山本耕史が開く「鎖国した心」 海外から幕末を見るミュージカル「太平洋序曲」
黒船の来航で鎖国から開国へとかじを切る激動の時代の日本を描いたミュージカル「太平洋序曲」(ジョン・ワイドマン脚本)が4月8~16日、大阪市北区の梅田芸術劇場で上演される。外部からの刺激で国が混乱し変わっていく様は新型コロナウイルス禍に直面する現代ともどこか重なる。観客を物語へといざなう狂言回し役の山本耕史は「日本人がどう立ち向かい立ち回ったのか。今だからこそ伝えられるもの、感じるものがある」と語る。
1976年にブロードウェーで初演。「海外からみた日本」がミュージカルの巨匠、スティーブン・ソンドハイムの印象的な楽曲によって立ち上がる。日本では平成12年に宮本亜門の演出で初演され、今回はイギリス人のマシュー・ホワイトが演出する。
アメリカ海軍のペリー提督に開国を迫られ近代化へと進むことになる幕末期の混乱を、幕府の役人である香山弥左衛門とジョン万次郎の2人を軸に描く。その歴史の転換点を俯瞰(ふかん)しながら物語を進行するのが、山本演じる狂言回し(松下優也とダブルキャスト)だ。
海外作家が手がけた今作の前提として山本は「史実を勉強して書かれてはいるけれど、史実とは違うファンタジーな感じ」と強調する。そして観客が違和感を覚えないために、史実との〝ズレ〟を調整する役割を自身の役に見いだす。「狂言回しが遊びで世界観をいじっているように見えるとか工夫がいる。アイデアを提示したい」と意欲的だ。
NHK大河ドラマ「新選組!」や「鎌倉殿の13人」など時代劇経験が豊富で、共演者の中で最も時代劇に詳しいと自負する。海外演出家の視点を尊重しつつも、将軍への礼儀作法など「(過去の上演より)日本のリアルを盛り込めると思う」と自信を見せる。
時代劇ではなく、日本人も納得できるエンターテインメントとしての完成を狙う。「この作品で、日々疲れて鎖国した心を開国してください」とユーモアも忘れず舞台をアピールした。(田中佐和)
黒船の来航で鎖国から開国へとかじを切る激動の時代の日本を描いたミュージカル「太平洋序曲」(ジョン・ワイドマン脚本)が4月8~16日、大阪市北区の梅田芸術劇場で上演される。外部からの刺激で国が混乱し変わっていく様は新型コロナウイルス禍に直面する現代ともどこか重なる。観客を物語へといざなう狂言回し役の山本耕史は「日本人がどう立ち向かい立ち回ったのか。今だからこそ伝えられるもの、感じるものがある」と語る。
1976年にブロードウェーで初演。「海外からみた日本」がミュージカルの巨匠、スティーブン・ソンドハイムの印象的な楽曲によって立ち上がる。日本では平成12年に宮本亜門の演出で初演され、今回はイギリス人のマシュー・ホワイトが演出する。
アメリカ海軍のペリー提督に開国を迫られ近代化へと進むことになる幕末期の混乱を、幕府の役人である香山弥左衛門とジョン万次郎の2人を軸に描く。その歴史の転換点を俯瞰(ふかん)しながら物語を進行するのが、山本演じる狂言回し(松下優也とダブルキャスト)だ。
海外作家が手がけた今作の前提として山本は「史実を勉強して書かれてはいるけれど、史実とは違うファンタジーな感じ」と強調する。そして観客が違和感を覚えないために、史実との〝ズレ〟を調整する役割を自身の役に見いだす。「狂言回しが遊びで世界観をいじっているように見えるとか工夫がいる。アイデアを提示したい」と意欲的だ。
NHK大河ドラマ「新選組!」や「鎌倉殿の13人」など時代劇経験が豊富で、共演者の中で最も時代劇に詳しいと自負する。海外演出家の視点を尊重しつつも、将軍への礼儀作法など「(過去の上演より)日本のリアルを盛り込めると思う」と自信を見せる。
時代劇ではなく、日本人も納得できるエンターテインメントとしての完成を狙う。「この作品で、日々疲れて鎖国した心を開国してください」とユーモアも忘れず舞台をアピールした。(田中佐和)
#天空 地球 身體 生活#
微細藻類ユーグレナの『国民食化』を目指す
ユーグレナ あとはおいしくするだけプロジェクト発足
