近年數位寧瑪派大德圓寂,寧瑪派的追隨者請將此 彌龐仁波切撰著之 < ༄༅།།སྔ་འགྱུར་བསྟན་པ་རྒྱས་པའི་སྨོན་ལམ་ཆོས་རྒྱལ་དགྱེས་པའི་ཞལ་ལུང་ཞེས་བྱ་བ།། 前譯教法興盛祈願文•法王歡喜言教 > 增加入每日課誦的迴向祈願文中,具大義。
彌龐仁波切全集第 19 函 ༄༅། །སྔ་འགྱུར་བསྟན་པ་རྒྱས་པའི་སྨོན་ལམ་ཆོས་རྒྱལ་དགྱེས་པའི་ཞལ་ལུང་ཞེས་བྱ་བ། 前譯教法興盛祈願文 • 法王歡喜言教
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དེ་ཡང་དུས་ཀྱི་ཐ་མར་རྩ་གསུམ་ལྷ་ཡི་ཐུགས་རྒྱུད་བསྐུལ་ནས་བསྟན་པའི་སྙིང་པོ་རིན་པོ་ཆེ་རྒྱས་པར་གྱུར་ཅིག་སྙམ་དུ་ལན་གཅིག་ཙམ་མོས་པ་ཡང་བསོད་ནམས་ཚད་མེད་པ་དང་ལྡན་ཞིང་། རྒྱལ་བའི་སྲས་ཀྱི་སྨོན་ལམ་ཡོངས་སུ་རྫོགས་ནས་སྐྱེ་བ་ཀུན་ཏུ་རྒྱལ་བའི་ཆོས་དང་ཆོས་ཀྱི་སྙིང་པོ་ཟབ་མོའི་ཐེག་པ་དང་འཕྲད་ནས་འཛིན་སྐྱོང་སྤེལ་བས་མྱུར་དུ་རྣམ་པ་ཐམས་ཅད་མཁྱེན་པའི་ཡེ་ཤེས་ལ་རེག་པར་འགྱུར་བའི་དགོས་པ་ཡོད་པས། སྐལ་བཟང་རྣམས་ཀྱིས་དུས་དུས་དང་། ཁྱད་པར་ཚོགས་མང་གི་སྐབས་སུ་འདི་ལྟར་སྨོན་ལམ་གདབ་པར་བྱ་སྟེ།
於此末法之際,僅若一次至誠祈請三根本尊:願此大寶教法心要增長興盛!如是亦能具足無量福德;復由圓滿菩薩大願,生生世世皆能值遇佛法及甚深法藏密乘,於此聽受、護持、增廣,由是速速證得一切相智,以有如是利益之故,諸善緣者,皆應恒常祈願,尤於大眾聚會之時如是祈願!
............... (中略) ................
ས་རྒྱལ་བ་ཐམས་ཅད་ཀྱི་ངོ་བོ་དཔལ་ལྡན་སངས་རྒྱས་པདྨ་སྐྱེས་འཆི་བ་མེད་པར་མཚོར་འཁྲུངས་རྒྱལ་བའི་བསྟན་པ་སྔ་འགྱུར་རྙིང་མ་ཞེས་གྲགས་པ་འདི་ནི་རྒྱལ་བསྟན་ཡོངས་སུ་རྫོགས་པའི་ཕྱི་མོ་ཡིན་ཅིང་ཟབ་གནད་ཆེ་བ་དུ་མའི་ཁྱད་ཆོས་དང་། ལྟ་སྒོམ་རྣམ་པར་དག་པའི་རྒྱལ་བ་དགྱེས་པའི་ལམ་བཟང་མཆོག་ཡིན་པ་ངོ་ཤེས་ནས། ནོར་བུ་རིན་པོ་ཆེ་བྱི་དོར་བྱས་ཏེ་རྒྱལ་མཚན་གྱི་རྩེ་ལ་མཆོད་པ་བཞིན་དུ་གང་ཟག་སྐལ་བ་དང་ལྡན་པ་རྣམས་ཀྱིས་འཆད་རྩོད་རྩོམ་གསུམ་གྱིས་ཕྲིན་ལས་རླབས་པོ་ཆེས་ཕྱོགས་ཐམས་ཅད་དུ་དར་ཞིང་རྒྱས་པར་མཛད་པའི་ཐུགས་ཁུར་བཞེས་པ་དང་། དེ་ལྟ་བུ་བཞེས་པ་ཡིད་བཞིན་འགྲུབ་པའི་སྨོན་ཚིག་ཏུ་རྙིང་བསྟན་ལ་ལྷག་བསམ་རྣམ་པར་དཀར་བ་མི་ཕམ་འཇམ་དབྱངས་རྣམ་རྒྱལ་རྒྱ་མཚོས་གནས་དུས་རྟེན་འབྲེལ་དགེ་བར་གུང་ཐུན་ལ་གང་ཤར་བྲིས་པ་དགེ་ལེགས་འཕེལ།། །།
