记弘一、印光大师(叶圣陶)
在到功德林去会见弘一法师的路上,我怀着似乎从来不曾有过的洁净的心情,也可以说带着渴望。弘一法师就是李叔同先生,我对于他的书画篆刻都中意。以后数年,听人说李先生已经出了家,在西湖某寺,现在称弘一了。于是不免向丰子恺先生询问关于弘一法师的种种。十分感兴趣之余,自然来了见一见的愿望。以后遇见子恺先生,他常常告诉我弘一法师的近况。记得有一次给我看弘一法师的来信,中间有“叶居士”云云,我看了很觉惭愧,虽然“居士”不是什么特别的尊称。
一天,我去上班,劈面来三辆人力车。最先是个和尚,我并不介意。第二是子恺先生,他惊喜似地向我点头。我也点头,心里就闪电般想起“后面一定是他”。人力车夫跑得很快,第三辆一霎经过时,我见坐着的果然是个和尚,清癯的脸,颔下有稀疏的长髯。我的感情有点激动,“他来了!”这样想着,屡屡回头望那越去越远的车篷的后影。第二天,就接到子恺先生的信,约我星期日到功德林去会见。弘一法师是深深尝了世间味,探了艺术之宫的,却回过来过那种通常以为枯寂的持律念佛的生活,他的态度该是怎样,他的言论该是怎样,实在难以悬揣。
走上功德林的扶梯,被侍者导引进那房间时,近十位先到的人恬静地起立相迎。靠窗的左角,正是光线最明亮的地方,站着那位弘一法师,带笑的容颜,细小的眼眸子放出晶莹的光。丐尊先生给我介绍之后,叫我坐在弘一法师的侧边。弘一法师坐下来之后,就悠然数着手里的念珠。我想一颗念珠一声“阿弥陀佛”吧,本来没有什么话要向他谈,见这样更沉入近乎催眠状态的凝思,言语是全不需要了。可怪的是在座一些人,或是他的旧友,或是他的学生,在这难得的会晤时,似乎该有好些抒情的话与他谈,然而大家也只默然。未必因僧俗殊途,尘净异致,而有所矜持吧。或许他们以为这样默对一二小时,已胜于十年的晤谈了。
晴秋的午前,时光在恬然的静默中经过,觉得有难言的美。随后又来了几位客,向弘一法师问几时来的,到什么地方去那些话。他的回答总是一句短语,可是殷勤极了,有如倾诉整个心愿。因为弘一法师是过午不食的,十一点钟就开始聚餐。我看他那曾经挥洒书画、弹奏钢琴的手郑重地夹起一荚豇豆来,欢喜满足地送入口中去咀嚼的那种神情,真惭愧自己平时的乱吞胡咽。“这碟子是酱油吧?”以为他要酱油,某君想把酱油碟子移到他前面。“不,是这个日本的居士要。”果然,这位日本人道谢了,法师于无形中体会到他的愿欲。石岑先生爱谈人生问题,著有《人生哲学》,席间他请弘一法师谈些关于人生的意见。“惭愧,”弘一法师虔敬地回答,“没有研究,不能说什么。”我想问他像他这样的生活,达到了怎样一种境界,或者比较落实一点儿。然而健康的人不自觉健康,哀乐的当时也不能描状哀乐,境界又岂是说得出的。我就把这意思遣开,从侧面看弘一法师的长髯以及眼边细密的皱纹,出神久之。
饭后,他说约定了去见印光法师,谁愿意去可同去。印光法师这个名字知道得很久了,并且见过他的文钞,是现代净土宗的大师,自然也想见一见。同去者计七八人。决定不坐人力车,弘一法师拔脚就走,我开始惊异他步履的轻捷。他的脚是赤着的,穿一双布缕缠成的行脚鞋。这是独特健康的象征啊,同行的一群人哪里有第二双这样的脚。惭愧,我这年轻人常常落在他背后。我在他背后这样想:他的行止笑语,真所谓纯任自然,使人永不能忘,然而在这背后却是极严谨的戒律。丐尊先生告诉我,他曾经叹息中国的律宗有待振起,可见他是持律极严的。他念佛,他过午不食,都为的持律。但持律而到达非由“外铄”的程度,人就只觉得他一切纯任自然了。似乎他的心非常之安,躁忿全消,到处自得;似乎他以为这世间十分平和,十分宁静,自己处身其间,甚而至于会把它淡忘。他与我们差不多处在不同的两个世界。
