南无莲池海会佛菩萨(三称)
《佛说阿弥陀经》
姚秦三藏法师鸠摩罗什译
如是我闻。一时佛在舍卫国,祇树给孤独园。与大比丘僧,千二百五十人俱,皆是大阿罗汉,众所知识:长老舍利弗、摩诃目犍连、摩诃迦叶、摩诃迦旃延、摩诃俱絺罗、离婆多、周利槃陀伽、难陀、阿难陀、罗侯罗、憍梵波提、宾头卢颇罗堕、迦留陀夷、摩诃劫宾那、薄拘罗、阿那楼驮,如是等诸大弟子。
并诸菩萨摩诃萨:文殊师利法王子、阿逸多菩萨、乾陀诃提菩萨、常精进菩萨,与如是等诸大菩萨。
及释提桓因等,无量诸天大众俱。
尔时,佛告长老舍利弗:‘从是西方,过十万亿佛土,有世界名曰极乐,其土有佛,号阿弥陀,今现在说法。’
‘舍利弗,彼土何故名为极乐?其国众生,无有众苦,但受诸乐,故名极乐。’
‘又舍利弗。极乐国土,七重栏楯,七重罗网,七重行树,皆是四宝周匝围绕,是故彼国名为极乐。’
‘又舍利弗。极乐国土,有七宝池,八功德水,充满其中,池底纯以金沙布地。四边阶道,金、银、琉璃、玻璃合成。上有楼阁,亦以金、银、琉璃、玻璃、砗磲、赤珠、玛瑙而严饰之。池中莲花大如车轮,青色青光、黄色黄光、赤色赤光、白色白光,微妙香洁。’
‘舍利弗。极乐国土,成就如是功德庄严。’
‘又舍利弗。彼佛国土,常作天乐。黄金为地。昼夜六时,雨天曼陀罗华。其土众生,常以清旦,各以衣祴盛众妙华,供养他方十万亿佛,即以食时,还到本国,饭食经行。’
‘舍利弗。极乐国土,成就如是功德庄严。’
复次舍利弗:‘彼国常有种种奇妙杂色之鸟:白鹤、孔雀、鹦鹉、舍利、迦陵频伽、共命之鸟。是诸众鸟,昼夜六时,出和雅音。其音演畅五根、五力、七菩提分、八圣道分,如是等法。其土众生,闻是音已,皆悉念佛、念法、念僧。’
‘舍利弗。汝勿谓此鸟,实是罪报所生,所以者何?彼佛国土,无三恶道。’
‘舍利弗。其佛国土,尚无恶道之名,何况有实。是诸众鸟,皆是阿弥陀佛,欲令法音宣流,变化所作。’
‘舍利弗。彼佛国土,微风吹动诸宝行树,及宝罗网,出微妙音,譬如百千种乐,同时俱作。闻是音者,自然皆生念佛、念法、念僧之心。’
‘舍利弗。其佛国土,成就如是功德庄严。’
‘舍利弗。于汝意云何?彼佛何故号阿弥陀?’
‘舍利弗。彼佛光明无量,照十方国,无所障碍,是故号为阿弥陀。’
‘又舍利弗。彼佛寿命,及其人民,无量无边阿僧祇劫,故名阿弥陀。’
‘舍利弗。阿弥陀佛成佛已来,于今十劫。’
‘又舍利弗。彼佛有无量无边声闻弟子,皆阿罗汉,非是算数之所能知。诸菩萨众,亦复如是。’
‘舍利弗。彼佛国土,成就如是功德庄严。’
‘又舍利弗。极乐国土,众生生者,皆是阿鞞跋致,其中多有一生补处,其数甚多,非是算数所能知之,但可以无量无边阿僧祇说。’
‘舍利弗。众生闻者,应当发愿,愿生彼国,所以者何?得与如是诸上善人俱会一处。’
‘舍利弗。不可以少善根福德因缘,得生彼国。’
‘舍利弗。若有善男子善女人,闻说阿弥陀佛,执持名号,若一日、若二日,若三日,若四日,若五日,若六日,若七日,一心不乱,其人临命终时,阿弥陀佛,与诸圣众,现在其前。是人终时,心不颠倒,即得往生阿弥陀佛极乐国土。’
‘舍利弗。我见是利,故说此言。若有众生,闻是说者,应当发愿,生彼国土。’
‘舍利弗。如我今者,赞叹阿弥陀佛,不可思议功德之利。东方亦有阿閦鞞佛、须弥相佛、大须弥佛、须弥光佛、妙音佛,如是等恒河沙数诸佛,各于其国,出广长舌相,遍覆三千大千世界,说诚实言:“汝等众生,当信是称赞不可思议功德一切诸佛所护念经。”’
‘舍利弗。南方世界,有日月灯佛、名闻光佛、大焰肩佛、须弥灯佛、无量精进佛,如是等恒河沙数诸佛,各于其国,出广长舌相,遍覆三千大千世界,说诚实言:“汝等众生,当信是称赞不可思议功德一切诸佛所护念经。”’
