自存上海月亮一个人自聊[给力]
この芝居は、“ 人間と人間の信頼 ”、“ 基本的な人間のあり方 ”と、ああいう時代に日本人がやっていた“日本人の可能性”を信じて書かれています。自分がこの芝居を書いて思うのは、「○○人だから...とか△△人だから...ダメ」
ということはないということです。ーーー 井上ひさし。
2018年春、こまつ座と世田谷パブリックシアターの新たな共同制作作品として、井上ひさし中期の名作『シャンハイムーン』が上演される。2012、15年に上演した『藪原検校』に次ぐシリーズ第2弾。『阿Q正伝』『狂人日記』などで知られる中国の偉大な文学者にして、文学革命、思想革命の指導者でもあった魯迅。舞台は1934年、蒋介石の国民党政府からの逮捕令により追われる身となった魯迅と、彼を敬い匿った日本人たちのある1ヶ月間を描いた物語だ。栗山民也による待望の新演出のもと前作同様、主演を野村萬斎が務めるほか、その妻・許広平役に5年ぶりの舞台出演となる広末涼子が挑む。兵庫公演に先立ち、野村萬斎が作品への思いを語った。
野村萬斎
「親切は巡りめぐって返ってくる、愛情の原点が描かれた気持ちの良い作品です」
ーーシリーズ第2弾は『シャンハイムーン』に決定しました。
第1弾の『藪原検校』では、最貧困の盲目の少年が最高位の検校にまで成り上がる非情なる悪漢を演じさせていただき、好評をいただきました。味をしめての第2弾です(笑)。前回は17~27歳までの若い血流が渦巻いていましたが、今回はコンパクトに充実感のある“中年の話”。……というと、若い人が観に来なくなるからやめようかな(笑)。魯迅最晩年の話でもあり人生の終焉にさしかかり、生きてきたことに対する反目、煩悶、葛藤を描く作品になるのかな。日中の話の中に身を置いて、日本や隣の国のことについて考えるのはオリンピックを前にとても良い作品なのではないかとチョイスしました。
魯迅は、植民地支配下の中国で特権的に暮らす日本人の本屋に匿われる中国人という非常にややこしい立場なのですが、不思議なことに日本に対して非常に愛着を持っている。留学もしている。でも日本という国は嫌いという。いまの時代も国同士は緊張感を持ちつつも、日本に溢れかえるツーリストの姿を見ていると、個人同士ではそうでもないんじゃないかというギャップみたいなことを、現代的な問題としてこの作品にも映し出せるのではないかな。とはいえ、国家やアイデンティティのことばかりではなく、さすがは井上作品ですから抱腹絶倒なところもあるわけで。そこも単なるドタバタ喜劇ではなく緻密に伏線が張られている。魯迅が途中で失語症になって、単語を取り違えて発してしまう症状を引き起こしたりとか、色んな仕掛けがあって、そこから本心が炙り出されてしまうという傑作だと思います。
野村萬斎
ーー魯迅の妻・許広平を、広末涼子さんが務めることも話題です。
すでにお子さんもいらっしゃるのに、あの透明感は素晴らしいと思います。妻・許広平は魯迅より年若い教え子でありながら、実際的な奥さんですね。じつは魯迅には本当の奥さんがいて、数十年前に1週間程度しか一緒にいなかったその妻に実家のお母さんの介護を押し付けて、自分は許広平と一緒に上海に来ている。魯迅といえば聖人のような扱われ方ですが、実際は虫歯だらけで不摂生を繰り返し、表裏にいろいろな愛憎があった人。重味と軽味のバランスが非常によくできているお芝居だなと。その他のキャラクターにもそれぞれの裏話と生きざまが見えてくる、非情に緻密な作品です。
ーー現時点で魯迅をどう演じたいとお考えですか。
魯迅は表裏一体なものを抱えながらも、志に燃える人間だったと思うんですね。それは井上作品の魅力でもあると思います。志と現実という中に、人間は表裏一体なものを抱え、その複雑さにこまつ座ファンは惹かれるのだろうと。ここに出てくる本屋さんも実在したと聞きますし、たった一人の中国人作家のために、こんなにも一生懸命になれる日本人がいたってことに感銘を受けます。国同士ではなく、個人としてどれだけ好きかってことであり、魯迅としては愛されキャラじゃないといけないなと思います。
