俳優・高良健吾さん、日常を離れ、アナログな「時」を楽しむ旅 【前編】
これまでやりたくても「時間」がなくてできなかったことに挑戦する「時間」をセイコー プレザージュが提供するこの企画。
昨年の「瀬戸内しまなみ海道」での自転車旅に続いて、俳優の高良健吾さんが再び旅立った。2日間、自然の中へ——。旅の目的は、「やりたかったことをすべて叶(かな)える」こと。とかく情報過多になりがちな日常を抜け出して、アナログな時間の流れに身を置いた高良さんは、何を感じ、どんな思いを抱いたのか。今回お届けする前編では、都会の喧噪(けんそう)から離れ、兵庫県北部の山間(やまあい)で自然をゆるりと楽しむ様子を追った。
腕時計と地図。アナログなツールでドライブへ
とある初夏の一日、高良さんが訪れたのは山間に佇(たたず)む古民家宿。やりたかったことをすべて叶える、今回の旅の拠点だ。大きな窓のあるメインルームでソファに座り、高良さんは持参した文庫本をしばし読みふける。
「本は好きです。こんな何百円で、人の考えに触れられるなんてすごいですよね。手に取らないと出会えないような言葉だったり、生き方だったり、そういうものを知ることができる。ある意味、ちょっとした旅だと思います」
そしてふと顔を上げ、明るい光が入り込む大きな窓から、山々を見つめる高良さん。そろそろ出発の時間だ。日常から離れるために、スマートフォンは置いていく。ルートは地図で、時間は腕時計で確認するアナログな旅の始まりだ。
「自分は基本アナログ。家にパソコンはないし、映画館に行くときはスマホを家に置いていくこともよくあります。スマホを気にしない分、別のものが見えてくる。こういう自然の中なら周囲をよく見るようになるし、いつもと違うアンテナも張れます」。地図を眺め、腕時計に目を向けてから、高良さんは車へ乗り込んだ。
小一時間、車を走らせて訪れたのは、歴史ある寺院。しっかりとした足取りで、初めて訪れる寺の山門をくぐる。
寺院では本堂に上がり、庭に向かってあぐらをかく。瞑想(めいそう)、これもまた高良さんがこの日、やりたかったことのひとつだ。背筋をぴしりと伸ばし、目をつぶって微動だにしない。葉ずれの音、鳥やカエルの鳴き声が止(や)んだ瞬間は、まるで時が止まっているかのようだ。
高良さんにとって瞑想は、ルーティンのようなものだという。
「だいたい寝る前にやるんです。撮影している期間は日中集中しているので、寝付きが悪かったり、途中で目が覚めたりすることもあるので、眠る前にちょっと心を落ち着かせるという感じ。今日のように自然の音に囲まれた場所だと、家の中で瞑想するよりも入りやすいですね。何も考えない、無理をしない時間が過ごせました」
自然の揺れを感じに。日常にない、贅沢時間
瞑想を終え、「ゴチャゴチャしていたものが整理された」と言う高良さんの次の目的地は、山中の釣り場。川に沿って続く遊歩道を、土の感触を確かめるように泰然と歩いていく高良さん。途中、足を止めて伸びをしたり、思いのままに満喫しているようだ。
こうして自然に囲まれながら思うのは、「自分が落ち着く場所、癒やされる場所は、自然なんだ」ということ。
「原風景が祖父母の田舎なんですよね。阿蘇と北九州の田川。きっと、そういう田舎で遊んでいた、楽しかった記憶があるんだろうと思います。自然の揺れって、見ているだけで落ち着くので、そこを求めに行っている。東京にいると、そういう揺れは風とか、上を見ないと感じられないので」
