2月19日(日)放送の『どうする家康』第7回「わしの家」では、逼迫(ひっぱく)する戦費をまかなうため、治外法権となっていた一向宗の寺院から強制的に年貢を取り立てようとする松平家康(まつだいらいえやす/松本潤)の様子が描かれた。三河をひとつの「家」とみなして改名した「家康」だったが、「家」を大混乱に招く過酷な試練が間近に迫っていた。
改名直後に訪れた三河統一の最大の試練
1563(永禄6)年、今川氏との手切れに伴い、松平元康は「家康」に名を改めた。今川氏から取り戻した妻子とともに平穏な日々を過ごすなか、家康は同盟相手である織田信長(おだのぶなが/岡田准一)から呼び出され、三河の反乱分子をしっかり抑えておくよう忠告される。
さっそく、三河国内で謀反を企てた勢力を鎮圧した家康だったが、戦(いくさ)続きで岡崎城内の蓄えが底をつきかけていた。反乱はいつまた起こるか分からない。早急な対策を講じなければならなかった。
そこで家康は、領内で豊かな生活をしているという一向宗に協力を求めることを思いつく。しかし、一向宗が裕福なのは、家康の父である広忠(ひろただ)が与えた不入の権と呼ばれる特権を盾に年貢を納めていないからだ。一向宗の寺は武士の介入を一切拒否する自治社会を形成していたため、家臣たちからも反対の声があがる。
一向宗の寺院である本證寺に密かに潜入した家康は、三河国内の疲弊ぶりとは対照的に、活気にあふれた寺内の様子に驚く。松平家の家臣も信者として多数入り込んでいるのも初めて知った。
寺の様子は仏門として不浄と感じた家康は、他宗派の寺院と同じように年貢の取り立てに踏み切ることにした。反対を表明していた家臣には内緒で、強制的に年貢米を奪ったのである。妻の瀬名(有村架純)は「道理に反する」と心配するが、その懸念通り、猛然と抗議する一向宗門徒らが松平家に反乱を起こしたのだった。「家康」の「家」は義父からもらったものだった?
徳川氏や家康の事績などを記した『朝野旧聞裒藁』(ちょうやきゅうぶんほうこう)によれば、家康が改名したのは1563(永禄6)年。「此秋、御諱、元康を改て家康と称し給ふ」と記録されている。
家康の「康」の字は、歴代の松平氏のなかでも英名と名高い祖父の松平清康の名にちなんだものといわれているが、「家」の方の由来は何だろうか。
家康の父祖の名前をさかのぼってみると、次のようである。
親氏―泰親―信光―親忠―長親―信忠―清康―広忠(『三河物語』)
このように家康の直系の系図には「家」のつく人物はいない。そのため、祖先からの「通字」というわけではなさそうだ。
ドラマでも紹介されていた通り、源義家(みなもとのよしいえ)にあやかったというのは説のひとつである(『三河後風土記』)。
源義家は通称「八幡太郎」とも呼ばれた、清和源氏を出自に持つ武士。前九年の役や後三年の役で活躍し、源氏の勢力の基盤を作ったことで知られる。のちに鎌倉幕府を開いた源頼朝や、室町幕府を開いた足利尊氏(あしかがたかうじ)は義家の子孫にあたる。
江戸幕府を開くことになる家康が義家の名から一字を取るというのは一見ありそうな話だが、後年の付会とされている。
実は、松平氏には「家」のついた人物が何人かいる。
桜井松平氏には家次、竹谷松平氏には家清、安城松平氏には長家といった名前が見られる。形原松平氏では家広、家忠、家信と通字のようにして使っていたようだ。つまり、松平一族という点から見てみると、「家」という字はある意味、ありふれた名乗りだった、とみることもできる。「家」の由来についてはもうひとつ、異説がある。
