【わたし達はおとな】

“自分”の範疇を超えていく――木竜麻生&藤原季節に訪れた、カメラの存在を完全に忘れた瞬間

――本作には、どのような経緯で参加することになったのでしょうか? 木竜さんは、加藤監督とは初タッグとなりました。

木竜:送られてきた脚本を読ませていただき、すぐにマネージャーさんと話したんです。「(脚本が)面白い。この作品はやろう」と。脚本は、最初から最後まで面白いと、純粋に感じましたし「2人(=優実と直哉)の事を見てみたい」と思いました。

――藤原さんは、加藤監督が演出した舞台「まゆをひそめて、僕を笑って」(2017)、「貴方なら生き残れるわ」(18)、「誰にも知られず死ぬ朝」(20)、「ぽに」(21)に出演されていますよね。

藤原:加藤さんとは付き合いが長いですね。「わたし達はおとな」に関しては、舞台の本番と重なっていて、元々出演することができなかったんです。「主人公は木竜さんに決まった」と加藤さんから報告を受けて「おめでとうございます。あとは相手役だけですね」と励ます立場だったんですが……参加するはずだった舞台が、コロナの影響で中止になったんです。それで加藤さんから声をかけていただき、すぐに脚本を読みました。

――どのように感じられましたか?

藤原:直哉を演じられるのは「僕しかいないな」と思いましたね(笑)。

一同:爆笑

藤原:脚本が本当に面白かった。「『面白い』。しかし、こんなことを言ってしまってもいいのだろうか」と感じる面白さがありましたね。二つ返事で出演が決まりました。

――では、クランクイン前に準備をしていたことはありますか?

藤原:加藤さんがリハーサルの機会を用意してくれて、何度も何度も繰り返していました。本作はラストに向かって、優実と積み上げていくものが必要になります。それには、役を演じる本人同士のコミュニケーションも大切です。なので、リハーサルの最中には、木竜さんと頻繁にコミュニケーションをとっていました。そういう時間は、加藤さんが用意してくれたんです。

木竜:今回の現場には、加藤監督と普段から仕事をしている方々が何人もいらっしゃったんです。リハーサルでは、共通言語を作る時間もとっていただけましたし、皆さんの作る“空気”に巻き込んでもらいながらセッションさせていただいた、という感じでした。

藤原:このリハーサルには、カメラも入っていたんです。まずは芝居の中で、僕たちが動きを作っていく。その後“カメラを何処に置けば、必要最低限のカットで、優実の表情の変化を撮れるのか”という点を、加藤さんたちが計算しながら探っていく。その一方で、僕らは芝居の精度を高める。スタッフと俳優のリハーサルが同時に行われているような感じだったんです。

――このリハーサルは、かなり重要な機会だったんですね。ちなみに、おふたりは初共演ですよね?

木竜:はい。でも、共通の友達がいるので、お互いの事を知ってはいたんです。

――“顔見知り”ではあったわけですね。では、今回の共演を通じて感じた「俳優・藤原季節」について教えていただけますか?

木竜:お芝居をすることに対して、何よりもまっすぐで強い。そんな印象を受けました。こんなにも芝居に対して夢中になれるのか……そんな風に感じてしまう方です。それは今回、実際に共演してみて強く思ったこと。「私も頑張らないと」「負けたくないな」という思いと、「でも、敵わないんだろうな」という考えが同時によぎってしまう俳優さんだと思っています。

――藤原さんは、いかがでしょうか?

藤原:木竜さんの出演作はほとんど見ています。ガラスのハートのように繊細なものを持ちながらも、それを突き抜ける“俳優としての強度”があるんです。同世代だと他に例がない。そうでなければ「菊とギロチン」のヒロインなんてできませんよ。

木竜:この事、いつも言ってくれるんですよ(笑)。

藤原:いやいや、誰にでもできる事じゃないから。“強度のある俳優”だということは、周知の事実だと思っています。

――では、加藤監督とのやりとりに話を転じましょう。木竜さんは、どのような対話を経て、優実の人物像を作り上げていきましたか?

