ホテルマン、介護士…OLDCODEXが“今と違う職業”に就いていたら…?
2019-09-24 (火) 19:00 Twitter Facebook LINE このエントリーをはてなブックマークに追加
ボーカル・Ta_2(タツ)とペインター・YORKE.(ヨーク)による個性派ロックユニット・OLDCODEX(オルドコデックス)がパーソナリティをつとめるTOKYO FMの番組「THE QUARTER~LADDERLESS from OLDCODEX~」。9月17日(火)の放送では、リスナーからのメールに応え、「もしも、今の職業に就いていなかったら……?」について考えました。
(TOKYO FMの番組「LADDERLESS from OLDCODEX」2019年9月17日(火)放送より)
左からYORKE.、Ta_2
月ごとのメールテーマを設けて、リスナーと交流を深めているこの番組。9月のマンスリーテーマは「いま立ち向かっていること」です。この日は、転職活動中のリスナーからのメッセージを紹介しました。
「私はこれから、転職に立ち向かいます。どの業界で仕事を探すかを迷っています。やりたい仕事はあるのですが、イチからのスタートだと一般的には“遅い”と言われる年齢です。そこで質問です。お2人は、やりたいことに年齢は関係あると思いますか? また、お2人がもし、今とは違う別ジャンルの仕事をしていたとしたら、どんな仕事だと思いますか?」
Ta_2:(メールを)いただいた方の年齢は、20代中盤。
YORKE.:まだ全然いける年齢だよ。なんでもできると思うよ。どうしても(年齢的に)諦めなきゃいけないのは、スポーツだと当てはまるけどね。
Ta_2:スポーツはそうだね。
YORKE.:俺は身長が185cmぐらいあるけど、競馬のジョッキーになれるか?といったら、絶対になれない。馬に乗ってスピード出すのは、フィジカルとして無理じゃん。あと、毎年言っていることだけど、俺は阪神タイガースがすごく好きで。少年野球しかやってないくせに、ドラフトで自分の名前が呼ばれないかドキドキしてるんだよね、今も。
Ta_2:あはははは。なるほどね。
YORKE.:でも、絶対にそれはないじゃん、年齢的にも。だから、スポーツには(制限が)あると思うけど、それ以外は自由にできそうだよね。
Ta_2:まあ、業種によるかもしれないけど。
YORKE.:そうね。何をやりたいか、もっと具体的に書いてくれりゃなぁ。
Ta_2:でもね、20代半ばなら、まだまだいろんな仕事ができる。もちろん熱意も必要だし、転職した先で何ができるかにもよるけどね。
YORKE.:そうだね。
Ta_2:じゃあ……俺らがもし違う仕事をやるとしたら?
YORKE.:Ta_2は?
Ta_2:俺はなんだろう。別ジャンルでしょ? あんまりピンとこないんだよね。
YORKE.:憧れみたいなのはあるけどね。
Ta_2:憧れね! 小さいときになりたいって言ってたのは、建築家、警察官、教師とか。ドラマやマンガの影響もあったけど、建築は好きだね。
YORKE.:かっこいいね、建築。
Ta_2:一級建築士になりたかった時期はあった。でも現実的には、今の自分の感覚や自分の育ち方を見ると……意外とホテルとかで働いてそう(笑)。
YORKE.:ホテルマンとして?
Ta_2:そうそうそう。
YORKE.:ホテルで何をするかだよね、いろいろあるじゃん仕事が。
Ta_2:そうだね。コンシェルジュみたいな仕事はやってみたいと思う。
YORKE.:かっこいいね。
Ta_2:サポートしたり、促したり、誰かを支える仕事というのは、今やってること(声優/音楽アーティスト)とも近いかな? 発信しつつ誰かのパイプになってる、みたいなさ。誰かと誰かを繋げるような仕事を選ぶのかな? とは思ってます。YORKE.は?
