【为村民点亮引路灯!市检察院第五分院驻村第一书记廖从伟扶贫纪实】“第一天到幸福村,除了忐忑,就是紧张。”5月8日,当廖从伟回忆起去年刚到巴南区二圣镇幸福村的那一天,依旧感慨万千。
2019年3月12日之前,他是市检察院第五分院一名检察干警,那天之后,他便成为了检察院派驻幸福村的第一书记。
入户走访 找准症结精准帮扶
2019年3月中旬,经过五天紧张的培训,廖从伟正式“上岗”,和两名来自巴南区级部门的干部成为了工作搭档,组成了市级贫困村—幸福村常设的扶贫驻村工作队,廖从伟担任队长。“他们来幸福村工作比我早,经常带着我这个学生熟悉村子。”说起自己来村的第一件事,廖从伟总结为“多走访”三个字。
不同于以往在办公室坐着办公办案,廖从伟现在的办公场地在田间地头,在乡间小道,在走村入户的途中……从驻村第一天起,廖从伟就把自己当成幸福村的一份子,深入农户,到贫困户、低保户、村民代表等家中走访,通过拉家常了解他们的所思所想所盼。同时,他积极主动和村干部座谈,了解村里的班子建设、集体经济发展、新农村建设等基本情况,听取意见建议,做到心中有数。
通过挨家挨户实地走访,廖从伟了解到,建档立卡贫困户致贫主要是因病、因学、因残疾等所致。怎样让贫困户稳定脱贫?怎样能多为老百姓办点实事?这是他最关注、最牵挂的问题。白天他奔波于入户走访,晚上依然忙碌,宿舍里挑灯夜战,撰写民情日记、调研报告,根据贫困户的实际情况制定出精准扶贫的计划。
2019年4月初入户走访时,廖从伟发现贫困户林大哥户籍上有两个人,分别是他本人和女儿,但实际上家里和他朝夕相处的是妻子张大姐,这是怎么回事呢?
原来几年前,村干部在入户调查时发现张大姐未在本地落户,通过派出所查询得知她在云南的原户籍已被注销。其间,村委会曾多次督促张大姐回原籍恢复户籍,但因家庭条件限制,一直未办理户籍恢复事宜。之后,林大哥被纳入建卡贫困户,前任驻村干部和对口帮扶干部也都积极协调公安部门恢复张大姐的户籍,但由于种种原因,此事一直耽搁着。没有户籍身份,张大姐无法办理社会保障和医疗保险,也无法纳入建卡贫困户享受相关帮扶政策,生活面临诸多现实困难。
“脱贫攻坚已进入决战阶段,不能让任何一个村民在共同小康路上掉队。”从5月开始,廖从伟就带着熟悉情况的村干部,一方面积极与辖区派出所、区扶贫办等沟通协调,另一方面反复动员张大姐家人全力支持她回原籍恢复户籍。在取得云南沧源当地政府和公安机关支持后,张大姐和家人终于在2019年10月回到了原户籍所在地办理了相关手续。那段时间,廖从伟始终记挂着这事儿,通过电话定期了解办理进程、协调解决DNA鉴定比对查验等相关问题。经过大家的共同努力,张大姐在她哥哥家上了户口,随后又按照程序办理了户籍迁移,终于在2019年12月30日落户在了幸福村,拿到了属于她自己的新身份证。这件事,受到了村民们的满口赞誉。
因地制宜 助力助推产业发展
产业扶贫是脱贫攻坚的根本之策。廖从伟驻村以来,时常和工作队队员一起实地调研村里基础资源条件,大力推动扶贫产业项目发展,积极跟进无花果园、柑橘院等项目配套灌溉设施、生产管理用房和产业道路建设完善。
廖从伟多次和村“两委”专题研究村里产业项目规划和实施具体问题,多次跟村党委书记张先福一起向镇领导汇报。在镇党委政府的大力支持下,逐渐形成了幸福村137亩无花果园、120亩玫瑰园、600亩柑橘院的产业规模,落地幸福村电商服务点的微信小程序“二圣源产地”也于4月底上线试运营。在小程序里,农村鸡鸭禽蛋、鲜果蔬菜等商品一应俱全,甚至连乡村旅游项目,也可以轻松下单。目前,400亩左右的柑橘院二期正在加快实施,着力打造1000亩的特色果园。
5月8日,记者在无花果园看到,田里每间隔四五米就有一个2.5米的水泥桩。“这是廖书记想出来的防护桩。”工作队小李解释道。去年无花果园试开园,果实成熟时因为鸟儿啄食至少损失了三分之一的产量。廖从伟针对这一情况,参考葡萄等种植防护经验,结合无花果生产实际,在反复试验的基础上最终选定了打桩拉网的防护方式。“这些无花果甜度高,成熟时候鸟儿喜欢吃,只要在开始挂果后把防护网拉起来,鸟儿就只能看不能啄了。”廖从伟表示,今年这些防护网能很好地防止鸟儿啄食,减少无花果的损耗,进一步增加专业合作社农户的收入。