一切諸佛體性吉祥蓮花生大士化生於不死湖上,其教法即是大家共稱之「前譯寧瑪教法」,是圓滿一切佛法之根本,具有眾多甚深殊勝法要之特色,是見修清淨、令佛歡喜之殊勝妙道。如是知已,如同擦拭寶珠供於勝幢之頂,諸有緣者應承許荷擔如是重任,謂以講辯著而令聖教事業廣大興盛,遍揚十方!此如意成辦如是承許之願文,乃由對於寧瑪教法有增上清淨意樂之彌龐蔣揚南傑嘉措(不敗妙音尊勝海),於時處緣起善妙之午座時,一揮而就。願增善妙!
彌龐仁波切全集第 19 函 ༄༅། །སྔ་འགྱུར་བསྟན་པ་རྒྱས་པའི་སྨོན་ལམ་ཆོས་རྒྱལ་དགྱེས་པའི་ཞལ་ལུང་ཞེས་བྱ་བ། 前譯教法興盛祈願文 • 法王歡喜言教
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於此末法之際,僅若一次至誠祈請三根本尊:願此大寶教法心要增長興盛!如是亦能具足無量福德;復由圓滿菩薩大願,生生世世皆能值遇佛法及甚深法藏密乘,於此聽受、護持、增廣,由是速速證得一切相智,以有如是利益之故,諸善緣者,皆應恒常祈願,尤於大眾聚會之時如是祈願!
............... (中略) ................
ས་རྒྱལ་བ་ཐམས་ཅད་ཀྱི་ངོ་བོ་དཔལ་ལྡན་སངས་རྒྱས་པདྨ་སྐྱེས་འཆི་བ་མེད་པར་མཚོར་འཁྲུངས་རྒྱལ་བའི་བསྟན་པ་སྔ་འགྱུར་རྙིང་མ་ཞེས་གྲགས་པ་འདི་ནི་རྒྱལ་བསྟན་ཡོངས་སུ་རྫོགས་པའི་ཕྱི་མོ་ཡིན་ཅིང་ཟབ་གནད་ཆེ་བ་དུ་མའི་ཁྱད་ཆོས་དང་། ལྟ་སྒོམ་རྣམ་པར་དག་པའི་རྒྱལ་བ་དགྱེས་པའི་ལམ་བཟང་མཆོག་ཡིན་པ་ངོ་ཤེས་ནས། ནོར་བུ་རིན་པོ་ཆེ་བྱི་དོར་བྱས་ཏེ་རྒྱལ་མཚན་གྱི་རྩེ་ལ་མཆོད་པ་བཞིན་དུ་གང་ཟག་སྐལ་བ་དང་ལྡན་པ་རྣམས་ཀྱིས་འཆད་རྩོད་རྩོམ་གསུམ་གྱིས་ཕྲིན་ལས་རླབས་པོ་ཆེས་ཕྱོགས་ཐམས་ཅད་དུ་དར་ཞིང་རྒྱས་པར་མཛད་པའི་ཐུགས་ཁུར་བཞེས་པ་དང་། དེ་ལྟ་བུ་བཞེས་པ་ཡིད་བཞིན་འགྲུབ་པའི་སྨོན་ཚིག་ཏུ་རྙིང་བསྟན་ལ་ལྷག་བསམ་རྣམ་པར་དཀར་བ་མི་ཕམ་འཇམ་དབྱངས་རྣམ་རྒྱལ་རྒྱ་མཚོས་གནས་དུས་རྟེན་འབྲེལ་དགེ་བར་གུང་ཐུན་ལ་གང་ཤར་བྲིས་པ་དགེ་ལེགས་འཕེལ།། །།
一切諸佛體性吉祥蓮花生大士化生於不死湖上,其教法即是大家共稱之「前譯寧瑪教法」,是圓滿一切佛法之根本,具有眾多甚深殊勝法要之特色,是見修清淨、令佛歡喜之殊勝妙道。如是知已,如同擦拭寶珠供於勝幢之頂,諸有緣者應承許荷擔如是重任,謂以講辯著而令聖教事業廣大興盛,遍揚十方!此如意成辦如是承許之願文,乃由對於寧瑪教法有增上清淨意樂之彌龐蔣揚南傑嘉措(不敗妙音尊勝海),於時處緣起善妙之午座時,一揮而就。願增善妙!