家康は桶狭間の戦いのあった1560(永禄3)年に、幼い頃に生き別れた実母の於大の方(おだいのかた)と再会を果たしている。このとき、於大が再婚していた相手が久松俊勝(ひさまつとしかつ)だ。
家康は、於大の方と俊勝との間に生まれた三子を松平家に迎え入れるなど、実に温厚な交流をしている。この当時、俊勝の名乗っていた名前が「長家(ながいえ)」だった。家康の「家」は、この長家から譲り受けたのではないか、とする説である。ドラマの中でも、俊勝は長家の名前で登場している。
なお、後年、久松長家は「長家」から「俊勝」に名乗りを変えているが、出世した家康にはばかっての改名といわれている。
小野 雅彦
改名直後に訪れた三河統一の最大の試練
1563(永禄6)年、今川氏との手切れに伴い、松平元康は「家康」に名を改めた。今川氏から取り戻した妻子とともに平穏な日々を過ごすなか、家康は同盟相手である織田信長(おだのぶなが/岡田准一)から呼び出され、三河の反乱分子をしっかり抑えておくよう忠告される。
さっそく、三河国内で謀反を企てた勢力を鎮圧した家康だったが、戦(いくさ)続きで岡崎城内の蓄えが底をつきかけていた。反乱はいつまた起こるか分からない。早急な対策を講じなければならなかった。
そこで家康は、領内で豊かな生活をしているという一向宗に協力を求めることを思いつく。しかし、一向宗が裕福なのは、家康の父である広忠(ひろただ)が与えた不入の権と呼ばれる特権を盾に年貢を納めていないからだ。一向宗の寺は武士の介入を一切拒否する自治社会を形成していたため、家臣たちからも反対の声があがる。
一向宗の寺院である本證寺に密かに潜入した家康は、三河国内の疲弊ぶりとは対照的に、活気にあふれた寺内の様子に驚く。松平家の家臣も信者として多数入り込んでいるのも初めて知った。
寺の様子は仏門として不浄と感じた家康は、他宗派の寺院と同じように年貢の取り立てに踏み切ることにした。反対を表明していた家臣には内緒で、強制的に年貢米を奪ったのである。妻の瀬名(有村架純)は「道理に反する」と心配するが、その懸念通り、猛然と抗議する一向宗門徒らが松平家に反乱を起こしたのだった。「家康」の「家」は義父からもらったものだった?
徳川氏や家康の事績などを記した『朝野旧聞裒藁』(ちょうやきゅうぶんほうこう)によれば、家康が改名したのは1563(永禄6)年。「此秋、御諱、元康を改て家康と称し給ふ」と記録されている。
家康の「康」の字は、歴代の松平氏のなかでも英名と名高い祖父の松平清康の名にちなんだものといわれているが、「家」の方の由来は何だろうか。
家康の父祖の名前をさかのぼってみると、次のようである。
親氏―泰親―信光―親忠―長親―信忠―清康―広忠(『三河物語』)
このように家康の直系の系図には「家」のつく人物はいない。そのため、祖先からの「通字」というわけではなさそうだ。
ドラマでも紹介されていた通り、源義家(みなもとのよしいえ)にあやかったというのは説のひとつである(『三河後風土記』)。
源義家は通称「八幡太郎」とも呼ばれた、清和源氏を出自に持つ武士。前九年の役や後三年の役で活躍し、源氏の勢力の基盤を作ったことで知られる。のちに鎌倉幕府を開いた源頼朝や、室町幕府を開いた足利尊氏(あしかがたかうじ)は義家の子孫にあたる。
江戸幕府を開くことになる家康が義家の名から一字を取るというのは一見ありそうな話だが、後年の付会とされている。
実は、松平氏には「家」のついた人物が何人かいる。
