二宮和也、結婚で「心配をかけてしまった」 ファンへの思いとタイミングの理由明かす
アイドルグループ・嵐の二宮和也が16日、都内で行われた「2020年用年賀状 受付開始セレモニー」に登場し、11月12日に発表した自身の結婚について語った。
終了後に取材に応じた二宮。年賀状も夫婦連名に……という指摘には「確かにそうですね。考えてなかったけど」と苦笑する。「今回の結婚に関して、こういう報告ってどうしても突然になってしまう。ファンの人たちには心配をかけてしまったし、メンバーにも前から伝えてはいますけど、決断をすることでいろいろ迷惑をかけてしまったということは本当に申し訳なく思っています。ただこれから活動自体も続けていくわけで、約1年、変わらず頑張っていこうという思いはあります」と心境を吐露する。
結婚のタイミングについて問われると、「11月3日にありがたいことに20周年を迎えさせていただいて、そこから新しい挑戦もあって、『奉祝の儀』というあんなに大きな役もいただきまして、『JET STORM』という企画でアジア4都市に僕らの20年の感謝を伝えられたというのがそこだったので、タイミングとして。20年という区切りでもありますので、自分の決断をさせていただいたという感じです」と説明。前から事務所とも話し合い、「20年迎えたらそこにしましょうという中で、スケジュールを見ていくと、一段落つくところがそこだった」という。
メンバーの反応については「『ああ、そうですか』という感じで、それぞれ思いがありますから、そこは尊重して。馬鹿騒ぎするわけでもないですから」と語る二宮。嵐で最初の結婚になったが「誰がしたって最初になってしまうし、誰かがしたから誰かがするというわけでもないですし、それぞれタイミングがあると思ってますので、自分が第1号とかはあまり考えてなかったです」「自分のタイミングとしては、20年を超えてから。そこまではファンの人たちと一緒に、と思っていましたし、結婚したからといってそれがなくなるわけでもない。よりいっそう前を向いて頑張らなければいけないなというタイミングだった」と笑顔を見せる。
さらにメンバーとの話し合いについては「それぞれの思いはあると思います。活動まで待ってほしいという人も、コンサートツアーが終わるまで待ってほしいという人も、もちろんいます。自分もそこを歩み寄って、自分のタイミングで決断させていただいたという感じです」と明かした。
コンサート中は一切結婚の話をしなかったというが、二宮は「ファンの人たちと同じように僕らにとっても特別な場所であるから、そこで個人的なプライベートな報告をするということは、僕の判断的にないかなと。翔ちゃんの挨拶にもある通り、コンサートは我々とファンの方たちが一緒に夢を見れる空間。だからラジオで報告しました。自分ごとは自分のところで報告しようとは決めてました」と意図を語る。
最後に改めて二宮は、ファンに向けて「結婚発表に関して、どうしても突然になってしまうので、心配をおかけしたなと思っていて、本当に申し訳ないなと思っていますけど、結婚をする前と後とかではなく、ずっと変わらず、二宮和也として嵐として頑張っていきたいと思っていますし、変わらず応援していただけたらありがたいなと思います。これからもよろしくお願いいたします。キワのキワまでみんなで楽しい思い出を作っていきたい」とメッセージ。またSNSでは「#二宮和也死ぬ気で幸せになれ」というハッシュタグが作られていたことを知らされると、「ありがとうございます。そんなこと言っていただけてありがたい」と嬉しそうにしていた。
アイドルグループ・嵐の二宮和也が16日、都内で行われた「2020年用年賀状 受付開始セレモニー」に登場し、11月12日に発表した自身の結婚について語った。
終了後に取材に応じた二宮。年賀状も夫婦連名に……という指摘には「確かにそうですね。考えてなかったけど」と苦笑する。「今回の結婚に関して、こういう報告ってどうしても突然になってしまう。ファンの人たちには心配をかけてしまったし、メンバーにも前から伝えてはいますけど、決断をすることでいろいろ迷惑をかけてしまったということは本当に申し訳なく思っています。ただこれから活動自体も続けていくわけで、約1年、変わらず頑張っていこうという思いはあります」と心境を吐露する。
結婚のタイミングについて問われると、「11月3日にありがたいことに20周年を迎えさせていただいて、そこから新しい挑戦もあって、『奉祝の儀』というあんなに大きな役もいただきまして、『JET STORM』という企画でアジア4都市に僕らの20年の感謝を伝えられたというのがそこだったので、タイミングとして。20年という区切りでもありますので、自分の決断をさせていただいたという感じです」と説明。前から事務所とも話し合い、「20年迎えたらそこにしましょうという中で、スケジュールを見ていくと、一段落つくところがそこだった」という。
