#海宁月饼奶奶”送出近3万只月饼#【坚持整十年 今年海宁“月饼奶奶” 又送出近3万只月饼】十年之约,缘起于一只喷香的酥皮鲜肉月饼。
每年到了中秋节,住在嘉兴海宁颐和家园养老服务中心的老人们,就多了一份念想。他们想念这只月饼,更挂念做月饼的奶奶沈月娥。
从2012年起,沈月娥每年中秋前后会给养老院的老人、环卫工人送上爱心月饼,暖心举动一持续就是十年。
如今,沈月娥已经79岁,而每年给大家送月饼,已经成为了彼此之间的牵挂。
凌晨3点忙到晚上11点
今年送出近3万只月饼
中秋前后,沈月娥的节奏是这样的:凌晨3点起床,和面、揉面、擀皮、配馅;凌晨5点多,邻居老姐妹赶来帮忙,帮着一起烘烤、包装;白天,把做好的月饼送出;晚上,继续准备材料,打扫卫生……晚上休息,常常已经是深夜11点半。
这样的节奏,今年沈月娥已经持续了近一个月。
昨天下午4点半,当钱江晚报·小时新闻记者与沈月娥联系时,她忙得腾不出手。这一天,沈月娥已经送出了600只月饼,马上又要再加单500只。“今天是送到社区里的,给老人们吃。还不够么,我就赶紧回来再继续做一点。”
一桶桶食用油,一袋袋面粉,再加上每天早晨从超市采购来的新鲜猪肉,经过奶奶的巧手,全部成了喷香的鲜肉月饼。
而她的“月饼工坊”,就是自家十几平方米的客厅。烘烤月饼,靠的就是一只两层大烤箱。家里四周的墙上,挂满了锦旗,都是大家对“月饼奶奶”的感谢。
今年送出多少只月饼了?沈月娥自己都算不清楚。“不会去算的。毛估估差不多3万只吧。”往年中秋送出的爱心月饼,数量是2万只左右,今年肉价涨了,每斤要21元,沈月娥送出的月饼反而更多了。
光面粉、食用油、肉馅等成本,沈月娥粗粗一算,今年已经用掉了9万元,而今年她还要一直送到9月16日左右。“去年一个中秋是花掉了8万元,今年肯定是超出去年。”
老人、环卫工人、护工……
月饼一送就是10年
按照采访这天的数量算,沈月娥一天要做的月饼,达到1000多只。
这是什么样的速度?将一定比例的热开水和油混合,再倒入合适比例的面粉,揉出一块块水面团,接着将油和面粉揉成拳头大的油面团,油面团裹进水面团,压扁、擀开、塞入肉馅……待烤月饼才成型。沈月娥完成这些步骤时,快得让人移不开眼。
年轻时,沈月娥是原海宁食品厂的一名糕点师,手艺就是那时候练就的。
退休后,她曾开过食品厂,生意也不错。1997年外孙女出生,她为了照顾孩子关了厂。后来,外孙女初中毕业去国外读书,不爱打麻将、不爱跳广场舞的沈月娥觉得空落落的,便又在家做起了鲜肉月饼。
在家人的提议和支持下,2012年开始,每到中秋节,沈月娥都要自掏腰包购买原材料,亲手做一批月饼,送给养老院的老人、环卫工人、医院的护工。
“环卫工人们可能舍不得买鲜肉月饼吃的,所以我要免费送给他们。”海宁环卫工人的数量是1400多个人,沈月娥在一帮热心邻居的帮衬下,还真的做出来了,而且每个人能收到两个。
这样的暖心举动,沈月娥已坚持了整整十年,送的数量也越来越多。其间,她曾因犯了颈椎病,为做月饼跑杭州治病6次;2020年,还因为半月板手术暂停过送月饼活动。但只要身体允许,每年送月饼雷打不动。
期待下一个十年之约
“做到100岁是我的光荣”
沈月娥做的鲜肉月饼味道如何?吃过的人说,咬一口,酥脆香嫩,鲜肉扎实,汁水横流,两个字:好吃。
每年,养老院的老人都等着吃香喷喷的鲜肉月饼,有些老人听说“月饼奶奶”要来了,早早等候在了现场。大家喜欢吃,沈月娥的干劲更足了,她也提到,每年送爱心月饼,其实也少不了身边一帮热心帮忙的老姐妹,以及家人的全力支持。
每年做月饼、送月饼的钱,都是沈月娥一年攒下来的养老金。“现在每个月我都有钱可以领,生活太幸福了,所以要感恩,要回报。”
