#阪口珠美##tamamitalk# ①
ここ最近ある特定の方が
SNSで虚偽事実無根の内容を
(私がしたみたいに)書いている事が
何度もあって
とても嫌な気持ちになりました
色々と言われてしまう仕事、立場なのは
私達皆覚悟をもって
仕事をしているので
仕方のないことと
いつもは受け流すのですが、
今回の内容は明らかに
虚偽事実無根の内容を広めようとして
悪質であるのと、
あまりにも何度もしつこく
直接的にも続けてくるので、
事務所の方とも相談して、
今回こうしてお伝えすることにしました。
私はインスタグラムでは
ブログだけでは
伝えられない色々な自分を
知ってもらえるように、
普段どんな事が好きかとか
ファッションとかお伝えする事で
楽しんでいだだけたらと思って、
それを自分自身も
楽しんでやっています。それだけです。
そして乃木坂46は
インスタグラムであっても、
個人で好き勝手にやっているわけではなく、
全てマネージャーさん
チェックの元で
行なっていることを
ここにお伝えしておきたいと思います。
全然おもーい話じゃなくて、
乃木メを読んでくれている皆さんに
ただ聞いて欲しかった事です。
軽く読んでもらえたら大丈夫です
ぴょん。#tamamitalk
ここ最近ある特定の方が
SNSで虚偽事実無根の内容を
(私がしたみたいに)書いている事が
何度もあって
とても嫌な気持ちになりました
色々と言われてしまう仕事、立場なのは
私達皆覚悟をもって
仕事をしているので
仕方のないことと
いつもは受け流すのですが、
今回の内容は明らかに
虚偽事実無根の内容を広めようとして
悪質であるのと、
あまりにも何度もしつこく
直接的にも続けてくるので、
事務所の方とも相談して、
今回こうしてお伝えすることにしました。
私はインスタグラムでは
ブログだけでは
伝えられない色々な自分を
知ってもらえるように、
普段どんな事が好きかとか
ファッションとかお伝えする事で
楽しんでいだだけたらと思って、
それを自分自身も
楽しんでやっています。それだけです。
そして乃木坂46は
インスタグラムであっても、
個人で好き勝手にやっているわけではなく、
全てマネージャーさん
チェックの元で
行なっていることを
ここにお伝えしておきたいと思います。
全然おもーい話じゃなくて、
乃木メを読んでくれている皆さんに
ただ聞いて欲しかった事です。
軽く読んでもらえたら大丈夫です
ぴょん。#tamamitalk
#健康身体 健康地球 健康生活#
高齢者の生きがいとは
生きがいとは
人は誰でも、何らかの「生きがい」を持つことで、人生の価値や意味を見い出そうとします。広辞苑によれば、生きがいとは「生きるはりあい。生きていてよかったと思えるようなこと」と定義されています。つまり、人にとって「生きる価値や意味」を与えるものである、と捉えることができます。
「生きがい」という言葉の使い方としては、「生きがいを感じる」というのが一般的であり、主観的な感情を表す用語であるともいえます。従って、何を生きがいと感じるかは人によって様々であり、一概に定義できるものではありません。人によっては「生きていく上でのはりあい」というやや消極的なものから、「人生をどう生きていくか」というその人の人生の根源ともいえるような積極的なものまで、さまざまな捉え方があります。
高齢者はどの程度生きがいを感じているのか
では、高齢者は、どの程度の生きがいを感じているのでしょうか。平成25年に内閣府が行った「高齢者の地域社会への参加に関する意識調査(平成25年)」1)によれば、高齢者のうちおよそ8割の人が、生きがい(喜びや楽しみ)を感じていると回答しています(グラフ1)。しかしその一方で、生きがいを感じる人は年々減少傾向となっています。
グラフ1:生きがいを感じる人の割合を示すグラフ。生きがいを感じている高齢者はおよそ8割であることを示す
グラフ1:「生きがい」を感じる人の割合(時系列で比較)1)の結果より作図
表1:「生きがい」を感じる人の割合(時系列で比較)1)
十分感じている 多少感じている あまり感じていない まったく感じていない 分からない
平成10年
(n=2303) 41.8 43.3 12.5 1.5 0.9
平成15年
