是电影甄选入行没错但真正初主演电影是15年前的2007年伽利略电影版!恭喜啊福伯……
【報知映画賞】福山雅治、初の主演男優賞 「作品至上主義でありたい」飽くなき探求&妥協なき挑戦続く
今年の映画賞レースの幕開けとなる「第47回報知映画賞」の各賞が29日、発表された。主演男優賞は「沈黙のパレード」(西谷弘監督)で天才物理学者・湯川学を演じた福山雅治(53)が初受賞した。07年スタートしたフジテレビ系で連続ドラマ「ガリレオ」シリーズの最新作で、劇場版3作目での栄冠。「15年かかったんだなという感慨があります」と喜んだ。表彰式は12月下旬に都内で行われる。
福山は静かに目を閉じ、丁寧に言葉を紡いだ。
「大変うれしく光栄に思います。僕ひとりではなく、西谷監督、(鈴木吉弘)プロデューサー、そして、生みの親である東野圭吾さんの受賞でもあると思っています」とチーム・ガリレオでの受賞を強調。「間隔は空いてますが、15年やってきましたから。この主演男優賞をいただくのに15年かかったんだなという感慨があります。『ガリレオ』という作品に関わってくださった皆さんと喜びを分かちあいたいです」とかみ締めた。
科学的な検証と推理で難事件を解決する湯川学は、天才的な頭脳を持つ物理学者。「真夏の方程式」(13年)以来9年ぶりのシリーズ最新作は興収29・6億円(28日現在)のヒットとなった。「再結成のバンドや、人気のドラマ、映画が復活した際、やっぱり面白いと思うものもあれば、以前の方が…と寂しくなる作品も正直あります。『最新のガリレオこそ、最良のガリレオ』と感じていただくために、“最初の観客”にあたるスタッフさんの気持ちをつかむと決めていました」。撮影の数か月前から1ミリ単位でスーツを調整した。何度も髪形のテストを行い、重要アイテムの眼鏡も改良。スタッフ全員がそろう衣装合わせの場で“一発回答”を出した。
1988年、19歳の時に映画「ほんの5g」で俳優デビューした。90年代から3、4年に1度のペースで連続ドラマに主演してきたが、初めて長期的に向き合ったのが「ガリレオ」だった。
「テレビドラマに出演する機会をいただきましたが、すごく本数をやったわけではない。映像作品を年間のスケジュール、2、3年先のスケジュールに組み込むようになったのは『ガリレオ』から。初めての主演映画は(2008年の)『容疑者xの献身』。その時は38歳です。昔の作品をキャリアにカウントしていない訳ではなくて、『しっかりと取り組んでいこう』とやり始めてから15年ほどしか経っていない。おかげで、53歳の現在もフレッシュな新人的な気持ちで現場にいることができています」
ドラマ1作目のリハーサル室からスタッフと二人三脚で“湯川的”な所作、体の動きを模索。「実に面白い」の名フレーズも浸透した。「役を演じながら楽しめることはなかなか少ないです。『正解かな? 合っているかな?』という不安が常に付きまといますから。湯川に関して言えば、楽しく演じられています。例えて言うならば『湯川学』というスポーツカーに乗り込み、ハンドルを握るのが僕。高性能のスポーツカーでドライブを楽しんでいるイメージです」。15年の月日を経て到達した境地。追い求めてきたキャラクター像を手中に収めた。
俳優業だけでなく、音楽活動でも第一線を走り続けるが、いずれも年齢を重ねるごとに責任感は増している。「30数年間、この仕事をやらせてもらう中で、ファンの皆さまの応援をいただき、僕に興味を持って『一緒に仕事をしたい』と思ってくれるスタッフさんがいないとキャリアは続かない。一人ひとりと向き合うことで生まれる責任は、若い時より感じています。その責任が何かと言えば、納得できる作品にするための努力、結果を残すという部分ですね」
