【原文】Vogue Japan #安室奈美惠[超话]#
安室奈美恵が去って丸4年。“アムロ後継者不在”問題について、考える。(Toru Mitani)
歌って踊るスーパーエンターテイナー、安室奈美恵が引退をして今日で4年が経った。韓国エンタメに圧倒される日本の音楽シーンだが、彼女のようなスタイルの“後継ぎ”は果たして現れるのか。そして、今の韓国アイドルの育成基盤とも言える、安室と沖縄アクターズスクールについても考察したい。
“韓国アイドル育成システム”に近しい環境で育つ。
平間至が撮影したアルバム『SWEET 19 BLUES』(1996)のヴィジュアル。一番下はシングル『ALARM』(2004)より。
2018年9月16日に芸能生活に終止符を打ち、シーンから去った安室奈美恵。彼女は今、何をしているのだろうか。彼女がメインストリームにいた時代と今を比べると、個人的には物足りなさを感じる。韓国の音楽シーンが約12、3年間かけて世界基準になったとはいえ、アラウンド2000年あたりには、彼女が韓国のクリエイターに刺激を与えていたのは紛れもない事実。J.Y.ParkはのちにNiziUを生み出すオーディションで沖縄での審査を心から楽しみにしており、その理由を「安室奈美恵さんの故郷だから」と答えていた。さまざまなインタビューで、彼は安室に影響を受けたこと、いつか楽曲提供をしたいという野望を語っていた。
過酷なダンスレッスンやボイストレーニング、さらに、高いプロ意識を育てるマインドセットなど、沖縄という島でスター育成を行っていた「沖縄アクターズスクール」で安室奈美恵が基礎を身につけたことは有名な話だ。のちに、今で言う韓国アイドルにように“デビューした瞬間からいきなり精度が高い”という現象を、4人組のガールズグループ、SPEEDが証明している(1995年デビュー)。ストイックな姿勢と真摯な音楽への取り組みで国民から高く信頼されている三浦大知(元Folder)も、アクターズ出身。「デビューができるかできないかわからないけど、それでも命がけで努力する」という姿勢あってこそ、こうしてトップアーティストが生まれるのか、と幼いながらも納得したことをよく覚えている。それを国家総出で行っているのが今の韓国。独自のアイドル育成システムなのだと思う。
ハイファッションと音楽のシンクロニシティ。
安室奈美恵は音楽プロデューサー・小室哲哉とタッグを組むことで、90年代後半から一気にスターダムに上り詰める。「You're my sunshine」(1996)で着用した「JAYRO」(トム・フォードのグッチをコピーしていたギャルブランド)のゼブラ柄スーツが巷で即完売し、その3年後には「RESPECT the POWER OF LOVE」のTVパフォーマンスでトム・フォードによる“本物”のグッチのドレスを着用──と、このように急ピッチに纏うものまで一流になっていった。コレクションピースを着用して、キレのあるダンスを披露し、エッジの効いたトラックにのせてハスキーボイスで華麗に歌う。ファッションを愛する僕にとっては、こんな極上はない!と当時は心から高揚したものだ。そして、その頃を思い出し、今の韓国の音楽シーンについて考える。ハイエンドなファッションと最先端サウンドの美しいシンクロ感。かつて安室奈美恵ができていたことを、今、韓国では何十人(何百人?)が一気にそれをやっている、という衝撃な状況なのだな、改めて驚く。どおりで僕はこの14年間、韓国カルチャーに夢中なわけだ……。
さあ、どうする日本。安室を失った今、“歌って踊る”という表現のジャンルにおいて、後継者は不在。グループではなくソロ、たったひとりであそこまで華がある人間はそうそういないだろう。おそらく全国民の中でも人見知りランキングのトップ100に食い込むのではないか?と思わせる社交性の無さ(基本的に人を疑っている、とよく話していた)と、漂う圧倒的な孤独感。彼女が踊っている時の内側にこもる切なさや侘しさ。でも、それらがストイックな姿勢と混じり合い、とんでもなく眩しすぎるオーラを放ち我々を虜にする。ライブでは口パク無し。R&B調の楽曲でコーラスとコーラスが重なる部分もなぜか全部歌う(普通は片方のコーラスは音で流して歌わない)。で、徹底的に踊る。トークもなく、ひたすら踊る。彼女のライブ、彼女によるステージはどれも超絶に一級品であった。