(n=2860) 39.5 42.2 14 2.9 1.5
平成20年
(n=3293) 44.2 38.3 14.2 2.7 0.6
平成25年
(n=1999) 38.5 40.7 16.4 3.9 0.5
また、年齢階級別にみると、年齢が高くなるほど、生きがいを感じている人の割合は、わずかではありますが低くなる傾向にあるようです(グラフ2)。
グラフ2:60代から80代の高齢者がどの程度生きがいを感じるかを示すグラフ。年齢が高くなるほど生きがいを感じている人の割合がすこしづつ低くなることを示す。
グラフ2:どの程度生きがいを感じるか(年代別比較)1)の結果より作図
表2:どの程度生きがいを感じるか(年代別比較)1)
十分感じている 多少感じている あまり感じていない まったく感じていない 分からない
60歳代 38.5 42.4 14.9 3.9 0.3
70歳代 39.3 38.6 17.3 4.2 0.7
80歳代 36.6 40.7 18.6 3.4 0.7
高齢者はどのような時に生きがいを感じるのか
高齢者の生きがいの例の三世代家族が団らんしている写真。孫など家族との団らんの時に高齢者の男女ともに生きがいを最も感じている。
高齢者が「生きがいを感じるとき」について見てみると、孫など家族との団らんの時(48.8%)が最も多くなります。一方で、前回調査した5年前と比較すると、「仕事に打ち込んでいる時に生きがいを感じる」と回答した人の割合は減少しています。では、男女別でみてみましょう。
男性の場合
男性は「趣味やスポーツに熱中している時(49.0%)」に生きがいを感じている人がもっとも多く、これに「孫など家族との団らんの時(40.7%)」、「旅行に行っているとき(36.4%)が続いています。
女性の場合
女性は男性と比べ、「孫など家族との団らんの時(55.4%)」、「友人や知人と食事、雑談をしている時(50.9%)」、「おいしい物を食べている時(44.4%)」に生きがいを感じている人が多い、という結果が出ています。
生きがいと健康の関連
では、生きがいと健康状態には、関係があるのでしょうか。
上記同様、内閣府が平成21年に行った「高齢者の地域社会への参加に関する意識調査(平成20年度)」2)では、「趣味やスポーツに熱中している時」「仕事に打ち込んでいる時」「旅行に行っている時」に生きがいを感じると答えた人は、健康状態が良い層(良いとまあ良いの計)と、健康状態が良くない層(良くないとあまり良くないとの計)との差が大きいことがわかっています。一方で、「孫など家族との団らんの時」に生きがいを感じると答えた人の中では、両者の差はほとんどみられません。
このように、何が生きがいであるのか、どのような時に生きがいを感じるのかは、人それぞれであるのかもしれません。しかしながらこれらの調査結果から、健康状態や身近な人との関係が、高齢者の生きがいに深くかかわっていることが読み取れます。
健康を維持し、親しい友人や仲間との良好な関係を築き、親密な交流をもつことが、高齢者の生きがいを高める、大きな要因となるでしょう。
高齢者の生きがいとは
生きがいとは
人は誰でも、何らかの「生きがい」を持つことで、人生の価値や意味を見い出そうとします。広辞苑によれば、生きがいとは「生きるはりあい。生きていてよかったと思えるようなこと」と定義されています。つまり、人にとって「生きる価値や意味」を与えるものである、と捉えることができます。
「生きがい」という言葉の使い方としては、「生きがいを感じる」というのが一般的であり、主観的な感情を表す用語であるともいえます。従って、何を生きがいと感じるかは人によって様々であり、一概に定義できるものではありません。人によっては「生きていく上でのはりあい」というやや消極的なものから、「人生をどう生きていくか」というその人の人生の根源ともいえるような積極的なものまで、さまざまな捉え方があります。
高齢者はどの程度生きがいを感じているのか
では、高齢者は、どの程度の生きがいを感じているのでしょうか。平成25年に内閣府が行った「高齢者の地域社会への参加に関する意識調査(平成25年)」1)によれば、高齢者のうちおよそ8割の人が、生きがい(喜びや楽しみ)を感じていると回答しています(グラフ1)。しかしその一方で、生きがいを感じる人は年々減少傾向となっています。