更让沈月娥欣慰的是,子女都很孝顺,也支持她的爱心事业。做月饼的烤箱、盒子……很多都是家人们帮着买的,“他们支持,我干得才痛快。平时吃的穿的用的,都是子女给我的,所以我能攒下钱来送月饼。”
今年,沈月娥送了月饼后,还收到了一封来自颐和家园老人们的感谢信,信上这样写着:“每年到了中秋节,住在养老院的老人们就多了一份念想,想着见到您。这是我们彼此的牵挂。您牵挂我们是否安好,我们牵挂您是否平安。转眼,我们已经相遇十年,彼此牵挂十年,谢谢您这十年的无私付出……我们希望再跟您约十年……”
对于沈月娥而言,她也期待下一个十年之约,“如果身体允许,做到100岁是我的光荣。”via钱江晚报
每年到了中秋节,住在嘉兴海宁颐和家园养老服务中心的老人们,就多了一份念想。他们想念这只月饼,更挂念做月饼的奶奶沈月娥。
从2012年起,沈月娥每年中秋前后会给养老院的老人、环卫工人送上爱心月饼,暖心举动一持续就是十年。
如今,沈月娥已经79岁,而每年给大家送月饼,已经成为了彼此之间的牵挂。
凌晨3点忙到晚上11点
今年送出近3万只月饼
中秋前后,沈月娥的节奏是这样的:凌晨3点起床,和面、揉面、擀皮、配馅;凌晨5点多,邻居老姐妹赶来帮忙,帮着一起烘烤、包装;白天,把做好的月饼送出;晚上,继续准备材料,打扫卫生……晚上休息,常常已经是深夜11点半。
这样的节奏,今年沈月娥已经持续了近一个月。
昨天下午4点半,当钱江晚报·小时新闻记者与沈月娥联系时,她忙得腾不出手。这一天,沈月娥已经送出了600只月饼,马上又要再加单500只。“今天是送到社区里的,给老人们吃。还不够么,我就赶紧回来再继续做一点。”
一桶桶食用油,一袋袋面粉,再加上每天早晨从超市采购来的新鲜猪肉,经过奶奶的巧手,全部成了喷香的鲜肉月饼。
而她的“月饼工坊”,就是自家十几平方米的客厅。烘烤月饼,靠的就是一只两层大烤箱。家里四周的墙上,挂满了锦旗,都是大家对“月饼奶奶”的感谢。
今年送出多少只月饼了?沈月娥自己都算不清楚。“不会去算的。毛估估差不多3万只吧。”往年中秋送出的爱心月饼,数量是2万只左右,今年肉价涨了,每斤要21元,沈月娥送出的月饼反而更多了。
光面粉、食用油、肉馅等成本,沈月娥粗粗一算,今年已经用掉了9万元,而今年她还要一直送到9月16日左右。“去年一个中秋是花掉了8万元,今年肯定是超出去年。”
老人、环卫工人、护工……
月饼一送就是10年
按照采访这天的数量算,沈月娥一天要做的月饼,达到1000多只。
这是什么样的速度?将一定比例的热开水和油混合,再倒入合适比例的面粉,揉出一块块水面团,接着将油和面粉揉成拳头大的油面团,油面团裹进水面团,压扁、擀开、塞入肉馅……待烤月饼才成型。沈月娥完成这些步骤时,快得让人移不开眼。
年轻时,沈月娥是原海宁食品厂的一名糕点师,手艺就是那时候练就的。
退休后,她曾开过食品厂,生意也不错。1997年外孙女出生,她为了照顾孩子关了厂。后来,外孙女初中毕业去国外读书,不爱打麻将、不爱跳广场舞的沈月娥觉得空落落的,便又在家做起了鲜肉月饼。
在家人的提议和支持下,2012年开始,每到中秋节,沈月娥都要自掏腰包购买原材料,亲手做一批月饼,送给养老院的老人、环卫工人、医院的护工。
“环卫工人们可能舍不得买鲜肉月饼吃的,所以我要免费送给他们。”海宁环卫工人的数量是1400多个人,沈月娥在一帮热心邻居的帮衬下,还真的做出来了,而且每个人能收到两个。
这样的暖心举动,沈月娥已坚持了整整十年,送的数量也越来越多。其间,她曾因犯了颈椎病,为做月饼跑杭州治病6次;2020年,还因为半月板手术暂停过送月饼活动。但只要身体允许,每年送月饼雷打不动。
期待下一个十年之约
“做到100岁是我的光荣”
沈月娥做的鲜肉月饼味道如何?吃过的人说,咬一口,酥脆香嫩,鲜肉扎实,汁水横流,两个字:好吃。