2021年6月、微細藻類である石垣島ユーグレナの魅力を最大限に引き出すための一大プロジェクトが発足した。その名も『ユーグレナ あとはおいしくするだけプロジェクト』。石垣島ユーグレナを『国民食』とするべく、より食べやすく、よりおいしくするためのメニューや商品開発を行うプロジェクトだ。
あとはおいしくするだけ、というひねったフレーズは、ともすると石垣島ユーグレナのマイナスなイメージに影響しかねない。しかし、ここにこそプロジェクトの思いや狙いが込められていた。
「ユーグレナの健康効果はほぼパーフェクトです。しかし、健康によいからという理由だけでユーグレナを世に広めるには、あと一歩足りない。本気で国民食化を目指すなら、食卓に当たり前にあって、おいしいから食べるという状態まで存在価値を引き上げる必要がある。ユーグレナの健康効果には自信があるからこそ、“おいしいこと”を大前提としたこのプロジェクト名にしたのです」
そう語るのは、このプロジェクトを担当する本木学だ。
コーポレートシェフの鳥羽周作氏(左)と本プロジェクトを担当する本木(右)
「日本の健康食品の普及からすると、サプリメントを日常的に摂取しているのは、全体の2割くらいと言われています。じゃあ残りの8割の人たちに口にしてもらうためには、サプリメントとはちがう形でも広める必要があります。これまでもより多くの方々にユーグレナを身近に感じていただくために、長く試行錯誤してきました。その一つの成果として、2020年に発売した『からだにユーグレナ フルーツグリーンオレ』があります。この商品は、ユーグレナ史上最もおいしいと評価されている※1人気商品です。これ以上のレベルのおいしさをさらに目指そうというのが、今回のプロジェクトになります」
※1 https://t.cn/A6CrahZA
鳥羽シェフの熱意とアイディアで
ユーグレナの魅力を最大化
今回のプロジェクトの大きな目玉は、何と言っても鳥羽周作氏をコーポレートシェフとして迎えたことだ。鳥羽シェフがオーナーを務めるレストラン『sio』は、ミシュランガイド東京で4年連続一つ星を獲得するなど、今メディアでも引っ張りだこの人気シェフだ。なぜ鳥羽シェフと本木でこのプロジェクトを始めることになったのだろうか。
「もともと鳥羽さんはCEO・永田の友人だったのですが、プロジェクト立ち上がりのきっかけは突然訪れた」と本木は振り返る。
あるとき、鳥羽シェフのレストランに訪れたお客様が『からだにユーグレナ グリーンスムージー乳酸菌』を差し入れし、それを鳥羽シェフが「めちゃくちゃうまい」とTwitterに投稿したのだ。それまで本木は全く交流がなかったが、その投稿を見て「嬉しくなってつい」お礼の返信をすると、すぐに鳥羽シェフからTwitterのダイレクトメッセージが届いた。
その時のTwitter投稿
鳥羽シェフからの「ユーグレナにいろいろ可能性を感じました」という言葉に後押しされた本木は、鳥羽シェフとともに石垣島ユーグレナの可能性をさらに追及するプロジェクトを立ち上げることを社内に提案した。こうして『ユーグレナ あとはおいしくするだけプロジェクト』が始まったのだった。
その後、鳥羽シェフはユーグレナ社初の『コーポレートシェフ』に就任し、レシピや商品開発、イベント登壇などに関与してプロジェクトを進行している。鳥羽シェフ持ち前の発想力によって、すでに開発したレシピや味のメニューは30以上にもなる。実際に形になったのはごく一部であり、アイディアはものすごい数に積みあがった。
本木は鳥羽シェフとのディスカッションを進めていくなかで、石垣島ユーグレナの“味”としての新たな可能性に手ごたえを感じ始めていた。
鳥羽シェフ考案のメニューの一部
しかし、一方で苦労もあったという。
「鳥羽さんはとんでもなく熱量のある方です。1人で100人分くらい働いてしまうようなエネルギーを持っているんです。そのため、鳥羽さんに負けないくらいの情熱で向き合わないと置いていかれてしまうのではないかという懸念がありました。実際、鳥羽さんがどんどんすごいアイディアを出してくださるのに、手間や工数の問題や、ビジネス的に厳しかったりと、実現可能性からストップするものも多くて。もちろん企業ですから取捨選択するのは当たり前ですが、熱量がある人に対して水を差すようで、申し訳ない気持ちになることが多々ありました」