YORKE.:俺も、憧れる職業はいっぱいある。子どものころは大工さんになりたかった。今パッと思いついたのは……俺、引っ越ししても、気付いたら近所に住んでいるおじいちゃんとかおばあちゃんとかと仲良くなってる特殊能力を持ってるんだよ。子どもとかもそう。自分では意識してなくて、親切にした気もないけど、“なんでこんなに良くしてくれるのかな?”というのが多いんだよね。
今は高齢化社会じゃない? 最近、ちょっと考えてるのは、お年寄りのなかに“YORKE.”という存在が入ることで、刺激になることがいっぱいあるんじゃないかなってこと。何でもいいんだよ。「マッサージしてあげる」でもいいし「買い物を手伝う」とか、(荷物を)お家に届けるとか。そういうのが、意外と向いてるんじゃないかな~って、漠然と考えてたりはする。
大きい災害があったとき、俺、そういうところに行くじゃん。(2016年に熊本地震が発生したとき)熊本には、90歳を過ぎた“みっちゃん”っておばあちゃんがいるんだけど、(俺が会いに)行くたびに可愛くなっていくわけよ。俺、ちょっとアイドル化していたからね、避難所で(笑)。だから、ピンクとか着るようになっちゃって。で、褒めるじゃん。俺は自分のおばあちゃんがけっこう早く死んじゃったから、そういうのがなんか嬉しいんだよね。
Ta_2:そういうことなんだね。
YORKE.:お年寄りと話をするのは楽しいし、俺自身も楽しいから、施設で働くのは苦にならない。向いている気がするけど、仕事にしようと思ったことはなかったなぁ。
Ta_2:不思議だね。2人とも、誰かを支える仕事に就きたがるってね。
YORKE.:まあ、たくさんの人に支えてもらってるから、“恩返ししなきゃ”ってのがあるのかもしれない。
Ta_2:そうね。考えてることは一緒なのかもしれないね。 https://t.cn/RqzLD7s
2019-09-24 (火) 19:00 Twitter Facebook LINE このエントリーをはてなブックマークに追加
ボーカル・Ta_2(タツ)とペインター・YORKE.(ヨーク)による個性派ロックユニット・OLDCODEX(オルドコデックス)がパーソナリティをつとめるTOKYO FMの番組「THE QUARTER~LADDERLESS from OLDCODEX~」。9月17日(火)の放送では、リスナーからのメールに応え、「もしも、今の職業に就いていなかったら……?」について考えました。
(TOKYO FMの番組「LADDERLESS from OLDCODEX」2019年9月17日(火)放送より)
左からYORKE.、Ta_2
月ごとのメールテーマを設けて、リスナーと交流を深めているこの番組。9月のマンスリーテーマは「いま立ち向かっていること」です。この日は、転職活動中のリスナーからのメッセージを紹介しました。
「私はこれから、転職に立ち向かいます。どの業界で仕事を探すかを迷っています。やりたい仕事はあるのですが、イチからのスタートだと一般的には“遅い”と言われる年齢です。そこで質問です。お2人は、やりたいことに年齢は関係あると思いますか? また、お2人がもし、今とは違う別ジャンルの仕事をしていたとしたら、どんな仕事だと思いますか?」
Ta_2:(メールを)いただいた方の年齢は、20代中盤。
YORKE.:まだ全然いける年齢だよ。なんでもできると思うよ。どうしても(年齢的に)諦めなきゃいけないのは、スポーツだと当てはまるけどね。
Ta_2:スポーツはそうだね。
YORKE.:俺は身長が185cmぐらいあるけど、競馬のジョッキーになれるか?といったら、絶対になれない。馬に乗ってスピード出すのは、フィジカルとして無理じゃん。あと、毎年言っていることだけど、俺は阪神タイガースがすごく好きで。少年野球しかやってないくせに、ドラフトで自分の名前が呼ばれないかドキドキしてるんだよね、今も。
Ta_2:あはははは。なるほどね。
YORKE.:でも、絶対にそれはないじゃん、年齢的にも。だから、スポーツには(制限が)あると思うけど、それ以外は自由にできそうだよね。
Ta_2:まあ、業種によるかもしれないけど。
YORKE.:そうね。何をやりたいか、もっと具体的に書いてくれりゃなぁ。
Ta_2:でもね、20代半ばなら、まだまだいろんな仕事ができる。もちろん熱意も必要だし、転職した先で何ができるかにもよるけどね。
YORKE.:そうだね。
Ta_2:じゃあ……俺らがもし違う仕事をやるとしたら?
