#家寻宝贝#寻1988年生1989年失踪四川宜宾市团结旅馆解龙华(男) 皮肤微黄,较胖 ,右大腿有个比其它肤色黄一些的记,小时候有小孩的手那么一小块,头一个旋。爸爸在宜宾上班,妈妈带孩子看望爸爸。把孩子留在旅社托老板娘看着,孩子被叔叔来抱走,从此失踪。爸爸已离开人世。 https://t.cn/zHqZ9Xp
到荆州古城旅游,城门的故事一定要知道
荆州古城,蕴含着丰厚的历史文化沉淀,诉说着它的百年沧桑。
这里有着独一无二的楚文化、三国文化与水文化,先后历经6个朝代、34位帝王,它巍峨而有气势,历史文化丰富而又璀璨。
一条蜿蜒曲折的护城河,划分着这座城市的古与今。河内,是青砖绿瓦的矮房;河外,是拔地而起的高楼大厦。
全国的十大古城基本都呈东南西北走势,咱们荆州古城自然也不例外。
古城不大,原有大东门、小东门、南门、西门、大北门、小北门这六大城门,随着城市的发展、交通的需求便又增加了三个城门,如今便有了九个城门。
在城门内来回进出,从这一个城门走过,转向另一个城门出去,让我们在城门间“穿越”一回,感受古时城门间发生的故事。
暖阳下,大东门 雄伟壮阔。历经岁月的洗礼,方寸之间皆是历史。
先秦楚人“尚东”,生之坐向、死之朝向都以向着东方最为荣耀,所以现在的大东门就是我们荆州古城的正门,自古以来迎送宾客的必由之路。
在它的上方,有一座城楼,俗称“宾阳楼”,又被称为“寅宾楼”。这座城楼是荆州古城唯二城楼之一。
“寅宾”、“寅宾”,自然是与大东门一样,用来迎送宾客的。
它建于明代,清咸丰十一年有过重建,现在我们看到的是1986年由国家文物保护科研所本着整旧如旧的原则再次修复完善的。宾阳楼城楼具有典型的明代建筑风格,有着浓烈的三国气氛,一楼有着刘备、诸葛亮、关羽、张飞、赵云的雕像,登上二楼可俯瞰整个荆州东门全貌,尽收一切美景。如今,宾阳楼已成为荆州的标志性建筑了。
大东门的传奇历史,给它增添了更加迷人的异彩。
沿着城墙向南而行,过了大东门,便是 小东门 了。
小东门又称为公安门,它是荆州古城唯一的水门,门外就是当年直通长江的水码头。
之所以叫公安门与刘备有着莫大的关系。相传,刘备借到荆州之后,他自己并不在荆州城内,他让关羽守荆州,自己住在油江口,也就是今天的公安县。但他经常乘船从油江口穿长江到荆州视察防务。每次到荆州都是在这里下船登岸入城。后来,去江东迎娶孙夫人走的也是这道城门。为纪念这段历史,后人就用刘备驻守之地的公安代称小东门。
还有一个巧合,也可以说是必然,后来关羽大意失荆州,吕蒙白衣袭江陵时,所失去的也就是这公安门。
从小东门以南继续行走,便可以看到古城南面的城门了,这座城门为南门,俗称南纪门,现如今,我们又称它为老南门。它位于迎宾路与冠带巷交汇处附近,是全国重点文物保护单位。
老南门设有瓮城,与荆州古城其它城门瓮城不同,它开有三个城门,因此老南门共有四个城门洞。在城洞下,时常有上了年纪的市民在其间下棋聊天,片片欢声笑语回荡于其中。
城墙下的广场,常年举办朝觐关公大型庙会活动,十分热闹,有着浓厚的古城市民生活气息。
它独具一格的人文情怀,使我每临此地,乡愁都满满涌入心间 。
不知不觉,已经将古城走了一半,现在我们所看到的是古城的西面城门—西门,又称安澜门,古代也称龙山。
长江流经荆州,历朝历代,水患层出不穷,清乾隆五十三年(1788年),荆州遭遇了历史上最大的一次水灾,长江水由西城垣西门和水津门而入,使得上万荆州城内百姓丧生。后来,乾隆命令钦差大学士阿桂等再造荆州城时,并未再修建水津门,仅仅只恢复西门,将城门地基抬高。竣工后官民都非常高兴,因此用安定水患之意来命名,成为安澜门。据记载,西门瓮城内券门上的“安澜门”三字石匾,为乾隆二十四年所书写。