‘舍利弗。西方世界,有无量寿佛、无量相佛、无量幢佛、大光佛、大明佛、宝相佛、净光佛,如是等恒河沙数诸佛,各于其国,出广长舌相,遍覆三千大千世界,说诚实言:“汝等众生,当信是称赞不可思议功德一切诸佛所护念经。”’
‘舍利弗。北方世界,有焰肩佛、最胜音佛、难沮佛、日生佛、网明佛,如是等恒河沙数诸佛,各于其国,出广长舌相,遍覆三千大千世界,说诚实言:“汝等众生,当信是称赞不可思议功德一切诸佛所护念经。”’
‘舍利弗。下方世界,有师子佛、名闻佛、名光佛、达摩佛、法幢佛、持法佛,如是等恒河沙数诸佛,各于其国,出广长舌相,遍覆三千大千世界,说诚实言:“汝等众生,当信是称赞不可思议功德一切诸佛所护念经。”’
‘舍利弗。上方世界,有梵音佛、宿王佛、香上佛、香光佛、大焰肩佛、杂色宝华严身佛、娑罗树王佛、宝华德佛、见一切义佛、如须弥山佛,如是等恒河沙数诸佛,各于其国,出广长舌相,遍覆三千大千世界,说诚实言:“汝等众生,当信是称赞不可思议功德一切诸佛所护念经。”’
‘舍利弗。于汝意云何?何故名为一切诸佛所护念经?’
‘舍利弗。若有善男子、善女人,闻是经受持者,及闻诸佛名者,是诸善男子、善女人,皆为一切诸佛之所护念,皆得不退转于阿耨多罗三藐三菩提。是故舍利弗,汝等皆当信受我语,及诸佛所说。’
‘舍利弗。若有人已发愿、今发愿、当发愿,欲生阿弥陀佛国者,是诸人等,皆得不退转于阿耨多罗三藐三菩提,于彼国土,若已生、若今生、若当生。是故舍利弗,诸善男子、善女人,若有信者,应当发愿,生彼国土。舍利弗,如我今者,称赞诸佛不可思议功德,彼诸佛等,亦称赞我不可思议功德,而作是言:“释迦牟尼佛能为甚难希有之事,能于娑婆国土,五浊恶世,劫浊、见浊、烦恼浊、众生浊、命浊中,得阿耨多罗三藐三菩提。为诸众生,说是一切世间难信之法。”’
‘舍利弗。当知我于五浊恶世,行此难事,得阿耨多罗三藐三菩提,为一切世间说此难信之法,是为甚难。’
佛说此经已,舍利弗,及诸比丘,一切世间天人阿修罗等,闻佛所说,欢喜信受,作礼而去。
往生咒](拔一切业障根本得生净土陀罗尼)
南无阿弥多婆夜。哆他(tuo)伽多夜。哆地夜他。阿弥利都婆毗。阿弥利哆。悉耽婆毗。
阿弥唎哆。毗迦兰帝。阿弥唎哆。毗迦兰多。伽弥腻。伽伽那。枳(zhi)多迦利。娑婆诃。(三遍)
[赞佛偈]
阿弥陀佛身金色。相好光明无等伦。
白毫宛转五须弥。绀目澄清四大海。
光中化佛无数亿。化菩萨众亦无边。
四十八愿度众生。九品咸令登彼岸。
南无西方极乐世界大慈大悲阿弥陀佛(三称)。
(绕念)南无阿弥陀佛 ……(绕佛约数百声然后各归原位)
[拜愿]
南无阿弥陀佛(十二称十二拜)
南无观世音菩萨(三称三拜)
南无大势至菩萨(三称三拜)
南无清净大海众菩萨(三称三拜)
[回向偈]
愿以此功德。庄严佛净土。
上报四重恩。下济三途苦。
若有见闻者。悉发菩提心。
尽此一报身。同生极乐国。
[三皈依文]
自皈依佛 当愿众生 体解大道 发无上心(一拜)
自皈依法 当愿众生 深入经藏 智慧如海(一拜)
自皈依僧 当愿众生 统理大众 一切无碍(一拜)
和南圣众。(三称三拜而毕)今日六月初一日念经念佛忆佛回向众生离苦得乐究竟成佛
《佛说阿弥陀经》
姚秦三藏法师鸠摩罗什译
如是我闻。一时佛在舍卫国,祇树给孤独园。与大比丘僧,千二百五十人俱,皆是大阿罗汉,众所知识:长老舍利弗、摩诃目犍连、摩诃迦叶、摩诃迦旃延、摩诃俱絺罗、离婆多、周利槃陀伽、难陀、阿难陀、罗侯罗、憍梵波提、宾头卢颇罗堕、迦留陀夷、摩诃劫宾那、薄拘罗、阿那楼驮,如是等诸大弟子。
并诸菩萨摩诃萨:文殊师利法王子、阿逸多菩萨、乾陀诃提菩萨、常精进菩萨,与如是等诸大菩萨。
及释提桓因等,无量诸天大众俱。
尔时,佛告长老舍利弗:‘从是西方,过十万亿佛土,有世界名曰极乐,其土有佛,号阿弥陀,今现在说法。’