福山は「一表現者として作品至上主義でありたい」と言い切る。「俳優は作品を作り上げるための一部。僕自身、いつ何時、どの現場でも瞬時に役を作り上げるタイプではない。成り立ちを含め、打ち合わせから参加させてもらっています。故に作品の間隔も空いてしまう…(笑い)。でも、そのスタンスは変わらないと思います」。飽くなき探求と妥協なき挑戦は続く。(加茂 伸太郎)
【報知映画賞】福山雅治、初の主演男優賞 「作品至上主義でありたい」飽くなき探求&妥協なき挑戦続く
今年の映画賞レースの幕開けとなる「第47回報知映画賞」の各賞が29日、発表された。主演男優賞は「沈黙のパレード」(西谷弘監督)で天才物理学者・湯川学を演じた福山雅治(53)が初受賞した。07年スタートしたフジテレビ系で連続ドラマ「ガリレオ」シリーズの最新作で、劇場版3作目での栄冠。「15年かかったんだなという感慨があります」と喜んだ。表彰式は12月下旬に都内で行われる。
福山は静かに目を閉じ、丁寧に言葉を紡いだ。
「大変うれしく光栄に思います。僕ひとりではなく、西谷監督、(鈴木吉弘)プロデューサー、そして、生みの親である東野圭吾さんの受賞でもあると思っています」とチーム・ガリレオでの受賞を強調。「間隔は空いてますが、15年やってきましたから。この主演男優賞をいただくのに15年かかったんだなという感慨があります。『ガリレオ』という作品に関わってくださった皆さんと喜びを分かちあいたいです」とかみ締めた。
科学的な検証と推理で難事件を解決する湯川学は、天才的な頭脳を持つ物理学者。「真夏の方程式」(13年)以来9年ぶりのシリーズ最新作は興収29・6億円(28日現在)のヒットとなった。「再結成のバンドや、人気のドラマ、映画が復活した際、やっぱり面白いと思うものもあれば、以前の方が…と寂しくなる作品も正直あります。『最新のガリレオこそ、最良のガリレオ』と感じていただくために、“最初の観客”にあたるスタッフさんの気持ちをつかむと決めていました」。撮影の数か月前から1ミリ単位でスーツを調整した。何度も髪形のテストを行い、重要アイテムの眼鏡も改良。スタッフ全員がそろう衣装合わせの場で“一発回答”を出した。
1988年、19歳の時に映画「ほんの5g」で俳優デビューした。90年代から3、4年に1度のペースで連続ドラマに主演してきたが、初めて長期的に向き合ったのが「ガリレオ」だった。
「テレビドラマに出演する機会をいただきましたが、すごく本数をやったわけではない。映像作品を年間のスケジュール、2、3年先のスケジュールに組み込むようになったのは『ガリレオ』から。初めての主演映画は(2008年の)『容疑者xの献身』。その時は38歳です。昔の作品をキャリアにカウントしていない訳ではなくて、『しっかりと取り組んでいこう』とやり始めてから15年ほどしか経っていない。おかげで、53歳の現在もフレッシュな新人的な気持ちで現場にいることができています」
ドラマ1作目のリハーサル室からスタッフと二人三脚で“湯川的”な所作、体の動きを模索。「実に面白い」の名フレーズも浸透した。「役を演じながら楽しめることはなかなか少ないです。『正解かな? 合っているかな?』という不安が常に付きまといますから。湯川に関して言えば、楽しく演じられています。例えて言うならば『湯川学』というスポーツカーに乗り込み、ハンドルを握るのが僕。高性能のスポーツカーでドライブを楽しんでいるイメージです」。15年の月日を経て到達した境地。追い求めてきたキャラクター像を手中に収めた。
俳優業だけでなく、音楽活動でも第一線を走り続けるが、いずれも年齢を重ねるごとに責任感は増している。「30数年間、この仕事をやらせてもらう中で、ファンの皆さまの応援をいただき、僕に興味を持って『一緒に仕事をしたい』と思ってくれるスタッフさんがいないとキャリアは続かない。一人ひとりと向き合うことで生まれる責任は、若い時より感じています。その責任が何かと言えば、納得できる作品にするための努力、結果を残すという部分ですね」
