冬日温情,暖酒暖茶。
人们对冬日的印象,大多是:寒气包裹了一切,喧嚣的大地渐渐归于沉寂,静静的,冷冷的。但诗人笔下的冬日,是有温度的:茶、酒、火炉、阳光......无一不温情满满。冬天,最渴望的就是温暖,让我们跟随诗人,感受冬日里不一样的温暖。
杲杲冬日出,照我屋南隅。负暄闭目坐,和气生肌肤。初似饮醇醪,又如蛰者苏。外融百骸畅,中适一念无。旷然忘所在,心与虚空俱。《负冬日》【唐】白居易
冬天的阳光,是有魔力的,负暄而坐,在沐浴阳光的一刻,便与大自然有了某种情感的互通,一股暖意从心底缓缓升起,日光中迷醉,缓和了焦虑,抚平了褶皱,治愈了心灵。
绿蚁新醅酒,红泥小火炉。晚来天欲雪,能饮一杯无?《问刘十九》【唐】白居易
无酒不成冬,微醺暖人心。于爱酒之人来说,冬日自然喜欢以酒暖身。最好是,三五成群,与朋友共赏月夜清雪,扺掌而谈,把酒言欢。一杯酒入喉,温暖四肢百骸,泛溢出融融暖意,生出共抗寒冬的力量。有朋友陪伴的冬天,便再也不冷了。
寒夜客来茶当酒,竹炉汤沸火初红。寻常一样窗前月,才有梅花便不同。《寒夜》【宋】杜耒
茶,从来都与人的生活息息相关。冬夜,有客来访,炭火红彤,壶水沸腾,月下啜茗清谈,焚香赏琴,热乎乎的欢喜。天寒地冻,屋外寒气逼人,屋内温暖如春,拥炉品茶,倚榻读书,饮一杯茶,暖口入心,冲泡冬日里的温暖。
世人个个学长年,不悟常年在目前。我得宛丘平易法,只将食粥得神仙。《粥》【宋】陆游
李时珍认为:“每日起,食粥一大碗。空腹胃虚,谷气便作,所补不细,又极柔腻,与肠胃相得,最为饮食之良。”“五谷为养”,冬季是喝粥养生的好时机。在寒冷的冬日,煮一锅粥:腊八粥、红豆粥、南瓜粥、八宝粥、小米粥、清粥......水汽氤氲,粥香浓郁,扑鼻而来。一碗热粥下肚,暖意通身,熨帖身心,又是元气满满的一天。
风卷江湖雨暗村,四山声作海涛翻。溪柴火软蛮毡暖,我与狸奴不出门。《一月四日风雨大作》【宋】陆游
铃村和成说:“有书,有茶,有猫,足以度过生命中所有的清晨、午后与黑夜。”没有什么是猫治愈不了的:倚在窗前,与猫咪嬉戏玩耍,别提多舒心了。有猫咪陪伴的冬天,每一个瞬间,内心都是愉悦和幸福的!
地炕规玲珑,火穴以通幽。长舒两脚睡,暖律初回邹。门前三尺雪,鼻息方齁齁。《卧炕暖》【金】赵秉文
冬天的被窝,总是诱惑力满满,以至于“床以外的地方都是远方”,若是在休息日,躲在被窝睡个懒觉,再配以些许美食,偷得浮生片刻闲,一个人的时光,休养生息,岁月静好,也不过如此吧!
明朝驿使发,一夜絮征袍。素手抽针冷,那堪把剪刀。裁缝寄远道,几日到临洮。《子夜吴歌·冬歌》【唐】李白
有人说:“有工作的地方没有家,有家的地方却没有工作,他乡容纳不下灵魂,故乡安置不了肉身。”因此,便有了漂泊,有了远方,更有了思念。儿行千里母担忧,寒到身边衣却无,冬日里的暖意,是来自母亲的牵挂。无论多么不舍,多么无奈,也要亲手缝袍,“慈母手中线,游子身上衣”,针针深情,衣暖人心。
玉盘寸断葱芽嫩,鸾刀细割羊肩进。不敢厌腥臊,缘君亲手调。红炉赪素面,醉把貂裘缓。归路有余狂,天街宵踏霜。《菩萨蛮》【近现代】王国维
当炉喝酒,大快朵颐,兴尽晚餐,寒冷的冬日夜晚,踏着京城的街道,由暖到寒,从醉到醒,寒冷与清醒相交织,开心的是,在最需要人陪伴的时候,有人热情招待你,有人在等你,即使再冷的天气,内心也是温暖而愉快的。感恩每一个出现在我们生命中的人,陪我们走过长长短短的路程。
烟霏霏。雪霏霏。雪向梅花枝上堆。春从何处回。醉眼开。睡眼开。疏影横斜安在哉。从教塞管催。《长相思令·烟霏霏》【宋】吴淑姬
冰雪消融,朵朵梅花从睡梦中醒来,绯红醉眼。梅枝于月光下,疏影横斜,暗香浮动,多么令人神往的境界!残冬一过,春天即将来临,渴望的自由,是不是也可以来到了?