やがてたどり着いたのが、半径15mほどの滝壺(つぼ)。主にニジマスが釣れるという。海でのルアーフィッシング経験はある高良さんだが、川釣りは初挑戦。竹竿(ざお)にウキという組み合わせも、やはり初めて使う道具だそうだ。照れくさそうに「海ではルアーをなくしてばかりいたし、今回のやりたいことの中では一番自信がない」と言うものの、慣れた手つきで竿を操っている。
糸を垂らし、狙うポイントを変えながら数十分。前日の雨で濁った水面がゆらめく様子を、ただ見つめながら過ごす贅沢(ぜいたく)な時間だ。
「釣れなくても、3時間くらいは平気で過ごせますね。どれだけ時間が経ったかを確認することはあっても、苦ではないです。こうやって自然の中で過ごしている時は、時間の確認は腕時計がいいですね。それもデジタルの数字じゃなくて、針で見るっていうのがいい」
そんな話をするうちに、不意にウキが動き出した。「食いついた!」。そう思った瞬間、必死に暴れる魚の姿が。木漏れ日に輝く銀色の体はかなり大きく、高良さんもしばらく格闘したものの、魚はハリから外れて滝壺の底へと消えていった。その後すぐに再び別の獲物を捕らえるが、今度は糸が切れてしまう事態に。この装備では、少し心許(こころもと)ないようだ。
そろそろ宿に戻ろうか……と諦めかけたところで、またもウキが躍り出す。三度目の正直とばかりに、見事釣り上げた高良さん。「今日に限らず、以前から目の前で逃がしてばかりだったけど、ようやく釣れた!」と、喜びであふれんばかりの笑顔を向けた。
手を掛けるだけ愛着が増す。フォーマルな印象のモデル
「1時間で3匹なら入れ食い状態」と笑みを浮かべながら、宿へと戻ってきた。本日、予定していた夕食は屋外でのバーベキューだった。しかし、天気は下り坂。焚(た)き火台に火を入れ、炎が上がり始めるころには雨も降り出してきたため、部屋の中の囲炉裏に場所を移しての食事となった。
周囲には街灯や民家がなく、夜の帳(とばり)が下りれば辺りは真っ暗に。肉に魚、野菜も焼いて、時折、焚き火を眺めるひととき。
「焚き火って、本当に自然の揺らぎですよね。人間が作り出せない揺れというか。それこそ波だってそうだし、空だって雲の流れだったり、風の流れだったり、それって人間が絶対作り出せない。そういう場所に身を置くことが、自分にとっての癒やしですかね」。そう語る彼を包み込むように、時間はゆったりと過ぎていく。
この日、高良さんの腕で時を刻んだのは、「セイコー プレザージュ Sharp Edged Series SARX097」。アナログな旅によく似合う、機械式時計だ。
「機械式時計の良さは、自分がちゃんとその時計を扱っていないといけないこと。毎日見て、定期的にちゃんとメンテナンスしてあげることでより愛着が湧きますよね。耳を近付けて音を聞きながらりゅうずを巻くのも、好きな行為ですね」
「この『セイコー プレザージュ Sharp Edged Series SARX097』は、どちらかというとフォーマルな印象でした。白文字盤は持っていなかったんですが、いいですね。スーツのようなキレイめにも合うし、幅広いシーンで使えると思いました。(白文字盤は)似合う年齢が少し上という勝手なイメージがあったんですけど、 身につけてみると、“いや、そんなことないな”って気がしました」
そう言って、「セイコー プレザージュ Sharp Edged Series SARX097」に視線を落とす高良さん。「静の旅」となった1日が、そろそろ終わろうとしている。明日は一転、「動の旅」と言えるほど、バラエティーに富んだアクティブな旅となる。そちらは後編として次回、改めてご紹介しよう。
(文・石川由紀子 写真・高橋雄大 取材協力・円覚山宗鏡寺、glaminka KAMIKAWA、日高神鍋観光協会、清滝地区コミュニティセンターの皆様)
