【わたし達はおとな】
木竜麻生×藤原季節対談
考える/考えないタイプの違う芝居論
――今作で共演してみて、お互いにどんな印象を持ちましたか?
藤原季節(以下、藤原):木竜さんと共演できるのは、映画好きの人ならみんな嬉しいと思います。僕もその一人で、今までの出演作はほとんど観ています。共演するにあたって、ある程度の到達点までは木竜さんとなら行けるだろうって気はしてたんですけど、それ以上に行けた気がします。
木竜麻生(以下、木竜):藤原さんが出ている作品を観ていて、どうしてこの人はこんな表情になって、そういう心の動き方をするんだろうってずっと思っていて。今回ご一緒していた時もそれはすごく思いましたが、相手の気持ちや行動をすごく受け取る度量がある方で、そういうことなのかなぁって。意志が強いですし、同じくらい柔らかさをすごく感じました。
――現場では演技について話し合ったりしましたか?
木竜:私は加藤さんとご一緒するのが初めてだったので、「難しい」とこぼしていました。
藤原:僕は加藤さんに任せておけば全部うまくいくことは分かっていたので、木竜さんが加藤さんを信頼できるような手助けをしていた感じですかね。二人とも人見知りだったから、二人の間のコミュニケーションを僕が取り持ったり。
木竜:(笑)。加藤さんが考えてくれているなと思ったのが、休憩している時にふらっと現れてくれることで。その時の会話を藤原さんが取り持ってくれたので、3人で話すタイミングはちゃんと現場中にとれていました。
藤原:でもあれは、加藤さんが会議が嫌いなだけだと思う。スタッフさんのところにいると会議が始まっちゃうから、僕らのところに逃げてきてる(笑)。
木竜:あ、逃げてきてたのか。じゃあそれが結果オーライになってたってことね(笑)。
――3人でのコミュニケーションが映画に何か良い影響を与えたなと思うことはありましたか?
木竜:撮影の2日目に、自分の中で変に殻に入りそうになって。その時に藤原さんから「一緒に頑張ろうね」と声をかけられて、自分は何を一人になろうとしてるんだって、すごくハッとしたんです。そこからは藤原さんに委ねて、ぶつかっていこうと思って。その延長でスタッフさん、他のキャストさん、加藤さんのことも信じてその場に立っていられたので、すごく意味がありました。
――藤原さんは加藤さんとは長くやられていると思うんですけど、この作品ではどんなやりとりをしましたか?
藤原:いつも通りなんですけど、僕も加藤さんも核心に迫る会話の内容を嫌うんです。加藤さんは人との距離感や恥じらいとか、伝えたいことを隠すのを好む人で。日常会話においてもそうで、この映画を良くしたいとか、こうすればもっと良くなるっていうことはあえて口にしないんです。だから僕らはいつもくだらない話ばかりしていますね。
――加藤さんが「木竜さんの気の遣い方が優実と重なった」と話されていたのですが、ご自身で演じていて、「ここわかる」と思ったことはありましたか?
木竜:思っていることや、モヤモヤしているものを優実ほど隠せるかは分からないですけど、何か言われたり、自分もちょっと言いたいことがあったり、腹が立っていたり、悲しかったり……そういうことを笑いながら返しちゃうのは、あるよなぁって思いました。ストレートに伝えることが難しいことってあるなって。
――藤原さんは直哉を演じていてどうでした?
藤原:全然分からなくて、楽しかったです。
――台本で読んでわからないところは聞いたりするんですか?
藤原:いや、聞かないですね。
――自分で考えて?
藤原:考えないですね。“分かんないことを分かんないまま言う”ことを楽しんでいます。直哉が考えていること全然分かんないなって思いながらセリフを言ったりしていると、たまに、なんか分かったりします。
――なるほど。木竜さんは分からないこととかを楽しんで?
木竜:うーん……。人を演じることの喜びって、それがどんな人であろうと、みんなあるはずだとは思っていて。その人物を多角的に、いろんな面から見ると、直哉も直哉できっと何かあるんだよなって思うんです。藤原さんが演じていた直哉を見て、彼が生きてきた中での切なさみたいなものを、私は勝手に想像しましたし、想像するのがすごく楽しくて。だから、想像とか空想とかそういう力で補えるものがあるといいなって思いながら演じていますかね。分からないまま「分からない」を言うのができないタイプなので、そこはもう、うーーってなりながらやります(笑)。
藤原:タイプがありますよね。
木竜:うん。だからすごいなぁと思います。
「自分が相手に投げた言葉でも傷ついていた」
――会話劇が魅力なシーンが多かったですが、特に自分が発したセリフで印象に残っているものはありますか?
藤原:伝えたいことって反復したりするじゃないですか。「それ本気で言ってる? それ、本気で言ってる?」っていう、この2回目の「本気で言ってる?」の時に、“本気でそれが聞きたいんだな”って自分の中で分かるというか。そういうことが台本の中に眠っていて、見つけた時はグッときました。
木竜:今回はとにかく隠すことを言われていたので、言葉に完全に重きを置くのではなく、言っていることの奥で何を持って生活をして、誰の言葉を聞いて、どれだけちゃんと背景を持てているかを考えるのが難しくて。自分の気持ちで素直にいると直哉の言葉がすごく刺さってしまうし、相手に言ったことなのに自分が傷ついたりとか、そういうことが特に後半にかけてはあったような気がします。
――相手の言葉で刺さったことはありますか?
