俳優・高良健吾さん、日常を離れ、アナログな「時」を楽しむ旅 【前編】
これまでやりたくても「時間」がなくてできなかったことに挑戦する「時間」をセイコー プレザージュが提供するこの企画。
昨年の「瀬戸内しまなみ海道」での自転車旅に続いて、俳優の高良健吾さんが再び旅立った。2日間、自然の中へ——。旅の目的は、「やりたかったことをすべて叶(かな)える」こと。とかく情報過多になりがちな日常を抜け出して、アナログな時間の流れに身を置いた高良さんは、何を感じ、どんな思いを抱いたのか。今回お届けする前編では、都会の喧噪(けんそう)から離れ、兵庫県北部の山間(やまあい)で自然をゆるりと楽しむ様子を追った。
腕時計と地図。アナログなツールでドライブへ
とある初夏の一日、高良さんが訪れたのは山間に佇(たたず)む古民家宿。やりたかったことをすべて叶える、今回の旅の拠点だ。大きな窓のあるメインルームでソファに座り、高良さんは持参した文庫本をしばし読みふける。
「本は好きです。こんな何百円で、人の考えに触れられるなんてすごいですよね。手に取らないと出会えないような言葉だったり、生き方だったり、そういうものを知ることができる。ある意味、ちょっとした旅だと思います」
そしてふと顔を上げ、明るい光が入り込む大きな窓から、山々を見つめる高良さん。そろそろ出発の時間だ。日常から離れるために、スマートフォンは置いていく。ルートは地図で、時間は腕時計で確認するアナログな旅の始まりだ。
「自分は基本アナログ。家にパソコンはないし、映画館に行くときはスマホを家に置いていくこともよくあります。スマホを気にしない分、別のものが見えてくる。こういう自然の中なら周囲をよく見るようになるし、いつもと違うアンテナも張れます」。地図を眺め、腕時計に目を向けてから、高良さんは車へ乗り込んだ。
小一時間、車を走らせて訪れたのは、歴史ある寺院。しっかりとした足取りで、初めて訪れる寺の山門をくぐる。
寺院では本堂に上がり、庭に向かってあぐらをかく。瞑想(めいそう)、これもまた高良さんがこの日、やりたかったことのひとつだ。背筋をぴしりと伸ばし、目をつぶって微動だにしない。葉ずれの音、鳥やカエルの鳴き声が止(や)んだ瞬間は、まるで時が止まっているかのようだ。
高良さんにとって瞑想は、ルーティンのようなものだという。
「だいたい寝る前にやるんです。撮影している期間は日中集中しているので、寝付きが悪かったり、途中で目が覚めたりすることもあるので、眠る前にちょっと心を落ち着かせるという感じ。今日のように自然の音に囲まれた場所だと、家の中で瞑想するよりも入りやすいですね。何も考えない、無理をしない時間が過ごせました」
自然の揺れを感じに。日常にない、贅沢時間
瞑想を終え、「ゴチャゴチャしていたものが整理された」と言う高良さんの次の目的地は、山中の釣り場。川に沿って続く遊歩道を、土の感触を確かめるように泰然と歩いていく高良さん。途中、足を止めて伸びをしたり、思いのままに満喫しているようだ。
こうして自然に囲まれながら思うのは、「自分が落ち着く場所、癒やされる場所は、自然なんだ」ということ。
「原風景が祖父母の田舎なんですよね。阿蘇と北九州の田川。きっと、そういう田舎で遊んでいた、楽しかった記憶があるんだろうと思います。自然の揺れって、見ているだけで落ち着くので、そこを求めに行っている。東京にいると、そういう揺れは風とか、上を見ないと感じられないので」
やがてたどり着いたのが、半径15mほどの滝壺(つぼ)。主にニジマスが釣れるという。海でのルアーフィッシング経験はある高良さんだが、川釣りは初挑戦。竹竿(ざお)にウキという組み合わせも、やはり初めて使う道具だそうだ。照れくさそうに「海ではルアーをなくしてばかりいたし、今回のやりたいことの中では一番自信がない」と言うものの、慣れた手つきで竿を操っている。
糸を垂らし、狙うポイントを変えながら数十分。前日の雨で濁った水面がゆらめく様子を、ただ見つめながら過ごす贅沢(ぜいたく)な時間だ。
「釣れなくても、3時間くらいは平気で過ごせますね。どれだけ時間が経ったかを確認することはあっても、苦ではないです。こうやって自然の中で過ごしている時は、時間の確認は腕時計がいいですね。それもデジタルの数字じゃなくて、針で見るっていうのがいい」
そんな話をするうちに、不意にウキが動き出した。「食いついた!」。そう思った瞬間、必死に暴れる魚の姿が。木漏れ日に輝く銀色の体はかなり大きく、高良さんもしばらく格闘したものの、魚はハリから外れて滝壺の底へと消えていった。その後すぐに再び別の獲物を捕らえるが、今度は糸が切れてしまう事態に。この装備では、少し心許(こころもと)ないようだ。
そろそろ宿に戻ろうか……と諦めかけたところで、またもウキが躍り出す。三度目の正直とばかりに、見事釣り上げた高良さん。「今日に限らず、以前から目の前で逃がしてばかりだったけど、ようやく釣れた!」と、喜びであふれんばかりの笑顔を向けた。
