートして下さっているスタッフのみなさま、
お仕事で出会った多くのみなさま、
尊敬する先輩方、ひらがなけやきとして仲間になってくれた日向坂46のみんな、
そしてかけがえのない存在である欅坂46・櫻坂46メンバーのみんな、、、
数えきれない程のご縁は、私にとって大切な大切な宝物です。
嬉しかったことが沢山あった分、
多くの試練や衝撃的な出来事、
自分だけの力ではどうにもならないことが次々と押し寄せ
活動を続けることが苦しくなった時期もありました。
キャプテンとしての責任を果たすために
時に孤独感や無力感に襲われることも有り、
何度も自分が嫌になりました。
そんな時、ありのままの私を受け入れて、一緒に喜んだり、時に悔しさをも共有して下さるみなさんがとってもとっても心強くて…
みなさんの存在がいつの日か自信に繋がり、
何にも代え難い原動力となっていました。
思い出すだけで胸が締め付けられるような経験も、
きっと全て必要な学びだったんだと思います。
誰もが認めるキャプテンらしいキャプテンにはなれなかったかもしれませんが、
私なりに考え尽くした上で
その都度最善だと思う行動をしてきました。
信じてついてきてくださったみなさん、
一緒に歩んでくれたメンバーのみんなに
沢山ありがとうを伝えたいです。
これまでの欅坂46・櫻坂46としての活動を通して
少しでも誰かの希望になることができていますように。
卒業を決断することができたのは、
信頼している戦友である1期生の存在と
可愛くて頼もしい2期生のみんなの成長を実感し、
安心してグループの未来を託したいと思えたからです。
そして、1人の人間として
今までの経験を大切にしながら
もう一度自分らしく、心に正直に生きたいという思いが芽生えました。
新たな挑戦に不安が無いわけではありません。
でも、欅坂46と櫻坂46がそうだったように、
勇気が要ると思う場所にこそ
新しくて楽しい世界や可能性が広がっていると信じています。
これからはもっと自分自身と向き合う時間を増やして
今までにない経験や挑戦を沢山して
想像もしていない事に出会ったり、新鮮な発見をしたりしながら、心の豊かな成熟した人になりたいです。
そして、誰かに感動や力をお届けする活動ができるよう、道を切り開いて行きたいです。
今後もみなさんと何かしらの形でお会いできるよう努力して行きます!
きっと1人になっても、櫻坂の楽曲にあるように、
思ったよりも寂しくないはずです。
卒業の日まであと約2ヶ月。
どんな時も協力してくれた家族をはじめ
沢山の方々に支えて頂き、今があります。
ここからの時間は
今そばにいてくださる方はもちろん
ここまで連れてきてくださった全ての方々への感謝を伝える時間にしたいなと思っています。
9月から始まる全国ツアーでは6都市も回らせて頂ける予定です!
それぞれの場所で、皆さまのお顔を見ながら、今までの感謝を込めて精一杯パフォーマンスをさせて頂きます。
一緒に忘れられない時間を過ごすことが出来たら嬉しいです。
そして、最後のステージが、櫻坂46としてもう一度みんなで立つことが夢だった東京ドームであること、
本当にありがたく幸せです!
沢山の方々のご尽力のお陰であの場所に立てる事に感謝しながら、
大好きなメンバーと共に7年間の集大成のパフォーマンスが出来るよう準備して行きたいと思います‼︎
ツアーファイナルとして、
櫻坂の今後が楽しみになるようなライブに出来たらと思っているので
1人でも多くの方に見届けて頂けたら嬉しいです
また、沢山応援してくださった皆さんに卒業のことを知って頂いた上で直接お礼をお伝えしたかったので
追加でミート&グリートを開催して頂ける事にもなりました!
ご負担をおかけしてしまうかもしれませんが
ぜひお話しに来てくださったら嬉しいです☺︎
詳細が決まり次第、お伝えさせて頂きますね。
櫻坂46の菅井友香でいられる最後の一瞬まで、少しでもグループの力になりたいです。
一日一日を大切に、心を込めて過ごしますので
ずっとずっと見守っていて下さったら嬉しいです。
これからも櫻坂46の応援、よろしくお願いします!
