【新闻】東京丸の内は、どうしてビル街なの?古地図から読み解く東京の不思議。
TBSラジオ『パンサー向井のふらっと』毎週月曜日~木曜日朝8時30分から放送中!
12月8日(木)放送の『パンサー向井のふらっと』、この日はパンサー・向井慧が隔週でおやすみのため、木曜パートナー・髙橋ひかるとTBSアナウンサー喜入友浩でお届けしました。
9時台の『ふらトピ』前半は、【東京、昔はこうだった。 ~東京駅周辺 八重洲・大手町編~】
ゲストは、雑誌『月刊 江戸楽(えどがく)』編集部で メイツ出版から出版されている『古地図で歩く 江戸・東京ぶらり今昔歴史探訪ガイド』を手掛けた尾花知美さん。
東京駅、丸の内、日比谷側は昔は浅瀬の海だったという話に驚きを隠せない髙橋ひかると喜入アナ。
尾花さんが用意してくれた古地図を見ながら昔の東京駅周辺がどうだったのかを探ります。
髙橋 :どうして海だったところを埋め立てたんですか?
尾花:前回、赤坂は坂の多い町とお伝えしましたが、東京の東部は入り江や土地の低い湿地が多かったので、 そこを埋め立てて町を広げようとしたんじゃないかと思います。徳川 家康は豊臣秀吉によって国替えを命じられ、本距離だった東海地方から関東地方へと領地が移されました。そして、太田道灌が築いた江戸城を中心に江戸の町の大改造を行いました。江戸幕府が開く10年ほど前、天正20年(1592年)に、江戸城の西の丸の 築城工事の残った土を使って埋め立て日比谷入り江を埋め立てたのが始まりだったんですよね。
喜入:お城を作った時の残った時の土で作ったんですね。
髙橋:残った土を使うって…すごいエコ
喜入:江戸時代ってエコなんですよね。
髙橋:再利用するんですね。
喜入 : 埋め立てた後ですね、尾花さんが用意してくれた古地図を見ているんですが…
髙橋:丸の内側と八重洲側…全然違うなぁ。
喜入:大手町・丸の内エリアは、大名屋敷が多いだけあって1軒1軒の区画が ゆったりしていますが、八重洲エリアは、かなり細かい区画になっています。八重洲エリアは江戸時代、どんな街だったんでしょうか?
尾花 :八重洲側は、江戸時代は町人地だったんです。古地図で見ると灰色に塗られているところが町人地だったんです。 丸の内・大手町側とは住んでいる層がガラっと違っていた。 江戸時代の町人地には、同じ職業の人々が同じ場所に集まって、住まいや店を 構えていることが多かったんです。
髙橋:へぇ。
尾花:八重洲の旧町名には、職人の職業が 由来のものを多く見ることがよくある。 例えば…檜物町(ひものちょう)は徳川家康が江戸に入ったときに、 浜松の檜物(ひもの)大工の棟梁がこの地を授かったことによんです。 檜物(ひもの)とは、檜 (ひのき) の薄板を円形に曲げて作った器です。 曲げわっぱをイメージするとよいかもしれないです。
髙橋:あぁ~!!!
尾花:南鞘町(みなみさやちょう)は刀剣の鞘を作る職人がいたから。 桶町(おけちょう)は桶職人がいたからなんですね。
髙橋:今も職人さん文化って残っているんですか?
尾花:今は、この辺りはなかなか残ってないですね。
髙橋:そっかぁ、けど、ロマンがあるなぁ…。
喜入: 江戸時代は、大手町・丸の内エリアと八重洲エリア、古地図では 町の雰囲気がかなり違っていたんですね。その名残は今もあるんですか?
尾花 :残っていますね、「東京の官庁や大学、公園など敷地の広いところは、 元は大名屋敷であった場合が多い」とお話ししましたが、 丸の内・大手町もまさにそうで、一区画が広いため、現在でも大きなビルが 建つエリアとなっています。一方、八重洲側、最近は再開発が進んでいるが それでも丸の内側と比べると今でも細かい路地がたくさんあります
他にも丸の内、大手町、八重洲の名前の由来や、東京・八重洲、丸の内周辺で今現在、江戸を感じることができるスポットも教えて頂きました。
『ふらトピ』後半は、木曜リポーター・どんぐりたけしが東京・大手町にある『アナザー・ジャパン』からリポート!こちらは、学生が経営する地域産品セレクトショップ。大学生の池田彩月さんに助けられながらリポートしました。
さけるチ~っス!