每年,养老院的老人都等着吃香喷喷的鲜肉月饼,有些老人听说“月饼奶奶”要来了,早早等候在了现场。大家喜欢吃,沈月娥的干劲更足了,她也提到,每年送爱心月饼,其实也少不了身边一帮热心帮忙的老姐妹,以及家人的全力支持。
每年做月饼、送月饼的钱,都是沈月娥一年攒下来的养老金。“现在每个月我都有钱可以领,生活太幸福了,所以要感恩,要回报。”
更让沈月娥欣慰的是,子女都很孝顺,也支持她的爱心事业。做月饼的烤箱、盒子……很多都是家人们帮着买的,“他们支持,我干得才痛快。平时吃的穿的用的,都是子女给我的,所以我能攒下钱来送月饼。”
今年,沈月娥送了月饼后,还收到了一封来自颐和家园老人们的感谢信,信上这样写着:“每年到了中秋节,住在养老院的老人们就多了一份念想,想着见到您。这是我们彼此的牵挂。您牵挂我们是否安好,我们牵挂您是否平安。转眼,我们已经相遇十年,彼此牵挂十年,谢谢您这十年的无私付出……我们希望再跟您约十年……”
对于沈月娥而言,她也期待下一个十年之约,“如果身体允许,做到100岁是我的光荣。”via钱江晚报
房子怪圈
振り出しに戻った隣人
没想到,十几年后,我和老黄、老刘又成了邻居。
十数年後、私と黄さん、劉さんが意外にも再び隣人となった。
我们三人,原来在一个单位工作,赶上福利分房,三人分到了同一个单元,同一层。一梯三户,老黄家在东边,老刘家住西边,我住中间。那时候,我们都还年轻,经常在一起喝酒,谈人生,梦想着赚大钱。
われわれ3人は、もともと同じ職場で働いていて、まだ住宅分配制度が行われていた時期だったため、同じアパートの同じ階が分配された。一つのエレベーターを三つの家で共有していて、黄さんは東側、劉さんは西側で、私は真ん中に住んでいた。その時、われわれは皆まだ若く、いつも一緒に酒を飲み、人生を語り、大金を稼ぐことを夢みていた。
后来,单位垮了,我们各谋出路。虽然还是邻居,但碰面的机会越来越少。
後に勤務先が解散し、われわれはそれぞれ生きる道を模索することとなった。隣人であることには変わりなかったが、顔を合わす機会はどんどん減っていった。
一日,老黄忽然来敲门,告诉我:“我把房子卖了。打算自己创业,开个小加工厂。房子卖了20万,勉强够启动资金了。”我说:“那你和家人住哪儿?”他那时刚刚生儿子不久,说:“没事儿,我跟妻子商量好了,先住厂里。等将来挣到大钱了,一定买一套大房子,让她享福。”
ある日、黄さんが突然ドアをノックして、「私は家を売り払ったよ。起業して、小さな加工工場を開くつもりだ。家は20万で売り、どうにか開業資金を捻出したんだ」と言った。私は「じゃあ、あなたと家族はどこに住むつもり?」と聞いた。その時息子が生まれたばかりだった彼は、「大丈夫、妻とはよく話し合って、まずは工場の中に住むことになっている。お金をたくさん稼いだら、大きな家を買って、彼女を幸せにしてやるよ」と言った。
老黄搬走后,大家各忙各的,渐渐就淡忘了。
黄さんが引っ越した後、皆それぞれに忙しく、互いのことはしだいに忘れていった。
过了几年,老刘也搬走了。搬家前一天,他请我喝告别酒,告诉我:“我把这房子卖了,刚好够首付,在新区买了一套90平米的新房子。现在新区房价一天一个价,我买的时候才6000一平,这才一个多月,就涨到快7000了。这个老小区,已经没希望了。我劝你也把房子卖了,咬咬牙,贷款去新区买房子,我们再做邻居。”
数年経つと、劉さんも引っ越した。引っ越しの前日、彼は別れの盃を酌み交わそうと私を誘った。「この家は売ったよ。ちょうど頭金になったので、新興住宅地に90平米(へいべい)の新居を買ったんだ。今その住宅地の価格は日に日に上がっていて、私が買った時には1平米あたり6000元だったのが、一カ月ちょっとでもう7000元に値上がりしたんだ。この古い住宅地はもうだめだね。君ももうこの家は売り払ったほうがいいよ。がんばってお金を借りて、新興住宅地で家を買えば、また隣人になれる」と彼は言った。
