蜘蛛の糸
芥川龍之介
ある日の事でございます。御釈迦様おしゃかさまは極楽の蓮池はすいけのふちを、独りでぶらぶら御歩きになっていらっしゃいました。池の中に咲いている蓮はすの花は、みんな玉のようにまっ白で、そのまん中にある金色きんいろの蕊ずいからは、何とも云えない好よい匂においが、絶間たえまなくあたりへ溢あふれて居ります。極楽は丁度朝なのでございましょう。
やがて御釈迦様はその池のふちに御佇おたたずみになって、水の面おもてを蔽おおっている蓮の葉の間から、ふと下の容子ようすを御覧になりました。この極楽の蓮池の下は、丁度地獄じごくの底に当って居りますから、水晶すいしようのような水を透き徹して、三途さんずの河や針の山の景色が、丁度覗のぞき眼鏡めがねを見るように、はっきりと見えるのでございます。
するとその地獄の底に、犍陀多かんだたと云う男が一人、ほかの罪人と一しょに蠢うごめいている姿が、御眼に止まりました。この犍陀多と云う男は、人を殺したり家に火をつけたり、いろいろ悪事を働いた大泥坊でございますが、それでもたった一つ、善い事を致した覚えがございます。と申しますのは、ある時この男が深い林の中を通りますと、小さな蜘蛛くもが一匹、路ばたを這はって行くのが見えました。そこで犍陀多は早速足を挙げて、踏み殺そうと致しましたが、「いや、いや、これも小さいながら、命のあるものに違いない。その命を無暗むやみにとると云う事は、いくら何でも可哀そうだ。」と、こう急に思い返して、とうとうその蜘蛛を殺さずに助けてやったからでございます。御釈迦様は地獄の容子を御覧になりながら、この犍陀多には蜘蛛を助けた事があるのを御思い出しになりました。そうしてそれだけの善い事をした報むくいには、出来るなら、この男を地獄から救い出してやろうと御考えになりました。幸い、側を見ますと、翡翠ひすいのような色をした蓮の葉の上に、極楽の蜘蛛が一匹、美しい銀色の糸をかけて居ります。御釈迦様はその蜘蛛の糸をそっと御手に御取りになって、玉のような白蓮しらはすの間から、遥か下にある地獄の底へ、まっすぐにそれを御下おろしなさいました。
こちらは地獄の底の血の池で、ほかの罪人と一しょに、浮いたり沈んだりしていた犍陀多かんだたでございます。何しろどちらを見ても、まっ暗で、たまにそのくら暗からぼんやり浮き上っているものがあると思いますと、それは恐しい針の山の針が光るのでございますから、その心細さと云ったらございません。その上あたりは墓の中のようにしんと静まり返って、たまに聞えるものと云っては、ただ罪人がつく微かすかな嘆息たんそくばかりでございます。これはここへ落ちて来るほどの人間は、もうさまざまな地獄の責苦せめくに疲れはてて、泣声を出す力さえなくなっているのでございましょう。ですからさすが大泥坊の犍陀多も、やはり血の池の血に咽むせびながら、まるで死にかかった蛙かわずのように、ただもがいてばかり居りました。ところがある時の事でございます。何気なにげなく犍陀多が頭を挙げて、血の池の空を眺めますと、そのひっそりとした暗の中を、遠い遠い天上から、銀色の蜘蛛くもの糸が、まるで人目にかかるのを恐れるように、一すじ細く光りながら、するすると自分の上へ垂れて参るのではございませんか。犍陀多はこれを見ると、思わず手を拍うって喜びました。この糸に縋すがりついて、どこまでものぼって行けば、きっと地獄からぬけ出せるのに相違ございません。いや、うまく行くと、極楽へはいる事さえも出来ましょう。そうすれば、もう針の山へ追い上げられる事もなくなれば、血の池に沈められる事もある筈はございません。
こう思いましたから犍陀多かんだたは、早速その蜘蛛の糸を両手でしっかりとつかみながら、一生懸命に上へ上へとたぐりのぼり始めました。元より大泥坊の事でございますから、こう云う事には昔から、慣れ切っているのでございます。