これまでやりたくても「時間」がなくてできなかったことに挑戦する「時間」をセイコー プレザージュが提供するこの企画。
昨年の「瀬戸内しまなみ海道」での自転車旅に続いて、俳優の高良健吾さんが再び旅立った。2日間、自然の中へ——。旅の目的は、「やりたかったことをすべて叶(かな)える」こと。とかく情報過多になりがちな日常を抜け出して、アナログな時間の流れに身を置いた高良さんは、何を感じ、どんな思いを抱いたのか。今回お届けする前編では、都会の喧噪(けんそう)から離れ、兵庫県北部の山間(やまあい)で自然をゆるりと楽しむ様子を追った。
腕時計と地図。アナログなツールでドライブへ
とある初夏の一日、高良さんが訪れたのは山間に佇(たたず)む古民家宿。やりたかったことをすべて叶える、今回の旅の拠点だ。大きな窓のあるメインルームでソファに座り、高良さんは持参した文庫本をしばし読みふける。
「本は好きです。こんな何百円で、人の考えに触れられるなんてすごいですよね。手に取らないと出会えないような言葉だったり、生き方だったり、そういうものを知ることができる。ある意味、ちょっとした旅だと思います」
そしてふと顔を上げ、明るい光が入り込む大きな窓から、山々を見つめる高良さん。そろそろ出発の時間だ。日常から離れるために、スマートフォンは置いていく。ルートは地図で、時間は腕時計で確認するアナログな旅の始まりだ。
「自分は基本アナログ。家にパソコンはないし、映画館に行くときはスマホを家に置いていくこともよくあります。スマホを気にしない分、別のものが見えてくる。こういう自然の中なら周囲をよく見るようになるし、いつもと違うアンテナも張れます」。地図を眺め、腕時計に目を向けてから、高良さんは車へ乗り込んだ。
小一時間、車を走らせて訪れたのは、歴史ある寺院。しっかりとした足取りで、初めて訪れる寺の山門をくぐる。
寺院では本堂に上がり、庭に向かってあぐらをかく。瞑想(めいそう)、これもまた高良さんがこの日、やりたかったことのひとつだ。背筋をぴしりと伸ばし、目をつぶって微動だにしない。葉ずれの音、鳥やカエルの鳴き声が止(や)んだ瞬間は、まるで時が止まっているかのようだ。
高良さんにとって瞑想は、ルーティンのようなものだという。
「だいたい寝る前にやるんです。撮影している期間は日中集中しているので、寝付きが悪かったり、途中で目が覚めたりすることもあるので、眠る前にちょっと心を落ち着かせるという感じ。今日のように自然の音に囲まれた場所だと、家の中で瞑想するよりも入りやすいですね。何も考えない、無理をしない時間が過ごせました」
自然の揺れを感じに。日常にない、贅沢時間
瞑想を終え、「ゴチャゴチャしていたものが整理された」と言う高良さんの次の目的地は、山中の釣り場。川に沿って続く遊歩道を、土の感触を確かめるように泰然と歩いていく高良さん。途中、足を止めて伸びをしたり、思いのままに満喫しているようだ。
こうして自然に囲まれながら思うのは、「自分が落ち着く場所、癒やされる場所は、自然なんだ」ということ。
「原風景が祖父母の田舎なんですよね。阿蘇と北九州の田川。きっと、そういう田舎で遊んでいた、楽しかった記憶があるんだろうと思います。自然の揺れって、見ているだけで落ち着くので、そこを求めに行っている。東京にいると、そういう揺れは風とか、上を見ないと感じられないので」