福山は「一表現者として作品至上主義でありたい」と言い切る。「俳優は作品を作り上げるための一部。僕自身、いつ何時、どの現場でも瞬時に役を作り上げるタイプではない。成り立ちを含め、打ち合わせから参加させてもらっています。故に作品の間隔も空いてしまう…(笑い)。でも、そのスタンスは変わらないと思います」。飽くなき探求と妥協なき挑戦は続く。(加茂 伸太郎)
命是注定的,运是可以改变的,多行善,多积阴德。有缘人看见希望改变命运这里开始一、立命之学
第一篇立命之学主要讲述作者自己的故事。袁了凡自幼丧父,母亲命他学医。后来,他在慈云寺遇到一老者,自称孔先生(根据云南县志,此人是著名易学家杨向春,化名孔先生,曾著《皇极经世心易发微》一书),精通皇极数预测未来,说他有当官的命,孔先生告诉袁了凡他某年应当考第几名,某年当廪生,某年当贡生,贡后某年当选为县长,在任三年半就应该告退回乡,在五十三岁八月十四巳丑时,寿终在家里。把他什么时候考取功名,能考第几名,什么时候当官,什么时候寿尽,有没有孩子等都作了预测。一开始袁了凡不太相信,巧合的是,此后的二十年,袁了凡的人生真的按照这位老者所算定的模式进行着,连考第几名等每一次都十分精确地应验了,这让他笃信了宿命论,认为“荣辱生死,皆有定数”,从此没有了上进之心。直到他遇到云谷禅师,二人“对坐一室”,彻夜而谈,终使了凡醒悟,懂得了“命由我作,福自己求”的道理,知道了如何可以改变命运,他说:“吾于是而知,凡称祸福自己求之者,乃圣贤之言;若谓祸福惟天所命,则世俗之论矣。”也就是说,道德仁义自己可以力求,功名富贵也可以自己求得,要发挥人的主观能动性,相信人的命运掌握在自己的手中,而不是听命于天,听命于他人。从此,袁了凡的人生信念发生了根本改变,从笃信宿命论转到信仰命由我造、福善祸淫的人生观。他以自己的人生经历告诫我们,人的命运是可以改变的,其关键在于多做善事积累福报,在于自身的修为,要多做善事,消除恶念。这就是《立命篇》的主要内容。于是袁了凡开始积极改过向善,积累善业,许愿做三千件善事改命,次年礼部考科举,孔先生预算的应该得第三,忽然考中第一,预测开始不应验。但袁了凡仍觉自己有很多做得不足的地方,经过十余年,这三千善行才算完成。袁了凡一直没有子女,就继续发起求子的愿,也许愿行三千善事,辛巳年就生下了儿子天启。再发求中进士的愿,许行善事一万条。于丙戌年再次遂愿,中了进士,授宝砥县长。原本孔先生所算定的一生,在努力行善改命后,完全改变了,连寿命也延长至七十四岁而终。
许下做一万件善事的时候,袁了凡的妻子见到袁了凡所做的善事不多,就皱着眉头说:“以前我在家里帮助做善事,所以三千之数得以完成。现在许下了一万善,可是衙门里无事可做,到什么时候才能完成呢?”夜间就做了一个梦,梦见一个神人。袁了凡告诉他善事难以完成的缘故。神人说:“只减粮一节,一万善事都已经圆满了。”事情是这样的:原来宝砥的田,每亩应纳粮二分三厘七毫,袁了凡把它减至一分四厘七毫,使上万的人民减轻了负担。虽然神人这样告诉我,但我自己的心里还有此疑惑。恰遇幻余弹师从五台山来,我便把这梦告诉他,并问这个梦可以相信吗? 禅师说:“只要发心真切,那么,一件事就可以抵得上一万件的善事,何况全县减粮,万民受惠呢?”二、改过之法
第二篇讲改过自己的办法,袁了凡认为改过自己要发三心:即惭愧心、畏惧心、勇猛心。惭愧心、畏惧心可以使自己认识到错误,有充足的动力进行改正。勇猛心是指虽然很多人知道道理,但是得过且过,或严重拖延,没有真正实行,而勇猛心正是改过、改命的关键,只有知道道理后勇猛实干才能真正获得益处。并且讲了改过的道理,有从事上改的,有从理上改的,更有从起心动念处除净的。如果没有从理、从心,只是从事的表面强戒不好的事情,但病根还在,东灭西生。故袁了凡认为改过更应该从理、从心。从事改过只是治标不治本,但是急需治标的时候仍可使用。