ユーグレナを売ることがゴールじゃない
常に心にはSustainability First(サステナビリティ・ファースト)
プロジェクトを進行していく中で壁にぶつかることも少なくなかったが、本木を支えていたのはやはり鳥羽シェフの石垣島ユーグレナへの熱い想いだったという。
「鳥羽さんがユーグレナの可能性を信じてくれた、人生をかけてやると言ってくれた、それが本当に嬉しかったんです。料理人で、鳥羽さん以上にここまでユーグレナへの熱量を持ってくれる人はなかなかいないのでは、と感じています」
レシピや商品を開発する一方で、さまざまなイベントも行った。鳥羽シェフが関わることで、食品単体では取り上げられにくいメディアへの露出も増えたという。これにより、石垣島ユーグレナのおいしさのイメージ醸成へと確実につながっていると、本木は肌で感じた。
「2023年1月に、中華レストランの大手チェーンである幸楽苑さんとのコラボ商品を発売しました。幸楽苑さんのベジタブル餃子を元に鳥羽さんが監修し、ユーグレナを使ったビーガン餃子を開発する、という企画です。今までのベジタブル餃子は、調味料などで一部動物系素材を使っていたのですが、鳥羽さんの監修によって、ビーガン素材のみでもジューシーでおいしい餃子ができました。ユーグレナも使っているので、ビーガンに不足しがちなビタミン等も補うことができて栄養満点です。
この企画は多くのメディアにもご紹介いただきましたし、多くのお客様に認知いただける機会になりました。今後も、こういったイベントを積極的にやっていきたいと思っています」
ユーグレナ社と幸楽苑のコラボ商品「ビーガン餃子」
しかし、本木にとって石垣島ユーグレナはあくまで手段の一つであるという考え方だ。
「我々はSustainability First(サステナビリティ・ファースト)を目指す会社であり、ただひたすらにユーグレナという素材を売りたいわけではありません。ユーグレナが世に広まることで、社会課題が縮小し、持続可能な社会の実現につながっていくようなビジネスをしたいと思っています。その視点を見失ってしまうと、『ただユーグレナを売るだけ』の視野の狭い仕事に留まってしまう気がして。重要なのはあくまでサステナビリティだと思います。」
さらに本木は本プロジェクトを推進する中で、仕事の本質について考えさせられることが多かったという。
「まだ作業行程が確立していない仕事ではよく起こることですが、担当者が明確ではない、ふわっとした仕事というのが度々発生します。誰がやるべきかわからないけれど、誰かがやらなければいけない仕事です。ですが、自分の部署の自分の担当範囲でしか判断、行動できないケースもしばしばあります。でも、それだとお客様やパートナー企業に最大限の価値提供はできません。
本当にSustainability Firstを実践するならば、自分自身の仕事を広くとらえ、何が相手にとっての価値になるのかを見定めながら、日々の仕事に取り組むことが大切であると思っています。特に今回のような初の試みでは、担当であるなしに関わらず、それぞれが互いに歩み寄り、協力体制を築いていくことが、成功に必要なプロセスだと痛感しました。今後もこのプロジェクトで得た学びや教訓を生かして、成果を出していきたいと思っています」
そう熱く語る本木が率いる本プロジェクトが、これからもどのような価値を生み出していくのか、大いに期待したい。
2023年2月掲出
euglena Data
~ユーグレナ あとはおいしくするだけプロジェクト~
詳細はこちら
登場人物
ヘルスケアカンパニー
プロフェッショナル流通課
新規開拓チーム
本木 学
2019年9月に中途仲間として入社。
マーケティング部門を経てプロフェッショナル流通課へ。