西门向南,有一扇尘封的小门突兀的出现,这扇门开在藏兵洞的墙上,门由上、下青石条组成门槛和门楣,没有设开合的门页。粗略地目测一下,门高约2米,宽0.9米,仅能容纳一人一马进出。据说,在冷兵器时代,当城池告急时,城内可放人骑马奔出城外搬请救兵,因报信兵士多骑白马,故这道小门被称为“白马井”。
城墙以北有两大城门,我们现在看的的是大北门,又称拱极门。
在古代,荆州的学子赶考、官员进京、商人北上,都是从此门而出,又因城外护城河边柳树众多,文人在此作诗为赋,相赠友人,便又有了“柳门”的别称。
苏轼在《荆州十首》曾写道:“柳门京国道,驱马及春阳。野火烧枯草,东风动绿芒。北行连许邓,南去极衡湘。楚镜横天下,怀王信弱王。”就是说的这里。今城门仍保存完好。
大北门上还建有朝宗楼,这是古城墙上的第二座古建筑。楼上设有楼梯,登临其上,居高临下,可以饱览古城的万千神韵。
城墙北面除了大北门这座城门外,便是小北门了,又称远安门,古代也称古漕。
这个地方过去是囤积运输粮食的必经之地,因此城门修得特别大。取名为“远安”,是祈求它太平、平安。
观测小北门时,我们可以发现它的城门都是一律向右开着的,据说是因为古代以右为上,名门望族都被称作为“右族”,因而城门向右开门是当时的传统。
而这座远安门在古时的最终目的则是军事防御,它设有双重城防,四重门防。城门的两道门之间是不正对的,采用斜道的方式连接,可谓是“歪门邪道”的一种诠释。据说战时,城外敌方探子只看得到第一道门,不能看到第二道门的情况,敌军进犯,若突破第一道门进入瓮城之中,就会被在城楼上的士兵包围,士兵们将城门紧闭,万箭齐发,致使敌军全军覆没,这就是“瓮中捉鳖”。
刀光剑影随着历史慢慢远去,如今它恬静的欣赏着城里的热闹与繁华。
除了这六大门外,为了缓解交通,1970年,国务院批准另外开设了三大门。即1970年开设的新东门、1988年10月的开设新南门、1996年6月的开设新北门。这三大门,虽没有那原六大门的古老历史,但却有着城市气息,人来人往,熙熙攘攘。
在春暖花开之际的午后,悠悠漫步于城墙脚下,一路上伴随着鸟的歌声,看周边的老树开出新芽,看那枯木又开花,阳光洒下,树叶散碎着光影,点点斑驳,感受曾经的古老故事。
荆州古城,蕴含着丰厚的历史文化沉淀,诉说着它的百年沧桑。
这里有着独一无二的楚文化、三国文化与水文化,先后历经6个朝代、34位帝王,它巍峨而有气势,历史文化丰富而又璀璨。
一条蜿蜒曲折的护城河,划分着这座城市的古与今。河内,是青砖绿瓦的矮房;河外,是拔地而起的高楼大厦。
全国的十大古城基本都呈东南西北走势,咱们荆州古城自然也不例外。
古城不大,原有大东门、小东门、南门、西门、大北门、小北门这六大城门,随着城市的发展、交通的需求便又增加了三个城门,如今便有了九个城门。
在城门内来回进出,从这一个城门走过,转向另一个城门出去,让我们在城门间“穿越”一回,感受古时城门间发生的故事。
暖阳下,大东门 雄伟壮阔。历经岁月的洗礼,方寸之间皆是历史。
先秦楚人“尚东”,生之坐向、死之朝向都以向着东方最为荣耀,所以现在的大东门就是我们荆州古城的正门,自古以来迎送宾客的必由之路。
在它的上方,有一座城楼,俗称“宾阳楼”,又被称为“寅宾楼”。这座城楼是荆州古城唯二城楼之一。
“寅宾”、“寅宾”,自然是与大东门一样,用来迎送宾客的。
它建于明代,清咸丰十一年有过重建,现在我们看到的是1986年由国家文物保护科研所本着整旧如旧的原则再次修复完善的。宾阳楼城楼具有典型的明代建筑风格,有着浓烈的三国气氛,一楼有着刘备、诸葛亮、关羽、张飞、赵云的雕像,登上二楼可俯瞰整个荆州东门全貌,尽收一切美景。如今,宾阳楼已成为荆州的标志性建筑了。
大东门的传奇历史,给它增添了更加迷人的异彩。
沿着城墙向南而行,过了大东门,便是 小东门 了。
小东门又称为公安门,它是荆州古城唯一的水门,门外就是当年直通长江的水码头。
