【blog】2023.02.17
祈冬
とても自分勝手な文章です。
何を書いても、そう感じる。
今の僕をよく表している気がする。
こんな赤裸々な自分を公開することに、意味があるのかわからない。
それでもやってみる。
誇りもプライドも捨てて、たった一つの大切な何かが、手元に残るのか知りたい。
/
思いやりを持った人間になりたい。
自分を脱却し、誰かを楽しませる人になりたい。
このLINEブログも6月にはサービスが終了されることが決まっている。
その先のことは決めていない。
こんなに好き勝手な表現をするのは、もうそろそろ最後かもしれないと思う。
思いやりに欠けるほど、僕が書きたいことを書き、
僕が読みたい詩を、読みたいように読む。
その難しさや責任に苦しみ、大切な生活を犠牲にするような表現は卒業すべきかもしれない。
一人黙々と、独りよがりな稽古をするのも、もう終わりだ。
今回の朗読は、観に来てくださった人々と、改めて繋がることができた朗読だった。その存在の大切さに深く気付かされ、感謝した。
僕が一人で完成させようとしていた表現は、決して一人じゃ完成しなかった。
共にステージにいる高井息吹さんの楽音に耳を澄ませ、僕らを見つめる一人一人の心にアクセスする。
その術を知るまでに、時間がかかってしまった。
僕が一人だったからだ。
/
独りよがりの文章も
「祈冬」も、もうすぐ終わる。
もうすぐ春が来る。
書きたいように、最後まで書きます。
今回の朗読で僕が読んだのは、
童話「雪渡り」と
「春と修羅」のなかにあるいくつかの心象スケッチだ。
宮沢賢治は自分の詩を、詩ではなく心象スケッチと呼んだ。
スケッチだからとても生々しい、その時の心が書かれている。
僕が読んだのは、宮沢賢治の妹のトシが亡くなった当日、その日に書かれた悲しみのスケッチだ。
そしてその翌年、花巻から北海道を旅した鉄道の中でトシを想いながら書いたスケッチだ。
/
宮沢賢治を読もうと決めたのは、2022年の11月末だった。後から知ったのだが、賢治の妹のトシが亡くなったのは1922年の11月27日だった。奇しくも、ちょうど百年の時が経っていた。
「百年待っていてください。きっと会いに来ますから」
いつかの朗読で読んだ夏目漱石の「夢十夜」において、死にゆく女が叫ぶ台詞だ。百年という言葉を聞くと、この台詞を思い出す。
宮沢賢治の言葉たちは、トシがかくれている雲の向こうの、天の青に向かって昇ってゆく。
もしくはそのさらに向こうの銀河まで。
亡くなった少年と、その友人は鉄道に乗って銀河を旅をした。
かなしみに満ちた世界を、美しく強さに変えてゆく。それが宮沢賢治の言葉だ。
/
一方僕は日々、言葉を失っている。
トルコとシリアで亡くなった人たちの数を思えば、その悲しみは想像力の外にある。
悲しみは海の向こう側だ。
最近友人に「お節介」と言われた。
雑誌かなんかに載っていた星占いに、
「お節介を、励ましや静かな祈りに変えて」
みたいなことが書かれていた。
励ましや、静かな祈りのいかに難しいことか。
でも、そんな人間になりたいな。
落ち込んでいる人がいたら
「大丈夫。君はめちゃくちゃ最高だ。今まで出会ったことないくらいイケてるよ」
と励まして抱きしめてあげたい。
苦しんでいる人がいたら、何もしてやることが出来なくても、静かに祈りたい。そうして自分の生活を明るく送りたい。
僕のお節介は、どうしたら助けてあげられるんだろうと、自分まで苦しんでしまうことだ。
おかげでずいぶんスマートじゃない生き方をしてきてしまった。
それに気づいたのが、最近だ。
僕はこれから変わっていってしまうかもしれない。
痛みに鈍感になるかもしれない。
人の弱さにも鈍感になるかもしれない。
そのことを、少し悲しく思う。
/
童話「雪渡り」は少年の四郎と妹のかん子の冒険物語だ。