烂熳朝眠后,频伸晚起时。暖炉生火早,寒镜裹头迟。融雪煎香茗,调酥煮乳糜。慵馋还自哂,快活亦谁知。酒性温无毒,琴声淡不悲。荣公三乐外,仍弄小男儿。《晚起》【唐】白居易
每个冬天,都有属于它自己的春天,冬天是舒适的,是感受温暖的时候,在冬天去做自己喜欢的事吧,心思明澈,远离繁芜,向着光的方向追逐奔跑。读诗赏雪,暖茶沁心,家人闲坐,灯火可亲,愿这个冬日,紧绷的日子,变得悠然,慢煮生活,心存安暖,岁月可期。
人们对冬日的印象,大多是:寒气包裹了一切,喧嚣的大地渐渐归于沉寂,静静的,冷冷的。但诗人笔下的冬日,是有温度的:茶、酒、火炉、阳光......无一不温情满满。冬天,最渴望的就是温暖,让我们跟随诗人,感受冬日里不一样的温暖。
杲杲冬日出,照我屋南隅。负暄闭目坐,和气生肌肤。初似饮醇醪,又如蛰者苏。外融百骸畅,中适一念无。旷然忘所在,心与虚空俱。《负冬日》【唐】白居易
冬天的阳光,是有魔力的,负暄而坐,在沐浴阳光的一刻,便与大自然有了某种情感的互通,一股暖意从心底缓缓升起,日光中迷醉,缓和了焦虑,抚平了褶皱,治愈了心灵。
绿蚁新醅酒,红泥小火炉。晚来天欲雪,能饮一杯无?《问刘十九》【唐】白居易
无酒不成冬,微醺暖人心。于爱酒之人来说,冬日自然喜欢以酒暖身。最好是,三五成群,与朋友共赏月夜清雪,扺掌而谈,把酒言欢。一杯酒入喉,温暖四肢百骸,泛溢出融融暖意,生出共抗寒冬的力量。有朋友陪伴的冬天,便再也不冷了。
寒夜客来茶当酒,竹炉汤沸火初红。寻常一样窗前月,才有梅花便不同。《寒夜》【宋】杜耒
茶,从来都与人的生活息息相关。冬夜,有客来访,炭火红彤,壶水沸腾,月下啜茗清谈,焚香赏琴,热乎乎的欢喜。天寒地冻,屋外寒气逼人,屋内温暖如春,拥炉品茶,倚榻读书,饮一杯茶,暖口入心,冲泡冬日里的温暖。
世人个个学长年,不悟常年在目前。我得宛丘平易法,只将食粥得神仙。《粥》【宋】陆游
李时珍认为:“每日起,食粥一大碗。空腹胃虚,谷气便作,所补不细,又极柔腻,与肠胃相得,最为饮食之良。”“五谷为养”,冬季是喝粥养生的好时机。在寒冷的冬日,煮一锅粥:腊八粥、红豆粥、南瓜粥、八宝粥、小米粥、清粥......水汽氤氲,粥香浓郁,扑鼻而来。一碗热粥下肚,暖意通身,熨帖身心,又是元气满满的一天。
风卷江湖雨暗村,四山声作海涛翻。溪柴火软蛮毡暖,我与狸奴不出门。《一月四日风雨大作》【宋】陆游
铃村和成说:“有书,有茶,有猫,足以度过生命中所有的清晨、午后与黑夜。”没有什么是猫治愈不了的:倚在窗前,与猫咪嬉戏玩耍,别提多舒心了。有猫咪陪伴的冬天,每一个瞬间,内心都是愉悦和幸福的!
地炕规玲珑,火穴以通幽。长舒两脚睡,暖律初回邹。门前三尺雪,鼻息方齁齁。《卧炕暖》【金】赵秉文
冬天的被窝,总是诱惑力满满,以至于“床以外的地方都是远方”,若是在休息日,躲在被窝睡个懒觉,再配以些许美食,偷得浮生片刻闲,一个人的时光,休养生息,岁月静好,也不过如此吧!
