妈妈的味道
おふくろの味
蓝天,白云,青山,绿水,葡萄园,农家乐。这是我老家的一幅素描。
青い空、白い雲、緑の山、澄んだ水、ブドウ畑に農家レストラン。これが私の故郷の描写だ。
已将近两个月没回老家看望父母,听老妈在电话里唠叨:“俺这里天天有城里人来玩儿,俺和你爸在家里鼓捣农家菜,生意还蛮好。要不,你们抽空回来看看?”
すでに二カ月近く実家の両親に会いに帰っておらず、母が電話で「ここには毎日都会から人が遊びに来ているから、父さんと私は家で田舎料理を振舞っていて、すごくはやっているんだよ。お前たちも時間を作って見に来ないかい?」とくどくど言うのを聞いていた。
我的语气有些心疼和埋怨:“这么一把年纪了,莫折腾,身体要紧。钱是赚不完的,没病没灾最重要。”
私の口ぶりには心配と恨みがこもっていたに違いない。「もういい年なんだから、無理しないで、体を休めたら? お金はいくら稼いでも限りがないし、無病息災が何よりだよ」と言った。
国庆节,我们一家三口回了趟老家。我慢慢有一种感觉,随着年龄的增长,也就越来越眷念父母。
国慶節にわれわれ一家3人は帰省した。私は年をとるにつれ、両親を慕う気持ちが募っていくのを感じ始めていた。
透过车窗,远远地就看见老家院子里停了好几辆小轿车。
車の窓ガラスを通して、遠くの実家の敷地に何台もの乗用車が止まっているのが見えた。
下了车,只见老家的堂屋里热闹得很,摆了四个大方桌,有八人一桌的,也有十人一桌的。还有堂屋最里面的那一桌,呼啦啦有十三四个人,长板凳坐不下了,有的人干脆就站着吃饭。
車を降りると、実家の母屋の中がとても賑やかで、4つの大きな四角いテーブルが置かれ、一卓に8人、一卓に10人が座っているのが見えた。さらに最も奥にあるテーブルには、ぎっしりと13、4人がひしめいていて、長椅子に座りきれずに、立って食べている人すらいた。
老妈在厨房里大显身手,忙得不亦乐乎;老爸在堂屋里端茶递水,笑容顺着皱纹爬满黝黑的脸。
母さんは台所で腕を振るっており、てんてこまいで立ち働いていた。父さんはお茶を運んだり、水を渡したりしていて、笑顔がしわとともに浅黒い顔いっぱいに広がっていた。
堂屋里的四桌食客,以为我们一家三口也是来吃饭的客人,有个高个子自豪地说:“你们来迟了,这家有规定,每餐只接待四桌,你们去找别家吧。”
母屋にいた4つのテーブルのお客さんは、われわれ一家3人が食事に来た客だと思い、背の高い男が自慢げに、「遅かったね。この家には一回の食事に4テーブル分の客しかとらないという決まりがあるんだ。別の家を探しにいきなよ」と言った。
我领着老婆和儿子向爸妈打了招呼,爸妈也没时间和我们闲聊,一脸兴奋,继续忙着生意。
私は妻と息子を連れて両親にあいさつをしに行ったが、両親はおしゃべりしている時間すらなく、興奮を顔に浮かべ、忙しそうに仕事を続けた。
等客人走得差不多了,老妈激动地告诉我:“今天又赚了四百多块,这个月少说也有一万出头。”
客がほぼ去ったとき、母は興奮した様子で私に言った。「今日もまた400元以上稼いだわ。今月は少なくとも1万元はいったわね」
我和老婆也跟着激动起来:“看看这大好形势,如果请个大厨和几个帮手,扩大规模,弄个十桌八桌的,那每天不是赚得更多吗?”
