新時代・令和になりましたし、最近思う事を、久しぶりに日本語で投稿しましょうか。
昔から日本だけでなく、世界中で言われていますが、男性は人生で大体3回、大きな迷いを感じる時期があるそうです。
28歳頃、42歳頃、60歳頃。
まぁ、何となく分かりますし、僕も例外なく、この試練にさらされましたし、2回目の迷い(試練)にさらされている最中です(苦笑)
去年の8月頃から、ちょっと違和感を感じる様になったのです。
最初は、「 疲れが取れない 」、「 集中力が前よりも落ちている 」、「 肌が荒れてきた 」・・・
( 最後は、ビーチに行き過ぎが原因でしょうけどね。 笑)
最初は、これがいわゆる「 歳を取るという事か 」と感じたものの、特に生活スタイルを変えずにいたんです。
仕事も相変わらず楽しいですし、挑戦的で、自分で決定できる事も多く、給料も十分です。
3つのサイドビジネスの方も、相変わらず順調ですし、シンガポールで種を植えた事業も今のところは順調です。
もっと、満足感を感じても良いのに、、、、
昔よりも明らかに達成している事が多いのに、達成感を感じないのです。
昔よりも明らかに仕事をこなしているのに、全力を出し切っている感じがしないのです。
そこで、古今東西のライフプランに関する本や、幸せに関する本や、宗教関連の本を読んだ中で、一番しっくり来るものがあったんです。
「 人生は山です。 20代、30代は山を全力で登り、40代になったら下山を始めないといけない 」
大体、こんな内容だったと思います。
( 読んだ時は、ピンとこなかったのですが、1ヶ月後くらいに、急に「 これだ 」と思い至った訳です )
これ、確かに、と思うのです。
20代、30代の時は、お金が欲しいし、女性からもモテたいし、美味しいワインも飲みたいし、仕事でも色んな挑戦がしたい。 ( 今は、この考え方自体が古いと言われますが、僕はこれは人間の本質だと思っています)
つまり、すごく利己的で自分勝手な時期なんです。 でも、それが許される時期でもあるのです。
また、頑張れば「 ある程度 」は求める物を手にする事ができる時期でもあるのです。
一番、「 人間らしさ全開の時期 」なのです。
でも、40代になったら、少し状況が変わります。
(1) 体力が衰える。( スキルと経験、脳力は増えますが)
(2) 達成感の基準が高くなる。
(1)については、説明不要ですよね。
これ、僕の持論なのですが、「 才能よりも時間(努力)が重要 」という考えでして、たぶん合っていると思うのですが、結局、優れた結果を出すには、「 いかに早く多く挑戦するか」・・・これに尽きます。
体力が落ちたら、長時間労働(集中力の伴う)が困難になり、その事実に戸惑い、不安を感じてくるのです。
だって、今まで、スピードと時間で戦ってきたのに、急にそのやり方を維持できなくなるんですから。
(2)について、
これは、パレートの法則を考えると分かり易いですかね。
どんな事でも、80%までは比較的に達成が簡単ですし、若い頃はそれで満足していました。
でも、色んな事を達成していく内に、どうしても、その先の90%、95%に目が行く様になってきます。 でも、同時に体力が落ちるので、より達成が難しくなる。
例えば、今の会社を見てみると、もう僕の今のポジションよりも上がろうとすると副社長しかありません。
ここまで来ると、あとは社長との相性とか運・タイミングも必要なので、正直もう昇給や降格なんてあまり気にもしていません。時間の無駄ですから。
今、もしあなたが20代、30代で、悩んでいる or 幸せを感じない のであれば、もっとがむしゃらに頑張ってください。
1日に14時間以上は働く or 勉強しましょう。 単純に努力が足りないだけです。