YORKE.:Ta_2は?
Ta_2:俺はなんだろう。別ジャンルでしょ? あんまりピンとこないんだよね。
YORKE.:憧れみたいなのはあるけどね。
Ta_2:憧れね! 小さいときになりたいって言ってたのは、建築家、警察官、教師とか。ドラマやマンガの影響もあったけど、建築は好きだね。
YORKE.:かっこいいね、建築。
Ta_2:一級建築士になりたかった時期はあった。でも現実的には、今の自分の感覚や自分の育ち方を見ると……意外とホテルとかで働いてそう(笑)。
YORKE.:ホテルマンとして?
Ta_2:そうそうそう。
YORKE.:ホテルで何をするかだよね、いろいろあるじゃん仕事が。
Ta_2:そうだね。コンシェルジュみたいな仕事はやってみたいと思う。
YORKE.:かっこいいね。
Ta_2:サポートしたり、促したり、誰かを支える仕事というのは、今やってること(声優/音楽アーティスト)とも近いかな? 発信しつつ誰かのパイプになってる、みたいなさ。誰かと誰かを繋げるような仕事を選ぶのかな? とは思ってます。YORKE.は?
YORKE.:俺も、憧れる職業はいっぱいある。子どものころは大工さんになりたかった。今パッと思いついたのは……俺、引っ越ししても、気付いたら近所に住んでいるおじいちゃんとかおばあちゃんとかと仲良くなってる特殊能力を持ってるんだよ。子どもとかもそう。自分では意識してなくて、親切にした気もないけど、“なんでこんなに良くしてくれるのかな?”というのが多いんだよね。
今は高齢化社会じゃない? 最近、ちょっと考えてるのは、お年寄りのなかに“YORKE.”という存在が入ることで、刺激になることがいっぱいあるんじゃないかなってこと。何でもいいんだよ。「マッサージしてあげる」でもいいし「買い物を手伝う」とか、(荷物を)お家に届けるとか。そういうのが、意外と向いてるんじゃないかな~って、漠然と考えてたりはする。
大きい災害があったとき、俺、そういうところに行くじゃん。(2016年に熊本地震が発生したとき)熊本には、90歳を過ぎた“みっちゃん”っておばあちゃんがいるんだけど、(俺が会いに)行くたびに可愛くなっていくわけよ。俺、ちょっとアイドル化していたからね、避難所で(笑)。だから、ピンクとか着るようになっちゃって。で、褒めるじゃん。俺は自分のおばあちゃんがけっこう早く死んじゃったから、そういうのがなんか嬉しいんだよね。
Ta_2:そういうことなんだね。
YORKE.:お年寄りと話をするのは楽しいし、俺自身も楽しいから、施設で働くのは苦にならない。向いている気がするけど、仕事にしようと思ったことはなかったなぁ。
Ta_2:不思議だね。2人とも、誰かを支える仕事に就きたがるってね。
YORKE.:まあ、たくさんの人に支えてもらってるから、“恩返ししなきゃ”ってのがあるのかもしれない。
Ta_2:そうね。考えてることは一緒なのかもしれないね。 https://t.cn/RqzLD7s
#日本音乐# 8月9日今晚!「Mステ/Music Station」嘉宾、曲目:
A.B.C-Z Crush On You
Official髭男dism 宿命
DA PUMP P.A.R.T.Y. ~ユニバース・フェスティバル~
日向坂46 ドレミソラシド
フジファブリック 若者のすべて
RADWIMPS
グランドエスケープ(Movie edit)feat.三浦透子
愛にできることはまだあるかい
A.B.C-Z Crush On You
Official髭男dism 宿命
DA PUMP P.A.R.T.Y. ~ユニバース・フェスティバル~
日向坂46 ドレミソラシド
フジファブリック 若者のすべて
RADWIMPS
グランドエスケープ(Movie edit)feat.三浦透子
愛にできることはまだあるかい
采访:声優業への感謝と愛。ミュージカルの世界にいる喜び。平野 綾の現在・過去・未来(二)
https://t.cn/AiTyRJXt
今年6月の『ランティス祭り2019』では、キョン役の杉田智和さん、古泉一樹役の小野大輔さんも加わって、SOS団5人で復活を遂げました。
杉田さんや小野さんも含めて、『ハルヒ』の絆ってすごく強くて。大変な時期をみんなで乗り越えた仲間という感覚があるので、ホントに大事なメンバーです。
私だけじゃないと思うんですけど、『ハルヒ』をきっかけに、みんなの人生が変わっちゃった感があって。
ハルヒを演じていたとき、18歳くらいですよね?