私と妻もそれに続いて興奮してきて、「こりゃ、いい調子だね。もしコックと数人の助手を雇って規模を拡大し、8テーブルや10テーブルにしたら、毎日もっとたくさん稼げるんじゃないの?」と言った。
老妈淡定地回着:“这可不行,每餐只能开四桌,这是规矩。俺也不想请人帮工,俺必须亲自掌厨。”
母さんは落ち着いて「それはダメよ。毎回4テーブルだけ。これは決まりなの。誰かに手伝ってもらいたいとも思わない。自分でつくらなきゃ」と答えた。
老爸倾向于我和老婆的想法:“咱还是试试吧,雇几个人帮忙,咱自个儿也轻松一些。”
父さんは私と妻の考えに傾いたらしく、「やってみてもいいんじゃないか、何人か雇って手伝ってもらえば、俺たちも楽になる」と言った。
老妈还是保留“每餐四桌”和“亲自掌厨”的意见。
母さんはやはり「毎回4テーブルのみ」と「自ら作る」という意見を変えなかった。
老爸联合我和老婆,不顾老妈的坚决反对,还是请了大厨和帮手,餐桌也翻了三倍,几间正房全部派上了用场。只是让老妈失了业。
父さんは私と妻の側につき、母の絶対反対を顧みず、コックと手伝いを雇おう、テーブルも3倍に増やし、母屋の数部屋全部を使おう。ただ母さんは失業させることになるね、ということになった。
#你有过回光返照式的感情吗##空瓶记##盲盒#
第一天,生意好,十二桌,餐餐座无虚席。老妈呆在一边,一天没说一句话。
一日目、商売は順調で、毎食12テーブルが埋まった。母さんは傍らに立ち尽くし、一日中、一言も口をきかなかった。
第二天,奇了怪,中午只有一桌客人,晚餐一个人也没有,客人们都上别家排队去了。
二日目、不思議なことに昼にテーブル1つ分の客しかなく、夜には1人も来ず、客はみな別の家で並んでいた。
老妈气呼呼地吵闹着:“你们不听俺的意见,一门心思就想赚大钱,不管客人们想吃啥味道。俺是想多赚点钱,可俺有赚钱的原则。这回可好,一分钱都没赚到,还要倒贴大厨和帮工的工钱。”
母さんは怒り狂って騒いだ。「私の意見も聞かず、ただ金儲けだけを狙って、お客さんがどんな味を求めているかも考えないなんて。私もお金はたくさん稼ぎたいけど、私にはお金を稼ぐための原則っていうものがあるの。ほら見てみなさい、お金はまったく稼げないのに、コックと助手の手当ては払わなきゃいけない」
第三天,一个客人也没有。老爸急了,我和老婆也急了。老妈看起来一点也不急,似乎还有些幸灾乐祸。
三日目、1人の客も来ず、父さんは焦り、私と妻も焦った。母はまったく焦る様子はなく、他人の不幸を喜んでいるかのようだった。
第四天,老妈不动声色地辞了大厨和帮工,撤掉了多余的桌椅,只留下了堂屋里的四大桌,又亲自走进了厨房。
四日目、母は顔色一つ変えずにコックと助手に首を言い渡し、余分なテーブルと椅子を片付け、母屋の中に4つの大テーブルだけ残して、再び自ら台所に入っていった。
说来也怪,老妈重新上岗的那天,堂屋里的四大桌,又恢复了往日的光景,餐餐爆满,预定电话接二连三。
不思議なことに、母さんが戻った日、母屋の4つの大テーブルにかつての光景がよみがえり、毎食満員御礼で、予約の電話も相次いだ。
国庆节最后一天,正当我们一家三口准备打道回府的时候,几个常来吃饭的年轻老板,专车送给老妈一块匾牌,还坚持要老妈亲自扯下蒙在匾牌上的红色丝绸,瞬间,五个金色的大字光彩夺目:妈妈的味道。
国慶節の最後の1日、われわれ一家3人が帰宅する準備をしている時、いつもご飯を食べに来ていた数人の若い社長たちが、わざわざ母さんに額をプレゼントしに来た。さらに母さん自身にこの額にかけられた赤いシルクをめくらせたが、その瞬間、「おふくろの味」というまばゆい金文字が目を奪った。
当我陪同那几个年轻老板吃饭时,我用心地品味着老妈的饭菜,这让我回想起了儿时的那种滋味。我猛然醒悟:其实,妈妈坚守的就是那种原始的味道。
私がその若い社長たちに付き添って食事をした時、慎重に母の作った食事を味わうと、子供の頃に食べたあの味が記憶によみがえった。私はその時、母さんが守っていたのは、この昔のまんまの味なのだと、はたと悟ったのだ。
おふくろの味
蓝天,白云,青山,绿水,葡萄园,农家乐。这是我老家的一幅素描。
青い空、白い雲、緑の山、澄んだ水、ブドウ畑に農家レストラン。これが私の故郷の描写だ。
已将近两个月没回老家看望父母,听老妈在电话里唠叨:“俺这里天天有城里人来玩儿,俺和你爸在家里鼓捣农家菜,生意还蛮好。要不,你们抽空回来看看?”