牵挂村民 为困难家庭改建房屋
廖从伟的工作笔记本扉页上写有这么一段话:春光明媚的三月,我在村里住下,愿也能在老百姓心里住下。
这是廖从伟来幸福村不久的一个夜晚写下的句子,而这一年多以来,他愿望成真,确实做到了在老百姓心里“住下”。
“没有诀窍,就是从村民关心的问题着手,从村民最期盼的地方做起,真心为村民办实事解难事,让村民看到实实在在的工作成效,他们就会信任你。”谈及在幸福村的好人缘,廖从伟如是说。
村里和检察院的工作完全是天差地别,在农村接触的大多是家长里短的琐事,但这些琐事对于每一个家庭来讲,却是大事。尤其涉及到政策落实等,如果处理方式不当或者是政策宣传不到位,就很容易造成群众不理解继而引发矛盾。
2019年,根据镇里的统一部署,要做好困难群众危房改造的政策宣传工作,可廖从伟在75岁老人周大爷家,却吃了个“闭门羹”。原来,周大爷全家仅靠儿子打零工的收入维持着生活,还有上小学的孙女需要照顾。周大爷担心改造旧房会让原本就困难的家庭雪上加霜,因而犹豫不决。当了解到老人的担忧后,村里启动了周大爷低保申请程序,落实其每月300多元的低保金。廖从伟和村干部也多次上门给周家宣讲相关政策,做思想工作。渐渐地,周大爷一家子的思想有了转变。
同时,廖从伟带领驻村工作队协调镇村,为周大爷的老伴落实了一份乡村公路保洁公益性工作,周大爷儿子到周边企业就近务工。“现在,我们一家子都各忙各的,尤其是儿子的工作,收入稳定,离家近,能方便照顾老人娃娃。”一提到全家人这一年来的变化,周大爷总是喜上眉梢。不久,又为周大爷一家争取到了镇党委政府的大力支持,为他们落实了两万元的房屋改建补助资金。紧接着,廖从伟全力配合村“两委”为周大爷家选址平场,协调建房中的邻里矛盾,终于在2019年底前基本完成了新房建设。目前,那套新砖房已安装好门窗,正准备安装水电和购置家具入住。
现在,周大爷一家子看到廖从伟总是笑眯眯的,从不信任到笑脸相迎,这中间付出的辛劳,只有廖从伟自己知道。可他只是笑笑说,“看到村民热热闹闹跟我打招呼,就表示我在干实事、求实效地工作。”
为民谋事 一盏盏路灯亮心间
“群众需要的,就是我们应该做的。”廖从伟时常这样说道。哪怕为老百姓解决一个很小的困难,他都会得到很大的满足,并激励着他不断为民谋事解难。
驻村以来,廖从伟坚持入户走访调研,把党和政府的惠民政策及时进村入户,让贫困户和老百姓真正感受到党的温暖,为此,他经常晚上拖着疲惫不堪的身体回到宿舍。正因为如此,廖从伟发现乡间有一段车来人往的主干道上居然没有路灯,不方便群众出行。
“这段路正好在村委会办公地附近,如果晚上有村民来求助,太不方便了,这怎么行?”考虑到村镇实际情况,廖从伟决定向检察院求助。在他的努力和组织的关怀支持下,市检察院第五分院捐款4.9万元安装了27盏太阳能路灯,为村民解决实际困难,点亮了村间道路。
5月8日下午,廖从伟站在村委会办公楼二楼上,指着远处的这排路灯,眼里闪耀着微光。他告诉记者,以后还要规划步道,让村民晚上散步时不用通过马路,直接从步道顺着路灯就能走到镇上去,还要规划步道园林,丰富村民业余生活……
“廖从伟来村后,确实做了不少实事好事,村干部、村民都较为认可,我这个村党委书记打内心高兴、满意,该给他点个大大的赞!”张先福如是说。
作为一名基层扶贫干部,廖从伟从不抱怨,每次回到检察院汇报工作也只汇报扶贫中存在的困难和问题,对自己的困难却只字不提。
他常说:“看着村民们脸上洋溢着喜悦的笑容,便是对我工作的最大肯定。因我的存在而让他们生活有所改善,这就是我最大的满足。”这是他对扶贫工作的认识,也是对扶贫干部履职尽责的最好注解。@重庆检察 @重庆检察五分院