木竜:リハーサルの最初から最後まで言われていたのは「今回は、どれだけ隠せるかが大切」ということです。心の中で思っている事、感情の動き、言いたい事、言えない事、言いたくはない事……これらをどれだけ隠せるのか。現場では、それらについて「出過ぎかな」「もう少しだけ出そう」と微調整を行ってもらったり、丁寧に強弱をつけていただいていました。もうひとつ言われていたのは「今回は暮らしを撮る。生活のある映画になる」ということ。この指針は、自分の中に持ち続けていたと思います。

――藤原さんは、前述の通り、加藤監督とは何度もご一緒されていますよね。加藤監督の魅力は、どのような点に表れていると思いますか?

藤原:“変化し続ける男”といえばいいんでしょうか……作品のカラーが、毎回異なる。そこがすごいですよね。でも、共通していることもあります。「善、悪」「好き、嫌い」「付き合う、付き合わない」「結婚する、結婚しない」という形では白黒がつけられない、“名前がつく前の曖昧な部分”を表現し続けているんだなと思っています。

――「映画の現場」だからこそ感じられた面白みはありましたか?

藤原:ワンカット・長回しを多用しているので、そういう意味では演劇に近いんです。演劇は“再現”をしないといけないので「感情をどこで出すか」という点は、稽古の時点で決まっていきます。「わたし達はおとな」のラストシーンは、ワンカット1発勝負をかけたところなんです。舞台上での“ライブ感”をそのまま生かした、たった1回のチャンス。俳優から何が出てくるのかは、誰もわからない。ここで感じた緊張感というのは、演劇の時よりも上だったかもしれません。どんなに良い芝居が撮れたとしても、例えば救急車の音が入ってしまったら、NGになってしまいますから。木竜さんの演技を見ているうちに「このワンカットで決まる。これは最後までいかないと、撮り直しがきかない」と感じたんです。だからこそ、ラストシーンは“目撃”してほしいんです。

――木竜さんの芝居を見て「ワンカットで決まる」と感じられた。それは、どのようなタイミングだったのでしょうか?

藤原:「わたし達はおとな」は、優実の物語なんです。優実が目的地まで運ばれるために、直哉と加藤さんという存在がいる。僕たちはラストシーンに勝負をかけていましたが、最後に戦うのは木竜さんひとり。最終的には、サポートできる部分が無くなっていくんです。カメラが回ってしまえば、任せるしかない。その時、木竜さんがしっかりと自分の足で立ち、優実になりきっている姿を見ました。それは木竜さんの範疇を超えているというか……。僕が演じている直哉も、僕の範疇から抜け出していく。次第に、優実と直哉の物語になる。木竜さんと僕はどこかに行ってしまった――そういう瞬間が、本番中にあったんです。

木竜:仰っていることが、とてもよくわかります。時間の感覚がない感じというか……。時間が止まっているわけでもなく、進んでいるわけでもないんです。

藤原:カメラの存在を、完全に忘れていますから。

木竜:そう、忘れていました! 映像を見返してみると、信じられない間(ま)ができていたり。でも、そんな間(ま)を作ろうという意識はなかったんです。初号試写を見た時に感じたのですが、自分の知らない声や顔がたくさんありました。(全編に)そういう自分がちらばっていて、少し変な感じだったんです。物語の後半になればなるほど、優実は直哉に思いの丈をぶつけていきます。藤原さんには、それを全部受け止めてもらいましたし、加藤組の皆さんの“芝居中の見守り方”も素晴らしかったんです。委ねることができた自分が、そこにいた――そう思えたのは、とても幸せな事でした。

藤原:芝居をする上では、全てが整っていた現場だったと思います。穏やかで、完璧でした。

――では、最後の質問とさせていただきます。「わたし達はおとな」というタイトルは“ヤングアダルトの時期”の象徴として付けられています。このタイトルは、改めて「おとな(=大人)」について考えるきっかけになりました。「おとなは『私はおとなだ』とは言わないのかもしれない」「『自分はおとなだ』と発言しなくなった頃から、本当の意味でおとなになるのではないか……?」等々。お二人にとって“おとなになる”とは、どういうことだと思いますか?