グラフ1:生きがいを感じる人の割合を示すグラフ。生きがいを感じている高齢者はおよそ8割であることを示す
グラフ1:「生きがい」を感じる人の割合(時系列で比較)1)の結果より作図
表1:「生きがい」を感じる人の割合(時系列で比較)1)
十分感じている 多少感じている あまり感じていない まったく感じていない 分からない
平成10年
(n=2303) 41.8 43.3 12.5 1.5 0.9
平成15年
(n=2860) 39.5 42.2 14 2.9 1.5
平成20年
(n=3293) 44.2 38.3 14.2 2.7 0.6
平成25年
(n=1999) 38.5 40.7 16.4 3.9 0.5
また、年齢階級別にみると、年齢が高くなるほど、生きがいを感じている人の割合は、わずかではありますが低くなる傾向にあるようです(グラフ2)。
グラフ2:60代から80代の高齢者がどの程度生きがいを感じるかを示すグラフ。年齢が高くなるほど生きがいを感じている人の割合がすこしづつ低くなることを示す。
グラフ2:どの程度生きがいを感じるか(年代別比較)1)の結果より作図
表2:どの程度生きがいを感じるか(年代別比較)1)
十分感じている 多少感じている あまり感じていない まったく感じていない 分からない
60歳代 38.5 42.4 14.9 3.9 0.3
70歳代 39.3 38.6 17.3 4.2 0.7
80歳代 36.6 40.7 18.6 3.4 0.7
高齢者はどのような時に生きがいを感じるのか
高齢者の生きがいの例の三世代家族が団らんしている写真。孫など家族との団らんの時に高齢者の男女ともに生きがいを最も感じている。
高齢者が「生きがいを感じるとき」について見てみると、孫など家族との団らんの時(48.8%)が最も多くなります。一方で、前回調査した5年前と比較すると、「仕事に打ち込んでいる時に生きがいを感じる」と回答した人の割合は減少しています。では、男女別でみてみましょう。
男性の場合
男性は「趣味やスポーツに熱中している時(49.0%)」に生きがいを感じている人がもっとも多く、これに「孫など家族との団らんの時(40.7%)」、「旅行に行っているとき(36.4%)が続いています。
女性の場合
女性は男性と比べ、「孫など家族との団らんの時(55.4%)」、「友人や知人と食事、雑談をしている時(50.9%)」、「おいしい物を食べている時(44.4%)」に生きがいを感じている人が多い、という結果が出ています。
生きがいと健康の関連
では、生きがいと健康状態には、関係があるのでしょうか。
上記同様、内閣府が平成21年に行った「高齢者の地域社会への参加に関する意識調査(平成20年度)」2)では、「趣味やスポーツに熱中している時」「仕事に打ち込んでいる時」「旅行に行っている時」に生きがいを感じると答えた人は、健康状態が良い層(良いとまあ良いの計)と、健康状態が良くない層(良くないとあまり良くないとの計)との差が大きいことがわかっています。一方で、「孫など家族との団らんの時」に生きがいを感じると答えた人の中では、両者の差はほとんどみられません。
このように、何が生きがいであるのか、どのような時に生きがいを感じるのかは、人それぞれであるのかもしれません。しかしながらこれらの調査結果から、健康状態や身近な人との関係が、高齢者の生きがいに深くかかわっていることが読み取れます。
健康を維持し、親しい友人や仲間との良好な関係を築き、親密な交流をもつことが、高齢者の生きがいを高める、大きな要因となるでしょう。
3.12 ✨羽生結弦 notte stellata✨
「ありがとうございます! 最後まで本当にありがとうございました。この『notte stellata』という、このようなショーをまず企画してくださり、僕自身もちろん3・11、また、今日、そして一昨日を含めて、この会場で滑ることにすごく戸惑いもありました。ただ、そのなかでも、このショーを、『notte stellata』という名前をつけてくださり、そして内村さんだったり、こういった素晴らしい仲間たちと共に滑らせてくださることを考えてくださった、企画をしてくれた方に、また、ここにいるスタッフの全員の方に大きな拍手をお願いします。
