三木twi更新 【3.11早安推】
おはようございます
薄青のみで
飛行機雲すらもみあたらない
影はしっかりと出来るくらい
街のぼんやり感薄め
クルマは少なめで
道行く人には家族連れが目立っている
音も少なめだから
トラックの音が目立つ
信号待ちの濃紺のクルマが
薄っすらと黄色味がかっているのも目立つ
温カフェオレ
推文 ht删除tps://t.co/d2afdQVltF
おはようございます
薄青のみで
飛行機雲すらもみあたらない
影はしっかりと出来るくらい
街のぼんやり感薄め
クルマは少なめで
道行く人には家族連れが目立っている
音も少なめだから
トラックの音が目立つ
信号待ちの濃紺のクルマが
薄っすらと黄色味がかっているのも目立つ
温カフェオレ
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三木twi更新 【3.9早安推】
おはようございます
薄青と薄灰色の混ざったような色の空
春霞というやつなのでしょうか
そのせいか
影はできるのですが
そのフチはうすらぼんやりとしている
信号待ちでは
そんな影の中で待つ人が増えたようす
久しぶりに目にした釣り堀には
何本かの糸が垂らされていた
牧歌的良し
温カフェオレ
推文 ht删除tps://t.co/BwK39EzkZK
おはようございます
薄青と薄灰色の混ざったような色の空
春霞というやつなのでしょうか
そのせいか
影はできるのですが
そのフチはうすらぼんやりとしている
信号待ちでは
そんな影の中で待つ人が増えたようす
久しぶりに目にした釣り堀には
何本かの糸が垂らされていた
牧歌的良し
温カフェオレ
推文 ht删除tps://t.co/BwK39EzkZK
#健康身体 健康地球 健康生活#
〔老いをみるまなざし〕
第3回 籠のとり
井口 昭久(いぐち あきひさ)
愛知淑徳大学健康医療科学部教授
大学への通勤路に幹線道路をそれて私立の医科大学の横を通る道がある。紅葉の時期になるとその道路を通って大学へ行くことがある。
人家がなく、畑と田圃が広がる田園地帯である。道端にはススキがそよいでいた。
その日、車のオーディオに石原裕次郎のカバーソングを入れると、懐かしい歌がでてきた。
♪会いたさ見たさに怖さを忘れ
耳に馴れた歌だが裕次郎が歌っていたとは知らなかった。大正時代の歌で昭和のミリオンセラーであったそうだ。我々の世代でこの歌詞を知らない者はいない。
♪暗い夜道を只一人
「籠のとり」という流行歌である。悲しくて虚しくて胸を揺さぶる恋の歌だ。
私は主人公になったつもりで車をゆっくりと走らせた。
11月の初めで外には冷たい風が吹いていた。木々は紅葉していて、空は青く、物音はなかった。
名古屋市内から1時間程度の距離にこのような自然に溢れた手つかずの場所がまだあるのだ。
♪会いに来たのに 何故会わぬ 僕の呼ぶ声忘れたか。
「籠のとり」は日本最古のデュエットソングである。古い歌にしてはテンポが良くてノリノリになる。
続いて女性がでてきた。渋い声だった。
♪あなたの呼ぶ声 忘れはせぬが 出るに出られぬ籠のとり
しがらみに泣く悲恋をうたっている。
裕次郎が続いて歌った。
♪籠のとりでも 知恵あるとりは ひと目忍んで 会いに来る
通信手段を持たない昔の若者たちの恋模様だ。スマホで連絡し合う現代の若者たちには理解できない世界である。
♪ひと目忍べば 世間の人は 怪し人だとゆびささん
現代の若者はこの切なさはわからない。
車の行きかうことのない信号を渡り、右手にぽつりと立つ地蔵に目をやった時に、
女の声で
♪指をさされど 恐れはせぬが わたしゃ出るに出られぬ籠のとり
と歌うのを聞いて、私は何となく左の胸の辺りが寂しい気がした。
無意識に右手で左のシャツのポケットに触ってみて驚いた。
「無い!」。
私はいつも左の胸のポケットにガラケーをいれている。
もう一度、思いっきり触ったがポケットが空っぽであった。