しっかり受け答えされる池田さん。
どんぐりたけしリポート能力向上委員会発足しましたことをここにご報告します。
#高桥光[超话]##高桥光##髙橋ひかる#
TBSラジオ『パンサー向井のふらっと』毎週月曜日~木曜日朝8時30分から放送中!
12月8日(木)放送の『パンサー向井のふらっと』、この日はパンサー・向井慧が隔週でおやすみのため、木曜パートナー・髙橋ひかるとTBSアナウンサー喜入友浩でお届けしました。
9時台の『ふらトピ』前半は、【東京、昔はこうだった。 ~東京駅周辺 八重洲・大手町編~】
ゲストは、雑誌『月刊 江戸楽(えどがく)』編集部で メイツ出版から出版されている『古地図で歩く 江戸・東京ぶらり今昔歴史探訪ガイド』を手掛けた尾花知美さん。
東京駅、丸の内、日比谷側は昔は浅瀬の海だったという話に驚きを隠せない髙橋ひかると喜入アナ。
尾花さんが用意してくれた古地図を見ながら昔の東京駅周辺がどうだったのかを探ります。
髙橋 :どうして海だったところを埋め立てたんですか?
尾花:前回、赤坂は坂の多い町とお伝えしましたが、東京の東部は入り江や土地の低い湿地が多かったので、 そこを埋め立てて町を広げようとしたんじゃないかと思います。徳川 家康は豊臣秀吉によって国替えを命じられ、本距離だった東海地方から関東地方へと領地が移されました。そして、太田道灌が築いた江戸城を中心に江戸の町の大改造を行いました。江戸幕府が開く10年ほど前、天正20年(1592年)に、江戸城の西の丸の 築城工事の残った土を使って埋め立て日比谷入り江を埋め立てたのが始まりだったんですよね。
喜入:お城を作った時の残った時の土で作ったんですね。
髙橋:残った土を使うって…すごいエコ
喜入:江戸時代ってエコなんですよね。
髙橋:再利用するんですね。
喜入 : 埋め立てた後ですね、尾花さんが用意してくれた古地図を見ているんですが…
髙橋:丸の内側と八重洲側…全然違うなぁ。
喜入:大手町・丸の内エリアは、大名屋敷が多いだけあって1軒1軒の区画が ゆったりしていますが、八重洲エリアは、かなり細かい区画になっています。八重洲エリアは江戸時代、どんな街だったんでしょうか?
尾花 :八重洲側は、江戸時代は町人地だったんです。古地図で見ると灰色に塗られているところが町人地だったんです。 丸の内・大手町側とは住んでいる層がガラっと違っていた。 江戸時代の町人地には、同じ職業の人々が同じ場所に集まって、住まいや店を 構えていることが多かったんです。
髙橋:へぇ。
尾花:八重洲の旧町名には、職人の職業が 由来のものを多く見ることがよくある。 例えば…檜物町(ひものちょう)は徳川家康が江戸に入ったときに、 浜松の檜物(ひもの)大工の棟梁がこの地を授かったことによんです。 檜物(ひもの)とは、檜 (ひのき) の薄板を円形に曲げて作った器です。 曲げわっぱをイメージするとよいかもしれないです。
髙橋:あぁ~!!!
尾花:南鞘町(みなみさやちょう)は刀剣の鞘を作る職人がいたから。 桶町(おけちょう)は桶職人がいたからなんですね。
髙橋:今も職人さん文化って残っているんですか?
尾花:今は、この辺りはなかなか残ってないですね。
髙橋:そっかぁ、けど、ロマンがあるなぁ…。
喜入: 江戸時代は、大手町・丸の内エリアと八重洲エリア、古地図では 町の雰囲気がかなり違っていたんですね。その名残は今もあるんですか?