すでに二カ月近く実家の両親に会いに帰っておらず、母が電話で「ここには毎日都会から人が遊びに来ているから、父さんと私は家で田舎料理を振舞っていて、すごくはやっているんだよ。お前たちも時間を作って見に来ないかい?」とくどくど言うのを聞いていた。
我的语气有些心疼和埋怨:“这么一把年纪了,莫折腾,身体要紧。钱是赚不完的,没病没灾最重要。”
私の口ぶりには心配と恨みがこもっていたに違いない。「もういい年なんだから、無理しないで、体を休めたら? お金はいくら稼いでも限りがないし、無病息災が何よりだよ」と言った。
国庆节,我们一家三口回了趟老家。我慢慢有一种感觉,随着年龄的增长,也就越来越眷念父母。
国慶節にわれわれ一家3人は帰省した。私は年をとるにつれ、両親を慕う気持ちが募っていくのを感じ始めていた。
透过车窗,远远地就看见老家院子里停了好几辆小轿车。
車の窓ガラスを通して、遠くの実家の敷地に何台もの乗用車が止まっているのが見えた。
下了车,只见老家的堂屋里热闹得很,摆了四个大方桌,有八人一桌的,也有十人一桌的。还有堂屋最里面的那一桌,呼啦啦有十三四个人,长板凳坐不下了,有的人干脆就站着吃饭。
車を降りると、実家の母屋の中がとても賑やかで、4つの大きな四角いテーブルが置かれ、一卓に8人、一卓に10人が座っているのが見えた。さらに最も奥にあるテーブルには、ぎっしりと13、4人がひしめいていて、長椅子に座りきれずに、立って食べている人すらいた。
老妈在厨房里大显身手,忙得不亦乐乎;老爸在堂屋里端茶递水,笑容顺着皱纹爬满黝黑的脸。
母さんは台所で腕を振るっており、てんてこまいで立ち働いていた。父さんはお茶を運んだり、水を渡したりしていて、笑顔がしわとともに浅黒い顔いっぱいに広がっていた。
堂屋里的四桌食客,以为我们一家三口也是来吃饭的客人,有个高个子自豪地说:“你们来迟了,这家有规定,每餐只接待四桌,你们去找别家吧。”
母屋にいた4つのテーブルのお客さんは、われわれ一家3人が食事に来た客だと思い、背の高い男が自慢げに、「遅かったね。この家には一回の食事に4テーブル分の客しかとらないという決まりがあるんだ。別の家を探しにいきなよ」と言った。
我领着老婆和儿子向爸妈打了招呼,爸妈也没时间和我们闲聊,一脸兴奋,继续忙着生意。
私は妻と息子を連れて両親にあいさつをしに行ったが、両親はおしゃべりしている時間すらなく、興奮を顔に浮かべ、忙しそうに仕事を続けた。
等客人走得差不多了,老妈激动地告诉我:“今天又赚了四百多块,这个月少说也有一万出头。”
客がほぼ去ったとき、母は興奮した様子で私に言った。「今日もまた400元以上稼いだわ。今月は少なくとも1万元はいったわね」
我和老婆也跟着激动起来:“看看这大好形势,如果请个大厨和几个帮手,扩大规模,弄个十桌八桌的,那每天不是赚得更多吗?”
