「lineblog」2019/10/06#武藤润#
Hey!秋田&仙台Hey! 潤
秋田ABSまつり!そして仙台E BeanSでのリリースイベント!
2日間東北でイベントでした!
見に来てくれた人、そして一緒に踊って歌ってくれた人
ありがとうございました!
秋田県は初めてでした。
田沢湖という日本一深い湖があることは知っていていつか行ってみたいとずっと前から思っていたのですが、今回は行けませんでした。
でも美味しい海鮮丼は食べれてよかった
イベントでも「原因は自分にある。」を披露したときみなさんと一緒にバッテン作って踊りましたね
「ギミギミラブ」のHey!で腕を上げてるのが見えて僕ももっと高く飛ぶぞ!っと思いましたよ!
そして「Macanas.」
久しぶりに曲振りを任されたのでテンションMAXでやってやりました!!!!
秋田ABSまつりのセトリは皆さんと一緒に盛り上がれるような曲がたくさんありましたね。
そしてこうさくの地元である仙台!
「Like a Vampire」を披露しました
久しぶりだったよね!
初めてみてくれた方もいると思いますが、あんな感じの曲も僕たちやるんですよっ
「ギミギミラブ」の振り付け講座で学んだことを覚えといてくださいね!
これからもっと楽しんでいきましょう!!
さぁ次はついに10月9日発売日ですね!
またみなさんとジャンケンで勝負する日が近づいてきたぞ!!
最初グー!ジャンケンポン……
まさや&たかとチョキ
じゅん パー
負けた〜
またね
Hey!秋田&仙台Hey! 潤
秋田ABSまつり!そして仙台E BeanSでのリリースイベント!
2日間東北でイベントでした!
見に来てくれた人、そして一緒に踊って歌ってくれた人
ありがとうございました!
秋田県は初めてでした。
田沢湖という日本一深い湖があることは知っていていつか行ってみたいとずっと前から思っていたのですが、今回は行けませんでした。
でも美味しい海鮮丼は食べれてよかった
イベントでも「原因は自分にある。」を披露したときみなさんと一緒にバッテン作って踊りましたね
「ギミギミラブ」のHey!で腕を上げてるのが見えて僕ももっと高く飛ぶぞ!っと思いましたよ!
そして「Macanas.」
久しぶりに曲振りを任されたのでテンションMAXでやってやりました!!!!
秋田ABSまつりのセトリは皆さんと一緒に盛り上がれるような曲がたくさんありましたね。
そしてこうさくの地元である仙台!
「Like a Vampire」を披露しました
久しぶりだったよね!
初めてみてくれた方もいると思いますが、あんな感じの曲も僕たちやるんですよっ
「ギミギミラブ」の振り付け講座で学んだことを覚えといてくださいね!
これからもっと楽しんでいきましょう!!
さぁ次はついに10月9日発売日ですね!
またみなさんとジャンケンで勝負する日が近づいてきたぞ!!
最初グー!ジャンケンポン……
まさや&たかとチョキ
じゅん パー
負けた〜
またね
ことしは司馬遼太郎生誕百年。彼が『梟の城』で直木賞を受賞したのは昭和三十五年(一九六〇)一月だが、圧倒的な人気が出てしかも知識人として尊敬される、いわゆる国民作家の風格を帯びたのは約二年半後、産経新聞で『竜馬がゆく』の連載を開始してからだった。
開始半年後くらいから販売店や支局へひんぱんに購読申し込みの電話がかかって来るようになったと書くのは本紙一月四日付の記事(大阪本社発行版)である。私は三度も読んでしまった。当時の記者が野球の取材で或る高校をおとずれると「球児らが『竜馬』を回し読みしていた」なんて、いきいきと当時の空気がわかるではないか。
連載が完結し、文藝春秋新社刊行の単行本も完結するころには司馬と同様、坂本龍馬もまたすっかり国民的偉人の地位を獲得したわけで、たとえば桂浜の坂本龍馬像なども、いまや高知県を代表する観光地になっている。
私も、行ってみた。浜から急な石段をのぼる。頭上の松林へ突っ込むような感じ。ほとんどのぼりきったところで松の枝葉(えだは)がとつぜん左右にわかれ、たかだかと像があらわれたのは、まあ私が途中から下を向いて歩いたせいでの錯覚かもしれないが、とにかく像は背が高く、台座だけでも大人の身長の何倍もある。そのせいで近くに立つとまず目に入るのは、龍馬の顔や胴ではなく足だった。足は大きく、洋風の靴をはいていて、片足をちょっと踏み出している。いかにも健脚の人らしいなあと、私だけではない、ひょっとしたら司馬もここへ来たとき思ったのではないか。手もとの『竜馬がゆく』文春文庫版第八巻(最終巻)には竜馬がいよいよ大政奉還の大事業を前にして故郷へ帰り、桂浜に上陸する場面があるが、司馬はそこで龍馬が一歩一歩、「足あとを印するのを楽しむようにして」歩いたと記している。小さい足では絵にならないのだ。
