【原文】Vogue Japan #安室奈美惠[超话]#
安室奈美恵が去って丸4年。“アムロ後継者不在”問題について、考える。(Toru Mitani)
歌って踊るスーパーエンターテイナー、安室奈美恵が引退をして今日で4年が経った。韓国エンタメに圧倒される日本の音楽シーンだが、彼女のようなスタイルの“後継ぎ”は果たして現れるのか。そして、今の韓国アイドルの育成基盤とも言える、安室と沖縄アクターズスクールについても考察したい。
“韓国アイドル育成システム”に近しい環境で育つ。
平間至が撮影したアルバム『SWEET 19 BLUES』(1996)のヴィジュアル。一番下はシングル『ALARM』(2004)より。
2018年9月16日に芸能生活に終止符を打ち、シーンから去った安室奈美恵。彼女は今、何をしているのだろうか。彼女がメインストリームにいた時代と今を比べると、個人的には物足りなさを感じる。韓国の音楽シーンが約12、3年間かけて世界基準になったとはいえ、アラウンド2000年あたりには、彼女が韓国のクリエイターに刺激を与えていたのは紛れもない事実。J.Y.ParkはのちにNiziUを生み出すオーディションで沖縄での審査を心から楽しみにしており、その理由を「安室奈美恵さんの故郷だから」と答えていた。さまざまなインタビューで、彼は安室に影響を受けたこと、いつか楽曲提供をしたいという野望を語っていた。
過酷なダンスレッスンやボイストレーニング、さらに、高いプロ意識を育てるマインドセットなど、沖縄という島でスター育成を行っていた「沖縄アクターズスクール」で安室奈美恵が基礎を身につけたことは有名な話だ。のちに、今で言う韓国アイドルにように“デビューした瞬間からいきなり精度が高い”という現象を、4人組のガールズグループ、SPEEDが証明している(1995年デビュー)。ストイックな姿勢と真摯な音楽への取り組みで国民から高く信頼されている三浦大知(元Folder)も、アクターズ出身。「デビューができるかできないかわからないけど、それでも命がけで努力する」という姿勢あってこそ、こうしてトップアーティストが生まれるのか、と幼いながらも納得したことをよく覚えている。それを国家総出で行っているのが今の韓国。独自のアイドル育成システムなのだと思う。
ハイファッションと音楽のシンクロニシティ。
安室奈美恵は音楽プロデューサー・小室哲哉とタッグを組むことで、90年代後半から一気にスターダムに上り詰める。「You're my sunshine」(1996)で着用した「JAYRO」(トム・フォードのグッチをコピーしていたギャルブランド)のゼブラ柄スーツが巷で即完売し、その3年後には「RESPECT the POWER OF LOVE」のTVパフォーマンスでトム・フォードによる“本物”のグッチのドレスを着用──と、このように急ピッチに纏うものまで一流になっていった。コレクションピースを着用して、キレのあるダンスを披露し、エッジの効いたトラックにのせてハスキーボイスで華麗に歌う。ファッションを愛する僕にとっては、こんな極上はない!と当時は心から高揚したものだ。そして、その頃を思い出し、今の韓国の音楽シーンについて考える。ハイエンドなファッションと最先端サウンドの美しいシンクロ感。かつて安室奈美恵ができていたことを、今、韓国では何十人(何百人?)が一気にそれをやっている、という衝撃な状況なのだな、改めて驚く。どおりで僕はこの14年間、韓国カルチャーに夢中なわけだ……。
さあ、どうする日本。安室を失った今、“歌って踊る”という表現のジャンルにおいて、後継者は不在。グループではなくソロ、たったひとりであそこまで華がある人間はそうそういないだろう。おそらく全国民の中でも人見知りランキングのトップ100に食い込むのではないか?と思わせる社交性の無さ(基本的に人を疑っている、とよく話していた)と、漂う圧倒的な孤独感。彼女が踊っている時の内側にこもる切なさや侘しさ。でも、それらがストイックな姿勢と混じり合い、とんでもなく眩しすぎるオーラを放ち我々を虜にする。ライブでは口パク無し。R&B調の楽曲でコーラスとコーラスが重なる部分もなぜか全部歌う(普通は片方のコーラスは音で流して歌わない)。で、徹底的に踊る。トークもなく、ひたすら踊る。彼女のライブ、彼女によるステージはどれも超絶に一級品であった。
日本には素晴らしいシンガーソングライターやミュージシャンがたくさんいると思う。でも、“踊る”というある種のスポーツ、芸術を司るアーティストで彼女までのレベルに行ける人はもう出てこないのではないか、と思ってしまう。それほどに“安室奈美恵”という人は唯一無二であった。彼女は19年前、雑誌『FRAU』2003年3月号でこう語っていた。「歌だけなら私よりもうまい人はたくさんいるし、踊りだけでもやっぱりかなわない人はいる。でも、歌と踊り、二つがあわさったときには、絶対一番になれるという思いがある」(原文ママ)。納得。言葉通り、安室はこの二つを華麗に編み上げ、トップスター街道を進んだ。しかし、引退時にはこんなことを言っている。「私は自分がトップを走っているとは思っていないんです。私自身も、常に何かを追いかけているんだと思いますよ」(『VOGUE JAPAN』2018年10月号より)。