日本には素晴らしいシンガーソングライターやミュージシャンがたくさんいると思う。でも、“踊る”というある種のスポーツ、芸術を司るアーティストで彼女までのレベルに行ける人はもう出てこないのではないか、と思ってしまう。それほどに“安室奈美恵”という人は唯一無二であった。彼女は19年前、雑誌『FRAU』2003年3月号でこう語っていた。「歌だけなら私よりもうまい人はたくさんいるし、踊りだけでもやっぱりかなわない人はいる。でも、歌と踊り、二つがあわさったときには、絶対一番になれるという思いがある」(原文ママ)。納得。言葉通り、安室はこの二つを華麗に編み上げ、トップスター街道を進んだ。しかし、引退時にはこんなことを言っている。「私は自分がトップを走っているとは思っていないんです。私自身も、常に何かを追いかけているんだと思いますよ」(『VOGUE JAPAN』2018年10月号より)。
謙虚という姿勢と、等身大の強さ。
謙虚さ。安室奈美恵、最大の武器である。持論なので押し付けるつもりはまったくないが、僕はよくこう思っていて、親しい友人らにこれをよく話していた。「日本人特有の奥ゆかしさや他人にゆずる文化が、きっと僕たち日本人にはDNAレベルで組み込まれている。だから、R&Bサウンドが流行って、みんな無理やりアメリカナイズに“私、私”ってゴリゴリに意見をのべて、露出しているのはなんだか無理やり感がある。やっぱり、かっこいいビッチ感は本場に負ける。立ち振る舞いやファッションはもちろん個人の自由だけど、この手はダサく見える。だけど、安室は日本古来の“私なんて”文化が激しい。なのに、こんなにゴリッゴリに踊れて肌も露出してかっこいい。品がある!」(20代の僕談)と。長くなってしまったが、要は、“安室奈美恵は素直な人間だ”ということが言いたいのだ。
ありのままの自分を受け入れ、その上で付加価値を身につけたり、新しい側面を作り上げていく。そのスタイルがいつもスッと透けて見えてきて、そのスタンスに何度も何度も勇気付けられるのである。無論、今も。そういった意味で、彼女こそ元祖“ガールクラッシュ”とも言える。
──こうして9月16日に安室を振り返ってみると、彼女がいかに偉大な人物だったかを再確認できる。ギャル文化を加速させるようなメジャーな美的感覚とヴィジュアル。そして、日本ではマイナーだったR&Bサウンドへのこだわり。ポップでありながらも、ギリギリのラインで音楽性をキープするバランス感覚。引退にかけては、EDMに関してのかなり攻め込んだ取り入れ方はある意味(概念としての)“ロック”であった。さらに、ダラス・オースティンやZEDDなど世界的プロデューサーに楽曲を作ってもらうなど、今思い返すとアジアでのその手法はパイオニアだったのかもしれない。今後、安室奈美恵の存在を超えるような(この手の)アーティストが出てくるかと言われれば、「なかなかいないのでは」というのが正直なところ。でも、沖縄アクターズスクールイズムをもって、韓国を真似ることなく、日本人ならではのストイックな育成システムを構築すれば、きっとスターを生み出すことはできると思う。その時に出てくるスターは、きっとポスト・安室奈美恵とは言われないはずだ。安室級の存在感で、唯一無二のキャラクターをもって、踊り歌い倒すのだろう。
ソロではなくグループにはなるが、XGの成長に胸がワクワクしていることをふと思い出す。日本エンタメを明るく捉えたくなる、9月16日、安室奈美恵の引退日であった。
安室奈美恵が去って丸4年。“アムロ後継者不在”問題について、考える。(Toru Mitani)
歌って踊るスーパーエンターテイナー、安室奈美恵が引退をして今日で4年が経った。韓国エンタメに圧倒される日本の音楽シーンだが、彼女のようなスタイルの“後継ぎ”は果たして現れるのか。そして、今の韓国アイドルの育成基盤とも言える、安室と沖縄アクターズスクールについても考察したい。