桜井松平氏には家次、竹谷松平氏には家清、安城松平氏には長家といった名前が見られる。形原松平氏では家広、家忠、家信と通字のようにして使っていたようだ。つまり、松平一族という点から見てみると、「家」という字はある意味、ありふれた名乗りだった、とみることもできる。「家」の由来についてはもうひとつ、異説がある。
家康は桶狭間の戦いのあった1560(永禄3)年に、幼い頃に生き別れた実母の於大の方(おだいのかた)と再会を果たしている。このとき、於大が再婚していた相手が久松俊勝(ひさまつとしかつ)だ。
家康は、於大の方と俊勝との間に生まれた三子を松平家に迎え入れるなど、実に温厚な交流をしている。この当時、俊勝の名乗っていた名前が「長家(ながいえ)」だった。家康の「家」は、この長家から譲り受けたのではないか、とする説である。ドラマの中でも、俊勝は長家の名前で登場している。
なお、後年、久松長家は「長家」から「俊勝」に名乗りを変えているが、出世した家康にはばかっての改名といわれている。
小野 雅彦
京都を代表する禅寺のひとつであり、新緑や紅葉の名所としても知られる東福寺。その寺宝をまとめて紹介する初の機会となる特別展が、上野の東京国立博物館平成館で、3月7日(火)から5月7日(日)まで開催される。
【全ての写真】特別展『東福寺』参考図版(全12枚)
鎌倉時代前期に摂政・関白を務めた九条道家の発願により建立された東福寺は、南宋時代の高僧・無準師範(ぶじゅんしばん)に禅を学んだ円爾(えんに)を開山とする。国内随一の巨大な伽藍(がらん)を誇る東福寺の名は、奈良の大寺院である東大寺と興福寺になぞらえて、その一字ずつをとって付けられたもの。
以来、多くの弟子を育成するとともに、中国伝来の文物をはじめとして、建造物や彫刻・絵画・書・書籍など、禅宗文化を物語る多くの文化財を守り伝えてきた。
その貴重な宝物を紹介する同展のなかでも特に大きな見どころは、「画聖」とも崇められた絵仏師・明兆(みんちょう)による《五百羅漢図》の現存全幅が14年にわたる修理を終え、初公開されることだ。東福寺を拠点として活躍した明兆は、江戸時代までは雪舟とも並び称されるほどの高名な画人だった。
同展では、水墨と極彩色が見事に調和した《五百羅漢図》のほか、東福寺の大伽藍にふさわしい巨大な観音図や達磨図など、明兆の各時期を代表する大作を目にすることができる。円爾と、その法を伝える後継者である「聖一派(しょういちは)」にゆかりの文物をはじめとする寺宝の展観は、草創以来の東福寺の歴史を脈々と伝えるとともに、東福寺の僧たちが大陸との交流を通じて花開かせた禅宗文化の全容を幅広く紹介するものでもある。また巨大な伽藍に巨大な仏像が安置されていた東福寺は、創建時には「新大仏寺」とも称されていたとか。その後、度重なる災禍に遭いながらも復興をとげてきた寺は、今も大スケールの仏教彫刻や書画などで荘厳されている。
同展では、明治期に焼失した旧本尊から残された長さ2メートルにも及ぶ巨大な左手の遺例や、運慶作かとも目される多聞天立像など、注目作品も多数。東京国立博物館の大空間で展観される特大サイズの優品からは、東福寺の壮大さを実感できるに違いない。
【開催概要】
特別展『東福寺』
会期:2023年3月7日(火)~5月7日(日) ※会期中展示替えあり
会場:東京国立博物館 平成館
時間:9:30~17:00(入場は16:30まで)
休館日:月曜(3月27日と5月1日は開館)
【全ての写真】特別展『東福寺』参考図版(全12枚)
鎌倉時代前期に摂政・関白を務めた九条道家の発願により建立された東福寺は、南宋時代の高僧・無準師範(ぶじゅんしばん)に禅を学んだ円爾(えんに)を開山とする。国内随一の巨大な伽藍(がらん)を誇る東福寺の名は、奈良の大寺院である東大寺と興福寺になぞらえて、その一字ずつをとって付けられたもの。