メンバーの反応については「『ああ、そうですか』という感じで、それぞれ思いがありますから、そこは尊重して。馬鹿騒ぎするわけでもないですから」と語る二宮。嵐で最初の結婚になったが「誰がしたって最初になってしまうし、誰かがしたから誰かがするというわけでもないですし、それぞれタイミングがあると思ってますので、自分が第1号とかはあまり考えてなかったです」「自分のタイミングとしては、20年を超えてから。そこまではファンの人たちと一緒に、と思っていましたし、結婚したからといってそれがなくなるわけでもない。よりいっそう前を向いて頑張らなければいけないなというタイミングだった」と笑顔を見せる。
さらにメンバーとの話し合いについては「それぞれの思いはあると思います。活動まで待ってほしいという人も、コンサートツアーが終わるまで待ってほしいという人も、もちろんいます。自分もそこを歩み寄って、自分のタイミングで決断させていただいたという感じです」と明かした。
コンサート中は一切結婚の話をしなかったというが、二宮は「ファンの人たちと同じように僕らにとっても特別な場所であるから、そこで個人的なプライベートな報告をするということは、僕の判断的にないかなと。翔ちゃんの挨拶にもある通り、コンサートは我々とファンの方たちが一緒に夢を見れる空間。だからラジオで報告しました。自分ごとは自分のところで報告しようとは決めてました」と意図を語る。
最後に改めて二宮は、ファンに向けて「結婚発表に関して、どうしても突然になってしまうので、心配をおかけしたなと思っていて、本当に申し訳ないなと思っていますけど、結婚をする前と後とかではなく、ずっと変わらず、二宮和也として嵐として頑張っていきたいと思っていますし、変わらず応援していただけたらありがたいなと思います。これからもよろしくお願いいたします。キワのキワまでみんなで楽しい思い出を作っていきたい」とメッセージ。またSNSでは「#二宮和也死ぬ気で幸せになれ」というハッシュタグが作られていたことを知らされると、「ありがとうございます。そんなこと言っていただけてありがたい」と嬉しそうにしていた。
古谷先生好亚撒西[可怜]
「お守りのようでした」古谷一行から加藤シゲアキへ受け継がれたものとは?
https://t.cn/AiDKjdCq
いよいよ12月21日(土)21時15分からフジテレビで放送される、スペシャルドラマ『悪魔の手毬唄~金田一耕助、ふたたび~』。その制作発表が12月15日(日)に行われ、主演の加藤シゲアキをはじめ、中条あやみ、小瀧望(ジャニーズWEST)、寺島しのぶ、古谷一行が出席した。
同作で磯川常次郎役を演じる古谷一行と言えば、以前金田一耕助役を演じていたことはあまりにも有名。加藤も、昨年初めて金田一耕助を演じた際に「過去作品も参考に見ましたが、古谷さんの金田一はすごく引き込まれる魅力があった」と、役作りの参考として見た古谷の“金田一”のファンになったことを明かした。
そのうえでの共演に、「僕が金田一を演じる姿を古谷さんに見られてしまうということで、うれしさ半分、恐ろしさ半分」だったと回顧。しかし、「以前共演していた、(NEWSの)メンバーの小山(慶一郎)さんから優しい方だと聞いていましたし、実際にお会いしたらすごく気さくに話しかけてくださってうれしかった。素晴らしく貴重な経験をさせていただきました」と語った。
対する古谷は、実は最初に出演のオファーを受けた時点では迷いがあったというが、「“金田一”を一歩引いたところから見ることができるのは面白いのではと思って、今回のお話をお受けしました。本当に楽しい時間を過ごしました」と、撮影を振り返り笑顔でコメント。
そんな古谷は、今でも“金田一”から抜け切れていないようで、加藤から「撮影中、スタッフから『金田一さん、ちょっと右に』と言われると、僕よりも先に古谷さんが『はーい』って返事をして動かれるんですよ。それがかわいらしくて(笑)」と暴露されていた。
新旧“金田一”の2人の間には、受け継がれたものもあったという。加藤は、「袴を着る時にお腹に巻く腹布団を『僕、2つ持ってるから1個あげるよ』といただいたんです。だから、今回は“古谷”と名前が入った腹布団で金田一役に臨んでいました」といい、「お守りのようになっていました。これがあるから金田一になれるような、力を借りていました」と役を演じるうえで古谷からのプレゼントに助けられていたことを告白した。古谷も「使ってくれているんだね、ありがとう」と応え、新旧・金田一耕助の裏タッグ秘話に会場も大いに盛り上がった。
「お守りのようでした」古谷一行から加藤シゲアキへ受け継がれたものとは?