20代、30代の時に、変に「 頑張るってダサいよね 」って思って努力を怠り自己正当化していると、「 自分の人生の山が小さくなります 」よ。
だって、山を登れるのは、20代・30代までですから。 頂上が低くなるだけです。
40代になったら、下山を想定して、少しずつ「 今持っているものを、捨て始めます」から。
40代になったら、捨てる・・・というか、たぶん、持っているものを周りの人に少しずつShareするんだと思います。
Share、これ、仕事のメールでもよく使用する表現なのですが、いい言葉ですよね。
例えば、会社で考えれば、難易度は高いけど挑戦的で魅力的なプロジェクトがある時、40代になって、いつまでも自分がやっていてはダメという事ですね。
部下に権限も一緒に渡してサポートする。 もう、部下の手柄にしてもらいましょう。
こうして、自分が今まで貯めたモノをShareしていくんです。結果、自分のチームも強くなりますし、部下との信頼関係も強くなります。
例えば、僕は語学のオンラインスクールのオーナーでもあり、先生でもあるんですけど、日本語だけでなく、日本の文化、ビジネスマインドなんかも同時に無料でShareしています。
そうすると、不思議と、色んな新ビジネスの相談がやってくるのです。
例えば、ボランティアなんかもしているんですけど・・・・昔はボランティアなんて自己満足したいだけの偽善作業だなんて思っていましたけど(申し訳ございません)・・・。
違うんですね、今まで自分だけでは得る事のできない経験や気付きが得られるんですよね。
人生は山。
20代の頃、自分は、荒れた平地に立っています。
そこから、20代・30代と、20年の時間を掛けて山を登る(山を作る)のです。
そして、40代になった時、山登りのペースを落とす or 下山の準備を始める(山を切り崩す)のです。
まだ、やり残した事があれば、まだ登っても良いと思いますけど、どこかで下山を始めないと葛藤がキツくなります。
下山を開始(山の切り崩し)したら、自分が登った山の魅力(自分が作った山の魅力)を、どんどん、周りに還元するんです。
20年掛けて、60歳になるまでに、ゆっくりとShareするんです。
そして、下山が完了した頃・・・・自分の作った山が完全に無くなった頃・・・60歳になった頃・・・・
20代の最初、荒れた平地だったのが40年後の今は、きっとキレイな自然に溢れた平地が広がっているのでしょうね。
自分が作った山の栄養を全て還元したからこそ、荒れた平地は、キレイな自然に溢れた場所へと変わるのです。
なので、山は大きい(栄養が多い)方が良いので、20代・30代の努力は重要なのだと思います。でも、それ以上に重要なのは、40代・50代で、それを上手に「 Share(分けていく)」事だと思います。
最近、感じるのですが、幸せを感じる国の人達は「 Shareが上手 」なのだと思います。
20代・30代は「 自分勝手で大丈夫 」。
でも・・・
40代・50代は「 Shareしないとダメ 」。
60代以降に、自然のキレイな場所で生きるために、Shareしないと。
それと同時に僕は、健康への配慮も始めています。
糖質制限はその1つ。
これ、ダイエットのためだけではありません。 糖質制限をすると、睡眠の質も上がり、成人病・ガン予防、集中力の増強にもつながります。
実際、前から睡眠時間は1日4〜5時間ですけど、明らかに脳の働きが良いです。 眠くなりませんから。 ケトン体すごい・・・。
でも、それだけでは不足なので、今は毎朝40分のジョギングも始めています。
筋力を付けると共に、脳もリフレッシュできますし。
あとは・・・腸内環境も意識しています。 最近の研究では、「 脳よりも腸の方が大事 」なんて言われたりする事もありますからね。