到新闸太平寺,有人家借这里办丧事,乐工以为吊客来了,预备吹打起来,及见我们中间有一个和尚,而且问起的也是和尚,才知道误会,说道: “他们都是佛教里的。”寺役去通报时,弘一法师从包袱里取出一件大袖僧衣来(他平时穿的,袖子与我们的长衫袖子一样),恭而敬之地穿上身,眉字间异样地静穆。我是欢喜四处看望的,见寺役走进去的沿街的那个房间里,有个躯体硕大的和尚刚洗了脸,背部略微佝着,我想这一定就是了。果然,弘一法师头一个跨进去时,就对这位和尚屈膝拜伏,动作严谨且安详,我心里肃然,有些人以为弘一法师该是和尚里的浪漫派,看见这样可知完全不对。印光法师的皮肤呈褐色,肌理颇粗,一望而知是北方人;头顶几乎全秃,发光亮;脑额很阔;浓眉底下一双眼睛这时虽不戴眼镜,却用戴了眼镜从眼镜上方射出眼光来的样子看人,嘴唇略微皱瘪,大概六十左右了,弘一法师与印光法师并肩而坐,正是绝好的对比,一个是水样的秀美,飘逸,一个是山样的浑朴,凝重。
弘一法师合掌恳请了,“几位居士都欢喜佛法,有曾经看了禅宗的语录的,今来见法师,请有所开示,慈悲,慈悲。”对于这“慈悲,慈悲”感到深长的趣味。“嗯,看了语录,看了什么语录?”印光法师的声音带有神秘味,我想这话里或者就藏着机锋吧。没有人答应。弘一法师就指石岑先生,说这位先生看了语录的。石岑先生说也不专看哪几种语录,只研究过法相宗的义理。这就开了印光法师的话源。他说学佛须要得实益,徒然嘴里说说,作几篇文字,没有道理;他说人眼前最紧要的事情是了生死,生死不了,非常危险;他说某先生只说自己才对,别人念佛就是迷信,真不应该。他说来声色有点儿严厉,间以呵喝。
弘一法师再作第二次恳请,希望于儒说佛法会通之点给我们开示。印光法师说二者本一致,无非教人父慈子孝兄友弟恭等等。不过儒家说这是人的天职,人若不守天职就没有办法。佛家用因果来说,那就深奥得多。行善就有福,行恶就吃苦。人谁愿意吃苦呢?他的话语很多,有零星的插话,有应验的故事,从其间可以窥见他的信仰与欢喜。他显然以传道者自任,故遇有机缘不惮尽力宣传。弘一法师似乎春原上一株小树,毫不愧怍地欣欣向荣,却没有凌驾旁的卉木而上之的气概。
在佛徒中,这位老人的地位崇高极了,从他的文钞里,有许多的信徒恳求他的指示,仿佛他就是往生净土的导引者。弘一法师第三次“慈悲,慈悲”地恳求时,是说这里有讲经义的书,可让居士们“请”几部回去。这个“请”字又有特别的味道。房间的右角里,线袋、平袋的书堆着不少,不禁想起外间纷纷飞散的那些宣传品。我分到黄智海演述的《阿弥陀经白话解释》,大圆居士说的《般若波罗密多心经讲义》,李荣祥编的《印光法师嘉言录》三种。于是弘一法师又屈膝拜伏,辞别。印光法师点着头,从不大敏捷的动作上显露他的老态。待我们都辞别了走出房间,弘一法师伸两手,郑重而轻捷地把两扇门拉上了。随即脱下那件大袖的僧衣,就人家停放在寺门内的包车上,方正平帖地把它摺好包起来。弘一法师就要回到江湾子恺先生的家里,石岑先生予同先生和我就向他告别。这位带有通常所谓仙气的和尚,将使我永远怀念了。--印光大师永怀录
在到功德林去会见弘一法师的路上,我怀着似乎从来不曾有过的洁净的心情,也可以说带着渴望。弘一法师就是李叔同先生,我对于他的书画篆刻都中意。以后数年,听人说李先生已经出了家,在西湖某寺,现在称弘一了。于是不免向丰子恺先生询问关于弘一法师的种种。十分感兴趣之余,自然来了见一见的愿望。以后遇见子恺先生,他常常告诉我弘一法师的近况。记得有一次给我看弘一法师的来信,中间有“叶居士”云云,我看了很觉惭愧,虽然“居士”不是什么特别的尊称。