https://t.cn/AiDKjdCq
いよいよ12月21日(土)21時15分からフジテレビで放送される、スペシャルドラマ『悪魔の手毬唄~金田一耕助、ふたたび~』。その制作発表が12月15日(日)に行われ、主演の加藤シゲアキをはじめ、中条あやみ、小瀧望(ジャニーズWEST)、寺島しのぶ、古谷一行が出席した。
同作で磯川常次郎役を演じる古谷一行と言えば、以前金田一耕助役を演じていたことはあまりにも有名。加藤も、昨年初めて金田一耕助を演じた際に「過去作品も参考に見ましたが、古谷さんの金田一はすごく引き込まれる魅力があった」と、役作りの参考として見た古谷の“金田一”のファンになったことを明かした。
そのうえでの共演に、「僕が金田一を演じる姿を古谷さんに見られてしまうということで、うれしさ半分、恐ろしさ半分」だったと回顧。しかし、「以前共演していた、(NEWSの)メンバーの小山(慶一郎)さんから優しい方だと聞いていましたし、実際にお会いしたらすごく気さくに話しかけてくださってうれしかった。素晴らしく貴重な経験をさせていただきました」と語った。
対する古谷は、実は最初に出演のオファーを受けた時点では迷いがあったというが、「“金田一”を一歩引いたところから見ることができるのは面白いのではと思って、今回のお話をお受けしました。本当に楽しい時間を過ごしました」と、撮影を振り返り笑顔でコメント。
そんな古谷は、今でも“金田一”から抜け切れていないようで、加藤から「撮影中、スタッフから『金田一さん、ちょっと右に』と言われると、僕よりも先に古谷さんが『はーい』って返事をして動かれるんですよ。それがかわいらしくて(笑)」と暴露されていた。
新旧“金田一”の2人の間には、受け継がれたものもあったという。加藤は、「袴を着る時にお腹に巻く腹布団を『僕、2つ持ってるから1個あげるよ』といただいたんです。だから、今回は“古谷”と名前が入った腹布団で金田一役に臨んでいました」といい、「お守りのようになっていました。これがあるから金田一になれるような、力を借りていました」と役を演じるうえで古谷からのプレゼントに助けられていたことを告白した。古谷も「使ってくれているんだね、ありがとう」と応え、新旧・金田一耕助の裏タッグ秘話に会場も大いに盛り上がった。
#池田理代子[超话]#わが家に来ました
10月31日(木)
池田理代子です。
四国でのコンサートと講演の旅から戻ってきました。
二人で風邪をひいています。
大盛況だったコンサート会場は、村田を小さい時から知る人ばかりではなく、結構クラシック音楽には一家言あるような方たちも聞きに見えていたのですが、ブラボーの嵐でした。
高校時代の、歌を始めた頃を知る先生が、感動のあまり控室にまでおいでになって、「本当に上手くなった!努力を重ねたんだねえ」としきりに仰っていました。
中学時代から、音楽の先生方からは「音高へ進学しろ」と勧められていたのに、全く耳を貸さず、高校に入って漸く音大受験準備を始めたという村田ですが、その頃に教えていただいた歌の先生だそうです。
本格的に歌の勉強を始めた頃は、「OH」と歌いだすと「そんなドラえもんが笑っているような顔するんじゃない!!」とずいぶん怒られたそうで、ドラえもんが笑っているような顔って、クラシックを始める生徒がほとんどやる顔なのですが、どんな顔か想像がつくので、大笑いでした。
翌日は高松へ移動して、「香川日仏協会35周年」の会合で記念講演をしました。
その後のお食事の間に、地元出身のヴァイオリニストさんと歌手の方の演奏があり、村田も乗せられて一緒に「オー、シャンゼリゼ」を歌っていました。
ご出席のファンの方で、「あみぐるみ人形」を作っていらっしゃる方があり、この日は特別にオスカルやアンドレ、ルイ十六世などを持ってきて会場に飾ってくださいました。
その子たちが、熱海の我が家までやってきました。
私の母方の祖父の家は讃岐の松平家に仕えた家系でしたが、曽祖父が香川県知事を務めたことがあると聞いているけど、実は名前さえ覚えていないというお話をしたところ、会場にいらした方がすぐに調べて下さり、曽祖父の下の名前と、昭和六年に官選により第24代香川県知事に就任したことなどを教えてくださいました。
しかもその就任の日というのが何と、12月18日で、私の誕生日とおなじ!