三、积善之方
第三篇讲积善的办法,讲述了十余个因为积善而获得好报的故事,有讲述其实善恶并非我们想象的那么简单,善事要分为“端曲、阴阳、是非、偏正、半满、大小、难易”这七个方面,里面有引用几个经典故事。如引用了孔子的故事,子路救人拿了赏赐,孔子说子路做得对;而子贡赎人,没有要赏赐,孔子说做得不对,因为现行虽善,而其流风足以害入,那是似善而实非善。现在所做的虽似不善,而其流风足以济人,则其实却是善的。里面亦列举了十条可以行善的门类并作了相应解释:第一、与人为善。第二、爱敬存心。第三、成人之美。第四、劝人为善;第五、救人危急。第六、兴建大利。第七、舍财作福。第八、护持佛法。第九、敬重师长。第十、爱惜物命。
四、谦德之效
第四篇谦德之效主要讲谦虚这项美德的效用,正所谓“满招损,谦受益”,讲述了“天道亏盈而益谦”的道理。并解释道如果一个人有福气,将要成功,就会自然而然有一股谦和吉祥之气外露,里面讲述了数个故事来证明。最后总结了整本书的内容,说明了改命要立志而行,命自我立,有了志向而努力,自然可以改变命运。书中名句:“有志于功名者,必得功名;有志于富贵者,必得富贵。人之有志,如树之有根,立定此志,须念念谦虚,尘尘方便,自然感动天地,而造福由我。
第一篇立命之学主要讲述作者自己的故事。袁了凡自幼丧父,母亲命他学医。后来,他在慈云寺遇到一老者,自称孔先生(根据云南县志,此人是著名易学家杨向春,化名孔先生,曾著《皇极经世心易发微》一书),精通皇极数预测未来,说他有当官的命,孔先生告诉袁了凡他某年应当考第几名,某年当廪生,某年当贡生,贡后某年当选为县长,在任三年半就应该告退回乡,在五十三岁八月十四巳丑时,寿终在家里。把他什么时候考取功名,能考第几名,什么时候当官,什么时候寿尽,有没有孩子等都作了预测。一开始袁了凡不太相信,巧合的是,此后的二十年,袁了凡的人生真的按照这位老者所算定的模式进行着,连考第几名等每一次都十分精确地应验了,这让他笃信了宿命论,认为“荣辱生死,皆有定数”,从此没有了上进之心。直到他遇到云谷禅师,二人“对坐一室”,彻夜而谈,终使了凡醒悟,懂得了“命由我作,福自己求”的道理,知道了如何可以改变命运,他说:“吾于是而知,凡称祸福自己求之者,乃圣贤之言;若谓祸福惟天所命,则世俗之论矣。”也就是说,道德仁义自己可以力求,功名富贵也可以自己求得,要发挥人的主观能动性,相信人的命运掌握在自己的手中,而不是听命于天,听命于他人。从此,袁了凡的人生信念发生了根本改变,从笃信宿命论转到信仰命由我造、福善祸淫的人生观。他以自己的人生经历告诫我们,人的命运是可以改变的,其关键在于多做善事积累福报,在于自身的修为,要多做善事,消除恶念。这就是《立命篇》的主要内容。于是袁了凡开始积极改过向善,积累善业,许愿做三千件善事改命,次年礼部考科举,孔先生预算的应该得第三,忽然考中第一,预测开始不应验。但袁了凡仍觉自己有很多做得不足的地方,经过十余年,这三千善行才算完成。袁了凡一直没有子女,就继续发起求子的愿,也许愿行三千善事,辛巳年就生下了儿子天启。再发求中进士的愿,许行善事一万条。于丙戌年再次遂愿,中了进士,授宝砥县长。原本孔先生所算定的一生,在努力行善改命后,完全改变了,连寿命也延长至七十四岁而终。
许下做一万件善事的时候,袁了凡的妻子见到袁了凡所做的善事不多,就皱着眉头说:“以前我在家里帮助做善事,所以三千之数得以完成。现在许下了一万善,可是衙门里无事可做,到什么时候才能完成呢?”夜间就做了一个梦,梦见一个神人。袁了凡告诉他善事难以完成的缘故。神人说:“只减粮一节,一万善事都已经圆满了。”事情是这样的:原来宝砥的田,每亩应纳粮二分三厘七毫,袁了凡把它减至一分四厘七毫,使上万的人民减轻了负担。虽然神人这样告诉我,但我自己的心里还有此疑惑。恰遇幻余弹师从五台山来,我便把这梦告诉他,并问这个梦可以相信吗? 禅师说:“只要发心真切,那么,一件事就可以抵得上一万件的善事,何况全县减粮,万民受惠呢?”二、改过之法
