ぜんぶ君のせいだ。の"異常こそ正常だ。"【第5回】https://t.cn/A6GWjh7m
世界は物語に支配されている。
朝起きて、(日の光で起きれれば上々)崩れているお布団を直す。外から聞こえる音の中にセミの声が聞こえた。
朝のルーティン、と最近よく聞くが、自分にそんなものはない。あるとしたら部屋に似合わない大きなテレビをつけるだけ。何を見るでもなく、適当な映画をただ垂れ流しにする。その時々で違う朝を過ごすと、15分で身支度を済ませる。朝ご飯はなくてもあっても、どちらでもいい。
活動休止中の私、如月愛海の一日が始まる。
活休と言っても、私の性格上、のんびりしていられるわけもなく。日によって外に出たり、メンバーに会ったり事務所で作業したり......割と充実した毎日を送っている。
まぁ、それは割愛して。
遅くきた夏に、嫌気がさしながら外が晴れていることに喜ぶ自分がいる。気持ち悪い。
道々に咲いている花も生き生きとしている。かわいい、晴れで生き生きするのかわいい。
そんなことを考えながら公園到着。あまり人のいない公園。夏休みが早めに終わって子供達が少ないようだった。
砂場には誰かが置き忘れた、子供用の小さなスコップがある。気になったものがあればすぐにそれを写真に撮る。後々、使える、物語に。有難う、置いていった子供たちよ。
そんなことを考えながら、(また考えてる)公園のベンチに座る。セミの声が聞こえる。
どこに居ても同じ音量で聞こえる気がする、セミの声。
何をするでもない、ただ物語を考えるだけ。
ピンクのスコップ
公園に置き忘れられていたスコップは、風で飛んできた落ち葉を堰き止める役割をしていた。
このクワを見てるとあの子を思い出す。
昔、僕には大好きな女の子がいた。その子は歌を歌うことが好きだった。何をするでもその子の後をついていき、その子が歌う歌を聞いた。幼いながらにその子が歌う歌を必死で調べてずっと歌っていた。何の関わりもない、ただ公園で会うだけの女の子。好きで好きで、興味を持って欲しくて、彼女が歌っていた歌を一生懸命覚えて、自然に見せかけながら歌っていた。ブランコに乗って鼻歌を歌う。滑り台の上で空を見ながら歌う。そんな僕に、君が気づいて声をかけてくれないかと願った。
僕の身勝手な歌は彼女に届くことはなかった。
ある日、彼女は公園に来て、ただただ砂場を見つめていた。
僕はそんな彼女を見ておかしいなって思った。いつも歌っている歌を歌わず、ただただ公園にある、砂場にある、置き忘れた子供のおもちゃを眺めている。
何をするでもなく。
異変に気づきながらも、僕は眺めるだけだった。二人しかいない公園で、今僕が歌ったら僕が君を見つめていたことがバレてしまうかもしれない。僕は黙って、公園のベンチから女の子を見ていた。
しばらくすると、彼女は立ち上がり、公園を後にする。僕は彼女がいた場所に移動した。彼女が見ていたものを見れば、歌わなかった理由がわかると思った。
砂場には
「今日は歌ってないんだね」
と文字が書かれていた。
僕は彼女が帰って行った方角を見た。
もう彼女の姿はない。その日から僕が彼女に出会うことはなかった。
僕は、今も、歌を歌っている。
誰に見られているでもない。彼女がいつかまた、僕に気づいてくれることを願って。
そんな感じ、とゆう物語ができた。
人生のどこにでも物語は転がっていて、どこにあるものにも、誰かの人生の物語が関わってくる。 歌もそうだ。歌詞から見える物語もあれば、曲から見える物語もある。
歌っている人から感じる物語もあれば、それを見て、聞いている、人の物語もある。
世界は物語に支配されている。
考えたくない日も、物語は脳の中で続いていき、歌っているときにも、自分の物語含め、物語は続いていく。
少なくとも、如月の世界はそんな世界。
活休明け、この先、私たちの紡ぐ物語はどうなるのか。続きはまたいずれ。
お楽しみにです。
世界は物語に支配されている。
朝起きて、(日の光で起きれれば上々)崩れているお布団を直す。外から聞こえる音の中にセミの声が聞こえた。
朝のルーティン、と最近よく聞くが、自分にそんなものはない。あるとしたら部屋に似合わない大きなテレビをつけるだけ。何を見るでもなく、適当な映画をただ垂れ流しにする。その時々で違う朝を過ごすと、15分で身支度を済ませる。朝ご飯はなくてもあっても、どちらでもいい。
活動休止中の私、如月愛海の一日が始まる。