やがてたどり着いたのが、半径15mほどの滝壺(つぼ)。主にニジマスが釣れるという。海でのルアーフィッシング経験はある高良さんだが、川釣りは初挑戦。竹竿(ざお)にウキという組み合わせも、やはり初めて使う道具だそうだ。照れくさそうに「海ではルアーをなくしてばかりいたし、今回のやりたいことの中では一番自信がない」と言うものの、慣れた手つきで竿を操っている。
糸を垂らし、狙うポイントを変えながら数十分。前日の雨で濁った水面がゆらめく様子を、ただ見つめながら過ごす贅沢(ぜいたく)な時間だ。
「釣れなくても、3時間くらいは平気で過ごせますね。どれだけ時間が経ったかを確認することはあっても、苦ではないです。こうやって自然の中で過ごしている時は、時間の確認は腕時計がいいですね。それもデジタルの数字じゃなくて、針で見るっていうのがいい」
そんな話をするうちに、不意にウキが動き出した。「食いついた!」。そう思った瞬間、必死に暴れる魚の姿が。木漏れ日に輝く銀色の体はかなり大きく、高良さんもしばらく格闘したものの、魚はハリから外れて滝壺の底へと消えていった。その後すぐに再び別の獲物を捕らえるが、今度は糸が切れてしまう事態に。この装備では、少し心許(こころもと)ないようだ。
そろそろ宿に戻ろうか……と諦めかけたところで、またもウキが躍り出す。三度目の正直とばかりに、見事釣り上げた高良さん。「今日に限らず、以前から目の前で逃がしてばかりだったけど、ようやく釣れた!」と、喜びであふれんばかりの笑顔を向けた。
手を掛けるだけ愛着が増す。フォーマルな印象のモデル
「1時間で3匹なら入れ食い状態」と笑みを浮かべながら、宿へと戻ってきた。本日、予定していた夕食は屋外でのバーベキューだった。しかし、天気は下り坂。焚(た)き火台に火を入れ、炎が上がり始めるころには雨も降り出してきたため、部屋の中の囲炉裏に場所を移しての食事となった。
周囲には街灯や民家がなく、夜の帳(とばり)が下りれば辺りは真っ暗に。肉に魚、野菜も焼いて、時折、焚き火を眺めるひととき。
「焚き火って、本当に自然の揺らぎですよね。人間が作り出せない揺れというか。それこそ波だってそうだし、空だって雲の流れだったり、風の流れだったり、それって人間が絶対作り出せない。そういう場所に身を置くことが、自分にとっての癒やしですかね」。そう語る彼を包み込むように、時間はゆったりと過ぎていく。
この日、高良さんの腕で時を刻んだのは、「セイコー プレザージュ Sharp Edged Series SARX097」。アナログな旅によく似合う、機械式時計だ。
「機械式時計の良さは、自分がちゃんとその時計を扱っていないといけないこと。毎日見て、定期的にちゃんとメンテナンスしてあげることでより愛着が湧きますよね。耳を近付けて音を聞きながらりゅうずを巻くのも、好きな行為ですね」
「この『セイコー プレザージュ Sharp Edged Series SARX097』は、どちらかというとフォーマルな印象でした。白文字盤は持っていなかったんですが、いいですね。スーツのようなキレイめにも合うし、幅広いシーンで使えると思いました。(白文字盤は)似合う年齢が少し上という勝手なイメージがあったんですけど、 身につけてみると、“いや、そんなことないな”って気がしました」
そう言って、「セイコー プレザージュ Sharp Edged Series SARX097」に視線を落とす高良さん。「静の旅」となった1日が、そろそろ終わろうとしている。明日は一転、「動の旅」と言えるほど、バラエティーに富んだアクティブな旅となる。そちらは後編として次回、改めてご紹介しよう。
(文・石川由紀子 写真・高橋雄大 取材協力・円覚山宗鏡寺、glaminka KAMIKAWA、日高神鍋観光協会、清滝地区コミュニティセンターの皆様)