第二篇讲改过自己的办法,袁了凡认为改过自己要发三心:即惭愧心、畏惧心、勇猛心。惭愧心、畏惧心可以使自己认识到错误,有充足的动力进行改正。勇猛心是指虽然很多人知道道理,但是得过且过,或严重拖延,没有真正实行,而勇猛心正是改过、改命的关键,只有知道道理后勇猛实干才能真正获得益处。并且讲了改过的道理,有从事上改的,有从理上改的,更有从起心动念处除净的。如果没有从理、从心,只是从事的表面强戒不好的事情,但病根还在,东灭西生。故袁了凡认为改过更应该从理、从心。从事改过只是治标不治本,但是急需治标的时候仍可使用。
三、积善之方
第三篇讲积善的办法,讲述了十余个因为积善而获得好报的故事,有讲述其实善恶并非我们想象的那么简单,善事要分为“端曲、阴阳、是非、偏正、半满、大小、难易”这七个方面,里面有引用几个经典故事。如引用了孔子的故事,子路救人拿了赏赐,孔子说子路做得对;而子贡赎人,没有要赏赐,孔子说做得不对,因为现行虽善,而其流风足以害入,那是似善而实非善。现在所做的虽似不善,而其流风足以济人,则其实却是善的。里面亦列举了十条可以行善的门类并作了相应解释:第一、与人为善。第二、爱敬存心。第三、成人之美。第四、劝人为善;第五、救人危急。第六、兴建大利。第七、舍财作福。第八、护持佛法。第九、敬重师长。第十、爱惜物命。
四、谦德之效
第四篇谦德之效主要讲谦虚这项美德的效用,正所谓“满招损,谦受益”,讲述了“天道亏盈而益谦”的道理。并解释道如果一个人有福气,将要成功,就会自然而然有一股谦和吉祥之气外露,里面讲述了数个故事来证明。最后总结了整本书的内容,说明了改命要立志而行,命自我立,有了志向而努力,自然可以改变命运。书中名句:“有志于功名者,必得功名;有志于富贵者,必得富贵。人之有志,如树之有根,立定此志,须念念谦虚,尘尘方便,自然感动天地,而造福由我。
命是注定的,运是可以改变的,多行善,多积阴德。有缘人看见希望改变命运这里开始一、立命之学
第一篇立命之学主要讲述作者自己的故事。袁了凡自幼丧父,母亲命他学医。后来,他在慈云寺遇到一老者,自称孔先生(根据云南县志,此人是著名易学家杨向春,化名孔先生,曾著《皇极经世心易发微》一书),精通皇极数预测未来,说他有当官的命,孔先生告诉袁了凡他某年应当考第几名,某年当廪生,某年当贡生,贡后某年当选为县长,在任三年半就应该告退回乡,在五十三岁八月十四巳丑时,寿终在家里。把他什么时候考取功名,能考第几名,什么时候当官,什么时候寿尽,有没有孩子等都作了预测。一开始袁了凡不太相信,巧合的是,此后的二十年,袁了凡的人生真的按照这位老者所算定的模式进行着,连考第几名等每一次都十分精确地应验了,这让他笃信了宿命论,认为“荣辱生死,皆有定数”,从此没有了上进之心。直到他遇到云谷禅师,二人“对坐一室”,彻夜而谈,终使了凡醒悟,懂得了“命由我作,福自己求”的道理,知道了如何可以改变命运,他说:“吾于是而知,凡称祸福自己求之者,乃圣贤之言;若谓祸福惟天所命,则世俗之论矣。”也就是说,道德仁义自己可以力求,功名富贵也可以自己求得,要发挥人的主观能动性,相信人的命运掌握在自己的手中,而不是听命于天,听命于他人。从此,袁了凡的人生信念发生了根本改变,从笃信宿命论转到信仰命由我造、福善祸淫的人生观。他以自己的人生经历告诫我们,人的命运是可以改变的,其关键在于多做善事积累福报,在于自身的修为,要多做善事,消除恶念。这就是《立命篇》的主要内容。于是袁了凡开始积极改过向善,积累善业,许愿做三千件善事改命,次年礼部考科举,孔先生预算的应该得第三,忽然考中第一,预测开始不应验。但袁了凡仍觉自己有很多做得不足的地方,经过十余年,这三千善行才算完成。袁了凡一直没有子女,就继续发起求子的愿,也许愿行三千善事,辛巳年就生下了儿子天启。再发求中进士的愿,许行善事一万条。于丙戌年再次遂愿,中了进士,授宝砥县长。原本孔先生所算定的一生,在努力行善改命后,完全改变了,连寿命也延长至七十四岁而终。