“韓国アイドル育成システム”に近しい環境で育つ。
平間至が撮影したアルバム『SWEET 19 BLUES』(1996)のヴィジュアル。一番下はシングル『ALARM』(2004)より。
2018年9月16日に芸能生活に終止符を打ち、シーンから去った安室奈美恵。彼女は今、何をしているのだろうか。彼女がメインストリームにいた時代と今を比べると、個人的には物足りなさを感じる。韓国の音楽シーンが約12、3年間かけて世界基準になったとはいえ、アラウンド2000年あたりには、彼女が韓国のクリエイターに刺激を与えていたのは紛れもない事実。J.Y.ParkはのちにNiziUを生み出すオーディションで沖縄での審査を心から楽しみにしており、その理由を「安室奈美恵さんの故郷だから」と答えていた。さまざまなインタビューで、彼は安室に影響を受けたこと、いつか楽曲提供をしたいという野望を語っていた。
過酷なダンスレッスンやボイストレーニング、さらに、高いプロ意識を育てるマインドセットなど、沖縄という島でスター育成を行っていた「沖縄アクターズスクール」で安室奈美恵が基礎を身につけたことは有名な話だ。のちに、今で言う韓国アイドルにように“デビューした瞬間からいきなり精度が高い”という現象を、4人組のガールズグループ、SPEEDが証明している(1995年デビュー)。ストイックな姿勢と真摯な音楽への取り組みで国民から高く信頼されている三浦大知(元Folder)も、アクターズ出身。「デビューができるかできないかわからないけど、それでも命がけで努力する」という姿勢あってこそ、こうしてトップアーティストが生まれるのか、と幼いながらも納得したことをよく覚えている。それを国家総出で行っているのが今の韓国。独自のアイドル育成システムなのだと思う。
ハイファッションと音楽のシンクロニシティ。
安室奈美恵は音楽プロデューサー・小室哲哉とタッグを組むことで、90年代後半から一気にスターダムに上り詰める。「You're my sunshine」(1996)で着用した「JAYRO」(トム・フォードのグッチをコピーしていたギャルブランド)のゼブラ柄スーツが巷で即完売し、その3年後には「RESPECT the POWER OF LOVE」のTVパフォーマンスでトム・フォードによる“本物”のグッチのドレスを着用──と、このように急ピッチに纏うものまで一流になっていった。コレクションピースを着用して、キレのあるダンスを披露し、エッジの効いたトラックにのせてハスキーボイスで華麗に歌う。ファッションを愛する僕にとっては、こんな極上はない!と当時は心から高揚したものだ。そして、その頃を思い出し、今の韓国の音楽シーンについて考える。ハイエンドなファッションと最先端サウンドの美しいシンクロ感。かつて安室奈美恵ができていたことを、今、韓国では何十人(何百人?)が一気にそれをやっている、という衝撃な状況なのだな、改めて驚く。どおりで僕はこの14年間、韓国カルチャーに夢中なわけだ……。
さあ、どうする日本。安室を失った今、“歌って踊る”という表現のジャンルにおいて、後継者は不在。グループではなくソロ、たったひとりであそこまで華がある人間はそうそういないだろう。おそらく全国民の中でも人見知りランキングのトップ100に食い込むのではないか?と思わせる社交性の無さ(基本的に人を疑っている、とよく話していた)と、漂う圧倒的な孤独感。彼女が踊っている時の内側にこもる切なさや侘しさ。でも、それらがストイックな姿勢と混じり合い、とんでもなく眩しすぎるオーラを放ち我々を虜にする。ライブでは口パク無し。R&B調の楽曲でコーラスとコーラスが重なる部分もなぜか全部歌う(普通は片方のコーラスは音で流して歌わない)。で、徹底的に踊る。トークもなく、ひたすら踊る。彼女のライブ、彼女によるステージはどれも超絶に一級品であった。