手を掛けるだけ愛着が増す。フォーマルな印象のモデル
「1時間で3匹なら入れ食い状態」と笑みを浮かべながら、宿へと戻ってきた。本日、予定していた夕食は屋外でのバーベキューだった。しかし、天気は下り坂。焚(た)き火台に火を入れ、炎が上がり始めるころには雨も降り出してきたため、部屋の中の囲炉裏に場所を移しての食事となった。
周囲には街灯や民家がなく、夜の帳(とばり)が下りれば辺りは真っ暗に。肉に魚、野菜も焼いて、時折、焚き火を眺めるひととき。
「焚き火って、本当に自然の揺らぎですよね。人間が作り出せない揺れというか。それこそ波だってそうだし、空だって雲の流れだったり、風の流れだったり、それって人間が絶対作り出せない。そういう場所に身を置くことが、自分にとっての癒やしですかね」。そう語る彼を包み込むように、時間はゆったりと過ぎていく。
この日、高良さんの腕で時を刻んだのは、「セイコー プレザージュ Sharp Edged Series SARX097」。アナログな旅によく似合う、機械式時計だ。
「機械式時計の良さは、自分がちゃんとその時計を扱っていないといけないこと。毎日見て、定期的にちゃんとメンテナンスしてあげることでより愛着が湧きますよね。耳を近付けて音を聞きながらりゅうずを巻くのも、好きな行為ですね」
「この『セイコー プレザージュ Sharp Edged Series SARX097』は、どちらかというとフォーマルな印象でした。白文字盤は持っていなかったんですが、いいですね。スーツのようなキレイめにも合うし、幅広いシーンで使えると思いました。(白文字盤は)似合う年齢が少し上という勝手なイメージがあったんですけど、 身につけてみると、“いや、そんなことないな”って気がしました」
そう言って、「セイコー プレザージュ Sharp Edged Series SARX097」に視線を落とす高良さん。「静の旅」となった1日が、そろそろ終わろうとしている。明日は一転、「動の旅」と言えるほど、バラエティーに富んだアクティブな旅となる。そちらは後編として次回、改めてご紹介しよう。
(文・石川由紀子 写真・高橋雄大 取材協力・円覚山宗鏡寺、glaminka KAMIKAWA、日高神鍋観光協会、清滝地区コミュニティセンターの皆様)
これまでやりたくても「時間」がなくてできなかったことに挑戦する「時間」をセイコー プレザージュが提供するこの企画。
昨年の「瀬戸内しまなみ海道」での自転車旅に続いて、俳優の高良健吾さんが再び旅立った。2日間、自然の中へ——。旅の目的は、「やりたかったことをすべて叶(かな)える」こと。とかく情報過多になりがちな日常を抜け出して、アナログな時間の流れに身を置いた高良さんは、何を感じ、どんな思いを抱いたのか。今回お届けする前編では、都会の喧噪(けんそう)から離れ、兵庫県北部の山間(やまあい)で自然をゆるりと楽しむ様子を追った。
腕時計と地図。アナログなツールでドライブへ
とある初夏の一日、高良さんが訪れたのは山間に佇(たたず)む古民家宿。やりたかったことをすべて叶える、今回の旅の拠点だ。大きな窓のあるメインルームでソファに座り、高良さんは持参した文庫本をしばし読みふける。
「本は好きです。こんな何百円で、人の考えに触れられるなんてすごいですよね。手に取らないと出会えないような言葉だったり、生き方だったり、そういうものを知ることができる。ある意味、ちょっとした旅だと思います」
そしてふと顔を上げ、明るい光が入り込む大きな窓から、山々を見つめる高良さん。そろそろ出発の時間だ。日常から離れるために、スマートフォンは置いていく。ルートは地図で、時間は腕時計で確認するアナログな旅の始まりだ。
「自分は基本アナログ。家にパソコンはないし、映画館に行くときはスマホを家に置いていくこともよくあります。スマホを気にしない分、別のものが見えてくる。こういう自然の中なら周囲をよく見るようになるし、いつもと違うアンテナも張れます」。地図を眺め、腕時計に目を向けてから、高良さんは車へ乗り込んだ。
小一時間、車を走らせて訪れたのは、歴史ある寺院。しっかりとした足取りで、初めて訪れる寺の山門をくぐる。
寺院では本堂に上がり、庭に向かってあぐらをかく。瞑想(めいそう)、これもまた高良さんがこの日、やりたかったことのひとつだ。背筋をぴしりと伸ばし、目をつぶって微動だにしない。葉ずれの音、鳥やカエルの鳴き声が止(や)んだ瞬間は、まるで時が止まっているかのようだ。
高良さんにとって瞑想は、ルーティンのようなものだという。
「だいたい寝る前にやるんです。撮影している期間は日中集中しているので、寝付きが悪かったり、途中で目が覚めたりすることもあるので、眠る前にちょっと心を落ち着かせるという感じ。今日のように自然の音に囲まれた場所だと、家の中で瞑想するよりも入りやすいですね。何も考えない、無理をしない時間が過ごせました」
