6月12日(月) 21:00~21:54 放送
『風間公親−教場0−』第10話:指輪のレクイエム
【Story】
6月12日放送 第10話
県警捜査一課の風間公親(木村拓哉)と中込兼児(染谷将太)は、変死体が発見されたという現場に臨場する。死亡したのは、住宅街の一軒家に住む仁谷清香(竹下景子)。発見したのは22歳年下の夫でデザイナーの継秀(岡田義徳)だった。清香は電話機の近く倒れていた。調理中だったようで、レンジにはフライパンが置かれ、アルミホイルの上の鰆が焦げて炭化していた。清香は1年ほど前から認知症を患っていた。それを知り、妻の明子(大西礼芳)に任せっきりにしている認知症の母・ふき(余貴美子)のことを思い出す中込。物忘れが激しくなっていたためか、清香は電話を受ける度に録音していたようで、録音データには彼女の声がたくさん残っていた。
清香が死亡したと思われる時間、継秀は、印刷会社に勤める田瀬葵(中村ゆりか)と食事をとりながら打ち合わせをしていたという。葵に会いに行った風間たちは、継秀がいつもと違ってセット料理ではなくコース料理を頼んだこと、「妻が指輪をなくしてがっかりしている」という話を聞いたという証言を得る。「いつもと違う行動をしたということは、日常に異物が紛れ込んだということだ」と中込に告げる風間。
ほどなく、清香の死亡原因はフッ化水素ガスの吸引によるものと判明する。たが清香には苦しんだ様子もなかった。中込は、風間の言葉の意味を考えながら、継秀の証言や、現場を見たときに感じた違和感の正体を追うが……。
『風間公親−教場0−』第10話:指輪のレクイエム
【Story】
6月12日放送 第10話
県警捜査一課の風間公親(木村拓哉)と中込兼児(染谷将太)は、変死体が発見されたという現場に臨場する。死亡したのは、住宅街の一軒家に住む仁谷清香(竹下景子)。発見したのは22歳年下の夫でデザイナーの継秀(岡田義徳)だった。清香は電話機の近く倒れていた。調理中だったようで、レンジにはフライパンが置かれ、アルミホイルの上の鰆が焦げて炭化していた。清香は1年ほど前から認知症を患っていた。それを知り、妻の明子(大西礼芳)に任せっきりにしている認知症の母・ふき(余貴美子)のことを思い出す中込。物忘れが激しくなっていたためか、清香は電話を受ける度に録音していたようで、録音データには彼女の声がたくさん残っていた。
清香が死亡したと思われる時間、継秀は、印刷会社に勤める田瀬葵(中村ゆりか)と食事をとりながら打ち合わせをしていたという。葵に会いに行った風間たちは、継秀がいつもと違ってセット料理ではなくコース料理を頼んだこと、「妻が指輪をなくしてがっかりしている」という話を聞いたという証言を得る。「いつもと違う行動をしたということは、日常に異物が紛れ込んだということだ」と中込に告げる風間。
ほどなく、清香の死亡原因はフッ化水素ガスの吸引によるものと判明する。たが清香には苦しんだ様子もなかった。中込は、風間の言葉の意味を考えながら、継秀の証言や、現場を見たときに感じた違和感の正体を追うが……。
危険」な住宅に人が…なぜ?独自調査 石川 珠洲 地震1か月
2023年6月5日 6時46分
石川県珠洲市で震度6強の揺れを観測する地震が発生してから、5日で1か月です。現地では今も、被災した住宅を修繕できないまま生活を続けている人たちがいます。
いったいなぜなのか。NHKの調査から見えてきた実情とは。
【1か月前に地区を襲った地震は】
1か月前の5月5日の午後3時前、石川県の能登地方を震源とするマグニチュード6.5の地震が発生し、石川県珠洲市で震度6強の揺れを観測しました。
珠洲市内だけで657棟の住宅被害が確認されていますが、経済的な事情や工事業者が依頼に対応しきれないなどの理由から、住宅を修繕できないまま生活を続けている住民が多くいます。
市内で建物被害が特に多いのは正院町正院で、地震の後に自治体が行った建物の応急的な調査=「応急危険度判定」では、納屋や倉庫を含むおよそ100棟が倒壊や落下物などのおそれがある「危険」と判定されています。
【地区の調査で見えたのは】
今の生活はどうなっているのか、NHKはこの地区を調査しました。
「危険」判定の37棟に住民
玄関先に貼られた赤いステッカーなどをもとに「危険」判定の建物を調査したところ、納屋や倉庫を除く住宅は65棟でその半数を超える37棟に住民が暮らしていました。
このほか、空き家が3割以上の23棟で、住民の公営住宅や親戚の家への避難・転居が確認されたケースが3棟でした。
「危険」判定の住民半数以上で修繕めど立たず
「危険」と判定された37棟の住宅で暮らす人に修繕のめどが立っているかを尋ねたところ「めどは立っていない」と回答した割合が57%。
「めどが立っている、または修繕の必要がないと考えている」と回答した割合が11%でした。
転居や避難をしない理由は?