明朝驿使发,一夜絮征袍。素手抽针冷,那堪把剪刀。裁缝寄远道,几日到临洮。《子夜吴歌·冬歌》【唐】李白
有人说:“有工作的地方没有家,有家的地方却没有工作,他乡容纳不下灵魂,故乡安置不了肉身。”因此,便有了漂泊,有了远方,更有了思念。儿行千里母担忧,寒到身边衣却无,冬日里的暖意,是来自母亲的牵挂。无论多么不舍,多么无奈,也要亲手缝袍,“慈母手中线,游子身上衣”,针针深情,衣暖人心。
玉盘寸断葱芽嫩,鸾刀细割羊肩进。不敢厌腥臊,缘君亲手调。红炉赪素面,醉把貂裘缓。归路有余狂,天街宵踏霜。《菩萨蛮》【近现代】王国维
当炉喝酒,大快朵颐,兴尽晚餐,寒冷的冬日夜晚,踏着京城的街道,由暖到寒,从醉到醒,寒冷与清醒相交织,开心的是,在最需要人陪伴的时候,有人热情招待你,有人在等你,即使再冷的天气,内心也是温暖而愉快的。感恩每一个出现在我们生命中的人,陪我们走过长长短短的路程。
烟霏霏。雪霏霏。雪向梅花枝上堆。春从何处回。醉眼开。睡眼开。疏影横斜安在哉。从教塞管催。《长相思令·烟霏霏》【宋】吴淑姬
冰雪消融,朵朵梅花从睡梦中醒来,绯红醉眼。梅枝于月光下,疏影横斜,暗香浮动,多么令人神往的境界!残冬一过,春天即将来临,渴望的自由,是不是也可以来到了?
烂熳朝眠后,频伸晚起时。暖炉生火早,寒镜裹头迟。融雪煎香茗,调酥煮乳糜。慵馋还自哂,快活亦谁知。酒性温无毒,琴声淡不悲。荣公三乐外,仍弄小男儿。《晚起》【唐】白居易
每个冬天,都有属于它自己的春天,冬天是舒适的,是感受温暖的时候,在冬天去做自己喜欢的事吧,心思明澈,远离繁芜,向着光的方向追逐奔跑。读诗赏雪,暖茶沁心,家人闲坐,灯火可亲,愿这个冬日,紧绷的日子,变得悠然,慢煮生活,心存安暖,岁月可期。
#日剧美丽的他[超话]##八木勇征##萩原利久# 采访
cr.wotopi 2021/11/18
——お二人は初共演ですが、最初に会った時の印象は?
萩原:勇征くんは、明るくていい人です。僕は初対面のとき緊張して遠慮がちになってしまうのですが、勇征くんはすごく丁寧な挨拶をしてくれました。「なんて気持ちのいい挨拶なんだ」と感動して、次に現場で会うときは僕も元気を多めに出していこうって思ったほどです。そういうポジティブな印象が今日まで変わらないです。第一印象って変わっていくものだと思うのですが、最初の印象のままという珍しいタイプの人です。
八木:今、とてもいい気分です(笑)。
萩原:実年齢では僕が1歳年下なので、時々お兄さんのように接してくれたりしつつ、同級生のような気さくさもあって。丁寧で明るくて話しやすい。頼れる人ですね。
八木:ありがとう。僕は利久くんとは真逆で、今では第一印象がひっくり返っています。最初は真面目で物静かなタイプなのかと思ったのですが、利久くんは「少年」です。活発な短パン小僧!という感じですね。
萩原:あはは!(笑)。
八木:この明るさが本当に素敵で。現場にいると体力的にも精神的にもちょっとハードだなと思う瞬間があるのですが、そんな時に雰囲気を変えてくれるのが利久くんなんです。演者だけでなく、スタッフさんたちも巻き込んで現場を明るくしてくれる。そんな魅力を持つ人だと思います。
——萩原さんは役者としてキャリアを積み、八木さんはグループでアーティストとしても活動をされています。普段のフィールドが違うからこそ、刺激を受けた部分があれば教えてください。
八木:僕が受け取ったのは、空間を共有する力。利久くんと演技をしていると、今こんな空間にいて、だからこういう芝居なんだなというのが伝わってくるんです。経験を重ねないとできないことだと思いますし、現場でたくさんのことを学ばせてもらっています。役者として学んでいることがライブにも活かせるなって思う瞬間もあるんですよ。
萩原:そうなんだ。
八木:たとえば、ライブ会場でどんな世界観や空間を作るのか、自分たちがちゃんと空間を把握できていなければ、ただ歌って踊っているだけになってしまいます。自分たちの空間を作り上げてこそ、ライブに来てくださるたくさんの人とも感情を共有できるなって。逆にライブの経験で得たことも俳優としての活動に活かせるかもしれないと思っていて、それぞれ影響を与え合っているんだなと感じます。
萩原:僕が感じたのは……。まず、体力が桁違いです。普段から運動をたくさんしているのもあると思いますが、朝の状態が僕とは全然違うんですよね。僕が「目が開かないよー」としょぼしょぼしているのに対して、勇征くんはいつでもぱっちりしているんです。
八木:そうかな?(笑)
萩原:とにかく元気。というか……気持ちがいいんです。存在自体が。同じようなスケジュールのはずなのに、どうしてここまで違うのか驚いています。たとえば、翌日が撮休で僕が「やったー」と喜ぶ側で、勇征くんは「ライブのリハ行ってきます」みたいな。全然休みがないんですよ。そんな姿を見ると休みたいなんて口が裂けても言えないです。隣にものすごい努力をしている人がいると、引っ張ってもらえるというか。自分も頑張らなきゃ、踏ん張りたいなという刺激を受けます。勇征くんと居ると、元気な人は周囲にもポジティブな影響を与えるんだと実感しますね。
——八木さんのその元気は、どこから?