木竜:ラストシーンは、相手が言っていることでも傷ついているし、自分が相手に投げたものでも傷ついていた気がします。直哉の「じゃ」に「はい」で返す感じは、感覚として忘れないですね。
藤原:直哉は相手を傷つけるための言葉を吐いている男なので、自分が傷つかないようにちゃんと言葉を選択できる人なんですよ。そういうズルいところがある。元カノのシーンでも、相手に言葉をまくしたてるんですけど、全部、自分は悪くない、自分は悪くないって。でも、ラストシーンでは、やっぱり少なからず傷ついていたんじゃないですかね。それでなんとかまくしたてようとして。
――直哉はよく「言い方が悪かったね」と言っていますが、誰かと関わる時の自分の言葉選びを考えたりしますか?
木竜:難しいことだなぁっていつも思いますね。インタビューでもそうですが、口に出した瞬間、本当に思っていたことから離れていく感覚がすごくあって。言った瞬間から、誰にも言わないで思っていたこととは違うものになって外に出ている感じがするんです。なるべく思っていることと近い状態で言語化したいなとは思いますけど。
藤原:もちろん考えますし、それに割いてきた時間は多いと思うんですけど、最近はいい加減さとか寛容さとか、その「容赦」みたいなものを他人や自分に対して求めるようになっていて。思ったことをなんでも口に出すのって本来良くないと思うんです。子供みたいだし。でもあえてそれをやって、相手を嫌な気持ちにさせたり、自分が嫌な気持ちになる状況に対して、寛容になってるというか。今は思ったことをなんでも口に出してみようって思っている時期です。
――なんでそういうことをやろうと思ったんですか?
藤原:その方が相手に対して、ひょっとしたら深くアクセスできるかもしれないと思って。どこかで長い付き合いになるかもしれない人とすれ違って、たった数言交わすだけで別れていくような儚い人生かもしれないんだったら、嫌われてでも言葉を相手に放ってみて、深いところでアクセスしてみようって、ちょっと思っているんですよね。
“もがいている人”への憧れ
――キラキラした恋愛映画もある一方で、本作のようなもがいているヒロインの恋愛作品も支持されていますが、その魅力をどう思いますか?
藤原:性別に限らずですけど、もがいている人は素敵ですよね。なんでなんですかね? 自分もその人を見て頑張ろうって思うし。
木竜:自分に対してかもしれないし、誰かに対してかもしれないんですけど、もがいている最中の夢中な感じって、例えそれがものすごくボロボロだったり、泥だらけだったりしても、なんかちょっと透明に感じます。そういうところへの優しさ、憧れみたいなものを感じるのかもしれないです。
藤原:憧れ、あるな。
木竜:うん。まっさらっていう感じにどうしても憧れるなぁって思います。
――最後に劇中のお二人の好きなシーンを教えてください。
藤原:ラストですね。
木竜:ラストから、主題歌がかかるところは、本当にすごくいいです。
藤原:あの長回しはマジで必見。
――そのシーンの撮影にはどういう気持ちで臨みました?
藤原:もう、最強のマインドセット。100%入るスリーポイントシュートを打つみたいな感じですね。100%なんて入らないじゃないですか、絶対。だけど、100%入るって信じ込むんですよ。その感じです。
木竜:あははは(笑)。
終わっていく物語と続いていく物語
――撮影順的にも最後に撮られたんですか?
藤原:僕はもうそのワンカットに全てを懸けていたので。優実が行くところまで運ばれる最後のラストチャンス、無事に運ばれてくださったんで。僕の仕事はもうその時点で終了でした(笑)。
木竜:そのラストをやって、本当のラストに直哉が鍵を渡して出て行く。あのラストがないと私、その後のシーンってできなかったと思います。
藤原:母だから続いていくんですよね。お腹に子どもがいるから、あそこで物語は終わらない。僕とはちょっと違うよね。
――去っていくだけですよね。
藤原:そうです。あそこで僕の中での物語は終えられるんです。
木竜:(笑)。私はそれから加藤さんとちょっとだけ話をしました。「どういう気持ちなんかなー」っていうこと言われて、ポツポツポツーって言ったら、じーって見られて、「いこうかぁ」って言われて。同じラストシーンでも、藤原さんとは違う感覚だったかもしれないです。
藤原:全然違うかも。あのワンカット撮り終わって全て消化しきってたから、もう情感ゼロ。
木竜:(笑)。いや、ゼロとは言わないでほしいよね。どういう気持ちで鍵渡すかとかあるじゃん。
藤原:あ、ないないないない。無。
木竜:あってくれよ。無なんですか。
藤原:「あ、鍵を渡さなきゃ複雑だな」とかないの。その流れで行く時間に身を任せるって言うか。鍵を渡さなきゃいけない状況になっちゃったから渡すだけ、という。それが僕にとっての直哉でした。
木竜:なるほどね。
――エンドロールにかけての最後の最後のラストシーンを経て、木竜さんはどんなことを思いましたか?