「ビジネスが拡大するほど世界が良くなる仕事を求めてユーグレナに入社しました。ユーグレナが更においしくなってさまざまな形で世の中に広がることで、多くの人と地球の健康に貢献できると信じています。社外でも共感いただける方が増えたら嬉しいです。」
微細藻類ユーグレナの『国民食化』を目指す
ユーグレナ あとはおいしくするだけプロジェクト発足
2021年6月、微細藻類である石垣島ユーグレナの魅力を最大限に引き出すための一大プロジェクトが発足した。その名も『ユーグレナ あとはおいしくするだけプロジェクト』。石垣島ユーグレナを『国民食』とするべく、より食べやすく、よりおいしくするためのメニューや商品開発を行うプロジェクトだ。
あとはおいしくするだけ、というひねったフレーズは、ともすると石垣島ユーグレナのマイナスなイメージに影響しかねない。しかし、ここにこそプロジェクトの思いや狙いが込められていた。
「ユーグレナの健康効果はほぼパーフェクトです。しかし、健康によいからという理由だけでユーグレナを世に広めるには、あと一歩足りない。本気で国民食化を目指すなら、食卓に当たり前にあって、おいしいから食べるという状態まで存在価値を引き上げる必要がある。ユーグレナの健康効果には自信があるからこそ、“おいしいこと”を大前提としたこのプロジェクト名にしたのです」
そう語るのは、このプロジェクトを担当する本木学だ。
コーポレートシェフの鳥羽周作氏(左)と本プロジェクトを担当する本木(右)
「日本の健康食品の普及からすると、サプリメントを日常的に摂取しているのは、全体の2割くらいと言われています。じゃあ残りの8割の人たちに口にしてもらうためには、サプリメントとはちがう形でも広める必要があります。これまでもより多くの方々にユーグレナを身近に感じていただくために、長く試行錯誤してきました。その一つの成果として、2020年に発売した『からだにユーグレナ フルーツグリーンオレ』があります。この商品は、ユーグレナ史上最もおいしいと評価されている※1人気商品です。これ以上のレベルのおいしさをさらに目指そうというのが、今回のプロジェクトになります」
※1 https://t.cn/A6CrahZA
鳥羽シェフの熱意とアイディアで
ユーグレナの魅力を最大化
今回のプロジェクトの大きな目玉は、何と言っても鳥羽周作氏をコーポレートシェフとして迎えたことだ。鳥羽シェフがオーナーを務めるレストラン『sio』は、ミシュランガイド東京で4年連続一つ星を獲得するなど、今メディアでも引っ張りだこの人気シェフだ。なぜ鳥羽シェフと本木でこのプロジェクトを始めることになったのだろうか。
「もともと鳥羽さんはCEO・永田の友人だったのですが、プロジェクト立ち上がりのきっかけは突然訪れた」と本木は振り返る。
あるとき、鳥羽シェフのレストランに訪れたお客様が『からだにユーグレナ グリーンスムージー乳酸菌』を差し入れし、それを鳥羽シェフが「めちゃくちゃうまい」とTwitterに投稿したのだ。それまで本木は全く交流がなかったが、その投稿を見て「嬉しくなってつい」お礼の返信をすると、すぐに鳥羽シェフからTwitterのダイレクトメッセージが届いた。
その時のTwitter投稿
鳥羽シェフからの「ユーグレナにいろいろ可能性を感じました」という言葉に後押しされた本木は、鳥羽シェフとともに石垣島ユーグレナの可能性をさらに追及するプロジェクトを立ち上げることを社内に提案した。こうして『ユーグレナ あとはおいしくするだけプロジェクト』が始まったのだった。
その後、鳥羽シェフはユーグレナ社初の『コーポレートシェフ』に就任し、レシピや商品開発、イベント登壇などに関与してプロジェクトを進行している。鳥羽シェフ持ち前の発想力によって、すでに開発したレシピや味のメニューは30以上にもなる。実際に形になったのはごく一部であり、アイディアはものすごい数に積みあがった。
本木は鳥羽シェフとのディスカッションを進めていくなかで、石垣島ユーグレナの“味”としての新たな可能性に手ごたえを感じ始めていた。