‘舍利弗,彼土何故名为极乐?其国众生,无有众苦,但受诸乐,故名极乐。’
‘又舍利弗。极乐国土,七重栏楯,七重罗网,七重行树,皆是四宝周匝围绕,是故彼国名为极乐。’
‘又舍利弗。极乐国土,有七宝池,八功德水,充满其中,池底纯以金沙布地。四边阶道,金、银、琉璃、玻璃合成。上有楼阁,亦以金、银、琉璃、玻璃、砗磲、赤珠、玛瑙而严饰之。池中莲花大如车轮,青色青光、黄色黄光、赤色赤光、白色白光,微妙香洁。’
‘舍利弗。极乐国土,成就如是功德庄严。’
‘又舍利弗。彼佛国土,常作天乐。黄金为地。昼夜六时,雨天曼陀罗华。其土众生,常以清旦,各以衣祴盛众妙华,供养他方十万亿佛,即以食时,还到本国,饭食经行。’
‘舍利弗。极乐国土,成就如是功德庄严。’
复次舍利弗:‘彼国常有种种奇妙杂色之鸟:白鹤、孔雀、鹦鹉、舍利、迦陵频伽、共命之鸟。是诸众鸟,昼夜六时,出和雅音。其音演畅五根、五力、七菩提分、八圣道分,如是等法。其土众生,闻是音已,皆悉念佛、念法、念僧。’
‘舍利弗。汝勿谓此鸟,实是罪报所生,所以者何?彼佛国土,无三恶道。’
‘舍利弗。其佛国土,尚无恶道之名,何况有实。是诸众鸟,皆是阿弥陀佛,欲令法音宣流,变化所作。’
‘舍利弗。彼佛国土,微风吹动诸宝行树,及宝罗网,出微妙音,譬如百千种乐,同时俱作。闻是音者,自然皆生念佛、念法、念僧之心。’
‘舍利弗。其佛国土,成就如是功德庄严。’
‘舍利弗。于汝意云何?彼佛何故号阿弥陀?’
‘舍利弗。彼佛光明无量,照十方国,无所障碍,是故号为阿弥陀。’
‘又舍利弗。彼佛寿命,及其人民,无量无边阿僧祇劫,故名阿弥陀。’
‘舍利弗。阿弥陀佛成佛已来,于今十劫。’
‘又舍利弗。彼佛有无量无边声闻弟子,皆阿罗汉,非是算数之所能知。诸菩萨众,亦复如是。’
‘舍利弗。彼佛国土,成就如是功德庄严。’
‘又舍利弗。极乐国土,众生生者,皆是阿鞞跋致,其中多有一生补处,其数甚多,非是算数所能知之,但可以无量无边阿僧祇说。’
‘舍利弗。众生闻者,应当发愿,愿生彼国,所以者何?得与如是诸上善人俱会一处。’
‘舍利弗。不可以少善根福德因缘,得生彼国。’
‘舍利弗。若有善男子善女人,闻说阿弥陀佛,执持名号,若一日、若二日,若三日,若四日,若五日,若六日,若七日,一心不乱,其人临命终时,阿弥陀佛,与诸圣众,现在其前。是人终时,心不颠倒,即得往生阿弥陀佛极乐国土。’
‘舍利弗。我见是利,故说此言。若有众生,闻是说者,应当发愿,生彼国土。’
‘舍利弗。如我今者,赞叹阿弥陀佛,不可思议功德之利。东方亦有阿閦鞞佛、须弥相佛、大须弥佛、须弥光佛、妙音佛,如是等恒河沙数诸佛,各于其国,出广长舌相,遍覆三千大千世界,说诚实言:“汝等众生,当信是称赞不可思议功德一切诸佛所护念经。”’
‘舍利弗。南方世界,有日月灯佛、名闻光佛、大焰肩佛、须弥灯佛、无量精进佛,如是等恒河沙数诸佛,各于其国,出广长舌相,遍覆三千大千世界,说诚实言:“汝等众生,当信是称赞不可思议功德一切诸佛所护念经。”’
‘舍利弗。西方世界,有无量寿佛、无量相佛、无量幢佛、大光佛、大明佛、宝相佛、净光佛,如是等恒河沙数诸佛,各于其国,出广长舌相,遍覆三千大千世界,说诚实言:“汝等众生,当信是称赞不可思议功德一切诸佛所护念经。”’
‘舍利弗。北方世界,有焰肩佛、最胜音佛、难沮佛、日生佛、网明佛,如是等恒河沙数诸佛,各于其国,出广长舌相,遍覆三千大千世界,说诚实言:“汝等众生,当信是称赞不可思议功德一切诸佛所护念经。”’
‘舍利弗。下方世界,有师子佛、名闻佛、名光佛、达摩佛、法幢佛、持法佛,如是等恒河沙数诸佛,各于其国,出广长舌相,遍覆三千大千世界,说诚实言:“汝等众生,当信是称赞不可思议功德一切诸佛所护念经。”’