#小赵の读书笔记#
《争夺记忆》单读·25
从《去公园和野外》开始,有点开始喜欢单读这个系列了,每本一个主题,里面都是些不长的小文章,很有意思,于是一口气买了感兴趣的好几本,巴掌大小,方便携带,上班摸鱼可以读,地铁无聊也能拿出来看看。这一本是讲疫情相关的,分为“世界”“自我”“附近”三个篇章。其中最喜欢的是吴琦写的序《和记忆搏斗》,其次是《在山上,那里你觉得自由》《人觉得自己渺小一点也挺好》《危机中的未来,以及乐观主义时刻》,比较有意思的一篇是《不如去摆摊》。
【一些摘录】
❶ 偶然的意志,巨大的利益,趋利避害的本能,都在参与这种重塑和掩埋,而真实的人类经验、现实本身的难度,总是首先被放逐。
❷ 人们拯救自己,而不修补社会,不断把我们重新拉回到那些过时的对立之中,从而替换了更迫近的矛盾。
❸ 未来失控的更清晰的表征,并不仅仅在于个人层面的计划变得破碎,未来变得失控。让失控变得更加结构化的,是我们丧失了共同时间。
❹ 在疫情持续了几个月之后,我开始非常乐于关注这些疫情中的乐观主义时刻。这些开放的历史事件似乎蕴含着超乎想象的勇气和改造未来的动力,他们不像悲观主义那样试图放弃回应危机,准备着束手就擒。也不像保守主义那样,急于重新获得控制感,急于弥合时间的断裂,并满足于回到过去的常态。乐观主义的智慧提醒我们,危机可以开启变革,失控也可能带来反常的创造力,这些乐观主义时刻鼓励我们有能力解释危机本身,并且创造新的可能性。
❺ “生命的洪流在我们身外,同在我们内心,绵绵不息的泛滥。”这一年给我留下的印记,到最后可能仅剩那种无力面对而必须面对、试图抗争却难以着力的幻觉。这是人类奄奄一息的时刻,是我们急于忘记但不可绕过的一年。
《争夺记忆》单读·25
从《去公园和野外》开始,有点开始喜欢单读这个系列了,每本一个主题,里面都是些不长的小文章,很有意思,于是一口气买了感兴趣的好几本,巴掌大小,方便携带,上班摸鱼可以读,地铁无聊也能拿出来看看。这一本是讲疫情相关的,分为“世界”“自我”“附近”三个篇章。其中最喜欢的是吴琦写的序《和记忆搏斗》,其次是《在山上,那里你觉得自由》《人觉得自己渺小一点也挺好》《危机中的未来,以及乐观主义时刻》,比较有意思的一篇是《不如去摆摊》。
【一些摘录】
❶ 偶然的意志,巨大的利益,趋利避害的本能,都在参与这种重塑和掩埋,而真实的人类经验、现实本身的难度,总是首先被放逐。
❷ 人们拯救自己,而不修补社会,不断把我们重新拉回到那些过时的对立之中,从而替换了更迫近的矛盾。
❸ 未来失控的更清晰的表征,并不仅仅在于个人层面的计划变得破碎,未来变得失控。让失控变得更加结构化的,是我们丧失了共同时间。
❹ 在疫情持续了几个月之后,我开始非常乐于关注这些疫情中的乐观主义时刻。这些开放的历史事件似乎蕴含着超乎想象的勇气和改造未来的动力,他们不像悲观主义那样试图放弃回应危机,准备着束手就擒。也不像保守主义那样,急于重新获得控制感,急于弥合时间的断裂,并满足于回到过去的常态。乐观主义的智慧提醒我们,危机可以开启变革,失控也可能带来反常的创造力,这些乐观主义时刻鼓励我们有能力解释危机本身,并且创造新的可能性。
❺ “生命的洪流在我们身外,同在我们内心,绵绵不息的泛滥。”这一年给我留下的印记,到最后可能仅剩那种无力面对而必须面对、试图抗争却难以着力的幻觉。这是人类奄奄一息的时刻,是我们急于忘记但不可绕过的一年。
#深海奏汰正片##深海奏汰##偶像梦幻祭# 劳转
なみにゆれる ぼくらのこぶね
我们的小船随波游动
ゆけえは かぜまかせ