自然の揺れを感じに。日常にない、贅沢時間
瞑想を終え、「ゴチャゴチャしていたものが整理された」と言う高良さんの次の目的地は、山中の釣り場。川に沿って続く遊歩道を、土の感触を確かめるように泰然と歩いていく高良さん。途中、足を止めて伸びをしたり、思いのままに満喫しているようだ。
こうして自然に囲まれながら思うのは、「自分が落ち着く場所、癒やされる場所は、自然なんだ」ということ。
「原風景が祖父母の田舎なんですよね。阿蘇と北九州の田川。きっと、そういう田舎で遊んでいた、楽しかった記憶があるんだろうと思います。自然の揺れって、見ているだけで落ち着くので、そこを求めに行っている。東京にいると、そういう揺れは風とか、上を見ないと感じられないので」
やがてたどり着いたのが、半径15mほどの滝壺(つぼ)。主にニジマスが釣れるという。海でのルアーフィッシング経験はある高良さんだが、川釣りは初挑戦。竹竿(ざお)にウキという組み合わせも、やはり初めて使う道具だそうだ。照れくさそうに「海ではルアーをなくしてばかりいたし、今回のやりたいことの中では一番自信がない」と言うものの、慣れた手つきで竿を操っている。
糸を垂らし、狙うポイントを変えながら数十分。前日の雨で濁った水面がゆらめく様子を、ただ見つめながら過ごす贅沢(ぜいたく)な時間だ。
「釣れなくても、3時間くらいは平気で過ごせますね。どれだけ時間が経ったかを確認することはあっても、苦ではないです。こうやって自然の中で過ごしている時は、時間の確認は腕時計がいいですね。それもデジタルの数字じゃなくて、針で見るっていうのがいい」
そんな話をするうちに、不意にウキが動き出した。「食いついた!」。そう思った瞬間、必死に暴れる魚の姿が。木漏れ日に輝く銀色の体はかなり大きく、高良さんもしばらく格闘したものの、魚はハリから外れて滝壺の底へと消えていった。その後すぐに再び別の獲物を捕らえるが、今度は糸が切れてしまう事態に。この装備では、少し心許(こころもと)ないようだ。
そろそろ宿に戻ろうか……と諦めかけたところで、またもウキが躍り出す。三度目の正直とばかりに、見事釣り上げた高良さん。「今日に限らず、以前から目の前で逃がしてばかりだったけど、ようやく釣れた!」と、喜びであふれんばかりの笑顔を向けた。
手を掛けるだけ愛着が増す。フォーマルな印象のモデル
「1時間で3匹なら入れ食い状態」と笑みを浮かべながら、宿へと戻ってきた。本日、予定していた夕食は屋外でのバーベキューだった。しかし、天気は下り坂。焚(た)き火台に火を入れ、炎が上がり始めるころには雨も降り出してきたため、部屋の中の囲炉裏に場所を移しての食事となった。
周囲には街灯や民家がなく、夜の帳(とばり)が下りれば辺りは真っ暗に。肉に魚、野菜も焼いて、時折、焚き火を眺めるひととき。
「焚き火って、本当に自然の揺らぎですよね。人間が作り出せない揺れというか。それこそ波だってそうだし、空だって雲の流れだったり、風の流れだったり、それって人間が絶対作り出せない。そういう場所に身を置くことが、自分にとっての癒やしですかね」。そう語る彼を包み込むように、時間はゆったりと過ぎていく。
この日、高良さんの腕で時を刻んだのは、「セイコー プレザージュ Sharp Edged Series SARX097」。アナログな旅によく似合う、機械式時計だ。
「機械式時計の良さは、自分がちゃんとその時計を扱っていないといけないこと。毎日見て、定期的にちゃんとメンテナンスしてあげることでより愛着が湧きますよね。耳を近付けて音を聞きながらりゅうずを巻くのも、好きな行為ですね」
「この『セイコー プレザージュ Sharp Edged Series SARX097』は、どちらかというとフォーマルな印象でした。白文字盤は持っていなかったんですが、いいですね。スーツのようなキレイめにも合うし、幅広いシーンで使えると思いました。(白文字盤は)似合う年齢が少し上という勝手なイメージがあったんですけど、 身につけてみると、“いや、そんなことないな”って気がしました」
そう言って、「セイコー プレザージュ Sharp Edged Series SARX097」に視線を落とす高良さん。「静の旅」となった1日が、そろそろ終わろうとしている。明日は一転、「動の旅」と言えるほど、バラエティーに富んだアクティブな旅となる。そちらは後編として次回、改めてご紹介しよう。
(文・石川由紀子 写真・高橋雄大 取材協力・円覚山宗鏡寺、glaminka KAMIKAWA、日高神鍋観光協会、清滝地区コミュニティセンターの皆様)
立往生したらどうする?取り組んでほしい5つの行動
2021年12月25日 20時51分
「雪で先が見えない」
「車が全く進まなくなった」
車を運転しているとき、もし立往生に巻き込まれたらどうすればいいのか。取り組んでほしい5つの行動をまとめました。