2019年3月12日之前,他是市检察院第五分院一名检察干警,那天之后,他便成为了检察院派驻幸福村的第一书记。
入户走访 找准症结精准帮扶
2019年3月中旬,经过五天紧张的培训,廖从伟正式“上岗”,和两名来自巴南区级部门的干部成为了工作搭档,组成了市级贫困村—幸福村常设的扶贫驻村工作队,廖从伟担任队长。“他们来幸福村工作比我早,经常带着我这个学生熟悉村子。”说起自己来村的第一件事,廖从伟总结为“多走访”三个字。
不同于以往在办公室坐着办公办案,廖从伟现在的办公场地在田间地头,在乡间小道,在走村入户的途中……从驻村第一天起,廖从伟就把自己当成幸福村的一份子,深入农户,到贫困户、低保户、村民代表等家中走访,通过拉家常了解他们的所思所想所盼。同时,他积极主动和村干部座谈,了解村里的班子建设、集体经济发展、新农村建设等基本情况,听取意见建议,做到心中有数。
通过挨家挨户实地走访,廖从伟了解到,建档立卡贫困户致贫主要是因病、因学、因残疾等所致。怎样让贫困户稳定脱贫?怎样能多为老百姓办点实事?这是他最关注、最牵挂的问题。白天他奔波于入户走访,晚上依然忙碌,宿舍里挑灯夜战,撰写民情日记、调研报告,根据贫困户的实际情况制定出精准扶贫的计划。
2019年4月初入户走访时,廖从伟发现贫困户林大哥户籍上有两个人,分别是他本人和女儿,但实际上家里和他朝夕相处的是妻子张大姐,这是怎么回事呢?
原来几年前,村干部在入户调查时发现张大姐未在本地落户,通过派出所查询得知她在云南的原户籍已被注销。其间,村委会曾多次督促张大姐回原籍恢复户籍,但因家庭条件限制,一直未办理户籍恢复事宜。之后,林大哥被纳入建卡贫困户,前任驻村干部和对口帮扶干部也都积极协调公安部门恢复张大姐的户籍,但由于种种原因,此事一直耽搁着。没有户籍身份,张大姐无法办理社会保障和医疗保险,也无法纳入建卡贫困户享受相关帮扶政策,生活面临诸多现实困难。
“脱贫攻坚已进入决战阶段,不能让任何一个村民在共同小康路上掉队。”从5月开始,廖从伟就带着熟悉情况的村干部,一方面积极与辖区派出所、区扶贫办等沟通协调,另一方面反复动员张大姐家人全力支持她回原籍恢复户籍。在取得云南沧源当地政府和公安机关支持后,张大姐和家人终于在2019年10月回到了原户籍所在地办理了相关手续。那段时间,廖从伟始终记挂着这事儿,通过电话定期了解办理进程、协调解决DNA鉴定比对查验等相关问题。经过大家的共同努力,张大姐在她哥哥家上了户口,随后又按照程序办理了户籍迁移,终于在2019年12月30日落户在了幸福村,拿到了属于她自己的新身份证。这件事,受到了村民们的满口赞誉。
因地制宜 助力助推产业发展
产业扶贫是脱贫攻坚的根本之策。廖从伟驻村以来,时常和工作队队员一起实地调研村里基础资源条件,大力推动扶贫产业项目发展,积极跟进无花果园、柑橘院等项目配套灌溉设施、生产管理用房和产业道路建设完善。
廖从伟多次和村“两委”专题研究村里产业项目规划和实施具体问题,多次跟村党委书记张先福一起向镇领导汇报。在镇党委政府的大力支持下,逐渐形成了幸福村137亩无花果园、120亩玫瑰园、600亩柑橘院的产业规模,落地幸福村电商服务点的微信小程序“二圣源产地”也于4月底上线试运营。在小程序里,农村鸡鸭禽蛋、鲜果蔬菜等商品一应俱全,甚至连乡村旅游项目,也可以轻松下单。目前,400亩左右的柑橘院二期正在加快实施,着力打造1000亩的特色果园。
5月8日,记者在无花果园看到,田里每间隔四五米就有一个2.5米的水泥桩。“这是廖书记想出来的防护桩。”工作队小李解释道。去年无花果园试开园,果实成熟时因为鸟儿啄食至少损失了三分之一的产量。廖从伟针对这一情况,参考葡萄等种植防护经验,结合无花果生产实际,在反复试验的基础上最终选定了打桩拉网的防护方式。“这些无花果甜度高,成熟时候鸟儿喜欢吃,只要在开始挂果后把防护网拉起来,鸟儿就只能看不能啄了。”廖从伟表示,今年这些防护网能很好地防止鸟儿啄食,减少无花果的损耗,进一步增加专业合作社农户的收入。