一天,我去上班,劈面来三辆人力车。最先是个和尚,我并不介意。第二是子恺先生,他惊喜似地向我点头。我也点头,心里就闪电般想起“后面一定是他”。人力车夫跑得很快,第三辆一霎经过时,我见坐着的果然是个和尚,清癯的脸,颔下有稀疏的长髯。我的感情有点激动,“他来了!”这样想着,屡屡回头望那越去越远的车篷的后影。第二天,就接到子恺先生的信,约我星期日到功德林去会见。弘一法师是深深尝了世间味,探了艺术之宫的,却回过来过那种通常以为枯寂的持律念佛的生活,他的态度该是怎样,他的言论该是怎样,实在难以悬揣。
走上功德林的扶梯,被侍者导引进那房间时,近十位先到的人恬静地起立相迎。靠窗的左角,正是光线最明亮的地方,站着那位弘一法师,带笑的容颜,细小的眼眸子放出晶莹的光。丐尊先生给我介绍之后,叫我坐在弘一法师的侧边。弘一法师坐下来之后,就悠然数着手里的念珠。我想一颗念珠一声“阿弥陀佛”吧,本来没有什么话要向他谈,见这样更沉入近乎催眠状态的凝思,言语是全不需要了。可怪的是在座一些人,或是他的旧友,或是他的学生,在这难得的会晤时,似乎该有好些抒情的话与他谈,然而大家也只默然。未必因僧俗殊途,尘净异致,而有所矜持吧。或许他们以为这样默对一二小时,已胜于十年的晤谈了。
晴秋的午前,时光在恬然的静默中经过,觉得有难言的美。随后又来了几位客,向弘一法师问几时来的,到什么地方去那些话。他的回答总是一句短语,可是殷勤极了,有如倾诉整个心愿。因为弘一法师是过午不食的,十一点钟就开始聚餐。我看他那曾经挥洒书画、弹奏钢琴的手郑重地夹起一荚豇豆来,欢喜满足地送入口中去咀嚼的那种神情,真惭愧自己平时的乱吞胡咽。“这碟子是酱油吧?”以为他要酱油,某君想把酱油碟子移到他前面。“不,是这个日本的居士要。”果然,这位日本人道谢了,法师于无形中体会到他的愿欲。石岑先生爱谈人生问题,著有《人生哲学》,席间他请弘一法师谈些关于人生的意见。“惭愧,”弘一法师虔敬地回答,“没有研究,不能说什么。”我想问他像他这样的生活,达到了怎样一种境界,或者比较落实一点儿。然而健康的人不自觉健康,哀乐的当时也不能描状哀乐,境界又岂是说得出的。我就把这意思遣开,从侧面看弘一法师的长髯以及眼边细密的皱纹,出神久之。
饭后,他说约定了去见印光法师,谁愿意去可同去。印光法师这个名字知道得很久了,并且见过他的文钞,是现代净土宗的大师,自然也想见一见。同去者计七八人。决定不坐人力车,弘一法师拔脚就走,我开始惊异他步履的轻捷。他的脚是赤着的,穿一双布缕缠成的行脚鞋。这是独特健康的象征啊,同行的一群人哪里有第二双这样的脚。惭愧,我这年轻人常常落在他背后。我在他背后这样想:他的行止笑语,真所谓纯任自然,使人永不能忘,然而在这背后却是极严谨的戒律。丐尊先生告诉我,他曾经叹息中国的律宗有待振起,可见他是持律极严的。他念佛,他过午不食,都为的持律。但持律而到达非由“外铄”的程度,人就只觉得他一切纯任自然了。似乎他的心非常之安,躁忿全消,到处自得;似乎他以为这世间十分平和,十分宁静,自己处身其间,甚而至于会把它淡忘。他与我们差不多处在不同的两个世界。
到新闸太平寺,有人家借这里办丧事,乐工以为吊客来了,预备吹打起来,及见我们中间有一个和尚,而且问起的也是和尚,才知道误会,说道: “他们都是佛教里的。”寺役去通报时,弘一法师从包袱里取出一件大袖僧衣来(他平时穿的,袖子与我们的长衫袖子一样),恭而敬之地穿上身,眉字间异样地静穆。我是欢喜四处看望的,见寺役走进去的沿街的那个房间里,有个躯体硕大的和尚刚洗了脸,背部略微佝着,我想这一定就是了。果然,弘一法师头一个跨进去时,就对这位和尚屈膝拜伏,动作严谨且安详,我心里肃然,有些人以为弘一法师该是和尚里的浪漫派,看见这样可知完全不对。印光法师的皮肤呈褐色,肌理颇粗,一望而知是北方人;头顶几乎全秃,发光亮;脑额很阔;浓眉底下一双眼睛这时虽不戴眼镜,却用戴了眼镜从眼镜上方射出眼光来的样子看人,嘴唇略微皱瘪,大概六十左右了,弘一法师与印光法师并肩而坐,正是绝好的对比,一个是水样的秀美,飘逸,一个是山样的浑朴,凝重。