転居や避難をしない理由を複数回答で尋ねると、「生活は可能だから」という回答の割合が49%だった一方、「危険を感じるが、慣れた場所を離れたくない、離れられない」などの回答が32%、「仮設住宅などでの生活に不安や抵抗感がある」といった回答が24%ありました。
珠洲市では65歳以上の人の割合が去年10月時点で52.8%にのぼり、今回の調査で被災した住宅に残っていたのも高齢者が多く、住宅の修繕や転居に踏み切れない理由の1つと考えられます。
石川県の能登地方ではその後も地震が相次いでいて、被災した住宅の修繕や住民の生活をどう支えるのかが課題になっています。
【「危険」でも離れられない理由は】
応急危険度判定で「危険」と判定された住宅に暮らす人たちからは、地震が続くことへの不安を感じながらも自宅を離れられないさまざまな事情が聞かれました。
当面、修繕工事できず
正院町正院で1人暮らしの奥ふみ子さん(88)の自宅は基礎の部分が傾き、敷地のブロック塀が倒れるなどの被害がありました。
業者に修繕を頼んでいますが、依頼が殺到していて当面、工事はできないと言われています。
足が不自由なこともあり、自分をよく知る人が周りにいる地域を離れることには不安を感じるといいます。
奥さんは「今の家でも寝起きはできるし、何かあれば、近所どうし声もかけられます。ほかの場所に移るのは心が落ち着かないので嫌です」と話していました。
「家のことが心配」
澤田洋子さん(81)の自宅は屋根瓦が落ちたり、窓ガラスが割れたりする被害があり、先月30日に取材した時にも窓枠にはブルーシートが張られていました。
澤田さんには、金沢市で暮らす娘もいますが、自宅を離れることは考えていないといい「再び地震が来る怖さはありますが、ほかの場所に行っても家のことが心配になるので一緒だと思います。倒壊まではしないと思うし、悩んでも仕方がないです」と話していました。
「受験控える娘が…」 比較的新しいスペースで生活
岡村好志美さん(48)の自宅は築100年の伝統的な家屋で、地震で外壁の一部が崩れ落ち、柱が傾いたり基礎部分にひびが入ったりしました。
修繕を依頼した業者からは「次に大きな地震が来れば倒壊するおそれが大きい」と言われていますが、工事を開始できるめどはまだ立っていません。
岡村さんは「仮設住宅に移れるなら移りたい気持ちもありますが、受験を控えた高校生の娘の通学や、自分たち夫婦の仕事のことを考えると環境を変えることは難しい」と話しています。
家族はいつ来るかわからない地震に備え、比較的新しい、増築されたスペースで生活を送っていますが、業者から「工事をしても住宅の安全性は十分ではない」と言われているということです。
岡村さんは「経済的に家を建て直すことは難しいし、どこまでお金をかけて修繕すればよいか頭を悩ませています」と話していました。
【「危険」判定の住宅 3割超が空き家】
今回、正院町正院で取材した「危険」判定の住宅65棟のうち、3割を超える23棟が空き家でした。
珠洲市によりますと、空き家の中には、老朽化が進み倒壊の危険などがあるにもかかわらず、所有者と連絡がついていないものもあるということです。
珠洲市は1950年代に3万8000人を超えていた人口が、ことし5月時点で1万2000人台にまで落ち込むなど人口減少が続き、空き家が急増しています。
「危険」と判定された空き家の近くに住む男性は「20年以上放置されていた空き家が傾いていて、次に大きな地震が来れば倒壊してしまうのではないかと心配しています。空き家の前を散歩しているお年寄りを見ていても危険性を感じるので、解体などの対応を早くしてほしい」と不安を語っていました。
【自治体 手続きや精神面のサポートへ】