‘舍利弗。上方世界,有梵音佛、宿王佛、香上佛、香光佛、大焰肩佛、杂色宝华严身佛、娑罗树王佛、宝华德佛、见一切义佛、如须弥山佛,如是等恒河沙数诸佛,各于其国,出广长舌相,遍覆三千大千世界,说诚实言:“汝等众生,当信是称赞不可思议功德一切诸佛所护念经。”’
‘舍利弗。于汝意云何?何故名为一切诸佛所护念经?’
‘舍利弗。若有善男子、善女人,闻是经受持者,及闻诸佛名者,是诸善男子、善女人,皆为一切诸佛之所护念,皆得不退转于阿耨多罗三藐三菩提。是故舍利弗,汝等皆当信受我语,及诸佛所说。’
‘舍利弗。若有人已发愿、今发愿、当发愿,欲生阿弥陀佛国者,是诸人等,皆得不退转于阿耨多罗三藐三菩提,于彼国土,若已生、若今生、若当生。是故舍利弗,诸善男子、善女人,若有信者,应当发愿,生彼国土。舍利弗,如我今者,称赞诸佛不可思议功德,彼诸佛等,亦称赞我不可思议功德,而作是言:“释迦牟尼佛能为甚难希有之事,能于娑婆国土,五浊恶世,劫浊、见浊、烦恼浊、众生浊、命浊中,得阿耨多罗三藐三菩提。为诸众生,说是一切世间难信之法。”’
‘舍利弗。当知我于五浊恶世,行此难事,得阿耨多罗三藐三菩提,为一切世间说此难信之法,是为甚难。’
佛说此经已,舍利弗,及诸比丘,一切世间天人阿修罗等,闻佛所说,欢喜信受,作礼而去。
往生咒](拔一切业障根本得生净土陀罗尼)
南无阿弥多婆夜。哆他(tuo)伽多夜。哆地夜他。阿弥利都婆毗。阿弥利哆。悉耽婆毗。
阿弥唎哆。毗迦兰帝。阿弥唎哆。毗迦兰多。伽弥腻。伽伽那。枳(zhi)多迦利。娑婆诃。(三遍)
[赞佛偈]
阿弥陀佛身金色。相好光明无等伦。
白毫宛转五须弥。绀目澄清四大海。
光中化佛无数亿。化菩萨众亦无边。
四十八愿度众生。九品咸令登彼岸。
南无西方极乐世界大慈大悲阿弥陀佛(三称)。
(绕念)南无阿弥陀佛 ……(绕佛约数百声然后各归原位)
[拜愿]
南无阿弥陀佛(十二称十二拜)
南无观世音菩萨(三称三拜)
南无大势至菩萨(三称三拜)
南无清净大海众菩萨(三称三拜)
[回向偈]
愿以此功德。庄严佛净土。
上报四重恩。下济三途苦。
若有见闻者。悉发菩提心。
尽此一报身。同生极乐国。
[三皈依文]
自皈依佛 当愿众生 体解大道 发无上心(一拜)
自皈依法 当愿众生 深入经藏 智慧如海(一拜)
自皈依僧 当愿众生 统理大众 一切无碍(一拜)
和南圣众。(三称三拜而毕)今日六月初一日念经念佛忆佛回向众生离苦得乐究竟成佛
[太阳][浮云][微风]
做自己的梦,走自己的路,
若能心无挂碍,自然心生欢喜。
平淡相守,简单拥有,最是心安。
恰到好处,才是幸福。
当你觉得力不从心的时候,
将一切交付给时间就好。
终有一天,你会静下心来,
像个局外人一样回首自己的故事,
然后笑着摇摇头,纷纷世相,若一场大梦。
一念醒来,阳光依旧,岁月静好 。
拍得~今日7:15分至9:02分时候的风景。 https://t.cn/Ry6bvy9
做自己的梦,走自己的路,
若能心无挂碍,自然心生欢喜。
平淡相守,简单拥有,最是心安。
恰到好处,才是幸福。
当你觉得力不从心的时候,
将一切交付给时间就好。
终有一天,你会静下心来,
像个局外人一样回首自己的故事,
然后笑着摇摇头,纷纷世相,若一场大梦。
一念醒来,阳光依旧,岁月静好 。
拍得~今日7:15分至9:02分时候的风景。 https://t.cn/Ry6bvy9
【わたし達はおとな】web MAGAZINE
装苑
木竜麻生×藤原季節 対談、
映画『わたし達はおとな』のバックステージ(2)
――その信頼関係は、優実と直哉が幸せなときの空気感や、何気ない会話の間(ま)に感じました。セリフというよりは現実の会話のような、これはどこまでが台本に書いてあることなのかなと思ってしまうようなやりとりで。演じ手としてはいかがでしたか?