しかし地獄と極楽との間は、何万里となくございますから、いくら焦あせって見た所で、容易に上へは出られません。ややしばらくのぼる中うちに、とうとう犍陀多もくたびれて、もう一たぐりも上の方へはのぼれなくなってしまいました。そこで仕方がございませんから、まず一休み休むつもりで、糸の中途にぶら下りながら、遥かに目の下を見下しました。すると、一生懸命にのぼった甲斐があって、さっきまで自分がいた血の池は、今ではもう暗の底にいつの間にかかくれて居ります。それからあのぼんやり光っている恐しい針の山も、足の下になってしまいました。この分でのぼって行けば、地獄からぬけ出すのも、存外わけがないかも知れません。犍陀多は両手を蜘蛛の糸にからみながら、ここへ来てから何年にも出した事のない声で、「しめた。しめた。」と笑いました。ところがふと気がつきますと、蜘蛛の糸の下の方には、数限かずかぎりもない罪人たちが、自分ののぼった後をつけて、まるで蟻ありの行列のように、やはり上へ上へ一心によじのぼって来るではございませんか。犍陀多はこれを見ると、驚いたのと恐しいのとで、しばらくはただ、莫迦ばかのように大きな口を開あいたまま、眼ばかり動かして居りました。自分一人でさえ断きれそうな、この細い蜘蛛の糸が、どうしてあれだけの人数にんずの重みに堪える事が出来ましょう。もし万一途中で断きれたと致しましたら、折角ここへまでのぼって来たこの肝腎かんじんな自分までも、元の地獄へ逆落さかおとしに落ちてしまわなければなりません。そんな事があったら、大変でございます。が、そう云う中にも、罪人たちは何百となく何千となく、まっ暗な血の池の底から、うようよと這はい上って、細く光っている蜘蛛の糸を、一列になりながら、せっせとのぼって参ります。今の中にどうかしなければ、糸はまん中から二つに断れて、落ちてしまうのに違いありません。そこで犍陀多は大きな声を出して、「こら、罪人ども。この蜘蛛の糸は己おれのものだぞ。お前たちは一体誰に尋きいて、のぼって来た。下りろ。下りろ。」と喚わめきました。
その途端でございます。今まで何ともなかった蜘蛛の糸が、急に犍陀多のぶら下っている所から、ぷつりと音を立てて断きれました。ですから犍陀多もたまりません。あっと云う間まもなく風を切って、独楽こまのようにくるくるまわりながら、見る見る中に暗の底へ、まっさかさまに落ちてしまいました。
後にはただ極楽の蜘蛛の糸が、きらきらと細く光りながら、月も星もない空の中途に、短く垂れているばかりでございます。御釈迦様おしゃかさまは極楽の蓮池はすいけのふちに立って、この一部始終しじゅうをじっと見ていらっしゃいましたが、やがて犍陀多かんだたが血の池の底へ石のように沈んでしまいますと、悲しそうな御顔をなさりながら、またぶらぶら御歩きになり始めました。自分ばかり地獄からぬけ出そうとする、犍陀多の無慈悲な心が、そうしてその心相当な罰をうけて、元の地獄へ落ちてしまったのが、御釈迦様の御目から見ると、浅間しく思召されたのでございましょう。
しかし極楽の蓮池の蓮は、少しもそんな事には頓着とんじゃく致しません。その玉のような白い花は、御釈迦様の御足おみあしのまわりに、ゆらゆら萼うてなを動かして、そのまん中にある金色の蕊ずいからは、何とも云えない好よい匂が、絶間たえまなくあたりへ溢あふれて居ります。極楽ももう午ひるに近くなったのでございましょう。
底本:「芥川龍之介全集2」ちくま文庫、筑摩書房
芥川龍之介
ある日の事でございます。御釈迦様おしゃかさまは極楽の蓮池はすいけのふちを、独りでぶらぶら御歩きになっていらっしゃいました。池の中に咲いている蓮はすの花は、みんな玉のようにまっ白で、そのまん中にある金色きんいろの蕊ずいからは、何とも云えない好よい匂においが、絶間たえまなくあたりへ溢あふれて居ります。極楽は丁度朝なのでございましょう。
やがて御釈迦様はその池のふちに御佇おたたずみになって、水の面おもてを蔽おおっている蓮の葉の間から、ふと下の容子ようすを御覧になりました。この極楽の蓮池の下は、丁度地獄じごくの底に当って居りますから、水晶すいしようのような水を透き徹して、三途さんずの河や針の山の景色が、丁度覗のぞき眼鏡めがねを見るように、はっきりと見えるのでございます。