尾花 :残っていますね、「東京の官庁や大学、公園など敷地の広いところは、 元は大名屋敷であった場合が多い」とお話ししましたが、 丸の内・大手町もまさにそうで、一区画が広いため、現在でも大きなビルが 建つエリアとなっています。一方、八重洲側、最近は再開発が進んでいるが それでも丸の内側と比べると今でも細かい路地がたくさんあります
他にも丸の内、大手町、八重洲の名前の由来や、東京・八重洲、丸の内周辺で今現在、江戸を感じることができるスポットも教えて頂きました。
『ふらトピ』後半は、木曜リポーター・どんぐりたけしが東京・大手町にある『アナザー・ジャパン』からリポート!こちらは、学生が経営する地域産品セレクトショップ。大学生の池田彩月さんに助けられながらリポートしました。
さけるチ~っス!
しっかり受け答えされる池田さん。
どんぐりたけしリポート能力向上委員会発足しましたことをここにご報告します。
#高桥光[超话]##高桥光##髙橋ひかる#
#齐藤朱夏[超话]# INS更新
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朱演2022「くもり空の向こう側」
くもり空の向こう側には
いつだってキミがいてくれる
だから傷だらけでも走れる。
キミがくもり空の下を走ってたら
上を向いてっ。
大丈夫、私がついてるよっ。
前と後ろを交互に走り合う私たち
来年からはまた違う走り方に
なるんだろうなって感じた。
次はどう走ろうか?来年もたくさん共有したり
答え合わせをしようねっ。
そんでもっておもっきし遊ぼっ
ちょっと時間かかるけど
ブログも書くね。
少しだけ時間ちょうだいっ。
○朱夏バンド
Ba. 伊藤千明さん(チャッキー)
Dr. 今村舞さん(まいまい)
Gt. @ higuchi_kei ひぐちけい (けいちゃん)
Key/Bandmaster. @ emi_nishino 西野恵未(えみちゃん)
Mnp. @ joe_hanachan (はなちゃん)
○チーム朱夏
make
@ maaaaasahi0514 (まーちゃん)
stylist
@ m1nam1_515 (みなみさん)
photo by @ vizkage(ビオラ氏)
2022.12.03
#くもり空の向こう側#
#くもり空の向こう側_いち#
#くもり空の向こう側_に#
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朱演2022「くもり空の向こう側」
くもり空の向こう側には
いつだってキミがいてくれる
だから傷だらけでも走れる。
キミがくもり空の下を走ってたら
上を向いてっ。
大丈夫、私がついてるよっ。
前と後ろを交互に走り合う私たち
来年からはまた違う走り方に
なるんだろうなって感じた。
次はどう走ろうか?来年もたくさん共有したり
答え合わせをしようねっ。
そんでもっておもっきし遊ぼっ
ちょっと時間かかるけど
ブログも書くね。
少しだけ時間ちょうだいっ。
○朱夏バンド
Ba. 伊藤千明さん(チャッキー)
Dr. 今村舞さん(まいまい)
Gt. @ higuchi_kei ひぐちけい (けいちゃん)
Key/Bandmaster. @ emi_nishino 西野恵未(えみちゃん)
Mnp. @ joe_hanachan (はなちゃん)
○チーム朱夏
make
@ maaaaasahi0514 (まーちゃん)
stylist
@ m1nam1_515 (みなみさん)
photo by @ vizkage(ビオラ氏)
2022.12.03
#くもり空の向こう側#
#くもり空の向こう側_いち#
#くもり空の向こう側_に#
#八木勇征[超话]#
「声の重心や姿勢で演じ分け」 演技で得た経験を歌に還元
www.saga-s.co.jp/articles/-/959273?page=2
―今まで演じた中で一番難しかった役は?
清居ですね(即答)
清居って、一見するとスクールカーストの上位にいる「キング」で、最初は僕もクールなイメージで演じていたのですが、それが途中でガラリと変わったんです。実は人間味にあふれていて、めちゃくちゃ乙女。紛れもなくこの作品のヒロインなんですよ。そのギャップはすごく感じましたね。難しかったというより、演じているあいだは自分が清居そのものになっていたという感じです。クライマックスの化学室のシーンは、自分でいる感覚がなくて、そのときの記憶もないくらいです。
―映画「HiGH&LOW 」での山口孫六役も印象的でした。
「美しい彼」を先に見た人は、僕はどこにいるんだろう?ってなったでしょうね(笑)。「HiGH&LOW~」から見た人にも、孫六と清居が結びつかないって言われます。役によって全然違うと言ってもらえるのは、とてもうれしいです。
―どう演じ分けているのですか?