野村萬斎
ーー魯迅の失語症による言葉遊びが出てきたり、コミカルな演出は物語にどんな効果をもたらすのでしょう。
可笑しいだけではつまらないので、その中にも苦悶する人間が出てくるんだろうなと思います。言葉遊びをするには、まず台詞を覚えるのが大変で、失語症の場面でも濁点が入るとか、面倒臭い覚え方になるわけですよ。それを頑張ってやっていると、そこに面白さと意味が出てくる。ミラクルな場面がいくつもで出てくると思うので、期待していただきたいです。ライブならではの熱気というのは栗山さんもお好きな方で、なんと言っても小沢昭一さんの付き人をしていた方なので。ご自身も中学生の頃にギターのコンテストで優勝したり、非常にオタッキーな方でもあるので(笑)。遊びの部分をどう作っていくのかは、栗山さんご自身が楽しみにされていると思います。
ーー本作について井上さんは「基本的な人間のあり方を信じている」作品だとコメントされています。
恩と感謝が全体的に貫かれている気がしますね。作家のファンであり人道的に匿う日本人の本屋に魯迅も恩を感じる。そこに愛情の原点というものがあって、それは国の思想なんかを超越するんだと。最後に感動的なエピソードも出てきますし、恨みで終わるのではなく、色んな親切や愛情が巡りめぐって自分に返ってくる、非常に気持ちの良いお話ですね。
「中年は何かを振り返るチャンス、若い人はこれから生きる上で面白い作品になると思う」
ーー伝統芸能を軸足に舞台や映像など多方面でご活躍です。原動力の源とは?
アイデンティティをどう証明していくか、ということだと思います。能狂言がどんなに優れていると言われても、観てくださるファンの方に認められることで、我々のアイデンティティは確立されるので。やはりたくさんの方に知っていただき、他ジャンルとも見比べていただきたい。能狂言だけやっていれば十分だという方もいらっしゃるでしょうし、でも僕らは祖父の代から狂言は他ジャンルに拮抗しうることを証明したいという思いがあります。そうしたときに他のジャンルや空間、現代劇の役者さんとやることで、我々のアドバンテージもあれば、逆にナチュラルな芝居とは違う我々の様式性をどう緩めて近づけていけるのか。まさに『シャンハイムーン』でもそこが試されるのだと思います。
野村萬斎
ーー様式性を緩める、ですか。
能狂言は様式美ですが、それも中身がないと始まらない。そこは型が先か中身が先かの違いで(他ジャンルと)変わらない。内なる充実を意識するために外に出て、色んな演出家と出会い演技術を見ることは非常に勉強になります。第一人者とやるのは自分を強くしますよね。やっぱり自分の芸のためには、自分より上手い人とやらないとダメですね。
ーー現代劇の経験も、最後は狂言に還元されていく。
そうだと思いますね。例えばいまの若い人のなかにも、華があると言われる人は確かに吸引力がある。そうしたときに、自分は違う方法で舞台に立ち向かって存在しないといけない。世阿弥の言葉に「時分の花」というのがありますが、年相応の花を咲かせていくという意味で、いま50代の僕は先輩方を見ながら60代、70代での演技というものを少しずつ勉強しているところ。80代の親父さんの芸を、いまの僕がやっても意味のないことですからね。そういう違いを意識しながら日々勉強と思っています。
野村萬斎野村萬斎
ーー最後に、冒頭で「中年の話」というご紹介もありましたが、同世代の方にはどのように作品を楽しんでいただきたいですか。