1.道路管理者などの情報を確認
まずは、道路を管理している高速道路会社や国土交通省、自治体などが情報を出していないか確認してください。
立往生が発生している場合や、通行止めで立往生の危険性が高まっている場合は、webサイトやSNSで情報を発信していることがあります。
国土交通省のwebサイト「おしえて!雪ナビ」では、全国各地にある国道事務所のツイッターアカウントや、道路に設置されたカメラの映像などを確認することができるので、情報収集に役立ちます。
「おしえて!雪ナビ」
https://t.cn/A6xDAEpF
国道事務所や自治体のアカウントでは、除雪の状況のほか、物資の配布状況などを発信していることもあります。
情報がなく、車も身動きが取れない場合は、
▽国土交通省の「道路緊急ダイヤル」9910に電話してください。
目の前で事故が起きるなど状況が急激に悪化している場合は警察にも連絡してください。
▽JAF(日本自動車連盟)のロードサービス8139もあります。
2.マフラー周りを定期的に除雪
マフラーの周辺を定期的に除雪してください。
マフラーの排気口が雪に覆われると、排気ガスが車内に逆流して「一酸化炭素中毒」になる危険性があります。
一酸化炭素は有毒で吸い込むと酸欠状態となり最悪の場合は死に至りますが、無色でにおいもないため気付きにくく危険です。
2013年3月には北海道 中標津町で雪に埋まって動けなくなった車の中で、家族4人が一酸化炭素中毒で死亡しています。
JAFの実験では、マフラー周辺を除雪しないと、運転席の窓が5センチほど開いていたとしても、風がやんだ場合にはわずか20分程度で、車内の一酸化炭素濃度が「数時間で死に至るレベル」まで上昇しました。
一方、ボンネットの上まで雪に覆われていても、マフラー周辺を除雪していれば、車内の一酸化炭素濃度はほとんど上がらなかったということです。
3.雪にうもれたらエンジンを切る
車が完全に雪にうもれてしまった場合は一酸化炭素の流入を防ぐためエンジンを止めてください。
雪は断熱作用があります。
冷たい外気を遮断するため、いわば「かまくら」のように内部はそれほど温度が下がりません。
ときどき風下側の窓を1センチほど開けて換気し、助けを待ってください。
4.足を動かす体操と水分補給を
定期的に足を動かし、こまめに水分補給をしてください。
狭い座席で長時間同じ姿勢でいると、血流が悪くなって血の固まりができ、「エコノミークラス症候群」の危険性が高まります。
以下のように体を動かしてください。
□足の指を閉じたり開いたりする
□足を上下につま先立ちする
□つま先を引き上げる
□足首を回す
□ふくらはぎを軽くもむ
□背伸びや上半身をひねる
また、車内で休む時には足を上げて寝るようにしてください。
5.風下側のドアが開くかこまめにチェック
いつでも逃げられるように「風下側のドア」が開くか定期的に確認してください。
風上側は雪が積もってすぐに開かなくなります。
また、風上側のドアを開けると、雪や風が入り込んで車内の温度が下がってしまいます。
備えても巻き込まれるおそれ・予定やルート変更検討を
備えをしていても、立往生に巻き込まれてしまうと、数日間移動がままならないことがあります。
「外出しない」「予定を変更する」という選択肢も検討してください。
「いくら装備あっても…」経験者が語る恐怖
去年12月、関越自動車道で発生した立往生に巻き込まれ、30時間近く身動きが取れなくなったという男性に当時の状況を聞きました。
男性は「経験したことのない雪の降り方で、車ごと雪にうもれてしまうのではないかと不安でした。チェーンや、車がスタックしたときに使う道具も車に積んでいたので、かなりの大雪でも対処できると思っていましたがいざ立往生になってしまうと、いくら装備を整えていても全く意味が無いことを痛感しました。天気予報を確認して危ない時は車に乗らないのがいちばんだと思いました」と振り返っていました。
そのうえで、車で出かけざるをえない時の備えについては「何よりも食料と水、そして防寒具がないとダメだと思います。また、立往生した時にはマフラー付近の除雪が必須ですが、去年は車に簡単な雪落としの道具しか積んでいなかったので苦労しました」と話していました。
男性は去年の経験から、万が一に備えて▽水と食料、▽携帯トイレ、▽保温シート、それに▽折り畳み式のスコップを車に積んでいるということです。
また「燃料の心配をせずに済んだのは不幸中の幸いだった」と振り返っていました。
当時は、たまたま高速道路に入る前にガソリンを満タンにしていたのだそうです。
男性は「燃料が足りなくなると、暖房が使えない上、携帯電話の充電もできず、情報収集もできなくなるので、いちばん怖いです。立往生を経験して以来、高速道路に乗る前には必ずガソリンスタンドに寄るようにしています」と話していました。
2021年12月25日 20時51分