木竜:最後、優実がご飯を作って食べるところに、彼女が自分の日常を取り戻そうとしているなと私は思いました。生きていくこと、暮らしていくことを、なんとか取り直そうというタフな強さというか。これからの自分の人生の中でも、このまま朝なんか来ないんじゃないかと思うような夜もあるでしょうし、何もしたくない気持ちになったり、誰とも会いたくない気持ちになったり……。反対に、無性に誰かと話したくなったり……。そういう自分が誰かに与える影響も、自分が誰かに与えられる影響も、ちゃんと余すことなく自分が飲み込んでやる、とは思っています。全部私が味わって、ちょっとずつ生きていければいいかなと思いました。
■公開情報
『わたし達はおとな』
新宿武蔵野館ほかにて全国公開中
出演:木竜麻生、藤原季節、菅野莉央、清水くるみ、森田想、桜田通、山崎紘菜、片岡礼子、石田ひかり、佐戸井けん太、鈴木勝大、山脇辰哉、上村侑、中山求一郎、諫早幸作、伊藤風喜、鳥谷 宏之、平原テツ
監督・脚本:加藤拓也
音楽:谷川正憲
製作:狩野隆也、松岡雄浩、宇田川寧
エグゼクティブプロデューサー:服部保彦
プロデューサー:松岡達矢 柴原祐一
製作幹事:メ~テレ
配給:ラビットハウス
製作プロダクション:ダブ
(c)2022「わたし達はおとな」製作委員会
公式サイト:https://t.cn/A6M7UJcX
木竜麻生×藤原季節対談
考える/考えないタイプの違う芝居論
――今作で共演してみて、お互いにどんな印象を持ちましたか?
藤原季節(以下、藤原):木竜さんと共演できるのは、映画好きの人ならみんな嬉しいと思います。僕もその一人で、今までの出演作はほとんど観ています。共演するにあたって、ある程度の到達点までは木竜さんとなら行けるだろうって気はしてたんですけど、それ以上に行けた気がします。
木竜麻生(以下、木竜):藤原さんが出ている作品を観ていて、どうしてこの人はこんな表情になって、そういう心の動き方をするんだろうってずっと思っていて。今回ご一緒していた時もそれはすごく思いましたが、相手の気持ちや行動をすごく受け取る度量がある方で、そういうことなのかなぁって。意志が強いですし、同じくらい柔らかさをすごく感じました。
――現場では演技について話し合ったりしましたか?
木竜:私は加藤さんとご一緒するのが初めてだったので、「難しい」とこぼしていました。
藤原:僕は加藤さんに任せておけば全部うまくいくことは分かっていたので、木竜さんが加藤さんを信頼できるような手助けをしていた感じですかね。二人とも人見知りだったから、二人の間のコミュニケーションを僕が取り持ったり。
木竜:(笑)。加藤さんが考えてくれているなと思ったのが、休憩している時にふらっと現れてくれることで。その時の会話を藤原さんが取り持ってくれたので、3人で話すタイミングはちゃんと現場中にとれていました。
藤原:でもあれは、加藤さんが会議が嫌いなだけだと思う。スタッフさんのところにいると会議が始まっちゃうから、僕らのところに逃げてきてる(笑)。
木竜:あ、逃げてきてたのか。じゃあそれが結果オーライになってたってことね(笑)。
――3人でのコミュニケーションが映画に何か良い影響を与えたなと思うことはありましたか?
木竜:撮影の2日目に、自分の中で変に殻に入りそうになって。その時に藤原さんから「一緒に頑張ろうね」と声をかけられて、自分は何を一人になろうとしてるんだって、すごくハッとしたんです。そこからは藤原さんに委ねて、ぶつかっていこうと思って。その延長でスタッフさん、他のキャストさん、加藤さんのことも信じてその場に立っていられたので、すごく意味がありました。
――藤原さんは加藤さんとは長くやられていると思うんですけど、この作品ではどんなやりとりをしましたか?
藤原:いつも通りなんですけど、僕も加藤さんも核心に迫る会話の内容を嫌うんです。加藤さんは人との距離感や恥じらいとか、伝えたいことを隠すのを好む人で。日常会話においてもそうで、この映画を良くしたいとか、こうすればもっと良くなるっていうことはあえて口にしないんです。だから僕らはいつもくだらない話ばかりしていますね。
――加藤さんが「木竜さんの気の遣い方が優実と重なった」と話されていたのですが、ご自身で演じていて、「ここわかる」と思ったことはありましたか?
木竜:思っていることや、モヤモヤしているものを優実ほど隠せるかは分からないですけど、何か言われたり、自分もちょっと言いたいことがあったり、腹が立っていたり、悲しかったり……そういうことを笑いながら返しちゃうのは、あるよなぁって思いました。ストレートに伝えることが難しいことってあるなって。
――藤原さんは直哉を演じていてどうでした?
藤原:全然分からなくて、楽しかったです。
――台本で読んでわからないところは聞いたりするんですか?
藤原:いや、聞かないですね。
――自分で考えて?
藤原:考えないですね。“分かんないことを分かんないまま言う”ことを楽しんでいます。直哉が考えていること全然分かんないなって思いながらセリフを言ったりしていると、たまに、なんか分かったりします。
――なるほど。木竜さんは分からないこととかを楽しんで?
木竜:うーん……。人を演じることの喜びって、それがどんな人であろうと、みんなあるはずだとは思っていて。その人物を多角的に、いろんな面から見ると、直哉も直哉できっと何かあるんだよなって思うんです。藤原さんが演じていた直哉を見て、彼が生きてきた中での切なさみたいなものを、私は勝手に想像しましたし、想像するのがすごく楽しくて。だから、想像とか空想とかそういう力で補えるものがあるといいなって思いながら演じていますかね。分からないまま「分からない」を言うのができないタイプなので、そこはもう、うーーってなりながらやります(笑)。
藤原:タイプがありますよね。
木竜:うん。だからすごいなぁと思います。
「自分が相手に投げた言葉でも傷ついていた」
――会話劇が魅力なシーンが多かったですが、特に自分が発したセリフで印象に残っているものはありますか?