あんまり中年の話には括りたくないのですが(苦笑)。皆さんもどうなんですかね。20、30代は大学を卒業して一生懸命就職して、とりあえず生きていく。ある意味“勢いで生きる!”みたいなところがあって、ふと40歳を迎えたあたりから志と現実というところで、今までの生き方がどうであったかを立ち返る瞬間がある。そこで、正しいかは分からないけれど、ちょっと変えてみようとかと思ったり。皆さんも色々と感じられるんじゃないでしょうか。
惑わぬ人もいれば、惑う人も絶対いると思う。僕自身、最近になってやっと惑わなくなりました。以前は、能狂言のアイデンティティが証明しきれなくなるんじゃないかと諦めそうになったり、このまま役者業に進んだ方がいいんじゃないかとか、思わなくもなかったですから。やっぱり突っ走ってきた所から一息ついた時に、「何だったんだろうな?」となにかを振り返るチャンスになるかもしれませんね。……でもやっぱり、若い人にも観ていただきたいです(笑)! ちょっと先の話かもしれませんがこれから生きていく上で、きっと面白い作品になると思います。
野村萬斎
この芝居は、“ 人間と人間の信頼 ”、“ 基本的な人間のあり方 ”と、ああいう時代に日本人がやっていた“日本人の可能性”を信じて書かれています。自分がこの芝居を書いて思うのは、「○○人だから...とか△△人だから...ダメ」
ということはないということです。ーーー 井上ひさし。
2018年春、こまつ座と世田谷パブリックシアターの新たな共同制作作品として、井上ひさし中期の名作『シャンハイムーン』が上演される。2012、15年に上演した『藪原検校』に次ぐシリーズ第2弾。『阿Q正伝』『狂人日記』などで知られる中国の偉大な文学者にして、文学革命、思想革命の指導者でもあった魯迅。舞台は1934年、蒋介石の国民党政府からの逮捕令により追われる身となった魯迅と、彼を敬い匿った日本人たちのある1ヶ月間を描いた物語だ。栗山民也による待望の新演出のもと前作同様、主演を野村萬斎が務めるほか、その妻・許広平役に5年ぶりの舞台出演となる広末涼子が挑む。兵庫公演に先立ち、野村萬斎が作品への思いを語った。
野村萬斎
「親切は巡りめぐって返ってくる、愛情の原点が描かれた気持ちの良い作品です」
ーーシリーズ第2弾は『シャンハイムーン』に決定しました。
第1弾の『藪原検校』では、最貧困の盲目の少年が最高位の検校にまで成り上がる非情なる悪漢を演じさせていただき、好評をいただきました。味をしめての第2弾です(笑)。前回は17~27歳までの若い血流が渦巻いていましたが、今回はコンパクトに充実感のある“中年の話”。……というと、若い人が観に来なくなるからやめようかな(笑)。魯迅最晩年の話でもあり人生の終焉にさしかかり、生きてきたことに対する反目、煩悶、葛藤を描く作品になるのかな。日中の話の中に身を置いて、日本や隣の国のことについて考えるのはオリンピックを前にとても良い作品なのではないかとチョイスしました。
魯迅は、植民地支配下の中国で特権的に暮らす日本人の本屋に匿われる中国人という非常にややこしい立場なのですが、不思議なことに日本に対して非常に愛着を持っている。留学もしている。でも日本という国は嫌いという。いまの時代も国同士は緊張感を持ちつつも、日本に溢れかえるツーリストの姿を見ていると、個人同士ではそうでもないんじゃないかというギャップみたいなことを、現代的な問題としてこの作品にも映し出せるのではないかな。とはいえ、国家やアイデンティティのことばかりではなく、さすがは井上作品ですから抱腹絶倒なところもあるわけで。そこも単なるドタバタ喜劇ではなく緻密に伏線が張られている。魯迅が途中で失語症になって、単語を取り違えて発してしまう症状を引き起こしたりとか、色んな仕掛けがあって、そこから本心が炙り出されてしまうという傑作だと思います。
野村萬斎
ーー魯迅の妻・許広平を、広末涼子さんが務めることも話題です。