本当は・・・ワインも断ちたいんですけど・・・これだけは止められません(苦笑)
なので、60代になるまでに、徐々に、肝臓を労わりながら、量を減らすのが目的です。。。
皆さんも、新時代の令和に、「 自分はこう生きる!」みたいなビジョンを作ってみると良いと思います。
時間の大切さを認識でき、感謝を感じながら人生も豊かになると思います。
令和元年 5月1日12:36 自宅にて。
#今天的学日语#
昔から日本だけでなく、世界中で言われていますが、男性は人生で大体3回、大きな迷いを感じる時期があるそうです。
28歳頃、42歳頃、60歳頃。
まぁ、何となく分かりますし、僕も例外なく、この試練にさらされましたし、2回目の迷い(試練)にさらされている最中です(苦笑)
去年の8月頃から、ちょっと違和感を感じる様になったのです。
最初は、「 疲れが取れない 」、「 集中力が前よりも落ちている 」、「 肌が荒れてきた 」・・・
( 最後は、ビーチに行き過ぎが原因でしょうけどね。 笑)
最初は、これがいわゆる「 歳を取るという事か 」と感じたものの、特に生活スタイルを変えずにいたんです。
仕事も相変わらず楽しいですし、挑戦的で、自分で決定できる事も多く、給料も十分です。
3つのサイドビジネスの方も、相変わらず順調ですし、シンガポールで種を植えた事業も今のところは順調です。
もっと、満足感を感じても良いのに、、、、
昔よりも明らかに達成している事が多いのに、達成感を感じないのです。
昔よりも明らかに仕事をこなしているのに、全力を出し切っている感じがしないのです。
そこで、古今東西のライフプランに関する本や、幸せに関する本や、宗教関連の本を読んだ中で、一番しっくり来るものがあったんです。
「 人生は山です。 20代、30代は山を全力で登り、40代になったら下山を始めないといけない 」
大体、こんな内容だったと思います。
( 読んだ時は、ピンとこなかったのですが、1ヶ月後くらいに、急に「 これだ 」と思い至った訳です )
これ、確かに、と思うのです。
20代、30代の時は、お金が欲しいし、女性からもモテたいし、美味しいワインも飲みたいし、仕事でも色んな挑戦がしたい。 ( 今は、この考え方自体が古いと言われますが、僕はこれは人間の本質だと思っています)
つまり、すごく利己的で自分勝手な時期なんです。 でも、それが許される時期でもあるのです。
また、頑張れば「 ある程度 」は求める物を手にする事ができる時期でもあるのです。
一番、「 人間らしさ全開の時期 」なのです。
でも、40代になったら、少し状況が変わります。
(1) 体力が衰える。( スキルと経験、脳力は増えますが)
(2) 達成感の基準が高くなる。
(1)については、説明不要ですよね。
これ、僕の持論なのですが、「 才能よりも時間(努力)が重要 」という考えでして、たぶん合っていると思うのですが、結局、優れた結果を出すには、「 いかに早く多く挑戦するか」・・・これに尽きます。
体力が落ちたら、長時間労働(集中力の伴う)が困難になり、その事実に戸惑い、不安を感じてくるのです。
だって、今まで、スピードと時間で戦ってきたのに、急にそのやり方を維持できなくなるんですから。
(2)について、
これは、パレートの法則を考えると分かり易いですかね。
どんな事でも、80%までは比較的に達成が簡単ですし、若い頃はそれで満足していました。
でも、色んな事を達成していく内に、どうしても、その先の90%、95%に目が行く様になってきます。 でも、同時に体力が落ちるので、より達成が難しくなる。
例えば、今の会社を見てみると、もう僕の今のポジションよりも上がろうとすると副社長しかありません。
ここまで来ると、あとは社長との相性とか運・タイミングも必要なので、正直もう昇給や降格なんてあまり気にもしていません。時間の無駄ですから。