するとその地獄の底に、犍陀多かんだたと云う男が一人、ほかの罪人と一しょに蠢うごめいている姿が、御眼に止まりました。この犍陀多と云う男は、人を殺したり家に火をつけたり、いろいろ悪事を働いた大泥坊でございますが、それでもたった一つ、善い事を致した覚えがございます。と申しますのは、ある時この男が深い林の中を通りますと、小さな蜘蛛くもが一匹、路ばたを這はって行くのが見えました。そこで犍陀多は早速足を挙げて、踏み殺そうと致しましたが、「いや、いや、これも小さいながら、命のあるものに違いない。その命を無暗むやみにとると云う事は、いくら何でも可哀そうだ。」と、こう急に思い返して、とうとうその蜘蛛を殺さずに助けてやったからでございます。御釈迦様は地獄の容子を御覧になりながら、この犍陀多には蜘蛛を助けた事があるのを御思い出しになりました。そうしてそれだけの善い事をした報むくいには、出来るなら、この男を地獄から救い出してやろうと御考えになりました。幸い、側を見ますと、翡翠ひすいのような色をした蓮の葉の上に、極楽の蜘蛛が一匹、美しい銀色の糸をかけて居ります。御釈迦様はその蜘蛛の糸をそっと御手に御取りになって、玉のような白蓮しらはすの間から、遥か下にある地獄の底へ、まっすぐにそれを御下おろしなさいました。
こちらは地獄の底の血の池で、ほかの罪人と一しょに、浮いたり沈んだりしていた犍陀多かんだたでございます。何しろどちらを見ても、まっ暗で、たまにそのくら暗からぼんやり浮き上っているものがあると思いますと、それは恐しい針の山の針が光るのでございますから、その心細さと云ったらございません。その上あたりは墓の中のようにしんと静まり返って、たまに聞えるものと云っては、ただ罪人がつく微かすかな嘆息たんそくばかりでございます。これはここへ落ちて来るほどの人間は、もうさまざまな地獄の責苦せめくに疲れはてて、泣声を出す力さえなくなっているのでございましょう。ですからさすが大泥坊の犍陀多も、やはり血の池の血に咽むせびながら、まるで死にかかった蛙かわずのように、ただもがいてばかり居りました。ところがある時の事でございます。何気なにげなく犍陀多が頭を挙げて、血の池の空を眺めますと、そのひっそりとした暗の中を、遠い遠い天上から、銀色の蜘蛛くもの糸が、まるで人目にかかるのを恐れるように、一すじ細く光りながら、するすると自分の上へ垂れて参るのではございませんか。犍陀多はこれを見ると、思わず手を拍うって喜びました。この糸に縋すがりついて、どこまでものぼって行けば、きっと地獄からぬけ出せるのに相違ございません。いや、うまく行くと、極楽へはいる事さえも出来ましょう。そうすれば、もう針の山へ追い上げられる事もなくなれば、血の池に沈められる事もある筈はございません。
こう思いましたから犍陀多かんだたは、早速その蜘蛛の糸を両手でしっかりとつかみながら、一生懸命に上へ上へとたぐりのぼり始めました。元より大泥坊の事でございますから、こう云う事には昔から、慣れ切っているのでございます。
しかし地獄と極楽との間は、何万里となくございますから、いくら焦あせって見た所で、容易に上へは出られません。ややしばらくのぼる中うちに、とうとう犍陀多もくたびれて、もう一たぐりも上の方へはのぼれなくなってしまいました。そこで仕方がございませんから、まず一休み休むつもりで、糸の中途にぶら下りながら、遥かに目の下を見下しました。すると、一生懸命にのぼった甲斐があって、さっきまで自分がいた血の池は、今ではもう暗の底にいつの間にかかくれて居ります。それからあのぼんやり光っている恐しい針の山も、足の下になってしまいました。この分でのぼって行けば、地獄からぬけ出すのも、存外わけがないかも知れません。犍陀多は両手を蜘蛛の糸にからみながら、ここへ来てから何年にも出した事のない声で、「しめた。しめた。」と笑いました。ところがふと気がつきますと、蜘蛛の糸の下の方には、数限かずかぎりもない罪人たちが、自分ののぼった後をつけて、まるで蟻ありの行列のように、やはり上へ上へ一心によじのぼって来るではございませんか。犍陀多はこれを見ると、驚いたのと恐しいのとで、しばらくはただ、莫迦ばかのように大きな口を開あいたまま、眼ばかり動かして居りました。