#悟显法师法语[超话]##菩萨戒正说[超话]##素的好[超话]##慈悲有情[超话]##学佛入门[超话]##学佛一定要听经[超话]##净语[超话]#
悟显法师⎜梦醒时分
(接上)你要学大乘,
大乘教你从心地转,念佛从根本修,
让你知道这个世间是虚妄的;也没有我、也没有人,也没有法;也无人、也无佛啊。十方法界如同大海中的水泡,你看清楚了,如幻如化,如梦幻泡影,常作如是观,你的“我”就放下了。
你不用想你为什么会找这个世间的因果论来看,为什么?因为你总是想要得到一个解释。你心里还是不服气,人家伤害你,你不服气,你就:好吧,我现在既然学佛了,总得让自己心服口服,但是找不到方法,就当还债吧。总是有个理由,反正我找不了他的麻烦,就当我欠他的。所以修行要看,看哪里呀?看自己。你不要整天想是什么原因、什么理由?这个没有原因、没有理由。修行把这个“我”放空,你不用管过去什么因果、未来什么因果,你现在这一念心空不空,这一念心空了,未来就不落在因果了。
所以大修行人不昧因果,因果历然,他在那里受,受而不起烦恼。他不会被世间相、因果相、轮回相给拉着走,他在这个因果相续变化当中做得了主。那一般人,他着相,有我、有我所爱的、有我所执着的,所以他在这个世间出不去。说是还债,实际上,他是在随业,随着业力、随着染业所转。这业还加一个染业,污染的、不清净的。
所以,这一点你们要搞清楚,不要学佛,大乘听得很高兴,结果这一点,你在修行上,你在实修上碰到境界就被转了。再加上因缘不好,碰到一些不善之士、非善之士,跟你讲一些世间话,你就甘心于三界当中匐匍,甘心于这当中轮转。真的是像永明大师讲的,在无系缚当中强作系缚,就像飞蛾扑火,一样的意思。
所以你们要能够觉悟,
修行不要随业流转。
你们说要酬偿业报,那个不是酬偿业报,那个叫随业。要能够知道这个世间是虚妄的,你要放得下。身体不是你的,心念也是纷纭的,前念生后念灭,你不要把前生后灭的这个妄想当作是我,那你就很可怜。虽然念佛,但是增长无明、增长邪见,所以要知道、要能够觉察。
——选自悟显法师讲述 大乘定香精舍
#佛教##日行一善##每日一善##学佛##佛法看世间##中国正能量##免费午餐##和地球自拍##微提醒##公益##修行#(接上)#法师开示#
悟显法师⎜梦醒时分
(接上)你要学大乘,
大乘教你从心地转,念佛从根本修,
让你知道这个世间是虚妄的;也没有我、也没有人,也没有法;也无人、也无佛啊。十方法界如同大海中的水泡,你看清楚了,如幻如化,如梦幻泡影,常作如是观,你的“我”就放下了。
你不用想你为什么会找这个世间的因果论来看,为什么?因为你总是想要得到一个解释。你心里还是不服气,人家伤害你,你不服气,你就:好吧,我现在既然学佛了,总得让自己心服口服,但是找不到方法,就当还债吧。总是有个理由,反正我找不了他的麻烦,就当我欠他的。所以修行要看,看哪里呀?看自己。你不要整天想是什么原因、什么理由?这个没有原因、没有理由。修行把这个“我”放空,你不用管过去什么因果、未来什么因果,你现在这一念心空不空,这一念心空了,未来就不落在因果了。
所以大修行人不昧因果,因果历然,他在那里受,受而不起烦恼。他不会被世间相、因果相、轮回相给拉着走,他在这个因果相续变化当中做得了主。那一般人,他着相,有我、有我所爱的、有我所执着的,所以他在这个世间出不去。说是还债,实际上,他是在随业,随着业力、随着染业所转。这业还加一个染业,污染的、不清净的。
所以,这一点你们要搞清楚,不要学佛,大乘听得很高兴,结果这一点,你在修行上,你在实修上碰到境界就被转了。再加上因缘不好,碰到一些不善之士、非善之士,跟你讲一些世间话,你就甘心于三界当中匐匍,甘心于这当中轮转。真的是像永明大师讲的,在无系缚当中强作系缚,就像飞蛾扑火,一样的意思。
所以你们要能够觉悟,
修行不要随业流转。
你们说要酬偿业报,那个不是酬偿业报,那个叫随业。要能够知道这个世间是虚妄的,你要放得下。身体不是你的,心念也是纷纭的,前念生后念灭,你不要把前生后灭的这个妄想当作是我,那你就很可怜。虽然念佛,但是增长无明、增长邪见,所以要知道、要能够觉察。