この物語を読みながら、僕は少年に返った。
きっと心をシンクロして音楽を奏でていた高井息吹さんも童心に返っていたかもしれない。
青白い銀世界で歌い踊りながら、自分はこれからどんな人間になるんだろうと思った。
純真な心はどこまでも傷つきやすく、脆い。
悲しみに満ちた世界の暗闇と、少年と妹がキラキラの瞳で見つめた光明、その間に僕は立っていた。
/
なんかわからないけど。
負けたくないな。
なんかわからないけど。
負けてたまるか。
朝、目が覚める。
このまま眠っていたら本番は中止だろうな。
劇場に着く。
このまま逃げ出せばこの緊張から解放される。
幕が開き、舞台袖で出番が来る。
この足を進めなければ、朗読は始まらないんだ。
全ての自由が、全ての選択が、僕のこの足にある。
それでも僕は進んだ。進んでいった。
この反省も、恥も、友愛も、絶望も、希望も、暖かい拍手も、涙も、三日間で味わい尽くした。
/
たくさんの人と出会った。
花巻の人々、闘病中の大切な人、友達、家族や親戚。
この公演をやるために、宮沢賢治の言葉を考え続け、何日も何日も列車に乗って、旅をしながら、たくさんの人と出会った。
そうして劇場に辿り着いた。
劇場には友達であり企画者の八十嶋淳(ヤソシマジュン)がいて、高井息吹さんがいて、スタッフたちがいた。
そして観客のみんながいた。
たくさんの出会いだ。
/
もうすぐ、季節と朗読「祈冬」が終わる。
明日からの一週間、千秋楽公演の配信をもってして、僕の宮沢賢治との旅は終わる。
終わって、また始まる。
少しだけ、少しだけ、貴方の悲しみに触れた。
土沢駅。
銀河鉄道の始発駅のモデルになった列車に乗って、僕はこっそり泣いた。
この客車の窓が水族館の窓になって、
大きな水素のりんごの中をかけていって、
サザンクロスを目指して昇っていったんだ。
/
かなしみはちからに。
負けない。悲しみに負けるな。
勝たなくていい。負けるな。
悲しみは心にあっていい。
それを美しく強さに変えるんだ。
僕が物語を読むから。
明日読む物語があれば生きられる。
明日聴く物語があれば生きられる。
がんばろうよ。
君は最高だ。
最高にイケてる。
思慮深くて賢くて優しい人間だ。
部屋の片隅でスマホに文字を打ち込みながら、
僕は静かに祈っている。
この物語と、自分勝手な表現が、誰か一人の心に届きますように。
花巻で出会った七十七歳の伊藤諒子さんは、
僕のために、かつて宮沢賢治がいた川岸で、朗読をしてくれた。
僕の心はあのとき救われた。
役所の人に「宮沢賢治は古い」と言われて落ち込んでいた諒子さん。
「古くなんかないですよ。こんなに歳が離れて、遠くに住んでいる僕たちが賢治を通して出会ったんですよ。すごいことじゃないですか」
/
「朗読、緊張してるんですよね」
「なるようにしかならね。
努力した上で、なるようにしかならね。
みんなじゃなくて、
誰か一人でも感動してくれればいいんだから」
読み続ける。
下手くそでも。誰もいなくなってしまっても。
世界で戦争していても。海の向こうで悲しみが広がっても。
目の前のたった一人のために。
あの諒子さんの川岸に立つ凛とした姿と声を思い出して。
昨夜、配信の映像を見た。
高井息吹さんの歌う曲が、最後まで素晴らしかった。
こんなにまでも心がシンクロして、物語を歌い上げていたんだと改めて知った。
そして自分が高井さんの歌に、ピアノに、無意識のうちにどれだけ助けられていたかを知った。
高井息吹さん、音を捧げてくださって、ほんとうに、ありがとうございました。
/
ご来場いただいた皆さま、心から、ありがとうございました。
あの暖かい拍手を忘れません。
よければまたあの空間に会いに来てください。もっと成長します。
そして、まだ物語を届けることが出来ていない全国の皆さまも、「祈冬」をどうぞよろしくお願いします。