謙虚という姿勢と、等身大の強さ。
謙虚さ。安室奈美恵、最大の武器である。持論なので押し付けるつもりはまったくないが、僕はよくこう思っていて、親しい友人らにこれをよく話していた。「日本人特有の奥ゆかしさや他人にゆずる文化が、きっと僕たち日本人にはDNAレベルで組み込まれている。だから、R&Bサウンドが流行って、みんな無理やりアメリカナイズに“私、私”ってゴリゴリに意見をのべて、露出しているのはなんだか無理やり感がある。やっぱり、かっこいいビッチ感は本場に負ける。立ち振る舞いやファッションはもちろん個人の自由だけど、この手はダサく見える。だけど、安室は日本古来の“私なんて”文化が激しい。なのに、こんなにゴリッゴリに踊れて肌も露出してかっこいい。品がある!」(20代の僕談)と。長くなってしまったが、要は、“安室奈美恵は素直な人間だ”ということが言いたいのだ。
ありのままの自分を受け入れ、その上で付加価値を身につけたり、新しい側面を作り上げていく。そのスタイルがいつもスッと透けて見えてきて、そのスタンスに何度も何度も勇気付けられるのである。無論、今も。そういった意味で、彼女こそ元祖“ガールクラッシュ”とも言える。
──こうして9月16日に安室を振り返ってみると、彼女がいかに偉大な人物だったかを再確認できる。ギャル文化を加速させるようなメジャーな美的感覚とヴィジュアル。そして、日本ではマイナーだったR&Bサウンドへのこだわり。ポップでありながらも、ギリギリのラインで音楽性をキープするバランス感覚。引退にかけては、EDMに関してのかなり攻め込んだ取り入れ方はある意味(概念としての)“ロック”であった。さらに、ダラス・オースティンやZEDDなど世界的プロデューサーに楽曲を作ってもらうなど、今思い返すとアジアでのその手法はパイオニアだったのかもしれない。今後、安室奈美恵の存在を超えるような(この手の)アーティストが出てくるかと言われれば、「なかなかいないのでは」というのが正直なところ。でも、沖縄アクターズスクールイズムをもって、韓国を真似ることなく、日本人ならではのストイックな育成システムを構築すれば、きっとスターを生み出すことはできると思う。その時に出てくるスターは、きっとポスト・安室奈美恵とは言われないはずだ。安室級の存在感で、唯一無二のキャラクターをもって、踊り歌い倒すのだろう。
ソロではなくグループにはなるが、XGの成長に胸がワクワクしていることをふと思い出す。日本エンタメを明るく捉えたくなる、9月16日、安室奈美恵の引退日であった。
安室奈美恵が去って丸4年。“アムロ後継者不在”問題について、考える。(Toru Mitani)
歌って踊るスーパーエンターテイナー、安室奈美恵が引退をして今日で4年が経った。韓国エンタメに圧倒される日本の音楽シーンだが、彼女のようなスタイルの“後継ぎ”は果たして現れるのか。そして、今の韓国アイドルの育成基盤とも言える、安室と沖縄アクターズスクールについても考察したい。
“韓国アイドル育成システム”に近しい環境で育つ。
平間至が撮影したアルバム『SWEET 19 BLUES』(1996)のヴィジュアル。一番下はシングル『ALARM』(2004)より。
2018年9月16日に芸能生活に終止符を打ち、シーンから去った安室奈美恵。彼女は今、何をしているのだろうか。彼女がメインストリームにいた時代と今を比べると、個人的には物足りなさを感じる。韓国の音楽シーンが約12、3年間かけて世界基準になったとはいえ、アラウンド2000年あたりには、彼女が韓国のクリエイターに刺激を与えていたのは紛れもない事実。J.Y.ParkはのちにNiziUを生み出すオーディションで沖縄での審査を心から楽しみにしており、その理由を「安室奈美恵さんの故郷だから」と答えていた。さまざまなインタビューで、彼は安室に影響を受けたこと、いつか楽曲提供をしたいという野望を語っていた。
過酷なダンスレッスンやボイストレーニング、さらに、高いプロ意識を育てるマインドセットなど、沖縄という島でスター育成を行っていた「沖縄アクターズスクール」で安室奈美恵が基礎を身につけたことは有名な話だ。のちに、今で言う韓国アイドルにように“デビューした瞬間からいきなり精度が高い”という現象を、4人組のガールズグループ、SPEEDが証明している(1995年デビュー)。ストイックな姿勢と真摯な音楽への取り組みで国民から高く信頼されている三浦大知(元Folder)も、アクターズ出身。「デビューができるかできないかわからないけど、それでも命がけで努力する」という姿勢あってこそ、こうしてトップアーティストが生まれるのか、と幼いながらも納得したことをよく覚えている。それを国家総出で行っているのが今の韓国。独自のアイドル育成システムなのだと思う。