危険性が指摘された住宅で生活を続ける人たちについて、石川県珠洲市の泉谷満寿裕市長は「できるだけ修繕をして、慣れ親しんだ自宅や地域で住み続けてほしいと思っているが、高齢であることや経済的な事情からそのめどが立たないか、そもそも修繕するかどうかを悩んでいる人もいる。何から手をつけてよいか、わからない人も多い」と述べ、巡回訪問などを通じて手続きや精神面のサポートを行っていく考えを示しました。
また、被災した住宅の解体・修繕を行う人の費用負担を軽減する市独自の支援を検討していること、自宅での生活が困難な人たちの長期的な住まいを確保するため、国と連携し災害公営住宅を整備することも検討していく方針を示しました。
【専門家 “個々の状況やニーズ踏まえた支援を”】
地震や水害などで住宅が被害を受け応急危険度判定で「危険」とされたものの、そこで住民が生活を続けるケースは過去も相次いでいます。
地域防災に詳しく、7年前の熊本地震で被災者の生活状況などを調査した熊本県立大学の澤田道夫教授は、珠洲市の現状について「危険性がある住宅で住民が生活を続ける状況は熊本地震の際にもあった。地震が継続する中、被害を受けるリスクが高いうえ仮設住宅などに入居した場合と比べて行政からの情報が届きにくく、必要な支援を受けられない懸念もある」と指摘しています。
高齢者が多いことについて澤田教授は「特に高齢者の場合、被災した住宅を再建しても資金返済のあてがないとして最初から諦めてしまうケースがあり、支援の存在を知らないままの人もいる」としています。
その上で「行政にはわかりやすいことばで支援制度を説明することが求められる。例えば被災者が住み慣れた地域に災害公営住宅を整備するなど、個々の状況やニーズを踏まえた支援を行う必要がある」としています。
一方で、規模の大きい災害で被災者のニーズに幅広く対応するためには、珠洲市の財政規模では難しいことが想定され、国や県がより踏み込んだ形でサポートしていくことが必要だと話しています。
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2023年6月5日 6時46分
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いったいなぜなのか。NHKの調査から見えてきた実情とは。
【1か月前に地区を襲った地震は】
1か月前の5月5日の午後3時前、石川県の能登地方を震源とするマグニチュード6.5の地震が発生し、石川県珠洲市で震度6強の揺れを観測しました。
珠洲市内だけで657棟の住宅被害が確認されていますが、経済的な事情や工事業者が依頼に対応しきれないなどの理由から、住宅を修繕できないまま生活を続けている住民が多くいます。
市内で建物被害が特に多いのは正院町正院で、地震の後に自治体が行った建物の応急的な調査=「応急危険度判定」では、納屋や倉庫を含むおよそ100棟が倒壊や落下物などのおそれがある「危険」と判定されています。
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「危険」判定の37棟に住民
玄関先に貼られた赤いステッカーなどをもとに「危険」判定の建物を調査したところ、納屋や倉庫を除く住宅は65棟でその半数を超える37棟に住民が暮らしていました。
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「危険」判定の住民半数以上で修繕めど立たず
「危険」と判定された37棟の住宅で暮らす人に修繕のめどが立っているかを尋ねたところ「めどは立っていない」と回答した割合が57%。
「めどが立っている、または修繕の必要がないと考えている」と回答した割合が11%でした。
転居や避難をしない理由は?