もっとも司馬は、この直後に叙述の主体を急転させる。
《のち、この浜に竜馬の像が立つ。「スエズ以東最大の銅像」といわれるこの像の建設は、大正十五年、数人の青年によって運動がおこされた。》
司馬ファンならば誰もが「待ってました」と言いたくなる、あの作者自身による歴史語り。この青年というのは早稲田や京大の学生などだった。零細な寄付を集めることを主眼としたため、高知県出身で三菱財閥を築いた岩崎男爵家から五千円という高額の申し出があったのを断ったというから客気にみちている。
文中には、学生の実名も記されている。いったいこんな裏話をどこで仕込んだのだろうと読むほうは感歎のほかないが、察するに、これは司馬自身が現地で――つまりここで――当時の事情を知る人から直接、聞きこんだのではないか。その情報を、この大づめの場面で満を持して投入したのではないか。だとすれば叙述はもちろん取材の技術もきわめて高いわけだけれども、そういえば司馬もまたかつては産経新聞の記者だった。いきいきと時代の空気をよみがえらせるあの手腕は、ひょっとしたら一種の文化的遺伝なのかもしれない。私は像のうしろへまわり、台座を見た。台座には青い銘板が埋めこまれていて、建設者の名はただ「高知県青年」とのみ記されていた。
そのうちに、また人が多くなった。少し離れて見ていると、みんなスマホで像の写真を撮る。カシャカシャ音が鳴りひびく。ひょっとしたらいまごろ雲の上では、龍馬と司馬が肩を組んで、
「わしの時代は、写真一枚撮るちゅうたら大さわぎしちょったきに」
「僕はようさんマスコミに撮られましたな。でも電話で撮られたことはあらへん」
などと目を白黒させているかもしれない、そんなふうに思ったりした。はたしてそうなら、ふたりが話しているのはもちろん土佐弁と大阪弁のはずだ。
開始半年後くらいから販売店や支局へひんぱんに購読申し込みの電話がかかって来るようになったと書くのは本紙一月四日付の記事(大阪本社発行版)である。私は三度も読んでしまった。当時の記者が野球の取材で或る高校をおとずれると「球児らが『竜馬』を回し読みしていた」なんて、いきいきと当時の空気がわかるではないか。
連載が完結し、文藝春秋新社刊行の単行本も完結するころには司馬と同様、坂本龍馬もまたすっかり国民的偉人の地位を獲得したわけで、たとえば桂浜の坂本龍馬像なども、いまや高知県を代表する観光地になっている。
私も、行ってみた。浜から急な石段をのぼる。頭上の松林へ突っ込むような感じ。ほとんどのぼりきったところで松の枝葉(えだは)がとつぜん左右にわかれ、たかだかと像があらわれたのは、まあ私が途中から下を向いて歩いたせいでの錯覚かもしれないが、とにかく像は背が高く、台座だけでも大人の身長の何倍もある。そのせいで近くに立つとまず目に入るのは、龍馬の顔や胴ではなく足だった。足は大きく、洋風の靴をはいていて、片足をちょっと踏み出している。いかにも健脚の人らしいなあと、私だけではない、ひょっとしたら司馬もここへ来たとき思ったのではないか。手もとの『竜馬がゆく』文春文庫版第八巻(最終巻)には竜馬がいよいよ大政奉還の大事業を前にして故郷へ帰り、桂浜に上陸する場面があるが、司馬はそこで龍馬が一歩一歩、「足あとを印するのを楽しむようにして」歩いたと記している。小さい足では絵にならないのだ。
もっとも司馬は、この直後に叙述の主体を急転させる。
《のち、この浜に竜馬の像が立つ。「スエズ以東最大の銅像」といわれるこの像の建設は、大正十五年、数人の青年によって運動がおこされた。》
司馬ファンならば誰もが「待ってました」と言いたくなる、あの作者自身による歴史語り。この青年というのは早稲田や京大の学生などだった。零細な寄付を集めることを主眼としたため、高知県出身で三菱財閥を築いた岩崎男爵家から五千円という高額の申し出があったのを断ったというから客気にみちている。
文中には、学生の実名も記されている。いったいこんな裏話をどこで仕込んだのだろうと読むほうは感歎のほかないが、察するに、これは司馬自身が現地で――つまりここで――当時の事情を知る人から直接、聞きこんだのではないか。その情報を、この大づめの場面で満を持して投入したのではないか。だとすれば叙述はもちろん取材の技術もきわめて高いわけだけれども、そういえば司馬もまたかつては産経新聞の記者だった。いきいきと時代の空気をよみがえらせるあの手腕は、ひょっとしたら一種の文化的遺伝なのかもしれない。私は像のうしろへまわり、台座を見た。台座には青い銘板が埋めこまれていて、建設者の名はただ「高知県青年」とのみ記されていた。