長くなってしまいましたが
最後までお読み頂きありがとうございました。
大好きなみなさまへ
みなさんこんばんは
お元気ですか?
今日はいつも応援して下さる大切なみなさまにお伝えしたい事があり、
ブログを書かせて頂きました。
少し長くなってしまいますが
最後まで読んでくださったら嬉しいです。
私 菅井友香は、2022年のツアーファイナルをもって卒業させて頂くことになりました。
沢山考えた上での、前向きな卒業です!
本当は卒業をお伝えした上で、
アルバム発売を記念したミート&グリート初日を迎える事を予定して準備していました。
しかし今回、『W-KEYAKI FES.2022』を延期せざるを得なくなってしまいました。
このフェスをもって卒業する、尾関と葵をきちんと送り出してから発表させて頂くことになり
予定より遅いタイミングでお知らせさせて頂く形となりました。
みなさまにもっと早くお伝えしたくて心苦しかったのですが、ごめんなさい。
これまでの活動を少し振り返らせて頂くと
ちょうど7年前である
2015年8月21日
欅坂46の1期生メンバーに選んで頂きました。
あれから長い夢を見ているかのような
波乱万丈なアイドル人生を歩ませて頂いています!
私は小さい頃から自分が不器用であることに悩んできました。
将来について考えていた時
こんな自分でも誰かの力になって
生まれてきた意味を見つけられたらいいな
と思ってオーディションを受けました。
思い切って飛び込んだ世界では
人生において忘れられない貴重な体験を沢山させて頂きました。
大先輩である乃木坂46さんの存在もあり
恵まれた環境で活動させて頂けたこと、とても感謝しています。
数々の思い出深い素敵な楽曲に巡り合うことができたことは、嬉しかったことの一つです。
デビュー曲
『サイレントマジョリティー』には自分自身も背中を押して貰いました。
また、この道を選択しなければ巡り会えていなかったかもしれない一人一人との出逢いは、奇跡のように感じます。
応援してくださるBuddiesのみなさま、
日々熱心にサポートして下さっているスタッフのみなさま、
お仕事で出会った多くのみなさま、
尊敬する先輩方、ひらがなけやきとして仲間になってくれた日向坂46のみんな、
そしてかけがえのない存在である欅坂46・櫻坂46メンバーのみんな、、、
数えきれない程のご縁は、私にとって大切な大切な宝物です。
嬉しかったことが沢山あった分、
多くの試練や衝撃的な出来事、
自分だけの力ではどうにもならないことが次々と押し寄せ
活動を続けることが苦しくなった時期もありました。
キャプテンとしての責任を果たすために
時に孤独感や無力感に襲われることも有り、
何度も自分が嫌になりました。
そんな時、ありのままの私を受け入れて、一緒に喜んだり、時に悔しさをも共有して下さるみなさんがとってもとっても心強くて…
みなさんの存在がいつの日か自信に繋がり、
何にも代え難い原動力となっていました。
思い出すだけで胸が締め付けられるような経験も、
きっと全て必要な学びだったんだと思います。
誰もが認めるキャプテンらしいキャプテンにはなれなかったかもしれませんが、
私なりに考え尽くした上で
その都度最善だと思う行動をしてきました。
信じてついてきてくださったみなさん、
一緒に歩んでくれたメンバーのみんなに
沢山ありがとうを伝えたいです。
これまでの欅坂46・櫻坂46としての活動を通して
少しでも誰かの希望になることができていますように。
卒業を決断することができたのは、
信頼している戦友である1期生の存在と
可愛くて頼もしい2期生のみんなの成長を実感し、
安心してグループの未来を託したいと思えたからです。
そして、1人の人間として
今までの経験を大切にしながら
もう一度自分らしく、心に正直に生きたいという思いが芽生えました。
新たな挑戦に不安が無いわけではありません。
でも、欅坂46と櫻坂46がそうだったように、
勇気が要ると思う場所にこそ
新しくて楽しい世界や可能性が広がっていると信じています。
これからはもっと自分自身と向き合う時間を増やして
今までにない経験や挑戦を沢山して
想像もしていない事に出会ったり、新鮮な発見をしたりしながら、心の豊かな成熟した人になりたいです。
そして、誰かに感動や力をお届けする活動ができるよう、道を切り開いて行きたいです。
今後もみなさんと何かしらの形でお会いできるよう努力して行きます!