八木:自分が感じる楽しいという感情からですかね。好きなことをしているのに元気じゃない状態になるのは不自然というか、100%で楽しめないのはもったいないと思ってしまうんです。何より、グループ活動があるからこそ、こういった個人活動もさせていただけるので。感謝して、楽しんで。好きなことに対して楽しまなきゃ損だって思う気持ちが、僕の原動力だと思います。あとはよく食べてよく寝る!
——よく食べてよく寝る、大事ですよね。萩原さんはいかがですか?
萩原:僕は玉置浩二さんが好きで、朝、玉置さんの曲を聴いて1日を始めます。それから、好きなスポーツを観ること。好きなことや好きな人から元気をもらっています。
——それは、萩原さん演じる平良が清居に強烈に惹かれてしまう部分と通じるところもあるかもしれませんね。
萩原:そうですね。平良と清居の関係はアイドルファンとアイドルに近いのかもしれないと思いました。僕も好きなスポーツ選手を日々のモチベーションにするので、誰かに強く憧れる平良の心境に共感できました。そして、そういう存在の人が身近にいたら、生活が激変するのもよくわかる。ただ、あんなに何度も突き放されたら心が折れると思いますけど(苦笑)。
八木:毎日(撮影で)「キモい」って言ってるからね。
萩原:はい。毎日言われてます(笑)。
八木:僕は人に「キモい」と言えない……というか言いません。そこは明らかに清居と違う点。でも、いただいた設定資料に書かれていた、清居の生い立ちを見て共感する部分はありました。僕自身も、母と二人の生活だったので。母の帰りが遅くなるときは寂しくて、友達と遅くまで遊んで一人でいる時間を少なくしたいと思ったこともありましたし……。孤独だから誰かを求めたり、人に囲まれていても孤独を感じたり、というのはわかる気がしました。
——今作のオファーを受けた時のことは覚えていらっしゃいますか?
萩原:初めてのジャンルだったので、挑戦だなと思いました。高校生の役は10代の頃にもありましたが、今の自分としてどう入っていこうかなという楽しみな気持ちと、緊張と挑戦と。同時にいろんな感情が浮かんできました。
八木:僕自身は、連続ドラマの主演が初めてなので、全てが新鮮で衝撃的でした。BLというジャンルにも、全く戸惑いはありません。恋愛観はそれぞれですし、今は(それらを含む作品があることが)浸透してきていますよね。実際に自分がこの作品に携わったことで、愛は自由なものだとより思うようにもなりました。
萩原:先ほど挑戦と言いましたが、それは自分がこのジャンルの作品に出演することに対する思いではなく、作品として表現するうえでの挑戦です。たとえば、身長が同じだと目線も同じですし。そういう二人が同じ画面の中に存在するときに、どういう見え方になるのだろうとか。いち視聴者として見ている時には深く考えたことがなかったので、挑戦だと思いました。
——撮影の感想は?
八木:酒井(麻衣)監督は、きれいな画を撮りたいと最初からおっしゃっていて。どう見えるか考えながら演じるのは楽しかったですね。顔を寄せるシーンも、「こっちのほうがきれいに見えるかな」と現場でアイデアを出して確認して。リハーサルや段取りの時間も楽しいなと感じました。
萩原:酒井監督とご一緒するのは3回目になります。僕は、監督のことを全面的に信頼しているんです。演者が余計なことを考えなくていいように、演者ファーストな現場を作ってくださるから。そして、酒井監督が撮る作品は映像が本当にきれいなんです。僕らが想像する何倍も細部までこだわりを持って作られているんですよ。本作も、会話、動き、目線、風景どれも丁寧に作っているので、画面の隅々まで注目して見ていただけるとうれしいです。
八木:清居と平良以外の人間関係も見ていただきたいです。いろんな感情を投影できるような作品になっていると思いますので、楽しみに待っていてください。
cr.wotopi 2021/11/18
——お二人は初共演ですが、最初に会った時の印象は?