牵挂村民 为困难家庭改建房屋
廖从伟的工作笔记本扉页上写有这么一段话:春光明媚的三月,我在村里住下,愿也能在老百姓心里住下。
这是廖从伟来幸福村不久的一个夜晚写下的句子,而这一年多以来,他愿望成真,确实做到了在老百姓心里“住下”。
“没有诀窍,就是从村民关心的问题着手,从村民最期盼的地方做起,真心为村民办实事解难事,让村民看到实实在在的工作成效,他们就会信任你。”谈及在幸福村的好人缘,廖从伟如是说。
村里和检察院的工作完全是天差地别,在农村接触的大多是家长里短的琐事,但这些琐事对于每一个家庭来讲,却是大事。尤其涉及到政策落实等,如果处理方式不当或者是政策宣传不到位,就很容易造成群众不理解继而引发矛盾。
2019年,根据镇里的统一部署,要做好困难群众危房改造的政策宣传工作,可廖从伟在75岁老人周大爷家,却吃了个“闭门羹”。原来,周大爷全家仅靠儿子打零工的收入维持着生活,还有上小学的孙女需要照顾。周大爷担心改造旧房会让原本就困难的家庭雪上加霜,因而犹豫不决。当了解到老人的担忧后,村里启动了周大爷低保申请程序,落实其每月300多元的低保金。廖从伟和村干部也多次上门给周家宣讲相关政策,做思想工作。渐渐地,周大爷一家子的思想有了转变。
同时,廖从伟带领驻村工作队协调镇村,为周大爷的老伴落实了一份乡村公路保洁公益性工作,周大爷儿子到周边企业就近务工。“现在,我们一家子都各忙各的,尤其是儿子的工作,收入稳定,离家近,能方便照顾老人娃娃。”一提到全家人这一年来的变化,周大爷总是喜上眉梢。不久,又为周大爷一家争取到了镇党委政府的大力支持,为他们落实了两万元的房屋改建补助资金。紧接着,廖从伟全力配合村“两委”为周大爷家选址平场,协调建房中的邻里矛盾,终于在2019年底前基本完成了新房建设。目前,那套新砖房已安装好门窗,正准备安装水电和购置家具入住。
现在,周大爷一家子看到廖从伟总是笑眯眯的,从不信任到笑脸相迎,这中间付出的辛劳,只有廖从伟自己知道。可他只是笑笑说,“看到村民热热闹闹跟我打招呼,就表示我在干实事、求实效地工作。”
为民谋事 一盏盏路灯亮心间
“群众需要的,就是我们应该做的。”廖从伟时常这样说道。哪怕为老百姓解决一个很小的困难,他都会得到很大的满足,并激励着他不断为民谋事解难。
驻村以来,廖从伟坚持入户走访调研,把党和政府的惠民政策及时进村入户,让贫困户和老百姓真正感受到党的温暖,为此,他经常晚上拖着疲惫不堪的身体回到宿舍。正因为如此,廖从伟发现乡间有一段车来人往的主干道上居然没有路灯,不方便群众出行。
“这段路正好在村委会办公地附近,如果晚上有村民来求助,太不方便了,这怎么行?”考虑到村镇实际情况,廖从伟决定向检察院求助。在他的努力和组织的关怀支持下,市检察院第五分院捐款4.9万元安装了27盏太阳能路灯,为村民解决实际困难,点亮了村间道路。
5月8日下午,廖从伟站在村委会办公楼二楼上,指着远处的这排路灯,眼里闪耀着微光。他告诉记者,以后还要规划步道,让村民晚上散步时不用通过马路,直接从步道顺着路灯就能走到镇上去,还要规划步道园林,丰富村民业余生活……
“廖从伟来村后,确实做了不少实事好事,村干部、村民都较为认可,我这个村党委书记打内心高兴、满意,该给他点个大大的赞!”张先福如是说。
作为一名基层扶贫干部,廖从伟从不抱怨,每次回到检察院汇报工作也只汇报扶贫中存在的困难和问题,对自己的困难却只字不提。
他常说:“看着村民们脸上洋溢着喜悦的笑容,便是对我工作的最大肯定。因我的存在而让他们生活有所改善,这就是我最大的满足。”这是他对扶贫工作的认识,也是对扶贫干部履职尽责的最好注解。@重庆检察 @重庆检察五分院
本來4月份開始要去浙江省內睇睇附近大熊貓哋[熊猫][熊猫][熊猫]都而家外國人搭高鐵出門超級麻煩要再等等嘅繼續翻睇咗過去相片嘅3年前今日睇咗思嘉[熊猫]嘅滑雪兒![坏笑](2017年4月9日影相喺亞布力熊貓館) https://t.cn/A6heqKgD