我摇摇头说:“我在单位收入不高,怕还不起房贷。算了,还是守着这老房子,安生过日子吧。”老刘最终没说动我。
私は首を振って言った。「私の職場は給料が高くないから、住宅ローンを返せないよ。やっぱりこの古い家で、静かに暮らしていくことにするよ」。劉さんはとうとう勧めるのをあきらめた。
老黄和老刘都搬走了。他们两家的房子,像走马灯似的换了好几次房东,只有我一家一直住在这儿。
黄さんと劉さんはどちらも引っ越し、彼らの二つの家は走馬灯のように何度もその持ち主を変え、私の家だけがずっと同じところに住んでいた。
有一次,我在大街上遇到以前单位的领导,从他那儿得知,老黄的生意做得挺不错,赚了不少钱;而老刘呢,前两年将新区的房子卖了,又换了一套更大的房子。单位领导感叹说:“他们都越混越好了,听说你还住在原来单位分的旧房子里?”我讪讪地笑了笑。
ある時、私は道で以前の職場のボスに会った。彼から黄さんの商売はとても順調で、少なからずのお金を稼いでいると聞いた。そして劉さんは、2年ほど前に新興住宅地の家を売り、もっと大きな家を買ったそうだ。ボスはため息をついて、「彼らはみんなうまくやっているみたいだな。あなたは前の職場で分配された古い家にまだ住んでいるんだって?」と言った。私はバツの悪い笑みを浮かべた。
忽一日,有人敲门,竟然是老刘。他激动地对我说:“我们又做邻居啦!”我一脸茫然。老刘指着我家东边说,我将新区的大房子卖了300万,正好买下以前老黄家的房子。
ある日、突然家の戸を叩く人がいた。なんと劉さんだった。彼は興奮して「また隣人になったよ」と私に言った。私はびっくりした。劉さんは私の家の東側を指して、「私は新興住宅地の大きな家を300万で売り、ちょうど以前の黄さんが住んでいた家を買ったんだ」という。
我诧异地看着他:“你疯啦,花300万买这个破房子?”老刘解释:“没办法,儿子马上要读初中了,这里是全市最好的学区,所以价格特别贵。”就这样,老刘又成了我的邻居,只是原来住我家西边,现在住在了东边。
私はいぶかしんで彼を見て「気でも狂ったのかい? 300万も出してこんなぼろ家を買うなんて」と言った。劉さんは「仕方ないんだ。息子が中学校にあがるんだ。ここは全市で一番よい学区なんで、ここの価格は特に高いんだ」と言った。このようにして劉さんは再び私の隣人となり、ただ、前に住んでいたのは西側だったが、今回は東側に住んだ。
又一日,门外响起鞭炮声,开门看,是有人搬家。走在前头的人好面熟,老黄!我问老黄:“你、你怎么帮人搬家?”老黄看见我,也一脸诧异:“你怎么还住在这儿?”
またある日、玄関の外から爆竹の音が響き、戸を開けて見てみると、引っ越しをしている人がいた。先頭を行く人の顔に見覚えがあって、黄さんだった。私は黄さんに「どうして人の引っ越しなんて手伝っているの?」と聞いた。黄さんは私を見て、これもまたいぶかしげに、「君はどうしてまだここに住んでいるんだい?」と言った。
这时,老刘也打开了门看热闹。一聊才知道,老黄不是帮别人搬家,是他自己搬家。他说:“我女儿马上要念初中了,这套老房子学区最好,正好原来老刘家的房子要出售,我就把加工厂卖了,又将现在住的房子也卖了,正好凑够了买这老房子的钱。”
この時、劉さんも戸を開け、何事かと顔をのぞかせた。黄さんによると、人の引っ越しを手伝っているわけではなく、彼の家の引っ越しだという。「娘が間もなく中学に入るので、この家の学区が最もよく、ちょうど以前の劉さんの家が売りに出ていたので、工場を売り、今住んでいる家も売って、どうにかこの古い家を買うお金をつくったんだ」と彼は言った。
就这样,老刘,老黄,还有我,我们又成邻居啦!
