关于GW演剧可能暗含的史实影射我之前已经写过(https://t.cn/A6pQJsz1),这里我想再解读一下演出层面上的设计。在第一回合的对战中,助演小哥们其实扮演了各国的「分身」 ,拿着各不相同的武器在参与战斗。这个「分身」的概念甚至是在耀的台词中直接点明了的,只是汉化组没能翻译出来(我也是看了樱花妹的repo才听懂的…)。
以P1上图为例,从左至右依次是:独(步枪),耀(扇子),米(锄头),仏(长枪),露(斧头和手枪),伊(白旗),西(剑),菊(日本刀)。这里截图不太好看清,还请大家到视频里去确认。
助演小哥们演绎的剧本是:
当露和仏跳反后,举白旗的分身第一个退场,把白旗交到了伊手里,此后无论场上发生什么,伊都只有挥白旗的戏份;同时其他分身开始与长枪和斧头/手枪对战,当露和仏说完“世界的这一半归你另一半归我”之后,其他分身全部落败,沦为被操纵的人偶,去攻击自己的原身。
混战中,仏挑出了菊来与自己签订条约,其分身与仏一起围住了菊。耀试图解救菊,于是先挥拳把自己的分身打醒,让他与自己一起作战,这里耀的台词「私の分身も思い出すある」大意就是叫他清醒过来(不要再被操纵),而分身也在短暂恍惚后坚定点头回应了耀。最终两人仍是落败,仏壁咚菊时,其分身也配合了仏的动作。
至此场上的态势是,伊在躺平,米被拿着锄头的分身所挟制而无法行动,于是西和独挺身而出,与朝自己攻击而来的分身作战并夺取了武器。就在两人与露和仏的分身对战时,菊的分身突然出现,偷袭并击败了他们。紧接着露二度跳反,利用菊的分身偷袭了仏,露自己也压制了拿着长枪的仏的分身。
米成为了场上仅剩的战力。这里米用了和耀相似的方式,给了自己分身一拳,唤醒他来同自己一起战斗。但在露与菊的分身合围下,米仍是落败,而后露把斧头塞到了他手上,意味着露不再只是操控分身,而是要操控米本人。不过后来跟英打架的时候米直接把斧头扔掉了。
这套演出设计里有几个让我很在意的细节。比如,露的分身是唯一拥有两个武器的存在。其中斧头与其说对应露本人,不如说更可能是一种帝国强权的象征(起源于古罗马的fasces就是插着斧头的束棒),各国在斧头的力量支配下互相争斗,与20世纪上半叶的真实历史暗合。而手枪这个意象,通常都更容易让人联想到米(比如WW某名场面),而跟露的关联性要弱得多。可是这个演剧里代表米的武器,偏偏是具有农业国色彩的锄头(虽然剧情前半的若米确实使用过这个道具)。同时,米也是唯一和耀采取了相同行动,将被操纵的分身解救出来与自己并肩作战的角色。这么一想,我之前的暴论解读该不会真是说得通的吧……
以P1上图为例,从左至右依次是:独(步枪),耀(扇子),米(锄头),仏(长枪),露(斧头和手枪),伊(白旗),西(剑),菊(日本刀)。这里截图不太好看清,还请大家到视频里去确认。
助演小哥们演绎的剧本是:
当露和仏跳反后,举白旗的分身第一个退场,把白旗交到了伊手里,此后无论场上发生什么,伊都只有挥白旗的戏份;同时其他分身开始与长枪和斧头/手枪对战,当露和仏说完“世界的这一半归你另一半归我”之后,其他分身全部落败,沦为被操纵的人偶,去攻击自己的原身。
混战中,仏挑出了菊来与自己签订条约,其分身与仏一起围住了菊。耀试图解救菊,于是先挥拳把自己的分身打醒,让他与自己一起作战,这里耀的台词「私の分身も思い出すある」大意就是叫他清醒过来(不要再被操纵),而分身也在短暂恍惚后坚定点头回应了耀。最终两人仍是落败,仏壁咚菊时,其分身也配合了仏的动作。
至此场上的态势是,伊在躺平,米被拿着锄头的分身所挟制而无法行动,于是西和独挺身而出,与朝自己攻击而来的分身作战并夺取了武器。就在两人与露和仏的分身对战时,菊的分身突然出现,偷袭并击败了他们。紧接着露二度跳反,利用菊的分身偷袭了仏,露自己也压制了拿着长枪的仏的分身。