感想があれば、ぜひここに書き込んでください。
ブログのサービスが終了しても、いただいたコメントは保管したいです。
パーソナルBOOKもコツコツ執筆中です。
少しでも恩返しになればと、ひーひー言いながら書いています。
「祈冬」の配信は明日から一週間です。
寂しいとき、眠る前、料理を作りながら、ぜひ何度でも再生してお楽しみください。
https://t.cn/A69hgnp7
本日もおつかれさまでした。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
2023年2月17日
藤原季節
写真:垂水佳菜
https://t.cn/A6C2nJb0
祈冬
とても自分勝手な文章です。
何を書いても、そう感じる。
今の僕をよく表している気がする。
こんな赤裸々な自分を公開することに、意味があるのかわからない。
それでもやってみる。
誇りもプライドも捨てて、たった一つの大切な何かが、手元に残るのか知りたい。
/
思いやりを持った人間になりたい。
自分を脱却し、誰かを楽しませる人になりたい。
このLINEブログも6月にはサービスが終了されることが決まっている。
その先のことは決めていない。
こんなに好き勝手な表現をするのは、もうそろそろ最後かもしれないと思う。
思いやりに欠けるほど、僕が書きたいことを書き、
僕が読みたい詩を、読みたいように読む。
その難しさや責任に苦しみ、大切な生活を犠牲にするような表現は卒業すべきかもしれない。
一人黙々と、独りよがりな稽古をするのも、もう終わりだ。
今回の朗読は、観に来てくださった人々と、改めて繋がることができた朗読だった。その存在の大切さに深く気付かされ、感謝した。
僕が一人で完成させようとしていた表現は、決して一人じゃ完成しなかった。
共にステージにいる高井息吹さんの楽音に耳を澄ませ、僕らを見つめる一人一人の心にアクセスする。
その術を知るまでに、時間がかかってしまった。
僕が一人だったからだ。
/
独りよがりの文章も
「祈冬」も、もうすぐ終わる。
もうすぐ春が来る。
書きたいように、最後まで書きます。
今回の朗読で僕が読んだのは、
童話「雪渡り」と
「春と修羅」のなかにあるいくつかの心象スケッチだ。
宮沢賢治は自分の詩を、詩ではなく心象スケッチと呼んだ。
スケッチだからとても生々しい、その時の心が書かれている。
僕が読んだのは、宮沢賢治の妹のトシが亡くなった当日、その日に書かれた悲しみのスケッチだ。
そしてその翌年、花巻から北海道を旅した鉄道の中でトシを想いながら書いたスケッチだ。
/
宮沢賢治を読もうと決めたのは、2022年の11月末だった。後から知ったのだが、賢治の妹のトシが亡くなったのは1922年の11月27日だった。奇しくも、ちょうど百年の時が経っていた。
「百年待っていてください。きっと会いに来ますから」
いつかの朗読で読んだ夏目漱石の「夢十夜」において、死にゆく女が叫ぶ台詞だ。百年という言葉を聞くと、この台詞を思い出す。
宮沢賢治の言葉たちは、トシがかくれている雲の向こうの、天の青に向かって昇ってゆく。
もしくはそのさらに向こうの銀河まで。
亡くなった少年と、その友人は鉄道に乗って銀河を旅をした。
かなしみに満ちた世界を、美しく強さに変えてゆく。それが宮沢賢治の言葉だ。
/
一方僕は日々、言葉を失っている。
トルコとシリアで亡くなった人たちの数を思えば、その悲しみは想像力の外にある。
悲しみは海の向こう側だ。
最近友人に「お節介」と言われた。
雑誌かなんかに載っていた星占いに、
「お節介を、励ましや静かな祈りに変えて」
みたいなことが書かれていた。
励ましや、静かな祈りのいかに難しいことか。
でも、そんな人間になりたいな。
落ち込んでいる人がいたら
「大丈夫。君はめちゃくちゃ最高だ。今まで出会ったことないくらいイケてるよ」