之所以叫公安门与刘备有着莫大的关系。相传,刘备借到荆州之后,他自己并不在荆州城内,他让关羽守荆州,自己住在油江口,也就是今天的公安县。但他经常乘船从油江口穿长江到荆州视察防务。每次到荆州都是在这里下船登岸入城。后来,去江东迎娶孙夫人走的也是这道城门。为纪念这段历史,后人就用刘备驻守之地的公安代称小东门。
还有一个巧合,也可以说是必然,后来关羽大意失荆州,吕蒙白衣袭江陵时,所失去的也就是这公安门。
从小东门以南继续行走,便可以看到古城南面的城门了,这座城门为南门,俗称南纪门,现如今,我们又称它为老南门。它位于迎宾路与冠带巷交汇处附近,是全国重点文物保护单位。
老南门设有瓮城,与荆州古城其它城门瓮城不同,它开有三个城门,因此老南门共有四个城门洞。在城洞下,时常有上了年纪的市民在其间下棋聊天,片片欢声笑语回荡于其中。
城墙下的广场,常年举办朝觐关公大型庙会活动,十分热闹,有着浓厚的古城市民生活气息。
它独具一格的人文情怀,使我每临此地,乡愁都满满涌入心间 。
不知不觉,已经将古城走了一半,现在我们所看到的是古城的西面城门—西门,又称安澜门,古代也称龙山。
长江流经荆州,历朝历代,水患层出不穷,清乾隆五十三年(1788年),荆州遭遇了历史上最大的一次水灾,长江水由西城垣西门和水津门而入,使得上万荆州城内百姓丧生。后来,乾隆命令钦差大学士阿桂等再造荆州城时,并未再修建水津门,仅仅只恢复西门,将城门地基抬高。竣工后官民都非常高兴,因此用安定水患之意来命名,成为安澜门。据记载,西门瓮城内券门上的“安澜门”三字石匾,为乾隆二十四年所书写。
西门向南,有一扇尘封的小门突兀的出现,这扇门开在藏兵洞的墙上,门由上、下青石条组成门槛和门楣,没有设开合的门页。粗略地目测一下,门高约2米,宽0.9米,仅能容纳一人一马进出。据说,在冷兵器时代,当城池告急时,城内可放人骑马奔出城外搬请救兵,因报信兵士多骑白马,故这道小门被称为“白马井”。
城墙以北有两大城门,我们现在看的的是大北门,又称拱极门。
在古代,荆州的学子赶考、官员进京、商人北上,都是从此门而出,又因城外护城河边柳树众多,文人在此作诗为赋,相赠友人,便又有了“柳门”的别称。
苏轼在《荆州十首》曾写道:“柳门京国道,驱马及春阳。野火烧枯草,东风动绿芒。北行连许邓,南去极衡湘。楚镜横天下,怀王信弱王。”就是说的这里。今城门仍保存完好。
大北门上还建有朝宗楼,这是古城墙上的第二座古建筑。楼上设有楼梯,登临其上,居高临下,可以饱览古城的万千神韵。
城墙北面除了大北门这座城门外,便是小北门了,又称远安门,古代也称古漕。
这个地方过去是囤积运输粮食的必经之地,因此城门修得特别大。取名为“远安”,是祈求它太平、平安。
观测小北门时,我们可以发现它的城门都是一律向右开着的,据说是因为古代以右为上,名门望族都被称作为“右族”,因而城门向右开门是当时的传统。
而这座远安门在古时的最终目的则是军事防御,它设有双重城防,四重门防。城门的两道门之间是不正对的,采用斜道的方式连接,可谓是“歪门邪道”的一种诠释。据说战时,城外敌方探子只看得到第一道门,不能看到第二道门的情况,敌军进犯,若突破第一道门进入瓮城之中,就会被在城楼上的士兵包围,士兵们将城门紧闭,万箭齐发,致使敌军全军覆没,这就是“瓮中捉鳖”。
刀光剑影随着历史慢慢远去,如今它恬静的欣赏着城里的热闹与繁华。
除了这六大门外,为了缓解交通,1970年,国务院批准另外开设了三大门。即1970年开设的新东门、1988年10月的开设新南门、1996年6月的开设新北门。这三大门,虽没有那原六大门的古老历史,但却有着城市气息,人来人往,熙熙攘攘。
在春暖花开之际的午后,悠悠漫步于城墙脚下,一路上伴随着鸟的歌声,看周边的老树开出新芽,看那枯木又开花,阳光洒下,树叶散碎着光影,点点斑驳,感受曾经的古老故事。
【中村屋酒店の兄弟】
『中村屋酒店の兄弟』藤原季節さん、長尾卓磨さんインタビュー
―お2人は最初から俳優を目指していらっしゃったんですか?