すでにお子さんもいらっしゃるのに、あの透明感は素晴らしいと思います。妻・許広平は魯迅より年若い教え子でありながら、実際的な奥さんですね。じつは魯迅には本当の奥さんがいて、数十年前に1週間程度しか一緒にいなかったその妻に実家のお母さんの介護を押し付けて、自分は許広平と一緒に上海に来ている。魯迅といえば聖人のような扱われ方ですが、実際は虫歯だらけで不摂生を繰り返し、表裏にいろいろな愛憎があった人。重味と軽味のバランスが非常によくできているお芝居だなと。その他のキャラクターにもそれぞれの裏話と生きざまが見えてくる、非情に緻密な作品です。
ーー現時点で魯迅をどう演じたいとお考えですか。
魯迅は表裏一体なものを抱えながらも、志に燃える人間だったと思うんですね。それは井上作品の魅力でもあると思います。志と現実という中に、人間は表裏一体なものを抱え、その複雑さにこまつ座ファンは惹かれるのだろうと。ここに出てくる本屋さんも実在したと聞きますし、たった一人の中国人作家のために、こんなにも一生懸命になれる日本人がいたってことに感銘を受けます。国同士ではなく、個人としてどれだけ好きかってことであり、魯迅としては愛されキャラじゃないといけないなと思います。
野村萬斎
ーー魯迅の失語症による言葉遊びが出てきたり、コミカルな演出は物語にどんな効果をもたらすのでしょう。
可笑しいだけではつまらないので、その中にも苦悶する人間が出てくるんだろうなと思います。言葉遊びをするには、まず台詞を覚えるのが大変で、失語症の場面でも濁点が入るとか、面倒臭い覚え方になるわけですよ。それを頑張ってやっていると、そこに面白さと意味が出てくる。ミラクルな場面がいくつもで出てくると思うので、期待していただきたいです。ライブならではの熱気というのは栗山さんもお好きな方で、なんと言っても小沢昭一さんの付き人をしていた方なので。ご自身も中学生の頃にギターのコンテストで優勝したり、非常にオタッキーな方でもあるので(笑)。遊びの部分をどう作っていくのかは、栗山さんご自身が楽しみにされていると思います。
ーー本作について井上さんは「基本的な人間のあり方を信じている」作品だとコメントされています。
恩と感謝が全体的に貫かれている気がしますね。作家のファンであり人道的に匿う日本人の本屋に魯迅も恩を感じる。そこに愛情の原点というものがあって、それは国の思想なんかを超越するんだと。最後に感動的なエピソードも出てきますし、恨みで終わるのではなく、色んな親切や愛情が巡りめぐって自分に返ってくる、非常に気持ちの良いお話ですね。
「中年は何かを振り返るチャンス、若い人はこれから生きる上で面白い作品になると思う」
ーー伝統芸能を軸足に舞台や映像など多方面でご活躍です。原動力の源とは?
アイデンティティをどう証明していくか、ということだと思います。能狂言がどんなに優れていると言われても、観てくださるファンの方に認められることで、我々のアイデンティティは確立されるので。やはりたくさんの方に知っていただき、他ジャンルとも見比べていただきたい。能狂言だけやっていれば十分だという方もいらっしゃるでしょうし、でも僕らは祖父の代から狂言は他ジャンルに拮抗しうることを証明したいという思いがあります。そうしたときに他のジャンルや空間、現代劇の役者さんとやることで、我々のアドバンテージもあれば、逆にナチュラルな芝居とは違う我々の様式性をどう緩めて近づけていけるのか。まさに『シャンハイムーン』でもそこが試されるのだと思います。
野村萬斎
ーー様式性を緩める、ですか。
能狂言は様式美ですが、それも中身がないと始まらない。そこは型が先か中身が先かの違いで(他ジャンルと)変わらない。内なる充実を意識するために外に出て、色んな演出家と出会い演技術を見ることは非常に勉強になります。第一人者とやるのは自分を強くしますよね。やっぱり自分の芸のためには、自分より上手い人とやらないとダメですね。
ーー現代劇の経験も、最後は狂言に還元されていく。