と励まして抱きしめてあげたい。
苦しんでいる人がいたら、何もしてやることが出来なくても、静かに祈りたい。そうして自分の生活を明るく送りたい。
僕のお節介は、どうしたら助けてあげられるんだろうと、自分まで苦しんでしまうことだ。
おかげでずいぶんスマートじゃない生き方をしてきてしまった。
それに気づいたのが、最近だ。
僕はこれから変わっていってしまうかもしれない。
痛みに鈍感になるかもしれない。
人の弱さにも鈍感になるかもしれない。
そのことを、少し悲しく思う。
/
童話「雪渡り」は少年の四郎と妹のかん子の冒険物語だ。
この物語を読みながら、僕は少年に返った。
きっと心をシンクロして音楽を奏でていた高井息吹さんも童心に返っていたかもしれない。
青白い銀世界で歌い踊りながら、自分はこれからどんな人間になるんだろうと思った。
純真な心はどこまでも傷つきやすく、脆い。
悲しみに満ちた世界の暗闇と、少年と妹がキラキラの瞳で見つめた光明、その間に僕は立っていた。
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なんかわからないけど。
負けたくないな。
なんかわからないけど。
負けてたまるか。
朝、目が覚める。
このまま眠っていたら本番は中止だろうな。
劇場に着く。
このまま逃げ出せばこの緊張から解放される。
幕が開き、舞台袖で出番が来る。
この足を進めなければ、朗読は始まらないんだ。
全ての自由が、全ての選択が、僕のこの足にある。
それでも僕は進んだ。進んでいった。
この反省も、恥も、友愛も、絶望も、希望も、暖かい拍手も、涙も、三日間で味わい尽くした。
/
たくさんの人と出会った。
花巻の人々、闘病中の大切な人、友達、家族や親戚。
この公演をやるために、宮沢賢治の言葉を考え続け、何日も何日も列車に乗って、旅をしながら、たくさんの人と出会った。
そうして劇場に辿り着いた。
劇場には友達であり企画者の八十嶋淳(ヤソシマジュン)がいて、高井息吹さんがいて、スタッフたちがいた。
そして観客のみんながいた。
たくさんの出会いだ。
/
もうすぐ、季節と朗読「祈冬」が終わる。
明日からの一週間、千秋楽公演の配信をもってして、僕の宮沢賢治との旅は終わる。
終わって、また始まる。
少しだけ、少しだけ、貴方の悲しみに触れた。
土沢駅。
銀河鉄道の始発駅のモデルになった列車に乗って、僕はこっそり泣いた。
この客車の窓が水族館の窓になって、
大きな水素のりんごの中をかけていって、
サザンクロスを目指して昇っていったんだ。
/
かなしみはちからに。
負けない。悲しみに負けるな。
勝たなくていい。負けるな。
悲しみは心にあっていい。
それを美しく強さに変えるんだ。
僕が物語を読むから。
明日読む物語があれば生きられる。
明日聴く物語があれば生きられる。
がんばろうよ。
君は最高だ。
最高にイケてる。
思慮深くて賢くて優しい人間だ。
部屋の片隅でスマホに文字を打ち込みながら、
僕は静かに祈っている。
この物語と、自分勝手な表現が、誰か一人の心に届きますように。
花巻で出会った七十七歳の伊藤諒子さんは、
僕のために、かつて宮沢賢治がいた川岸で、朗読をしてくれた。
僕の心はあのとき救われた。
役所の人に「宮沢賢治は古い」と言われて落ち込んでいた諒子さん。
「古くなんかないですよ。こんなに歳が離れて、遠くに住んでいる僕たちが賢治を通して出会ったんですよ。すごいことじゃないですか」
/
「朗読、緊張してるんですよね」
「なるようにしかならね。
努力した上で、なるようにしかならね。
みんなじゃなくて、
誰か一人でも感動してくれればいいんだから」
読み続ける。
下手くそでも。誰もいなくなってしまっても。
世界で戦争していても。海の向こうで悲しみが広がっても。