KinKi Kids 10年後はわからなくても「KinKiはずっと続けたい」の真意
https://t.cn/Aiemgkt9
前作から1年、12月4日に41枚目のシングル「光の気配」をリリースした。デビュー23年を経て、KinKi Kidsの2人が「ステージには立ち続けたい」と率直な思いを語った。AERA 2019年12月9日号から。
* * *
1997年に「硝子の少年」でデビューし、今年で23年目。デビューから40作連続でオリコンチャート1位を獲得するなど、現在に至るまで偉大な記録を打ち立ててきた。だが、「数字や記録を意識したことは全くない」と口をそろえる。
40代に入り、最近では自身のバンドやミュージカルのフロントマンとして、チームをまとめる機会も増えてきた。
堂本光一(以下、光一):僕は21歳のときから「SHOCK」というミュージカルをやっていて、途中から脚本や演出もやるようになったのですが、最初は自分がやりたいことを各セクションに伝えるのが大変でしたね。我々がやっている仕事は、非現実的なことを現実の空間で表現することで、その完成形は自分の頭の中にしかないわけです。だから、最初はイメージをうまく伝えられなくて、結局「自分でやります」と抱え込んでしまうことも多かった。
そうなると当然、時間的にも精神的にもどんどん追い込まれてつらくなってしまう。周りに嫌われても自分を貫くことは場合によっては必要だと思うけど、今は周りからの提案を柔軟に受け入れて、任せるようになりました。任せることで、相手も「自分を信頼してくれているんだな」と思えるんですよね。そういう関係性ができると、すごく強いチームになるんじゃないかな。
堂本剛(以下、剛):僕の場合は、まず根底に「一人ひとりがいろいろな人生を選択して生きているんだから、誰かがどうこう言う権利はないし、その人自身が決めるのがいちばんいい」という考えがあるんです。だから反対に、相手が自分の考えとは違っていても、「違うこと」を受け入れてあげられるようでありたいですね。
バンドマンやミュージシャンって、扱いづらいと思われる人が多いんですよ。でも僕は意外と大丈夫。変わっている人がいたら、「めちゃめちゃ変わってますねー」って本人に言っちゃう(笑)。案外、それで仲よくなれるんやけどなあ。みんな、“猛獣的”な人を排除していっちゃうでしょ。僕は「それはかわいそうやん」って思います。
KinKi Kidsとしても、ソロアーティストとしても、独自の立ち位置と世界観を築いてきた2人。これからの10年間、どんな道程を歩んでいくのだろうか。
光一:うーん、僕は10代の頃から、あんまり先のことを考えない方でして……。何となく進みたい方向はありますけど、「何歳までにこれをやる!」みたいな明確な目標を立てるのが好きじゃないんです。
剛:僕も10年後とか、全くわからないですね。音楽活動はやっているとは思いますけど。だって10年前に、まさかタッキー(滝沢秀明さん)が副社長になるだなんて、誰も想像してなかったでしょう?(笑)
光一:将来やりたいことより、今やるべきことをやる。例えば舞台なら、お客さんに見せられるクオリティーになるまで、必ず稽古を積み重ねる。でも、それを本番でどう表現できるか、そしてお客さんがどう感じるかは、自分のコントロールを超えた部分にあるものです。だから、自己完結的には考えない。それだけ周りの人に恵まれてるなとも思うし、チャンスをくれてありがたいなという気持ちもあります。
剛:これからも、僕がジャニーズという場所に対して貢献できることがあるのであれば、貢献し続けたいと思っています。どういう形であれ、KinKi Kidsは、ずっと続けられたらいいなと思ってる。でも、10年後には僕も50歳でしょう。何してるんでしょうね?