藤原:伝えたいことって反復したりするじゃないですか。「それ本気で言ってる? それ、本気で言ってる?」っていう、この2回目の「本気で言ってる?」の時に、“本気でそれが聞きたいんだな”って自分の中で分かるというか。そういうことが台本の中に眠っていて、見つけた時はグッときました。
木竜:今回はとにかく隠すことを言われていたので、言葉に完全に重きを置くのではなく、言っていることの奥で何を持って生活をして、誰の言葉を聞いて、どれだけちゃんと背景を持てているかを考えるのが難しくて。自分の気持ちで素直にいると直哉の言葉がすごく刺さってしまうし、相手に言ったことなのに自分が傷ついたりとか、そういうことが特に後半にかけてはあったような気がします。
――相手の言葉で刺さったことはありますか?
木竜:ラストシーンは、相手が言っていることでも傷ついているし、自分が相手に投げたものでも傷ついていた気がします。直哉の「じゃ」に「はい」で返す感じは、感覚として忘れないですね。
藤原:直哉は相手を傷つけるための言葉を吐いている男なので、自分が傷つかないようにちゃんと言葉を選択できる人なんですよ。そういうズルいところがある。元カノのシーンでも、相手に言葉をまくしたてるんですけど、全部、自分は悪くない、自分は悪くないって。でも、ラストシーンでは、やっぱり少なからず傷ついていたんじゃないですかね。それでなんとかまくしたてようとして。
――直哉はよく「言い方が悪かったね」と言っていますが、誰かと関わる時の自分の言葉選びを考えたりしますか?
木竜:難しいことだなぁっていつも思いますね。インタビューでもそうですが、口に出した瞬間、本当に思っていたことから離れていく感覚がすごくあって。言った瞬間から、誰にも言わないで思っていたこととは違うものになって外に出ている感じがするんです。なるべく思っていることと近い状態で言語化したいなとは思いますけど。
藤原:もちろん考えますし、それに割いてきた時間は多いと思うんですけど、最近はいい加減さとか寛容さとか、その「容赦」みたいなものを他人や自分に対して求めるようになっていて。思ったことをなんでも口に出すのって本来良くないと思うんです。子供みたいだし。でもあえてそれをやって、相手を嫌な気持ちにさせたり、自分が嫌な気持ちになる状況に対して、寛容になってるというか。今は思ったことをなんでも口に出してみようって思っている時期です。
――なんでそういうことをやろうと思ったんですか?
藤原:その方が相手に対して、ひょっとしたら深くアクセスできるかもしれないと思って。どこかで長い付き合いになるかもしれない人とすれ違って、たった数言交わすだけで別れていくような儚い人生かもしれないんだったら、嫌われてでも言葉を相手に放ってみて、深いところでアクセスしてみようって、ちょっと思っているんですよね。
“もがいている人”への憧れ
――キラキラした恋愛映画もある一方で、本作のようなもがいているヒロインの恋愛作品も支持されていますが、その魅力をどう思いますか?
藤原:性別に限らずですけど、もがいている人は素敵ですよね。なんでなんですかね? 自分もその人を見て頑張ろうって思うし。
木竜:自分に対してかもしれないし、誰かに対してかもしれないんですけど、もがいている最中の夢中な感じって、例えそれがものすごくボロボロだったり、泥だらけだったりしても、なんかちょっと透明に感じます。そういうところへの優しさ、憧れみたいなものを感じるのかもしれないです。
藤原:憧れ、あるな。
木竜:うん。まっさらっていう感じにどうしても憧れるなぁって思います。
――最後に劇中のお二人の好きなシーンを教えてください。
藤原:ラストですね。
木竜:ラストから、主題歌がかかるところは、本当にすごくいいです。
藤原:あの長回しはマジで必見。
――そのシーンの撮影にはどういう気持ちで臨みました?
藤原:もう、最強のマインドセット。100%入るスリーポイントシュートを打つみたいな感じですね。100%なんて入らないじゃないですか、絶対。だけど、100%入るって信じ込むんですよ。その感じです。
木竜:あははは(笑)。
終わっていく物語と続いていく物語
――撮影順的にも最後に撮られたんですか?
藤原:僕はもうそのワンカットに全てを懸けていたので。優実が行くところまで運ばれる最後のラストチャンス、無事に運ばれてくださったんで。僕の仕事はもうその時点で終了でした(笑)。
木竜:そのラストをやって、本当のラストに直哉が鍵を渡して出て行く。あのラストがないと私、その後のシーンってできなかったと思います。
藤原:母だから続いていくんですよね。お腹に子どもがいるから、あそこで物語は終わらない。僕とはちょっと違うよね。
――去っていくだけですよね。
藤原:そうです。あそこで僕の中での物語は終えられるんです。
木竜:(笑)。私はそれから加藤さんとちょっとだけ話をしました。「どういう気持ちなんかなー」っていうこと言われて、ポツポツポツーって言ったら、じーって見られて、「いこうかぁ」って言われて。同じラストシーンでも、藤原さんとは違う感覚だったかもしれないです。
藤原:全然違うかも。あのワンカット撮り終わって全て消化しきってたから、もう情感ゼロ。
木竜:(笑)。いや、ゼロとは言わないでほしいよね。どういう気持ちで鍵渡すかとかあるじゃん。
藤原:あ、ないないないない。無。
木竜:あってくれよ。無なんですか。
藤原:「あ、鍵を渡さなきゃ複雑だな」とかないの。その流れで行く時間に身を任せるって言うか。鍵を渡さなきゃいけない状況になっちゃったから渡すだけ、という。それが僕にとっての直哉でした。
木竜:なるほどね。
――エンドロールにかけての最後の最後のラストシーンを経て、木竜さんはどんなことを思いましたか?