はい。作品が大きくなってひとり歩きし始めて、私たちは大きな波に飲まれてどこに行くかわからないまま、一気にいろんなことが押し寄せてきて。
今でこそ声優さんがいろいろな分野で活躍していますけど、当時は、まさか武道館デビューするとは想像もしていませんでした。海外のフェスで『ハレ晴レユカイ』を披露することになったり、『涼宮ハルヒの激奏』(大宮ソニックシティでのライブイベント)では「フルライブをやるから」と言われて、「え? それは、ぜんぶ歌ってぜんぶ踊るんですか?」って聞いたり。
今振り返ってみても、忙しすぎて限界ギリギリのなか、なんとか必死に乗り越えたという感じでした。
『ハルヒ』のメンバーと再会すると、「当時は大変だったよね」って盛り上がります(笑)。「こんなことあったよね?」「あった、あった!」って。
今はようやく落ち着いて…?
そうですね。あの頃はとにかく時間が足りなくて、それが悔しくて。あの時期にしか出せないよさがあったでしょうし、命をかけてやっていましたけど、「今持っているものをぜんぶ出し切るしかない」って乗り切ってきちゃったので。
今は、余裕を持ってひとつひとつお仕事に取り組むことができています。じっくり考えて、理解して、納得して。自分にはこういうやり方が合っていたんだなと思いますね。
幼少期に初めて抱いた夢は「ミュージカルスターになりたい」
ここからは、平野さんとミュージカルについてうかがいます。小さな頃からミュージカルがお好きだったんですよね?
子どもの頃、父の仕事の関係でニューヨークに住んでいて、ブロードウェイ・ミュージカルがきっかけでした。初めて抱いた夢が「ミュージカルスターになりたい」。絵日記とかにも描いてたんですよ。でもその絵は、ブロードウェイというよりは宝塚みたいなメイクだったんですけど(笑)。ショーアップされた華やかな世界に憧れていましたね。
8歳頃からアマチュアのミュージカルに出演して、10歳から児童劇団に入りました。その途端、苦手分野がわかって。
苦手分野?
ミュージカル『アニー』のオーディションを受けていたんですけど、絶対ダンスで落ちるんですよ(笑)。私、緊張しいなので、オーディションの前に熱が出たりして。もう踊れない~って。
今の平野さんのパフォーマンスからは想像できないですね。どんなタイプのお子さんでしたか?
大人しかったです。今と変わらず読書が好きで、学校でもひとりで本を読んでいて、あまりしゃべらないタイプでした。児童劇団では、次第に声優業やアイドル活動が忙しくなっていきました。
学生の頃、宝塚がお好きだったとか?