「雪で先が見えない」
「車が全く進まなくなった」
車を運転しているとき、もし立往生に巻き込まれたらどうすればいいのか。取り組んでほしい5つの行動をまとめました。
1.道路管理者などの情報を確認
まずは、道路を管理している高速道路会社や国土交通省、自治体などが情報を出していないか確認してください。
立往生が発生している場合や、通行止めで立往生の危険性が高まっている場合は、webサイトやSNSで情報を発信していることがあります。
国土交通省のwebサイト「おしえて!雪ナビ」では、全国各地にある国道事務所のツイッターアカウントや、道路に設置されたカメラの映像などを確認することができるので、情報収集に役立ちます。
「おしえて!雪ナビ」
https://t.cn/A6xDAEpF
国道事務所や自治体のアカウントでは、除雪の状況のほか、物資の配布状況などを発信していることもあります。
情報がなく、車も身動きが取れない場合は、
▽国土交通省の「道路緊急ダイヤル」9910に電話してください。
目の前で事故が起きるなど状況が急激に悪化している場合は警察にも連絡してください。
▽JAF(日本自動車連盟)のロードサービス8139もあります。
2.マフラー周りを定期的に除雪
マフラーの周辺を定期的に除雪してください。
マフラーの排気口が雪に覆われると、排気ガスが車内に逆流して「一酸化炭素中毒」になる危険性があります。
一酸化炭素は有毒で吸い込むと酸欠状態となり最悪の場合は死に至りますが、無色でにおいもないため気付きにくく危険です。
2013年3月には北海道 中標津町で雪に埋まって動けなくなった車の中で、家族4人が一酸化炭素中毒で死亡しています。
JAFの実験では、マフラー周辺を除雪しないと、運転席の窓が5センチほど開いていたとしても、風がやんだ場合にはわずか20分程度で、車内の一酸化炭素濃度が「数時間で死に至るレベル」まで上昇しました。
一方、ボンネットの上まで雪に覆われていても、マフラー周辺を除雪していれば、車内の一酸化炭素濃度はほとんど上がらなかったということです。
3.雪にうもれたらエンジンを切る
車が完全に雪にうもれてしまった場合は一酸化炭素の流入を防ぐためエンジンを止めてください。
雪は断熱作用があります。
冷たい外気を遮断するため、いわば「かまくら」のように内部はそれほど温度が下がりません。
ときどき風下側の窓を1センチほど開けて換気し、助けを待ってください。
4.足を動かす体操と水分補給を
定期的に足を動かし、こまめに水分補給をしてください。
狭い座席で長時間同じ姿勢でいると、血流が悪くなって血の固まりができ、「エコノミークラス症候群」の危険性が高まります。
以下のように体を動かしてください。
□足の指を閉じたり開いたりする
□足を上下につま先立ちする
□つま先を引き上げる
□足首を回す
□ふくらはぎを軽くもむ
□背伸びや上半身をひねる
また、車内で休む時には足を上げて寝るようにしてください。
5.風下側のドアが開くかこまめにチェック
いつでも逃げられるように「風下側のドア」が開くか定期的に確認してください。
風上側は雪が積もってすぐに開かなくなります。
また、風上側のドアを開けると、雪や風が入り込んで車内の温度が下がってしまいます。
備えても巻き込まれるおそれ・予定やルート変更検討を
備えをしていても、立往生に巻き込まれてしまうと、数日間移動がままならないことがあります。
「外出しない」「予定を変更する」という選択肢も検討してください。
「いくら装備あっても…」経験者が語る恐怖
去年12月、関越自動車道で発生した立往生に巻き込まれ、30時間近く身動きが取れなくなったという男性に当時の状況を聞きました。
男性は「経験したことのない雪の降り方で、車ごと雪にうもれてしまうのではないかと不安でした。チェーンや、車がスタックしたときに使う道具も車に積んでいたので、かなりの大雪でも対処できると思っていましたがいざ立往生になってしまうと、いくら装備を整えていても全く意味が無いことを痛感しました。天気予報を確認して危ない時は車に乗らないのがいちばんだと思いました」と振り返っていました。
そのうえで、車で出かけざるをえない時の備えについては「何よりも食料と水、そして防寒具がないとダメだと思います。また、立往生した時にはマフラー付近の除雪が必須ですが、去年は車に簡単な雪落としの道具しか積んでいなかったので苦労しました」と話していました。
男性は去年の経験から、万が一に備えて▽水と食料、▽携帯トイレ、▽保温シート、それに▽折り畳み式のスコップを車に積んでいるということです。
また「燃料の心配をせずに済んだのは不幸中の幸いだった」と振り返っていました。
当時は、たまたま高速道路に入る前にガソリンを満タンにしていたのだそうです。
