【情報】あす3月21日(土)夜7時〜
フジテレビ系列にて 3時間
緊急生放送!! FNS音楽特別番組
春は必ず来る
の、みどころを
このあと21時49分から急遽放送!!
約5分間
濃縮してお伝えします!
新録コメントもあります!
#堂本光一 #EndlessSHOCK
#森高千里 #上白石萌音
※一部地域をのぞく
フジテレビ系列にて 3時間
緊急生放送!! FNS音楽特別番組
春は必ず来る
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#堂本光一 #EndlessSHOCK
#森高千里 #上白石萌音
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【情報】KinKi Kids/KAT-TUN/ふぉ~ゆ~/ジャニーズJr. 新写真販売開始
~ステージコーナーにて販売~
堂本光一・上田竜也・越岡裕貴・松崎祐介・寺西拓人・高田翔・椿泰我・松井奏
「Endless SHOCK 20th Anniversary」グッズオフショット<43点>
【販売開始日】ショップオンライン【2020/3/1(日)から2020/5/6(水・休)までの期間限定販売】
~ステージコーナーにて販売~
堂本光一・上田竜也・越岡裕貴・松崎祐介・寺西拓人・高田翔・椿泰我・松井奏
「Endless SHOCK 20th Anniversary」グッズオフショット<43点>
【販売開始日】ショップオンライン【2020/3/1(日)から2020/5/6(水・休)までの期間限定販売】
堂本剛を救い、導いた「愛」 母とジャニーさんへの思い(有料会員限定記事)
https://t.cn/AisCgk2W
奈良で生まれ育ち、仏像修復師や刀鍛冶(かじ)といった、1人で黙々と対象と向き合う仕事に憧れていた。それが、きらめくステージに立つ人気アイドルに。不惑と言われる40歳になった今も、堂本剛さんは「想定とは真逆(まぎゃく)の人生になった」という戸惑いを感じることがある。その世界で新たな表現に挑み続け、芸能活動を続けられるかという危機も乗り越えた。支えになったのは、大切な人たちの言葉だった。
堂本剛さんが導き…奈良に移った打楽器奏者「東京と逆」
心身に訪れた2度の危機
12歳で家族が履歴書を送り、ジャニーズ事務所へ。18歳でKinKi Kidsとしてデビューし、ミリオンセラーを連発。俳優としても活躍するが、デビュー後10年ほどは忙しすぎて、日常の記憶がほとんどないという。疲れ果て、テレビ局の廊下に座り込んで眠ってしまったことも。
10代のときに体調を崩し、パニック障害と診断されたが、当時の社会では今ほどこの疾患は理解されてはいなかった。今でも時々、症状に悩まされる。
さらにデビュー20周年の2017年、突発性難聴を発症。大きな音が耳の中で響く音響障害に悩んだ。なんとか日常生活を送れるまで回復し、今は後遺症の克服に向き合っている。
10代のときも難聴のときも、懸命に支えてくれたのは母、姉、家族だった。母とは子供の頃から何でも話せる仲。10代のつらい時期、たわいもない会話の中で母が授けてくれた言葉が心にしみた。
「愛は求めるものではなく、与えるものなんだよ」
あなたは悪くない。周囲があなたに求める一方では、体が壊れてもおかしくない――そんないたわり。半面、求められるなら与える強さを持ってほしい、つらくても人生を諦めないで――という励ましも感じた。
アイドルだから、を消し去り
母は幼いときに戦争で空襲を体験している。愛とともに、平和の大切さといったこともずっと口にしてきたのは、そんな人生体験があるからだ。その母の言葉は、自身の音楽、エンターテインメントの核にもなっている。
2000年代にアーティスト「ENDLICHERI☆ENDLICHERI」(現在は「ENDRECHERI」)として本格的にソロでの創作活動を始めた。魅せられたのは、黒人音楽のファンク。人種や国籍を超える多様性、自分一人が主役になるのではなく皆で平等に音を進めていくところにひかれたのは、母の教えに通じるところもあるからだろう。
日本でファンクは決してメジャーではない。でも、昨夏亡くなったジャニーズ事務所の創業者、ジャニー喜多川さんはこう言った。
「YOUはYOUのルールでやらなきゃダメだよ」
アイドルだからこうあるべきだという概念を頭の中から消し去り、アイドルがなじみのない音楽を手がけることの面白さを選んだ。
「人のやっていないことをしなきゃダメ」「海外で通用するものを」とも言われた。それこそファンクだ。そして自分にしかできない、「愛を与える」表現方法だと思っている。
ジャニーさんへの愛