きっと1人になっても、櫻坂の楽曲にあるように、
思ったよりも寂しくないはずです。
卒業の日まであと約2ヶ月。
どんな時も協力してくれた家族をはじめ
沢山の方々に支えて頂き、今があります。
ここからの時間は
今そばにいてくださる方はもちろん
ここまで連れてきてくださった全ての方々への感謝を伝える時間にしたいなと思っています。
9月から始まる全国ツアーでは6都市も回らせて頂ける予定です!
それぞれの場所で、皆さまのお顔を見ながら、今までの感謝を込めて精一杯パフォーマンスをさせて頂きます。
一緒に忘れられない時間を過ごすことが出来たら嬉しいです。
そして、最後のステージが、櫻坂46としてもう一度みんなで立つことが夢だった東京ドームであること、
本当にありがたく幸せです!
沢山の方々のご尽力のお陰であの場所に立てる事に感謝しながら、
大好きなメンバーと共に7年間の集大成のパフォーマンスが出来るよう準備して行きたいと思います‼︎
ツアーファイナルとして、
櫻坂の今後が楽しみになるようなライブに出来たらと思っているので
1人でも多くの方に見届けて頂けたら嬉しいです
また、沢山応援してくださった皆さんに卒業のことを知って頂いた上で直接お礼をお伝えしたかったので
追加でミート&グリートを開催して頂ける事にもなりました!
ご負担をおかけしてしまうかもしれませんが
ぜひお話しに来てくださったら嬉しいです☺︎
詳細が決まり次第、お伝えさせて頂きますね。
櫻坂46の菅井友香でいられる最後の一瞬まで、少しでもグループの力になりたいです。
一日一日を大切に、心を込めて過ごしますので
ずっとずっと見守っていて下さったら嬉しいです。
これからも櫻坂46の応援、よろしくお願いします!
長くなってしまいましたが
最後までお読み頂きありがとうございました。
8月22日(月)【仙台育英·折桂甲子园】
仙台育英は1989年の夏、2001年の春、2015年夏に続く4度目の決勝で、ついに春夏通じて初めての頂点に立った。試合後の須江監督は、グラウンドでのインタビューで目に涙を浮かべ、万感の表情。「100年開かなかった扉が開いたので、多くの人の顔が浮かびました」とこの優勝の意義を語った。「準決勝に勝った段階で、たくさんのメッセージを頂いていたので、それに答えられて何より」と言葉をつむぐ。
また、今年の3年生は新型コロナウイルスの感染が広がった2020年の春に入学してきた。「入学どころか中学校の卒業式もちゃんとできなくて、僕たちが過ごしてきた高校生活と違う。青春って密なのに『ダメだダメだ』と言われて、どこかで止まってしまう中でもあきらめないでやってくれたこと。全国の高校生のみんながほんとによくやってくれて、今日の下関国際さんもそうですし、大阪桐蔭さんとか目標になるチームが会った中で走っていけた。全ての高校生の努力の結果」と、全国の球児に向けたエールで締めていた。
#日语[超话]#
仙台育英は1989年の夏、2001年の春、2015年夏に続く4度目の決勝で、ついに春夏通じて初めての頂点に立った。試合後の須江監督は、グラウンドでのインタビューで目に涙を浮かべ、万感の表情。「100年開かなかった扉が開いたので、多くの人の顔が浮かびました」とこの優勝の意義を語った。「準決勝に勝った段階で、たくさんのメッセージを頂いていたので、それに答えられて何より」と言葉をつむぐ。
また、今年の3年生は新型コロナウイルスの感染が広がった2020年の春に入学してきた。「入学どころか中学校の卒業式もちゃんとできなくて、僕たちが過ごしてきた高校生活と違う。青春って密なのに『ダメだダメだ』と言われて、どこかで止まってしまう中でもあきらめないでやってくれたこと。全国の高校生のみんながほんとによくやってくれて、今日の下関国際さんもそうですし、大阪桐蔭さんとか目標になるチームが会った中で走っていけた。全ての高校生の努力の結果」と、全国の球児に向けたエールで締めていた。
#日语[超话]#
✋热门推荐