こうして、劉さんと黄さん、そして私が再び隣人となったのだ。
翻訳にあたって
タイトルの「振り出し」とは、双六(すごろく)ゲームでサイコロを振り始める最初の状態のことで、「振り出しに戻る」は出発地点に戻るという意味。“单位”はちょうどぴったりの言葉がないために日本語の訳語に困る言葉のひとつで、その文章での使われ方によって、職場、勤務先、団体、会社、企業、機関、部門、組織などさまざまに訳語が変化する。ここでは職場・勤務先などの言葉がふさわしい。
#为什么建议要体面分手##油画##刘耀文#
振り出しに戻った隣人
没想到,十几年后,我和老黄、老刘又成了邻居。
十数年後、私と黄さん、劉さんが意外にも再び隣人となった。
我们三人,原来在一个单位工作,赶上福利分房,三人分到了同一个单元,同一层。一梯三户,老黄家在东边,老刘家住西边,我住中间。那时候,我们都还年轻,经常在一起喝酒,谈人生,梦想着赚大钱。
われわれ3人は、もともと同じ職場で働いていて、まだ住宅分配制度が行われていた時期だったため、同じアパートの同じ階が分配された。一つのエレベーターを三つの家で共有していて、黄さんは東側、劉さんは西側で、私は真ん中に住んでいた。その時、われわれは皆まだ若く、いつも一緒に酒を飲み、人生を語り、大金を稼ぐことを夢みていた。
后来,单位垮了,我们各谋出路。虽然还是邻居,但碰面的机会越来越少。
後に勤務先が解散し、われわれはそれぞれ生きる道を模索することとなった。隣人であることには変わりなかったが、顔を合わす機会はどんどん減っていった。
一日,老黄忽然来敲门,告诉我:“我把房子卖了。打算自己创业,开个小加工厂。房子卖了20万,勉强够启动资金了。”我说:“那你和家人住哪儿?”他那时刚刚生儿子不久,说:“没事儿,我跟妻子商量好了,先住厂里。等将来挣到大钱了,一定买一套大房子,让她享福。”
ある日、黄さんが突然ドアをノックして、「私は家を売り払ったよ。起業して、小さな加工工場を開くつもりだ。家は20万で売り、どうにか開業資金を捻出したんだ」と言った。私は「じゃあ、あなたと家族はどこに住むつもり?」と聞いた。その時息子が生まれたばかりだった彼は、「大丈夫、妻とはよく話し合って、まずは工場の中に住むことになっている。お金をたくさん稼いだら、大きな家を買って、彼女を幸せにしてやるよ」と言った。
老黄搬走后,大家各忙各的,渐渐就淡忘了。
黄さんが引っ越した後、皆それぞれに忙しく、互いのことはしだいに忘れていった。
过了几年,老刘也搬走了。搬家前一天,他请我喝告别酒,告诉我:“我把这房子卖了,刚好够首付,在新区买了一套90平米的新房子。现在新区房价一天一个价,我买的时候才6000一平,这才一个多月,就涨到快7000了。这个老小区,已经没希望了。我劝你也把房子卖了,咬咬牙,贷款去新区买房子,我们再做邻居。”
数年経つと、劉さんも引っ越した。引っ越しの前日、彼は別れの盃を酌み交わそうと私を誘った。「この家は売ったよ。ちょうど頭金になったので、新興住宅地に90平米(へいべい)の新居を買ったんだ。今その住宅地の価格は日に日に上がっていて、私が買った時には1平米あたり6000元だったのが、一カ月ちょっとでもう7000元に値上がりしたんだ。この古い住宅地はもうだめだね。君ももうこの家は売り払ったほうがいいよ。がんばってお金を借りて、新興住宅地で家を買えば、また隣人になれる」と彼は言った。
我摇摇头说:“我在单位收入不高,怕还不起房贷。算了,还是守着这老房子,安生过日子吧。”老刘最终没说动我。
私は首を振って言った。「私の職場は給料が高くないから、住宅ローンを返せないよ。やっぱりこの古い家で、静かに暮らしていくことにするよ」。劉さんはとうとう勧めるのをあきらめた。
老黄和老刘都搬走了。他们两家的房子,像走马灯似的换了好几次房东,只有我一家一直住在这儿。
黄さんと劉さんはどちらも引っ越し、彼らの二つの家は走馬灯のように何度もその持ち主を変え、私の家だけがずっと同じところに住んでいた。
有一次,我在大街上遇到以前单位的领导,从他那儿得知,老黄的生意做得挺不错,赚了不少钱;而老刘呢,前两年将新区的房子卖了,又换了一套更大的房子。单位领导感叹说:“他们都越混越好了,听说你还住在原来单位分的旧房子里?”我讪讪地笑了笑。