私と妻もそれに続いて興奮してきて、「こりゃ、いい調子だね。もしコックと数人の助手を雇って規模を拡大し、8テーブルや10テーブルにしたら、毎日もっとたくさん稼げるんじゃないの?」と言った。
老妈淡定地回着:“这可不行,每餐只能开四桌,这是规矩。俺也不想请人帮工,俺必须亲自掌厨。”
母さんは落ち着いて「それはダメよ。毎回4テーブルだけ。これは決まりなの。誰かに手伝ってもらいたいとも思わない。自分でつくらなきゃ」と答えた。
老爸倾向于我和老婆的想法:“咱还是试试吧,雇几个人帮忙,咱自个儿也轻松一些。”
父さんは私と妻の考えに傾いたらしく、「やってみてもいいんじゃないか、何人か雇って手伝ってもらえば、俺たちも楽になる」と言った。
老妈还是保留“每餐四桌”和“亲自掌厨”的意见。
母さんはやはり「毎回4テーブルのみ」と「自ら作る」という意見を変えなかった。
老爸联合我和老婆,不顾老妈的坚决反对,还是请了大厨和帮手,餐桌也翻了三倍,几间正房全部派上了用场。只是让老妈失了业。
父さんは私と妻の側につき、母の絶対反対を顧みず、コックと手伝いを雇おう、テーブルも3倍に増やし、母屋の数部屋全部を使おう。ただ母さんは失業させることになるね、ということになった。
#你有过回光返照式的感情吗##空瓶记##盲盒#
第一天,生意好,十二桌,餐餐座无虚席。老妈呆在一边,一天没说一句话。
一日目、商売は順調で、毎食12テーブルが埋まった。母さんは傍らに立ち尽くし、一日中、一言も口をきかなかった。
第二天,奇了怪,中午只有一桌客人,晚餐一个人也没有,客人们都上别家排队去了。
二日目、不思議なことに昼にテーブル1つ分の客しかなく、夜には1人も来ず、客はみな別の家で並んでいた。
老妈气呼呼地吵闹着:“你们不听俺的意见,一门心思就想赚大钱,不管客人们想吃啥味道。俺是想多赚点钱,可俺有赚钱的原则。这回可好,一分钱都没赚到,还要倒贴大厨和帮工的工钱。”
母さんは怒り狂って騒いだ。「私の意見も聞かず、ただ金儲けだけを狙って、お客さんがどんな味を求めているかも考えないなんて。私もお金はたくさん稼ぎたいけど、私にはお金を稼ぐための原則っていうものがあるの。ほら見てみなさい、お金はまったく稼げないのに、コックと助手の手当ては払わなきゃいけない」
第三天,一个客人也没有。老爸急了,我和老婆也急了。老妈看起来一点也不急,似乎还有些幸灾乐祸。
三日目、1人の客も来ず、父さんは焦り、私と妻も焦った。母はまったく焦る様子はなく、他人の不幸を喜んでいるかのようだった。
第四天,老妈不动声色地辞了大厨和帮工,撤掉了多余的桌椅,只留下了堂屋里的四大桌,又亲自走进了厨房。
四日目、母は顔色一つ変えずにコックと助手に首を言い渡し、余分なテーブルと椅子を片付け、母屋の中に4つの大テーブルだけ残して、再び自ら台所に入っていった。
说来也怪,老妈重新上岗的那天,堂屋里的四大桌,又恢复了往日的光景,餐餐爆满,预定电话接二连三。
不思議なことに、母さんが戻った日、母屋の4つの大テーブルにかつての光景がよみがえり、毎食満員御礼で、予約の電話も相次いだ。
国庆节最后一天,正当我们一家三口准备打道回府的时候,几个常来吃饭的年轻老板,专车送给老妈一块匾牌,还坚持要老妈亲自扯下蒙在匾牌上的红色丝绸,瞬间,五个金色的大字光彩夺目:妈妈的味道。
国慶節の最後の1日、われわれ一家3人が帰宅する準備をしている時、いつもご飯を食べに来ていた数人の若い社長たちが、わざわざ母さんに額をプレゼントしに来た。さらに母さん自身にこの額にかけられた赤いシルクをめくらせたが、その瞬間、「おふくろの味」というまばゆい金文字が目を奪った。