今、もしあなたが20代、30代で、悩んでいる or 幸せを感じない のであれば、もっとがむしゃらに頑張ってください。
1日に14時間以上は働く or 勉強しましょう。 単純に努力が足りないだけです。
20代、30代の時に、変に「 頑張るってダサいよね 」って思って努力を怠り自己正当化していると、「 自分の人生の山が小さくなります 」よ。
だって、山を登れるのは、20代・30代までですから。 頂上が低くなるだけです。
40代になったら、下山を想定して、少しずつ「 今持っているものを、捨て始めます」から。
40代になったら、捨てる・・・というか、たぶん、持っているものを周りの人に少しずつShareするんだと思います。
Share、これ、仕事のメールでもよく使用する表現なのですが、いい言葉ですよね。
例えば、会社で考えれば、難易度は高いけど挑戦的で魅力的なプロジェクトがある時、40代になって、いつまでも自分がやっていてはダメという事ですね。
部下に権限も一緒に渡してサポートする。 もう、部下の手柄にしてもらいましょう。
こうして、自分が今まで貯めたモノをShareしていくんです。結果、自分のチームも強くなりますし、部下との信頼関係も強くなります。
例えば、僕は語学のオンラインスクールのオーナーでもあり、先生でもあるんですけど、日本語だけでなく、日本の文化、ビジネスマインドなんかも同時に無料でShareしています。
そうすると、不思議と、色んな新ビジネスの相談がやってくるのです。
例えば、ボランティアなんかもしているんですけど・・・・昔はボランティアなんて自己満足したいだけの偽善作業だなんて思っていましたけど(申し訳ございません)・・・。
違うんですね、今まで自分だけでは得る事のできない経験や気付きが得られるんですよね。
人生は山。
20代の頃、自分は、荒れた平地に立っています。
そこから、20代・30代と、20年の時間を掛けて山を登る(山を作る)のです。
そして、40代になった時、山登りのペースを落とす or 下山の準備を始める(山を切り崩す)のです。
まだ、やり残した事があれば、まだ登っても良いと思いますけど、どこかで下山を始めないと葛藤がキツくなります。
下山を開始(山の切り崩し)したら、自分が登った山の魅力(自分が作った山の魅力)を、どんどん、周りに還元するんです。
20年掛けて、60歳になるまでに、ゆっくりとShareするんです。
そして、下山が完了した頃・・・・自分の作った山が完全に無くなった頃・・・60歳になった頃・・・・
20代の最初、荒れた平地だったのが40年後の今は、きっとキレイな自然に溢れた平地が広がっているのでしょうね。
自分が作った山の栄養を全て還元したからこそ、荒れた平地は、キレイな自然に溢れた場所へと変わるのです。
なので、山は大きい(栄養が多い)方が良いので、20代・30代の努力は重要なのだと思います。でも、それ以上に重要なのは、40代・50代で、それを上手に「 Share(分けていく)」事だと思います。
最近、感じるのですが、幸せを感じる国の人達は「 Shareが上手 」なのだと思います。
20代・30代は「 自分勝手で大丈夫 」。
でも・・・
40代・50代は「 Shareしないとダメ 」。
60代以降に、自然のキレイな場所で生きるために、Shareしないと。
それと同時に僕は、健康への配慮も始めています。
糖質制限はその1つ。
これ、ダイエットのためだけではありません。 糖質制限をすると、睡眠の質も上がり、成人病・ガン予防、集中力の増強にもつながります。
実際、前から睡眠時間は1日4〜5時間ですけど、明らかに脳の働きが良いです。 眠くなりませんから。 ケトン体すごい・・・。