日本には素晴らしいシンガーソングライターやミュージシャンがたくさんいると思う。でも、“踊る”というある種のスポーツ、芸術を司るアーティストで彼女までのレベルに行ける人はもう出てこないのではないか、と思ってしまう。それほどに“安室奈美恵”という人は唯一無二であった。彼女は19年前、雑誌『FRAU』2003年3月号でこう語っていた。「歌だけなら私よりもうまい人はたくさんいるし、踊りだけでもやっぱりかなわない人はいる。でも、歌と踊り、二つがあわさったときには、絶対一番になれるという思いがある」(原文ママ)。納得。言葉通り、安室はこの二つを華麗に編み上げ、トップスター街道を進んだ。しかし、引退時にはこんなことを言っている。「私は自分がトップを走っているとは思っていないんです。私自身も、常に何かを追いかけているんだと思いますよ」(『VOGUE JAPAN』2018年10月号より)。
謙虚という姿勢と、等身大の強さ。
謙虚さ。安室奈美恵、最大の武器である。持論なので押し付けるつもりはまったくないが、僕はよくこう思っていて、親しい友人らにこれをよく話していた。「日本人特有の奥ゆかしさや他人にゆずる文化が、きっと僕たち日本人にはDNAレベルで組み込まれている。だから、R&Bサウンドが流行って、みんな無理やりアメリカナイズに“私、私”ってゴリゴリに意見をのべて、露出しているのはなんだか無理やり感がある。やっぱり、かっこいいビッチ感は本場に負ける。立ち振る舞いやファッションはもちろん個人の自由だけど、この手はダサく見える。だけど、安室は日本古来の“私なんて”文化が激しい。なのに、こんなにゴリッゴリに踊れて肌も露出してかっこいい。品がある!」(20代の僕談)と。長くなってしまったが、要は、“安室奈美恵は素直な人間だ”ということが言いたいのだ。
ありのままの自分を受け入れ、その上で付加価値を身につけたり、新しい側面を作り上げていく。そのスタイルがいつもスッと透けて見えてきて、そのスタンスに何度も何度も勇気付けられるのである。無論、今も。そういった意味で、彼女こそ元祖“ガールクラッシュ”とも言える。
──こうして9月16日に安室を振り返ってみると、彼女がいかに偉大な人物だったかを再確認できる。ギャル文化を加速させるようなメジャーな美的感覚とヴィジュアル。そして、日本ではマイナーだったR&Bサウンドへのこだわり。ポップでありながらも、ギリギリのラインで音楽性をキープするバランス感覚。引退にかけては、EDMに関してのかなり攻め込んだ取り入れ方はある意味(概念としての)“ロック”であった。さらに、ダラス・オースティンやZEDDなど世界的プロデューサーに楽曲を作ってもらうなど、今思い返すとアジアでのその手法はパイオニアだったのかもしれない。今後、安室奈美恵の存在を超えるような(この手の)アーティストが出てくるかと言われれば、「なかなかいないのでは」というのが正直なところ。でも、沖縄アクターズスクールイズムをもって、韓国を真似ることなく、日本人ならではのストイックな育成システムを構築すれば、きっとスターを生み出すことはできると思う。その時に出てくるスターは、きっとポスト・安室奈美恵とは言われないはずだ。安室級の存在感で、唯一無二のキャラクターをもって、踊り歌い倒すのだろう。
ソロではなくグループにはなるが、XGの成長に胸がワクワクしていることをふと思い出す。日本エンタメを明るく捉えたくなる、9月16日、安室奈美恵の引退日であった。
民国时期,一名男子被汽车撞倒当场死亡,肇事车辆逃逸。路人吓得都不敢靠近,只有两名当兵的敢走过去,嘴里说着:“太惨了!”。
这起交通事故,发生得太突然了。一些看热闹的路人,远远地站在马路牙子上朝这边看。
当时,汽车在中国还算是个稀罕物,但是街道狭窄,没有专用的行车道,马车、人力车和汽车交织在一起。
能买得起汽车的,都不是一般人。有些人开起车来横冲直撞,根本不考虑路人的安全。出现交通事故就在所难免了,有些还肇事后驾车逃逸。
据统计,1931年,南京市内汽车有1158辆,由汽车引发的交通事故就有503起,平均2辆车就发生1起事故。
事故导致8人死亡8、265人受伤;汽车撞坏房屋5间、人力车及马车31辆;连交通指挥亭也被撞坏6处。
到了1932年,由汽车引发的交通事故140起,撞死17人,受伤139人。数据触目惊心!