萩原:勇征くんは、明るくていい人です。僕は初対面のとき緊張して遠慮がちになってしまうのですが、勇征くんはすごく丁寧な挨拶をしてくれました。「なんて気持ちのいい挨拶なんだ」と感動して、次に現場で会うときは僕も元気を多めに出していこうって思ったほどです。そういうポジティブな印象が今日まで変わらないです。第一印象って変わっていくものだと思うのですが、最初の印象のままという珍しいタイプの人です。
八木:今、とてもいい気分です(笑)。
萩原:実年齢では僕が1歳年下なので、時々お兄さんのように接してくれたりしつつ、同級生のような気さくさもあって。丁寧で明るくて話しやすい。頼れる人ですね。
八木:ありがとう。僕は利久くんとは真逆で、今では第一印象がひっくり返っています。最初は真面目で物静かなタイプなのかと思ったのですが、利久くんは「少年」です。活発な短パン小僧!という感じですね。
萩原:あはは!(笑)。
八木:この明るさが本当に素敵で。現場にいると体力的にも精神的にもちょっとハードだなと思う瞬間があるのですが、そんな時に雰囲気を変えてくれるのが利久くんなんです。演者だけでなく、スタッフさんたちも巻き込んで現場を明るくしてくれる。そんな魅力を持つ人だと思います。
——萩原さんは役者としてキャリアを積み、八木さんはグループでアーティストとしても活動をされています。普段のフィールドが違うからこそ、刺激を受けた部分があれば教えてください。
八木:僕が受け取ったのは、空間を共有する力。利久くんと演技をしていると、今こんな空間にいて、だからこういう芝居なんだなというのが伝わってくるんです。経験を重ねないとできないことだと思いますし、現場でたくさんのことを学ばせてもらっています。役者として学んでいることがライブにも活かせるなって思う瞬間もあるんですよ。
萩原:そうなんだ。
八木:たとえば、ライブ会場でどんな世界観や空間を作るのか、自分たちがちゃんと空間を把握できていなければ、ただ歌って踊っているだけになってしまいます。自分たちの空間を作り上げてこそ、ライブに来てくださるたくさんの人とも感情を共有できるなって。逆にライブの経験で得たことも俳優としての活動に活かせるかもしれないと思っていて、それぞれ影響を与え合っているんだなと感じます。
萩原:僕が感じたのは……。まず、体力が桁違いです。普段から運動をたくさんしているのもあると思いますが、朝の状態が僕とは全然違うんですよね。僕が「目が開かないよー」としょぼしょぼしているのに対して、勇征くんはいつでもぱっちりしているんです。
八木:そうかな?(笑)
萩原:とにかく元気。というか……気持ちがいいんです。存在自体が。同じようなスケジュールのはずなのに、どうしてここまで違うのか驚いています。たとえば、翌日が撮休で僕が「やったー」と喜ぶ側で、勇征くんは「ライブのリハ行ってきます」みたいな。全然休みがないんですよ。そんな姿を見ると休みたいなんて口が裂けても言えないです。隣にものすごい努力をしている人がいると、引っ張ってもらえるというか。自分も頑張らなきゃ、踏ん張りたいなという刺激を受けます。勇征くんと居ると、元気な人は周囲にもポジティブな影響を与えるんだと実感しますね。
——八木さんのその元気は、どこから?
八木:自分が感じる楽しいという感情からですかね。好きなことをしているのに元気じゃない状態になるのは不自然というか、100%で楽しめないのはもったいないと思ってしまうんです。何より、グループ活動があるからこそ、こういった個人活動もさせていただけるので。感謝して、楽しんで。好きなことに対して楽しまなきゃ損だって思う気持ちが、僕の原動力だと思います。あとはよく食べてよく寝る!
——よく食べてよく寝る、大事ですよね。萩原さんはいかがですか?