転居や避難をしない理由を複数回答で尋ねると、「生活は可能だから」という回答の割合が49%だった一方、「危険を感じるが、慣れた場所を離れたくない、離れられない」などの回答が32%、「仮設住宅などでの生活に不安や抵抗感がある」といった回答が24%ありました。
珠洲市では65歳以上の人の割合が去年10月時点で52.8%にのぼり、今回の調査で被災した住宅に残っていたのも高齢者が多く、住宅の修繕や転居に踏み切れない理由の1つと考えられます。
石川県の能登地方ではその後も地震が相次いでいて、被災した住宅の修繕や住民の生活をどう支えるのかが課題になっています。
【「危険」でも離れられない理由は】
応急危険度判定で「危険」と判定された住宅に暮らす人たちからは、地震が続くことへの不安を感じながらも自宅を離れられないさまざまな事情が聞かれました。
当面、修繕工事できず
正院町正院で1人暮らしの奥ふみ子さん(88)の自宅は基礎の部分が傾き、敷地のブロック塀が倒れるなどの被害がありました。
業者に修繕を頼んでいますが、依頼が殺到していて当面、工事はできないと言われています。
足が不自由なこともあり、自分をよく知る人が周りにいる地域を離れることには不安を感じるといいます。
奥さんは「今の家でも寝起きはできるし、何かあれば、近所どうし声もかけられます。ほかの場所に移るのは心が落ち着かないので嫌です」と話していました。
「家のことが心配」
澤田洋子さん(81)の自宅は屋根瓦が落ちたり、窓ガラスが割れたりする被害があり、先月30日に取材した時にも窓枠にはブルーシートが張られていました。
澤田さんには、金沢市で暮らす娘もいますが、自宅を離れることは考えていないといい「再び地震が来る怖さはありますが、ほかの場所に行っても家のことが心配になるので一緒だと思います。倒壊まではしないと思うし、悩んでも仕方がないです」と話していました。
「受験控える娘が…」 比較的新しいスペースで生活
岡村好志美さん(48)の自宅は築100年の伝統的な家屋で、地震で外壁の一部が崩れ落ち、柱が傾いたり基礎部分にひびが入ったりしました。
修繕を依頼した業者からは「次に大きな地震が来れば倒壊するおそれが大きい」と言われていますが、工事を開始できるめどはまだ立っていません。
岡村さんは「仮設住宅に移れるなら移りたい気持ちもありますが、受験を控えた高校生の娘の通学や、自分たち夫婦の仕事のことを考えると環境を変えることは難しい」と話しています。
家族はいつ来るかわからない地震に備え、比較的新しい、増築されたスペースで生活を送っていますが、業者から「工事をしても住宅の安全性は十分ではない」と言われているということです。
岡村さんは「経済的に家を建て直すことは難しいし、どこまでお金をかけて修繕すればよいか頭を悩ませています」と話していました。
【「危険」判定の住宅 3割超が空き家】
今回、正院町正院で取材した「危険」判定の住宅65棟のうち、3割を超える23棟が空き家でした。
珠洲市によりますと、空き家の中には、老朽化が進み倒壊の危険などがあるにもかかわらず、所有者と連絡がついていないものもあるということです。
珠洲市は1950年代に3万8000人を超えていた人口が、ことし5月時点で1万2000人台にまで落ち込むなど人口減少が続き、空き家が急増しています。
「危険」と判定された空き家の近くに住む男性は「20年以上放置されていた空き家が傾いていて、次に大きな地震が来れば倒壊してしまうのではないかと心配しています。空き家の前を散歩しているお年寄りを見ていても危険性を感じるので、解体などの対応を早くしてほしい」と不安を語っていました。
【自治体 手続きや精神面のサポートへ】