藤原 僕は物心ついた時から俳優になりたいと思っていました。映画が好きだったんですよ。ジャッキー・チェンに憧れて、絶対俳優になるぞと決めていたので高校卒業後上京しました。
―じゃあ夢を叶えられたんですね。
藤原 まあまだ途中ではありますけれども。一応。
長尾 子どものころ、「先祖が上杉謙信だよ」と聞いて、戦国武将になりたかったんです。現代社会では無理だなと思って、馬に乗って刀振り回すにはこの中に入ればいいのかなって。それが中井貴一さん主演の「武田信玄」(1988年大河ドラマ)。仕事としては大学卒業してから広告代理店に入って、遠回りしました。
―俳優じゃなく”武将”が始まり!だからお城巡りがお好きなんですね。なりたかった武将役は?
長尾 『信虎』(2021/金子修介監督)で上杉景勝(長尾顕景)役をやらせていただきました。やってみたいのは、やはり上杉謙信(長尾景虎)役です。
nakamuraya1.jpg
―役をいただいたときと、演じ終わってから印象の違いはありましたか?
藤原 役をいただいたときは、兄弟との関係性で役を見ているというよりは「和馬」という役にフォーカスして見ていたんです。東京と実家を行き来して居場所を探している青年を演じるんだな、って。演じ終わったときに、長尾さんっていうお兄ちゃんと共演して「兄と一緒にいるときの自分」っていうのは、ある意味弟という役割だったり、仮面をかぶった弟という人間を演じようとしている青年でもあるなと思って。それが自分が働いている、東京でやってきたこととかが兄にバレたりして、そういう身ぐるみ剥がされていくというか正体がバレていくところの変化だったり、関係性においての青年にフォーカスを合わせて見れるようになった。それが演じる前と後では違いました。
長尾 僕も最初の印象では「何を勝手なこと言ってるんだ」と弟に対してあったんですけど、季節くんが、会った瞬間から可愛くて、どんどん可愛くなってきて、なんかずっと横顔を見ていたような感覚がありました。
監督が常々「優しく、もっともっと優しく接してください。怖いほど優しく。全て表面上は優しく」と言っていて。終わったときは、今、季節くんが言ってくれたみたいに、「兄という役割を自分で作っている」「兄としての役割を急に演じなくてはいけないと思いこんだ人間」なんじゃないかなと、同じようなことを考えました。
―優しい、いいお兄ちゃんでした。
藤原 その「優しい、いいお兄ちゃん」っていうのは、弟の前で見せるお兄ちゃんの顔で、本当のところは何もわからない。そういう裏側も見える映画になっていればいいなと思います。
―お兄ちゃんが一瞬怖く見えるところがありますね。お母さんの介護をずっと1人で背負ってきて、数年後に帰ってきた何もしなかった弟に対しての葛藤があると思いました。
藤原 そう見ていただけると嬉しいです。
―お母さんの言う「ありがとう」が他人に対しての「ありがとう」で、そこがお兄ちゃんには辛いだろうと思いました。お2人は、お若いので介護の経験はないでしょう?
長尾 祖父母はいますが、そこまでの介護はしていないです。
藤原 僕も未経験です。
―長尾さん、ご兄弟はいらっしゃいますか?
長尾 いません。ひとりっ子です。
―藤原さんは妹さんがいらっしゃるんですよね。
藤原 はい、そうです。姉もいます。
―女の子の間の男の子って特権階級みたいなものです(笑)。優遇されますよね。
長尾・藤原 (笑)そうですね。
藤原 たしかに、優遇という言い方はあれなんですけど、母からは可愛がってもらってたんじゃないかな、と思います。
―「しかたがないなぁ」と思いつつ弟は可愛い。お兄ちゃんは弟が生まれたとたん「お兄ちゃん」でいなくちゃいけなくて、それなのに…という辛さもあります。短い中にいろんなことが詰まっていて、監督さんがお若いのにこのお話、と驚きました。
藤原 僕もそう思いました。
長尾 うん。
―今振り返ってみて、印象に残っているシーンは?