萩原:僕は玉置浩二さんが好きで、朝、玉置さんの曲を聴いて1日を始めます。それから、好きなスポーツを観ること。好きなことや好きな人から元気をもらっています。
——それは、萩原さん演じる平良が清居に強烈に惹かれてしまう部分と通じるところもあるかもしれませんね。
萩原:そうですね。平良と清居の関係はアイドルファンとアイドルに近いのかもしれないと思いました。僕も好きなスポーツ選手を日々のモチベーションにするので、誰かに強く憧れる平良の心境に共感できました。そして、そういう存在の人が身近にいたら、生活が激変するのもよくわかる。ただ、あんなに何度も突き放されたら心が折れると思いますけど(苦笑)。
八木:毎日(撮影で)「キモい」って言ってるからね。
萩原:はい。毎日言われてます(笑)。
八木:僕は人に「キモい」と言えない……というか言いません。そこは明らかに清居と違う点。でも、いただいた設定資料に書かれていた、清居の生い立ちを見て共感する部分はありました。僕自身も、母と二人の生活だったので。母の帰りが遅くなるときは寂しくて、友達と遅くまで遊んで一人でいる時間を少なくしたいと思ったこともありましたし……。孤独だから誰かを求めたり、人に囲まれていても孤独を感じたり、というのはわかる気がしました。
——今作のオファーを受けた時のことは覚えていらっしゃいますか?
萩原:初めてのジャンルだったので、挑戦だなと思いました。高校生の役は10代の頃にもありましたが、今の自分としてどう入っていこうかなという楽しみな気持ちと、緊張と挑戦と。同時にいろんな感情が浮かんできました。
八木:僕自身は、連続ドラマの主演が初めてなので、全てが新鮮で衝撃的でした。BLというジャンルにも、全く戸惑いはありません。恋愛観はそれぞれですし、今は(それらを含む作品があることが)浸透してきていますよね。実際に自分がこの作品に携わったことで、愛は自由なものだとより思うようにもなりました。
萩原:先ほど挑戦と言いましたが、それは自分がこのジャンルの作品に出演することに対する思いではなく、作品として表現するうえでの挑戦です。たとえば、身長が同じだと目線も同じですし。そういう二人が同じ画面の中に存在するときに、どういう見え方になるのだろうとか。いち視聴者として見ている時には深く考えたことがなかったので、挑戦だと思いました。
——撮影の感想は?
八木:酒井(麻衣)監督は、きれいな画を撮りたいと最初からおっしゃっていて。どう見えるか考えながら演じるのは楽しかったですね。顔を寄せるシーンも、「こっちのほうがきれいに見えるかな」と現場でアイデアを出して確認して。リハーサルや段取りの時間も楽しいなと感じました。
萩原:酒井監督とご一緒するのは3回目になります。僕は、監督のことを全面的に信頼しているんです。演者が余計なことを考えなくていいように、演者ファーストな現場を作ってくださるから。そして、酒井監督が撮る作品は映像が本当にきれいなんです。僕らが想像する何倍も細部までこだわりを持って作られているんですよ。本作も、会話、動き、目線、風景どれも丁寧に作っているので、画面の隅々まで注目して見ていただけるとうれしいです。
八木:清居と平良以外の人間関係も見ていただきたいです。いろんな感情を投影できるような作品になっていると思いますので、楽しみに待っていてください。
始终心要略解(下)
【于是大觉慈尊,喟然叹曰:真如界内,绝生佛之假名;平等慧(“慧”字,有本作“会”)中,无自他之形相。】
无明大梦,虽十地、等觉诸大士,睡眠未醒,唯佛一人,可称“大觉”。乃我本师大慈悲父,称“慈尊”也。
“喟然”,是叹声。“曰”下,是叹言。前是祖叹,今是佛叹也。
“真如、平等”,都指真心妙谛。其性不妄,曰“真”;无分齐、方隅等虚妄相故不异,曰“如”。无生灭垢净等差别异故,不高不低,曰“平”;离圣解凡情见故,无党无偏,曰“等”。情与非情悉周遍,故“界、会”二字,指妙谛之范围,范围宽大,横竖赅罗也。
众生诸佛,皆“假名”耳;自己他人,皆“妄相”也。妙谛性中,都无是事,故曰“绝无”。经云:“妙性圆明,离诸名相,本来无有世界众生。”论云:“离名字相,离心缘相,究竟平等,不可变异。”此之谓也。
【但以众生妄想,不自证得,莫之能返也。】