活休と言っても、私の性格上、のんびりしていられるわけもなく。日によって外に出たり、メンバーに会ったり事務所で作業したり......割と充実した毎日を送っている。
まぁ、それは割愛して。
遅くきた夏に、嫌気がさしながら外が晴れていることに喜ぶ自分がいる。気持ち悪い。
道々に咲いている花も生き生きとしている。かわいい、晴れで生き生きするのかわいい。
そんなことを考えながら公園到着。あまり人のいない公園。夏休みが早めに終わって子供達が少ないようだった。
砂場には誰かが置き忘れた、子供用の小さなスコップがある。気になったものがあればすぐにそれを写真に撮る。後々、使える、物語に。有難う、置いていった子供たちよ。
そんなことを考えながら、(また考えてる)公園のベンチに座る。セミの声が聞こえる。
どこに居ても同じ音量で聞こえる気がする、セミの声。
何をするでもない、ただ物語を考えるだけ。
ピンクのスコップ
公園に置き忘れられていたスコップは、風で飛んできた落ち葉を堰き止める役割をしていた。
このクワを見てるとあの子を思い出す。
昔、僕には大好きな女の子がいた。その子は歌を歌うことが好きだった。何をするでもその子の後をついていき、その子が歌う歌を聞いた。幼いながらにその子が歌う歌を必死で調べてずっと歌っていた。何の関わりもない、ただ公園で会うだけの女の子。好きで好きで、興味を持って欲しくて、彼女が歌っていた歌を一生懸命覚えて、自然に見せかけながら歌っていた。ブランコに乗って鼻歌を歌う。滑り台の上で空を見ながら歌う。そんな僕に、君が気づいて声をかけてくれないかと願った。
僕の身勝手な歌は彼女に届くことはなかった。
ある日、彼女は公園に来て、ただただ砂場を見つめていた。
僕はそんな彼女を見ておかしいなって思った。いつも歌っている歌を歌わず、ただただ公園にある、砂場にある、置き忘れた子供のおもちゃを眺めている。
何をするでもなく。
異変に気づきながらも、僕は眺めるだけだった。二人しかいない公園で、今僕が歌ったら僕が君を見つめていたことがバレてしまうかもしれない。僕は黙って、公園のベンチから女の子を見ていた。
しばらくすると、彼女は立ち上がり、公園を後にする。僕は彼女がいた場所に移動した。彼女が見ていたものを見れば、歌わなかった理由がわかると思った。
砂場には
「今日は歌ってないんだね」
と文字が書かれていた。
僕は彼女が帰って行った方角を見た。
もう彼女の姿はない。その日から僕が彼女に出会うことはなかった。
僕は、今も、歌を歌っている。
誰に見られているでもない。彼女がいつかまた、僕に気づいてくれることを願って。
そんな感じ、とゆう物語ができた。
人生のどこにでも物語は転がっていて、どこにあるものにも、誰かの人生の物語が関わってくる。 歌もそうだ。歌詞から見える物語もあれば、曲から見える物語もある。
歌っている人から感じる物語もあれば、それを見て、聞いている、人の物語もある。
世界は物語に支配されている。
考えたくない日も、物語は脳の中で続いていき、歌っているときにも、自分の物語含め、物語は続いていく。
少なくとも、如月の世界はそんな世界。
活休明け、この先、私たちの紡ぐ物語はどうなるのか。続きはまたいずれ。
お楽しみにです。
この過ぎゆく一瞬を/南沙良×ごめん
夜の7時になってもあかるい夕暮れ。
アイスが一瞬で溶ける痛い日差し。
公園でぶつけ合う水風船。
暑すぎてかなわないこの季節。後ろめたさと居心地の悪さに塗り固められた冷房の監獄の日々を過ごしているということを白昼夢のように思い出してしまう。
私のいつもと変わりのない日々と生活から、余裕と体力、それから電気代を容赦なく奪っていく。捕まえてやろうと必死に追いかけているのに、気が付いたら遠く彼方へ去っていくこいつが嫌いだ。
そのはずなのに。毎年夏の終わりに訪れる花火大会の引力には絶対に打ち負かされてしまう。どうしてもかなわないのだ。
花火大会の日。私は今かいまかと待ち焦がれながら、ほんの少し早足で目的の場所へと向かう。この日のために色んな場所を回って、どこから眺めるのが一番いいのか、考えていたなんて誰にも言えない。花火が綺麗に見えて、外灯も少なく人もあまり通ることのない河川敷はまさに特等席。こんな素敵な場所を独り占めしていいものか少々罪悪感に駆られていたが、前言撤回。
暗くてはっきりは見えないけれど、ショートカットにジャージ姿の女性が立っている。