ハイファッションと音楽のシンクロニシティ。
安室奈美恵は音楽プロデューサー・小室哲哉とタッグを組むことで、90年代後半から一気にスターダムに上り詰める。「You're my sunshine」(1996)で着用した「JAYRO」(トム・フォードのグッチをコピーしていたギャルブランド)のゼブラ柄スーツが巷で即完売し、その3年後には「RESPECT the POWER OF LOVE」のTVパフォーマンスでトム・フォードによる“本物”のグッチのドレスを着用──と、このように急ピッチに纏うものまで一流になっていった。コレクションピースを着用して、キレのあるダンスを披露し、エッジの効いたトラックにのせてハスキーボイスで華麗に歌う。ファッションを愛する僕にとっては、こんな極上はない!と当時は心から高揚したものだ。そして、その頃を思い出し、今の韓国の音楽シーンについて考える。ハイエンドなファッションと最先端サウンドの美しいシンクロ感。かつて安室奈美恵ができていたことを、今、韓国では何十人(何百人?)が一気にそれをやっている、という衝撃な状況なのだな、改めて驚く。どおりで僕はこの14年間、韓国カルチャーに夢中なわけだ……。
さあ、どうする日本。安室を失った今、“歌って踊る”という表現のジャンルにおいて、後継者は不在。グループではなくソロ、たったひとりであそこまで華がある人間はそうそういないだろう。おそらく全国民の中でも人見知りランキングのトップ100に食い込むのではないか?と思わせる社交性の無さ(基本的に人を疑っている、とよく話していた)と、漂う圧倒的な孤独感。彼女が踊っている時の内側にこもる切なさや侘しさ。でも、それらがストイックな姿勢と混じり合い、とんでもなく眩しすぎるオーラを放ち我々を虜にする。ライブでは口パク無し。R&B調の楽曲でコーラスとコーラスが重なる部分もなぜか全部歌う(普通は片方のコーラスは音で流して歌わない)。で、徹底的に踊る。トークもなく、ひたすら踊る。彼女のライブ、彼女によるステージはどれも超絶に一級品であった。
日本には素晴らしいシンガーソングライターやミュージシャンがたくさんいると思う。でも、“踊る”というある種のスポーツ、芸術を司るアーティストで彼女までのレベルに行ける人はもう出てこないのではないか、と思ってしまう。それほどに“安室奈美恵”という人は唯一無二であった。彼女は19年前、雑誌『FRAU』2003年3月号でこう語っていた。「歌だけなら私よりもうまい人はたくさんいるし、踊りだけでもやっぱりかなわない人はいる。でも、歌と踊り、二つがあわさったときには、絶対一番になれるという思いがある」(原文ママ)。納得。言葉通り、安室はこの二つを華麗に編み上げ、トップスター街道を進んだ。しかし、引退時にはこんなことを言っている。「私は自分がトップを走っているとは思っていないんです。私自身も、常に何かを追いかけているんだと思いますよ」(『VOGUE JAPAN』2018年10月号より)。
謙虚という姿勢と、等身大の強さ。
謙虚さ。安室奈美恵、最大の武器である。持論なので押し付けるつもりはまったくないが、僕はよくこう思っていて、親しい友人らにこれをよく話していた。「日本人特有の奥ゆかしさや他人にゆずる文化が、きっと僕たち日本人にはDNAレベルで組み込まれている。だから、R&Bサウンドが流行って、みんな無理やりアメリカナイズに“私、私”ってゴリゴリに意見をのべて、露出しているのはなんだか無理やり感がある。やっぱり、かっこいいビッチ感は本場に負ける。立ち振る舞いやファッションはもちろん個人の自由だけど、この手はダサく見える。だけど、安室は日本古来の“私なんて”文化が激しい。なのに、こんなにゴリッゴリに踊れて肌も露出してかっこいい。品がある!」(20代の僕談)と。長くなってしまったが、要は、“安室奈美恵は素直な人間だ”ということが言いたいのだ。
ありのままの自分を受け入れ、その上で付加価値を身につけたり、新しい側面を作り上げていく。そのスタイルがいつもスッと透けて見えてきて、そのスタンスに何度も何度も勇気付けられるのである。無論、今も。そういった意味で、彼女こそ元祖“ガールクラッシュ”とも言える。