许下做一万件善事的时候,袁了凡的妻子见到袁了凡所做的善事不多,就皱着眉头说:“以前我在家里帮助做善事,所以三千之数得以完成。现在许下了一万善,可是衙门里无事可做,到什么时候才能完成呢?”夜间就做了一个梦,梦见一个神人。袁了凡告诉他善事难以完成的缘故。神人说:“只减粮一节,一万善事都已经圆满了。”事情是这样的:原来宝砥的田,每亩应纳粮二分三厘七毫,袁了凡把它减至一分四厘七毫,使上万的人民减轻了负担。虽然神人这样告诉我,但我自己的心里还有此疑惑。恰遇幻余弹师从五台山来,我便把这梦告诉他,并问这个梦可以相信吗? 禅师说:“只要发心真切,那么,一件事就可以抵得上一万件的善事,何况全县减粮,万民受惠呢?”二、改过之法
第二篇讲改过自己的办法,袁了凡认为改过自己要发三心:即惭愧心、畏惧心、勇猛心。惭愧心、畏惧心可以使自己认识到错误,有充足的动力进行改正。勇猛心是指虽然很多人知道道理,但是得过且过,或严重拖延,没有真正实行,而勇猛心正是改过、改命的关键,只有知道道理后勇猛实干才能真正获得益处。并且讲了改过的道理,有从事上改的,有从理上改的,更有从起心动念处除净的。如果没有从理、从心,只是从事的表面强戒不好的事情,但病根还在,东灭西生。故袁了凡认为改过更应该从理、从心。从事改过只是治标不治本,但是急需治标的时候仍可使用。
三、积善之方
第三篇讲积善的办法,讲述了十余个因为积善而获得好报的故事,有讲述其实善恶并非我们想象的那么简单,善事要分为“端曲、阴阳、是非、偏正、半满、大小、难易”这七个方面,里面有引用几个经典故事。如引用了孔子的故事,子路救人拿了赏赐,孔子说子路做得对;而子贡赎人,没有要赏赐,孔子说做得不对,因为现行虽善,而其流风足以害入,那是似善而实非善。现在所做的虽似不善,而其流风足以济人,则其实却是善的。里面亦列举了十条可以行善的门类并作了相应解释:第一、与人为善。第二、爱敬存心。第三、成人之美。第四、劝人为善;第五、救人危急。第六、兴建大利。第七、舍财作福。第八、护持佛法。第九、敬重师长。第十、爱惜物命。
四、谦德之效
第四篇谦德之效主要讲谦虚这项美德的效用,正所谓“满招损,谦受益”,讲述了“天道亏盈而益谦”的道理。并解释道如果一个人有福气,将要成功,就会自然而然有一股谦和吉祥之气外露,里面讲述了数个故事来证明。最后总结了整本书的内容,说明了改命要立志而行,命自我立,有了志向而努力,自然可以改变命运。书中名句:“有志于功名者,必得功名;有志于富贵者,必得富贵。人之有志,如树之有根,立定此志,须念念谦虚,尘尘方便,自然感动天地,而造福由我。
第一篇立命之学主要讲述作者自己的故事。袁了凡自幼丧父,母亲命他学医。后来,他在慈云寺遇到一老者,自称孔先生(根据云南县志,此人是著名易学家杨向春,化名孔先生,曾著《皇极经世心易发微》一书),精通皇极数预测未来,说他有当官的命,孔先生告诉袁了凡他某年应当考第几名,某年当廪生,某年当贡生,贡后某年当选为县长,在任三年半就应该告退回乡,在五十三岁八月十四巳丑时,寿终在家里。把他什么时候考取功名,能考第几名,什么时候当官,什么时候寿尽,有没有孩子等都作了预测。一开始袁了凡不太相信,巧合的是,此后的二十年,袁了凡的人生真的按照这位老者所算定的模式进行着,连考第几名等每一次都十分精确地应验了,这让他笃信了宿命论,认为“荣辱生死,皆有定数”,从此没有了上进之心。