先客がいたことに肩を落としつつ、ここでの時間を共有できる気がして嬉しい。
とは言っても、人との距離の取り方なんて誰も教えてくれないからわからないけれど。
天と地を繋げるような大輪の花火。
夜空に光るたくさんの粒子に照らされる度に、私は永遠を願ってしまう。
「このまま時間が止まればいいのに」
毎日が特別辛いわけでも楽しいわけでもない。仕事は順調だし、お得意様と言われる有象無象の人たちからは「今日もかわいいね」とか「君がいると場が華やぐよ」って白々しい褒め言葉を浴びせてもらえている。
去年はどんな気持ちでこの光を見ていたのかすら、覚えていない。ただ、生活の中に潜んでいる瞬間的な刹那に心を奪われ、どうしようもなく悲しくなるのだ。
私の心を震わせたあの刹那たちは、もう二度と触れられない場所にありながら、私の中に確かに生きている。これを剥製みたいに永遠のものに出来たらどれだけ幸せだろう。
毎日なんてとてもあっけないもので、忘れることと思い出すことの繰り返しで保たれている。だからこそ、私の中の剥製たちを、味のなくなったチューインガムを噛んでいるみたいに、何度も反芻し噛み続ける。
そして、この先訪れる鮮やかな景色に何度も誓うのだ。
消えてしまうと分かっていても、この過ぎゆく一瞬を愛でることで、私はきっと確かなものになってみせる。
夜の7時になってもあかるい夕暮れ。
アイスが一瞬で溶ける痛い日差し。
公園でぶつけ合う水風船。
暑すぎてかなわないこの季節。後ろめたさと居心地の悪さに塗り固められた冷房の監獄の日々を過ごしているということを白昼夢のように思い出してしまう。
私のいつもと変わりのない日々と生活から、余裕と体力、それから電気代を容赦なく奪っていく。捕まえてやろうと必死に追いかけているのに、気が付いたら遠く彼方へ去っていくこいつが嫌いだ。
そのはずなのに。毎年夏の終わりに訪れる花火大会の引力には絶対に打ち負かされてしまう。どうしてもかなわないのだ。
花火大会の日。私は今かいまかと待ち焦がれながら、ほんの少し早足で目的の場所へと向かう。この日のために色んな場所を回って、どこから眺めるのが一番いいのか、考えていたなんて誰にも言えない。花火が綺麗に見えて、外灯も少なく人もあまり通ることのない河川敷はまさに特等席。こんな素敵な場所を独り占めしていいものか少々罪悪感に駆られていたが、前言撤回。
暗くてはっきりは見えないけれど、ショートカットにジャージ姿の女性が立っている。
先客がいたことに肩を落としつつ、ここでの時間を共有できる気がして嬉しい。
とは言っても、人との距離の取り方なんて誰も教えてくれないからわからないけれど。
天と地を繋げるような大輪の花火。
夜空に光るたくさんの粒子に照らされる度に、私は永遠を願ってしまう。
「このまま時間が止まればいいのに」
毎日が特別辛いわけでも楽しいわけでもない。仕事は順調だし、お得意様と言われる有象無象の人たちからは「今日もかわいいね」とか「君がいると場が華やぐよ」って白々しい褒め言葉を浴びせてもらえている。
去年はどんな気持ちでこの光を見ていたのかすら、覚えていない。ただ、生活の中に潜んでいる瞬間的な刹那に心を奪われ、どうしようもなく悲しくなるのだ。
私の心を震わせたあの刹那たちは、もう二度と触れられない場所にありながら、私の中に確かに生きている。これを剥製みたいに永遠のものに出来たらどれだけ幸せだろう。
毎日なんてとてもあっけないもので、忘れることと思い出すことの繰り返しで保たれている。だからこそ、私の中の剥製たちを、味のなくなったチューインガムを噛んでいるみたいに、何度も反芻し噛み続ける。
そして、この先訪れる鮮やかな景色に何度も誓うのだ。
消えてしまうと分かっていても、この過ぎゆく一瞬を愛でることで、私はきっと確かなものになってみせる。
この過ぎゆく一瞬を/南沙良×ごめん
夜の7時になってもあかるい夕暮れ。
アイスが一瞬で溶ける痛い日差し。
公園でぶつけ合う水風船。
暑すぎてかなわないこの季節。後ろめたさと居心地の悪さに塗り固められた冷房の監獄の日々を過ごしているということを白昼夢のように思い出してしまう。
私のいつもと変わりのない日々と生活から、余裕と体力、それから電気代を容赦なく奪っていく。捕まえてやろうと必死に追いかけているのに、気が付いたら遠く彼方へ去っていくこいつが嫌いだ。
そのはずなのに。毎年夏の終わりに訪れる花火大会の引力には絶対に打ち負かされてしまう。どうしてもかなわないのだ。