鳥羽シェフ考案のメニューの一部
しかし、一方で苦労もあったという。
「鳥羽さんはとんでもなく熱量のある方です。1人で100人分くらい働いてしまうようなエネルギーを持っているんです。そのため、鳥羽さんに負けないくらいの情熱で向き合わないと置いていかれてしまうのではないかという懸念がありました。実際、鳥羽さんがどんどんすごいアイディアを出してくださるのに、手間や工数の問題や、ビジネス的に厳しかったりと、実現可能性からストップするものも多くて。もちろん企業ですから取捨選択するのは当たり前ですが、熱量がある人に対して水を差すようで、申し訳ない気持ちになることが多々ありました」
ユーグレナを売ることがゴールじゃない
常に心にはSustainability First(サステナビリティ・ファースト)
プロジェクトを進行していく中で壁にぶつかることも少なくなかったが、本木を支えていたのはやはり鳥羽シェフの石垣島ユーグレナへの熱い想いだったという。
「鳥羽さんがユーグレナの可能性を信じてくれた、人生をかけてやると言ってくれた、それが本当に嬉しかったんです。料理人で、鳥羽さん以上にここまでユーグレナへの熱量を持ってくれる人はなかなかいないのでは、と感じています」
レシピや商品を開発する一方で、さまざまなイベントも行った。鳥羽シェフが関わることで、食品単体では取り上げられにくいメディアへの露出も増えたという。これにより、石垣島ユーグレナのおいしさのイメージ醸成へと確実につながっていると、本木は肌で感じた。
「2023年1月に、中華レストランの大手チェーンである幸楽苑さんとのコラボ商品を発売しました。幸楽苑さんのベジタブル餃子を元に鳥羽さんが監修し、ユーグレナを使ったビーガン餃子を開発する、という企画です。今までのベジタブル餃子は、調味料などで一部動物系素材を使っていたのですが、鳥羽さんの監修によって、ビーガン素材のみでもジューシーでおいしい餃子ができました。ユーグレナも使っているので、ビーガンに不足しがちなビタミン等も補うことができて栄養満点です。
この企画は多くのメディアにもご紹介いただきましたし、多くのお客様に認知いただける機会になりました。今後も、こういったイベントを積極的にやっていきたいと思っています」
ユーグレナ社と幸楽苑のコラボ商品「ビーガン餃子」
しかし、本木にとって石垣島ユーグレナはあくまで手段の一つであるという考え方だ。
「我々はSustainability First(サステナビリティ・ファースト)を目指す会社であり、ただひたすらにユーグレナという素材を売りたいわけではありません。ユーグレナが世に広まることで、社会課題が縮小し、持続可能な社会の実現につながっていくようなビジネスをしたいと思っています。その視点を見失ってしまうと、『ただユーグレナを売るだけ』の視野の狭い仕事に留まってしまう気がして。重要なのはあくまでサステナビリティだと思います。」
さらに本木は本プロジェクトを推進する中で、仕事の本質について考えさせられることが多かったという。
「まだ作業行程が確立していない仕事ではよく起こることですが、担当者が明確ではない、ふわっとした仕事というのが度々発生します。誰がやるべきかわからないけれど、誰かがやらなければいけない仕事です。ですが、自分の部署の自分の担当範囲でしか判断、行動できないケースもしばしばあります。でも、それだとお客様やパートナー企業に最大限の価値提供はできません。
本当にSustainability Firstを実践するならば、自分自身の仕事を広くとらえ、何が相手にとっての価値になるのかを見定めながら、日々の仕事に取り組むことが大切であると思っています。特に今回のような初の試みでは、担当であるなしに関わらず、それぞれが互いに歩み寄り、協力体制を築いていくことが、成功に必要なプロセスだと痛感しました。今後もこのプロジェクトで得た学びや教訓を生かして、成果を出していきたいと思っています」
そう熱く語る本木が率いる本プロジェクトが、これからもどのような価値を生み出していくのか、大いに期待したい。