弘一法师合掌恳请了,“几位居士都欢喜佛法,有曾经看了禅宗的语录的,今来见法师,请有所开示,慈悲,慈悲。”对于这“慈悲,慈悲”感到深长的趣味。“嗯,看了语录,看了什么语录?”印光法师的声音带有神秘味,我想这话里或者就藏着机锋吧。没有人答应。弘一法师就指石岑先生,说这位先生看了语录的。石岑先生说也不专看哪几种语录,只研究过法相宗的义理。这就开了印光法师的话源。他说学佛须要得实益,徒然嘴里说说,作几篇文字,没有道理;他说人眼前最紧要的事情是了生死,生死不了,非常危险;他说某先生只说自己才对,别人念佛就是迷信,真不应该。他说来声色有点儿严厉,间以呵喝。
弘一法师再作第二次恳请,希望于儒说佛法会通之点给我们开示。印光法师说二者本一致,无非教人父慈子孝兄友弟恭等等。不过儒家说这是人的天职,人若不守天职就没有办法。佛家用因果来说,那就深奥得多。行善就有福,行恶就吃苦。人谁愿意吃苦呢?他的话语很多,有零星的插话,有应验的故事,从其间可以窥见他的信仰与欢喜。他显然以传道者自任,故遇有机缘不惮尽力宣传。弘一法师似乎春原上一株小树,毫不愧怍地欣欣向荣,却没有凌驾旁的卉木而上之的气概。
在佛徒中,这位老人的地位崇高极了,从他的文钞里,有许多的信徒恳求他的指示,仿佛他就是往生净土的导引者。弘一法师第三次“慈悲,慈悲”地恳求时,是说这里有讲经义的书,可让居士们“请”几部回去。这个“请”字又有特别的味道。房间的右角里,线袋、平袋的书堆着不少,不禁想起外间纷纷飞散的那些宣传品。我分到黄智海演述的《阿弥陀经白话解释》,大圆居士说的《般若波罗密多心经讲义》,李荣祥编的《印光法师嘉言录》三种。于是弘一法师又屈膝拜伏,辞别。印光法师点着头,从不大敏捷的动作上显露他的老态。待我们都辞别了走出房间,弘一法师伸两手,郑重而轻捷地把两扇门拉上了。随即脱下那件大袖的僧衣,就人家停放在寺门内的包车上,方正平帖地把它摺好包起来。弘一法师就要回到江湾子恺先生的家里,石岑先生予同先生和我就向他告别。这位带有通常所谓仙气的和尚,将使我永远怀念了。--印光大师永怀录
我觉得,合不来的人,就像百度知道!从前在百度里回答问题赚积分,一个最深的体会就是:我跟你讲的是国法,你跟我讲的是想法[允悲]。而三观相合,趣味相投的人,就像百度贴吧!你喜欢的,正好也是他喜欢的!之前在《重案六组》贴吧里写外传,他们甚至知道我那些案例是从哪儿抄来的[哈哈][互粉] https://t.cn/RZ8BYV4
悪気ない「就活セクハラ」 踏み外さないための3条件
就職活動している学生への「就活セクハラ」はなくせるのか。OB訪問した女子学生への乱暴事件など悪質な犯罪だけでなく、明白な悪意なく就活生を不快にするケースも少なくない。新型コロナウイルスの感染拡大による企業活動の停滞で売り手市場が崩れ、学生側の立場がより弱まる懸念も出始めている。学生、会社の双方にマイナスとなる言動を未然に防ぐための条件を考える。
■面接で「彼氏いるの?」
50歳くらいの男性面接官2人が交互に質問してきたという。「親と一緒に住んでいるの? 彼氏はおうちに連れてこられないね」「へぇ、じゃあ彼氏はいるんだ」。千葉県にある女子大の4年生、Aさんは「あ、そうですね」と答えるしかなかったという。「場をなごませるつもりかもしれないけれど、気持ちが悪い。かといって内定はほしかったので、イヤな顔もできなかった」