目の前のたった一人のために。
あの諒子さんの川岸に立つ凛とした姿と声を思い出して。
昨夜、配信の映像を見た。
高井息吹さんの歌う曲が、最後まで素晴らしかった。
こんなにまでも心がシンクロして、物語を歌い上げていたんだと改めて知った。
そして自分が高井さんの歌に、ピアノに、無意識のうちにどれだけ助けられていたかを知った。
高井息吹さん、音を捧げてくださって、ほんとうに、ありがとうございました。
/
ご来場いただいた皆さま、心から、ありがとうございました。
あの暖かい拍手を忘れません。
よければまたあの空間に会いに来てください。もっと成長します。
そして、まだ物語を届けることが出来ていない全国の皆さまも、「祈冬」をどうぞよろしくお願いします。
感想があれば、ぜひここに書き込んでください。
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パーソナルBOOKもコツコツ執筆中です。
少しでも恩返しになればと、ひーひー言いながら書いています。
「祈冬」の配信は明日から一週間です。
寂しいとき、眠る前、料理を作りながら、ぜひ何度でも再生してお楽しみください。
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本日もおつかれさまでした。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
2023年2月17日
藤原季節
写真:垂水佳菜
https://t.cn/A6C2nJb0
★ 这件作品已被个人收购
★ 照片和文字 禁止粘贴和使用
(因有人在利用做架空出售)
大変貴重なヴィンテージのぼり旗と手ぬぐいと、柿渋染めしてから製作したリバーシブルのプルオーバーです。
全て自分自身で一枚一枚を手染めで5.6回繰り返して柿渋染め→アイロンかけ→柄合わせ→刺し子の文様を下描き→一針一針で刺し子で製作した1点ものでございます。
手ぬぐいの面
前身は、とても迫力のある揚羽蝶の紋となまはげをメインにして、魔除けの意味で麻の葉文様となまはげを刺し子施した。つけ襟の縁起の良い文様と合わせました。
なまはげは鬼ではありません、私の中には伝説中のレジェンドみたいです。なので、この作品の名は「レジェンド&バタフライ」つけました♪
左右にはシーフポケットがございます。
後ろには、二枚戦前の水墨画の手ぬぐい(譲っていただいた古董商屋さんから)。日本橋から遠く見える雲海中の富士山の手ぬぐいと、お米を運んでいるお牛さんを牽引している可愛い男の子の手ぬぐいは、
1枚の絵に描いたようと紗綾形算くずし文様の刺し子を施した。
右上は背守りの意味で扇子文様を、三つ編みにアンティークの算盤玉とおかめ様ひょっとこ様のチャームをつけました。
幟旗の面
しっかりして少し厚みのある、真っ赤な昭和の幟旗を柿渋染めして、後ろに可愛い天狗の顔して、厚みのある下駄を履いている男の子をメインに。袖には永遠の「青年部」ですって
襟は手ぬぐいの刺し子の「福」とパッチワークして、リバーシブルでお使いいただけます。
袖
老舗「金亀」の貴重な堅牢染の茶色と紺色の刺し子糸で施した、代表的な能面の一つ「般若」、2本の角をもつ鬼女の面、女の激しい嫉妬や怒り、内面の悲しみを巧みに表現した造形と、反対側にの明るい笑顔で、しあわせを呼び込んでくれますようにの「お多福」と対照的になります。
長さはお好みで捲って頂きます。リバーシブルの色もお楽しんでいただけます。
つけ襟
柿渋染めた戦前の手ぬぐいで、肩の紋様と合わせたデザイン。縁起の良い麻の葉の文様等を満遍なく刺し子を施した。「福」は「内」側にございます♪ リバーシブルで気分転換にお使い頂けます。手縫いで製作したくるみボタンが二つつけました。