──こうして9月16日に安室を振り返ってみると、彼女がいかに偉大な人物だったかを再確認できる。ギャル文化を加速させるようなメジャーな美的感覚とヴィジュアル。そして、日本ではマイナーだったR&Bサウンドへのこだわり。ポップでありながらも、ギリギリのラインで音楽性をキープするバランス感覚。引退にかけては、EDMに関してのかなり攻め込んだ取り入れ方はある意味(概念としての)“ロック”であった。さらに、ダラス・オースティンやZEDDなど世界的プロデューサーに楽曲を作ってもらうなど、今思い返すとアジアでのその手法はパイオニアだったのかもしれない。今後、安室奈美恵の存在を超えるような(この手の)アーティストが出てくるかと言われれば、「なかなかいないのでは」というのが正直なところ。でも、沖縄アクターズスクールイズムをもって、韓国を真似ることなく、日本人ならではのストイックな育成システムを構築すれば、きっとスターを生み出すことはできると思う。その時に出てくるスターは、きっとポスト・安室奈美恵とは言われないはずだ。安室級の存在感で、唯一無二のキャラクターをもって、踊り歌い倒すのだろう。
ソロではなくグループにはなるが、XGの成長に胸がワクワクしていることをふと思い出す。日本エンタメを明るく捉えたくなる、9月16日、安室奈美恵の引退日であった。
#铃木爱理[超话]#
✴︎
先日、大好きで大切な
舞の結婚式に呼んでいただきました
とってもとっても温かくて
まいらしい、愛情あふれる幸せな空間で
みんなして涙が止まらなかったです
幸せオーラが伝わって涙が出てくるって
すごくすごく幸せなことだし
なんと言っても20年前からいろんなことを乗り越えてきた舞が、たった1人の一生涯を共にするパートナーと無邪気に愛くるしく笑う姿を見て、初めての感情が沸きました
舞、ほんっっっとに綺麗だったなぁ。
何回見ても"本当かわいい、本当美しい"って
つい言葉が出ちゃったのを覚えています
舞は昔から、自分の周りの人のことを
名前やニックネームと共にエピソードをたくさん話してくれていたから、舞のおじいちゃんや親戚の皆さんのことも、何故か私たち詳しく知っていて
式場で親族の皆さんに会えた時に、ついに会えた!!ってみんなで笑えたのも、なんだか舞らしいな、温かいなと思いました。
心の底からポカポカしてずっと笑っていたなぁ✨
解散ぶりに人前で°C-ute5人で歌も歌わせていただいたり(旦那様も途中から一緒に)、4人から舞へサプライズムービーを作って流させていただいたり
当日までのリハーサルとして5人で集まる日や、舞に秘密で舞のことを考えながら作業をした日々もとっても愛おしく、こんな幸せな時間を過ごさせてくれた舞には感謝です❤️
わたしたちの絆も永く深いものだなぁと改めて思えて嬉しかったなぁ、、、。
そしてこんな温かい気持ちになれる投稿を
°C-uteの日にできるのも幸せ✨
沢山のメッセージ皆様ありがとうございます☺︎
解散してからも、沢山の方がこの日は°C-uteのことを思い出してくれてること、とても幸せに想います❤️
写真の通り、みんな元気だよー!!!!!
舞ちゃんとゆうきくんが、ずっとずっと笑顔溢れる幸せな時間を過ごせますように
だいすきよー!!!!!
はぁ、本当に幸せな1日だったー♡
#wedding
#c_ute #c_uteの日
#9月10日はーー????
✴︎
先日、大好きで大切な
舞の結婚式に呼んでいただきました
とってもとっても温かくて
まいらしい、愛情あふれる幸せな空間で
みんなして涙が止まらなかったです
幸せオーラが伝わって涙が出てくるって
すごくすごく幸せなことだし
なんと言っても20年前からいろんなことを乗り越えてきた舞が、たった1人の一生涯を共にするパートナーと無邪気に愛くるしく笑う姿を見て、初めての感情が沸きました
舞、ほんっっっとに綺麗だったなぁ。
何回見ても"本当かわいい、本当美しい"って
つい言葉が出ちゃったのを覚えています
舞は昔から、自分の周りの人のことを
名前やニックネームと共にエピソードをたくさん話してくれていたから、舞のおじいちゃんや親戚の皆さんのことも、何故か私たち詳しく知っていて
式場で親族の皆さんに会えた時に、ついに会えた!!ってみんなで笑えたのも、なんだか舞らしいな、温かいなと思いました。
心の底からポカポカしてずっと笑っていたなぁ✨
解散ぶりに人前で°C-ute5人で歌も歌わせていただいたり(旦那様も途中から一緒に)、4人から舞へサプライズムービーを作って流させていただいたり
当日までのリハーサルとして5人で集まる日や、舞に秘密で舞のことを考えながら作業をした日々もとっても愛おしく、こんな幸せな時間を過ごさせてくれた舞には感謝です❤️
わたしたちの絆も永く深いものだなぁと改めて思えて嬉しかったなぁ、、、。
そしてこんな温かい気持ちになれる投稿を
°C-uteの日にできるのも幸せ✨
沢山のメッセージ皆様ありがとうございます☺︎
解散してからも、沢山の方がこの日は°C-uteのことを思い出してくれてること、とても幸せに想います❤️
写真の通り、みんな元気だよー!!!!!
舞ちゃんとゆうきくんが、ずっとずっと笑顔溢れる幸せな時間を過ごせますように
だいすきよー!!!!!
はぁ、本当に幸せな1日だったー♡
#wedding
#c_ute #c_uteの日
#9月10日はーー????