でも、それだけでは不足なので、今は毎朝40分のジョギングも始めています。
筋力を付けると共に、脳もリフレッシュできますし。
あとは・・・腸内環境も意識しています。 最近の研究では、「 脳よりも腸の方が大事 」なんて言われたりする事もありますからね。
本当は・・・ワインも断ちたいんですけど・・・これだけは止められません(苦笑)
なので、60代になるまでに、徐々に、肝臓を労わりながら、量を減らすのが目的です。。。
皆さんも、新時代の令和に、「 自分はこう生きる!」みたいなビジョンを作ってみると良いと思います。
時間の大切さを認識でき、感謝を感じながら人生も豊かになると思います。
令和元年 5月1日12:36 自宅にて。
#今天的学日语#
此时此刻还收到屋主的回覆。也接到友人天龙兄的来电,他苦口婆心的吹毛求疵的要我关注即将交屋的丽山案件。把回屋主的文字话语留在这儿的。不知道他们会不会发现我很醉了。嗯。但实价登录是不会登漏水之类的。
等待要靠运气的,机会比较渺小,内湖区的2房买方主力是1000至1400的,最近发现到的。所以才说1480合理的。
等待也是可以,有点像赌博,你只能赌更好的价格出现。
新闻媒体也不能一直唱衰台北的房地產。一些地產专家都认為有人出价还可以的,就儘早脱手是比较实在。只怕未来房价越来越低。除非大环境变很好的,不然差不多了。
你只能赌赌看未来会更好的喔![顶][二哈][干杯][哈欠][月亮][猪头]
等待要靠运气的,机会比较渺小,内湖区的2房买方主力是1000至1400的,最近发现到的。所以才说1480合理的。
等待也是可以,有点像赌博,你只能赌更好的价格出现。
新闻媒体也不能一直唱衰台北的房地產。一些地產专家都认為有人出价还可以的,就儘早脱手是比较实在。只怕未来房价越来越低。除非大环境变很好的,不然差不多了。
你只能赌赌看未来会更好的喔![顶][二哈][干杯][哈欠][月亮][猪头]
每晚一则真实的灵异故事 NO.026(欢迎投稿)
记得是我还在上小学三年级的时候,比较调皮,从小胆子也比较大。大人们讲一些鬼故事啥的,我都爱听,记下了有时还讲给小伙伴们听。一直以来也是天不怕地不怕,有时候大人们还吓唬我,也都没当回事。但是那天晚上我似乎看到了一件很神奇的事情。
在我小的时候农村还是土葬,又敲锣又打鼓,挑个日子入土为安。村上有个60多岁的老人刚去世,就葬在村北边的矮山下,村里的老人有一半都埋那,有好几代了。
这片坟山就在村北边,站在村口就可以眺望到,村口是一条河大概10来米宽,河对面有一条公路,公路下是一片田有个两三里,田的尽头就是那片坟圈子,饶着山脚一片都是,密密麻麻,没事那边很少有人去,即使去那边也是太阳没下山早早就回来了。
村子的人口多,建村朝代也比较久了,所以村西边的山后也有很大一片坟圈子,那边的故事就先不讲了,因为在山后平时也看不见,可这乌山脚下那可是一抬头就看见了,特别是谁家添了新坟,后面堆几个花圈老显眼了,有时候自己走过村东头这段路还不时朝新坟眺望,夜黑了心里总浮现出死人踢开板子,跳出来朝村子这边过来似的,心里毛毛的,所以我老爸老是叫我不要老朝那边看,走路走快点,越不看,越害怕,生怕跳到我跟前了还不知道。
而且我家就住在村东头,每天想不看都难,特别是傍晚后那就甭提了。和我一起上学的村里小伙伴们都住在村里的其它几个方位,我去找他们一起写个作业看个电视啥的,就得天黑了才回家,村里亲戚多经常在同学或者七姑八奶家的吃点。
还记得那天,在小伙伴那里写完作业,饭也是在他家里吃的。吃完了饭大家提意一起躲猫猫,我们都同意了,就挑他家附近躲,四个人躲,一个人找。这个在我小时候玩的很疯的,躲哪的都有,只要找的人找不到你了,他就可以大声喊,“我找不到了不找了,你们快出来”那就是道高一尺喽。