改めまして、この会場に来て下さり、ありがとうございます。そして、全国の映画館、ライブ配信、そして台湾、香港で見てくださっている方々、本当に最後までありがとうございました。
こうやって、月日が過ぎていくなか、月日が過ぎていくにあたって、昨日はあんなに苦しくて、悲しくて、つらくて、すごくすごくつらい日々でしたが。一日たってみると、なんか、悲しさも超えて、やっぱり前に進んでいかなきゃなあっていう気持ちと、また皆さんと共に、なんか、僕が暗い気持ちになっていたら今日はダメだなあって思って。頑張って、はっちゃけてっていうか。希望になろうと思って頑張っていました。皆さんのスケート、プログラムを通して、ちょっとは前に向けたかなあって、思っています。
こうやって実際に12年と1日という月日が過ぎて、だんだんだんだん、僕も、毎年、ほぼ毎日のように、3月11日っていう日を思い出していますけど、だんだん記憶が薄れていってしまうものですね。傷もつらさも、悲しみも、なくなってしまったものの多さも少なさも、全てがだんだんなくなっていってしまって。なんか穏やかな日々に、だんだんなんか、慣れていってしまって。そんなことに罪悪感を覚えるような日々もあります。(会場から「そんなことないよ!」)でもそんなことあるんですよ、本当に。羽生結弦っていう存在として、今まで生きてきて、僕は、スケートをやることによって、世界を救えるとは思えないですし、スケートで何か世界が変わるって、そんな大それたことはないと思います。ただ、僕はこうやって、この12年間を生きて、この、一番つらかったであろうこの場所にリンクを張って、こうやって皆さんに希望を届けることができて、幸せであると同時に、これからも、こんなちっちゃな体ですけど、いろんなことを背負って、毎日毎日、スケートのためだけに、日々を過ごしたいと思っています。
でも、今日っていう日が終わってしまったら、『notte stellata』はとりあえず、2023年の『notte stellata』はもうなくなってしまって。明日はいつもと変わらない、穏やかで、くだらない日々が続くと思います。でも、そのなかでも僕は、スケートをめちゃくちゃ頑張って、また、なんか、羽生結弦のスケート見たくなったなあとか、こうやって『notte stellata』の配信があったり、いろんななかで、また見たいな、あのスケートに希望をもらったな、とか、そういうことを思っていただけるように、そういうことを思っていただけたときに、またスケートを見ていただけるよう、精いっぱい、自分の幸せを削ってでも、ずっとずっと、羽生結弦として、全てを背負って、進んでいくんで。どうか、応援してください!
僕は、なんか、僕は本当に、こうやって皆さんに自分のスケートを見ていただいて、自分のスケートの中から、言葉じゃなくてスケートの中から何かを感じ取ってくださって、国境を越えて、何かに希望を与えたり、悲しさを与えたり、慈しみだったり、そういったものを与えられる存在であれば、それだけで十分幸せです。だからこれからも、スケートのための選択をずっと続けていきます。どうか、信じてください。これからも頑張っていきます。応援よろしくお願いします。ありがとうございました。
改めまして、『notte stellata』にご来場いただき、見ていただき、本当にありがとうございました。また…またやっていただけるか、それは僕次第なんで分からないですけど。でも、ありがとうございます。とにかく未来が何も見えない、何も分からないこんな世の中で、毎日毎日、生き抜いてください。この12年間の毎日、1秒ずつ、1日ずつ、生きてきた、この愛おしい愛おしい12年間を、また、今日からまた、1秒ずつ、1日ずつ続けて下さい。僕もそうやって生きて行きます。また皆さんに会える日を、とてもとても、楽しみにしています。今日は本当に、ありがとうございました」
「ありがとうございます! 最後まで本当にありがとうございました。この『notte stellata』という、このようなショーをまず企画してくださり、僕自身もちろん3・11、また、今日、そして一昨日を含めて、この会場で滑ることにすごく戸惑いもありました。ただ、そのなかでも、このショーを、『notte stellata』という名前をつけてくださり、そして内村さんだったり、こういった素晴らしい仲間たちと共に滑らせてくださることを考えてくださった、企画をしてくれた方に、また、ここにいるスタッフの全員の方に大きな拍手をお願いします。