【blog】2022.09.03
ドードーの落下日誌(前編)
稽古中の日誌です。
観に行くか迷っている人や、劇のことをもっと知りたい人の助けになればと、日誌を書いてみました。
劇の内容に触れている箇所などあります。
「ドードーが落下する」を観に行く予定の方で、まだ読みたくない、読まずに観たいという方がいたらまだ読まないでくださいね。
稽古初日
本読み。
反省しかない。
加藤さんの言葉で「理解し合えない二人が友達でいれるのか」という言葉が印象に残る。
それから、信也(僕)が夏目(平原テツ)をどう受け取っていくかが大事と言われる。おそらくこの劇で最も大切なのがそれで、僕はそれが丁寧にできていなかった。
稽古終、取材。この劇について聞かれ、まだぼんやりしている中で答える。加藤さんがこの劇を立ち上げるということがどういうことか、信也がその瞬間や過去のことをどう見つめていたか、そういうことが全部つながっている。信也の心にはあの頃のことが刻まれている。忘れられない。忘れたくない。そんな劇を立ち上げたい。
稽古二日目
座組のみんながリラックスしていて本読みも昨日よりは良い感じ。加藤さんの、脚本や役柄の説明が入りながら全員で認識のすり合わせをして、ひたすら本読みをする。帰りの電車、加藤さんと二人きり。俺喋りっぱなし。浮かれてるなあ。
鶏肉を焼く。映画ムーンライトシャドウを見ながら眠る。
稽古三日目
加藤さんが「ドードーが落下する」について話してくれる時間がめっちゃ楽しいと気づく。何より本人が一番楽しそう。でも思えば劇団た組の公演の時、加藤さんはいつも楽しそうだ。緊張感もあるけど。三日目だけどとても疲労している。どうしてだろう。この脚本の持つ魔力、ポテンシャルを読めば読むほど感じる。ラストシーンについて少しだけヒントをもらう。この感覚懐かしい。加藤さんがくれるわずかなヒントを手繰り寄せて、深淵に辿り着きたい。
生姜焼きを作る。
稽古四日目
稽古場の待合室でする雑談が幸せ。初めて劇団た組に出演した時の稽古場に比べると目に見えて美しく贅沢な稽古場。でもあの頃の稽古場も少し恋しい。今日から立ち稽古が始まる。疲労はするけど楽しい。ドードーが落下するが立ち上がる。落下しながら立ち上がる。夏目さんの台詞を聞きながら思うことがある。この戯曲を読んだ人たちは、それぞれの夏目さんを語る。「引きずられる」「負の感情」そんな色々な言葉も聞いた。僕は劇中にも登場するようなその言葉を聞きながら信也の気持ちを想像する。周囲の人が夏目さんを語った時、彼は何を思っていたんだろう。理解し合えない人たちは友人でいられるのか。僕はこの劇で答えを追ってみたい。
頭の中でずっと台詞が聞こえて深夜まで眠れない。
稽古5日目
昼、あんかけ焼きそばを作る。
稽古場に向かう。Wikipediaでドードーを検索する。
のろますぎて絶滅した動物と出てくる。
人類によって絶滅した動物。
ポルトガル語でのろま。
アメリカ英語でdodoは滅びてしまった存在の代名詞。
警戒心が薄く人間が近づいても逃げないため素手で捕まえられたそう。
空を飛べない。
ドードーが落下する。
それは、捕まえられるのかな。
帰り道、訳もわからず寂しい。みんなとご飯に行きたい。信也についてアドバイスをくれた求一郎の言葉。
「信也、難しいよね。
寄り添い切るわけでもなく、
突き放し切るでもなく、
笑い物にし切るわけでもなく」
この劇の稽古に入ってから、一人の時間が耐え難く寂しい。
稽古6日目
書き忘れる。カルボナーラを作る。
稽古7日目
けっこうガッツリ稽古をして疲れる。加藤さんの脚本は台詞のニュアンスが曖昧なところへ向かうほど面白い。何度も体験している演出なのに劇団た組に参加する頃にはいつもそれを忘れている。つい一つの感情で台詞を表現しがちになってしまう。その度にこの場所に引き戻してもらってる。破壊と再生。
帰りの車内、古田新太さんのインタビューを読む。喫煙や飲酒によるコミュニケーションが減ったと。それが良い悪いの話ではなく、良い悪いの中間地点の話、つまり余白が大事だと。その余白を良くないからと切り捨てるのはどうかと。なるほど。
そう考えるとこの稽古場には、稽古場の外に休憩スペースのソファやらがあって、そこで皆が雑談できるのがありがたい。これは余白か。でもやっぱりまだ発言しづらい人もいるんだろうな。僕はそういうことを忘れがち。共演者の声を聞きたい。稽古終わりのご飯があればいいのに。きっとこの芝居は座組のコミュニケーションが深まるほど、良くなる、気がする。かぼちゃの煮物つくる。
稽古8日目
けっこう夏目さんの台詞が俺に侵食してくるなあ。
「ちょっと死にます」と電話をかけたくなる夏目の気持ちを想像してしまう。世界とのズレね。埋まらない孤独ね。どうして自分はこんなに孤独なんだろう?という純粋な疑問が襲ってくる夜ね。信也を演じながらずっと夏目さんの台詞聞いてるからなあ。
そっかあ。そう考えると、こんなとき夏目が電話をかけられるのは信也なのか。
肉豆腐つくる。夜、台詞にうなされて眠れない。明け方、クエンティンタランティーノに太極拳を教える夢を見る。