男性は「燃料が足りなくなると、暖房が使えない上、携帯電話の充電もできず、情報収集もできなくなるので、いちばん怖いです。立往生を経験して以来、高速道路に乗る前には必ずガソリンスタンドに寄るようにしています」と話していました。
未来世代の為に関係修復を(上)「知日派」韓国人の声 その4
9/28(土) 11:07配信
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注:この記事にはリンクが含まれています。サイトによっては全て表示されないことがあります。その場合はJapan In-depthのサイトhttps://t.cn/Ain1fdmKでお読みください。

安倍首相、文大統領、ペンス副大統領 出典:VOA
【まとめ】
・ソウルオリンピックをきっかけに韓国の食文化は大きく変化。
・米の最大の関心は北朝鮮の核開発と米中貿易問題だけ。
・文大統領のGSOMIA破棄は米仲裁を期待していた。

韓国冷麺 出典:Flickr; Tatsuo Yamashita
日本を訪れる韓国人旅行者が激減している、という話を、最近はよく聞きます。
実際問題として、観光地の人たちは頭を抱えているとか。
私もかつてはその一人だったのですが、在日の親類縁者を訪ねがてら日本見物に来る人たちや、年配の人たちの団体旅行などは、たしかに減っているようです。
けれども、韓国では以前から個人旅行が占める比率が高く、特にここ数年は、ユニークな旅を自分で企画する若い人が増えてきています。たとえば、お城や神社仏閣を巡るのではなく、おいしいラーメン屋さんを探し求める旅、とかです。
昔から韓国人は、自分たちの伝統的な食べ物に執着する傾向が強くて、チヂミがあればピッツァもお好み焼きも要らない、冷麺とか韓国風の麺料理があるから、パスタもラーメンも食べる必要などない、といった気風がありました。

ボルトン元補佐官 出典:Flickr; Gage Skidmore
私自身、日本に来てはじめてハンバーグなどの洋食(ヤンシクと発音します)を食べるようになりました。マグロの刺身も、初めて食べた時は、なんだか気持ち悪かったですね。今では寿司や刺身が大好物で、海の近くに取材に行くのが楽しみで仕方ないほどですが。
1988年にソウルでオリンピックが開催されましたが、これをきっかけに、韓国の食文化も大いに国際化が進んだのです。
ですから、1990年代以降に生まれた、若い世代の韓国人は、生まれたときから諸国の食べ物が身近にありましたから、味覚もボーダーレスなのかも知れません。
一方で、韓国を訪れる日本人観光客の数は、問題の徴用工判決が出た昨年10月以降も、それほど減っていないと聞いています。
日本は日本で、とりわけ若い女性は、俳優とか歌手といった、いわゆる韓流スターが大好きですし、韓国コスメ(化粧品)の人気もなかなかのものですからね。物心ついた時からそうしたものが身近にあれば、焼き肉とキムチくらいしか知らなかった世代とは、当然ものの見方・考え方が違ってきているでしょう。
ネット上に韓国を敵視する言動があふれようが、耳を貸さないのかも知れません。もしもそうなら、私が韓国人だから言うわけではありませんが、よい傾向だと思います。
こうした、世代間の感覚の違いが、韓日両国の将来を考える上で、ひとつの鍵になるのではないでしょうか。
もうひとつは、アメリカの動向ですね。
早ければ年内にも、アメリカと北朝鮮のトップ会談が再び開かれる可能性が高いと、韓国のジャーナリストたちは見ています。
タカ派として知られたボルトン補佐官がクビになりましたが、北朝鮮サイドはこれを聞いて大喜びしましたからね。彼に対しては、これまで「戦争好きな危険人物」「時代遅れの帝国主義者」などなど悪口雑言を並べていましたが、その大嫌いなボルトンのクビを切ったのは、トランプ大統領が自分たちに譲歩する意志の表れだ、と。まあ、なんでも自分たちに都合よく解釈する人たちですからね。
アメリカはアメリカで、北朝鮮の核開発、特に本国まで届くような弾道ミサイルとか、それを発射できる潜水艦の開発といった行為に歯止めをかけられれば、その他の問題は、周辺諸国が自分たちでなんとかしなさい、といった考えなのでしょう。
アジア諸国の問題、というくくりでは、トランプ政権が本気で取り組んでいるのは、中国との貿易戦争だけ。そう言って過言ではないと思いますよ。
そのような状況で、今後も問題がこじれて行きそうなのは、韓国がGSOMIA(日韓軍事情報包括保護協定)を破棄したことですね。
これは、ムン政権の最大の失策として歴史に残ると思います。
安倍首相が、わが国の三権分立をないがしろにしたことは遺憾に思いますが、韓国政府の対応もいささか大人げなかった、と私は幾度も言いました。
ムン政権にしてみれば、日本が半導体輸出の手続きを厳格化した、世に言う「ホワイト国からの除外」という挙に出たので、反省をうながすためだ、ということのようですが、これはひどい。
北朝鮮の脅威に対して、日本とはもはや、協力して立ち向かう関係ではない、と言い放ったに等しいですからね。