木竜:最後、優実がご飯を作って食べるところに、彼女が自分の日常を取り戻そうとしているなと私は思いました。生きていくこと、暮らしていくことを、なんとか取り直そうというタフな強さというか。これからの自分の人生の中でも、このまま朝なんか来ないんじゃないかと思うような夜もあるでしょうし、何もしたくない気持ちになったり、誰とも会いたくない気持ちになったり……。反対に、無性に誰かと話したくなったり……。そういう自分が誰かに与える影響も、自分が誰かに与えられる影響も、ちゃんと余すことなく自分が飲み込んでやる、とは思っています。全部私が味わって、ちょっとずつ生きていければいいかなと思いました。
■公開情報
『わたし達はおとな』
新宿武蔵野館ほかにて全国公開中
出演:木竜麻生、藤原季節、菅野莉央、清水くるみ、森田想、桜田通、山崎紘菜、片岡礼子、石田ひかり、佐戸井けん太、鈴木勝大、山脇辰哉、上村侑、中山求一郎、諫早幸作、伊藤風喜、鳥谷 宏之、平原テツ
監督・脚本:加藤拓也
音楽:谷川正憲
製作:狩野隆也、松岡雄浩、宇田川寧
エグゼクティブプロデューサー:服部保彦
プロデューサー:松岡達矢 柴原祐一
製作幹事:メ~テレ
配給:ラビットハウス
製作プロダクション:ダブ
(c)2022「わたし達はおとな」製作委員会
公式サイト:https://t.cn/A6M7UJcX
佛以一音演说法,众生随类各得解。
八万四千法门,法法皆可解脱,法无高下,是法平等,无二无别,应缘对机而生,人若无心,无为,闲然自在,何处不是净土。
无人,无我,无涅槃,无生,无灭。本自解脱,何更解脱,本来如是,别求如是,本来如此,本来是佛,本来实相,妄起虚幻,识此本来,天下皆安。
华严最初三七日
阿含十二方等八
二十二年般若谈
法华涅槃共八年
以前讲的所有的法都是《妙法莲华经》的序品,到《妙法莲华经》法华会上开权显实、这是正宗分了,然后最后《涅槃经》结束。所以佛一生的讲法,天台宗讲“五时判教”,首先是华严,“华严最初三七日”,这是对大菩萨称性直谈,而阿罗汉、声闻弟子听了,如聋如哑,不知其妙。那么佛一看,高则高矣,然不广啊,要三根普被,华严太高,但不能广。
就像《法华经》里的穷子品,《法华经》有七喻,穷子品里,有一个老爸,儿子失散几十年,最后落魄到讨饭回乡。他父亲富可敌国啊,就是没有继承人,继承人几十年前小时候走丢了,后来流浪生死沦落为叫花子,根本不知道自己出身高贵,根本不知道自己是一个万富家财的唯一继承人。然后就又流浪、流浪,居然流浪到他老爸跟前,被他老爸一眼认出,马上叫上两个家丁,“这就是我儿子,快把他追回来”。
一追把这个叫花子吓得魂飞魄散,我又没犯错误,就在你们家路过我都有罪啦?就开始大叫,以为被抓住了要受惩罚。那么老爸一看这个架势,他这个儿子个性也好、人格也好,方方面面已经太卑劣了,他生活在社会最底层,已经无法承受任何东西,如果一眼就跟他说,你就是我的继承人,当时就把他吓死了。
最后就说,不要这样了,你们去找两个长得比较磕碜的、歪瓜劣枣的,扮演成跟他一个层次的苦命人,说某个长者家要雇一个短工。如果问干什么,就是扫扫厕所,最低端的,只要把他哄来,我再慢慢调教他。
所以这两个人就穿着很脏兮兮的衣服,跟他和光同尘,反正咱们是一个频道、一伙的,那么他就能够打成一片。你如果稍微示现高贵身,他马上就害怕了,以为要拿他怎么的。
所以释迦牟尼佛在华严会上,是现卢舍那身,这是无量种好,无量相好,放光动地,相当了不起。一般众生不堪受其大化,所以要脱珍御弊,把漂亮的珍贵的衣服脱下来,穿上有垢弊的衣服,自降身份。释迦牟尼佛示现一个老比丘相,在鹿野苑为五比丘、为声闻弟子所示十二因缘法,说四部阿含法(《长阿含》《中阿含》《杂阿含》《增一阿含》),这样前前后后说了十二年。
真正的佛法全称叫一佛乘。
“阿含十二方等八”,到了方等时回小向大,已经从小乘往大乘走,这是八年方等。方等其实还不是大乘的深妙之法,所以再往上提就叫“二十二年般若谈”。这个般若经,六百卷《大般若经》,还有《仁王般若经》《大品般若经》《小品般若经》《放光般若经》,有很多般若系的经典。般若系是佛一生讲得最长的,关键就是讲空性,般若性空,缘起性空。空是什么,是菩萨的智慧,所以《心经》中讲“观自在菩萨,行深般若波罗蜜多时,照见五蕴皆空,度一切苦厄”。
讲空,二十二年讲完了,已经把佛法讲到般若时,已经非常非常高妙了,但这些讲的都只是菩萨法,还不是佛法。真正的佛法全称叫“一佛乘法”,是讲诸法实相义,是“醍醐妙法”。
所以从牛出乳,是原汁原味的牛奶,这是华严时;从乳出酪,这是阿含时;从酪出生酥,这是方等时;从生酥出熟酥,这是般若时;从熟酥提炼最高的牛奶的精华,就叫醍醐。醍醐是奶制品当中最高最高的境界了,无以复加了,那么醍醐味就是叫法华涅槃时。
《法华经》佛陀为何宣讲八年?