藤原:僕は楽でしかなかったです。それはなんでかというとーーこういう話は今だからできるのですが、相手を想う「好き」っていう気持ちの総量が、優実と直哉ではちょっと違うから。僕(直哉)は、ひょっとしたら優実と話しながら違うことを考えているかもしれない、その要素が多かったんですよね。元カノの存在も、自分がやっている演劇活動のこともありましたし。だから多分、真剣に会話していないんですよ。そういう意味での楽さもあったんです。
直哉は逃げ道が自分の中にいっぱいあるような人間で、そういう人って、ちょっと何考えてるか分からない。それが優実にとっては追いかけてしまうところだったのかもしれないですよね。だから僕はやっぱり、木竜さんとは違っていたんですよね。
木竜:「隠すこと」っていうのを最初に言われた上でセリフを読むと、優実は人格を言葉に委ねていないんです。言葉を信頼しきって書かれているセリフではないから、言っていること=内容に感情があるのではなく、言っている人の中に感情がある。それって本当は俳優として、どの作品でもどの現場でも、きっと真摯に向かい合わなければいけないことなんですけど、特に加藤さんは台本でも現場でもそこを追求していて甘えは許されないので、大変は大変でしたが、幸せでした。
ちょっとの緩みもそうですし、内面に抱えているものの量が減っていることも増えすぎていることもちゃんと指摘して、導いてくださるので。
藤原:なるほどね。
木竜:終わってから改めて感じたことだけどね。
藤原:僕と木竜さんに対しての演出が全然違うんだね、今思うと。
木竜:違うのかもしれない。私は、普段加藤さんが(藤原さんと)一緒にやっているからか、藤原さんに対しての言い方が強いなって思ってた。
藤原:わ、全く思わなかった!
木竜:うん、全然思ってなかったよね。現場でも、むしろ木竜さんに対して当たりが強いなと思ってたって言ってた。
つまりそれって、役者がどういう人で今どういう役でどのシーンを撮っていて、それがどんな役割を持ち、なにを次のシーンにバトンパスしなければいけないか、最低限そこに何がなければいけないかをきちんと考えて、加藤さんが演出も流れもつくって下さっていたということですよね。こうやって話しながらそれに気がつくことができて、今、とても有意義です(笑)。ありがとうございます。
――こちらの方こそ、貴重なお話をありがとうございます!藤原さんは加藤さんとこれまでたくさんタッグを組まれていますが、演出方法は作品によって変わりますか?