そのうちに、また人が多くなった。少し離れて見ていると、みんなスマホで像の写真を撮る。カシャカシャ音が鳴りひびく。ひょっとしたらいまごろ雲の上では、龍馬と司馬が肩を組んで、
「わしの時代は、写真一枚撮るちゅうたら大さわぎしちょったきに」
「僕はようさんマスコミに撮られましたな。でも電話で撮られたことはあらへん」
などと目を白黒させているかもしれない、そんなふうに思ったりした。はたしてそうなら、ふたりが話しているのはもちろん土佐弁と大阪弁のはずだ。
几天前的报道 有的小孩一边说着“我明白了球速不代表一切”一边想上160[允悲]你小子也想既要又要还要吗
低迷が続く名門・法大の救世主 球速へのロマンも追い続ける右腕・篠木健太郎
持ち味はダイナミックなフォーム
最近では珍しい、ワインドアップだ。大きく振りかぶり、いったん下ろしかけた左足を高く跳ね上げ、二段モーションでタイミングを取る。勢いをつけて打者へ投じるダイナミックなフォームが法大・篠木健太郎(3年・木更津総合高)の最大の持ち味である。
「ステップする左足は、振り上げる高さが高いほど、ボールにより大きなエネルギーを与えることができます。位置エネルギーの法則です。1年秋のリーグ戦を控えた夏場に取り組むと、球速が上がりました。もともと体全体のバネ、瞬発系もあるほうだと思います」
1年秋、高校時代から5キロアップの155キロを計測した。そして、昨年6月の大学日本代表候補合宿では157キロをマーク。2年生投手で唯一、侍ジャパン大学代表に選出され、ハーレムベースボールウイーク2022(オランダ、4位)でプレーした。
「すべてが収穫でした。プロに行かれた橋本(橋本達弥、慶大-DeNA)さん、青山(青山美夏人、亜大-西武)さんら4年生からは、試合への入り方のほか、学ぶべきことがたくさんありました」
篠木は2年生ながら主戦投手として期待された昨年、春2勝、秋2勝とポテンシャルからすれば、物足りない数字に終わった。言うまでもなく、球速で優劣を決める競技ではない。理解しているつもりだったが、勝利を追い求める中で、力みからフォームを崩したという。
「スピードだけではないと、あらためて強く感じました。真っすぐを生かすための組み立てが大事になる。『勝てる投手』になった上で、結果的に球速がアップしていればいい」
篠木は木更津総合高1年夏に甲子園の土を踏み、「関東No.1投手」と騒がれた。プロ志望届を提出すれば「ドラフト指名は間違いない」と言われた。しかし、当初から東京六大学でのプレーを熱望していた。中学の学校評定はオール5の超優等生。あこがれだった早大・早川隆久(現楽天)、そして1学年下の法大・山下輝(現ヤクルト)が木更津総合高を経由して、神宮(東京六大学)を目指した姿を見て、群馬から千葉の同校を志望した。
高校3年時は主将を任されるほど、早大OBの五島卓道監督からの信頼が厚かった。3年夏はコロナ禍で、甲子園をかけた千葉大会は中止。それでも、モチベーションを維持し、県高野連主催の独自大会で優勝へと導いた。相当タフな精神力の持ち主である。2年冬、法大の環境に惹かれ、同校への進学を決めた。
先発完投がポリシー
芯が強い。そして、責任感も人一倍。だからこそ、通算4勝の法大での2年間は「情けない。不甲斐ない。納得のいくシーズンは一つもない」と口をつくのは、反省ばかりだった。昨夏、大学日本代表で一緒にプレーした同級生の明大・宗山塁(3年・広陵高)は2年秋までに通算61安打。遠征先のオランダでは同部屋で、仲が良いが「すでに塁君は、東京六大学の顔になっている。自分も残りの2年で、そうなれるように努力をしたい。大学野球を盛り上げたい」と、巻き返しを誓う。
一冬をかけて、バランスの良い投球フォームを試行錯誤し、確かな手応えを得ている。トレードマークの豪快さを維持しながら、進化を目指す。小さくまとまるつもりはない。160キロ。球速へのロマンも、追い続けている。
法大は昨秋、勝ち点1の5位に低迷した。上級生となった今年、3年生・篠木は早くもリーダーの自覚が芽生え「チームに必要なことは、発信していきたい」と意欲的に語る。