2023年2月掲出
euglena Data
~ユーグレナ あとはおいしくするだけプロジェクト~
詳細はこちら
登場人物
ヘルスケアカンパニー
プロフェッショナル流通課
新規開拓チーム
本木 学
2019年9月に中途仲間として入社。
マーケティング部門を経てプロフェッショナル流通課へ。
「ビジネスが拡大するほど世界が良くなる仕事を求めてユーグレナに入社しました。ユーグレナが更においしくなってさまざまな形で世の中に広がることで、多くの人と地球の健康に貢献できると信じています。社外でも共感いただける方が増えたら嬉しいです。」
#天空 地球 身體 生活#
〔 老いをみるまなざし〕
第29回 老人のパラドックス
井口 昭久(いぐち あきひさ)
愛知淑徳大学健康医療科学部教授
人が成人に達してからずっと同じ運命がつづくことなどあり得ないのは明らかで、熟年に達すると人は老人に特有のパラドックスに直面する。
それは正から負、あるいは負から正への移行と呼べるものである。
正の移行が起きれば高齢者はより大きな知恵とより大きな学識を持つことになる(ハーヴェイ・C・リーマン)。
私は生涯を通じて食欲が沸かない人間であった。
美味しいという感覚を実感する機会が少ない、かわいそうな幼少期を過ごしたためである。
成人になってからは隙あれば酒を飲む機会を狙った生活をしていたためでもあった。
毎日が二日酔いで食事を楽しむ気分になれなかったのだ。
暑い夏の時期には食欲不振に悩んだものだ。
食欲不振をさらに深刻にしたのは食道がんの化学療法による副作用であった。
闘病中の苦い記憶は今でも鮮明に蘇る。
―7年前:病院入院中―
私は末期の食道がんと診断されて化学療法を受けていた。
病院の朝は早い。6時には目が覚めた。
病室を出て看護師詰め所で体重測定をした。食事量がめっきり減ってしまったので体重が減るのが心配でしょうがなかった。
それからエレベーターに乗って1階にあるコンビニへ新聞を買いに行くのが日課であった。
コンビニで新鮮そうに見えるサンドウィッチや"ふりかけ"を買った。
病院で出される朝食が苦手になっていたのだ。
私はその病院の病院長を過去に3年間勤めていたことがあった。
だから病院食の味には責任があったのだが、病院食は化学療法の副作用である食欲不振を覆すほどには美味しくはなかった。
病室に戻るとお茶が配られてきた。朝食の前触れである。
朝食はパンに卵に牛乳であった。
私はほとんど手をつけることなく呆然としていると、30分後ぐらいに下膳のおじさんが来る。申し訳ないと思いながらほとんど食べていないお膳を返す。
それから看護師の回診がある。体温を測定して血圧をはかり、酸素飽和度を測定する。
そして悪魔のささやきだ。「食事はどれだけ食べました?」「ほとんど食べれませんでした」と答えると、悲しい表情になる若い看護師がいた。
看護師に悲しい顔をされるほど困ることはないと、患者になって初めて知った。
患者は看護師の悲しい顔を見ると更に切なくなるのだ。
ようやく朝の行事が終了したところへ昼食が配られてきた。
「何故に人は一日に3回も食事をとらねばならぬのか」と思ったものだ。
「どの程度食べましたか?」「10%ぐらいです」「主食は?」「ご飯はほとんど食べれませんでした」そんな会話が来る日も来る日も続くのだ。
「空腹にまずい物なし」というが、空腹であるのにまずい物ばかりであった。
食物を口に入れて飲み込むまでの間に不快な物質に変質していき飲み込めなくなった。
拒食症まがいの患者にとって食事は拷問に似ていた。
放射線と化学療法を半年ほど続けると私の食道がんは消えた。
化学療法が終わると私は大きな転換が訪れた。
食欲が出てきた。
転換のもう一つの要因は酒からの脱却であった。
病気の性質から私は禁酒を余儀なくされることになった。
酒を飲まなくなると空腹でなくても旨い物を食べたくなったのだ。
美味しい食事を希求するようになった。
最近では新しい料理に挑戦するようになった。
ネットのレシピを印刷してスーパーへ行く。