そうだと思いますね。例えばいまの若い人のなかにも、華があると言われる人は確かに吸引力がある。そうしたときに、自分は違う方法で舞台に立ち向かって存在しないといけない。世阿弥の言葉に「時分の花」というのがありますが、年相応の花を咲かせていくという意味で、いま50代の僕は先輩方を見ながら60代、70代での演技というものを少しずつ勉強しているところ。80代の親父さんの芸を、いまの僕がやっても意味のないことですからね。そういう違いを意識しながら日々勉強と思っています。
野村萬斎野村萬斎
ーー最後に、冒頭で「中年の話」というご紹介もありましたが、同世代の方にはどのように作品を楽しんでいただきたいですか。
あんまり中年の話には括りたくないのですが(苦笑)。皆さんもどうなんですかね。20、30代は大学を卒業して一生懸命就職して、とりあえず生きていく。ある意味“勢いで生きる!”みたいなところがあって、ふと40歳を迎えたあたりから志と現実というところで、今までの生き方がどうであったかを立ち返る瞬間がある。そこで、正しいかは分からないけれど、ちょっと変えてみようとかと思ったり。皆さんも色々と感じられるんじゃないでしょうか。
惑わぬ人もいれば、惑う人も絶対いると思う。僕自身、最近になってやっと惑わなくなりました。以前は、能狂言のアイデンティティが証明しきれなくなるんじゃないかと諦めそうになったり、このまま役者業に進んだ方がいいんじゃないかとか、思わなくもなかったですから。やっぱり突っ走ってきた所から一息ついた時に、「何だったんだろうな?」となにかを振り返るチャンスになるかもしれませんね。……でもやっぱり、若い人にも観ていただきたいです(笑)! ちょっと先の話かもしれませんがこれから生きていく上で、きっと面白い作品になると思います。
野村萬斎
《修道五十关》(全本)之四十一:退志关
七十八十,一息若存,尚能还丹,年老者,不可灰心退志,半途而废,必须耄而好学,愈老愈勤,至死方休。本来面目不难返还,只怕无志气恒心,有志者虽年老亦成道,无志者虽年少不成道,年少者不下决心,及其年老,心灰意冷,即思退步,别务事业,迟延至老,自委无力可办,即便歇足不前,不知先尽人事,后待天命,须知若今生大事不成,则宿根已栽,后世来生,一出头来,便异於人。
七十八十,一息若存,尚能还丹,年老者,不可灰心退志,半途而废,必须耄而好学,愈老愈勤,至死方休。本来面目不难返还,只怕无志气恒心,有志者虽年老亦成道,无志者虽年少不成道,年少者不下决心,及其年老,心灰意冷,即思退步,别务事业,迟延至老,自委无力可办,即便歇足不前,不知先尽人事,后待天命,须知若今生大事不成,则宿根已栽,后世来生,一出头来,便异於人。
#防弹少年团奇迹创造者##防弹少年团love_yourself# Q:最近最触动自己的句子?
南俊:C’est la vie(这就是生活)(发音很帅气)
玧其:有9成的担忧是你营造出来的想象
硕珍:与讨厌的事物好好相处(重新自我审视)
号锡:一息若存 希望不灭
智旻:特别选出的文章里好的句子太多了 都拥有其各自的意义
泰亨:人生就算慢一点也没关系 坚持到最后更为重要
柾国:没有热情地活着还不如死了比较好(犯错也没关系 希望能怀抱着勇于挑战任何事物的热情)
/Youth_Jane
南俊:C’est la vie(这就是生活)(发音很帅气)
玧其:有9成的担忧是你营造出来的想象
硕珍:与讨厌的事物好好相处(重新自我审视)
号锡:一息若存 希望不灭
智旻:特别选出的文章里好的句子太多了 都拥有其各自的意义
泰亨:人生就算慢一点也没关系 坚持到最后更为重要
柾国:没有热情地活着还不如死了比较好(犯错也没关系 希望能怀抱着勇于挑战任何事物的热情)
/Youth_Jane
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