《法华经》佛讲了八年,《涅槃经》佛讲了一天一夜,那么我们现代人就会觉得很不可思议了,《法华经》才七卷二十八品,也就六万九千多字,《涅槃经》有四十多卷,怎么一天一夜讲四十多卷,八年讲七卷?
佛说经典有广本、略本。《华严经》八十一卷够厉害了吧,这都是略到哪个程度都不知道,《法华经》的广本集起来也是我们一辈子看不完、读不完的,但众生不堪受其大化,所有的经典“龙宫海藏散天香”,都进入龙宫了,最后由菩萨发心把它一点一点诵出来。像《华严经》是龙树菩萨到大龙菩萨的龙宫诵出来的,有四十华严、六十华严,最后一直到八十一卷华严。这个都还算是小品略本。
所以说不要认为《法华经》很短,不可能八年,《涅槃经》很长,怎么可能是一个晚上能够讲完的?入不可思议境界。就像维摩居士方丈室,什么叫方丈啊?一丈见方,深一丈、宽一丈,一丈见方谓之方丈。他示现疾病的时候,释迦牟尼佛派弟子去问疾,派舍利弗去,舍利弗不敢去,派目犍连去,目犍连不敢去。为什么?这老人家说法自在、辩才无碍,以前碰到都被他出洋相的,说不过他,那如果代表佛去探望,万一他到时候来几句回马枪怎么办?所以没有一个人敢去。
最后文殊菩萨毛遂自荐,一听说文殊菩萨出马,个个报名都要去。为什么?这叫高峰论剑,这是最高境界的智者对谈啊,一个是出家人当中的智慧第一,一个是在家人当中的智慧第一。维摩居士是金粟如来化身,这不得了的。两个大智慧的人在一起碰撞,这是般若的光环,一定要去,最后带着无量人都去了。
一丈见方的石屋怎么容得下这么多人呢?最后居然都进去了。只有在一种情况下可以进去,要么房子放大,要么所有人都缩小,但是房子也没有大,人也没有小,八万四千狮子座也没有小。光光互融啊,就像一个房间点一盏灯不会空,点一千盏灯也不会满。这是什么境界?就叫不可思议解脱境界。
佛最高最圆的说法就叫“法华涅槃时”,尤其《法华经》是诸佛降生必说之法。是第一义谛大法,是最上乘之法,是究竟解脱之法,是成佛最妙之法。
八万四千法门,法法皆可解脱,法无高下,是法平等,无二无别,应缘对机而生,人若无心,无为,闲然自在,何处不是净土。
无人,无我,无涅槃,无生,无灭。本自解脱,何更解脱,本来如是,别求如是,本来如此,本来是佛,本来实相,妄起虚幻,识此本来,天下皆安。
华严最初三七日
阿含十二方等八
二十二年般若谈
法华涅槃共八年
以前讲的所有的法都是《妙法莲华经》的序品,到《妙法莲华经》法华会上开权显实、这是正宗分了,然后最后《涅槃经》结束。所以佛一生的讲法,天台宗讲“五时判教”,首先是华严,“华严最初三七日”,这是对大菩萨称性直谈,而阿罗汉、声闻弟子听了,如聋如哑,不知其妙。那么佛一看,高则高矣,然不广啊,要三根普被,华严太高,但不能广。
就像《法华经》里的穷子品,《法华经》有七喻,穷子品里,有一个老爸,儿子失散几十年,最后落魄到讨饭回乡。他父亲富可敌国啊,就是没有继承人,继承人几十年前小时候走丢了,后来流浪生死沦落为叫花子,根本不知道自己出身高贵,根本不知道自己是一个万富家财的唯一继承人。然后就又流浪、流浪,居然流浪到他老爸跟前,被他老爸一眼认出,马上叫上两个家丁,“这就是我儿子,快把他追回来”。
一追把这个叫花子吓得魂飞魄散,我又没犯错误,就在你们家路过我都有罪啦?就开始大叫,以为被抓住了要受惩罚。那么老爸一看这个架势,他这个儿子个性也好、人格也好,方方面面已经太卑劣了,他生活在社会最底层,已经无法承受任何东西,如果一眼就跟他说,你就是我的继承人,当时就把他吓死了。
最后就说,不要这样了,你们去找两个长得比较磕碜的、歪瓜劣枣的,扮演成跟他一个层次的苦命人,说某个长者家要雇一个短工。如果问干什么,就是扫扫厕所,最低端的,只要把他哄来,我再慢慢调教他。
所以这两个人就穿着很脏兮兮的衣服,跟他和光同尘,反正咱们是一个频道、一伙的,那么他就能够打成一片。你如果稍微示现高贵身,他马上就害怕了,以为要拿他怎么的。
所以释迦牟尼佛在华严会上,是现卢舍那身,这是无量种好,无量相好,放光动地,相当了不起。一般众生不堪受其大化,所以要脱珍御弊,把漂亮的珍贵的衣服脱下来,穿上有垢弊的衣服,自降身份。释迦牟尼佛示现一个老比丘相,在鹿野苑为五比丘、为声闻弟子所示十二因缘法,说四部阿含法(《长阿含》《中阿含》《杂阿含》《增一阿含》),这样前前后后说了十二年。
真正的佛法全称叫一佛乘。