そうなんです。小さい頃から観てはいたんですが、高校生のときに友達の影響もあってかなりハマって。和央(ようか)さんと花總(まり)さんの頃の宙組ファンで、ずっと追っかけてました。水(夏希)さんも大好きでした。
だから、ミュージカル『レディ・ベス』で初めて花總まりさんとご一緒したときは、真っ先に「お花さまがいる!」って。こっそりファンでいるのは気持ち悪いかなと思って(笑)、ものすごく緊張したんですけど、ご本人に「高校時代、ずっと追いかけてました。花さんのポストカードとかクリアファイルとか、いっぱい持ってます!」とご挨拶させていただきました。花さんは、快く「ありがとう」と言ってくださって。
『レ・ミゼラブル』挑戦は、育三郎さんの言葉がきっかけ
本格的なミュージカル初出演は、2011年の『嵐が丘』でした。声優として活躍するなか、新たなフィールドに挑戦されました。
タイミングが合えば舞台をやりたいとずっと思っていたので、ありがたいお話でした。しかも、もともと原作が好きだったんです。だから『嵐が丘』をやらせていただけるのは女優のキャリアとしても素晴らしいことだなと、挑戦させていただきました。
10歳から児童劇団で仕事を始めて、20代半ばでようやく夢が叶った感じですね。
夢が叶ったといえば、2013年と2015年にはエポニーヌ役で『レ・ミゼラブル』に出演。
じつは、『嵐が丘』で共演したとき、(山崎)育三郎さんから「綾ちゃん、エポニーヌやりなよ」って言われたんです。
そりゃ、エポニーヌに憧れる気持ちはすごくあるけど…私なんかが…って尻込みしていたら、「綾ちゃんはきっと、今後ミュージカルの世界でどんどん出ていく人だから、今のうちに(『レ・ミゼラブル』の)オーディションを受けたほうがいいよ」と言ってくださって。
育三郎さん、いろんな人にきっかけをくれるらしいんです(笑)。加藤和樹さんも、育三郎さんから「もっとミュージカルやりなよ」って言ってもらったとか。
『レ・ミゼラブル』のオーディションはいかがでしたか?じつは、いざ応募するとき、事務所からはコゼットで受けるようにすすめられて。それまで活発な役が多かったので意外でしたが、なんとか次のチャンスにつなげようと強い気持ちでオーディションに行ったんです。
歌い出しだら、ロンドンの演出家の方が、「ねぇ君、どうしてコゼットで受けたの?」と。それでエポニーヌがやりたいと正直に伝えたら、「じゃあ、『オン・マイ・オウン』歌える?」って。それで見事に合格!まさか1回目のオーディションで、って本当にびっくりしました。正直、私なんかが『レ・ミゼラブル』のオーディションを受けていいのかなっていう気持ちもずっとあって…。それほどミュージカルが好きで、リスペクトしているんですね。私が加わることで、大好きなこの世界を崩しちゃったら嫌だなとか、まだ私はそこまで達していない、っていう気持ちがあったから。だから、育三郎さんに言っていただいて、ホントによかったなって思います。
https://t.cn/AiTyRJXt
今年6月の『ランティス祭り2019』では、キョン役の杉田智和さん、古泉一樹役の小野大輔さんも加わって、SOS団5人で復活を遂げました。
杉田さんや小野さんも含めて、『ハルヒ』の絆ってすごく強くて。大変な時期をみんなで乗り越えた仲間という感覚があるので、ホントに大事なメンバーです。
私だけじゃないと思うんですけど、『ハルヒ』をきっかけに、みんなの人生が変わっちゃった感があって。
ハルヒを演じていたとき、18歳くらいですよね?
はい。作品が大きくなってひとり歩きし始めて、私たちは大きな波に飲まれてどこに行くかわからないまま、一気にいろんなことが押し寄せてきて。
今でこそ声優さんがいろいろな分野で活躍していますけど、当時は、まさか武道館デビューするとは想像もしていませんでした。海外のフェスで『ハレ晴レユカイ』を披露することになったり、『涼宮ハルヒの激奏』(大宮ソニックシティでのライブイベント)では「フルライブをやるから」と言われて、「え? それは、ぜんぶ歌ってぜんぶ踊るんですか?」って聞いたり。
今振り返ってみても、忙しすぎて限界ギリギリのなか、なんとか必死に乗り越えたという感じでした。
『ハルヒ』のメンバーと再会すると、「当時は大変だったよね」って盛り上がります(笑)。「こんなことあったよね?」「あった、あった!」って。
今はようやく落ち着いて…?
そうですね。あの頃はとにかく時間が足りなくて、それが悔しくて。あの時期にしか出せないよさがあったでしょうし、命をかけてやっていましたけど、「今持っているものをぜんぶ出し切るしかない」って乗り切ってきちゃったので。
今は、余裕を持ってひとつひとつお仕事に取り組むことができています。じっくり考えて、理解して、納得して。自分にはこういうやり方が合っていたんだなと思いますね。
幼少期に初めて抱いた夢は「ミュージカルスターになりたい」
ここからは、平野さんとミュージカルについてうかがいます。小さな頃からミュージカルがお好きだったんですよね?