自分一人でさえ断きれそうな、この細い蜘蛛の糸が、どうしてあれだけの人数にんずの重みに堪える事が出来ましょう。もし万一途中で断きれたと致しましたら、折角ここへまでのぼって来たこの肝腎かんじんな自分までも、元の地獄へ逆落さかおとしに落ちてしまわなければなりません。そんな事があったら、大変でございます。が、そう云う中にも、罪人たちは何百となく何千となく、まっ暗な血の池の底から、うようよと這はい上って、細く光っている蜘蛛の糸を、一列になりながら、せっせとのぼって参ります。今の中にどうかしなければ、糸はまん中から二つに断れて、落ちてしまうのに違いありません。そこで犍陀多は大きな声を出して、「こら、罪人ども。この蜘蛛の糸は己おれのものだぞ。お前たちは一体誰に尋きいて、のぼって来た。下りろ。下りろ。」と喚わめきました。
その途端でございます。今まで何ともなかった蜘蛛の糸が、急に犍陀多のぶら下っている所から、ぷつりと音を立てて断きれました。ですから犍陀多もたまりません。あっと云う間まもなく風を切って、独楽こまのようにくるくるまわりながら、見る見る中に暗の底へ、まっさかさまに落ちてしまいました。
後にはただ極楽の蜘蛛の糸が、きらきらと細く光りながら、月も星もない空の中途に、短く垂れているばかりでございます。御釈迦様おしゃかさまは極楽の蓮池はすいけのふちに立って、この一部始終しじゅうをじっと見ていらっしゃいましたが、やがて犍陀多かんだたが血の池の底へ石のように沈んでしまいますと、悲しそうな御顔をなさりながら、またぶらぶら御歩きになり始めました。自分ばかり地獄からぬけ出そうとする、犍陀多の無慈悲な心が、そうしてその心相当な罰をうけて、元の地獄へ落ちてしまったのが、御釈迦様の御目から見ると、浅間しく思召されたのでございましょう。
しかし極楽の蓮池の蓮は、少しもそんな事には頓着とんじゃく致しません。その玉のような白い花は、御釈迦様の御足おみあしのまわりに、ゆらゆら萼うてなを動かして、そのまん中にある金色の蕊ずいからは、何とも云えない好よい匂が、絶間たえまなくあたりへ溢あふれて居ります。極楽ももう午ひるに近くなったのでございましょう。
底本:「芥川龍之介全集2」ちくま文庫、筑摩書房
『魔道祖师』原作者墨香銅臭出道小说『人渣反派自救系统#人渣反派自救系统# 』3D动画版今晚播出
『魔道祖師』の原作者・墨香銅臭先生のデビュー小説『人渣反派自救系統』(通称:さはん)のアニメ版『クズ悪役の自己救済システム』がついに日本上陸! 今夜の放送・配信前にあらすじや見どころをチェックしよう
『魔道祖師』『天官賜福』の原作者・墨香銅臭先生のデビュー小説を3Dアニメ化した『クズ悪役の自己救済システム』 (原題:『穿書自救指南』)の字幕版が、いよいよ2023年6月8日(木)0時30分(7日深夜)よりWOWOWにて日本初放送・配信開始。
本作は、オタクが小説にツッコミを入れたら異世界の悪役に生まれ変わってしまったという異世界転生もの。小説の中の世界にクズ悪役として転生した主人公が悲惨な結末を変えていくストーリーで、コミカルとシリアスの振り幅にも引き込まれる大人気作品です。
中国でのリリース翌日、テンセントビデオで視聴回数3000万回を突破。日本のファンからも熱い視線を浴びている作品で、ついに日本上陸するとあってさらなる注目を集めています。
大人気小説『人渣反派自救系統』(通称:渣反(日本語ではさはん))を3Dアニメ化した大注目作品で、原題は『穿書自救指南』。アジアをはじめ世界を魅了しているアニメ『#魔道祖师# 魔道祖師』『#天官赐福# 天官賜福』に続き、ついに日本上陸です。
愛読していた長編小説『狂傲仙魔途』を読み終えた主人公・オタクの沈垣(シェン・ユエン)。その結末に不満を抱き作品への不満をレビューに書き込んだ彼は、怒りのあまりまんじゅうを喉に詰まらせて死亡。謎のシステム音声が流れるなか沈垣は小説の世界に転生してしまいます。
物語の舞台は小説『狂傲仙魔途』の中の世界、架空の古代中国へ。
沈垣が転生したのは、小説の主人公・洛氷河(ルオ・ビンハー)ではなく、なんと主人公を苦しめるクズ悪役・沈清秋(シェン・チンチウ)!