「マウンドに上がった以上は、誰にも譲りたくない」と先発完投をポリシーとする。今春は対戦する5校からそれぞれ1勝を挙げ、シーズン5勝が最低ノルマ。「リーグ優勝、日本一を、自分のピッチングで形にしたい。2年後のドラフトでは、1位指名されるビジョンを描いています」。青写真を実現させるためにも、大学3年の位置づけは重要なポイントだ。
2023年春。篠木はもう一つの武器である満面の笑みで、チーム全体に安心感を与える。低迷が続く名門・法大の救世主へのキーマン。名実ともに、絶対的エースへと上り詰める。
低迷が続く名門・法大の救世主 球速へのロマンも追い続ける右腕・篠木健太郎
持ち味はダイナミックなフォーム
最近では珍しい、ワインドアップだ。大きく振りかぶり、いったん下ろしかけた左足を高く跳ね上げ、二段モーションでタイミングを取る。勢いをつけて打者へ投じるダイナミックなフォームが法大・篠木健太郎(3年・木更津総合高)の最大の持ち味である。
「ステップする左足は、振り上げる高さが高いほど、ボールにより大きなエネルギーを与えることができます。位置エネルギーの法則です。1年秋のリーグ戦を控えた夏場に取り組むと、球速が上がりました。もともと体全体のバネ、瞬発系もあるほうだと思います」
1年秋、高校時代から5キロアップの155キロを計測した。そして、昨年6月の大学日本代表候補合宿では157キロをマーク。2年生投手で唯一、侍ジャパン大学代表に選出され、ハーレムベースボールウイーク2022(オランダ、4位)でプレーした。
「すべてが収穫でした。プロに行かれた橋本(橋本達弥、慶大-DeNA)さん、青山(青山美夏人、亜大-西武)さんら4年生からは、試合への入り方のほか、学ぶべきことがたくさんありました」
篠木は2年生ながら主戦投手として期待された昨年、春2勝、秋2勝とポテンシャルからすれば、物足りない数字に終わった。言うまでもなく、球速で優劣を決める競技ではない。理解しているつもりだったが、勝利を追い求める中で、力みからフォームを崩したという。
「スピードだけではないと、あらためて強く感じました。真っすぐを生かすための組み立てが大事になる。『勝てる投手』になった上で、結果的に球速がアップしていればいい」
篠木は木更津総合高1年夏に甲子園の土を踏み、「関東No.1投手」と騒がれた。プロ志望届を提出すれば「ドラフト指名は間違いない」と言われた。しかし、当初から東京六大学でのプレーを熱望していた。中学の学校評定はオール5の超優等生。あこがれだった早大・早川隆久(現楽天)、そして1学年下の法大・山下輝(現ヤクルト)が木更津総合高を経由して、神宮(東京六大学)を目指した姿を見て、群馬から千葉の同校を志望した。
高校3年時は主将を任されるほど、早大OBの五島卓道監督からの信頼が厚かった。3年夏はコロナ禍で、甲子園をかけた千葉大会は中止。それでも、モチベーションを維持し、県高野連主催の独自大会で優勝へと導いた。相当タフな精神力の持ち主である。2年冬、法大の環境に惹かれ、同校への進学を決めた。
先発完投がポリシー
芯が強い。そして、責任感も人一倍。だからこそ、通算4勝の法大での2年間は「情けない。不甲斐ない。納得のいくシーズンは一つもない」と口をつくのは、反省ばかりだった。昨夏、大学日本代表で一緒にプレーした同級生の明大・宗山塁(3年・広陵高)は2年秋までに通算61安打。遠征先のオランダでは同部屋で、仲が良いが「すでに塁君は、東京六大学の顔になっている。自分も残りの2年で、そうなれるように努力をしたい。大学野球を盛り上げたい」と、巻き返しを誓う。
一冬をかけて、バランスの良い投球フォームを試行錯誤し、確かな手応えを得ている。トレードマークの豪快さを維持しながら、進化を目指す。小さくまとまるつもりはない。160キロ。球速へのロマンも、追い続けている。
法大は昨秋、勝ち点1の5位に低迷した。上級生となった今年、3年生・篠木は早くもリーダーの自覚が芽生え「チームに必要なことは、発信していきたい」と意欲的に語る。
「マウンドに上がった以上は、誰にも譲りたくない」と先発完投をポリシーとする。今春は対戦する5校からそれぞれ1勝を挙げ、シーズン5勝が最低ノルマ。「リーグ優勝、日本一を、自分のピッチングで形にしたい。2年後のドラフトでは、1位指名されるビジョンを描いています」。青写真を実現させるためにも、大学3年の位置づけは重要なポイントだ。
2023年春。篠木はもう一つの武器である満面の笑みで、チーム全体に安心感を与える。低迷が続く名門・法大の救世主へのキーマン。名実ともに、絶対的エースへと上り詰める。
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