——选自悟显法师讲述 大乘定香精舍
#佛教##日行一善##每日一善##学佛##佛法看世间##中国正能量##免费午餐##和地球自拍##微提醒##公益##修行#(接上)#法师开示#
【原文】Vogue Japan #安室奈美惠[超话]#
安室奈美恵が去って丸4年。“アムロ後継者不在”問題について、考える。(Toru Mitani)
歌って踊るスーパーエンターテイナー、安室奈美恵が引退をして今日で4年が経った。韓国エンタメに圧倒される日本の音楽シーンだが、彼女のようなスタイルの“後継ぎ”は果たして現れるのか。そして、今の韓国アイドルの育成基盤とも言える、安室と沖縄アクターズスクールについても考察したい。
“韓国アイドル育成システム”に近しい環境で育つ。
平間至が撮影したアルバム『SWEET 19 BLUES』(1996)のヴィジュアル。一番下はシングル『ALARM』(2004)より。
2018年9月16日に芸能生活に終止符を打ち、シーンから去った安室奈美恵。彼女は今、何をしているのだろうか。彼女がメインストリームにいた時代と今を比べると、個人的には物足りなさを感じる。韓国の音楽シーンが約12、3年間かけて世界基準になったとはいえ、アラウンド2000年あたりには、彼女が韓国のクリエイターに刺激を与えていたのは紛れもない事実。J.Y.ParkはのちにNiziUを生み出すオーディションで沖縄での審査を心から楽しみにしており、その理由を「安室奈美恵さんの故郷だから」と答えていた。さまざまなインタビューで、彼は安室に影響を受けたこと、いつか楽曲提供をしたいという野望を語っていた。
過酷なダンスレッスンやボイストレーニング、さらに、高いプロ意識を育てるマインドセットなど、沖縄という島でスター育成を行っていた「沖縄アクターズスクール」で安室奈美恵が基礎を身につけたことは有名な話だ。のちに、今で言う韓国アイドルにように“デビューした瞬間からいきなり精度が高い”という現象を、4人組のガールズグループ、SPEEDが証明している(1995年デビュー)。ストイックな姿勢と真摯な音楽への取り組みで国民から高く信頼されている三浦大知(元Folder)も、アクターズ出身。「デビューができるかできないかわからないけど、それでも命がけで努力する」という姿勢あってこそ、こうしてトップアーティストが生まれるのか、と幼いながらも納得したことをよく覚えている。それを国家総出で行っているのが今の韓国。独自のアイドル育成システムなのだと思う。
ハイファッションと音楽のシンクロニシティ。
安室奈美恵は音楽プロデューサー・小室哲哉とタッグを組むことで、90年代後半から一気にスターダムに上り詰める。「You're my sunshine」(1996)で着用した「JAYRO」(トム・フォードのグッチをコピーしていたギャルブランド)のゼブラ柄スーツが巷で即完売し、その3年後には「RESPECT the POWER OF LOVE」のTVパフォーマンスでトム・フォードによる“本物”のグッチのドレスを着用──と、このように急ピッチに纏うものまで一流になっていった。コレクションピースを着用して、キレのあるダンスを披露し、エッジの効いたトラックにのせてハスキーボイスで華麗に歌う。ファッションを愛する僕にとっては、こんな極上はない!と当時は心から高揚したものだ。そして、その頃を思い出し、今の韓国の音楽シーンについて考える。ハイエンドなファッションと最先端サウンドの美しいシンクロ感。かつて安室奈美恵ができていたことを、今、韓国では何十人(何百人?)が一気にそれをやっている、という衝撃な状況なのだな、改めて驚く。どおりで僕はこの14年間、韓国カルチャーに夢中なわけだ……。