ある時、私は道で以前の職場のボスに会った。彼から黄さんの商売はとても順調で、少なからずのお金を稼いでいると聞いた。そして劉さんは、2年ほど前に新興住宅地の家を売り、もっと大きな家を買ったそうだ。ボスはため息をついて、「彼らはみんなうまくやっているみたいだな。あなたは前の職場で分配された古い家にまだ住んでいるんだって?」と言った。私はバツの悪い笑みを浮かべた。
忽一日,有人敲门,竟然是老刘。他激动地对我说:“我们又做邻居啦!”我一脸茫然。老刘指着我家东边说,我将新区的大房子卖了300万,正好买下以前老黄家的房子。
ある日、突然家の戸を叩く人がいた。なんと劉さんだった。彼は興奮して「また隣人になったよ」と私に言った。私はびっくりした。劉さんは私の家の東側を指して、「私は新興住宅地の大きな家を300万で売り、ちょうど以前の黄さんが住んでいた家を買ったんだ」という。
我诧异地看着他:“你疯啦,花300万买这个破房子?”老刘解释:“没办法,儿子马上要读初中了,这里是全市最好的学区,所以价格特别贵。”就这样,老刘又成了我的邻居,只是原来住我家西边,现在住在了东边。
私はいぶかしんで彼を見て「気でも狂ったのかい? 300万も出してこんなぼろ家を買うなんて」と言った。劉さんは「仕方ないんだ。息子が中学校にあがるんだ。ここは全市で一番よい学区なんで、ここの価格は特に高いんだ」と言った。このようにして劉さんは再び私の隣人となり、ただ、前に住んでいたのは西側だったが、今回は東側に住んだ。
又一日,门外响起鞭炮声,开门看,是有人搬家。走在前头的人好面熟,老黄!我问老黄:“你、你怎么帮人搬家?”老黄看见我,也一脸诧异:“你怎么还住在这儿?”
またある日、玄関の外から爆竹の音が響き、戸を開けて見てみると、引っ越しをしている人がいた。先頭を行く人の顔に見覚えがあって、黄さんだった。私は黄さんに「どうして人の引っ越しなんて手伝っているの?」と聞いた。黄さんは私を見て、これもまたいぶかしげに、「君はどうしてまだここに住んでいるんだい?」と言った。
这时,老刘也打开了门看热闹。一聊才知道,老黄不是帮别人搬家,是他自己搬家。他说:“我女儿马上要念初中了,这套老房子学区最好,正好原来老刘家的房子要出售,我就把加工厂卖了,又将现在住的房子也卖了,正好凑够了买这老房子的钱。”
この時、劉さんも戸を開け、何事かと顔をのぞかせた。黄さんによると、人の引っ越しを手伝っているわけではなく、彼の家の引っ越しだという。「娘が間もなく中学に入るので、この家の学区が最もよく、ちょうど以前の劉さんの家が売りに出ていたので、工場を売り、今住んでいる家も売って、どうにかこの古い家を買うお金をつくったんだ」と彼は言った。
就这样,老刘,老黄,还有我,我们又成邻居啦!
こうして、劉さんと黄さん、そして私が再び隣人となったのだ。
翻訳にあたって
タイトルの「振り出し」とは、双六(すごろく)ゲームでサイコロを振り始める最初の状態のことで、「振り出しに戻る」は出発地点に戻るという意味。“单位”はちょうどぴったりの言葉がないために日本語の訳語に困る言葉のひとつで、その文章での使われ方によって、職場、勤務先、団体、会社、企業、機関、部門、組織などさまざまに訳語が変化する。ここでは職場・勤務先などの言葉がふさわしい。
#为什么建议要体面分手##油画##刘耀文#
今天点名表扬大发,表扬它不达目的誓不罢休的执念。比如说吧,它一直惦记着出去,要么跟灰少一起谈谈猫生,要么找方头花狸干一仗。可是我们早上实在太忙了,它又不讲武德,说好几点回家偏不回来。那就只好老老实实呆在家里吧。顺哥是可以的,毕竟是老同志嘛,觉悟还是有的。但大发强烈抗议,我必须出去。于是,在我出门给外面的猫猫们喂食的时候,它使用高音C的调门,一刻不停地吟唱自由之歌。这要是但凡意志不坚定的,早就被它征服了。征服我的不是大发,是生存的压力。放你出去,谁去赚猫粮钱?
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