2019年11月にIT系企業に就職を決めたAさんは、面接を受けた20~30社のうちほぼ半数で恋人の有無を聞かれたという。ベンチャー企業の面接に訪れた際には、男性トップと女性社員、別の女性就活生の計4人で居酒屋に行き、たまたまトップと2人になったすきに「彼氏は?」と尋ねられたこともあった。
同じ学校には、面接後に採用担当ではない複数の社員に声をかけられ、酒席でボディータッチを繰り返されたり、会社説明会の後に若手社員にプライベートで連絡先を聞かれた友人もいる。仲間内ではこうした就活セクハラの「あるある」がよく話題になった。Aさんは「(学校名などで)軽くみられているのかもしれない」と語り、後輩には「就活で夜まで引っ張る会社は気をつけないといけない」と助言する。
都内の有名私大4年の女性Bさんは19年に15社程度の面接を経験したが「セクハラだと断言できるような対応は受けなかった」と話す。それでも中小企業の男性面接官から「お酒は飲めるの? 一緒に飲むのが楽しみだね」などと声をかけられたときは、内心ぞっとした。「小さな会社でアットホームな雰囲気を出そうとしたのかもしれないけれど、やはり面接の場では気持ち悪かった」
就活セクハラを防ぐ取り組みがなされていないわけではない。ある大手金融機関では、民間のマッチングサービスを含めてOB・OG訪問を受ける社員を限定し、事前の研修などで注意事項を伝達している。スーパーなどを展開する大手流通企業も、ペーパーにまとめた質問項目以外は面接官に質問させない措置をとっている。ある航空会社では、OB・OG訪問を受ける社員に自己申告させ、昼食代程度は会社が負担。面接官についても「普段の言動をみてふさわしくない社員は絶対に選ばない」(人事担当)という。
厚生労働省も20年6月に施行する指針で、職場でのパワハラ・セクハラ防止対策の強化を企業に義務づけ、学生インターンや就活生にも社員と同じ方針を示すことが望ましいことを明示した。OB・OG訪問で問題が起きないよう社員研修の徹底なども求めている。
■リラックスさせるための発言に注意
企業側が対策を講じ、面接官が頭で理解していても、セクハラと受け取られかねない言動は起こりうる。就活情報のディスコ(東京・文京)の武井房子キャリタスリサーチ上席研究員は「面接前後の待合室を含め、ほとんど無意識に運ぶ視線や、就活生をリラックスさせるためのくだけた発言が危ない」と指摘する。
面接時のあいさつで、容姿を上から下まで見るような視線は禁物だ。特定の就活生だけに笑顔や丁寧な言葉遣いで接したり、「ちゃん」づけで呼びかけたりするのは、本人だけでなく、周囲の反感も招きかねない。
性的な質問や体への接触だけでなく、そうした悪意が乏しいセクハラも防ぐために、会社側はどこに気をつけたらいいのか。就活生や専門家の意見をまとめると、次の条件がそろった言動が大切になる。(1)社員としての能力・人柄を判断するのに必要(2)相手が男女どちらであっても同じ対応ができる(3)就活生個人への敬意を忘れていない――の3つだ。
就活生からは「たとえ内定をもらえなくても、人として対等に遇してくれた会社や面接官には好印象が残る」(都内の有名私大4年の男性)との声があがる。ディスコの武井さんも「就活生はセクハラ対策が進んでいる企業も回っている。各社は『見られている』『比べられている』ことを忘れずに対応することが大事だ」と語る。
新型コロナウイルスの影響はどうか。就職説明会や面接などのオンライン化が進めば、体に触れるなど従来型のセクハラは起きにくくなる。それでも、企業業績の悪化で採用人数が抑えられる事態になれば、学生の立場が弱まり、力関係の変化が会社側の気の緩みを生む可能性はある。