さあ、どうする日本。安室を失った今、“歌って踊る”という表現のジャンルにおいて、後継者は不在。グループではなくソロ、たったひとりであそこまで華がある人間はそうそういないだろう。おそらく全国民の中でも人見知りランキングのトップ100に食い込むのではないか?と思わせる社交性の無さ(基本的に人を疑っている、とよく話していた)と、漂う圧倒的な孤独感。彼女が踊っている時の内側にこもる切なさや侘しさ。でも、それらがストイックな姿勢と混じり合い、とんでもなく眩しすぎるオーラを放ち我々を虜にする。ライブでは口パク無し。R&B調の楽曲でコーラスとコーラスが重なる部分もなぜか全部歌う(普通は片方のコーラスは音で流して歌わない)。で、徹底的に踊る。トークもなく、ひたすら踊る。彼女のライブ、彼女によるステージはどれも超絶に一級品であった。
日本には素晴らしいシンガーソングライターやミュージシャンがたくさんいると思う。でも、“踊る”というある種のスポーツ、芸術を司るアーティストで彼女までのレベルに行ける人はもう出てこないのではないか、と思ってしまう。それほどに“安室奈美恵”という人は唯一無二であった。彼女は19年前、雑誌『FRAU』2003年3月号でこう語っていた。「歌だけなら私よりもうまい人はたくさんいるし、踊りだけでもやっぱりかなわない人はいる。でも、歌と踊り、二つがあわさったときには、絶対一番になれるという思いがある」(原文ママ)。納得。言葉通り、安室はこの二つを華麗に編み上げ、トップスター街道を進んだ。しかし、引退時にはこんなことを言っている。「私は自分がトップを走っているとは思っていないんです。私自身も、常に何かを追いかけているんだと思いますよ」(『VOGUE JAPAN』2018年10月号より)。
謙虚という姿勢と、等身大の強さ。
謙虚さ。安室奈美恵、最大の武器である。持論なので押し付けるつもりはまったくないが、僕はよくこう思っていて、親しい友人らにこれをよく話していた。「日本人特有の奥ゆかしさや他人にゆずる文化が、きっと僕たち日本人にはDNAレベルで組み込まれている。だから、R&Bサウンドが流行って、みんな無理やりアメリカナイズに“私、私”ってゴリゴリに意見をのべて、露出しているのはなんだか無理やり感がある。やっぱり、かっこいいビッチ感は本場に負ける。立ち振る舞いやファッションはもちろん個人の自由だけど、この手はダサく見える。だけど、安室は日本古来の“私なんて”文化が激しい。なのに、こんなにゴリッゴリに踊れて肌も露出してかっこいい。品がある!」(20代の僕談)と。長くなってしまったが、要は、“安室奈美恵は素直な人間だ”ということが言いたいのだ。
ありのままの自分を受け入れ、その上で付加価値を身につけたり、新しい側面を作り上げていく。そのスタイルがいつもスッと透けて見えてきて、そのスタンスに何度も何度も勇気付けられるのである。無論、今も。そういった意味で、彼女こそ元祖“ガールクラッシュ”とも言える。
──こうして9月16日に安室を振り返ってみると、彼女がいかに偉大な人物だったかを再確認できる。ギャル文化を加速させるようなメジャーな美的感覚とヴィジュアル。そして、日本ではマイナーだったR&Bサウンドへのこだわり。ポップでありながらも、ギリギリのラインで音楽性をキープするバランス感覚。引退にかけては、EDMに関してのかなり攻め込んだ取り入れ方はある意味(概念としての)“ロック”であった。さらに、ダラス・オースティンやZEDDなど世界的プロデューサーに楽曲を作ってもらうなど、今思い返すとアジアでのその手法はパイオニアだったのかもしれない。今後、安室奈美恵の存在を超えるような(この手の)アーティストが出てくるかと言われれば、「なかなかいないのでは」というのが正直なところ。でも、沖縄アクターズスクールイズムをもって、韓国を真似ることなく、日本人ならではのストイックな育成システムを構築すれば、きっとスターを生み出すことはできると思う。その時に出てくるスターは、きっとポスト・安室奈美恵とは言われないはずだ。安室級の存在感で、唯一無二のキャラクターをもって、踊り歌い倒すのだろう。