当我陪同那几个年轻老板吃饭时,我用心地品味着老妈的饭菜,这让我回想起了儿时的那种滋味。我猛然醒悟:其实,妈妈坚守的就是那种原始的味道。
私がその若い社長たちに付き添って食事をした時、慎重に母の作った食事を味わうと、子供の頃に食べたあの味が記憶によみがえった。私はその時、母さんが守っていたのは、この昔のまんまの味なのだと、はたと悟ったのだ。
【奋斗者正青春 | 马元鹏:严守国门的“攀登者”】
“一、二、三……”每当看到马元鹏收拾行李,儿子明明就会站在挂历前,认真地指着日期数出二十几天,这段时间他又要见不到爸爸了。
“爸爸要去海上捉一只叫‘奥密克戎’的怪兽,你乖乖在家等爸爸回来,好吗?”面对儿子的不舍,身为大连港湾海关检疫监管科科长的马元鹏,一边抚摸着他的小脑瓜,一边这样跟他解释。
2020年,新冠肺炎疫情暴发,当时马元鹏正在河南老家过年。得到单位疫情通报后,他主动提出返回工作岗位,加入疫情防控党员突击队。“我是预防医学和流行病专业研究生毕业,守住国门,外防输入,我义不容辞。”马元鹏说。
从2020年年初到现在,马元鹏坚守在国门一线,其中经历了9个轮次累计230余天的封闭工作。
大连港湾海关辖区因出入境船舶数量众多,疫情经水路口岸输入风险居高不下。执行任务时,马元鹏和同事身着防护服、手提核酸采样箱在岸边或海上对进出境船舶进行登临检疫,对船舶环境卫生及船上食品、饮水等进行监督检查,对每名船上人员进行测温、流调,采集鼻拭子、咽拭子。下船后,还要第一时间将样本送回实验室检测,并及时向船舶反馈检测结果。
“登临检疫既要提高核酸采样精准度,又要降低职业暴露风险,我通过查阅视频、收集资料,并对着镜子拿自己做实验,摸索着总结出了‘采样诀窍’。现在,这一采样方法已经成为我们单位检疫人员的必修课。”
今年7月以来,大连持续高温,入境船舶检疫工作量也达到了峰值。马元鹏带领同事们不畏酷暑,每天平均登临检疫4~6艘入境船舶,工作时间累计在6小时以上。每次登临检疫,手都会被汗水浸得发白褶皱,浑身被汗水湿透还冒着热气。
需要战胜的不仅仅是酷暑。登临检疫经常要乘小船前往锚地,身着防护服攀爬二十余米的软梯登上几十万吨级的油轮。在下船时,一旦海上起了风浪,拉开了小船与大船的距离,只能紧紧抓住软梯,等待风浪稍平,确保小船靠近大船在安全范围内,才能继续往下爬,稍有不慎,就会被两船夹伤或坠入海中。
自疫情暴发以来,大连港湾海关累计完成了对3700余艘次出入境船舶的登临检疫。马元鹏也被评为全国海关系统抗击新冠肺炎疫情先进个人、大连海关2021年度优秀共产党员,并多次获得嘉奖和通报表扬。
时至今日,马元鹏依然奋战在新冠肺炎疫情防控第一线。他说,这轮封闭结束后,最想做的事是陪儿子爬大连最高的大黑山,远眺他工作的港口码头,教儿子背诵《水调歌头·重上井冈山》,分享他对“世上无难事,只要肯登攀”的感悟。
“一、二、三……”每当看到马元鹏收拾行李,儿子明明就会站在挂历前,认真地指着日期数出二十几天,这段时间他又要见不到爸爸了。
“爸爸要去海上捉一只叫‘奥密克戎’的怪兽,你乖乖在家等爸爸回来,好吗?”面对儿子的不舍,身为大连港湾海关检疫监管科科长的马元鹏,一边抚摸着他的小脑瓜,一边这样跟他解释。
2020年,新冠肺炎疫情暴发,当时马元鹏正在河南老家过年。得到单位疫情通报后,他主动提出返回工作岗位,加入疫情防控党员突击队。“我是预防医学和流行病专业研究生毕业,守住国门,外防输入,我义不容辞。”马元鹏说。
从2020年年初到现在,马元鹏坚守在国门一线,其中经历了9个轮次累计230余天的封闭工作。