ジャニーズ初のデュオであるKinKi Kidsとして、相方の堂本光一さんとともに、事務所では誰もしていない様々な経験に挑んできたという自負がある。昨年12月から1月1日まで、東京ドームと京セラドーム大阪で行われたコンサートでは、ジャニーさんへの思いも存分に語った。
ジャニーさんが亡くなったあと、不思議な力がみなぎっているという。「ジャニーさんは僕らの中で生きている。彼が生前にかなえられなかったことを僕らが生み出せたらうれしい」
輝く舞台で、人々に囲まれて。かつての憧れとは違う人生を歩んでいるけれど、これが運命だったのだろうと、今は思っている。(林るみ)
◇
〈どうもと・つよし〉 1979年、奈良県生まれ。KinKi Kidsとして97年デビュー。2002年、自作の「街/溺愛ロジック」でソロデビュー。バラエティー番組「KinKi Kidsのブンブブーン!」に出演中。
https://t.cn/AisCgk2W
奈良で生まれ育ち、仏像修復師や刀鍛冶(かじ)といった、1人で黙々と対象と向き合う仕事に憧れていた。それが、きらめくステージに立つ人気アイドルに。不惑と言われる40歳になった今も、堂本剛さんは「想定とは真逆(まぎゃく)の人生になった」という戸惑いを感じることがある。その世界で新たな表現に挑み続け、芸能活動を続けられるかという危機も乗り越えた。支えになったのは、大切な人たちの言葉だった。
堂本剛さんが導き…奈良に移った打楽器奏者「東京と逆」
心身に訪れた2度の危機
12歳で家族が履歴書を送り、ジャニーズ事務所へ。18歳でKinKi Kidsとしてデビューし、ミリオンセラーを連発。俳優としても活躍するが、デビュー後10年ほどは忙しすぎて、日常の記憶がほとんどないという。疲れ果て、テレビ局の廊下に座り込んで眠ってしまったことも。
10代のときに体調を崩し、パニック障害と診断されたが、当時の社会では今ほどこの疾患は理解されてはいなかった。今でも時々、症状に悩まされる。
さらにデビュー20周年の2017年、突発性難聴を発症。大きな音が耳の中で響く音響障害に悩んだ。なんとか日常生活を送れるまで回復し、今は後遺症の克服に向き合っている。
10代のときも難聴のときも、懸命に支えてくれたのは母、姉、家族だった。母とは子供の頃から何でも話せる仲。10代のつらい時期、たわいもない会話の中で母が授けてくれた言葉が心にしみた。
「愛は求めるものではなく、与えるものなんだよ」
あなたは悪くない。周囲があなたに求める一方では、体が壊れてもおかしくない――そんないたわり。半面、求められるなら与える強さを持ってほしい、つらくても人生を諦めないで――という励ましも感じた。
アイドルだから、を消し去り
母は幼いときに戦争で空襲を体験している。愛とともに、平和の大切さといったこともずっと口にしてきたのは、そんな人生体験があるからだ。その母の言葉は、自身の音楽、エンターテインメントの核にもなっている。
2000年代にアーティスト「ENDLICHERI☆ENDLICHERI」(現在は「ENDRECHERI」)として本格的にソロでの創作活動を始めた。魅せられたのは、黒人音楽のファンク。人種や国籍を超える多様性、自分一人が主役になるのではなく皆で平等に音を進めていくところにひかれたのは、母の教えに通じるところもあるからだろう。
日本でファンクは決してメジャーではない。でも、昨夏亡くなったジャニーズ事務所の創業者、ジャニー喜多川さんはこう言った。
「YOUはYOUのルールでやらなきゃダメだよ」
アイドルだからこうあるべきだという概念を頭の中から消し去り、アイドルがなじみのない音楽を手がけることの面白さを選んだ。
「人のやっていないことをしなきゃダメ」「海外で通用するものを」とも言われた。それこそファンクだ。そして自分にしかできない、「愛を与える」表現方法だと思っている。
ジャニーさんへの愛
ジャニーズ初のデュオであるKinKi Kidsとして、相方の堂本光一さんとともに、事務所では誰もしていない様々な経験に挑んできたという自負がある。昨年12月から1月1日まで、東京ドームと京セラドーム大阪で行われたコンサートでは、ジャニーさんへの思いも存分に語った。
ジャニーさんが亡くなったあと、不思議な力がみなぎっているという。「ジャニーさんは僕らの中で生きている。彼が生前にかなえられなかったことを僕らが生み出せたらうれしい」
輝く舞台で、人々に囲まれて。かつての憧れとは違う人生を歩んでいるけれど、これが運命だったのだろうと、今は思っている。(林るみ)
◇
〈どうもと・つよし〉 1979年、奈良県生まれ。KinKi Kidsとして97年デビュー。2002年、自作の「街/溺愛ロジック」でソロデビュー。バラエティー番組「KinKi Kidsのブンブブーン!」に出演中。
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