藤原:変わらないですね。必要以上に情感を残したり、人に対して近づきすぎると指摘されることが多いと思います。
例えば、誰かを励ます場面で肩に手を添えたりしたら、ぱって来て「それいらん」とだけ言われるみたいな。それがちょっと強く見えたのかもしれないですね。僕らの間に説明はいらないんです。「それいらん」って言われたら、相手に対して近づきすぎたんだなっていうのが、説明無しでも分かるから。(加藤さんは)人と人との距離をめっちゃ大事にする人ですし、僕もそう言われたら「近づきすぎたか、オッケー」という感じ。僕らは、交わす言葉がすごく少ないかもしれないです。
――『装苑』7月号で監督・脚本の加藤さんにお話を伺った際、演出上「俳優の生理と役の生理に無理が生じないことを目指しています」とおっしゃっていたのですが、それは具体的に現場でどんな演出となり、お二人にどう作用するのか気になりました。
木竜:リハーサルの最初に言われて心に残っていたのは、「今回、特に優実は、どれだけ隠すかです」という言葉でした。なので、思っていても言えなかったり、言いたくないことがあったり・・・そういうものを”どれだけ隠すか”は、すごく意識していました。加藤さんは、本当によく俳優を見てくれているので、撮影中も「出すぎている」や「もうほんの少しだけ出して」などと声をかけてくださり、細かい微妙なニュアンスを調整していく丁寧な作業ができます。
あともう一つ、「しぐさの手数を増やして」と言われたこともよく覚えています。他の現場ではあまり良しとされないと思いますし、やってと言われることもないでしょうけど、「本当に些細なしぐさで良くて、さらにそのしぐさをやろうとはしなくていいけど、しぐさを増やせる時に増やすのは構わないからどんどんやって」と。すごく難しかったのですが、今回の加藤さんの作品だから体感できた難しさだったような気がしますね。
――それは話しながらどう動くかや、ふとした時に何をしているかなどのバリエーションを増やすということですよね。
木竜:はい。「(そういうしぐさが)何かある?」と言われて、「しぐさですか?」って考えるような動きをしたら「それだよ」と。そこで、ああ〜!って分かりました。それこそ生理だと思うんですけど、やろうとするのではなく全部が”通る”ようにしたいと思いましたし、その難しさは感じていました。
藤原:いま聞いていて思い出したのですが、最初のリハーサルの時は、自分がやっているしぐさを、まず意識化するんです。それを重ねて本番に入ると、カメラが回っていても自分の生理に沿った動きが自然と出てくる状態になる。本番には「何もしない」ということができる、整った状態を用意してくれるんですよね。だから、僕はいつも加藤さんの時は楽なんです、演じていて。木竜さんは多分苦しかったと思うのですが、僕は、木竜さんが苦しいところに運ばれていく姿を見ているだけでよかったということもあって・・・(笑)。
木竜:いや、そんなことはない(笑)。今日のインタビューの前も、藤原さんは「俺は何も言うことが無い」ってずーっと言うんだけど、そんなことは全くないんです。現場では藤原さんがちゃんと全部受け止めてくれるので、本当に安心していました。
もともと藤原さんとは友人で、出演されている作品も観ていましたし、良い俳優さんだなぁってずっと思っていましたけど、初めて今回ご一緒して、現場でその大きさを感じました。私のほうこそ、ああもう全部任せよう!って。だから分からないことも不安なこともたくさん相談しましたし、お芝居で何かをする時にも、すごく委ねて現場にいることができました。それは藤原さんがいて、加藤さんがちゃんと見ていてくれるという安心感があったから。
――その信頼関係は、優実と直哉が幸せなときの空気感や、何気ない会話の間(ま)に感じました。セリフというよりは現実の会話のような、これはどこまでが台本に書いてあることなのかなと思ってしまうようなやりとりで。演じ手としてはいかがでしたか?
藤原:僕は楽でしかなかったです。それはなんでかというとーーこういう話は今だからできるのですが、相手を想う「好き」っていう気持ちの総量が、優実と直哉ではちょっと違うから。僕(直哉)は、ひょっとしたら優実と話しながら違うことを考えているかもしれない、その要素が多かったんですよね。元カノの存在も、自分がやっている演劇活動のこともありましたし。だから多分、真剣に会話していないんですよ。そういう意味での楽さもあったんです。
直哉は逃げ道が自分の中にいっぱいあるような人間で、そういう人って、ちょっと何考えてるか分からない。それが優実にとっては追いかけてしまうところだったのかもしれないですよね。だから僕はやっぱり、木竜さんとは違っていたんですよね。
木竜:「隠すこと」っていうのを最初に言われた上でセリフを読むと、優実は人格を言葉に委ねていないんです。言葉を信頼しきって書かれているセリフではないから、言っていること=内容に感情があるのではなく、言っている人の中に感情がある。それって本当は俳優として、どの作品でもどの現場でも、きっと真摯に向かい合わなければいけないことなんですけど、特に加藤さんは台本でも現場でもそこを追求していて甘えは許されないので、大変は大変でしたが、幸せでした。
ちょっとの緩みもそうですし、内面に抱えているものの量が減っていることも増えすぎていることもちゃんと指摘して、導いてくださるので。
藤原:なるほどね。
木竜:終わってから改めて感じたことだけどね。
藤原:僕と木竜さんに対しての演出が全然違うんだね、今思うと。
木竜:違うのかもしれない。私は、普段加藤さんが(藤原さんと)一緒にやっているからか、藤原さんに対しての言い方が強いなって思ってた。
藤原:わ、全く思わなかった!