大连港湾海关辖区因出入境船舶数量众多,疫情经水路口岸输入风险居高不下。执行任务时,马元鹏和同事身着防护服、手提核酸采样箱在岸边或海上对进出境船舶进行登临检疫,对船舶环境卫生及船上食品、饮水等进行监督检查,对每名船上人员进行测温、流调,采集鼻拭子、咽拭子。下船后,还要第一时间将样本送回实验室检测,并及时向船舶反馈检测结果。
“登临检疫既要提高核酸采样精准度,又要降低职业暴露风险,我通过查阅视频、收集资料,并对着镜子拿自己做实验,摸索着总结出了‘采样诀窍’。现在,这一采样方法已经成为我们单位检疫人员的必修课。”
今年7月以来,大连持续高温,入境船舶检疫工作量也达到了峰值。马元鹏带领同事们不畏酷暑,每天平均登临检疫4~6艘入境船舶,工作时间累计在6小时以上。每次登临检疫,手都会被汗水浸得发白褶皱,浑身被汗水湿透还冒着热气。
需要战胜的不仅仅是酷暑。登临检疫经常要乘小船前往锚地,身着防护服攀爬二十余米的软梯登上几十万吨级的油轮。在下船时,一旦海上起了风浪,拉开了小船与大船的距离,只能紧紧抓住软梯,等待风浪稍平,确保小船靠近大船在安全范围内,才能继续往下爬,稍有不慎,就会被两船夹伤或坠入海中。
自疫情暴发以来,大连港湾海关累计完成了对3700余艘次出入境船舶的登临检疫。马元鹏也被评为全国海关系统抗击新冠肺炎疫情先进个人、大连海关2021年度优秀共产党员,并多次获得嘉奖和通报表扬。
时至今日,马元鹏依然奋战在新冠肺炎疫情防控第一线。他说,这轮封闭结束后,最想做的事是陪儿子爬大连最高的大黑山,远眺他工作的港口码头,教儿子背诵《水调歌头·重上井冈山》,分享他对“世上无难事,只要肯登攀”的感悟。
#四川泸定6.8级地震# #震中警:“磨西之子”回乡救援,仅和家人见了一面#
韩杨,男,28岁,德格县公安局网安大队民警,2017年7月入警,5年来,先后获得优秀民警4次,荣获优秀公务员1次;甘孜州泸定县6.8级地震发生后,家住泸定县磨西镇的他,第一时间申请回乡救灾,目前在燕子沟镇新兴村安置点警务室工作。
甘孜州泸定县6.8级地震来袭,磨西镇、燕子沟镇等地成为急需救援的“生命孤岛”,甘孜州、县公安机关投入874名警力全力以赴展开震后抢险救援各项工作。
家住泸定县磨西镇的韩杨,是德格县公安局网安大队的民警,地震发生时正在康定出差,得知家乡受灾后,他立即向州、县局申请,回乡救灾。9月5日,继240名先遣特警队员出发后,韩杨等80名甘孜州公安局紧急救援队向震中进发。
转移群众,抢险救灾,引导群众情绪,维持安置点秩序......过去的一周,他和救援队把受灾群众的生命财产安全置顶心间,把抗震救灾守护泸定的使命扛在肩上,做家乡的好儿子、人民的好警察。
● 仅见了家人一面
9月5日12时52分,四川泸定县地动山摇、山河破碎、众多房屋倾塌;顷刻间,通讯中断,电力受损,道路垮塌。“震中磨西镇失联,韩杨的家就在镇上,心急如焚。”当即他加入甘孜州公安局紧急救援队。
“韩杨娃儿,是你不。”当日下午19时许,在海螺沟分局安置点,正在巡逻排险的他与家人会上了可贵的“一面之缘”,互报平安后,他与战友们又走向下一个安置点巡逻排险。
通讯中断,家人失联,见上这一面他足足期盼4个小时。他说:“到了震中家乡,却不知道家人平安与否,这点他很担心。”冷清、恐慌,躲过天灾后的亲人见面,亲情在这一刻被放大。“我们都平安,还有很多人等到你们去救,注意安全。”就这样,他奔向危难中的父老乡亲。
从小在这里长大,巡逻搜救他最适合。
“牌匾上有电话号码,快打电话。”他回忆,他们经过一家销售银饰的店面时,发现门店大门破坏破损严重,店里还有不少散落的饰品;他和战友们拿出电话,及时告知经营商,保全了财物。
黑夜来袭,仍面临余震风险。街道上有障碍物,他们挪出一条条生命通道;墙体有倒塌的危险,他们排除一道道险情;逐栋楼房排查,他们竭力呼唤力争一个都不能少......