危険性が指摘された住宅で生活を続ける人たちについて、石川県珠洲市の泉谷満寿裕市長は「できるだけ修繕をして、慣れ親しんだ自宅や地域で住み続けてほしいと思っているが、高齢であることや経済的な事情からそのめどが立たないか、そもそも修繕するかどうかを悩んでいる人もいる。何から手をつけてよいか、わからない人も多い」と述べ、巡回訪問などを通じて手続きや精神面のサポートを行っていく考えを示しました。
また、被災した住宅の解体・修繕を行う人の費用負担を軽減する市独自の支援を検討していること、自宅での生活が困難な人たちの長期的な住まいを確保するため、国と連携し災害公営住宅を整備することも検討していく方針を示しました。
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地震や水害などで住宅が被害を受け応急危険度判定で「危険」とされたものの、そこで住民が生活を続けるケースは過去も相次いでいます。
地域防災に詳しく、7年前の熊本地震で被災者の生活状況などを調査した熊本県立大学の澤田道夫教授は、珠洲市の現状について「危険性がある住宅で住民が生活を続ける状況は熊本地震の際にもあった。地震が継続する中、被害を受けるリスクが高いうえ仮設住宅などに入居した場合と比べて行政からの情報が届きにくく、必要な支援を受けられない懸念もある」と指摘しています。
高齢者が多いことについて澤田教授は「特に高齢者の場合、被災した住宅を再建しても資金返済のあてがないとして最初から諦めてしまうケースがあり、支援の存在を知らないままの人もいる」としています。
その上で「行政にはわかりやすいことばで支援制度を説明することが求められる。例えば被災者が住み慣れた地域に災害公営住宅を整備するなど、個々の状況やニーズを踏まえた支援を行う必要がある」としています。
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あわせて読みたい
長篠の戦い
ながしののたたかい
1575年(天正3)三河国長篠(愛知県新城(しんしろ)市)において行われた、武田勝頼(たけだかつより)と徳川家康・織田信長連合軍との合戦。長篠は信濃(しなの)(長野県)飯田(いいだ)から伊那(いな)の山間部を縫って三河吉田(豊橋(とよはし)市)に通じる要路上に位置し、城は豊川(とよがわ)上流の三輪川(みわがわ)・寒狭川(かんさがわ)合流点の段丘上に築かれていた。そのため甲斐(かい)(山梨県)から西上の機をうかがう武田氏と、三河の徳川氏との争奪が繰り広げられ、1573年(天正1)武田信玄(しんげん)が没すると徳川家康は長篠城を奪還、奥平信昌(おくだいらのぶまさ)を城将とした。
父信玄の遺志を継いだ武田勝頼は、足利義昭(あしかがよしあき)の招致を受けて西上の志をたて、1574年6月徳川方の遠江(とおとうみ)高天神城(たかてんじんじょう)(静岡県掛川(かけがわ)市)を陥れ、ついで1575年4月長篠城を包囲した。急報を受けた家康はただちに盟友織田信長の援軍を請い、信長は5月14日岐阜から岡崎に着陣、家康とともに長篠城救援に向かった。このとき長篠城から岡崎へ使者にたった鳥居強右衛門(とりいすねえもん)が、帰路武田方に捕らえられ、城内へ援軍の到来を叫び報じて磔(はりつけ)に処せられた話は有名。信長は岐阜出発の時点からこの合戦において鉄炮(てっぽう)を主戦力として用いることを計画し、3000挺(ちょう)の鉄炮を準備、長篠城の西方設楽原(したらがはら)に馬防柵(ばぼうさく)を築いて陣を敷いた。勝頼も兵を設楽原へ移し、徳川・織田連合軍と対峙(たいじ)した。5月21日徳川の将酒井忠次(さかいただつぐ)らは武田方の鳶ヶ巣山砦(とびがすやまとりで)を襲い、長篠城へ援軍を入れた。後方を攪乱(かくらん)された武田軍は設楽原決戦を挑み、騎馬隊を中心に次々と攻撃をかけたが、馬防柵に妨げられ、信長の側近部将が指揮する鉄炮隊の迎撃を浴びて多数の将士を失った。 一般に、この合戦で信長は鉄炮を3段に構え交替で一斉射撃を行う戦法をとったと伝えられている。これに対して、実技上の見地からこの戦法が可能であったかどうか疑問とする説もある。戦いは午前8時ごろから午後2時ごろに及び、無勢となった武田軍は敗走、勝頼も身一つで信濃へ逃れた。武田方の戦死者は山県昌景(やまがたまさかげ)、土屋昌次(つちやまさつぐ)、馬場信房(ばばのぶふさ)などの信玄以来の宿将をはじめとして1万人に上ったといわれる。これ以後武田氏の勢力は急速に衰え、1582年(天正10)滅亡を招いた。