ソロではなくグループにはなるが、XGの成長に胸がワクワクしていることをふと思い出す。日本エンタメを明るく捉えたくなる、9月16日、安室奈美恵の引退日であった。
安室奈美恵が去って丸4年。“アムロ後継者不在”問題について、考える。(Toru Mitani)
歌って踊るスーパーエンターテイナー、安室奈美恵が引退をして今日で4年が経った。韓国エンタメに圧倒される日本の音楽シーンだが、彼女のようなスタイルの“後継ぎ”は果たして現れるのか。そして、今の韓国アイドルの育成基盤とも言える、安室と沖縄アクターズスクールについても考察したい。
“韓国アイドル育成システム”に近しい環境で育つ。
平間至が撮影したアルバム『SWEET 19 BLUES』(1996)のヴィジュアル。一番下はシングル『ALARM』(2004)より。
2018年9月16日に芸能生活に終止符を打ち、シーンから去った安室奈美恵。彼女は今、何をしているのだろうか。彼女がメインストリームにいた時代と今を比べると、個人的には物足りなさを感じる。韓国の音楽シーンが約12、3年間かけて世界基準になったとはいえ、アラウンド2000年あたりには、彼女が韓国のクリエイターに刺激を与えていたのは紛れもない事実。J.Y.ParkはのちにNiziUを生み出すオーディションで沖縄での審査を心から楽しみにしており、その理由を「安室奈美恵さんの故郷だから」と答えていた。さまざまなインタビューで、彼は安室に影響を受けたこと、いつか楽曲提供をしたいという野望を語っていた。
過酷なダンスレッスンやボイストレーニング、さらに、高いプロ意識を育てるマインドセットなど、沖縄という島でスター育成を行っていた「沖縄アクターズスクール」で安室奈美恵が基礎を身につけたことは有名な話だ。のちに、今で言う韓国アイドルにように“デビューした瞬間からいきなり精度が高い”という現象を、4人組のガールズグループ、SPEEDが証明している(1995年デビュー)。ストイックな姿勢と真摯な音楽への取り組みで国民から高く信頼されている三浦大知(元Folder)も、アクターズ出身。「デビューができるかできないかわからないけど、それでも命がけで努力する」という姿勢あってこそ、こうしてトップアーティストが生まれるのか、と幼いながらも納得したことをよく覚えている。それを国家総出で行っているのが今の韓国。独自のアイドル育成システムなのだと思う。
ハイファッションと音楽のシンクロニシティ。
安室奈美恵は音楽プロデューサー・小室哲哉とタッグを組むことで、90年代後半から一気にスターダムに上り詰める。「You're my sunshine」(1996)で着用した「JAYRO」(トム・フォードのグッチをコピーしていたギャルブランド)のゼブラ柄スーツが巷で即完売し、その3年後には「RESPECT the POWER OF LOVE」のTVパフォーマンスでトム・フォードによる“本物”のグッチのドレスを着用──と、このように急ピッチに纏うものまで一流になっていった。コレクションピースを着用して、キレのあるダンスを披露し、エッジの効いたトラックにのせてハスキーボイスで華麗に歌う。ファッションを愛する僕にとっては、こんな極上はない!と当時は心から高揚したものだ。そして、その頃を思い出し、今の韓国の音楽シーンについて考える。ハイエンドなファッションと最先端サウンドの美しいシンクロ感。かつて安室奈美恵ができていたことを、今、韓国では何十人(何百人?)が一気にそれをやっている、という衝撃な状況なのだな、改めて驚く。どおりで僕はこの14年間、韓国カルチャーに夢中なわけだ……。
さあ、どうする日本。安室を失った今、“歌って踊る”という表現のジャンルにおいて、後継者は不在。グループではなくソロ、たったひとりであそこまで華がある人間はそうそういないだろう。おそらく全国民の中でも人見知りランキングのトップ100に食い込むのではないか?と思わせる社交性の無さ(基本的に人を疑っている、とよく話していた)と、漂う圧倒的な孤独感。彼女が踊っている時の内側にこもる切なさや侘しさ。でも、それらがストイックな姿勢と混じり合い、とんでもなく眩しすぎるオーラを放ち我々を虜にする。ライブでは口パク無し。R&B調の楽曲でコーラスとコーラスが重なる部分もなぜか全部歌う(普通は片方のコーラスは音で流して歌わない)。で、徹底的に踊る。トークもなく、ひたすら踊る。彼女のライブ、彼女によるステージはどれも超絶に一級品であった。