“众生”,乃九界通称,一向在迷,从来未悟,不了真心,用诸妄想,故曰“不自证得”。
“妄想”,指三惑也。谓用见思,不证真谛;用尘沙,不证俗谛;用无明,不证中谛。
一向随想流转,不能返妄归真也。随见思流,名六凡众生;随尘沙流,名二乘众生;随无明流,名大道心众生。
【由是立乎三观,破乎三惑,证乎三智,成乎三德。】
“由是”,承接之词。承上文,接下文故。
“立乎”下,佛祖用大乘法药,对治众生之心病也。
立观,是用药;修观,是服药;破惑,是除病;证智成德,乃见效复元也。
山家用文,“三谛”准《仁王经》,“三观”准《璎珞经》,“三惑”准《智度论》,“三智”准《大品般若经》,“三德”准《大般涅盘经》也。
【空观者,破见思惑,证一切智,成般若德;假观者,破尘沙惑,证道种智,成解脱德;中观者,破无明惑,证一切种智,成法身德。】
此为不得意者,作次第说耳。其实圆顿行人,于“名字位”中,圆悟一谛三谛之理;于“观行位”中,圆起一观三观之修,全性德而起修德;“相似位”中,粗垢任运先落,脱四住烦恼也;“分证位”中,圆破三惑,圆证三智,圆成三德,所谓一悟一切悟,一修一切修,一破一切破,一证成一切证成也。文虽次第,意在一心耳。
知诸法无性,而不起分别,于此相应,名“空观”;达诸法如幻,唯是假名,于此相应,名“假观”;观了诸法,非有非无,不一不异,若时若处,无不相应,名“中观”也。
于三止中,空观,即“体真止”,谓体解无性,当体即真故;假观,即“随缘止”,谓识得假名,到处可随缘故;中观,即“息边止”,亦名“不止止”,谓了非有无、一异,则二边俱可息灭,不止而止也。
“一切智”者,明知诸法本空,无二相也;“道种智”者,明知十界种性,差别不同也;“一切种智”者,明见佛性,离四句,绝百非,惑解同源,生佛莫二也。
彻照心源,名“般若”;究竟无缚,名“解脱”;一切俱是,名“法身”。各具“常、乐、我、净”,故三皆称“德”也。
【然兹三惑、三观、三智、三德,非各别也,非异时也。天然之理,具诸法故。】
此为得意者,作圆融具德说耳,此本旨也。意显迷悟修证,破立同时,不离当念,故非各别;同在刹那,故非异时。
能破是观,所破是惑,能证是智,所成是德,能所不二,修证一揆。“性具”一宗,回超诸说者,良在兹焉。
【然此三谛,性之自尔。迷兹三谛,转成三惑;惑破,藉乎三观;观成,证乎三智;智成,成乎三德。从因至果,非渐修也;说之次第,理非次第。】
此结翻迷成悟,从性起修,成因证果,展转相由也。
意谓:迷一心而起三惑,无别有迷,即迷此三谛也;如依方故有迷,惑东谓西也。悟一心而为三因,无别有悟,即悟此三谛也;如悟东西之方,分明不惑也。修一心而为三止三观,无别有修,即依三谛而修也;如人既不迷东西之路,可直道而行也。
依真谛而修,为体真止,名空观。即观一念心,当体了不可得也。
依俗谛而修,为随缘止,名假观。即观一念心,当下历历明明也。
依中谛而修,为息边止,名中观。即观一念心,当了不可得时,正历历明明;当历历明明时,正了不可得。如是则能观之观,空假不二;所观之境,真俗不二也。
证一心而为三智,无别有证,证此三谛也;成一心而为三德,无别有成,成此三谛也。如人就道而行,得路还家也。
止观是因,智德是果,因果本乎一心,故非渐修;始终不离当处,故非次第。同一三谛之理耳。
【大纲如此,网目可寻矣。】
“大纲”,指心要。“网目”,指教眼也。
教法无量,犹之弥天之网,即以谛观为“纲”,性修为“目”耳。三谛原一法,佛说种种名,龙树悟之而造论,智者证之而立宗。
佛祖授受,递代相承,莫不教人悟乎三谛,修乎三智,破乎三惑,证乎三智,成乎三德。
今则观修谛显,惑破智证,则始终之能事毕矣。故荆溪用之为“心要”,说之为“大纲”。纲提目张,观明道悟,俾学者庶免问程泣歧之叹,故曰“网目可寻矣”。#佛法看世间##修行##佛学大智慧##佛教#
【于是大觉慈尊,喟然叹曰:真如界内,绝生佛之假名;平等慧(“慧”字,有本作“会”)中,无自他之形相。】
无明大梦,虽十地、等觉诸大士,睡眠未醒,唯佛一人,可称“大觉”。乃我本师大慈悲父,称“慈尊”也。
“喟然”,是叹声。“曰”下,是叹言。前是祖叹,今是佛叹也。
“真如、平等”,都指真心妙谛。其性不妄,曰“真”;无分齐、方隅等虚妄相故不异,曰“如”。无生灭垢净等差别异故,不高不低,曰“平”;离圣解凡情见故,无党无偏,曰“等”。情与非情悉周遍,故“界、会”二字,指妙谛之范围,范围宽大,横竖赅罗也。