米成为了场上仅剩的战力。这里米用了和耀相似的方式,给了自己分身一拳,唤醒他来同自己一起战斗。但在露与菊的分身合围下,米仍是落败,而后露把斧头塞到了他手上,意味着露不再只是操控分身,而是要操控米本人。不过后来跟英打架的时候米直接把斧头扔掉了。
这套演出设计里有几个让我很在意的细节。比如,露的分身是唯一拥有两个武器的存在。其中斧头与其说对应露本人,不如说更可能是一种帝国强权的象征(起源于古罗马的fasces就是插着斧头的束棒),各国在斧头的力量支配下互相争斗,与20世纪上半叶的真实历史暗合。而手枪这个意象,通常都更容易让人联想到米(比如WW某名场面),而跟露的关联性要弱得多。可是这个演剧里代表米的武器,偏偏是具有农业国色彩的锄头(虽然剧情前半的若米确实使用过这个道具)。同时,米也是唯一和耀采取了相同行动,将被操纵的分身解救出来与自己并肩作战的角色。这么一想,我之前的暴论解读该不会真是说得通的吧……
《端午の瞎想》
人生苦短,道阻且长。
譬如朝露,去日苦多。
这个世界有许多的事情,还真的让人琢磨不透。想到头痛也想不出来,究竟是为了什么?
就像端午的粽子,也不知代表什么?屈子的纵身一跃,是为了爱楚的国?还是拒大秦的统?
就像“东边我的美人,西边黄河流”,难道是“向东可寻欢,向西可剃度”?人生哪有那么潇洒?
一场奇特的“战争”,让我们的思维方式更加割裂,看不清的未来和说不出的心情,无法自拔。
休言万事转头空,转头空时皆是梦。易中天说,现实不可描述,未来无法预测,一切皆有可能。
文人的狡黠可窥一斑。谁家的花开了,鸟儿在树上歌唱。小河的水满了,少年却不在家了。
成都的下水道说,可有、可无,取舍之间,便是人生。可大、可小,懵懂之间,便是年龄。
母亲的头发白了,脸上的皱纹深了。岁月的沧桑浅了,有生的日子少了。惟有爱,无法改变。
有道是:
自觉此身无一事,
青山偏会笑人愁。
所谓:
世界微尘里,
吾宁爱与憎。
人生苦短,道阻且长。
譬如朝露,去日苦多。
这个世界有许多的事情,还真的让人琢磨不透。想到头痛也想不出来,究竟是为了什么?
就像端午的粽子,也不知代表什么?屈子的纵身一跃,是为了爱楚的国?还是拒大秦的统?
就像“东边我的美人,西边黄河流”,难道是“向东可寻欢,向西可剃度”?人生哪有那么潇洒?
一场奇特的“战争”,让我们的思维方式更加割裂,看不清的未来和说不出的心情,无法自拔。
休言万事转头空,转头空时皆是梦。易中天说,现实不可描述,未来无法预测,一切皆有可能。
文人的狡黠可窥一斑。谁家的花开了,鸟儿在树上歌唱。小河的水满了,少年却不在家了。
成都的下水道说,可有、可无,取舍之间,便是人生。可大、可小,懵懂之间,便是年龄。
母亲的头发白了,脸上的皱纹深了。岁月的沧桑浅了,有生的日子少了。惟有爱,无法改变。
有道是:
自觉此身无一事,
青山偏会笑人愁。
所谓:
世界微尘里,
吾宁爱与憎。
「あ」とは?形のわけとその成り立ち
「あ」の成り立ち。それは、およそ1,000年前に起こった文字にまつわる簡素化の歴史です。
「あ」とは?
「あ」とは「あいうえお」の5母音のひとつであると同時に、日本語の五十音(ごじゅうおん)の第1音。
それをひらがなで表したものです。
ひらがなはもともと、漢字の字画を省略して書いた形が、やがて本来の漢字の意味から離れて日本語を記す一音として独立して使われるようになったものです。「あ」はなぜこの形?~「あ」の成り立ち「あ」は、漢字「安」を簡略化したものです。「安」が行書体や草書体で書き崩して書かれるうちに、「あ」が生まれました。
「安」は、一説には女性(「女」)が家(うかんむり、宀)の中にいる様子を表すと考えられており、安心、安泰など、やすらかで落ち着ける雰囲気を指す言葉に使われます。
そもそも、「ひらがな」とは?