藤原 最後に兄が弟に言う言葉ですね。封筒の。
あの台詞に白磯君が言いたかった兄弟の距離間というものが、全部詰まっているように思います。弟が東京で何をしてきたかということを知って、兄が問い詰めることもできた。でもそれを全部飲み込んで、あの台詞に全てを込めるっていうのがやりたかったことなんじゃないかな。
そのとき自分が演じていた和馬の表情も印象的だなと、自分自身思いました。
―まばたき多くなっていました。
藤原 (笑)
―お兄ちゃんはいかがでしょうか?
長尾 僕はその前夜の2人でタバコを吸うところ。弟がどういう時間を過ごして店の前に出てきたのか、言葉を用意していたのか、しなかったのかという2人の関係。兄ははじめ、次の日に行くことがわかっているのかいないのか。2人のあいだにたゆたう時間、とても印象的でしたね。
IMG_6917 (2).jpg
―この映画で耳に残ったのが、2人が呼ぶ「母ちゃん」なんです。いいな、と思いました。お2人差支えなかったら、お母さんを何と呼んでいらっしゃるか教えてください。
藤原 僕は「かあちゃん」って呼んでますね。
―映画と同じですね。長尾さんは?
長尾 ○○子。さん付けするか、しないか。
―名前を呼ぶんですか?
藤原 長尾さんらしいですね。
長尾 そうかな? 十代から両親は名前で呼んでいます。
―それは、ご両親に言われたわけじゃなくて、自分で?
長尾 はい、自分で。家に来る友達もみんなそう呼んでいました。
―母親という役割より○○子さんが前に出ているって、すごく個人的というか欧米っぽいです。
長尾 反抗期のころで、所詮他人だろうっていうのもあって。その方が人として敬意をもって接することができるだろう、と。お袋っていうのもなんかちょっと。
藤原 父親のことを「親父」って呼べないな、呼んでみたいな、とかありますけど。「所詮他人だろう」っていうのは言い方を変えれば、他人として認識している。「母」ってあてはめちゃうとどうしても甘えが出てきちゃいますが、一人の他人だと認識することで敬意を持てる側面もあると思います。
―個人として尊重しているって感じがしますね。クールだ!とっても(笑)。
藤原 原田芳雄さんも自分の息子に下の名前で呼ばせてたって。
長尾 そうなんだ。
―監督が俳優を選ぶように、俳優も作品を選びますね。そのときに決め手になるものはなんですか?
藤原 やっぱり最初に脚本。その次に過去の作品。スタッフ、で最後にキャストですね。
―自分のほかに誰が出るかということですね。自分の役柄についてこだわりはありますか?
藤原 それよりも、その役柄がその作品にどういった影響を及ぼしているかとか、作品のことをまずは考えて、小さい役でもそれに参加すべきだなと思ったら参加します。
―例えば快楽殺人犯の役とか、自分はちょっとと思うことは?
藤原 新しい感情とか、新しい自分に出逢えるチャンスがあるなら僕は飛び込みたい、と思っています。
―おお、チャレンジャーです! 長尾さんは?
長尾 監督含め、撮りたい方々が…なんとなくこういうと生意気かもしれないですけど、今の世の中に対してどう思っているかということが感じられると嬉しいですね。参加する身としては。自分が生きている環境、取り巻いている世界に対して、どういうものを持って表現したいかを、監督、脚本から感じ取れると参加させてもらえる意義を感じる気がします。
―監督さんにもよると思いますが、たとえば自分の役作りでたくさんディスカッションしたいほうですか? 任されたいほうですか?
長尾 どっちでも(笑)。
藤原 長尾さん結構、「向こうが望むなら僕はするし」という、なんかいい意味での受け入れというか、懐の深さがある人だなと現場で思いました。
―受け入れる間口広いんですね。かなり広いんですか?