大人げない、というあたりを通り越して、昭和の日本映画でよく聞いた台詞そのままではないですか。
「それを言っちゃあ、おしまいだよ」
というやつです。
前にもお話しした通り、ムン大統領が左翼思想の持ち主だというのは、韓国の保守派のマスコミによって作り上げられたイメージだという要素が強いですから、本当に中国や北朝鮮にすり寄って行く可能性は低いですが、外交カードとしてそれをちらつかせる、ということは考えられますね。
そうやって突っ張っていれば、適当なところでアメリカが仲裁に乗り出してくれるのではないか、と。
これも、所詮は推測だと言われればそうですけど、非常に現実味があるところが嫌ですね。もし、この推測が当たっていたら、これほど情けない話はない。韓日両国ともに、アメリカの属国ではありません。そのことを本当に理解しているのか、ついついこちらまで大人げなく怒鳴り散らしたくなるほどです。
実は私は、今次の問題が表面化した直後、徴用工判決で名指しされたり、韓国への半導体輸出が売り上げの主たるものだという会社に、軒並み電話取材を試みました。
「現時点ではお答えできることは、なにもございません」
という返事もよく聞かされましたが、
「今後どうしたらよいのか、本当に困っています」
と率直に応えてくれた会社も複数ありましたよ。
未来世代の両国民のために、政治家たちはひとまず面子の張り合いをやめるべきです。
具体的には、韓国はGSOMIAの破棄を撤回し、日本は韓国を再びホワイト国に認定する。これでひとまず痛み分けだということにして、落としどころを探ればよいでしょう。
ヤクザの喧嘩ではないのですから、アメリカという大親分の仲裁を期待しながら、事務所のガラス窓を割り合うようなみっともない真似は、もうやめましょう。
(取材・構成・文責/林信吾)
【ヤン・テフン】
1967年、釜山生まれ。韓国の大学に合格していたが、兵役満了後、日本に私費留学し、城西大学経済学部卒業。韓国のTV製作会社の日本子会社勤務を経て、通訳・コーディネイターとして独立。現在はジャーナリストとしても活躍中。
林信吾(作家・ジャーナリスト)
【ヤン・テフン】
1967年、釜山生まれ。韓国の大学に合格していたが、兵役満了後、日本に私費留学し、城西大学経済学部卒業。韓国のTV製作会社の日本子会社勤務を経て、通訳・コーディネイターとして独立。現在はジャーナリストとしても活躍中。
林信吾(作家・ジャーナリスト)
9/28(土) 11:07配信
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注:この記事にはリンクが含まれています。サイトによっては全て表示されないことがあります。その場合はJapan In-depthのサイトhttps://t.cn/Ain1fdmKでお読みください。

安倍首相、文大統領、ペンス副大統領 出典:VOA
【まとめ】
・ソウルオリンピックをきっかけに韓国の食文化は大きく変化。
・米の最大の関心は北朝鮮の核開発と米中貿易問題だけ。
・文大統領のGSOMIA破棄は米仲裁を期待していた。

韓国冷麺 出典:Flickr; Tatsuo Yamashita
日本を訪れる韓国人旅行者が激減している、という話を、最近はよく聞きます。
実際問題として、観光地の人たちは頭を抱えているとか。
私もかつてはその一人だったのですが、在日の親類縁者を訪ねがてら日本見物に来る人たちや、年配の人たちの団体旅行などは、たしかに減っているようです。
けれども、韓国では以前から個人旅行が占める比率が高く、特にここ数年は、ユニークな旅を自分で企画する若い人が増えてきています。たとえば、お城や神社仏閣を巡るのではなく、おいしいラーメン屋さんを探し求める旅、とかです。
昔から韓国人は、自分たちの伝統的な食べ物に執着する傾向が強くて、チヂミがあればピッツァもお好み焼きも要らない、冷麺とか韓国風の麺料理があるから、パスタもラーメンも食べる必要などない、といった気風がありました。

ボルトン元補佐官 出典:Flickr; Gage Skidmore
私自身、日本に来てはじめてハンバーグなどの洋食(ヤンシクと発音します)を食べるようになりました。マグロの刺身も、初めて食べた時は、なんだか気持ち悪かったですね。今では寿司や刺身が大好物で、海の近くに取材に行くのが楽しみで仕方ないほどですが。
1988年にソウルでオリンピックが開催されましたが、これをきっかけに、韓国の食文化も大いに国際化が進んだのです。
ですから、1990年代以降に生まれた、若い世代の韓国人は、生まれたときから諸国の食べ物が身近にありましたから、味覚もボーダーレスなのかも知れません。
一方で、韓国を訪れる日本人観光客の数は、問題の徴用工判決が出た昨年10月以降も、それほど減っていないと聞いています。