#设计美学##艺术设计##手工制作##美学##设计秀##日本##好物推荐##今天穿什么##穿搭##OOTD##服装设计##lolita装扮##手工#
★ 照片和文字 禁止粘贴和使用
(因有人在利用做架空出售)
大変貴重なヴィンテージのぼり旗と手ぬぐいと、柿渋染めしてから製作したリバーシブルのプルオーバーです。
全て自分自身で一枚一枚を手染めで5.6回繰り返して柿渋染め→アイロンかけ→柄合わせ→刺し子の文様を下描き→一針一針で刺し子で製作した1点ものでございます。
手ぬぐいの面
前身は、とても迫力のある揚羽蝶の紋となまはげをメインにして、魔除けの意味で麻の葉文様となまはげを刺し子施した。つけ襟の縁起の良い文様と合わせました。
なまはげは鬼ではありません、私の中には伝説中のレジェンドみたいです。なので、この作品の名は「レジェンド&バタフライ」つけました♪
左右にはシーフポケットがございます。
後ろには、二枚戦前の水墨画の手ぬぐい(譲っていただいた古董商屋さんから)。日本橋から遠く見える雲海中の富士山の手ぬぐいと、お米を運んでいるお牛さんを牽引している可愛い男の子の手ぬぐいは、
1枚の絵に描いたようと紗綾形算くずし文様の刺し子を施した。
右上は背守りの意味で扇子文様を、三つ編みにアンティークの算盤玉とおかめ様ひょっとこ様のチャームをつけました。
幟旗の面
しっかりして少し厚みのある、真っ赤な昭和の幟旗を柿渋染めして、後ろに可愛い天狗の顔して、厚みのある下駄を履いている男の子をメインに。袖には永遠の「青年部」ですって
襟は手ぬぐいの刺し子の「福」とパッチワークして、リバーシブルでお使いいただけます。
袖
老舗「金亀」の貴重な堅牢染の茶色と紺色の刺し子糸で施した、代表的な能面の一つ「般若」、2本の角をもつ鬼女の面、女の激しい嫉妬や怒り、内面の悲しみを巧みに表現した造形と、反対側にの明るい笑顔で、しあわせを呼び込んでくれますようにの「お多福」と対照的になります。
長さはお好みで捲って頂きます。リバーシブルの色もお楽しんでいただけます。
つけ襟
柿渋染めた戦前の手ぬぐいで、肩の紋様と合わせたデザイン。縁起の良い麻の葉の文様等を満遍なく刺し子を施した。「福」は「内」側にございます♪ リバーシブルで気分転換にお使い頂けます。手縫いで製作したくるみボタンが二つつけました。
#设计美学##艺术设计##手工制作##美学##设计秀##日本##好物推荐##今天穿什么##穿搭##OOTD##服装设计##lolita装扮##手工#
「對三笘薰說“老實說好累哦”」阿森納24歲富康健洋的告白……”你和三笘薫在“交換單元”中談了些什麼?(節選)https://t.cn/A69ssUQy
在與布萊頓的比賽結束後,可以看到兩人交換球衣,臉上洋溢著笑容。 在世界杯上,也有機會在日本國家隊的左路一起踢球。換了隊服,盟友就成了球場上的對手。兩人看起來很享受在英超這個舞台上互相碰撞的時間。
「比賽結束後,對薰君說了‘好累啊’。因為比賽中,和薰君2對1的情況相當多。薰君在邊路,還有在我和中後衛之間跑過來的選手。首先先防住那個選手,然後從那裡再去薰君那裡,所以說這很累。說實話,英超只有2個日本選手,我覺得還不夠。雖然我只在意大利、比利時、英格蘭3個國家打過,但毫無疑問英超是世界第一的聯賽,不打就無法親身感受。我希望盡可能多的日本人來到英超的舞台,並且在能夠爭奪冠軍的前6位踢球。我認為至少要有更多一名進入前4名在歐洲冠軍聯賽踢球的選手。從本次卡塔爾世界杯的日本國家隊名單來看,海外球員增加了不少,參加歐洲冠軍聯賽和歐洲聯賽的球員,以及在4大、5大聯賽效力的球員比例都有所增加。但在世界杯上,我們又一次被擋在了16強的門外。從這一點看,我們還遠遠不夠。」
「三笘薫に『正直しんどいです』」アーセナル冨安健洋24歳の告白…三笘との“ユニ交換”で何を話した?