現在の知事公邸から出席しておられた方もびっくりして、必ず記録が色々と残っているはずなので、調べて送りますと約束してくださいました。
実のところ曽孫の自分でも半信半疑でいたようなことが、事実だったと分かり、幼い時に祖父の家で、いかめしいひげを蓄えた肖像写真をいつも眺めていた、曽祖父の下の名前まで分かって、本当に嬉しかったです。
先祖のことにあまりに無関心だった自分を悔いました。
家に帰って、留守中に山口さんが色々と野菜を買って来ておいてくれたので、季節のきのこと高松で頂いたオリーブオイルで、色々料理を作ってみました。
この頃、まったく使わない魚焼きのオーブンで、いろいろな料理を作っています。
余った野菜でも何でも、これに入れて焼くと、旨味を閉じ込めたまま美味しく焼けるので重宝しています。
熱海市内の、井上紙店というお店で、11月11日のチケット販売を手伝ってくださっていたのですが、お預けしていたチケットがすべて捌けたとのご連絡があり、本日また追加チケットをお預けして参りました。
私の方にもそろそろ駆け込みのお申し込みも来るようになり、何とかお客様の人数も揃いそうで安堵しています。
これから、当日のプログラムなどを印刷しようと思っています。
★★★
老師還巧遇粉絲呢~
終於等到更新了[给你小心心]
10月31日(木)
池田理代子です。
四国でのコンサートと講演の旅から戻ってきました。
二人で風邪をひいています。
大盛況だったコンサート会場は、村田を小さい時から知る人ばかりではなく、結構クラシック音楽には一家言あるような方たちも聞きに見えていたのですが、ブラボーの嵐でした。
高校時代の、歌を始めた頃を知る先生が、感動のあまり控室にまでおいでになって、「本当に上手くなった!努力を重ねたんだねえ」としきりに仰っていました。
中学時代から、音楽の先生方からは「音高へ進学しろ」と勧められていたのに、全く耳を貸さず、高校に入って漸く音大受験準備を始めたという村田ですが、その頃に教えていただいた歌の先生だそうです。
本格的に歌の勉強を始めた頃は、「OH」と歌いだすと「そんなドラえもんが笑っているような顔するんじゃない!!」とずいぶん怒られたそうで、ドラえもんが笑っているような顔って、クラシックを始める生徒がほとんどやる顔なのですが、どんな顔か想像がつくので、大笑いでした。
翌日は高松へ移動して、「香川日仏協会35周年」の会合で記念講演をしました。
その後のお食事の間に、地元出身のヴァイオリニストさんと歌手の方の演奏があり、村田も乗せられて一緒に「オー、シャンゼリゼ」を歌っていました。
ご出席のファンの方で、「あみぐるみ人形」を作っていらっしゃる方があり、この日は特別にオスカルやアンドレ、ルイ十六世などを持ってきて会場に飾ってくださいました。
その子たちが、熱海の我が家までやってきました。
私の母方の祖父の家は讃岐の松平家に仕えた家系でしたが、曽祖父が香川県知事を務めたことがあると聞いているけど、実は名前さえ覚えていないというお話をしたところ、会場にいらした方がすぐに調べて下さり、曽祖父の下の名前と、昭和六年に官選により第24代香川県知事に就任したことなどを教えてくださいました。
しかもその就任の日というのが何と、12月18日で、私の誕生日とおなじ!
現在の知事公邸から出席しておられた方もびっくりして、必ず記録が色々と残っているはずなので、調べて送りますと約束してくださいました。
実のところ曽孫の自分でも半信半疑でいたようなことが、事実だったと分かり、幼い時に祖父の家で、いかめしいひげを蓄えた肖像写真をいつも眺めていた、曽祖父の下の名前まで分かって、本当に嬉しかったです。
先祖のことにあまりに無関心だった自分を悔いました。
家に帰って、留守中に山口さんが色々と野菜を買って来ておいてくれたので、季節のきのこと高松で頂いたオリーブオイルで、色々料理を作ってみました。
この頃、まったく使わない魚焼きのオーブンで、いろいろな料理を作っています。
余った野菜でも何でも、これに入れて焼くと、旨味を閉じ込めたまま美味しく焼けるので重宝しています。
熱海市内の、井上紙店というお店で、11月11日のチケット販売を手伝ってくださっていたのですが、お預けしていたチケットがすべて捌けたとのご連絡があり、本日また追加チケットをお預けして参りました。
私の方にもそろそろ駆け込みのお申し込みも来るようになり、何とかお客様の人数も揃いそうで安堵しています。
これから、当日のプログラムなどを印刷しようと思っています。
★★★
老師還巧遇粉絲呢~
終於等到更新了[给你小心心]
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