長尾 それで季節くんをとまどわせてしまったかも(笑)。
藤原 最初とまどいました。
―広いと嬉しくないですか?ストライクゾーン広くて、どんなのも受け止めてくれる。
藤原 多少イラっとすることとか、これは言わなきゃっていうことも長尾さんは絶対言わない。全部受け止める。この人何考えてるんだろうと、最初思いましたね。
長尾(笑)
―映画の中村兄弟みたいですね。
藤原 そうですね。スタッフが映画を撮ったことのないチームだったので、最初はやり方がわからない中でしたが、3,4日経つと長尾さんや僕が望んでいた動き方に自然となっていきました。お芝居の中で起きたことを撮る。最初は「撮る」ことが目的なんですけど、僕たち2人の中で起きたことを撮ろうという流れに変わっていったんです。まずお芝居を見てから、何を撮るか考えよう、みんなでって。それは長尾さんが初日から黙っていたことで、自然発生的に起きていったことでしたね。
―呼び水。黙って。
長尾 そんなたいそうなもんじゃない(笑)。
―ご本人はそんなに意識しないでやっていたんでしょうか?
長尾 しないと言ったらウソになるかと思うんですけど。なんか見ないようにしようと思って(笑)、変な言い方だけど。
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―では最後にこの映画のテーマのひとつでもある「消えてほしくないもの」はなんですか?パッと思いついたことを。
藤原 パッと思いつくもの。手書きの手紙とか捨てられないです。新しくいろんなものが生まれていって、人の体温の残っている直筆の手紙は減っていくのかもしれないですけど、消えてほしくないなと思いますね。
―お母さんからの手紙はとってあるんですか?
藤原 ずーっと全部とってあります。捨てられないです。
―10年分?! お返事は出しています?
藤原 出してませんね。
―親って手紙すごく待っているんですよ。
藤原 そうですよね、書いてみます。やっぱりメールとかと違いますよね。
―違いますよー。お母さんを思って時間かけて書くんですから。
ハガキでいいですし、何と書いてあったって親は嬉しいものです。
藤原 はい、わかりました。
―長尾さんの消えてほしくないものは?
長尾 僕は「家族との思い出」ですかね。ぱっと思い浮かぶのは。どこかに行ったとか忘れてることって意外とたくさんあるなと思って。
―思い出は自分だけのものですものね。形のあるものでは何か?
長尾 その辺の再開発で、好きだった古くからの料理屋さんとかがなくなるのはとっても悲しい。
藤原 「家族との思い出」ってハッとしますね。全部消えていくものじゃないですか。
長尾 うんうん。
藤原 なんか切ないですね。それは。
―この映画で、お母さんが忘れていってしまうのにも繫がりますよね。和馬とお兄ちゃんにも。
藤原 それをわかったうえで「家族の思い出」って着想する長尾さんにぐっとくるものがあります。
長尾(笑)
―素敵なお答えをいただけました。ありがとうございました。
『中村屋酒店の兄弟』藤原季節さん、長尾卓磨さんインタビュー
―お2人は最初から俳優を目指していらっしゃったんですか?
藤原 僕は物心ついた時から俳優になりたいと思っていました。映画が好きだったんですよ。ジャッキー・チェンに憧れて、絶対俳優になるぞと決めていたので高校卒業後上京しました。
―じゃあ夢を叶えられたんですね。
藤原 まあまだ途中ではありますけれども。一応。
長尾 子どものころ、「先祖が上杉謙信だよ」と聞いて、戦国武将になりたかったんです。現代社会では無理だなと思って、馬に乗って刀振り回すにはこの中に入ればいいのかなって。それが中井貴一さん主演の「武田信玄」(1988年大河ドラマ)。仕事としては大学卒業してから広告代理店に入って、遠回りしました。
―俳優じゃなく”武将”が始まり!だからお城巡りがお好きなんですね。なりたかった武将役は?
長尾 『信虎』(2021/金子修介監督)で上杉景勝(長尾顕景)役をやらせていただきました。やってみたいのは、やはり上杉謙信(長尾景虎)役です。
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―役をいただいたときと、演じ終わってから印象の違いはありましたか?