那天我们玩了好几轮了,大家都说我还没当过瞎子,一定要我找一次他们。我心理其实是不肯的,因为时间不早了,还有月初村里死了人,但我又怕扫了大家的兴致,勉强答应了。
我从1数到100就算开始了,他们早没影了,我一个人在这一片搜索着他们的踪影,因为我们定了界线以村道画界,也就10栋房子大这么个区域,出界的是赖皮狗,这个我是信任他们的,但是现在天已经很暗了,找他们确实不容易,路上行人也不是很多,路过别人窗下,听的到电视的声音,心里还不害怕,只想尽快找到他们。
我看到一个废弃的土房旁的草垛后面好像有人,我就使了个诡计,“无中生有”。“小胖我看到你了别躲了,你的屁股我看到了喽”只听草垛后面发出了人声,我急忙跑去,还真有人是“小杰”,我拉住他衣服,他也无处遁形,陪着我找其他三位。这下我胆子可大多了,看到可疑的地方都敢去打个三杆子,有人给我壮胆了。
可是找了10来分钟,一身汗,屁都没看着,可恨啊,都躲哪了,小杰还在一旁老笑我,我又急又怒,直跺脚。经过我深思熟虑,看来不用“草木皆兵”是不行了。村里最近死的那个老太太我虽然叫不出她什么名字,但是她孙子我知道,躲着的那三位也知道,小我们几岁大家叫他外号“核桃”,于是我大喊一声“刚才我看见核桃奶奶了,大家快跑啊!”
喊出来我就后悔了,旁边的小杰第一个跑,我靠丢我一人在这可了得,本来他跟着我,胆才肥的,他都跑了我岂有不跑的道理,万一真鬼来了可就惨了,那三位我倒没看到,小道不宽小杰一脚踩烂泥里了停在那里,我跑的太近一个没刹住把他推出去老远,自己也摔了,半个屁股都是烂泥,但由不得我多想爬起来接着跑啊,这小杰也不拉我一把就没影了。
跑出小路,看到前面矮房下三个人头串动,骂骂咧咧的在跑,这是在骂我。我急忙喊出“你们等我下”,听到我声音他们不停叫唤,“看后面,鬼在你后面。”好吧,心里别提啥滋味了,顿时村里响起一阵狗叫声,谁家的狗这时候这么配合,回头看看后面,心跳加速的无法比喻。
刚那一跤可不轻,小脚踝现在还生痛,跑起来一扭一扭,好像是扭到脚了,我滴个妈哦,快来救我一把。这几个瘪犊子玩意,估计早跑回家了,我一个人一扭一扭走在回家的路上,浑身痛浑身伤还浑身又臭又脏,别说跑了走都走不快了,回头望望后面,貌似有个别小脚的老太太跟着我,一直保持着距离,太他妈像了,不就是那谁奶奶嘛,你可别来抓我,我心里莫念着英叔的台词太山老君啥的,台词都他妈忘了。
今天回家的路是我走过最远的路了,余光扫向后面,好像别脚老太太不往我这走了,但不看还好,这一眼望向了乱坟岗,我自己都不敢相信,我看到那山脚下有2个幽蓝的火球在追逐,在飘舞,蓝火就在坟丘上方幽然地飘着,而且是两团,我看到鬼火了。
我好奇地看着,拖着疼痛往家走着,估计是怕过头了,这会我倒是没那么害怕了,只想看着这火球往哪飘,咋没把山烧起来,就这一会大概有一分多钟,我已经可以看到自家房子的灯光了,但是那鬼火还在飘,好像灭了一个,也许是合到一处了,火球更大了点,那好像一只眼睛死死的盯着我,我心咯咚一下,又跳飞起来了,都忘了脚痛了,速度明显快了很多,小跑回家去。
到了家里看到老爸在洗脚,看我那衰样他也没好话“你是不怕鬼啊,今天那个老太太三七回魂,你也不早点回来。”
我憋了好久说“老爸我看到鬼火了,真的。”老爸忙穿上托鞋跑出去看,他回来后说我骗他,估计是没看到,或许已经不知道飘哪去了。
我后来连续做了一个多礼拜的梦,很真实,梦里都一样,就是有一个很深的深渊我一直往下面掉,但是每次都没掉到底过,那种感觉很真实。
后来有人说起那天她也看到鬼火了,我眼泪汪汪看来是真的,我也看到了,而且还看了好久,我真想说还看到好像有鬼在后面追我,但是说出来你们会信吗,我都不信,一直藏在心里说给大家听,但是那夜的鬼火是真的,我的那个梦也是真的……
当时的小伙伴们经历了那晚,有2个回家和家长说了,他们家里说下次不要和我出去玩了,看来他们吓的不轻,为此我也深深自责...深刻教训,以后天黑了别在外面老提鬼,小心来找你哦!