師尊・沈清秋は、才能ある弟子の洛氷河を虐げ続けた結果、闇落ちした洛氷河によって人豚にされるという悲惨な運命をたどっていました。
システムのルールを守りながらも、待ち受ける悲惨な結末を変えようとする沈清秋ですが……。
#国漫##动漫##日本动漫##雨湖的动漫[超话]#
『魔道祖師』の原作者・墨香銅臭先生のデビュー小説『人渣反派自救系統』(通称:さはん)のアニメ版『クズ悪役の自己救済システム』がついに日本上陸! 今夜の放送・配信前にあらすじや見どころをチェックしよう
『魔道祖師』『天官賜福』の原作者・墨香銅臭先生のデビュー小説を3Dアニメ化した『クズ悪役の自己救済システム』 (原題:『穿書自救指南』)の字幕版が、いよいよ2023年6月8日(木)0時30分(7日深夜)よりWOWOWにて日本初放送・配信開始。
本作は、オタクが小説にツッコミを入れたら異世界の悪役に生まれ変わってしまったという異世界転生もの。小説の中の世界にクズ悪役として転生した主人公が悲惨な結末を変えていくストーリーで、コミカルとシリアスの振り幅にも引き込まれる大人気作品です。
中国でのリリース翌日、テンセントビデオで視聴回数3000万回を突破。日本のファンからも熱い視線を浴びている作品で、ついに日本上陸するとあってさらなる注目を集めています。
大人気小説『人渣反派自救系統』(通称:渣反(日本語ではさはん))を3Dアニメ化した大注目作品で、原題は『穿書自救指南』。アジアをはじめ世界を魅了しているアニメ『#魔道祖师# 魔道祖師』『#天官赐福# 天官賜福』に続き、ついに日本上陸です。
愛読していた長編小説『狂傲仙魔途』を読み終えた主人公・オタクの沈垣(シェン・ユエン)。その結末に不満を抱き作品への不満をレビューに書き込んだ彼は、怒りのあまりまんじゅうを喉に詰まらせて死亡。謎のシステム音声が流れるなか沈垣は小説の世界に転生してしまいます。
物語の舞台は小説『狂傲仙魔途』の中の世界、架空の古代中国へ。
沈垣が転生したのは、小説の主人公・洛氷河(ルオ・ビンハー)ではなく、なんと主人公を苦しめるクズ悪役・沈清秋(シェン・チンチウ)!