三笘薫に「しんどいですわー」
ブライトン戦の試合後には、笑顔でユニフォームを交換するふたりの姿があった。ワールドカップでは、日本代表の左サイドで共にプレーした時間もあった。
ユニフォームが変われば、盟友はピッチの上で倒すべき相手となる。プレミアという舞台でぶつかりあう、そんな時間をふたりは楽しんでいるように見えた。
「試合後、(三笘)薫くんには『しんどいですわー』と言いましたね。試合中、薫くんと2対1という状況がけっこう多かったので。薫くんがサイドにいて、さらに僕とセンターバックの間に走ってくる選手もいた。とりあえずその選手を捕まえて、そこから薫くんへ行ってという風にやっていたから、これはしんどいですという話はしましたね。正直、プレミアに日本人選手が2人というのは、まだまだ物足りないと思います。僕はイタリア、ベルギー、イングランドの3カ国でしかやったことはありませんが、間違いなくプレミアが世界一のリーグだと言える。やってみないと、実際にそれは肌で感じることができない。ひとりでも多くの日本人がプレミアの舞台に来て、そして優勝を争えるようなトップ6でプレーすること。4位以内に入ってチャンピオンズリーグでプレーする選手がひとりでも多く出てこないといけないと思っています。今回のカタールワールドカップの日本代表のメンバーを見ても、海外組はかなり増えています。チャンピオンズリーグやヨーロッパリーグに出る選手や、4大、5大リーグでプレーする選手の割合は増えている。でも、それでも結局、ワールドカップでは16強の壁にまたしても阻まれた。その意味では、まだまだ足りないのかなと思います」
在與布萊頓的比賽結束後,可以看到兩人交換球衣,臉上洋溢著笑容。 在世界杯上,也有機會在日本國家隊的左路一起踢球。換了隊服,盟友就成了球場上的對手。兩人看起來很享受在英超這個舞台上互相碰撞的時間。
「比賽結束後,對薰君說了‘好累啊’。因為比賽中,和薰君2對1的情況相當多。薰君在邊路,還有在我和中後衛之間跑過來的選手。首先先防住那個選手,然後從那裡再去薰君那裡,所以說這很累。說實話,英超只有2個日本選手,我覺得還不夠。雖然我只在意大利、比利時、英格蘭3個國家打過,但毫無疑問英超是世界第一的聯賽,不打就無法親身感受。我希望盡可能多的日本人來到英超的舞台,並且在能夠爭奪冠軍的前6位踢球。我認為至少要有更多一名進入前4名在歐洲冠軍聯賽踢球的選手。從本次卡塔爾世界杯的日本國家隊名單來看,海外球員增加了不少,參加歐洲冠軍聯賽和歐洲聯賽的球員,以及在4大、5大聯賽效力的球員比例都有所增加。但在世界杯上,我們又一次被擋在了16強的門外。從這一點看,我們還遠遠不夠。」
「三笘薫に『正直しんどいです』」アーセナル冨安健洋24歳の告白…三笘との“ユニ交換”で何を話した?
三笘薫に「しんどいですわー」
ブライトン戦の試合後には、笑顔でユニフォームを交換するふたりの姿があった。ワールドカップでは、日本代表の左サイドで共にプレーした時間もあった。
ユニフォームが変われば、盟友はピッチの上で倒すべき相手となる。プレミアという舞台でぶつかりあう、そんな時間をふたりは楽しんでいるように見えた。
「試合後、(三笘)薫くんには『しんどいですわー』と言いましたね。試合中、薫くんと2対1という状況がけっこう多かったので。薫くんがサイドにいて、さらに僕とセンターバックの間に走ってくる選手もいた。とりあえずその選手を捕まえて、そこから薫くんへ行ってという風にやっていたから、これはしんどいですという話はしましたね。正直、プレミアに日本人選手が2人というのは、まだまだ物足りないと思います。僕はイタリア、ベルギー、イングランドの3カ国でしかやったことはありませんが、間違いなくプレミアが世界一のリーグだと言える。やってみないと、実際にそれは肌で感じることができない。ひとりでも多くの日本人がプレミアの舞台に来て、そして優勝を争えるようなトップ6でプレーすること。4位以内に入ってチャンピオンズリーグでプレーする選手がひとりでも多く出てこないといけないと思っています。今回のカタールワールドカップの日本代表のメンバーを見ても、海外組はかなり増えています。チャンピオンズリーグやヨーロッパリーグに出る選手や、4大、5大リーグでプレーする選手の割合は増えている。でも、それでも結局、ワールドカップでは16強の壁にまたしても阻まれた。その意味では、まだまだ足りないのかなと思います」
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