労務や就職問題に詳しい今津幸子弁護士は「就活生を下に見る勘違いが会社側の言葉に出る懸念はある。失言があればSNS(交流サイト)ですぐに拡散される時代になっており、それは企業の評価を下げるリスクになる」と警鐘を鳴らしている。
■採用活動は会社のコントロール下で
企業にとっての就活セクハラのリスクなどを今津弁護士に聞いた。
――会社側が採用面接の質問で気をつけるべきことは何でしょうか。
「『それを聞いてどうするの』という質問はしないことだ。会社にとってはリスクしかない。聞くべきなのは、その人材が入社後にどう役立ってくれるのか、会社に対してどれだけ熱意をもってくれているのかであって、個人的な興味ではない。そこに男女の差なんてないはずで、例えば女性にする質問を、同じように男性にするかどうかを考えればわかる。面接官が会社の看板を背負っていることをきちんと自覚していれば、できる質問、できない質問、おのずと線引きできるはずだ」
「場をなごませたいのなら、恋愛のことではなくて、面接官が海外旅行など自分の趣味を話せばいい。握手などのボディータッチがいけないのは、職場も同じだ」
――OB・OG訪問での注意点は。ネットを通じたマッチングサービスの普及で社員と就活生が非公式に接触しやすい環境になっています。
「会社のコントロールが効かない採用活動はすべきではないと思っている。悪意をもった社員個人の動きが就活の一環だとみなされたら、使用者責任は会社が負うことになる。就活生の訪問を受けられる社員を選別してもいいと思う」
「内定者との懇談会などを含め、お酒が入るときはより気をつけないといけない。会社によっては『飲食なし』にしているくらいだ。打ち解けるからこそ、話せることもあるのはわかるが、さじ加減がきちんとできないといけない」
――会社としてセクハラを未然に防ぐために必要なことは。
「遠回りであっても研修・教育がすべてだろう。10年前までは加害者を『仕事はできる人材だから』と擁護する風潮が多分にあった。今はセクハラする側が100%悪いというのが常識になってきた」
「セクハラ対策はトップダウンで進めるべきだ。トップが『昔はおおらかだったのに』と言っている会社ではセクハラは絶対なくならない。今ならセクハラと言われかねないことを、トップ自身がかつてしたことがあったとしても『心を入れ替えて、少なくとも今はセクハラはいけないと思っている。だからこそ本当に気をつける』と言えば、社員も理解してくれるのではないか」
――企業が就活セクハラを起こした場合の最も大きなリスクは。
「『見えないレピュテーション(評判・評価)』ではないか。学生の立場からすると、セクハラ被害を堂々と訴えるのは相当に勇気がいる。ほとんどが泣き寝入りだと思う。それでも受けた側にとっては忘れられない出来事。何かのきっかけで、突然に報道などで顕在化すれば、スキャンダラスに扱われる面もあって、企業のダメージは非常に大きい」
(天野豊文)
最終更新:4/1(水) 14:12NIKKEI STYLE
就職活動している学生への「就活セクハラ」はなくせるのか。OB訪問した女子学生への乱暴事件など悪質な犯罪だけでなく、明白な悪意なく就活生を不快にするケースも少なくない。新型コロナウイルスの感染拡大による企業活動の停滞で売り手市場が崩れ、学生側の立場がより弱まる懸念も出始めている。学生、会社の双方にマイナスとなる言動を未然に防ぐための条件を考える。
■面接で「彼氏いるの?」