这一晚,他们走完磨西镇3条街道,回到驻地时,已是凌晨4点钟。大家简单吃了些饼干休整后,又出发了。
● 靠谱,我们心安
燕子沟镇新兴村,距离磨西镇七八公里,受灾情影响,需要安置近300人。9月6日,得知燕子沟镇新兴村安置点缺少警力后,韩杨等4名警务人员主动请缨,来到燕子沟镇新兴村安置点开启救灾模式。
“物资到了,搬东西!”当日清晨7点,随着一辆大型货车驶入新兴小学院坝,驻守警务人员、本地民兵等10余人开始了搭起了帐篷。此外,床垫、被子、厨具等抗震救灾物资相继运送到安置点;搬物资成了这一天话题。
在救灾人员和当地群众的帮助下,当晚21时许,2顶大棚、24顶帐篷拔地而起,能够容纳270余人的“温室”投入使用。工作中,甚至出现过民兵搬了一上午的矿泉水后晕倒在地的心疼小插曲;在大家的努力下,安置点的群众也吃上了热菜。
“清晨打扫卫生,早饭后开始维持核酸检测采样现场秩序,午饭后运柴火,物资来了就搬物资,夜间还要排查每个帐篷有无漏电隐患,排查周边是否有安全隐患。”据韩杨介绍,这段时间尽管只有4名警务人员,也会换班守通宵。
夜幕下,大家在帐篷外点起篝火,一边取暖一边聊天。“警察,关键时刻,靠谱;也让我们心安。”喜芸瑛是燕子沟镇新兴村安置点的一名志愿者,聊天中透露出对甘孜警队的认可与赞扬。
● 坚强乐观,感染人
地震无情人有爱,公益电影暖人心——9月9日晚,在上级部门的安排部署下,海螺沟景区管理局宣传文化走进燕子沟镇新兴村安置点,送上震后的第一场公益电影,为受灾群众解压心理包袱。观看现场,韩杨用手机镜头记录了老人和孩子们热议、有说有笑的场面。
“人没事就好,房子没了可以再修,我们都要平安。”此次地震,韩杨家中大部分房屋倒塌,家园被毁,但他至今没有时间去看一眼,只是在父母发来的微信图片中看过。与安置点群众打交道中,他一直传递坚强与乐观。
来到安置点的第一天,男女老少不遗余力,搭帐篷、冒雨收拾、烧火取暖;还记得帐篷有限,床位有限,大家自觉挤一挤,把棉被让给老人和孩子......救灾一线,群众之间以命相护的亲情,更打动人。
王虎银:16斤腊肉;李蓉:30斤四季豆;罗开玉:40斤土豆......刚住进安置点,由于物资还没有到达,村民们出米、出肉和蔬菜,纷纷拿出家里的物资凑够了一顿“大锅饭”,解决了临时温饱。韩杨说:乡土味充满守望相助的家园情怀,让人踏实。
如今,燕子沟镇新兴村安置点有电有信号,有炊烟也有生机,受灾群众生活井然有序,民生物资正常供应。在安置点,韩杨和战友们继续担任物资发放搬运工,疫情防控逆行者,危房排查跑腿人;面对灾情,坚强而乐观是最好的姿态。
他是“磨西”之子,是人民警察,是救援人员,也是群众眼中最可靠的身影。“家乡有呼唤,我做归乡人。”他的忙碌身影一直陪伴着燕子沟镇新兴村黎明百姓,用双向奔赴的温暖期待最美的家乡迅速归来。
韩杨,男,28岁,德格县公安局网安大队民警,2017年7月入警,5年来,先后获得优秀民警4次,荣获优秀公务员1次;甘孜州泸定县6.8级地震发生后,家住泸定县磨西镇的他,第一时间申请回乡救灾,目前在燕子沟镇新兴村安置点警务室工作。
甘孜州泸定县6.8级地震来袭,磨西镇、燕子沟镇等地成为急需救援的“生命孤岛”,甘孜州、县公安机关投入874名警力全力以赴展开震后抢险救援各项工作。
家住泸定县磨西镇的韩杨,是德格县公安局网安大队的民警,地震发生时正在康定出差,得知家乡受灾后,他立即向州、县局申请,回乡救灾。9月5日,继240名先遣特警队员出发后,韩杨等80名甘孜州公安局紧急救援队向震中进发。
转移群众,抢险救灾,引导群众情绪,维持安置点秩序......过去的一周,他和救援队把受灾群众的生命财产安全置顶心间,把抗震救灾守护泸定的使命扛在肩上,做家乡的好儿子、人民的好警察。
● 仅见了家人一面
9月5日12时52分,四川泸定县地动山摇、山河破碎、众多房屋倾塌;顷刻间,通讯中断,电力受损,道路垮塌。“震中磨西镇失联,韩杨的家就在镇上,心急如焚。”当即他加入甘孜州公安局紧急救援队。
“韩杨娃儿,是你不。”当日下午19时许,在海螺沟分局安置点,正在巡逻排险的他与家人会上了可贵的“一面之缘”,互报平安后,他与战友们又走向下一个安置点巡逻排险。
通讯中断,家人失联,见上这一面他足足期盼4个小时。他说:“到了震中家乡,却不知道家人平安与否,这点他很担心。”冷清、恐慌,躲过天灾后的亲人见面,亲情在这一刻被放大。“我们都平安,还有很多人等到你们去救,注意安全。”就这样,他奔向危难中的父老乡亲。
从小在这里长大,巡逻搜救他最适合。
“牌匾上有电话号码,快打电话。”他回忆,他们经过一家销售银饰的店面时,发现门店大门破坏破损严重,店里还有不少散落的饰品;他和战友们拿出电话,及时告知经营商,保全了财物。
黑夜来袭,仍面临余震风险。街道上有障碍物,他们挪出一条条生命通道;墙体有倒塌的危险,他们排除一道道险情;逐栋楼房排查,他们竭力呼唤力争一个都不能少......