藤原 役をいただいたときは、兄弟との関係性で役を見ているというよりは「和馬」という役にフォーカスして見ていたんです。東京と実家を行き来して居場所を探している青年を演じるんだな、って。演じ終わったときに、長尾さんっていうお兄ちゃんと共演して「兄と一緒にいるときの自分」っていうのは、ある意味弟という役割だったり、仮面をかぶった弟という人間を演じようとしている青年でもあるなと思って。それが自分が働いている、東京でやってきたこととかが兄にバレたりして、そういう身ぐるみ剥がされていくというか正体がバレていくところの変化だったり、関係性においての青年にフォーカスを合わせて見れるようになった。それが演じる前と後では違いました。
長尾 僕も最初の印象では「何を勝手なこと言ってるんだ」と弟に対してあったんですけど、季節くんが、会った瞬間から可愛くて、どんどん可愛くなってきて、なんかずっと横顔を見ていたような感覚がありました。
監督が常々「優しく、もっともっと優しく接してください。怖いほど優しく。全て表面上は優しく」と言っていて。終わったときは、今、季節くんが言ってくれたみたいに、「兄という役割を自分で作っている」「兄としての役割を急に演じなくてはいけないと思いこんだ人間」なんじゃないかなと、同じようなことを考えました。
―優しい、いいお兄ちゃんでした。
藤原 その「優しい、いいお兄ちゃん」っていうのは、弟の前で見せるお兄ちゃんの顔で、本当のところは何もわからない。そういう裏側も見える映画になっていればいいなと思います。
―お兄ちゃんが一瞬怖く見えるところがありますね。お母さんの介護をずっと1人で背負ってきて、数年後に帰ってきた何もしなかった弟に対しての葛藤があると思いました。
藤原 そう見ていただけると嬉しいです。
―お母さんの言う「ありがとう」が他人に対しての「ありがとう」で、そこがお兄ちゃんには辛いだろうと思いました。お2人は、お若いので介護の経験はないでしょう?
長尾 祖父母はいますが、そこまでの介護はしていないです。
藤原 僕も未経験です。
―長尾さん、ご兄弟はいらっしゃいますか?
長尾 いません。ひとりっ子です。
―藤原さんは妹さんがいらっしゃるんですよね。
藤原 はい、そうです。姉もいます。
―女の子の間の男の子って特権階級みたいなものです(笑)。優遇されますよね。
長尾・藤原 (笑)そうですね。
藤原 たしかに、優遇という言い方はあれなんですけど、母からは可愛がってもらってたんじゃないかな、と思います。
―「しかたがないなぁ」と思いつつ弟は可愛い。お兄ちゃんは弟が生まれたとたん「お兄ちゃん」でいなくちゃいけなくて、それなのに…という辛さもあります。短い中にいろんなことが詰まっていて、監督さんがお若いのにこのお話、と驚きました。
藤原 僕もそう思いました。
長尾 うん。
―今振り返ってみて、印象に残っているシーンは?
藤原 最後に兄が弟に言う言葉ですね。封筒の。
あの台詞に白磯君が言いたかった兄弟の距離間というものが、全部詰まっているように思います。弟が東京で何をしてきたかということを知って、兄が問い詰めることもできた。でもそれを全部飲み込んで、あの台詞に全てを込めるっていうのがやりたかったことなんじゃないかな。
そのとき自分が演じていた和馬の表情も印象的だなと、自分自身思いました。
―まばたき多くなっていました。
藤原 (笑)
―お兄ちゃんはいかがでしょうか?
長尾 僕はその前夜の2人でタバコを吸うところ。弟がどういう時間を過ごして店の前に出てきたのか、言葉を用意していたのか、しなかったのかという2人の関係。兄ははじめ、次の日に行くことがわかっているのかいないのか。2人のあいだにたゆたう時間、とても印象的でしたね。
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―この映画で耳に残ったのが、2人が呼ぶ「母ちゃん」なんです。いいな、と思いました。お2人差支えなかったら、お母さんを何と呼んでいらっしゃるか教えてください。
藤原 僕は「かあちゃん」って呼んでますね。
―映画と同じですね。長尾さんは?
長尾 ○○子。さん付けするか、しないか。
―名前を呼ぶんですか?
藤原 長尾さんらしいですね。
長尾 そうかな? 十代から両親は名前で呼んでいます。
―それは、ご両親に言われたわけじゃなくて、自分で?
長尾 はい、自分で。家に来る友達もみんなそう呼んでいました。
―母親という役割より○○子さんが前に出ているって、すごく個人的というか欧米っぽいです。
長尾 反抗期のころで、所詮他人だろうっていうのもあって。その方が人として敬意をもって接することができるだろう、と。お袋っていうのもなんかちょっと。
藤原 父親のことを「親父」って呼べないな、呼んでみたいな、とかありますけど。「所詮他人だろう」っていうのは言い方を変えれば、他人として認識している。「母」ってあてはめちゃうとどうしても甘えが出てきちゃいますが、一人の他人だと認識することで敬意を持てる側面もあると思います。
―個人として尊重しているって感じがしますね。クールだ!とっても(笑)。
藤原 原田芳雄さんも自分の息子に下の名前で呼ばせてたって。
長尾 そうなんだ。
―監督が俳優を選ぶように、俳優も作品を選びますね。そのときに決め手になるものはなんですか?