50歳くらいの男性面接官2人が交互に質問してきたという。「親と一緒に住んでいるの? 彼氏はおうちに連れてこられないね」「へぇ、じゃあ彼氏はいるんだ」。千葉県にある女子大の4年生、Aさんは「あ、そうですね」と答えるしかなかったという。「場をなごませるつもりかもしれないけれど、気持ちが悪い。かといって内定はほしかったので、イヤな顔もできなかった」
2019年11月にIT系企業に就職を決めたAさんは、面接を受けた20~30社のうちほぼ半数で恋人の有無を聞かれたという。ベンチャー企業の面接に訪れた際には、男性トップと女性社員、別の女性就活生の計4人で居酒屋に行き、たまたまトップと2人になったすきに「彼氏は?」と尋ねられたこともあった。
同じ学校には、面接後に採用担当ではない複数の社員に声をかけられ、酒席でボディータッチを繰り返されたり、会社説明会の後に若手社員にプライベートで連絡先を聞かれた友人もいる。仲間内ではこうした就活セクハラの「あるある」がよく話題になった。Aさんは「(学校名などで)軽くみられているのかもしれない」と語り、後輩には「就活で夜まで引っ張る会社は気をつけないといけない」と助言する。
都内の有名私大4年の女性Bさんは19年に15社程度の面接を経験したが「セクハラだと断言できるような対応は受けなかった」と話す。それでも中小企業の男性面接官から「お酒は飲めるの? 一緒に飲むのが楽しみだね」などと声をかけられたときは、内心ぞっとした。「小さな会社でアットホームな雰囲気を出そうとしたのかもしれないけれど、やはり面接の場では気持ち悪かった」
就活セクハラを防ぐ取り組みがなされていないわけではない。ある大手金融機関では、民間のマッチングサービスを含めてOB・OG訪問を受ける社員を限定し、事前の研修などで注意事項を伝達している。スーパーなどを展開する大手流通企業も、ペーパーにまとめた質問項目以外は面接官に質問させない措置をとっている。ある航空会社では、OB・OG訪問を受ける社員に自己申告させ、昼食代程度は会社が負担。面接官についても「普段の言動をみてふさわしくない社員は絶対に選ばない」(人事担当)という。
厚生労働省も20年6月に施行する指針で、職場でのパワハラ・セクハラ防止対策の強化を企業に義務づけ、学生インターンや就活生にも社員と同じ方針を示すことが望ましいことを明示した。OB・OG訪問で問題が起きないよう社員研修の徹底なども求めている。
■リラックスさせるための発言に注意
企業側が対策を講じ、面接官が頭で理解していても、セクハラと受け取られかねない言動は起こりうる。就活情報のディスコ(東京・文京)の武井房子キャリタスリサーチ上席研究員は「面接前後の待合室を含め、ほとんど無意識に運ぶ視線や、就活生をリラックスさせるためのくだけた発言が危ない」と指摘する。
面接時のあいさつで、容姿を上から下まで見るような視線は禁物だ。特定の就活生だけに笑顔や丁寧な言葉遣いで接したり、「ちゃん」づけで呼びかけたりするのは、本人だけでなく、周囲の反感も招きかねない。
性的な質問や体への接触だけでなく、そうした悪意が乏しいセクハラも防ぐために、会社側はどこに気をつけたらいいのか。就活生や専門家の意見をまとめると、次の条件がそろった言動が大切になる。(1)社員としての能力・人柄を判断するのに必要(2)相手が男女どちらであっても同じ対応ができる(3)就活生個人への敬意を忘れていない――の3つだ。
就活生からは「たとえ内定をもらえなくても、人として対等に遇してくれた会社や面接官には好印象が残る」(都内の有名私大4年の男性)との声があがる。ディスコの武井さんも「就活生はセクハラ対策が進んでいる企業も回っている。各社は『見られている』『比べられている』ことを忘れずに対応することが大事だ」と語る。