稽古9日目
帰りの電車。加藤さんと秋元と求一郎と。この電車の時間もいいよなあ。昨日、一昨日と一人で帰ってみて、やっぱり一緒に帰りたいなと。
今日は「ドードーが落下する」のあらすじを。
たくさんの人に見て欲しいな。
9月21日が初日なんだけど、その日はちょうど9年前に僕がオフィス作のオーディションを受けた日。松田美由紀さんと出会った日。僕にとっては忘れられない日なんだけど、その日に10年目の初日を迎えられることが嬉しい。
かぼちゃ煮物の残りでクリームパスタつくる。
「見えなかったら大丈夫と思ってたのに。実は価値が無いものは見えない方が世間はすごく良くなるんですよ。だから僕をそうしてもらったんですね、こいつに 」
イベント制作会社に勤める信也(藤原季節)と芸人の庄田(秋元龍太朗)は芸人仲間である夏目(平原テツ)からの電話に胸騒ぎを覚える。三年前、夏目は信也や友人達に飛び降りると電話をかけ、その後に失踪していた。しかしその二年後、再び信也に夏目から連絡がある。夏目は「とある事情」が原因で警察病院に入院していたそうで、その「とある事情」を説明する。それから信也達と夏目は再び集まるようになったものの、その「とある事情」は夏目と友人達の関係を変えてしまっていた。信也達と夏目との三年間を巡る青春失踪劇。
稽古10日目。書き忘れる。
湖で泳ぐ夢を見る。湖の底に落ちているビーサンを潜って取ろうとするけど取れない。
稽古11日目。書き忘れる。
体力の限界まで稽古をして、翌日は稽古やすみ。
稽古12日目。
台本を開くのが辛い。劇団た組の稽古をしていると確かにこの時間を通過する。膨大な台詞の反復と稽古場での台詞忘れを繰り返し続けていると、やがて夢に出てきてうなされるようになる。電車の中で台本を握りしめるけれどページを開くことが出来ない。
いよいよラストシーンの稽古が始まった。テツさんに圧倒されて台詞が出てこなくなる。悔しいし情けない。今まで演じた役の中で最も複雑な演技を求められている気がする。難しい。明日は頑張ろうという言葉すら出てこない。稽古場で諦めにも近い感情になったのは初めてのこと。稽古はいつもより早く17時半に終わる。
横浜駅まで歩いて帰ろうとしたら何人かがついてきてくれる。駅まで喋りながら帰る。楽しかった。みんなドードーがとにかく面白いと言っていて、それぞれの物語を語り合う。求一郎が通りがかった公園でいきなり鉄棒をし始める。誰も触れない。誰も観ていないところでポケットからスマホが落ちて画面が割れたらしい。
夜眠れないだろうなと思っていたらやっぱり全然眠れない。映画をかけてみたら最後まで観てしまう。毎日みんなと一緒にいるのに孤独を感じる。物語の持つ力せいか、演劇の持つ力のせいか。これまでもこんなに苦しかった?思い出せない。ただ、加藤拓也が書く物語の魔力、のようなものは確実に増していると思う。
稽古13日目。
細かい演出とシーンの反復が始まる。何度も何度も繰り返して細かい台詞のニュアンスや空白を詰めていく。20時近くまでみっちり稽古。加藤さんには珍しく長い時間稽古をしている。楽しくて時間が過ぎるのが早い。最後はみんながハイになって笑いが止まらなくなって、終了。
帰りの電車で加藤さんと話す。ラストに向かっていくヒントをもらう。少しずつ。
今週末に予定している通し稽古で何が見えるか。
夜はプリズムの放送。余韻を引きずりながら布団に入る。明日も稽古頑張ろう。
稽古14日目
後半の通し稽古。演じていてたまらなくなる。どうしようもない。楽しくて苦しい。
そのあと休憩を入れて返し稽古をするも疲れで全く台詞が出てこなくなる。
自分の体力のなさにショック。
今は夜中の3時。頭がハイになって眠れない日々が続く。演劇ってこんなに大変だったか?明日やれるのか自分。笑うしかない。
稽古15日目
今日から9月が始まった。
少し朦朧とした頭のまま、全力で返し稽古。
後半のシーンを繰り返し詰めていく。まだまだやることは沢山あるなあ。それでも少しずつ物語や関係性の輪郭が見えてきた気がする。輪郭が見えたらあとは中身を詰めていくだけ。
共演者とのコミュニケーションが深まってきた気がする。山脇辰哉がインスタで劇のことを書いていて嬉しくなる。みんなそれぞれドードーに対する思いがあるんだな。そう考えると、演じる底力が沸いてくる。
明日は初の全編、通し稽古。スタッフさんが来てくれるらしい。がんばろう。
稽古16日目
映画も見ない。本も読まない。ご飯も作らない。
芝居のことだけ考えて、だんだん無欲になっていく自分がいる。稽古終わり、加藤さんに連れられて足ツボマッサージに行く。足ツボを押されながら、そういえば新しい靴が欲しいなあとか、明日は日用品を買わなきゃとか、色んなことを思い出していく。
今日の通し稽古は大失敗だった。言われたことできてないし、早口だし、力んでるし。でも、まあ、失敗しておいて良かった。とにかく身も心もリラックスしてフラットな状態で挑む大切さを知ることが出来た。おやすみ。
https://t.cn/A6SA0w14
https://t.cn/A6S0b0dr