師尊・沈清秋は、才能ある弟子の洛氷河を虐げ続けた結果、闇落ちした洛氷河によって人豚にされるという悲惨な運命をたどっていました。
システムのルールを守りながらも、待ち受ける悲惨な結末を変えようとする沈清秋ですが……。
#国漫##动漫##日本动漫##雨湖的动漫[超话]#
【场刊搬运】船遊女
*宝塚歌劇八月月組公演
*昭和三十二年八月三日~九月一日
(平日五时三十分一回、土曜十二时三十分•五时三十分二回、日曜十一时•四时二回开演。)
舞踊劇「船遊女」五場
脚本:川端康成
演出•振付:西川鯉三郎(根据生卒年推测应为二世西川鯉三郎)
脚色:菅沼潤
作曲•指挥:入江薫
演出:内海重典
【ものがたリ】
平家が全盛を誇る京の都に、名手の誉高い呉竹という白拍手が居た。この人は平家の侍大将悪七兵衛景清のおもい者で、二人の間にはむらさきという美しい娘がある。
むらさきには、時丸と云つて、かぶろ姿の友達があった。(かぶろとは、平家を恨みそしる者の、少くなかったのを案じた清盛が、間者として都中に配した、かぶろ髪に赤い直垂姿の少年のことを云う。時丸も、その一人であった)
今宵も、白拍子の鼓唄で呉竹とッレ舞う景清のもとへ、源氏追討のため、出陣の命令の下つたことが告げられる。具竹は行手にひろがる暗雲を感じるが、悲しみと不安をかくして舞い続けた。
景清が出陣して一年後の夏には、源義仲が大軍を持って京に攻め入り、平家は都を捨てて西海へ落ちて行った。
更に月日は流れ、景清の行方も知れぬまゝ嵯峨野に身をひそめに呉竹は明日をも知れぬ病いの床に伏し、いまはたゞ、一人残されるむらさきの事を思い、夫を案じるのみである。
月の光に笛の音が流れ、思いがけなくも時丸が訪わて来た。むらさきは懐しさに胸を轟かせたが、時丸はかぶろの役を利用して民を苦しめた罪を悔い仏門に入る覚悟をきめて、別れを告げに来たのたった。そして、せめて恋しいむらさきの而影を心にと、笛を形見に残して去って行くのだった。
余命いくぱくもないことを悟った呉竹は、むらさきを呼びよせ「過ぎし春、夫景清の琵琶の音にあわせて舞ったこの舞を心に刻み、父を探し出してもう一度父の琵琶で舞ってくれ、あの世からこの母に見せて欲しい……」と、よろめく足を踏みしめて、娘に伝える最期の舞を舞って見せる。その気魄に打たれて、むらさきも必死に舞った。母呉竹がっいにカつきてしまったことにも気づかず、むらさきは懸命に舞い続けるのだった。
平家が、壇の浦に亡んで三年あまり後、ここ宮島の厳島神社は、まつりで賑わい、源氏の侍が濶歩して居る。その中に、一人の老いた盲目の琵琶法師があった。源氏の侍の强いるまゝに一曲を奏でて立ち去った直後、やつれた旅姿のむらさきが其の場に来合わせ、侍達の求めに歌いつゝ舞ってみせると、居合せた人々は先程の琵琶法師の奏でた曲にそっくりだと不思議に思う。ハッと心に感じて、むらさきが法師の行方を追おうとするが、又も悪侍達にからかわれ、たぶらかされて無理無態に連れまられてゆく。
靴の浦――この辺りは舟遊女が小舟を浮かべる船着場である。平家の女たちが、行きずりの客に戯れては生きのびているという噂の舟遊女が……。
小雪がちらついて向いの四国も見えね。いつかの琵琶法師が子供達にせがまれて琵琶を弾いている。壇の浦に幼くして沈んだ安徳帝の悲劇を語り、自ら涙するこの法師こそ、かつての勇将景清の老いた姿である。
船が着いて、噂の舟遊女が岸辺岸辺に小舟をあやつり、客を求めてあらわれる。その中に、むらさきの落ちぶれ果てた姿がある。客に悔辱され、邪慳につき倒されてよろめくのを、娘とは知らず、父とも知らず、景清の手がやさしく抱きあげる。だがその救いの手をも振切って立去ううとしたむらさきの耳に、法師の奏でる琵琶の曲……。
駈け戻って、古い記憶を取り戻そうと焦るむらさきーー、母の幻に励まされて次第に琵琶の音に乗って舞い始める。景清も遊女の気配の中から娘の記憶をよみがえらせて、思わず立って共に舞う。
親子であることを、はっきりと感じながら、互いにいまの我が身を恥じて名乗るに名乗れず、降りしきる雪の中で、た、激しく舞いつくけるのだった。長い流浪の果でに渐くめぐりあった二人の肩に無情な雪がま結すます激しくふりそゝぐ。