花火大会の日。私は今かいまかと待ち焦がれながら、ほんの少し早足で目的の場所へと向かう。この日のために色んな場所を回って、どこから眺めるのが一番いいのか、考えていたなんて誰にも言えない。花火が綺麗に見えて、外灯も少なく人もあまり通ることのない河川敷はまさに特等席。こんな素敵な場所を独り占めしていいものか少々罪悪感に駆られていたが、前言撤回。
暗くてはっきりは見えないけれど、ショートカットにジャージ姿の女性が立っている。
先客がいたことに肩を落としつつ、ここでの時間を共有できる気がして嬉しい。
とは言っても、人との距離の取り方なんて誰も教えてくれないからわからないけれど。
天と地を繋げるような大輪の花火。
夜空に光るたくさんの粒子に照らされる度に、私は永遠を願ってしまう。
「このまま時間が止まればいいのに」
毎日が特別辛いわけでも楽しいわけでもない。仕事は順調だし、お得意様と言われる有象無象の人たちからは「今日もかわいいね」とか「君がいると場が華やぐよ」って白々しい褒め言葉を浴びせてもらえている。
去年はどんな気持ちでこの光を見ていたのかすら、覚えていない。ただ、生活の中に潜んでいる瞬間的な刹那に心を奪われ、どうしようもなく悲しくなるのだ。
私の心を震わせたあの刹那たちは、もう二度と触れられない場所にありながら、私の中に確かに生きている。これを剥製みたいに永遠のものに出来たらどれだけ幸せだろう。
毎日なんてとてもあっけないもので、忘れることと思い出すことの繰り返しで保たれている。だからこそ、私の中の剥製たちを、味のなくなったチューインガムを噛んでいるみたいに、何度も反芻し噛み続ける。
そして、この先訪れる鮮やかな景色に何度も誓うのだ。
消えてしまうと分かっていても、この過ぎゆく一瞬を愛でることで、私はきっと確かなものになってみせる。
夜の7時になってもあかるい夕暮れ。
アイスが一瞬で溶ける痛い日差し。
公園でぶつけ合う水風船。
暑すぎてかなわないこの季節。後ろめたさと居心地の悪さに塗り固められた冷房の監獄の日々を過ごしているということを白昼夢のように思い出してしまう。
私のいつもと変わりのない日々と生活から、余裕と体力、それから電気代を容赦なく奪っていく。捕まえてやろうと必死に追いかけているのに、気が付いたら遠く彼方へ去っていくこいつが嫌いだ。
そのはずなのに。毎年夏の終わりに訪れる花火大会の引力には絶対に打ち負かされてしまう。どうしてもかなわないのだ。
花火大会の日。私は今かいまかと待ち焦がれながら、ほんの少し早足で目的の場所へと向かう。この日のために色んな場所を回って、どこから眺めるのが一番いいのか、考えていたなんて誰にも言えない。花火が綺麗に見えて、外灯も少なく人もあまり通ることのない河川敷はまさに特等席。こんな素敵な場所を独り占めしていいものか少々罪悪感に駆られていたが、前言撤回。
暗くてはっきりは見えないけれど、ショートカットにジャージ姿の女性が立っている。
先客がいたことに肩を落としつつ、ここでの時間を共有できる気がして嬉しい。
とは言っても、人との距離の取り方なんて誰も教えてくれないからわからないけれど。
天と地を繋げるような大輪の花火。
夜空に光るたくさんの粒子に照らされる度に、私は永遠を願ってしまう。
「このまま時間が止まればいいのに」
毎日が特別辛いわけでも楽しいわけでもない。仕事は順調だし、お得意様と言われる有象無象の人たちからは「今日もかわいいね」とか「君がいると場が華やぐよ」って白々しい褒め言葉を浴びせてもらえている。
去年はどんな気持ちでこの光を見ていたのかすら、覚えていない。ただ、生活の中に潜んでいる瞬間的な刹那に心を奪われ、どうしようもなく悲しくなるのだ。
私の心を震わせたあの刹那たちは、もう二度と触れられない場所にありながら、私の中に確かに生きている。これを剥製みたいに永遠のものに出来たらどれだけ幸せだろう。
毎日なんてとてもあっけないもので、忘れることと思い出すことの繰り返しで保たれている。だからこそ、私の中の剥製たちを、味のなくなったチューインガムを噛んでいるみたいに、何度も反芻し噛み続ける。
そして、この先訪れる鮮やかな景色に何度も誓うのだ。
消えてしまうと分かっていても、この過ぎゆく一瞬を愛でることで、私はきっと確かなものになってみせる。
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