“阿含十二方等八”,到了方等时回小向大,已经从小乘往大乘走,这是八年方等。方等其实还不是大乘的深妙之法,所以再往上提就叫“二十二年般若谈”。这个般若经,六百卷《大般若经》,还有《仁王般若经》《大品般若经》《小品般若经》《放光般若经》,有很多般若系的经典。般若系是佛一生讲得最长的,关键就是讲空性,般若性空,缘起性空。空是什么,是菩萨的智慧,所以《心经》中讲“观自在菩萨,行深般若波罗蜜多时,照见五蕴皆空,度一切苦厄”。
讲空,二十二年讲完了,已经把佛法讲到般若时,已经非常非常高妙了,但这些讲的都只是菩萨法,还不是佛法。真正的佛法全称叫“一佛乘法”,是讲诸法实相义,是“醍醐妙法”。
所以从牛出乳,是原汁原味的牛奶,这是华严时;从乳出酪,这是阿含时;从酪出生酥,这是方等时;从生酥出熟酥,这是般若时;从熟酥提炼最高的牛奶的精华,就叫醍醐。醍醐是奶制品当中最高最高的境界了,无以复加了,那么醍醐味就是叫法华涅槃时。
《法华经》佛陀为何宣讲八年?
《法华经》佛讲了八年,《涅槃经》佛讲了一天一夜,那么我们现代人就会觉得很不可思议了,《法华经》才七卷二十八品,也就六万九千多字,《涅槃经》有四十多卷,怎么一天一夜讲四十多卷,八年讲七卷?
佛说经典有广本、略本。《华严经》八十一卷够厉害了吧,这都是略到哪个程度都不知道,《法华经》的广本集起来也是我们一辈子看不完、读不完的,但众生不堪受其大化,所有的经典“龙宫海藏散天香”,都进入龙宫了,最后由菩萨发心把它一点一点诵出来。像《华严经》是龙树菩萨到大龙菩萨的龙宫诵出来的,有四十华严、六十华严,最后一直到八十一卷华严。这个都还算是小品略本。
所以说不要认为《法华经》很短,不可能八年,《涅槃经》很长,怎么可能是一个晚上能够讲完的?入不可思议境界。就像维摩居士方丈室,什么叫方丈啊?一丈见方,深一丈、宽一丈,一丈见方谓之方丈。他示现疾病的时候,释迦牟尼佛派弟子去问疾,派舍利弗去,舍利弗不敢去,派目犍连去,目犍连不敢去。为什么?这老人家说法自在、辩才无碍,以前碰到都被他出洋相的,说不过他,那如果代表佛去探望,万一他到时候来几句回马枪怎么办?所以没有一个人敢去。
最后文殊菩萨毛遂自荐,一听说文殊菩萨出马,个个报名都要去。为什么?这叫高峰论剑,这是最高境界的智者对谈啊,一个是出家人当中的智慧第一,一个是在家人当中的智慧第一。维摩居士是金粟如来化身,这不得了的。两个大智慧的人在一起碰撞,这是般若的光环,一定要去,最后带着无量人都去了。
一丈见方的石屋怎么容得下这么多人呢?最后居然都进去了。只有在一种情况下可以进去,要么房子放大,要么所有人都缩小,但是房子也没有大,人也没有小,八万四千狮子座也没有小。光光互融啊,就像一个房间点一盏灯不会空,点一千盏灯也不会满。这是什么境界?就叫不可思议解脱境界。
佛最高最圆的说法就叫“法华涅槃时”,尤其《法华经》是诸佛降生必说之法。是第一义谛大法,是最上乘之法,是究竟解脱之法,是成佛最妙之法。
切 开 法 双 眼 皮 术 后 护 理 小 窍 门 :
1 、 术 后 加 压 包 扎 :
术 后 上 睑 会 盖 上 纱 布 条 , 医 生 会 让 你 压 迫 半 小 时 后 才 能 离 开 , 目 的 是 预 防 渗 血 , 术 后 第 二 天 来 医 院 拆 除 眼 部 的 纱 布 , 不 要 自 己 拆 除 , 因 为 切 口 的 血 迹 和 纱 布 常 粘 牢 , 强 行 撕 开 会 撕 裂 眼 部 创 口 。
2 、 不 要 急 于 吃 去 痛 片 :
手 术 当 日 伤 口 会 有 些 疼 痛 , 但 随 着 时 间 的 推 移 会 逐 渐 减 轻 。 病 人 不 要 急 于 吃 去 痛 片 , 因 为 阿 斯 匹 林 类 药 物 会 加 重 伤 口 出 血 , 不 要 滥 服 药 物 是 割 双 眼 皮 注 意 事 项 中 特 别 重 要 的 一 点 。
3 、 拆 线 前 切 口 不 要 沾 水 :
每 日 补 充 研 一 精 科 素 可 以 有 效 的 防 止 感 染 帮 助 消 肿 、 预 防 增 生 以 及 利 于 伤 口 的 恢 复 , 降 低 疤 痕 增 生 的 几 率 , 眼 角 开 大 的 患 者 每 日 用 抗 生 素 眼 药 水 在 眼 角 滴 数 次 , 有 眼 角 分 泌 物 时 , 用 无 菌 棉 棒 沾 眼 药 水 后 轻 轻 搽 去 眼 角 的 分 泌 物 。