直到他遇到云谷禅师,二人“对坐一室”,彻夜而谈,终使了凡醒悟,懂得了“命由我作,福自己求”的道理,知道了如何可以改变命运,他说:“吾于是而知,凡称祸福自己求之者,乃圣贤之言;若谓祸福惟天所命,则世俗之论矣。”也就是说,道德仁义自己可以力求,功名富贵也可以自己求得,要发挥人的主观能动性,相信人的命运掌握在自己的手中,而不是听命于天,听命于他人。从此,袁了凡的人生信念发生了根本改变,从笃信宿命论转到信仰命由我造、福善祸淫的人生观。他以自己的人生经历告诫我们,人的命运是可以改变的,其关键在于多做善事积累福报,在于自身的修为,要多做善事,消除恶念。这就是《立命篇》的主要内容。于是袁了凡开始积极改过向善,积累善业,许愿做三千件善事改命,次年礼部考科举,孔先生预算的应该得第三,忽然考中第一,预测开始不应验。但袁了凡仍觉自己有很多做得不足的地方,经过十余年,这三千善行才算完成。袁了凡一直没有子女,就继续发起求子的愿,也许愿行三千善事,辛巳年就生下了儿子天启。再发求中进士的愿,许行善事一万条。于丙戌年再次遂愿,中了进士,授宝砥县长。原本孔先生所算定的一生,在努力行善改命后,完全改变了,连寿命也延长至七十四岁而终。
许下做一万件善事的时候,袁了凡的妻子见到袁了凡所做的善事不多,就皱着眉头说:“以前我在家里帮助做善事,所以三千之数得以完成。现在许下了一万善,可是衙门里无事可做,到什么时候才能完成呢?”夜间就做了一个梦,梦见一个神人。袁了凡告诉他善事难以完成的缘故。神人说:“只减粮一节,一万善事都已经圆满了。”事情是这样的:原来宝砥的田,每亩应纳粮二分三厘七毫,袁了凡把它减至一分四厘七毫,使上万的人民减轻了负担。虽然神人这样告诉我,但我自己的心里还有此疑惑。恰遇幻余弹师从五台山来,我便把这梦告诉他,并问这个梦可以相信吗? 禅师说:“只要发心真切,那么,一件事就可以抵得上一万件的善事,何况全县减粮,万民受惠呢?”二、改过之法
第二篇讲改过自己的办法,袁了凡认为改过自己要发三心:即惭愧心、畏惧心、勇猛心。惭愧心、畏惧心可以使自己认识到错误,有充足的动力进行改正。勇猛心是指虽然很多人知道道理,但是得过且过,或严重拖延,没有真正实行,而勇猛心正是改过、改命的关键,只有知道道理后勇猛实干才能真正获得益处。并且讲了改过的道理,有从事上改的,有从理上改的,更有从起心动念处除净的。如果没有从理、从心,只是从事的表面强戒不好的事情,但病根还在,东灭西生。故袁了凡认为改过更应该从理、从心。从事改过只是治标不治本,但是急需治标的时候仍可使用。
三、积善之方
第三篇讲积善的办法,讲述了十余个因为积善而获得好报的故事,有讲述其实善恶并非我们想象的那么简单,善事要分为“端曲、阴阳、是非、偏正、半满、大小、难易”这七个方面,里面有引用几个经典故事。如引用了孔子的故事,子路救人拿了赏赐,孔子说子路做得对;而子贡赎人,没有要赏赐,孔子说做得不对,因为现行虽善,而其流风足以害入,那是似善而实非善。现在所做的虽似不善,而其流风足以济人,则其实却是善的。里面亦列举了十条可以行善的门类并作了相应解释:第一、与人为善。第二、爱敬存心。第三、成人之美。第四、劝人为善;第五、救人危急。第六、兴建大利。第七、舍财作福。第八、护持佛法。第九、敬重师长。第十、爱惜物命。
四、谦德之效
第四篇谦德之效主要讲谦虚这项美德的效用,正所谓“满招损,谦受益”,讲述了“天道亏盈而益谦”的道理。并解释道如果一个人有福气,将要成功,就会自然而然有一股谦和吉祥之气外露,里面讲述了数个故事来证明。最后总结了整本书的内容,说明了改命要立志而行,命自我立,有了志向而努力,自然可以改变命运。书中名句:“有志于功名者,必得功名;有志于富贵者,必得富贵。人之有志,如树之有根,立定此志,须念念谦虚,尘尘方便,自然感动天地,而造福由我。
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