(ライター・澤田憲、編集部・塩見圭)
※AERA 2019年12月9日号より抜粋
https://t.cn/Aiemgkt9
前作から1年、12月4日に41枚目のシングル「光の気配」をリリースした。デビュー23年を経て、KinKi Kidsの2人が「ステージには立ち続けたい」と率直な思いを語った。AERA 2019年12月9日号から。
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1997年に「硝子の少年」でデビューし、今年で23年目。デビューから40作連続でオリコンチャート1位を獲得するなど、現在に至るまで偉大な記録を打ち立ててきた。だが、「数字や記録を意識したことは全くない」と口をそろえる。
40代に入り、最近では自身のバンドやミュージカルのフロントマンとして、チームをまとめる機会も増えてきた。
堂本光一(以下、光一):僕は21歳のときから「SHOCK」というミュージカルをやっていて、途中から脚本や演出もやるようになったのですが、最初は自分がやりたいことを各セクションに伝えるのが大変でしたね。我々がやっている仕事は、非現実的なことを現実の空間で表現することで、その完成形は自分の頭の中にしかないわけです。だから、最初はイメージをうまく伝えられなくて、結局「自分でやります」と抱え込んでしまうことも多かった。
そうなると当然、時間的にも精神的にもどんどん追い込まれてつらくなってしまう。周りに嫌われても自分を貫くことは場合によっては必要だと思うけど、今は周りからの提案を柔軟に受け入れて、任せるようになりました。任せることで、相手も「自分を信頼してくれているんだな」と思えるんですよね。そういう関係性ができると、すごく強いチームになるんじゃないかな。
堂本剛(以下、剛):僕の場合は、まず根底に「一人ひとりがいろいろな人生を選択して生きているんだから、誰かがどうこう言う権利はないし、その人自身が決めるのがいちばんいい」という考えがあるんです。だから反対に、相手が自分の考えとは違っていても、「違うこと」を受け入れてあげられるようでありたいですね。
バンドマンやミュージシャンって、扱いづらいと思われる人が多いんですよ。でも僕は意外と大丈夫。変わっている人がいたら、「めちゃめちゃ変わってますねー」って本人に言っちゃう(笑)。案外、それで仲よくなれるんやけどなあ。みんな、“猛獣的”な人を排除していっちゃうでしょ。僕は「それはかわいそうやん」って思います。
KinKi Kidsとしても、ソロアーティストとしても、独自の立ち位置と世界観を築いてきた2人。これからの10年間、どんな道程を歩んでいくのだろうか。
光一:うーん、僕は10代の頃から、あんまり先のことを考えない方でして……。何となく進みたい方向はありますけど、「何歳までにこれをやる!」みたいな明確な目標を立てるのが好きじゃないんです。
剛:僕も10年後とか、全くわからないですね。音楽活動はやっているとは思いますけど。だって10年前に、まさかタッキー(滝沢秀明さん)が副社長になるだなんて、誰も想像してなかったでしょう?(笑)
光一:将来やりたいことより、今やるべきことをやる。例えば舞台なら、お客さんに見せられるクオリティーになるまで、必ず稽古を積み重ねる。でも、それを本番でどう表現できるか、そしてお客さんがどう感じるかは、自分のコントロールを超えた部分にあるものです。だから、自己完結的には考えない。それだけ周りの人に恵まれてるなとも思うし、チャンスをくれてありがたいなという気持ちもあります。
剛:これからも、僕がジャニーズという場所に対して貢献できることがあるのであれば、貢献し続けたいと思っています。どういう形であれ、KinKi Kidsは、ずっと続けられたらいいなと思ってる。でも、10年後には僕も50歳でしょう。何してるんでしょうね?
(ライター・澤田憲、編集部・塩見圭)
※AERA 2019年12月9日号より抜粋
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