#灵异# #灵异故事# #恐怖故事# #真实灵异故事# #鬼故事# #无常# #通灵# #通灵事件# #探灵# #探灵社# #民俗故事# #恐怖# #灵异公寓# #幻觉# #你的灵异故事#
记得是我还在上小学三年级的时候,比较调皮,从小胆子也比较大。大人们讲一些鬼故事啥的,我都爱听,记下了有时还讲给小伙伴们听。一直以来也是天不怕地不怕,有时候大人们还吓唬我,也都没当回事。但是那天晚上我似乎看到了一件很神奇的事情。
在我小的时候农村还是土葬,又敲锣又打鼓,挑个日子入土为安。村上有个60多岁的老人刚去世,就葬在村北边的矮山下,村里的老人有一半都埋那,有好几代了。
这片坟山就在村北边,站在村口就可以眺望到,村口是一条河大概10来米宽,河对面有一条公路,公路下是一片田有个两三里,田的尽头就是那片坟圈子,饶着山脚一片都是,密密麻麻,没事那边很少有人去,即使去那边也是太阳没下山早早就回来了。
村子的人口多,建村朝代也比较久了,所以村西边的山后也有很大一片坟圈子,那边的故事就先不讲了,因为在山后平时也看不见,可这乌山脚下那可是一抬头就看见了,特别是谁家添了新坟,后面堆几个花圈老显眼了,有时候自己走过村东头这段路还不时朝新坟眺望,夜黑了心里总浮现出死人踢开板子,跳出来朝村子这边过来似的,心里毛毛的,所以我老爸老是叫我不要老朝那边看,走路走快点,越不看,越害怕,生怕跳到我跟前了还不知道。
而且我家就住在村东头,每天想不看都难,特别是傍晚后那就甭提了。和我一起上学的村里小伙伴们都住在村里的其它几个方位,我去找他们一起写个作业看个电视啥的,就得天黑了才回家,村里亲戚多经常在同学或者七姑八奶家的吃点。
还记得那天,在小伙伴那里写完作业,饭也是在他家里吃的。吃完了饭大家提意一起躲猫猫,我们都同意了,就挑他家附近躲,四个人躲,一个人找。这个在我小时候玩的很疯的,躲哪的都有,只要找的人找不到你了,他就可以大声喊,“我找不到了不找了,你们快出来”那就是道高一尺喽。
那天我们玩了好几轮了,大家都说我还没当过瞎子,一定要我找一次他们。我心理其实是不肯的,因为时间不早了,还有月初村里死了人,但我又怕扫了大家的兴致,勉强答应了。
我从1数到100就算开始了,他们早没影了,我一个人在这一片搜索着他们的踪影,因为我们定了界线以村道画界,也就10栋房子大这么个区域,出界的是赖皮狗,这个我是信任他们的,但是现在天已经很暗了,找他们确实不容易,路上行人也不是很多,路过别人窗下,听的到电视的声音,心里还不害怕,只想尽快找到他们。
我看到一个废弃的土房旁的草垛后面好像有人,我就使了个诡计,“无中生有”。“小胖我看到你了别躲了,你的屁股我看到了喽”只听草垛后面发出了人声,我急忙跑去,还真有人是“小杰”,我拉住他衣服,他也无处遁形,陪着我找其他三位。这下我胆子可大多了,看到可疑的地方都敢去打个三杆子,有人给我壮胆了。
可是找了10来分钟,一身汗,屁都没看着,可恨啊,都躲哪了,小杰还在一旁老笑我,我又急又怒,直跺脚。经过我深思熟虑,看来不用“草木皆兵”是不行了。村里最近死的那个老太太我虽然叫不出她什么名字,但是她孙子我知道,躲着的那三位也知道,小我们几岁大家叫他外号“核桃”,于是我大喊一声“刚才我看见核桃奶奶了,大家快跑啊!”