食材を買って帰って工夫する。
私にハーヴェイのいう負から正への転換が起きたのだ。
私は老年になって今までなかったより大きな知恵と、より大きな学識を持つことになった。
老いをみるまなざし_第29回老人のパラドックス_挿絵
(イラスト:茶畑和也)
〔 老いをみるまなざし〕
第29回 老人のパラドックス
井口 昭久(いぐち あきひさ)
愛知淑徳大学健康医療科学部教授
人が成人に達してからずっと同じ運命がつづくことなどあり得ないのは明らかで、熟年に達すると人は老人に特有のパラドックスに直面する。
それは正から負、あるいは負から正への移行と呼べるものである。
正の移行が起きれば高齢者はより大きな知恵とより大きな学識を持つことになる(ハーヴェイ・C・リーマン)。
私は生涯を通じて食欲が沸かない人間であった。
美味しいという感覚を実感する機会が少ない、かわいそうな幼少期を過ごしたためである。
成人になってからは隙あれば酒を飲む機会を狙った生活をしていたためでもあった。
毎日が二日酔いで食事を楽しむ気分になれなかったのだ。
暑い夏の時期には食欲不振に悩んだものだ。
食欲不振をさらに深刻にしたのは食道がんの化学療法による副作用であった。
闘病中の苦い記憶は今でも鮮明に蘇る。
―7年前:病院入院中―
私は末期の食道がんと診断されて化学療法を受けていた。
病院の朝は早い。6時には目が覚めた。
病室を出て看護師詰め所で体重測定をした。食事量がめっきり減ってしまったので体重が減るのが心配でしょうがなかった。
それからエレベーターに乗って1階にあるコンビニへ新聞を買いに行くのが日課であった。
コンビニで新鮮そうに見えるサンドウィッチや"ふりかけ"を買った。
病院で出される朝食が苦手になっていたのだ。
私はその病院の病院長を過去に3年間勤めていたことがあった。
だから病院食の味には責任があったのだが、病院食は化学療法の副作用である食欲不振を覆すほどには美味しくはなかった。
病室に戻るとお茶が配られてきた。朝食の前触れである。
朝食はパンに卵に牛乳であった。
私はほとんど手をつけることなく呆然としていると、30分後ぐらいに下膳のおじさんが来る。申し訳ないと思いながらほとんど食べていないお膳を返す。
それから看護師の回診がある。体温を測定して血圧をはかり、酸素飽和度を測定する。
そして悪魔のささやきだ。「食事はどれだけ食べました?」「ほとんど食べれませんでした」と答えると、悲しい表情になる若い看護師がいた。
看護師に悲しい顔をされるほど困ることはないと、患者になって初めて知った。
患者は看護師の悲しい顔を見ると更に切なくなるのだ。
ようやく朝の行事が終了したところへ昼食が配られてきた。
「何故に人は一日に3回も食事をとらねばならぬのか」と思ったものだ。
「どの程度食べましたか?」「10%ぐらいです」「主食は?」「ご飯はほとんど食べれませんでした」そんな会話が来る日も来る日も続くのだ。
「空腹にまずい物なし」というが、空腹であるのにまずい物ばかりであった。
食物を口に入れて飲み込むまでの間に不快な物質に変質していき飲み込めなくなった。
拒食症まがいの患者にとって食事は拷問に似ていた。
放射線と化学療法を半年ほど続けると私の食道がんは消えた。
化学療法が終わると私は大きな転換が訪れた。
食欲が出てきた。
転換のもう一つの要因は酒からの脱却であった。
病気の性質から私は禁酒を余儀なくされることになった。
酒を飲まなくなると空腹でなくても旨い物を食べたくなったのだ。
美味しい食事を希求するようになった。
最近では新しい料理に挑戦するようになった。
ネットのレシピを印刷してスーパーへ行く。
食材を買って帰って工夫する。
私にハーヴェイのいう負から正への転換が起きたのだ。
私は老年になって今までなかったより大きな知恵と、より大きな学識を持つことになった。
老いをみるまなざし_第29回老人のパラドックス_挿絵
(イラスト:茶畑和也)
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