众生诸佛,皆“假名”耳;自己他人,皆“妄相”也。妙谛性中,都无是事,故曰“绝无”。经云:“妙性圆明,离诸名相,本来无有世界众生。”论云:“离名字相,离心缘相,究竟平等,不可变异。”此之谓也。
【但以众生妄想,不自证得,莫之能返也。】
“众生”,乃九界通称,一向在迷,从来未悟,不了真心,用诸妄想,故曰“不自证得”。
“妄想”,指三惑也。谓用见思,不证真谛;用尘沙,不证俗谛;用无明,不证中谛。
一向随想流转,不能返妄归真也。随见思流,名六凡众生;随尘沙流,名二乘众生;随无明流,名大道心众生。
【由是立乎三观,破乎三惑,证乎三智,成乎三德。】
“由是”,承接之词。承上文,接下文故。
“立乎”下,佛祖用大乘法药,对治众生之心病也。
立观,是用药;修观,是服药;破惑,是除病;证智成德,乃见效复元也。
山家用文,“三谛”准《仁王经》,“三观”准《璎珞经》,“三惑”准《智度论》,“三智”准《大品般若经》,“三德”准《大般涅盘经》也。
【空观者,破见思惑,证一切智,成般若德;假观者,破尘沙惑,证道种智,成解脱德;中观者,破无明惑,证一切种智,成法身德。】
此为不得意者,作次第说耳。其实圆顿行人,于“名字位”中,圆悟一谛三谛之理;于“观行位”中,圆起一观三观之修,全性德而起修德;“相似位”中,粗垢任运先落,脱四住烦恼也;“分证位”中,圆破三惑,圆证三智,圆成三德,所谓一悟一切悟,一修一切修,一破一切破,一证成一切证成也。文虽次第,意在一心耳。
知诸法无性,而不起分别,于此相应,名“空观”;达诸法如幻,唯是假名,于此相应,名“假观”;观了诸法,非有非无,不一不异,若时若处,无不相应,名“中观”也。
于三止中,空观,即“体真止”,谓体解无性,当体即真故;假观,即“随缘止”,谓识得假名,到处可随缘故;中观,即“息边止”,亦名“不止止”,谓了非有无、一异,则二边俱可息灭,不止而止也。
“一切智”者,明知诸法本空,无二相也;“道种智”者,明知十界种性,差别不同也;“一切种智”者,明见佛性,离四句,绝百非,惑解同源,生佛莫二也。
彻照心源,名“般若”;究竟无缚,名“解脱”;一切俱是,名“法身”。各具“常、乐、我、净”,故三皆称“德”也。
【然兹三惑、三观、三智、三德,非各别也,非异时也。天然之理,具诸法故。】
此为得意者,作圆融具德说耳,此本旨也。意显迷悟修证,破立同时,不离当念,故非各别;同在刹那,故非异时。
能破是观,所破是惑,能证是智,所成是德,能所不二,修证一揆。“性具”一宗,回超诸说者,良在兹焉。
【然此三谛,性之自尔。迷兹三谛,转成三惑;惑破,藉乎三观;观成,证乎三智;智成,成乎三德。从因至果,非渐修也;说之次第,理非次第。】
此结翻迷成悟,从性起修,成因证果,展转相由也。
意谓:迷一心而起三惑,无别有迷,即迷此三谛也;如依方故有迷,惑东谓西也。悟一心而为三因,无别有悟,即悟此三谛也;如悟东西之方,分明不惑也。修一心而为三止三观,无别有修,即依三谛而修也;如人既不迷东西之路,可直道而行也。
依真谛而修,为体真止,名空观。即观一念心,当体了不可得也。
依俗谛而修,为随缘止,名假观。即观一念心,当下历历明明也。
依中谛而修,为息边止,名中观。即观一念心,当了不可得时,正历历明明;当历历明明时,正了不可得。如是则能观之观,空假不二;所观之境,真俗不二也。
证一心而为三智,无别有证,证此三谛也;成一心而为三德,无别有成,成此三谛也。如人就道而行,得路还家也。
止观是因,智德是果,因果本乎一心,故非渐修;始终不离当处,故非次第。同一三谛之理耳。
【大纲如此,网目可寻矣。】
“大纲”,指心要。“网目”,指教眼也。
教法无量,犹之弥天之网,即以谛观为“纲”,性修为“目”耳。三谛原一法,佛说种种名,龙树悟之而造论,智者证之而立宗。
佛祖授受,递代相承,莫不教人悟乎三谛,修乎三智,破乎三惑,证乎三智,成乎三德。
今则观修谛显,惑破智证,则始终之能事毕矣。故荆溪用之为“心要”,说之为“大纲”。纲提目张,观明道悟,俾学者庶免问程泣歧之叹,故曰“网目可寻矣”。#佛法看世间##修行##佛学大智慧##佛教#
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