改めまして、この会場に来て下さり、ありがとうございます。そして、全国の映画館、ライブ配信、そして台湾、香港で見てくださっている方々、本当に最後までありがとうございました。
こうやって、月日が過ぎていくなか、月日が過ぎていくにあたって、昨日はあんなに苦しくて、悲しくて、つらくて、すごくすごくつらい日々でしたが。一日たってみると、なんか、悲しさも超えて、やっぱり前に進んでいかなきゃなあっていう気持ちと、また皆さんと共に、なんか、僕が暗い気持ちになっていたら今日はダメだなあって思って。頑張って、はっちゃけてっていうか。希望になろうと思って頑張っていました。皆さんのスケート、プログラムを通して、ちょっとは前に向けたかなあって、思っています。
こうやって実際に12年と1日という月日が過ぎて、だんだんだんだん、僕も、毎年、ほぼ毎日のように、3月11日っていう日を思い出していますけど、だんだん記憶が薄れていってしまうものですね。傷もつらさも、悲しみも、なくなってしまったものの多さも少なさも、全てがだんだんなくなっていってしまって。なんか穏やかな日々に、だんだんなんか、慣れていってしまって。そんなことに罪悪感を覚えるような日々もあります。(会場から「そんなことないよ!」)でもそんなことあるんですよ、本当に。羽生結弦っていう存在として、今まで生きてきて、僕は、スケートをやることによって、世界を救えるとは思えないですし、スケートで何か世界が変わるって、そんな大それたことはないと思います。ただ、僕はこうやって、この12年間を生きて、この、一番つらかったであろうこの場所にリンクを張って、こうやって皆さんに希望を届けることができて、幸せであると同時に、これからも、こんなちっちゃな体ですけど、いろんなことを背負って、毎日毎日、スケートのためだけに、日々を過ごしたいと思っています。
でも、今日っていう日が終わってしまったら、『notte stellata』はとりあえず、2023年の『notte stellata』はもうなくなってしまって。明日はいつもと変わらない、穏やかで、くだらない日々が続くと思います。でも、そのなかでも僕は、スケートをめちゃくちゃ頑張って、また、なんか、羽生結弦のスケート見たくなったなあとか、こうやって『notte stellata』の配信があったり、いろんななかで、また見たいな、あのスケートに希望をもらったな、とか、そういうことを思っていただけるように、そういうことを思っていただけたときに、またスケートを見ていただけるよう、精いっぱい、自分の幸せを削ってでも、ずっとずっと、羽生結弦として、全てを背負って、進んでいくんで。どうか、応援してください!
僕は、なんか、僕は本当に、こうやって皆さんに自分のスケートを見ていただいて、自分のスケートの中から、言葉じゃなくてスケートの中から何かを感じ取ってくださって、国境を越えて、何かに希望を与えたり、悲しさを与えたり、慈しみだったり、そういったものを与えられる存在であれば、それだけで十分幸せです。だからこれからも、スケートのための選択をずっと続けていきます。どうか、信じてください。これからも頑張っていきます。応援よろしくお願いします。ありがとうございました。
改めまして、『notte stellata』にご来場いただき、見ていただき、本当にありがとうございました。また…またやっていただけるか、それは僕次第なんで分からないですけど。でも、ありがとうございます。とにかく未来が何も見えない、何も分からないこんな世の中で、毎日毎日、生き抜いてください。この12年間の毎日、1秒ずつ、1日ずつ、生きてきた、この愛おしい愛おしい12年間を、また、今日からまた、1秒ずつ、1日ずつ続けて下さい。僕もそうやって生きて行きます。また皆さんに会える日を、とてもとても、楽しみにしています。今日は本当に、ありがとうございました」
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