ドードーの落下日誌(前編)
稽古中の日誌です。
観に行くか迷っている人や、劇のことをもっと知りたい人の助けになればと、日誌を書いてみました。
劇の内容に触れている箇所などあります。
「ドードーが落下する」を観に行く予定の方で、まだ読みたくない、読まずに観たいという方がいたらまだ読まないでくださいね。
稽古初日
本読み。
反省しかない。
加藤さんの言葉で「理解し合えない二人が友達でいれるのか」という言葉が印象に残る。
それから、信也(僕)が夏目(平原テツ)をどう受け取っていくかが大事と言われる。おそらくこの劇で最も大切なのがそれで、僕はそれが丁寧にできていなかった。
稽古終、取材。この劇について聞かれ、まだぼんやりしている中で答える。加藤さんがこの劇を立ち上げるということがどういうことか、信也がその瞬間や過去のことをどう見つめていたか、そういうことが全部つながっている。信也の心にはあの頃のことが刻まれている。忘れられない。忘れたくない。そんな劇を立ち上げたい。
稽古二日目
座組のみんながリラックスしていて本読みも昨日よりは良い感じ。加藤さんの、脚本や役柄の説明が入りながら全員で認識のすり合わせをして、ひたすら本読みをする。帰りの電車、加藤さんと二人きり。俺喋りっぱなし。浮かれてるなあ。
鶏肉を焼く。映画ムーンライトシャドウを見ながら眠る。
稽古三日目
加藤さんが「ドードーが落下する」について話してくれる時間がめっちゃ楽しいと気づく。何より本人が一番楽しそう。でも思えば劇団た組の公演の時、加藤さんはいつも楽しそうだ。緊張感もあるけど。三日目だけどとても疲労している。どうしてだろう。この脚本の持つ魔力、ポテンシャルを読めば読むほど感じる。ラストシーンについて少しだけヒントをもらう。この感覚懐かしい。加藤さんがくれるわずかなヒントを手繰り寄せて、深淵に辿り着きたい。
生姜焼きを作る。
稽古四日目
稽古場の待合室でする雑談が幸せ。初めて劇団た組に出演した時の稽古場に比べると目に見えて美しく贅沢な稽古場。でもあの頃の稽古場も少し恋しい。今日から立ち稽古が始まる。疲労はするけど楽しい。ドードーが落下するが立ち上がる。落下しながら立ち上がる。夏目さんの台詞を聞きながら思うことがある。この戯曲を読んだ人たちは、それぞれの夏目さんを語る。「引きずられる」「負の感情」そんな色々な言葉も聞いた。僕は劇中にも登場するようなその言葉を聞きながら信也の気持ちを想像する。周囲の人が夏目さんを語った時、彼は何を思っていたんだろう。理解し合えない人たちは友人でいられるのか。僕はこの劇で答えを追ってみたい。
頭の中でずっと台詞が聞こえて深夜まで眠れない。
稽古5日目
昼、あんかけ焼きそばを作る。
稽古場に向かう。Wikipediaでドードーを検索する。
のろますぎて絶滅した動物と出てくる。
人類によって絶滅した動物。
ポルトガル語でのろま。
アメリカ英語でdodoは滅びてしまった存在の代名詞。
警戒心が薄く人間が近づいても逃げないため素手で捕まえられたそう。
空を飛べない。
ドードーが落下する。
それは、捕まえられるのかな。
帰り道、訳もわからず寂しい。みんなとご飯に行きたい。信也についてアドバイスをくれた求一郎の言葉。
「信也、難しいよね。
寄り添い切るわけでもなく、
突き放し切るでもなく、
笑い物にし切るわけでもなく」
この劇の稽古に入ってから、一人の時間が耐え難く寂しい。
稽古6日目
書き忘れる。カルボナーラを作る。
稽古7日目
けっこうガッツリ稽古をして疲れる。加藤さんの脚本は台詞のニュアンスが曖昧なところへ向かうほど面白い。何度も体験している演出なのに劇団た組に参加する頃にはいつもそれを忘れている。つい一つの感情で台詞を表現しがちになってしまう。その度にこの場所に引き戻してもらってる。破壊と再生。
帰りの車内、古田新太さんのインタビューを読む。喫煙や飲酒によるコミュニケーションが減ったと。それが良い悪いの話ではなく、良い悪いの中間地点の話、つまり余白が大事だと。その余白を良くないからと切り捨てるのはどうかと。なるほど。
そう考えるとこの稽古場には、稽古場の外に休憩スペースのソファやらがあって、そこで皆が雑談できるのがありがたい。これは余白か。でもやっぱりまだ発言しづらい人もいるんだろうな。僕はそういうことを忘れがち。共演者の声を聞きたい。稽古終わりのご飯があればいいのに。きっとこの芝居は座組のコミュニケーションが深まるほど、良くなる、気がする。かぼちゃの煮物つくる。
稽古8日目
けっこう夏目さんの台詞が俺に侵食してくるなあ。
「ちょっと死にます」と電話をかけたくなる夏目の気持ちを想像してしまう。世界とのズレね。埋まらない孤独ね。どうして自分はこんなに孤独なんだろう?という純粋な疑問が襲ってくる夜ね。信也を演じながらずっと夏目さんの台詞聞いてるからなあ。
そっかあ。そう考えると、こんなとき夏目が電話をかけられるのは信也なのか。
肉豆腐つくる。夜、台詞にうなされて眠れない。明け方、クエンティンタランティーノに太極拳を教える夢を見る。