子どもの頃、父の仕事の関係でニューヨークに住んでいて、ブロードウェイ・ミュージカルがきっかけでした。初めて抱いた夢が「ミュージカルスターになりたい」。絵日記とかにも描いてたんですよ。でもその絵は、ブロードウェイというよりは宝塚みたいなメイクだったんですけど(笑)。ショーアップされた華やかな世界に憧れていましたね。
8歳頃からアマチュアのミュージカルに出演して、10歳から児童劇団に入りました。その途端、苦手分野がわかって。
苦手分野?
ミュージカル『アニー』のオーディションを受けていたんですけど、絶対ダンスで落ちるんですよ(笑)。私、緊張しいなので、オーディションの前に熱が出たりして。もう踊れない~って。
今の平野さんのパフォーマンスからは想像できないですね。どんなタイプのお子さんでしたか?
大人しかったです。今と変わらず読書が好きで、学校でもひとりで本を読んでいて、あまりしゃべらないタイプでした。児童劇団では、次第に声優業やアイドル活動が忙しくなっていきました。
学生の頃、宝塚がお好きだったとか?
そうなんです。小さい頃から観てはいたんですが、高校生のときに友達の影響もあってかなりハマって。和央(ようか)さんと花總(まり)さんの頃の宙組ファンで、ずっと追っかけてました。水(夏希)さんも大好きでした。
だから、ミュージカル『レディ・ベス』で初めて花總まりさんとご一緒したときは、真っ先に「お花さまがいる!」って。こっそりファンでいるのは気持ち悪いかなと思って(笑)、ものすごく緊張したんですけど、ご本人に「高校時代、ずっと追いかけてました。花さんのポストカードとかクリアファイルとか、いっぱい持ってます!」とご挨拶させていただきました。花さんは、快く「ありがとう」と言ってくださって。
『レ・ミゼラブル』挑戦は、育三郎さんの言葉がきっかけ
本格的なミュージカル初出演は、2011年の『嵐が丘』でした。声優として活躍するなか、新たなフィールドに挑戦されました。
タイミングが合えば舞台をやりたいとずっと思っていたので、ありがたいお話でした。しかも、もともと原作が好きだったんです。だから『嵐が丘』をやらせていただけるのは女優のキャリアとしても素晴らしいことだなと、挑戦させていただきました。
10歳から児童劇団で仕事を始めて、20代半ばでようやく夢が叶った感じですね。
夢が叶ったといえば、2013年と2015年にはエポニーヌ役で『レ・ミゼラブル』に出演。
じつは、『嵐が丘』で共演したとき、(山崎)育三郎さんから「綾ちゃん、エポニーヌやりなよ」って言われたんです。
そりゃ、エポニーヌに憧れる気持ちはすごくあるけど…私なんかが…って尻込みしていたら、「綾ちゃんはきっと、今後ミュージカルの世界でどんどん出ていく人だから、今のうちに(『レ・ミゼラブル』の)オーディションを受けたほうがいいよ」と言ってくださって。
育三郎さん、いろんな人にきっかけをくれるらしいんです(笑)。加藤和樹さんも、育三郎さんから「もっとミュージカルやりなよ」って言ってもらったとか。
『レ・ミゼラブル』のオーディションはいかがでしたか?じつは、いざ応募するとき、事務所からはコゼットで受けるようにすすめられて。それまで活発な役が多かったので意外でしたが、なんとか次のチャンスにつなげようと強い気持ちでオーディションに行ったんです。
歌い出しだら、ロンドンの演出家の方が、「ねぇ君、どうしてコゼットで受けたの?」と。それでエポニーヌがやりたいと正直に伝えたら、「じゃあ、『オン・マイ・オウン』歌える?」って。それで見事に合格!まさか1回目のオーディションで、って本当にびっくりしました。正直、私なんかが『レ・ミゼラブル』のオーディションを受けていいのかなっていう気持ちもずっとあって…。それほどミュージカルが好きで、リスペクトしているんですね。私が加わることで、大好きなこの世界を崩しちゃったら嫌だなとか、まだ私はそこまで達していない、っていう気持ちがあったから。だから、育三郎さんに言っていただいて、ホントによかったなって思います。
✋热门推荐