以来、多くの弟子を育成するとともに、中国伝来の文物をはじめとして、建造物や彫刻・絵画・書・書籍など、禅宗文化を物語る多くの文化財を守り伝えてきた。
その貴重な宝物を紹介する同展のなかでも特に大きな見どころは、「画聖」とも崇められた絵仏師・明兆(みんちょう)による《五百羅漢図》の現存全幅が14年にわたる修理を終え、初公開されることだ。東福寺を拠点として活躍した明兆は、江戸時代までは雪舟とも並び称されるほどの高名な画人だった。
同展では、水墨と極彩色が見事に調和した《五百羅漢図》のほか、東福寺の大伽藍にふさわしい巨大な観音図や達磨図など、明兆の各時期を代表する大作を目にすることができる。円爾と、その法を伝える後継者である「聖一派(しょういちは)」にゆかりの文物をはじめとする寺宝の展観は、草創以来の東福寺の歴史を脈々と伝えるとともに、東福寺の僧たちが大陸との交流を通じて花開かせた禅宗文化の全容を幅広く紹介するものでもある。また巨大な伽藍に巨大な仏像が安置されていた東福寺は、創建時には「新大仏寺」とも称されていたとか。その後、度重なる災禍に遭いながらも復興をとげてきた寺は、今も大スケールの仏教彫刻や書画などで荘厳されている。
同展では、明治期に焼失した旧本尊から残された長さ2メートルにも及ぶ巨大な左手の遺例や、運慶作かとも目される多聞天立像など、注目作品も多数。東京国立博物館の大空間で展観される特大サイズの優品からは、東福寺の壮大さを実感できるに違いない。
【開催概要】
特別展『東福寺』
会期:2023年3月7日(火)~5月7日(日) ※会期中展示替えあり
会場:東京国立博物館 平成館
時間:9:30~17:00(入場は16:30まで)
休館日:月曜(3月27日と5月1日は開館)
2010-06-26 23:15:40
勝利の朝\(^▽^)/
こんばんは!たおですo(^▽^)o
みなさん、お元気ですか?
ブログが少し空いてしまいましたが、私はとても元気ですよ(*^_^*)
ここ何日かは、学校とお仕事の両方に行っていました。
東京はすっかり暑いです!
でも北海道は今日35度を超えたと聞いて、ビックリしました(((゜д゜;)))
学校の水泳でも、前までは凍りそうなくらい寒くて大変だったのに、
今は水温がすっかりあったかくなって、その変化に驚いてます。
水泳と言えば…
「ゴーグルをしている時の目」を見ると、
私はいつもなぜか、笑ってしまうんですよ…(^o^;)
なんか教科書とかに載っている『土偶』を思い出しちゃうんです(//▽//)
仲のいい友達と、そういう状態で目が合うと、
泳いでいても笑いそうになっちゃって…(笑)
今は平泳ぎを集中的にやっています。
でも私は平泳ぎはあまり得意ではないので、結構大変で(ノ_・。)
人によって泳ぎって、得意種目が全然違いますよね(^-^)
私はクロールや背泳ぎのほうが得意なんですけど、
みなさんは何泳ぎが得意ですか?
さて、W杯!
サッカー日本代表、デンマーク戦に勝ちましたね!!!!!
おめでとうございます!\(≧▽≦*)/
朝3時からでしたが、観ていた人はすごく多いんじゃないかと思います(^-^)
私も、時間は見ませんでしたけど、起きたらもう弟が起きていて、
テレビがしっかりついていたので、そのまま応援に参加しました!!!
このあいだのオランダ戦もいい試合でしたが、
おとといの試合は、とても熱くなるゲームでしたね!