稽古9日目
帰りの電車。加藤さんと秋元と求一郎と。この電車の時間もいいよなあ。昨日、一昨日と一人で帰ってみて、やっぱり一緒に帰りたいなと。
今日は「ドードーが落下する」のあらすじを。
たくさんの人に見て欲しいな。
9月21日が初日なんだけど、その日はちょうど9年前に僕がオフィス作のオーディションを受けた日。松田美由紀さんと出会った日。僕にとっては忘れられない日なんだけど、その日に10年目の初日を迎えられることが嬉しい。
かぼちゃ煮物の残りでクリームパスタつくる。
「見えなかったら大丈夫と思ってたのに。実は価値が無いものは見えない方が世間はすごく良くなるんですよ。だから僕をそうしてもらったんですね、こいつに 」
イベント制作会社に勤める信也(藤原季節)と芸人の庄田(秋元龍太朗)は芸人仲間である夏目(平原テツ)からの電話に胸騒ぎを覚える。三年前、夏目は信也や友人達に飛び降りると電話をかけ、その後に失踪していた。しかしその二年後、再び信也に夏目から連絡がある。夏目は「とある事情」が原因で警察病院に入院していたそうで、その「とある事情」を説明する。それから信也達と夏目は再び集まるようになったものの、その「とある事情」は夏目と友人達の関係を変えてしまっていた。信也達と夏目との三年間を巡る青春失踪劇。
稽古10日目。書き忘れる。
湖で泳ぐ夢を見る。湖の底に落ちているビーサンを潜って取ろうとするけど取れない。
稽古11日目。書き忘れる。
体力の限界まで稽古をして、翌日は稽古やすみ。
稽古12日目。
台本を開くのが辛い。劇団た組の稽古をしていると確かにこの時間を通過する。膨大な台詞の反復と稽古場での台詞忘れを繰り返し続けていると、やがて夢に出てきてうなされるようになる。電車の中で台本を握りしめるけれどページを開くことが出来ない。
いよいよラストシーンの稽古が始まった。テツさんに圧倒されて台詞が出てこなくなる。悔しいし情けない。今まで演じた役の中で最も複雑な演技を求められている気がする。難しい。明日は頑張ろうという言葉すら出てこない。稽古場で諦めにも近い感情になったのは初めてのこと。稽古はいつもより早く17時半に終わる。
横浜駅まで歩いて帰ろうとしたら何人かがついてきてくれる。駅まで喋りながら帰る。楽しかった。みんなドードーがとにかく面白いと言っていて、それぞれの物語を語り合う。求一郎が通りがかった公園でいきなり鉄棒をし始める。誰も触れない。誰も観ていないところでポケットからスマホが落ちて画面が割れたらしい。
夜眠れないだろうなと思っていたらやっぱり全然眠れない。映画をかけてみたら最後まで観てしまう。毎日みんなと一緒にいるのに孤独を感じる。物語の持つ力せいか、演劇の持つ力のせいか。これまでもこんなに苦しかった?思い出せない。ただ、加藤拓也が書く物語の魔力、のようなものは確実に増していると思う。
稽古13日目。
細かい演出とシーンの反復が始まる。何度も何度も繰り返して細かい台詞のニュアンスや空白を詰めていく。20時近くまでみっちり稽古。加藤さんには珍しく長い時間稽古をしている。楽しくて時間が過ぎるのが早い。最後はみんながハイになって笑いが止まらなくなって、終了。
帰りの電車で加藤さんと話す。ラストに向かっていくヒントをもらう。少しずつ。
今週末に予定している通し稽古で何が見えるか。
夜はプリズムの放送。余韻を引きずりながら布団に入る。明日も稽古頑張ろう。
稽古14日目
後半の通し稽古。演じていてたまらなくなる。どうしようもない。楽しくて苦しい。
そのあと休憩を入れて返し稽古をするも疲れで全く台詞が出てこなくなる。
自分の体力のなさにショック。
今は夜中の3時。頭がハイになって眠れない日々が続く。演劇ってこんなに大変だったか?明日やれるのか自分。笑うしかない。
稽古15日目
今日から9月が始まった。
少し朦朧とした頭のまま、全力で返し稽古。
後半のシーンを繰り返し詰めていく。まだまだやることは沢山あるなあ。それでも少しずつ物語や関係性の輪郭が見えてきた気がする。輪郭が見えたらあとは中身を詰めていくだけ。
共演者とのコミュニケーションが深まってきた気がする。山脇辰哉がインスタで劇のことを書いていて嬉しくなる。みんなそれぞれドードーに対する思いがあるんだな。そう考えると、演じる底力が沸いてくる。
明日は初の全編、通し稽古。スタッフさんが来てくれるらしい。がんばろう。
稽古16日目
映画も見ない。本も読まない。ご飯も作らない。
芝居のことだけ考えて、だんだん無欲になっていく自分がいる。稽古終わり、加藤さんに連れられて足ツボマッサージに行く。足ツボを押されながら、そういえば新しい靴が欲しいなあとか、明日は日用品を買わなきゃとか、色んなことを思い出していく。
今日の通し稽古は大失敗だった。言われたことできてないし、早口だし、力んでるし。でも、まあ、失敗しておいて良かった。とにかく身も心もリラックスしてフラットな状態で挑む大切さを知ることが出来た。おやすみ。
https://t.cn/A6SA0w14
https://t.cn/A6S0b0dr
✋热门推荐