喊出来我就后悔了,旁边的小杰第一个跑,我靠丢我一人在这可了得,本来他跟着我,胆才肥的,他都跑了我岂有不跑的道理,万一真鬼来了可就惨了,那三位我倒没看到,小道不宽小杰一脚踩烂泥里了停在那里,我跑的太近一个没刹住把他推出去老远,自己也摔了,半个屁股都是烂泥,但由不得我多想爬起来接着跑啊,这小杰也不拉我一把就没影了。
跑出小路,看到前面矮房下三个人头串动,骂骂咧咧的在跑,这是在骂我。我急忙喊出“你们等我下”,听到我声音他们不停叫唤,“看后面,鬼在你后面。”好吧,心里别提啥滋味了,顿时村里响起一阵狗叫声,谁家的狗这时候这么配合,回头看看后面,心跳加速的无法比喻。
刚那一跤可不轻,小脚踝现在还生痛,跑起来一扭一扭,好像是扭到脚了,我滴个妈哦,快来救我一把。这几个瘪犊子玩意,估计早跑回家了,我一个人一扭一扭走在回家的路上,浑身痛浑身伤还浑身又臭又脏,别说跑了走都走不快了,回头望望后面,貌似有个别小脚的老太太跟着我,一直保持着距离,太他妈像了,不就是那谁奶奶嘛,你可别来抓我,我心里莫念着英叔的台词太山老君啥的,台词都他妈忘了。
今天回家的路是我走过最远的路了,余光扫向后面,好像别脚老太太不往我这走了,但不看还好,这一眼望向了乱坟岗,我自己都不敢相信,我看到那山脚下有2个幽蓝的火球在追逐,在飘舞,蓝火就在坟丘上方幽然地飘着,而且是两团,我看到鬼火了。
我好奇地看着,拖着疼痛往家走着,估计是怕过头了,这会我倒是没那么害怕了,只想看着这火球往哪飘,咋没把山烧起来,就这一会大概有一分多钟,我已经可以看到自家房子的灯光了,但是那鬼火还在飘,好像灭了一个,也许是合到一处了,火球更大了点,那好像一只眼睛死死的盯着我,我心咯咚一下,又跳飞起来了,都忘了脚痛了,速度明显快了很多,小跑回家去。
到了家里看到老爸在洗脚,看我那衰样他也没好话“你是不怕鬼啊,今天那个老太太三七回魂,你也不早点回来。”
我憋了好久说“老爸我看到鬼火了,真的。”老爸忙穿上托鞋跑出去看,他回来后说我骗他,估计是没看到,或许已经不知道飘哪去了。
我后来连续做了一个多礼拜的梦,很真实,梦里都一样,就是有一个很深的深渊我一直往下面掉,但是每次都没掉到底过,那种感觉很真实。
后来有人说起那天她也看到鬼火了,我眼泪汪汪看来是真的,我也看到了,而且还看了好久,我真想说还看到好像有鬼在后面追我,但是说出来你们会信吗,我都不信,一直藏在心里说给大家听,但是那夜的鬼火是真的,我的那个梦也是真的……
当时的小伙伴们经历了那晚,有2个回家和家长说了,他们家里说下次不要和我出去玩了,看来他们吓的不轻,为此我也深深自责...深刻教训,以后天黑了别在外面老提鬼,小心来找你哦!
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