始まる前は、デンマークの選手があまりに大きいのでビックリしたんですが、
あんなに大きいデンマークチームに向かって、日本の選手は少しもひるまず、
積極的に攻撃を続け、守備も固めて…
本当に感動しました。
今回の私の中でのMVPは、
川島さん、松井さん、長友さん、遠藤さんです。
MVPなのに多いかな…?でも決められないんですよねY(>_<、)Y
まずキーパーの川島さんは、ボールをキャッチした後に、
とったボールをしっかりと両手でかかえ直して、
周りをしっかり見回すところが 凄くいいと思うんですよ。
私も小さい頃からスポーツしてたから、なんとなく想像するんですけど、
たぶん川島さんは小さい頃か学生の時に教えてもらった基本を、
ずっと今も忠実に守っているんじゃないかと思うんです。
それか、弟は結構ちゃんとサッカーやってたんですけど、
「昔、試合でキャッチミスをしたことがあったりして、
それで、二度としない!と決めたから、あんなに確認してるんじゃない?」 と言っていました。
それもありえるなぁ…と思います。
スポーツってミスししたり、スランプになったりすると、
結局基本に帰るのがすごく大事ですもんね!
どっちにしても、とても真面目にサッカーをやっているという感じが
凄く伝わってきて、いいなぁと思います。
松井さん、遠藤さんは、一番つらいミッドフィルダーの人たちなんですが、
自分もバスケ部では、スモールフォアードという似たようなポジションにいて、
そのポジションがボールをあげなきゃ(運ばなきゃ)攻撃も出来ないし、
守る時にはすぐ守りに戻らなければいけない役だったので、
すごく大変なんじゃないかな?と思いながら観ていたんです。
そしたら、攻める勢いと守る勢いの両方があって、
体力も気力も凄いと思いました。
こういうポジションの選手の方たちが、ちゃんと支えてくれたからこそ、
いいゴールが生まれたんじゃないかと思います!
支えるっていうか、遠藤選手は自分でゴールを決めましたよね!
遠藤選手っていうと、『コロコロPK』の印象が強かったんですけど、
すごく綺麗なフリーキックでびっくりしました!
本田選手のフリーキックは、無回転でしたね(☆o☆)
勝っただけではなく、日本チームが持っている技をたくさん見ることが出来て、
すごく楽しい試合でしたo(^-^)o
今日の写真は、1枚目と2枚目が日本チームが勝った直後の朝の空です。
決勝トーナメント進出にピッタリの空でした!!!
3枚目は、今日のお仕事に行く時の写真です。
ちょっと夢見がちな雰囲気の、森ガール系にしてみました(*^-^)b
東京ではあまり雨が降っていないんですけど、
九州や四国のほうは大変な雨だそうですね。
とても心配です。
去年私が九州に行った時、たまたま土砂崩れで高速道路が止まったり、
住んでいる方たちが避難しなければいけなかったり被害にあったり、
という大雨を実際に体験したので、すごく心配しています。
あの時は本当に、滝の中みたいな雨でした。
九州・四国のほうに住んでいる人は、どうか気をつけて下さいm(u_u*)m
それでは、おやすみなさい(#^-^#)
たお
勝利の朝\(^▽^)/
こんばんは!たおですo(^▽^)o
みなさん、お元気ですか?
ブログが少し空いてしまいましたが、私はとても元気ですよ(*^_^*)
ここ何日かは、学校とお仕事の両方に行っていました。
東京はすっかり暑いです!
でも北海道は今日35度を超えたと聞いて、ビックリしました(((゜д゜;)))
学校の水泳でも、前までは凍りそうなくらい寒くて大変だったのに、
今は水温がすっかりあったかくなって、その変化に驚いてます。
水泳と言えば…
「ゴーグルをしている時の目」を見ると、
私はいつもなぜか、笑ってしまうんですよ…(^o^;)
なんか教科書とかに載っている『土偶』を思い出しちゃうんです(//▽//)
仲のいい友達と、そういう状態で目が合うと、
泳いでいても笑いそうになっちゃって…(笑)
今は平泳ぎを集中的にやっています。
でも私は平泳ぎはあまり得意ではないので、結構大変で(ノ_・。)
人によって泳ぎって、得意種目が全然違いますよね(^-^)
私はクロールや背泳ぎのほうが得意なんですけど、
みなさんは何泳ぎが得意ですか?