另据北平电车公司统计:1945年上半年,发生军车刮碰电车事故46起,肇事后逃逸的31起。其中国民党军车发生40起,逃逸27起;美国军车发生6起,逃逸4起。
有的军车肇事后未能逃脱,被群众拦住,警察处理时也很费周折,往往不了了之。
当时,民国政府也颁布有一些交通法规。比如:任何人不得违章行走,服从巡捕指挥,车辆限速行驶,保持车距,不准在酒醉后或体质不佳时驾车。开车人非需要时不准用喇叭等。
叹古惜今,行车无小事,处处需谨慎,安全大于天。
这起交通事故,发生得太突然了。一些看热闹的路人,远远地站在马路牙子上朝这边看。
当时,汽车在中国还算是个稀罕物,但是街道狭窄,没有专用的行车道,马车、人力车和汽车交织在一起。
能买得起汽车的,都不是一般人。有些人开起车来横冲直撞,根本不考虑路人的安全。出现交通事故就在所难免了,有些还肇事后驾车逃逸。
据统计,1931年,南京市内汽车有1158辆,由汽车引发的交通事故就有503起,平均2辆车就发生1起事故。
事故导致8人死亡8、265人受伤;汽车撞坏房屋5间、人力车及马车31辆;连交通指挥亭也被撞坏6处。
到了1932年,由汽车引发的交通事故140起,撞死17人,受伤139人。数据触目惊心!
另据北平电车公司统计:1945年上半年,发生军车刮碰电车事故46起,肇事后逃逸的31起。其中国民党军车发生40起,逃逸27起;美国军车发生6起,逃逸4起。
有的军车肇事后未能逃脱,被群众拦住,警察处理时也很费周折,往往不了了之。
当时,民国政府也颁布有一些交通法规。比如:任何人不得违章行走,服从巡捕指挥,车辆限速行驶,保持车距,不准在酒醉后或体质不佳时驾车。开车人非需要时不准用喇叭等。
叹古惜今,行车无小事,处处需谨慎,安全大于天。
【强党性 勇担当 善作为--新城街道办事处三商社区党支部作风提升能力纪实】
商丘市睢阳区新城街道办事处三商社区党支部把基层工作作为锤炼干部能力和作风的主战场,推动深化作风建设、狠抓工作落实专项行动走深走实。
强党性担使命,践初心。该办事处社区党支部是党的基层堡垒,小到居民的生活琐事,大到市民的出行安全。前不久,很多市民反映三商社区辖区西高速古城收费站连接路,有段长30余米,宽22米近700平米损坏严重、无排水水道,积水严重,给当地居民和上下高速车辆出行带来诸多不便。9月11日上午,新城街道办事处党工委、政府及三商社区主要领导亲临现场查看,迅速行动,组织相关技术部门对此段道路区域进行测量、评估,做出了合理的预算和精心设计方案。
该办事处党工委书记曹永升要求施工单位严格按照公路建设技术质量标准,严把质量关力争12小时内完成此路段的修复工程任务。并把此任务交给三商社区抓好督查落实。9月11日中午2点,社区通过各种渠道协调了摊铺机、震动机,自卸车,胶轮机等专业大型机械15台,施工人员50余人调配到位。傍晚6点,副主任侯杰、孙平原、谢尊玉及社区“两委”成员立即组织人员清理了施工现场,联系了施工队伍,商定了施工事宜,全程紧盯,加班加点,在6个小时内完成一条宽敞平展厚度20公分的沥青路面铺设工作,提升了周边群众和商户的获得感、幸福感、安全感,受到了社会各界的一致好评。
勇担当争先锋,做表率。疫情防控、安全生产、综合治理、人居环境等工作中三商社区党员干部闻令而动、听令而行、党员亮身份,冲锋在前,干部觉悟高,奉献在前,切实发挥模范作用。