木竜:うん、全然思ってなかったよね。現場でも、むしろ木竜さんに対して当たりが強いなと思ってたって言ってた。
つまりそれって、役者がどういう人で今どういう役でどのシーンを撮っていて、それがどんな役割を持ち、なにを次のシーンにバトンパスしなければいけないか、最低限そこに何がなければいけないかをきちんと考えて、加藤さんが演出も流れもつくって下さっていたということですよね。こうやって話しながらそれに気がつくことができて、今、とても有意義です(笑)。ありがとうございます。
装苑
木竜麻生×藤原季節 対談、
映画『わたし達はおとな』のバックステージ(2)
――その信頼関係は、優実と直哉が幸せなときの空気感や、何気ない会話の間(ま)に感じました。セリフというよりは現実の会話のような、これはどこまでが台本に書いてあることなのかなと思ってしまうようなやりとりで。演じ手としてはいかがでしたか?
藤原:僕は楽でしかなかったです。それはなんでかというとーーこういう話は今だからできるのですが、相手を想う「好き」っていう気持ちの総量が、優実と直哉ではちょっと違うから。僕(直哉)は、ひょっとしたら優実と話しながら違うことを考えているかもしれない、その要素が多かったんですよね。元カノの存在も、自分がやっている演劇活動のこともありましたし。だから多分、真剣に会話していないんですよ。そういう意味での楽さもあったんです。
直哉は逃げ道が自分の中にいっぱいあるような人間で、そういう人って、ちょっと何考えてるか分からない。それが優実にとっては追いかけてしまうところだったのかもしれないですよね。だから僕はやっぱり、木竜さんとは違っていたんですよね。
木竜:「隠すこと」っていうのを最初に言われた上でセリフを読むと、優実は人格を言葉に委ねていないんです。言葉を信頼しきって書かれているセリフではないから、言っていること=内容に感情があるのではなく、言っている人の中に感情がある。それって本当は俳優として、どの作品でもどの現場でも、きっと真摯に向かい合わなければいけないことなんですけど、特に加藤さんは台本でも現場でもそこを追求していて甘えは許されないので、大変は大変でしたが、幸せでした。
ちょっとの緩みもそうですし、内面に抱えているものの量が減っていることも増えすぎていることもちゃんと指摘して、導いてくださるので。
藤原:なるほどね。
木竜:終わってから改めて感じたことだけどね。
藤原:僕と木竜さんに対しての演出が全然違うんだね、今思うと。
木竜:違うのかもしれない。私は、普段加藤さんが(藤原さんと)一緒にやっているからか、藤原さんに対しての言い方が強いなって思ってた。
藤原:わ、全く思わなかった!
木竜:うん、全然思ってなかったよね。現場でも、むしろ木竜さんに対して当たりが強いなと思ってたって言ってた。
つまりそれって、役者がどういう人で今どういう役でどのシーンを撮っていて、それがどんな役割を持ち、なにを次のシーンにバトンパスしなければいけないか、最低限そこに何がなければいけないかをきちんと考えて、加藤さんが演出も流れもつくって下さっていたということですよね。こうやって話しながらそれに気がつくことができて、今、とても有意義です(笑)。ありがとうございます。
――こちらの方こそ、貴重なお話をありがとうございます!藤原さんは加藤さんとこれまでたくさんタッグを組まれていますが、演出方法は作品によって変わりますか?
藤原:変わらないですね。必要以上に情感を残したり、人に対して近づきすぎると指摘されることが多いと思います。
例えば、誰かを励ます場面で肩に手を添えたりしたら、ぱって来て「それいらん」とだけ言われるみたいな。それがちょっと強く見えたのかもしれないですね。僕らの間に説明はいらないんです。「それいらん」って言われたら、相手に対して近づきすぎたんだなっていうのが、説明無しでも分かるから。(加藤さんは)人と人との距離をめっちゃ大事にする人ですし、僕もそう言われたら「近づきすぎたか、オッケー」という感じ。僕らは、交わす言葉がすごく少ないかもしれないです。
――『装苑』7月号で監督・脚本の加藤さんにお話を伺った際、演出上「俳優の生理と役の生理に無理が生じないことを目指しています」とおっしゃっていたのですが、それは具体的に現場でどんな演出となり、お二人にどう作用するのか気になりました。
木竜:リハーサルの最初に言われて心に残っていたのは、「今回、特に優実は、どれだけ隠すかです」という言葉でした。なので、思っていても言えなかったり、言いたくないことがあったり・・・そういうものを”どれだけ隠すか”は、すごく意識していました。加藤さんは、本当によく俳優を見てくれているので、撮影中も「出すぎている」や「もうほんの少しだけ出して」などと声をかけてくださり、細かい微妙なニュアンスを調整していく丁寧な作業ができます。