去向就交给风吧あつまってくる おさかなたち
鱼先生们 聚集过来
とおいとおいうみを しってるね
你们知晓 遥远又遥远的大海吧
きかせて そこはどんな
告诉我吧 那里是怎样
きらきら しんぴてきなぶるう
闪亮耀眼 神秘的蔚蓝
たのしい なかまたちと
正和愉快的伙伴们一起
くすくす おしゃべりしてるねよ
窃笑着谈天说地呢
あおいあおい うみのらんでぶう
湛蓝又湛蓝 大海的约会
みなもにうつるそらと
与映在海面上的天空
おひさまをとかして
将炽热的太阳融化
ゆらりゆらり きみとどこまでも
悠悠又荡荡 同你去往任何地方
すいへいせんのかなた
去往水平线的彼方
ひかりのあーちを めざそう
前往光芒的尽头吧
なみのおとと しんこきゅうして
合着涛声 深呼吸
こころも すきとおる
心脏也 澄澈透明
みんなここから うまれてきた
大家都 生于此地
ふかいふかいうみは やさしいね
深远又深远的大海 真是温柔啊
おしえて きみがみてた
告诉我吧 你的所见
きおくに やきついてるぶるう
铭刻在记忆中的 蔚蓝
なんども めざめながら
在一次又一次 苏醒之时
どこかに わすれてきたなら
若是有哪里忘记了的话
ひろいひろい うみのらんでぶう
辽阔又辽阔 大海的约会
じゆうにみずをかいて
乘着自由的水波
ながいたびにでよう
扬帆踏上长长的旅程吧
るららるらら うたはどこまでも
噜啦啦 噜啦啦 大海不论何处
まあるいほしをおよぐ
都有圆滚滚的星星在游动
ぼくらのゆくえを てらすね
照亮我们的去向啊
ながれついた あおのさきに
一直漂流到蔚蓝的角落
たからものをさがして
寻找宝物
またゆめを およごう
再次让梦想遨游吧
(歌来自网易云puka的solo)
なみにゆれる ぼくらのこぶね
我们的小船随波游动
ゆけえは かぜまかせ
去向就交给风吧あつまってくる おさかなたち
鱼先生们 聚集过来
とおいとおいうみを しってるね
你们知晓 遥远又遥远的大海吧
きかせて そこはどんな
告诉我吧 那里是怎样
きらきら しんぴてきなぶるう
闪亮耀眼 神秘的蔚蓝
たのしい なかまたちと
正和愉快的伙伴们一起
くすくす おしゃべりしてるねよ
窃笑着谈天说地呢
あおいあおい うみのらんでぶう
湛蓝又湛蓝 大海的约会
みなもにうつるそらと
与映在海面上的天空
おひさまをとかして
将炽热的太阳融化
ゆらりゆらり きみとどこまでも
悠悠又荡荡 同你去往任何地方
すいへいせんのかなた
去往水平线的彼方
ひかりのあーちを めざそう
前往光芒的尽头吧
なみのおとと しんこきゅうして
合着涛声 深呼吸
こころも すきとおる
心脏也 澄澈透明
みんなここから うまれてきた
大家都 生于此地
ふかいふかいうみは やさしいね
深远又深远的大海 真是温柔啊
おしえて きみがみてた
告诉我吧 你的所见
きおくに やきついてるぶるう
铭刻在记忆中的 蔚蓝
なんども めざめながら
在一次又一次 苏醒之时
どこかに わすれてきたなら
若是有哪里忘记了的话
ひろいひろい うみのらんでぶう
辽阔又辽阔 大海的约会
じゆうにみずをかいて
乘着自由的水波
ながいたびにでよう
扬帆踏上长长的旅程吧
るららるらら うたはどこまでも
噜啦啦 噜啦啦 大海不论何处
まあるいほしをおよぐ
都有圆滚滚的星星在游动
ぼくらのゆくえを てらすね
照亮我们的去向啊
ながれついた あおのさきに
一直漂流到蔚蓝的角落
たからものをさがして
寻找宝物
またゆめを およごう
再次让梦想遨游吧
(歌来自网易云puka的solo)
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