ひらがなは、中国から伝来した漢字から日本で派生したものです。
西暦900年頃の平安時代に、そのまえの奈良時代を中心に使われていた万葉仮名(まんようがな)に代わるものとして、ひらがなが広がったと言われています。
古来、漢字で表されていた文章は画数が多く面倒だったため、日本人は省略して書くようになります。それを行書と呼びます。
また、その漢字の意味にかかわらず、日本語の1音に漢字1字をあてて音節を表記するようになります(万葉仮名、奈良時代)。やがて、より簡単に速くかけるようにと、行書はさらに省略され(草書体)、それがひらがなとして定着しました。漢字は本来の日本語の音節に併せてバージョンアップを重ね、ひらがなという副産物を生んだというわけです。 英語で言えば、筆記体からひらがなが生まれたようなものでしょうか。英語のアール(r)の筆記体を、大胆にも新しい一文字に変えて、表現の幅を広げたイメージです。簡素化は普遍的変化
万葉仮名は画数が多く、その省略形としてひらがなが生まれたわけですが、これは最近の日本語でも省略形が次々生まれていることと無関係ではないでしょう。たとえば明治期には、それまで略字や誤字として使われていた漢字が正式な字として昇格しました(國→国、學→学、櫻→桜など)。また、ヤバい、エモい、それな、など「感情の省略形」とも言うべき言葉も若者によって生み出されています。
ひらがなが長い時の要望に応えた一手であるとしたら、受け入れられるのも早かったことでしょう。平安時代にも、官人が地方へ赴任する、いわゆる転勤があったため、ひらがなが日本各地に普及したのは早かったと言われています。今、わたしたちが使う日本語は、そんな「簡素化」の歴史の上に横たわっています。
「あ」の成り立ち。それは、およそ1,000年前に起こった文字にまつわる簡素化の歴史です。
「あ」とは?
「あ」とは「あいうえお」の5母音のひとつであると同時に、日本語の五十音(ごじゅうおん)の第1音。
それをひらがなで表したものです。
ひらがなはもともと、漢字の字画を省略して書いた形が、やがて本来の漢字の意味から離れて日本語を記す一音として独立して使われるようになったものです。「あ」はなぜこの形?~「あ」の成り立ち「あ」は、漢字「安」を簡略化したものです。「安」が行書体や草書体で書き崩して書かれるうちに、「あ」が生まれました。
「安」は、一説には女性(「女」)が家(うかんむり、宀)の中にいる様子を表すと考えられており、安心、安泰など、やすらかで落ち着ける雰囲気を指す言葉に使われます。
そもそも、「ひらがな」とは?
ひらがなは、中国から伝来した漢字から日本で派生したものです。
西暦900年頃の平安時代に、そのまえの奈良時代を中心に使われていた万葉仮名(まんようがな)に代わるものとして、ひらがなが広がったと言われています。
古来、漢字で表されていた文章は画数が多く面倒だったため、日本人は省略して書くようになります。それを行書と呼びます。
また、その漢字の意味にかかわらず、日本語の1音に漢字1字をあてて音節を表記するようになります(万葉仮名、奈良時代)。やがて、より簡単に速くかけるようにと、行書はさらに省略され(草書体)、それがひらがなとして定着しました。漢字は本来の日本語の音節に併せてバージョンアップを重ね、ひらがなという副産物を生んだというわけです。 英語で言えば、筆記体からひらがなが生まれたようなものでしょうか。英語のアール(r)の筆記体を、大胆にも新しい一文字に変えて、表現の幅を広げたイメージです。簡素化は普遍的変化
万葉仮名は画数が多く、その省略形としてひらがなが生まれたわけですが、これは最近の日本語でも省略形が次々生まれていることと無関係ではないでしょう。たとえば明治期には、それまで略字や誤字として使われていた漢字が正式な字として昇格しました(國→国、學→学、櫻→桜など)。また、ヤバい、エモい、それな、など「感情の省略形」とも言うべき言葉も若者によって生み出されています。
ひらがなが長い時の要望に応えた一手であるとしたら、受け入れられるのも早かったことでしょう。平安時代にも、官人が地方へ赴任する、いわゆる転勤があったため、ひらがなが日本各地に普及したのは早かったと言われています。今、わたしたちが使う日本語は、そんな「簡素化」の歴史の上に横たわっています。
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