这一晚,他们走完磨西镇3条街道,回到驻地时,已是凌晨4点钟。大家简单吃了些饼干休整后,又出发了。
● 靠谱,我们心安
燕子沟镇新兴村,距离磨西镇七八公里,受灾情影响,需要安置近300人。9月6日,得知燕子沟镇新兴村安置点缺少警力后,韩杨等4名警务人员主动请缨,来到燕子沟镇新兴村安置点开启救灾模式。
“物资到了,搬东西!”当日清晨7点,随着一辆大型货车驶入新兴小学院坝,驻守警务人员、本地民兵等10余人开始了搭起了帐篷。此外,床垫、被子、厨具等抗震救灾物资相继运送到安置点;搬物资成了这一天话题。
在救灾人员和当地群众的帮助下,当晚21时许,2顶大棚、24顶帐篷拔地而起,能够容纳270余人的“温室”投入使用。工作中,甚至出现过民兵搬了一上午的矿泉水后晕倒在地的心疼小插曲;在大家的努力下,安置点的群众也吃上了热菜。
“清晨打扫卫生,早饭后开始维持核酸检测采样现场秩序,午饭后运柴火,物资来了就搬物资,夜间还要排查每个帐篷有无漏电隐患,排查周边是否有安全隐患。”据韩杨介绍,这段时间尽管只有4名警务人员,也会换班守通宵。
夜幕下,大家在帐篷外点起篝火,一边取暖一边聊天。“警察,关键时刻,靠谱;也让我们心安。”喜芸瑛是燕子沟镇新兴村安置点的一名志愿者,聊天中透露出对甘孜警队的认可与赞扬。
● 坚强乐观,感染人
地震无情人有爱,公益电影暖人心——9月9日晚,在上级部门的安排部署下,海螺沟景区管理局宣传文化走进燕子沟镇新兴村安置点,送上震后的第一场公益电影,为受灾群众解压心理包袱。观看现场,韩杨用手机镜头记录了老人和孩子们热议、有说有笑的场面。
“人没事就好,房子没了可以再修,我们都要平安。”此次地震,韩杨家中大部分房屋倒塌,家园被毁,但他至今没有时间去看一眼,只是在父母发来的微信图片中看过。与安置点群众打交道中,他一直传递坚强与乐观。
来到安置点的第一天,男女老少不遗余力,搭帐篷、冒雨收拾、烧火取暖;还记得帐篷有限,床位有限,大家自觉挤一挤,把棉被让给老人和孩子......救灾一线,群众之间以命相护的亲情,更打动人。
王虎银:16斤腊肉;李蓉:30斤四季豆;罗开玉:40斤土豆......刚住进安置点,由于物资还没有到达,村民们出米、出肉和蔬菜,纷纷拿出家里的物资凑够了一顿“大锅饭”,解决了临时温饱。韩杨说:乡土味充满守望相助的家园情怀,让人踏实。
如今,燕子沟镇新兴村安置点有电有信号,有炊烟也有生机,受灾群众生活井然有序,民生物资正常供应。在安置点,韩杨和战友们继续担任物资发放搬运工,疫情防控逆行者,危房排查跑腿人;面对灾情,坚强而乐观是最好的姿态。
他是“磨西”之子,是人民警察,是救援人员,也是群众眼中最可靠的身影。“家乡有呼唤,我做归乡人。”他的忙碌身影一直陪伴着燕子沟镇新兴村黎明百姓,用双向奔赴的温暖期待最美的家乡迅速归来。
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