新型コロナウイルスの影響はどうか。就職説明会や面接などのオンライン化が進めば、体に触れるなど従来型のセクハラは起きにくくなる。それでも、企業業績の悪化で採用人数が抑えられる事態になれば、学生の立場が弱まり、力関係の変化が会社側の気の緩みを生む可能性はある。
労務や就職問題に詳しい今津幸子弁護士は「就活生を下に見る勘違いが会社側の言葉に出る懸念はある。失言があればSNS(交流サイト)ですぐに拡散される時代になっており、それは企業の評価を下げるリスクになる」と警鐘を鳴らしている。
■採用活動は会社のコントロール下で
企業にとっての就活セクハラのリスクなどを今津弁護士に聞いた。
――会社側が採用面接の質問で気をつけるべきことは何でしょうか。
「『それを聞いてどうするの』という質問はしないことだ。会社にとってはリスクしかない。聞くべきなのは、その人材が入社後にどう役立ってくれるのか、会社に対してどれだけ熱意をもってくれているのかであって、個人的な興味ではない。そこに男女の差なんてないはずで、例えば女性にする質問を、同じように男性にするかどうかを考えればわかる。面接官が会社の看板を背負っていることをきちんと自覚していれば、できる質問、できない質問、おのずと線引きできるはずだ」
「場をなごませたいのなら、恋愛のことではなくて、面接官が海外旅行など自分の趣味を話せばいい。握手などのボディータッチがいけないのは、職場も同じだ」
――OB・OG訪問での注意点は。ネットを通じたマッチングサービスの普及で社員と就活生が非公式に接触しやすい環境になっています。
「会社のコントロールが効かない採用活動はすべきではないと思っている。悪意をもった社員個人の動きが就活の一環だとみなされたら、使用者責任は会社が負うことになる。就活生の訪問を受けられる社員を選別してもいいと思う」
「内定者との懇談会などを含め、お酒が入るときはより気をつけないといけない。会社によっては『飲食なし』にしているくらいだ。打ち解けるからこそ、話せることもあるのはわかるが、さじ加減がきちんとできないといけない」
――会社としてセクハラを未然に防ぐために必要なことは。
「遠回りであっても研修・教育がすべてだろう。10年前までは加害者を『仕事はできる人材だから』と擁護する風潮が多分にあった。今はセクハラする側が100%悪いというのが常識になってきた」
「セクハラ対策はトップダウンで進めるべきだ。トップが『昔はおおらかだったのに』と言っている会社ではセクハラは絶対なくならない。今ならセクハラと言われかねないことを、トップ自身がかつてしたことがあったとしても『心を入れ替えて、少なくとも今はセクハラはいけないと思っている。だからこそ本当に気をつける』と言えば、社員も理解してくれるのではないか」
――企業が就活セクハラを起こした場合の最も大きなリスクは。
「『見えないレピュテーション(評判・評価)』ではないか。学生の立場からすると、セクハラ被害を堂々と訴えるのは相当に勇気がいる。ほとんどが泣き寝入りだと思う。それでも受けた側にとっては忘れられない出来事。何かのきっかけで、突然に報道などで顕在化すれば、スキャンダラスに扱われる面もあって、企業のダメージは非常に大きい」
(天野豊文)
最終更新:4/1(水) 14:12NIKKEI STYLE
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