*宝塚歌劇八月月組公演
*昭和三十二年八月三日~九月一日
(平日五时三十分一回、土曜十二时三十分•五时三十分二回、日曜十一时•四时二回开演。)
舞踊劇「船遊女」五場
脚本:川端康成
演出•振付:西川鯉三郎(根据生卒年推测应为二世西川鯉三郎)
脚色:菅沼潤
作曲•指挥:入江薫
演出:内海重典
【ものがたリ】
平家が全盛を誇る京の都に、名手の誉高い呉竹という白拍手が居た。この人は平家の侍大将悪七兵衛景清のおもい者で、二人の間にはむらさきという美しい娘がある。
むらさきには、時丸と云つて、かぶろ姿の友達があった。(かぶろとは、平家を恨みそしる者の、少くなかったのを案じた清盛が、間者として都中に配した、かぶろ髪に赤い直垂姿の少年のことを云う。時丸も、その一人であった)
今宵も、白拍子の鼓唄で呉竹とッレ舞う景清のもとへ、源氏追討のため、出陣の命令の下つたことが告げられる。具竹は行手にひろがる暗雲を感じるが、悲しみと不安をかくして舞い続けた。
景清が出陣して一年後の夏には、源義仲が大軍を持って京に攻め入り、平家は都を捨てて西海へ落ちて行った。
更に月日は流れ、景清の行方も知れぬまゝ嵯峨野に身をひそめに呉竹は明日をも知れぬ病いの床に伏し、いまはたゞ、一人残されるむらさきの事を思い、夫を案じるのみである。
月の光に笛の音が流れ、思いがけなくも時丸が訪わて来た。むらさきは懐しさに胸を轟かせたが、時丸はかぶろの役を利用して民を苦しめた罪を悔い仏門に入る覚悟をきめて、別れを告げに来たのたった。そして、せめて恋しいむらさきの而影を心にと、笛を形見に残して去って行くのだった。
余命いくぱくもないことを悟った呉竹は、むらさきを呼びよせ「過ぎし春、夫景清の琵琶の音にあわせて舞ったこの舞を心に刻み、父を探し出してもう一度父の琵琶で舞ってくれ、あの世からこの母に見せて欲しい……」と、よろめく足を踏みしめて、娘に伝える最期の舞を舞って見せる。その気魄に打たれて、むらさきも必死に舞った。母呉竹がっいにカつきてしまったことにも気づかず、むらさきは懸命に舞い続けるのだった。
平家が、壇の浦に亡んで三年あまり後、ここ宮島の厳島神社は、まつりで賑わい、源氏の侍が濶歩して居る。その中に、一人の老いた盲目の琵琶法師があった。源氏の侍の强いるまゝに一曲を奏でて立ち去った直後、やつれた旅姿のむらさきが其の場に来合わせ、侍達の求めに歌いつゝ舞ってみせると、居合せた人々は先程の琵琶法師の奏でた曲にそっくりだと不思議に思う。ハッと心に感じて、むらさきが法師の行方を追おうとするが、又も悪侍達にからかわれ、たぶらかされて無理無態に連れまられてゆく。
靴の浦――この辺りは舟遊女が小舟を浮かべる船着場である。平家の女たちが、行きずりの客に戯れては生きのびているという噂の舟遊女が……。
小雪がちらついて向いの四国も見えね。いつかの琵琶法師が子供達にせがまれて琵琶を弾いている。壇の浦に幼くして沈んだ安徳帝の悲劇を語り、自ら涙するこの法師こそ、かつての勇将景清の老いた姿である。
船が着いて、噂の舟遊女が岸辺岸辺に小舟をあやつり、客を求めてあらわれる。その中に、むらさきの落ちぶれ果てた姿がある。客に悔辱され、邪慳につき倒されてよろめくのを、娘とは知らず、父とも知らず、景清の手がやさしく抱きあげる。だがその救いの手をも振切って立去ううとしたむらさきの耳に、法師の奏でる琵琶の曲……。
駈け戻って、古い記憶を取り戻そうと焦るむらさきーー、母の幻に励まされて次第に琵琶の音に乗って舞い始める。景清も遊女の気配の中から娘の記憶をよみがえらせて、思わず立って共に舞う。
親子であることを、はっきりと感じながら、互いにいまの我が身を恥じて名乗るに名乗れず、降りしきる雪の中で、た、激しく舞いつくけるのだった。長い流浪の果でに渐くめぐりあった二人の肩に無情な雪がま結すます激しくふりそゝぐ。
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