藤原:「おとな」と「こども」。自分の中には、その両方が存在しているんです。「おとな」の部分は、自分自身のことで悩まなくなったこと。僕はそんな「おとな」を嫌っていたんです。でも、そうやって嫌っていた存在に、きちんとなりつつある。それと同時に、自分はまだまだ「こども」なんだろうなと思うこともある。具体例を出すとなると、すぐには思いつきませんが……。役者という職業は、結局、現実逃避の延長線上にあると思っているんです。これしかできないという時点で、永遠に「こども」のままなのかもしれない。この感覚を失ってしまうと、ただのふざけた「おとな」になってしまうんです。映画に対する憧れ、純粋な気持ちを失うと、毎回毎回同じような芝居を繰り返し、それで満足するようになってしまう。それは全く“楽しくない”こと。表現というものには、きちんと向き合っていきたいんです。

木竜:わかりやすい点でいうと、頼る人の数が減ったのかなと思います。以前までは、幅広い関係性の中で甘えたり、頼ったりしていたと思うんです。でも、自分でしっかりと考えて、頼ってもいいと思える人を選択するようになりました。この変化が「おとな」になったのかなと思うんです。でも、誰かに頼ったり、甘えたりする自分を許容している部分は、まだまだ「こども」だなと思います。藤原さんが仰った「自分のことで悩まない」という点、私は「おとな」だなと感じました。私は、どうしても自分にベクトルが向きやすいタイプなので……。自分自身の「こども」の部分、そこもそうなのかなと思いました。

ayana的退团花

译自ransuien桑的ins:“退团花束是新鲜真花左右合称的风格。綾桑所希望的花色是以白色为底色、雪组之绿与组替雪组前的星组之蓝。公演中綾桑作词演唱了自己对宝塚的感情,花束选色也与之相呼应。”
“花的种类是,白色的蔷薇、土耳其桔梗、大阿米芹。绿色的蔷薇、土耳其桔梗、粉团花、利休草。蓝色的飞燕草。”
“编排风格上,是以身为男役潇洒帅气中带上一点可爱(这是我擅自的理解)为印象,按不徒增宽度的纵长结构去制作的。”

心田事不同,功德分胜劣

在禅宗里有一则公案:当初,达摩祖师从印度来到中国,正是梁武帝主政的时候。梁武帝是一个虔诚的佛教徒,平常建筑寺院、广度僧侣、印经造像,甚至自己素食、讲经,可以说布施、修福,做了不少功德。当他听说从印度来了一位高僧达摩祖师,就礼请他到宫中问法:“朕自从主政以来,建寺度僧,行善不断,请问有什么功德?”

达摩祖师回答:“了无功德!”

梁武帝好像被浇了一盆冷水,心想:“我做了那么多善事,你不但不赞美我,怎么还说没有功德呢?”因此不免对达摩祖师心生反感,而达摩祖师也觉得与他无缘,于是拂袖而去。

达摩祖师回答“了无功德”,错了吗?梁武帝认为自己造寺庙、度僧尼、印经典、说佛法,有功德,错了吗?都不错!梁武帝所作建寺度僧的功德,是有为的功德,多做多得,少做少得。达摩祖师讲的功德,是功德性,自性的功德本来具足,并不因为我现在布施、做慈善,功德就有所增加,不做就有所减少。所以有为的功德可以说多说少,无为的功德性则不能论多论少。

在《金刚经》里也提到福德与福性的问题。福德,从因果来讲,当然可以论多论少,行善修福,多做多得,少做少得;福德的自性,则不容以有无的对立观念来论多论少。所以,达摩祖师从本体上来讲功德,梁武帝还没有那样深的领悟,所以彼此不能相契。

梁武帝之所以能成为一代君王,其实也就是因为他在过去世曾经布施、行善。因此,在佛门里有一首赞叹梁武帝及说明布施功德的偈语:

三宝门中福好修,一文施舍万文收;

不信但看梁武帝,曾施一笠管山河。

梁武帝过去世曾是一个樵夫,有一天,打完柴回家的途中,突然下起雨来,他看到一尊佛像在露天里被雨淋着,就把戴在自己头上的斗笠布施给这一尊佛像。由于他布施的功德,后来感得成为一代帝王的果报。

不过,这种有为的果报并非究竟,譬如,即使做了帝王,福报用尽,还是会再堕落。所以,福德可以说多说少,说有说无;而福德性,即使是堕落到地狱、饿鬼、畜生,五趣流转,六道轮回,我们的真如自性、福德性,始终没有损减分毫。

因此,布施、设斋究竟是否有功德,就看是从什么层次来讲。如果从有为法来看,布施必定有功德。布施犹如播种,有播种,因缘成熟,必然有收获。所以布施是无尽的宝藏,你有布施,你就有储蓄,就有果报。一个人如果每天光是贪图别人的东西,是贫穷;常行喜舍,才是富贵。

布施也不一定要用钱财珍宝去布施,你心地善良,可以用说好话布施;你心里面有丰富的力量,可以用为人服务来布施。即使你不会说好话,没有力量为人服务,只要人家做好事,你心里随缘欢喜,随喜也是布施。每个人心里都有随喜、随心、随口、随力的功德宝藏,所以我们应该把储蓄在我们自己心田里的宝藏,随时布施,这才是致富之道。

布施是“人天三福行”之一,布施是通往人天的道路,你有布施,你就有道路,就能到达目标。布施如桥梁,人与人之间的人际沟通,如同过河须要桥梁。布施是人我之间的桥梁,我说你的好话,我就能和你沟通,我有利益给你,帮助你,我就能和你沟通。

布施如田地,你有田地,你才能有收成,你有布施的种子,将来才能开花结果。过去有一个小女孩,父母双亡,沦为乞丐。有一天,她到寺院去拜佛,看到很多的信徒打斋供众,当下生起一念随喜的好心;但是摸摸口袋,身上只有一个铜钱,是过去在垃圾堆上捡到的,就把它拿出来布施。大和尚知道了,亲自来为她上堂说法,为她诵经祈福。

这个贫穷的小女孩离开寺院以后,走到一棵大树下休息,不久就睡着了。这时皇后刚逝世不久,国王心里烦闷,和大臣出外郊游、打猎,见到树下发光,向前一看,是一个犹如仙女下凡般千娇百媚的女孩,非常欢喜,就把她迎回宫里,立为皇后。

本来是一个贫穷的女乞丐,一下子贵为皇后,她心想:“这必定是我布施所得到的功德、福报。”因此,为了感恩图报,她就从宫里带了财宝,要到这个寺院里去作大布施。

途中,她心想:“当初我只布施一块钱,住持大和尚就亲自来为我诵经祝福,今天我再到寺院去大布施,这个大和尚不知要如何重视我呢?”

但是当她来到寺院时,大和尚见都没有见她,只叫一个知客师为她诵经祝福。皇后不免感到生气、失望,后来知客师说:“施主!上一次你来,虽是一块钱,但那是你的真心里全部所有,至诚恳切,那一块钱的功德无量无边,大和尚当然要为你诵经祝福。现在,你布施的财宝虽然多,不过,在我慢心之下,不算很多,所以,由我为你祝福就够了。”

布施,有所谓“心田事不同,功德分胜劣”。有时候,同是布施一块钱,功德应该是一样的,不过,你的一块钱布施给国家修桥舖路,布施给学生做奖学金,这样的功德未来性就很大了;我的一块钱只是用来布施给儿女打牌、吃喝玩乐,由于田不同,对象不同,功德因此有胜劣。同样的对象,你的一块钱布施给青年做奖学金,我的一块钱也是给青年做奖学金,不过,你的心里望报,你的心量很小,我的心广大无边,如此我的一块钱功德就大了。因此,布施主要在于我们的发心;发心不同,功德就有胜劣之分。一念虔诚,即使布施一块钱的功德,有时候与布施百万的功德是不相上下的。