据了解,此路段位于梁园区水池铺乡沈坟村,道路修缮前,因道路不通,东向行驶车辆都是逆向而行,车流量大。眼下是秋收季节,附近村民又把路面当成晒场,增加更大安全隐患。三商社区党支部见此情况,及时成立了由支部书记孙平原任组长,社区“两委”成员、工作人员为成员的道路疏通小组,每天早6点到晚8点,持续10天不间断在此路口值班,指引过往车辆进入正常车道,并组织工作人员帮助村民清除在道路上的秋作物,组织辖区的环卫工人清扫道路,并向村民普及道路安全知识。大家用自己的言行影响和带动群众,自觉配合一切工作。
善作为转作风,抓落实。从发现问题到解决问题,三商社区在新城街道办事处党工委、政府的引领下,仅用了22小时就解决了市民反映的问题。道路完工后第一时间内,街道党工委、政府主要领导召开现场会。社区孙平原书记说:“我们要真抓实干,全面融入到工作中,书写三商社区精彩篇章”。(徐 勇)
商丘市睢阳区新城街道办事处三商社区党支部把基层工作作为锤炼干部能力和作风的主战场,推动深化作风建设、狠抓工作落实专项行动走深走实。
强党性担使命,践初心。该办事处社区党支部是党的基层堡垒,小到居民的生活琐事,大到市民的出行安全。前不久,很多市民反映三商社区辖区西高速古城收费站连接路,有段长30余米,宽22米近700平米损坏严重、无排水水道,积水严重,给当地居民和上下高速车辆出行带来诸多不便。9月11日上午,新城街道办事处党工委、政府及三商社区主要领导亲临现场查看,迅速行动,组织相关技术部门对此段道路区域进行测量、评估,做出了合理的预算和精心设计方案。
该办事处党工委书记曹永升要求施工单位严格按照公路建设技术质量标准,严把质量关力争12小时内完成此路段的修复工程任务。并把此任务交给三商社区抓好督查落实。9月11日中午2点,社区通过各种渠道协调了摊铺机、震动机,自卸车,胶轮机等专业大型机械15台,施工人员50余人调配到位。傍晚6点,副主任侯杰、孙平原、谢尊玉及社区“两委”成员立即组织人员清理了施工现场,联系了施工队伍,商定了施工事宜,全程紧盯,加班加点,在6个小时内完成一条宽敞平展厚度20公分的沥青路面铺设工作,提升了周边群众和商户的获得感、幸福感、安全感,受到了社会各界的一致好评。
勇担当争先锋,做表率。疫情防控、安全生产、综合治理、人居环境等工作中三商社区党员干部闻令而动、听令而行、党员亮身份,冲锋在前,干部觉悟高,奉献在前,切实发挥模范作用。
据了解,此路段位于梁园区水池铺乡沈坟村,道路修缮前,因道路不通,东向行驶车辆都是逆向而行,车流量大。眼下是秋收季节,附近村民又把路面当成晒场,增加更大安全隐患。三商社区党支部见此情况,及时成立了由支部书记孙平原任组长,社区“两委”成员、工作人员为成员的道路疏通小组,每天早6点到晚8点,持续10天不间断在此路口值班,指引过往车辆进入正常车道,并组织工作人员帮助村民清除在道路上的秋作物,组织辖区的环卫工人清扫道路,并向村民普及道路安全知识。大家用自己的言行影响和带动群众,自觉配合一切工作。
善作为转作风,抓落实。从发现问题到解决问题,三商社区在新城街道办事处党工委、政府的引领下,仅用了22小时就解决了市民反映的问题。道路完工后第一时间内,街道党工委、政府主要领导召开现场会。社区孙平原书记说:“我们要真抓实干,全面融入到工作中,书写三商社区精彩篇章”。(徐 勇)
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