日本には素晴らしいシンガーソングライターやミュージシャンがたくさんいると思う。でも、“踊る”というある種のスポーツ、芸術を司るアーティストで彼女までのレベルに行ける人はもう出てこないのではないか、と思ってしまう。それほどに“安室奈美恵”という人は唯一無二であった。彼女は19年前、雑誌『FRAU』2003年3月号でこう語っていた。「歌だけなら私よりもうまい人はたくさんいるし、踊りだけでもやっぱりかなわない人はいる。でも、歌と踊り、二つがあわさったときには、絶対一番になれるという思いがある」(原文ママ)。納得。言葉通り、安室はこの二つを華麗に編み上げ、トップスター街道を進んだ。しかし、引退時にはこんなことを言っている。「私は自分がトップを走っているとは思っていないんです。私自身も、常に何かを追いかけているんだと思いますよ」(『VOGUE JAPAN』2018年10月号より)。
謙虚という姿勢と、等身大の強さ。
謙虚さ。安室奈美恵、最大の武器である。持論なので押し付けるつもりはまったくないが、僕はよくこう思っていて、親しい友人らにこれをよく話していた。「日本人特有の奥ゆかしさや他人にゆずる文化が、きっと僕たち日本人にはDNAレベルで組み込まれている。だから、R&Bサウンドが流行って、みんな無理やりアメリカナイズに“私、私”ってゴリゴリに意見をのべて、露出しているのはなんだか無理やり感がある。やっぱり、かっこいいビッチ感は本場に負ける。立ち振る舞いやファッションはもちろん個人の自由だけど、この手はダサく見える。だけど、安室は日本古来の“私なんて”文化が激しい。なのに、こんなにゴリッゴリに踊れて肌も露出してかっこいい。品がある!」(20代の僕談)と。長くなってしまったが、要は、“安室奈美恵は素直な人間だ”ということが言いたいのだ。
ありのままの自分を受け入れ、その上で付加価値を身につけたり、新しい側面を作り上げていく。そのスタイルがいつもスッと透けて見えてきて、そのスタンスに何度も何度も勇気付けられるのである。無論、今も。そういった意味で、彼女こそ元祖“ガールクラッシュ”とも言える。
──こうして9月16日に安室を振り返ってみると、彼女がいかに偉大な人物だったかを再確認できる。ギャル文化を加速させるようなメジャーな美的感覚とヴィジュアル。そして、日本ではマイナーだったR&Bサウンドへのこだわり。ポップでありながらも、ギリギリのラインで音楽性をキープするバランス感覚。引退にかけては、EDMに関してのかなり攻め込んだ取り入れ方はある意味(概念としての)“ロック”であった。さらに、ダラス・オースティンやZEDDなど世界的プロデューサーに楽曲を作ってもらうなど、今思い返すとアジアでのその手法はパイオニアだったのかもしれない。今後、安室奈美恵の存在を超えるような(この手の)アーティストが出てくるかと言われれば、「なかなかいないのでは」というのが正直なところ。でも、沖縄アクターズスクールイズムをもって、韓国を真似ることなく、日本人ならではのストイックな育成システムを構築すれば、きっとスターを生み出すことはできると思う。その時に出てくるスターは、きっとポスト・安室奈美恵とは言われないはずだ。安室級の存在感で、唯一無二のキャラクターをもって、踊り歌い倒すのだろう。
ソロではなくグループにはなるが、XGの成長に胸がワクワクしていることをふと思い出す。日本エンタメを明るく捉えたくなる、9月16日、安室奈美恵の引退日であった。
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