日本は日本で、とりわけ若い女性は、俳優とか歌手といった、いわゆる韓流スターが大好きですし、韓国コスメ(化粧品)の人気もなかなかのものですからね。物心ついた時からそうしたものが身近にあれば、焼き肉とキムチくらいしか知らなかった世代とは、当然ものの見方・考え方が違ってきているでしょう。
ネット上に韓国を敵視する言動があふれようが、耳を貸さないのかも知れません。もしもそうなら、私が韓国人だから言うわけではありませんが、よい傾向だと思います。
こうした、世代間の感覚の違いが、韓日両国の将来を考える上で、ひとつの鍵になるのではないでしょうか。
もうひとつは、アメリカの動向ですね。
早ければ年内にも、アメリカと北朝鮮のトップ会談が再び開かれる可能性が高いと、韓国のジャーナリストたちは見ています。
タカ派として知られたボルトン補佐官がクビになりましたが、北朝鮮サイドはこれを聞いて大喜びしましたからね。彼に対しては、これまで「戦争好きな危険人物」「時代遅れの帝国主義者」などなど悪口雑言を並べていましたが、その大嫌いなボルトンのクビを切ったのは、トランプ大統領が自分たちに譲歩する意志の表れだ、と。まあ、なんでも自分たちに都合よく解釈する人たちですからね。
アメリカはアメリカで、北朝鮮の核開発、特に本国まで届くような弾道ミサイルとか、それを発射できる潜水艦の開発といった行為に歯止めをかけられれば、その他の問題は、周辺諸国が自分たちでなんとかしなさい、といった考えなのでしょう。
アジア諸国の問題、というくくりでは、トランプ政権が本気で取り組んでいるのは、中国との貿易戦争だけ。そう言って過言ではないと思いますよ。
そのような状況で、今後も問題がこじれて行きそうなのは、韓国がGSOMIA(日韓軍事情報包括保護協定)を破棄したことですね。
これは、ムン政権の最大の失策として歴史に残ると思います。
安倍首相が、わが国の三権分立をないがしろにしたことは遺憾に思いますが、韓国政府の対応もいささか大人げなかった、と私は幾度も言いました。
ムン政権にしてみれば、日本が半導体輸出の手続きを厳格化した、世に言う「ホワイト国からの除外」という挙に出たので、反省をうながすためだ、ということのようですが、これはひどい。
北朝鮮の脅威に対して、日本とはもはや、協力して立ち向かう関係ではない、と言い放ったに等しいですからね。
大人げない、というあたりを通り越して、昭和の日本映画でよく聞いた台詞そのままではないですか。
「それを言っちゃあ、おしまいだよ」
というやつです。
前にもお話しした通り、ムン大統領が左翼思想の持ち主だというのは、韓国の保守派のマスコミによって作り上げられたイメージだという要素が強いですから、本当に中国や北朝鮮にすり寄って行く可能性は低いですが、外交カードとしてそれをちらつかせる、ということは考えられますね。
そうやって突っ張っていれば、適当なところでアメリカが仲裁に乗り出してくれるのではないか、と。
これも、所詮は推測だと言われればそうですけど、非常に現実味があるところが嫌ですね。もし、この推測が当たっていたら、これほど情けない話はない。韓日両国ともに、アメリカの属国ではありません。そのことを本当に理解しているのか、ついついこちらまで大人げなく怒鳴り散らしたくなるほどです。
実は私は、今次の問題が表面化した直後、徴用工判決で名指しされたり、韓国への半導体輸出が売り上げの主たるものだという会社に、軒並み電話取材を試みました。
「現時点ではお答えできることは、なにもございません」
という返事もよく聞かされましたが、
「今後どうしたらよいのか、本当に困っています」
と率直に応えてくれた会社も複数ありましたよ。
未来世代の両国民のために、政治家たちはひとまず面子の張り合いをやめるべきです。
具体的には、韓国はGSOMIAの破棄を撤回し、日本は韓国を再びホワイト国に認定する。これでひとまず痛み分けだということにして、落としどころを探ればよいでしょう。
ヤクザの喧嘩ではないのですから、アメリカという大親分の仲裁を期待しながら、事務所のガラス窓を割り合うようなみっともない真似は、もうやめましょう。
(取材・構成・文責/林信吾)
【ヤン・テフン】
1967年、釜山生まれ。韓国の大学に合格していたが、兵役満了後、日本に私費留学し、城西大学経済学部卒業。韓国のTV製作会社の日本子会社勤務を経て、通訳・コーディネイターとして独立。現在はジャーナリストとしても活躍中。
林信吾(作家・ジャーナリスト)
【ヤン・テフン】
1967年、釜山生まれ。韓国の大学に合格していたが、兵役満了後、日本に私費留学し、城西大学経済学部卒業。韓国のTV製作会社の日本子会社勤務を経て、通訳・コーディネイターとして独立。現在はジャーナリストとしても活躍中。
林信吾(作家・ジャーナリスト)
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