「ない!!」ガラケーを家に忘れてきたようだ。
通信手段を持たないことに気づいた私は突然不安になった。
ここは無人の自然の中だ。ここにいるのは私が只ひとり。誰にも会わぬ。
怪しい人が来たらどうしようかと思った。
それに知らぬ間に何かしらの吉報があるやも知れぬ。
例えば、出版社から「先生!先生の出した本が急に売れ出してベストセラーになってます!」とか。
私は引き返すことにした。
ガラケーを取りに家へ戻った。
誰もいない家にもどって着信履歴を調べてみれば誰からも電話をかけてきた形跡はなかった。
この1週間私に電話をかけてきた人はいなかった。
世間の人は「僕のいることを忘れてしまったか?」と思った。
図:第3回 籠のとり
(イラスト:茶畑和也)
「籠の鳥」(唄:石原裕次郎 作曲:鳥取春陽 作詩:千野かおる)からの引用
〔老いをみるまなざし〕
第3回 籠のとり
井口 昭久(いぐち あきひさ)
愛知淑徳大学健康医療科学部教授
大学への通勤路に幹線道路をそれて私立の医科大学の横を通る道がある。紅葉の時期になるとその道路を通って大学へ行くことがある。
人家がなく、畑と田圃が広がる田園地帯である。道端にはススキがそよいでいた。
その日、車のオーディオに石原裕次郎のカバーソングを入れると、懐かしい歌がでてきた。
♪会いたさ見たさに怖さを忘れ
耳に馴れた歌だが裕次郎が歌っていたとは知らなかった。大正時代の歌で昭和のミリオンセラーであったそうだ。我々の世代でこの歌詞を知らない者はいない。
♪暗い夜道を只一人
「籠のとり」という流行歌である。悲しくて虚しくて胸を揺さぶる恋の歌だ。
私は主人公になったつもりで車をゆっくりと走らせた。
11月の初めで外には冷たい風が吹いていた。木々は紅葉していて、空は青く、物音はなかった。
名古屋市内から1時間程度の距離にこのような自然に溢れた手つかずの場所がまだあるのだ。
♪会いに来たのに 何故会わぬ 僕の呼ぶ声忘れたか。
「籠のとり」は日本最古のデュエットソングである。古い歌にしてはテンポが良くてノリノリになる。
続いて女性がでてきた。渋い声だった。
♪あなたの呼ぶ声 忘れはせぬが 出るに出られぬ籠のとり
しがらみに泣く悲恋をうたっている。
裕次郎が続いて歌った。
♪籠のとりでも 知恵あるとりは ひと目忍んで 会いに来る
通信手段を持たない昔の若者たちの恋模様だ。スマホで連絡し合う現代の若者たちには理解できない世界である。
♪ひと目忍べば 世間の人は 怪し人だとゆびささん
現代の若者はこの切なさはわからない。
車の行きかうことのない信号を渡り、右手にぽつりと立つ地蔵に目をやった時に、
女の声で
♪指をさされど 恐れはせぬが わたしゃ出るに出られぬ籠のとり
と歌うのを聞いて、私は何となく左の胸の辺りが寂しい気がした。
無意識に右手で左のシャツのポケットに触ってみて驚いた。
「無い!」。
私はいつも左の胸のポケットにガラケーをいれている。
もう一度、思いっきり触ったがポケットが空っぽであった。
「ない!!」ガラケーを家に忘れてきたようだ。
通信手段を持たないことに気づいた私は突然不安になった。
ここは無人の自然の中だ。ここにいるのは私が只ひとり。誰にも会わぬ。
怪しい人が来たらどうしようかと思った。
それに知らぬ間に何かしらの吉報があるやも知れぬ。
例えば、出版社から「先生!先生の出した本が急に売れ出してベストセラーになってます!」とか。
私は引き返すことにした。
ガラケーを取りに家へ戻った。
誰もいない家にもどって着信履歴を調べてみれば誰からも電話をかけてきた形跡はなかった。
この1週間私に電話をかけてきた人はいなかった。
世間の人は「僕のいることを忘れてしまったか?」と思った。
図:第3回 籠のとり
(イラスト:茶畑和也)
「籠の鳥」(唄:石原裕次郎 作曲:鳥取春陽 作詩:千野かおる)からの引用
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