唐朝的裴休宰相是一个虔诚的佛教徒,他很希望儿子能到寺院里过一段出家的生活。就如同现在的泰国,要想取得公民的资格,一生当中一定要出家一次,也等于台湾的役男要服兵役一样。因此,他把已经做到翰林的儿子,送到寺院里去修行参学。这个翰林学士到了寺院,先从沙弥做起,每天必须打柴、推磨、种田、担水,弄得身心疲累不堪。有一次,他从山下挑了一担水回到山上,忍耐不住心里的不满,而发牢骚道:“翰林挑水汗淋腰,和尚吃了怎能消?”意思是说,我身为翰林,却在这里挑水给你们出家的和尚吃,你们和尚吃了,怎么能消受?

他说这个话的时候,正好给从旁经过的住持大和尚听到了,就说:“老僧一炷香,能消万劫粮。”意思是说,我只要一炷香,你万劫的供养,我都能消受。所以,出家人修无为法,你有为的功德,布施多少,都能接受。

布施的最高境界,要能三轮体空──没有布施的我,没有受施的人、没有所施的物,我、你和所施的物,都能不着相,这才是真正的无相布施。所谓“空心不空境,空境不空心,心境两俱空,心境俱不空”。如此功德就有大小之分了。

说到布施得福的多少,有时候布施很多,得到的功德很少,有时候布施的财物有限,得到的果报却很大。为什么会施少得多,或施多得少?施多得少,是因为有望报的心,有利害心;施少得多,则是因为出发心是为了利益他人,是用恭敬心布施,所以布施的功德,诚如前面所说:“心田事不同,功德分胜劣。”

布施的果报究竟如何分胜劣?有时候布施田胜财劣,就如过去佛世时,有一天,佛陀经过一个地方,一个儿童欢喜地捧了一钵土供养佛陀。因为布施的对象是佛陀,田很胜,虽然所施物泥土很劣,功德却奇大无比。有时候财胜田劣,例如用珠宝布施给穷人。有时候田财俱胜,例如用黄金七宝布施给有学问有道德的人。有时候田财俱劣,例如用剩菜剩饭给乞丐吃。

有时候心财不同,心很重,财很轻,例如佛经里所说的“贫女一灯”,贫穷的女子布施一盏灯,心很重,财很轻。有时候财重心轻,例如前面讲过的贫女变皇后,最初用一块钱去布施、打斋,那是心重财轻,但是后来她贵为皇后,虽然布施的钱财很贵重,却用贡高我慢的轻心布施,所以,虽为皇后,也只获得知客师替她诵经祝福。

有的是心财俱重,也就是用恭敬心来布施贵重的东西,例如须达长者布施只树给孤独园,用黄金铺地,这是心财俱重;还有心财俱轻,心也轻,财也轻,例如用傲慢心给穷人一块钱,还要叮咛:“下次不可再来了喔!”这是心财俱轻。

此外,还有施受的不同,有时施者清净,受者不清净,例如我们到监狱里,或到一些苦难的地区去布施,我们是慈善为怀布施,布施的人心很清净,可是接受的人心里不清净。有时施者不清净,受者清净,例如有人偷窃别人的东西,然后再到寺院里去添油香,去做功德,这是布施的人不清净,接受的人清净。有时施受俱清净,例如宝积佛用香、花供养佛陀;又如无尽意菩萨用璎珞供养观世音菩萨,这就好像有道德的人礼敬有道德的人。有时施受俱不净,布施和接受的人都不清净,例如盗贼窃盗赃物给贪官污吏,金钱来路已经不正,又再拿去贿赂,这就是施受俱不净。

因此,说到布施,有时候同样的布施,但因钱财用法不一样,对方接受的心态不一样,而我布施的出发心也不一样,功德就有胜劣之分了。所以,《六祖坛经》里说布施“了无功德”,因为有为法的功德是可多可少的,唯有我们本体的功德性才是不增不减,无多无少,这是学佛者应有的认识。


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