あともう一つ、「しぐさの手数を増やして」と言われたこともよく覚えています。他の現場ではあまり良しとされないと思いますし、やってと言われることもないでしょうけど、「本当に些細なしぐさで良くて、さらにそのしぐさをやろうとはしなくていいけど、しぐさを増やせる時に増やすのは構わないからどんどんやって」と。すごく難しかったのですが、今回の加藤さんの作品だから体感できた難しさだったような気がしますね。
――それは話しながらどう動くかや、ふとした時に何をしているかなどのバリエーションを増やすということですよね。
木竜:はい。「(そういうしぐさが)何かある?」と言われて、「しぐさですか?」って考えるような動きをしたら「それだよ」と。そこで、ああ〜!って分かりました。それこそ生理だと思うんですけど、やろうとするのではなく全部が”通る”ようにしたいと思いましたし、その難しさは感じていました。
藤原:いま聞いていて思い出したのですが、最初のリハーサルの時は、自分がやっているしぐさを、まず意識化するんです。それを重ねて本番に入ると、カメラが回っていても自分の生理に沿った動きが自然と出てくる状態になる。本番には「何もしない」ということができる、整った状態を用意してくれるんですよね。だから、僕はいつも加藤さんの時は楽なんです、演じていて。木竜さんは多分苦しかったと思うのですが、僕は、木竜さんが苦しいところに運ばれていく姿を見ているだけでよかったということもあって・・・(笑)。
木竜:いや、そんなことはない(笑)。今日のインタビューの前も、藤原さんは「俺は何も言うことが無い」ってずーっと言うんだけど、そんなことは全くないんです。現場では藤原さんがちゃんと全部受け止めてくれるので、本当に安心していました。
もともと藤原さんとは友人で、出演されている作品も観ていましたし、良い俳優さんだなぁってずっと思っていましたけど、初めて今回ご一緒して、現場でその大きさを感じました。私のほうこそ、ああもう全部任せよう!って。だから分からないことも不安なこともたくさん相談しましたし、お芝居で何かをする時にも、すごく委ねて現場にいることができました。それは藤原さんがいて、加藤さんがちゃんと見ていてくれるという安心感があったから。
――その信頼関係は、優実と直哉が幸せなときの空気感や、何気ない会話の間(ま)に感じました。セリフというよりは現実の会話のような、これはどこまでが台本に書いてあることなのかなと思ってしまうようなやりとりで。演じ手としてはいかがでしたか?
藤原:僕は楽でしかなかったです。それはなんでかというとーーこういう話は今だからできるのですが、相手を想う「好き」っていう気持ちの総量が、優実と直哉ではちょっと違うから。僕(直哉)は、ひょっとしたら優実と話しながら違うことを考えているかもしれない、その要素が多かったんですよね。元カノの存在も、自分がやっている演劇活動のこともありましたし。だから多分、真剣に会話していないんですよ。そういう意味での楽さもあったんです。
直哉は逃げ道が自分の中にいっぱいあるような人間で、そういう人って、ちょっと何考えてるか分からない。それが優実にとっては追いかけてしまうところだったのかもしれないですよね。だから僕はやっぱり、木竜さんとは違っていたんですよね。
木竜:「隠すこと」っていうのを最初に言われた上でセリフを読むと、優実は人格を言葉に委ねていないんです。言葉を信頼しきって書かれているセリフではないから、言っていること=内容に感情があるのではなく、言っている人の中に感情がある。それって本当は俳優として、どの作品でもどの現場でも、きっと真摯に向かい合わなければいけないことなんですけど、特に加藤さんは台本でも現場でもそこを追求していて甘えは許されないので、大変は大変でしたが、幸せでした。
ちょっとの緩みもそうですし、内面に抱えているものの量が減っていることも増えすぎていることもちゃんと指摘して、導いてくださるので。
藤原:なるほどね。
木竜:終わってから改めて感じたことだけどね。
藤原:僕と木竜さんに対しての演出が全然違うんだね、今思うと。
木竜:違うのかもしれない。私は、普段加藤さんが(藤原さんと)一緒にやっているからか、藤原さんに対しての言い方が強いなって思ってた。
藤原:わ、全く思わなかった!
木竜:うん、全然思ってなかったよね。現場でも、むしろ木竜さんに対して当たりが強いなと思ってたって言ってた。
つまりそれって、役者がどういう人で今どういう役でどのシーンを撮っていて、それがどんな役割を持ち、なにを次のシーンにバトンパスしなければいけないか、最低限そこに何がなければいけないかをきちんと考えて、加藤さんが演出も流れもつくって下さっていたということですよね。こうやって話しながらそれに気がつくことができて、今、とても有意義です(笑)。ありがとうございます。
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