さて、W杯!
サッカー日本代表、デンマーク戦に勝ちましたね!!!!!
おめでとうございます!\(≧▽≦*)/
朝3時からでしたが、観ていた人はすごく多いんじゃないかと思います(^-^)
私も、時間は見ませんでしたけど、起きたらもう弟が起きていて、
テレビがしっかりついていたので、そのまま応援に参加しました!!!
このあいだのオランダ戦もいい試合でしたが、
おとといの試合は、とても熱くなるゲームでしたね!
始まる前は、デンマークの選手があまりに大きいのでビックリしたんですが、
あんなに大きいデンマークチームに向かって、日本の選手は少しもひるまず、
積極的に攻撃を続け、守備も固めて…
本当に感動しました。
今回の私の中でのMVPは、
川島さん、松井さん、長友さん、遠藤さんです。
MVPなのに多いかな…?でも決められないんですよねY(>_<、)Y
まずキーパーの川島さんは、ボールをキャッチした後に、
とったボールをしっかりと両手でかかえ直して、
周りをしっかり見回すところが 凄くいいと思うんですよ。
私も小さい頃からスポーツしてたから、なんとなく想像するんですけど、
たぶん川島さんは小さい頃か学生の時に教えてもらった基本を、
ずっと今も忠実に守っているんじゃないかと思うんです。
それか、弟は結構ちゃんとサッカーやってたんですけど、
「昔、試合でキャッチミスをしたことがあったりして、
それで、二度としない!と決めたから、あんなに確認してるんじゃない?」 と言っていました。
それもありえるなぁ…と思います。
スポーツってミスししたり、スランプになったりすると、
結局基本に帰るのがすごく大事ですもんね!
どっちにしても、とても真面目にサッカーをやっているという感じが
凄く伝わってきて、いいなぁと思います。
松井さん、遠藤さんは、一番つらいミッドフィルダーの人たちなんですが、
自分もバスケ部では、スモールフォアードという似たようなポジションにいて、
そのポジションがボールをあげなきゃ(運ばなきゃ)攻撃も出来ないし、
守る時にはすぐ守りに戻らなければいけない役だったので、
すごく大変なんじゃないかな?と思いながら観ていたんです。
そしたら、攻める勢いと守る勢いの両方があって、
体力も気力も凄いと思いました。
こういうポジションの選手の方たちが、ちゃんと支えてくれたからこそ、
いいゴールが生まれたんじゃないかと思います!
支えるっていうか、遠藤選手は自分でゴールを決めましたよね!
遠藤選手っていうと、『コロコロPK』の印象が強かったんですけど、
すごく綺麗なフリーキックでびっくりしました!
本田選手のフリーキックは、無回転でしたね(☆o☆)
勝っただけではなく、日本チームが持っている技をたくさん見ることが出来て、
すごく楽しい試合でしたo(^-^)o
今日の写真は、1枚目と2枚目が日本チームが勝った直後の朝の空です。
決勝トーナメント進出にピッタリの空でした!!!
3枚目は、今日のお仕事に行く時の写真です。
ちょっと夢見がちな雰囲気の、森ガール系にしてみました(*^-^)b
東京ではあまり雨が降っていないんですけど、
九州や四国のほうは大変な雨だそうですね。
とても心配です。
去年私が九州に行った時、たまたま土砂崩れで高速道路が止まったり、
住んでいる方たちが避難しなければいけなかったり被害にあったり、
という大雨を実際に体験したので、すごく心配しています。
あの時は本当に、滝の中みたいな雨でした。
九州・四国のほうに住んでいる人は、どうか気をつけて下さいm(u_u*)m
それでは、おやすみなさい(#^-^#)
たお
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