声の重心や姿勢など、目に見えたり、耳に聞こえたりする部分の演じ分けを大切にしていますね。また、キャラクターのバックボーンは監督に聞くようにしています。作品自体には描かれていなくても、その世界で生きてきて、過ごした時間があるはず。どうしてこういう性格なのか、元々は違ったんじゃないか、何があったんだろう? と妄想というか、考えるのが楽しいんです。想像するのは個人の自由じゃないですか。ミスマッチだったら監督が指摘してくれるでしょうし、考えるだけでも演じ方が変わると思うんですよね。
―来年1月13日には映画「イチケイのカラス」が公開。そこでの役柄は?
映画の舞台となる街にいる、お調子者の和菓子屋さんという役どころです。ここでも全く違う僕が見られると思いますし、意外にキーキャラクターでもあるんです。演技の経験が豊富な方々と共演させていただき、とても勉強になりましたし、いい時間が過ごせました。
―FANTASTICSの八木勇征さんとは?
グループの「声」ですね。ファンの人はもちろん、FANTASTICSを知らない人たちにも僕たちのことを知ってもらわなければならないという使命もあるので、ボーカルとして、声で届けられたら。
グループ内では、自分からグイグイいくタイプではないですね。あまり個人の主張はしないかもしれません。変に頑固なところはあるので、絶対に曲げない部分もありはするのですが、みんなの意見を聞くと「確かに」と思うこともあるので、メンバーの意見を尊重するようにしています。
―端正なルックスとのギャップもすごいですよね? かなり食べられると聞きました。
めちゃくちゃ食べるんですよ(笑)。今までで一番食べたのは、お肉とご飯合わせて4.5kg。お肉2kgとご飯1kgみたいなチャレンジメニューも食べたことがありますね。
―いちばん好きな食べ物は?
牛すじ煮込みです!(食い気味に)
でも最近、好きなものが多すぎて、決められなくなってきました(笑)
―授賞式で行かれた韓国でもたくさん食べられていましたね(笑)。でも、脱いだらすごいんですよね?
はい! ・・・「はい」って(笑)
食べることが好きなのでトレーニングももちろんしていますが、24歳のときに一度体脂肪率を3%まで落としたことがあって、そこから体質が変わったのか、好き勝手食べても増えなくなったんですよね。ベースとなる体の状態は分かっているので、そうなるように無意識のうちに行動しているから、保てているんじゃないかと思います。
―個人の展望は?
個人としては、演技の仕事をするようになってから、人生観というか歌詞の受け取り方にも変化がありました。演技の経験を積むことで、ボーカリストとしての自分やグループに還元できることがたくさんあるなと思いますね。
例えば別れをテーマとしたバラード曲なら、「好きだ」「愛している」「悲しい」「別れた」「でも好きだ」「さみしい」となりがちだったのが、意外とこの気持ちは後ろ向きではないのかもと考えるようになったり。視点が違えば歌い方も変わるし、トライしてみて違ったら違ったでそれでもいい。そういう風に考えるようになったことが大きな変化なのかなと思います。
演技にも歌にも真摯(しんし)に向き合う姿勢が印象的
―そんな風に考えて歌われていることを知ったら、見る側、聞く側の受け取り方も変わりますよね。
そうなんですよ。もちろん知らずとも歌だけで伝えられたらいいのですが、こういう記事などを読んで、「こんな気持ちで歌っているんだ」「確かにそうとも受け取れるかも」と思ってくれたら僕もうれしいですね。感じ方が違えば、曲のとらえ方も変わるし、ライブに来てもらったときの楽しみも増えるんじゃないかな。
「声の重心や姿勢で演じ分け」 演技で得た経験を歌に還元
www.saga-s.co.jp/articles/-/959273?page=2
―今まで演じた中で一番難しかった役は?