藤原 やっぱり最初に脚本。その次に過去の作品。スタッフ、で最後にキャストですね。
―自分のほかに誰が出るかということですね。自分の役柄についてこだわりはありますか?
藤原 それよりも、その役柄がその作品にどういった影響を及ぼしているかとか、作品のことをまずは考えて、小さい役でもそれに参加すべきだなと思ったら参加します。
―例えば快楽殺人犯の役とか、自分はちょっとと思うことは?
藤原 新しい感情とか、新しい自分に出逢えるチャンスがあるなら僕は飛び込みたい、と思っています。
―おお、チャレンジャーです! 長尾さんは?
長尾 監督含め、撮りたい方々が…なんとなくこういうと生意気かもしれないですけど、今の世の中に対してどう思っているかということが感じられると嬉しいですね。参加する身としては。自分が生きている環境、取り巻いている世界に対して、どういうものを持って表現したいかを、監督、脚本から感じ取れると参加させてもらえる意義を感じる気がします。
―監督さんにもよると思いますが、たとえば自分の役作りでたくさんディスカッションしたいほうですか? 任されたいほうですか?
長尾 どっちでも(笑)。
藤原 長尾さん結構、「向こうが望むなら僕はするし」という、なんかいい意味での受け入れというか、懐の深さがある人だなと現場で思いました。
―受け入れる間口広いんですね。かなり広いんですか?
長尾 それで季節くんをとまどわせてしまったかも(笑)。
藤原 最初とまどいました。
―広いと嬉しくないですか?ストライクゾーン広くて、どんなのも受け止めてくれる。
藤原 多少イラっとすることとか、これは言わなきゃっていうことも長尾さんは絶対言わない。全部受け止める。この人何考えてるんだろうと、最初思いましたね。
長尾(笑)
―映画の中村兄弟みたいですね。
藤原 そうですね。スタッフが映画を撮ったことのないチームだったので、最初はやり方がわからない中でしたが、3,4日経つと長尾さんや僕が望んでいた動き方に自然となっていきました。お芝居の中で起きたことを撮る。最初は「撮る」ことが目的なんですけど、僕たち2人の中で起きたことを撮ろうという流れに変わっていったんです。まずお芝居を見てから、何を撮るか考えよう、みんなでって。それは長尾さんが初日から黙っていたことで、自然発生的に起きていったことでしたね。
―呼び水。黙って。
長尾 そんなたいそうなもんじゃない(笑)。
―ご本人はそんなに意識しないでやっていたんでしょうか?
長尾 しないと言ったらウソになるかと思うんですけど。なんか見ないようにしようと思って(笑)、変な言い方だけど。
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―では最後にこの映画のテーマのひとつでもある「消えてほしくないもの」はなんですか?パッと思いついたことを。
藤原 パッと思いつくもの。手書きの手紙とか捨てられないです。新しくいろんなものが生まれていって、人の体温の残っている直筆の手紙は減っていくのかもしれないですけど、消えてほしくないなと思いますね。
―お母さんからの手紙はとってあるんですか?
藤原 ずーっと全部とってあります。捨てられないです。
―10年分?! お返事は出しています?
藤原 出してませんね。
―親って手紙すごく待っているんですよ。
藤原 そうですよね、書いてみます。やっぱりメールとかと違いますよね。
―違いますよー。お母さんを思って時間かけて書くんですから。
ハガキでいいですし、何と書いてあったって親は嬉しいものです。
藤原 はい、わかりました。
―長尾さんの消えてほしくないものは?
長尾 僕は「家族との思い出」ですかね。ぱっと思い浮かぶのは。どこかに行ったとか忘れてることって意外とたくさんあるなと思って。
―思い出は自分だけのものですものね。形のあるものでは何か?
長尾 その辺の再開発で、好きだった古くからの料理屋さんとかがなくなるのはとっても悲しい。
藤原 「家族との思い出」ってハッとしますね。全部消えていくものじゃないですか。
長尾 うんうん。
藤原 なんか切ないですね。それは。
―この映画で、お母さんが忘れていってしまうのにも繫がりますよね。和馬とお兄ちゃんにも。
藤原 それをわかったうえで「家族の思い出」って着想する長尾さんにぐっとくるものがあります。
長尾(笑)
―素敵なお答えをいただけました。ありがとうございました。
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