4 、 术 后 5 ~ 7 天 拆 线 :
有 时 拆 线 后 伤 口 内 会 留 有 极 小 的 线 头 , 随 着 时 间 的 推 移 , 线 头 会 慢 慢 地 顶 出 来 或 自 行 吸 收 。
5 、 注 意 眼 部 肌 肉 的 运 动 :
尽 可 能 大 睁 眼 , “ 瞪 你 咋 地 ” 的 那 种 ! ( 疼 也 得 忍 住 ) 。 只 有 不 断 加 强 睁 大 眼 睛 的 运 动 , 才 能 促 使 眼 睛 肌 肉 和 周 围 组 织 的 血 液 循 环 , 减 轻 并 逐 渐 消 除 手 术 部 位 的 肿 胀 , 促 进 手 术 淤 血 的 早 日 吸 收 。 ( 注 意 : 特 殊 情 况 此 法 不 适 用 , 如 双 眼 皮 渗 血 )
★ 1 、 急 性 炎 症 期 ( 1 - 7 天 ) :
伤 口 的 早 期 变 化 伤 口 局 部 有 不 同 程 度 的 组 织 坏 死 和 血 管 断 裂 出 血 , 数 小 时 内 便 出 现 炎 症 反 应 , 表 现 为 充 血 、 浆 液 渗 出 及 白 细 胞 游 出 , 故 局 部 红 肿 。 白 细 胞 以 中 性 粒 细 胞 为 主 , 3 天 后 转 为 以 巨 噬 细 胞 为 主 。 伤 口 中 的 血 液 和 渗 出 液 中 的 纤 维 蛋 白 原 很 快 凝 固 形 成 凝 块 , 有 的 凝 块 表 面 干 燥 形 成 痂 皮 , 凝 块 及 痂 皮 起 着 保 护 伤 口 的 作 用 。 这 个 时 间 医 生 会 开 具 抗 生 素 等 消 炎 药 帮 助 机 体 压 制 炎 症 , 防 止 感 染 。 此 外 可 摄 入 研 https://t.cn/A6XHisTa
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2 、 不 要 急 于 吃 去 痛 片 :
手 术 当 日 伤 口 会 有 些 疼 痛 , 但 随 着 时 间 的 推 移 会 逐 渐 减 轻 。 病 人 不 要 急 于 吃 去 痛 片 , 因 为 阿 斯 匹 林 类 药 物 会 加 重 伤 口 出 血 , 不 要 滥 服 药 物 是 割 双 眼 皮 注 意 事 项 中 特 别 重 要 的 一 点 。
3 、 拆 线 前 切 口 不 要 沾 水 :
每 日 补 充 研 一 精 科 素 可 以 有 效 的 防 止 感 染 帮 助 消 肿 、 预 防 增 生 以 及 利 于 伤 口 的 恢 复 , 降 低 疤 痕 增 生 的 几 率 , 眼 角 开 大 的 患 者 每 日 用 抗 生 素 眼 药 水 在 眼 角 滴 数 次 , 有 眼 角 分 泌 物 时 , 用 无 菌 棉 棒 沾 眼 药 水 后 轻 轻 搽 去 眼 角 的 分 泌 物 。
4 、 术 后 5 ~ 7 天 拆 线 :
有 时 拆 线 后 伤 口 内 会 留 有 极 小 的 线 头 , 随 着 时 间 的 推 移 , 线 头 会 慢 慢 地 顶 出 来 或 自 行 吸 收 。
5 、 注 意 眼 部 肌 肉 的 运 动 :
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★ 1 、 急 性 炎 症 期 ( 1 - 7 天 ) :
伤 口 的 早 期 变 化 伤 口 局 部 有 不 同 程 度 的 组 织 坏 死 和 血 管 断 裂 出 血 , 数 小 时 内 便 出 现 炎 症 反 应 , 表 现 为 充 血 、 浆 液 渗 出 及 白 细 胞 游 出 , 故 局 部 红 肿 。 白 细 胞 以 中 性 粒 细 胞 为 主 , 3 天 后 转 为 以 巨 噬 细 胞 为 主 。 伤 口 中 的 血 液 和 渗 出 液 中 的 纤 维 蛋 白 原 很 快 凝 固 形 成 凝 块 , 有 的 凝 块 表 面 干 燥 形 成 痂 皮 , 凝 块 及 痂 皮 起 着 保 护 伤 口 的 作 用 。 这 个 时 间 医 生 会 开 具 抗 生 素 等 消 炎 药 帮 助 机 体 压 制 炎 症 , 防 止 感 染 。 此 外 可 摄 入 研 https://t.cn/A6XHisTa
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