清居ですね(即答)
清居って、一見するとスクールカーストの上位にいる「キング」で、最初は僕もクールなイメージで演じていたのですが、それが途中でガラリと変わったんです。実は人間味にあふれていて、めちゃくちゃ乙女。紛れもなくこの作品のヒロインなんですよ。そのギャップはすごく感じましたね。難しかったというより、演じているあいだは自分が清居そのものになっていたという感じです。クライマックスの化学室のシーンは、自分でいる感覚がなくて、そのときの記憶もないくらいです。
―映画「HiGH&LOW 」での山口孫六役も印象的でした。
「美しい彼」を先に見た人は、僕はどこにいるんだろう?ってなったでしょうね(笑)。「HiGH&LOW~」から見た人にも、孫六と清居が結びつかないって言われます。役によって全然違うと言ってもらえるのは、とてもうれしいです。
―どう演じ分けているのですか?
声の重心や姿勢など、目に見えたり、耳に聞こえたりする部分の演じ分けを大切にしていますね。また、キャラクターのバックボーンは監督に聞くようにしています。作品自体には描かれていなくても、その世界で生きてきて、過ごした時間があるはず。どうしてこういう性格なのか、元々は違ったんじゃないか、何があったんだろう? と妄想というか、考えるのが楽しいんです。想像するのは個人の自由じゃないですか。ミスマッチだったら監督が指摘してくれるでしょうし、考えるだけでも演じ方が変わると思うんですよね。
―来年1月13日には映画「イチケイのカラス」が公開。そこでの役柄は?
映画の舞台となる街にいる、お調子者の和菓子屋さんという役どころです。ここでも全く違う僕が見られると思いますし、意外にキーキャラクターでもあるんです。演技の経験が豊富な方々と共演させていただき、とても勉強になりましたし、いい時間が過ごせました。
―FANTASTICSの八木勇征さんとは?
グループの「声」ですね。ファンの人はもちろん、FANTASTICSを知らない人たちにも僕たちのことを知ってもらわなければならないという使命もあるので、ボーカルとして、声で届けられたら。
グループ内では、自分からグイグイいくタイプではないですね。あまり個人の主張はしないかもしれません。変に頑固なところはあるので、絶対に曲げない部分もありはするのですが、みんなの意見を聞くと「確かに」と思うこともあるので、メンバーの意見を尊重するようにしています。
―端正なルックスとのギャップもすごいですよね? かなり食べられると聞きました。
めちゃくちゃ食べるんですよ(笑)。今までで一番食べたのは、お肉とご飯合わせて4.5kg。お肉2kgとご飯1kgみたいなチャレンジメニューも食べたことがありますね。
―いちばん好きな食べ物は?
牛すじ煮込みです!(食い気味に)
でも最近、好きなものが多すぎて、決められなくなってきました(笑)
―授賞式で行かれた韓国でもたくさん食べられていましたね(笑)。でも、脱いだらすごいんですよね?
はい! ・・・「はい」って(笑)
食べることが好きなのでトレーニングももちろんしていますが、24歳のときに一度体脂肪率を3%まで落としたことがあって、そこから体質が変わったのか、好き勝手食べても増えなくなったんですよね。ベースとなる体の状態は分かっているので、そうなるように無意識のうちに行動しているから、保てているんじゃないかと思います。
―個人の展望は?
個人としては、演技の仕事をするようになってから、人生観というか歌詞の受け取り方にも変化がありました。演技の経験を積むことで、ボーカリストとしての自分やグループに還元できることがたくさんあるなと思いますね。
例えば別れをテーマとしたバラード曲なら、「好きだ」「愛している」「悲しい」「別れた」「でも好きだ」「さみしい」となりがちだったのが、意外とこの気持ちは後ろ向きではないのかもと考えるようになったり。視点が違えば歌い方も変わるし、トライしてみて違ったら違ったでそれでもいい。そういう風に考えるようになったことが大きな変化なのかなと思います。
演技にも歌にも真摯(しんし)に向き合う姿勢が印象的
―そんな風に考えて歌われていることを知ったら、見る側、聞く側の受け取り方も変わりますよね。
そうなんですよ。もちろん知らずとも歌だけで伝えられたらいいのですが、こういう記事などを読んで、「こんな気持ちで歌っているんだ」「確かにそうとも受け取れるかも」と思ってくれたら僕もうれしいですね。感じ方が違えば、曲のとらえ方も変わるし、ライブに来てもらったときの楽しみも増えるんじゃないかな。
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