この戦いにおいて、徳川・織田連合軍が新兵器の鉄炮を組織的に使用し、騎馬戦を得意とする武田軍に圧勝した点が注目され、従来の騎馬中心の個人戦から足軽の鉄炮隊を中心とする集団戦法へ移行する画期的戦闘と評価されている。
[渡辺江美子]
『高柳光寿著『長篠の戦』(1960・春秋社)』▽『井上鋭夫「天下布武」(『日本の合戦5 織田信長』所収・1978・新人物往来社)』
ながしののたたかい
1575年(天正3)三河国長篠(愛知県新城(しんしろ)市)において行われた、武田勝頼(たけだかつより)と徳川家康・織田信長連合軍との合戦。長篠は信濃(しなの)(長野県)飯田(いいだ)から伊那(いな)の山間部を縫って三河吉田(豊橋(とよはし)市)に通じる要路上に位置し、城は豊川(とよがわ)上流の三輪川(みわがわ)・寒狭川(かんさがわ)合流点の段丘上に築かれていた。そのため甲斐(かい)(山梨県)から西上の機をうかがう武田氏と、三河の徳川氏との争奪が繰り広げられ、1573年(天正1)武田信玄(しんげん)が没すると徳川家康は長篠城を奪還、奥平信昌(おくだいらのぶまさ)を城将とした。
父信玄の遺志を継いだ武田勝頼は、足利義昭(あしかがよしあき)の招致を受けて西上の志をたて、1574年6月徳川方の遠江(とおとうみ)高天神城(たかてんじんじょう)(静岡県掛川(かけがわ)市)を陥れ、ついで1575年4月長篠城を包囲した。急報を受けた家康はただちに盟友織田信長の援軍を請い、信長は5月14日岐阜から岡崎に着陣、家康とともに長篠城救援に向かった。このとき長篠城から岡崎へ使者にたった鳥居強右衛門(とりいすねえもん)が、帰路武田方に捕らえられ、城内へ援軍の到来を叫び報じて磔(はりつけ)に処せられた話は有名。信長は岐阜出発の時点からこの合戦において鉄炮(てっぽう)を主戦力として用いることを計画し、3000挺(ちょう)の鉄炮を準備、長篠城の西方設楽原(したらがはら)に馬防柵(ばぼうさく)を築いて陣を敷いた。勝頼も兵を設楽原へ移し、徳川・織田連合軍と対峙(たいじ)した。5月21日徳川の将酒井忠次(さかいただつぐ)らは武田方の鳶ヶ巣山砦(とびがすやまとりで)を襲い、長篠城へ援軍を入れた。後方を攪乱(かくらん)された武田軍は設楽原決戦を挑み、騎馬隊を中心に次々と攻撃をかけたが、馬防柵に妨げられ、信長の側近部将が指揮する鉄炮隊の迎撃を浴びて多数の将士を失った。 一般に、この合戦で信長は鉄炮を3段に構え交替で一斉射撃を行う戦法をとったと伝えられている。これに対して、実技上の見地からこの戦法が可能であったかどうか疑問とする説もある。戦いは午前8時ごろから午後2時ごろに及び、無勢となった武田軍は敗走、勝頼も身一つで信濃へ逃れた。武田方の戦死者は山県昌景(やまがたまさかげ)、土屋昌次(つちやまさつぐ)、馬場信房(ばばのぶふさ)などの信玄以来の宿将をはじめとして1万人に上ったといわれる。これ以後武田氏の勢力は急速に衰え、1582年(天正10)滅亡を招いた。
この戦いにおいて、徳川・織田連合軍が新兵器の鉄炮を組織的に使用し、騎馬戦を得意とする武田軍に圧勝した点が注目され、従来の騎馬中心の個人戦から足軽の鉄炮隊を中心とする集団戦法へ移行する画期的戦闘と評価されている。
[渡辺江美子]
『高柳光寿著『長篠の戦』(1960・春秋社)』▽『井上鋭夫「天下布武」(『日本の合戦5 織田信長』所収・1978・新人物往来社)』
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